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第一話 すれ違い

【今までのあらすじ】


レジス達の活躍により、連合国の動乱は鎮められた。

しかし同時に、裏で動乱を煽っていた帝国の幹部が、さらなる暗躍を見せた。

膨大な帝国軍を率い、商王たちのいる連合国に押し寄せてきたのだ。


独力での撃退は不可能と理解した商王たちは、

レジス達に援軍の望みを託した。

なんとか王国に帰還してもらい、王国側から帝国に攻め込んでもらう。

そうすれば、連合国の包囲を解くだろうとの目論見だった。


これを受諾したレジスたちは、王国への帰還を決意。

ウォーキンスの提案で、唯一機能している帰路――帝国の国境へと到達した。

しかし、彼女が打ち出した帰還ルートは、驚くべきものだった。


帝国の中央を通過するという、敵国の横断突破。

呆気にとられたレジスだが、

他ならぬウォーキンスの提案ということで賛成。


こうして、帰還の旅が無事に始まるかと思われたが――

 



 



 バド・ランティス。

 暗殺者を葬る秘密機関『暁闇の懐剣』に所属。

 国王の側近である内大臣リムリスとは幼なじみ。


 口は悪く強気だが、一方で臆病なところがある。

 顔の上半分を覆い隠す、奇抜な仮面を装用。

 血液を操る魔法を使い、懐中にあるナイフを暗器として用いる。


 この連合国の旅では、案内人として連合国へ同行。

 道中においても、戦火の中においても、この旅を共にした男。

 それが、俺の知るバド・ランティスという男だ。




「――まあ、何となく分かってたぜ」




 冷たい風が頬を撫でる。

 王国の僻地で育った俺は、この地の気候をあまり知らない。

 ただ、上着を着込んでいるにもかかわらず、ずいぶんと寒く感じた。


 しかし、本当は寒暖差などないのかもしれない。

 俺達の間に流れる空気が、この寒さを加速させているのかもしれない。



「――テメェ、帝国の間者だな?」





     ◆◆◆





 時は、少しだけ遡る。

 俺、ウォーキンス、バドの3人は、転移魔法でここに飛んできた。

 強大にして最悪の敵である帝国――その国境地帯へと。


 そして、ウォーキンスは打ち出したのだ。

 帝国の中央を突破するという、帰還方法を。


 最初は俺も面食らった。

 しかし、一方で「なるほどな」と思った。

 包囲の外へ脱出し、敵兵の少ないところを通過して帰る。


 帝国の事情に精通しているなら、

 確かに成功する確率の高い作戦だ。

 転移魔法を使えるウォーキンスにしか成し得ない、盲点を突いた良策だった。


『よし、それで行こう。

 ここからの道案内は任せたぞ、ウォーキンス』

『もちろんです、お任せください!』


 見えてきた希望に気勢を上げる俺と、

 快く頷いてくれるウォーキンス。

 あとはこの勢いのまま、帝国内部を通行するだけだった。


 しかし、この時俺は気づいた。

 そういえば、先程から背後にいるバドが言葉を発していないことに。

 ウォーキンスの説明に対しても、相槌すら打っていない。

 俺は溜め息を吐きながら後ろを向いた。


『バド、ちゃんと聞いて――』



 目に入ったのは、白銀の光。

 月の光に照らされ、青白く輝く短剣。

 突き立てれば人を殺せるであろう凶器を、こちらに向けるバド。


 その瞳には、凄まじい敵意が込められていた。

 

『……バド?』


 何の冗談だ。

 そう突っ込もうとした時、俺は認識した。

 バドが剣先を向けているのは、俺ではなかったのだ。


 俺の横に立つウォーキンスに対して、

 血の匂いの染みこんだ凶刃の切っ先を向けていた。


『――まあ、何となく分かってたぜ』


 そして、彼は恐ろしく低い声で呟いたのだ。

 少しずつ積み上がっていた何かを、

 まとめて崩壊させてしまう、その一言を。



『――テメェ、帝国の間者だな?』




     ◆◆◆





 意識が現在いまに引き戻される。

 もはや記憶を遡る暇などない。

 俺は冷や汗を流しながら、眼前の光景に立ち竦んでいた。


「裏切りを咎める忠誠心なんざねえが――

 死地に引きずり込まれて黙っていられるほど、俺ァ温厚じゃねえよ」


 剣呑極まりない、バドの剣幕。

 今にでも握りしめた短剣を投げてきそうだ。

 しかし、ウォーキンスは反論する素振りを見せない。

 表情を変えず、バドに向き合っているだけだ。


「弁解すらしねえってか。ずいぶんと図太い神経だな」


 バドは体を半身に捻った。

 投擲の構えだ。

 彼は本気でウォーキンスを始末しようとしている。


 俺は呆気にとられていたが、

 彼の殺意が冗談ではないことに気づき、冷静になった。

 そして、鋭い声で彼に言い放つ。


「剣を降ろせ、バド!」


 それは、違うだろう。

 ウォーキンスに敵意を向けるのは、誤りだ。

 冤罪でしかない。


 俺はバドの前に立ちふさがった。


「なんだレジス。その女を庇うつもりじゃねえだろうな」


 バドが俺に視線を移してくる。

 その瞬間、震え上がった。

 怒りと敵意の矛先を定めている状態。

 いつ以来だ、そんな目を向けられるのは。


 だが、俺はひるまなかった。


「ウォーキンスは……帝国の回し者なんかじゃない。

 だから、その剣を降ろせよ」


 なんとか言葉を紡ぎだし、場を執り成そうとする。

 だが、これは逆効果だったらしい。

 バドがより強硬な怒りを瞳に宿す。


「証明できんのか?」

「する必要はないし、見せられる物証はない」

「必要があるから、こんなことになってるってのが分かんねえか?」

「…………」


 論戦など望むところではない。

 そんなのは商王議で懲りた。

 俺と話しても埒が明かないと思ったのか、バドは目を細めた。


 そして俺の後ろにいるウォーキンスに食って掛かる。


「なぁおい、ウォーキンスさんとやらよ。

 テメェの問題なんだぜ。嫌疑を晴らしたらどうだ?」

「そうですね……しかし――」


 しばらくの逡巡の後、ウォーキンスは首を横に振った。

 どう説得しようか悩んでいる顔。

 俺にはそう見えた。


「バド様の疑念を払拭できる物は、特に持っておりません」


 いつも俺に掛けてくれる声とは違う、無機質で淡白な声。

 それを聞いて、バドは仮面の奥の眼光を尖らせた。

 そして苛立ちのままに糾弾してくる。


「その澄ました態度が気に入らねえ……最初に会った時から気に入らねぇ。

 貴族のガキをたらしこんで、安全圏に匿ってもらってるようにしか見えねえんだよ」


 貴族のガキ……俺のことか?

 悪いが、たらしこまれている自覚はない。

 俺は自分の意志で、ウォーキンスへの嫌疑を晴らそうとしているんだ。


「……バドこそ、なんでウォーキンスを疑ってるんだ」

「はぁ? 何言ってんだ、正気かテメェ」


 俺の問いに、バドは目を丸くした。

 ウォーキンスを擁護する俺を、

 憐憫のような、失望のような、哀れみに満ちた目で見てくる。


 なんだ、その目は。

 俺の言ったことがそんなにおかしいか?


 疑いの原因を聞いただけだろうが。

 ウォーキンスへの誤解を解くために、間に入っただけだ。

 それで正気を疑われる筋合いはない。


 質問を質問で返され、心がざわつく。


「ウォーキンスを疑うなら、その理由を教えてくれ」


 だから俺は、もう一度問い返した。

 沸点近くまで来ている怒りを抑えつけ、バドに告げたのだ。

 これで論理にかなった説明をしてくれるなら、それでいい。

 俺も対応を考える。


 だが、バドは深い溜息を吐くだけだった。


「……馬鹿か? そんなもん、自明の理だろうが」


 瞬間。

 俺は喉から声を絞り出した。


「――言えよ!」


 ビリビリと、声が闇夜の静寂を揺らす。

 しかし構わない。俺はバドへ反駁した。


「疑うだけならまだいい!

 だが、そうやって剣を向けた以上、冗談じゃ済まない。

 ここまでやるなら、納得できる答えを言えよ!」


 バドは貴族ではないのかもしれない。

 だが、それでも、剣を向けるっていうのは、おしなべてそういうことだ。

 看過することはできない。


 俺の怒りを見て、バドは舌打ちをした。


「……チッ、騙されてる自覚がねえのか。なら、いいぜ。

 盲信してるテメェでも分かるよう、答えてやるよ!」


 俺の声に釣られてか、バドの語気が荒くなっていく。

 彼は猜疑の念を全開にして、論拠を叩きつけてきた。


「素性は聞いても答えねぇ!

 帝国の上位魔法師しか使えねぇ転移魔法を使う!

 どこに行くのかと思いきや――帝国領に俺とレジスを連れてきたッ!

 しかも、トドメが『帝国を中央突破して帰る』だぜ?

 たかが一貴族の使用人が、なんで敵国の地理を知り尽くしてんだ? アァ!?」


 並べられた疑惑。

 王国の人間らしからぬ行動。

 これらを勘案して、バドは俺に宣告してきた。


「ここまで揃っといて、帝国との関与を疑うな?

 おかしいのはテメェだって気づかねえのか、レジスよぉ」


 ……なるほどな。

 ウォーキンスの行動をそう取ったわけだ。

 俺とバドを殺害するために、ホームである帝国に連れてきたと。


 用心深いお前のことだ。

 そういう結論に至るのも仕方ないのかもしれない。

 だがな――


「ウォーキンスは、達を逃がそうとしてくれてるだけだ」

「それで?」

「………………」


 何が『それで?』だ。

 しかし、これ以上感情を高ぶらせるわけにはいかない。

 俺は怒りを抑えてバドに説明した。


「彼女の力があれば、俺たちを殺すことなんて簡単だ。

 わざわざ時と場所を選ぶ必要なんてないんだよ」

「どこでも殺せるなら、なおさら仕えてる国の近くで実行に移すだろうな」


 それはお前の推測だろう。

 そんなのがアリなら、どんな反論も意味がなくなってしまう。

 俺は歯を噛み締めた。


「もしウォーキンスが帝国の間者なら、

 商王を助ける必要なんてなかったはずだろ」

「力持ってんのに見殺しにする必要の方がねえよ。

 正体隠すのが第一の輩が、そんなうかつな真似すると思うか?」


 やはり、どれだけ言っても聞こうとしない。

 たとえ決定的な証拠を突きつけても、バドは折れないだろう。

 どれだけ説得を試みようと、相手が決めて掛かっているのなら意味がない。


 こじつけてでも、ウォーキンスを間者にしようとしてくる。

 これでは埒が明かない。


「――――」


 俺は逡巡の後、攻め手を変えることにした。

 感情に訴えるのは最後の手段だが、やるしかない。

 バドはもう、俺の論理に耳を貸そうとしないのだから――


「……思い出してみろよ、バド。

 確かに、俺たちの旅は短い間だったけどさ」


 まだ俺達は、出会って一ヶ月ほど。

 何回か険悪になることもあった。

 特に、バドがウォーキンスに噛み付くことが多かったように思う。


 しかし、窮地を共にくぐり抜け、連合国での務めを果たした。

 協力して、ここまでやってきたのだ。

 

「だけど、それでも――」


 これでダメなら、もう無理だ。

 説得する気力もなくなる。

 俺は全力の気迫を込めて、バドに詰問した。


「ウォーキンスがそういう奴じゃないってことくらい――

 この旅で分からなかったのかよ!」


 この問いに対して、バドは舌打ちをした。

 そして、間髪入れずに頷いてくる。


「ああ、そうだ。

 さっきから言ってんだろ? やっと理解したのか」

「…………ッ!」


 何を今更、といった顔だ。

 彼はもう、俺を怒鳴りつけようとはしない。

 ただ哀れみの念を込めて、深く長い溜息をついた。


「死地に連れて来られたにも関わらず、それでも庇うたぁな。

 そんな盲目に成り果てるほど、その給仕が大事か?」

「ああ、大事だよ」


 でなかったら庇うものか。

 お前にとっては盲目に見えるんだろうがな。

 俺としては熟慮した上での擁護なんだよ。


「ハッ……お人好しもここまで行くと救われねぇ」

「百も承知だ」


 じわじわと、バドとの間で黒い情念が湧き上がってくる。

 そんな感覚を覚えた。


 しかし、もはや止まれない。

 開いていく俺とバドの距離。

 決裂を覚悟した刹那、俺の肩に手が置かれた。


「……ウォーキンス?」

「庇って頂き、ありがとうございます。レジス様」


 ウォーキンスだ。

 彼女は困ったような笑みを浮かべている。

 今まで寡黙を保っていた彼女が、ここで動き出した。


「でも、もう大丈夫です」


 彼女は俺の背中にそっと手を添えた。

 そしてバドと相対する俺を下がらせ、一歩前に出ようとする。


「……ウォーキンス?」

「私のことです。私が疑いを晴らします」


 そう言って、ウォーキンスはバドと正面から向き合う。

 もう両者の間には、何も止めてくれるものはない。

 バドの目がいっそう険しくなる。


 そんな中で、ウォーキンスは開口一番、すさまじいことをさらりと言った。


「端的に申しましょう。

 今までお話していませんでしたが――私は帝国出身です」

「…………ッ」


 内心で、驚きを隠せなかった。

 ウォーキンスが帝国の魔法を操れることは知っていた。

 だが、それでも、心のどこかで勝手に思っていたのだ。

 彼女は王国の民であると。


「転移魔法が使えるのもこのためですね。

 また、魔法陣の設置に関しても、この地に縁があったからです」


 今まで気になっていたことを、ウォーキンスは次々に告げる。

 少しずつ、彼女に関するパズルのピースが埋まっていく。

 だが、ウォーキンスが己を開示したのはそこまで。


「なんで隠してやがった?

 レジスも知らなかったみたいだぜ、帝国民の使用人さんよ」

「答えると不都合があるからです」


「不都合……ねぇ。帝国の間者だとバレるからって正直に言えよ」

「見当違いです。

 どうやらバド様は、憎しみから来る邪推で目が曇っているようですね」


 彼女はバドに対して深々と一礼した。


「現在、私と帝国には何の関係もありません。

 私の名はウォーキンス。レジス様をお守りするディン家の使用人です」


 真摯で非の打ち所のない一礼。

 給仕としてこれ以上ない立ち居振る舞いだ。

 だが、バドはこれを一喝する。


「だから、それが信じられねえって言ってんだろうが!」


 彼は声に怒気をはらませ、ウォーキンスを弾劾した。


「帝国出身で、転移魔法で俺たちを敵国に連れてきて、帝国とは何の関係もありません?

 そんな口上がまかり通ると思ってんのか!」


 ウォーキンスは帝国との関与を否定し、バドはあると決めつけている。

 これでは何をしようが平行線だ。

 しかし、止めない訳にはいかない。


 ここで決裂してしまえば、バドはウォーキンスに襲いかかるだろう。

 そうなれば、もう……後には戻れなくなる。


「では、バド様はどうなさるおつもりです?」

「知れたことだ。王国に――リムに危害を与えようとする奴は、

 帝王だろうが国王だろうが闇に葬ってやらァ!」


 ああ、理解した。

 バドがなぜここまで執拗にキレているのかを。

 そういえば彼は、終始一貫してそういう男だった。


 もしウォーキンスが帝国の手先であった場合、見逃せば王国が危機に陥る。

 そうなれば、宮中にいる大切な人が危険に晒される可能性が高い。

 つまり、バドは幼なじみのリムリスに危害が及ぶことを恐れているのだ。


 と、ここでウォーキンスがゆっくりと首を横に振った。


「いえ。私がお伝えしたいのは、そういうことではありません」

「……あぁ?」


 唸るような声を出すバド。

 そんな彼に向かって、ウォーキンスは淡々と尋ねていく。


「宣言通りに私を裏切り者と断じて殺害した場合、

 どうやって王国に帰還なさるおつもりですか?」

「…………」


 懐柔策か。

 事実、ウォーキンス抜きでは帰る手段が残されていない。

 バドだって、それくらいは分かっているだろう。


「ここから王国に戻る方法は一つ。

 帝国を通過するしかありません。

 バド様は帝国の地理には疎いと聞き及んでおりますが?」


 帰還方法を明かした上で、ウォーキンスはバドに選択を迫る。

 黙って付いてくるか、ここで別れて野垂れ死ぬか。

 もちろん、普通の人間であれば折れる。

 生き足掻く欲求に従い、同行を選ぶだろう。


「へぇ……心優しい使用人様はさすがだねぇ。

 こっちはテメェを殺そうとしてるってのに、まさか心配してくれるたぁな」


 だが、ことバドに限っては、そのアプローチは悪手だったかもしれない。

 前世において、似たような経験をしたことがある。

 彼のような手合いは、そういう迫り方をすると――


「ただ、俺がそういう脅しに虫酸が走る人間だってのは、

 ちゃんと承知した上で言ってるんだろうな?」


 バドは短剣を己の腕に突き刺した。

 ボタボタと、流動状の血が流れる。

 彼はその血を刀身ですくい取り、短剣の表面に纏わせた。


「――人をコケにしやがって。

 やっぱテメェは、生かしておけねえよ」


 ダメだ。

 バドは今の問答で完全に胸の内を決めたようだ。

 じり、じりと彼はウォーキンスとの距離を詰めていく。


「…………ッ」


 止めなければ。

 多少の荒事になったとしても。

 そう思って前に出ようとした。


 だが、ウォーキンスに止められる。


「――私が望むのは、レジス様が無事に帰られることだけです」


 俺に言ったのではない。

 彼女はバドに告げているのだ。


「私抜きでレジス様を本国にお届けできるのであれば、どうぞその剣を振るいください」


 ウォーキンスは瞳を閉じた。

 そして襟を少しはだけて首を見せる。

 冗談で言っているわけではない、という意思表示だろう。


「しかし、私の案内がレジス様にとって一番の安全策。

 もしそれを邪魔されるのでしたら――」


 ウォーキンスが片目を見開く。

 その瞳は妖しく輝き、冷たくバドを見据えていた。


「バド様を掻き消して、レジス様と共に帰還するだけです」


 赤と金色が綯い交ぜになった、威圧する瞳色。

 挑んだらどうなるか分かっているんだろうな?

 そう脅しているようにも見えた。


「…………ッ」


 バドが身体を震わせた。

 ウォーキンスの魔力に圧倒されたか。

 歯を噛み締め、心臓を守るかのように手を胸に当てている。


 初めて面と向かって魔素を向けられて、

 彼女との純然たる実力差に気づいてしまったのかもしれない。


「……最後まで脅しか。ロクなもんじゃねえ」


 バドは苦し紛れにため息を吐いた。

 そして短剣をゆっくりと握り直す。


 まさか、挑むつもりか……?

 そう思ったが、バドは短剣を懐にしまった。


「――情けねえが、勝てない戦はしねえ主義なんでな」


 そう言って、彼は俺達に背を向ける。

 そしてあろうことか、そのまま何処へと歩いて行く。


「お、おいバド! どこに行くんだ」


 俺はとっさに引き止めた。

 だが、バドは振り向きすらしない。


「帰るんだよ。一人でな」

「無茶だ!」


 敵対国で単独行動など、危険極まりない。

 土地勘もないというのに、どうやって脱出するつもりだ。

 捕まってしまったら、処刑されて終わりだというのに――


「身元も知れねえ奴といるほうが自殺行為だ。

 一人で動いたほうがよっぽど生存率は高ぇよ」


 そう告げて、バドは歩を進めていく。

 旅の間、ずっと傍で戦っていた。

 諍いもあったが、共に困難を乗り越えてきた。

 そんな彼の背中が、今はひどく遠く見えた。


 距離が開いたところで、バドは俺の方に振り向く。


「まあ、当然ながらテメェに恨みはねえ。

 初めて気が合ったガキなんだからな」


 そう言い放つバド。

 仮面に覆われた彼の表情は、心なしか寂しそうに見えた。


「だったら――」

「仕事は私情じゃ回らねえ。

 寝首を掻かれて死に掛けたことがある奴はな、

 信頼できねぇ輩と動くのが、たまらなく怖ぇんだよ」


 バドは自嘲するように呟いた。

 そして俺に背を向け、鋭い言葉を告げてくる。


「まあ、テメェには分からねえ話だろうな。

 その女が消えねえなら俺が消える。それだけだ」


 そう言って、彼は歩き出した。

 引き止める声も意に介さない。


 そのまま、どことも知れぬ闇の中へと消えていく。

 足音が遠ざかり、何も聞こえなくなる。


 無音の世界へと至る寸前、

 バドの残念そうな声が響いたのだった。



「――あばよ、レジス。また会えるといいな」




     ◆◆◆




 じっとりとした風が肌を撫でる。

 何も聞こえない暗中の中に、俺は立ち尽くしていた。


「……つらいな」


 バドは、ウォーキンスを敵と見なしていた。

 何となく、その気配は俺も感じていた。

 だが、俺達はここまで旅を続けてきたのだ。


 その中で、警戒は解れたと思っていた。

 しかし、真相はまったくの逆。

 バドはウォーキンスを排除しようとした。


 排除とは、すなわち殺害。

 信頼が培われなかったというのは、やはり悲しい。

 それ以上に、悔しかった。


 仲裁により、決定的な対立は避けられた。

 が、代わりに旅の面子が一人離脱。

 魂が抜けるような思いだった。


 しかし――


「行くぞ、ウォーキンス」


 俺はウォーキンスに声を掛けた。

 いつまでも立ち止まっている訳にはいかない。

 いくら人の気配がないとはいえ、ここは国境近く。


 足を止めていては帝国兵に見つかってしまう。

 残念だが、バドとは王国での再会を期待しよう。

 もっとも、あいつが一人で無事に帰国できたらの話だが――


「申しわけありません」


 と、ここでウォーキンスが謝ってきた。

 頭を下げて、心底申し訳なさそうな視線を向けてくる。

 しかし、俺はゆっくりと首を横に振った。


「ウォーキンスは悪くないよ。

 仲裁できなかった俺が力不足だっただけだ」


 ウォーキンスの秘密癖が、悪い形になって結果を生んでしまった。

 本来ならばその点において、彼女に非はある。

 しかし、俺はなんとなく推測していた。


 彼女が自分のことを教えたがらないのは、

 なにか特別な理由があるからではないのかと。

 ここで思い当たるのが、今までに出会ってきた誓約魔法だ。


 もしかすると、ウォーキンスは何らかの制約によって、

 自己を開示することができないのかもしれない。

 今までの経験から、そんな気がした。


 もしそうであるならば、ウォーキンス本人がバドの警戒心を解くことは非常に難しい。

 他の人が間に立って、話してあげないとダメなのだ。


 もう少し、俺がバドに伝えるべきだったのかもしれない。

 ウォーキンスが危険な人物ではないことを。

 意味深な沈黙は、俺達の安全を慮っての上なのだということを。


「……悔やんでも、仕方ないな」


 俺は前を見据えた。

 過去のことは、ひとまず忘れよう。

 今はただ、目の前のことに集中するべきだ。

 

 ここは帝国。

 危険な区域であるが、ここさえ抜ければ王国は目と鼻の先だ。

 俺は軽くウォーキンスの肩を叩く。


「行こう。夜が明けるまでに出発しなきゃダメなんだろ」

「そうですね」


 俺の声を受けて、ウォーキンスも顔を上げた。

 少し気が楽になったようだ。

 安堵した様子で俺に微笑んでくる。


「先ほどは、ありがとうございました」

「いいよ」


 ウォーキンスは帝国の手先ではない。

 ディン家の使用人で、俺にとって大切な人なのだ。

 たとえバドがどれだけの証拠を突き付けても、俺の確信は揺らがない。


「しかし、帝国か……最高に危険な旅になりそうだな」


 なんといっても敵国だ。

 王国貴族としての地位が何一つ使えない。

 むしろ、仇になることさえ考えられる。


 戦慄していると、右手に柔らかい感触がした。

 ウォーキンスが手を握ってきたのだ。


「ご安心ください」


 指を絡め、身体を寄せてくる。

 ふわりとしたバニラアイスの匂い。

 すると、彼女は安心させるように告げてきた。


「このウォーキンス、たとえ帝国を滅ぼしてでもレジス様をお守り致します」


 力強い一言。

 あまり感情を見せないウォーキンスだが、

 気を張っているのがはっきりと分かった。


 無理をしてでも、護衛を遂行しようとする意志。

 しかし、それは良くない。

 以前、エルフの峡谷で学んだのだ。


 張り詰めすぎると、たとえどれだけ強くても、人は壊れてしまう。

 だから俺は、初めてこの言葉を告げた。


「俺も、全力でウォーキンスを守るよ」


 今までは、守られるだけで終わっていた。

 しかし、もはや庇護に甘えるつもりはない。

 ウォーキンスの主人として、弱いところをカバーする所存だ。


「――――」


 俺の言葉に、ウォーキンスは驚いたように目を丸くした。

 しかし、それも一瞬。

 彼女は嬉しそうに微笑した。


「ふふ。期待してますよ」



 帰路は敵国。

 一人が離脱し、俺とウォーキンスの二人旅。

 不安で仕方ないが、今は前に進むしかない。



 こうして、王国への帰還の旅が幕を開けたのだった。



 


次話→6/28(21時更新予定)

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