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ディンの紋章 ~魔法師レジスの転生譚~  作者: 赤巻たると
第間章 動き出した影
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間話・蝕みの不穏

9章突入の前に間話を一つ。

明日の更新分で、今までのあらすじを掲載します。

 

 


 いつもと変わらぬ日常が流れる王都。

 連合国への使者としてレジス・ディンが旅立って一ヶ月近くが経っていた。



 この一ヶ月で、王都では重大な事件が起きた。

 まず、王宮の重臣が帝国と通じていたことが発覚。

 連合国の親帝国派を媒介に、王国を陥れるための奸策を続けていたのだ。


 これを重く見た国王は、反逆者を投獄。

 そこから関係者を調べ上げ、帝国との関係があった者全員に罰を与えた。

 その中には古参の官吏も混じっており、『廷臣内通事件』として王都全域に衝撃を与えた。


 これを王家の怠慢だとして反抗する輩も現れたため、

 街には平時より遥かに多い衛兵が巡回している。

 しかし、それでも民衆の日常は変わりない。



 今日も今日とて、王都の中央街は大いに賑わっていた。



「いやー、今日も酔ったなぁ」


 歓楽街から千鳥足で出てくる女性が一人。

 魔法商店の店主・エドガーである。

 朝から飲み続けていたようで、傍目に見ても分かるほど泥酔していた。


 その姿は、昼間の大通りにおいて明らかに浮いている。


「飲みすぎだエドガー……まったく、今日が非番だったから良いものの」


 エドガーの横を歩く女性。

 王国北方傭兵団に所属するクロエだ。

 彼女は呆れた様子で旧友を家に送り届けていた。


 大通りで悪目立ちするのは憚られたのか、エドガーを伴って横道に逸れていく。

 少し遠回りになるが仕方ない。

 そう思っての処置だろう。


 連日酒に溺れるエドガーに、クロエは苦言を呈する。


「もう一か月も経つのに、まだ引きずってるのか」

「だって……だってなぁ」


 絶望の溜息を吐くエドガー。

 それを見て、クロエは肩をすくめた。


「お気に入りの少年に会えなかっただけで……何を落ち込むことがあるんだ」


 エドガーが深酒を続けているのには理由があるようだ。

 どうも、レジスが連合国に旅立つのを見送れなかったのがショックだったらしい。


 レジスが王都に来たら、是が非でも会う目論見だったそうだ。

 しかしその時、エドガーは用事でちょうどここを離れていたのだ。


「いい酒があるからって……隣の都市にまで買いに行かなければよかった」

「それは自業自得だ」


 クロエはバッサリ切り捨てる。

 しかし、エドガーは己の正当性を主張した。

 胸に手を当て、声高らかに告げる。


「ち、違う! ちゃんと魔法実験に使う器具も買うつもりだったんだ!」

「帰ってきた時、そんなの持ってたか?」


 クロエは冷ややかな視線を向ける。

 エドガーが買い出しから戻ってきた時に、ばったり会った時のことを思い出す。

 クロエの詰問に対し、エドガーは気まずそうに目を逸らした。


「き、器具に関しては……うっかり忘れてたけど」

「もう魔法商店は畳んで、酒場を経営しろよ」


 クロエは真っ当な言葉をかける。

 だが、今のエドガーはナイーブのようで、悲しげに俯いていた。

 そんな旧友の姿を見て、クロエは慰めようとする。


「まあ、見送れなかったのは過去のことだろう。

 レジス君とやらが戻ってきた時、温かく出迎えてあげればいいんじゃないのか」


 すると、エドガーの目に再び光が宿った。

 決意を胸に秘めた様子で、高らかに宣誓する。


「そ、そうだな! 感情の赴くままに、レジスに喜びをぶつけるとしよう」

「衛兵に捕まる未来が見える……」


 確かレジスという少年は15歳ほどだったはず。

 傍目だと、成年していない子供に迫る女にしか見えない。

 そういった年齢層が好きなのかと疑ったが、どうも違うようで――


 本当に、レジスという少年に対してしか好意を見せていない。

 難儀なものだ。


「ほら、エドガー。もう少しで着くぞ」

「ありがとう。私も少し酔いが落ち着いてきた」


 エドガーは晴れやかな顔で前を見据える。

 ここは路地が入り組んでいる場所で、中央にポケットのような空間がある。

 そこに差し掛かると、子供の楽しげな声が聞こえてきた。

 どうやら少年少女が集まって遊んでいるらしい。


「こんなところで遊んで……まったく、やんちゃだな」


 微笑ましい光景に苦笑しながら、クロエとエドガーは道の端を通る。

 だが、ここで正面の路地から一つの影が現れた。

 それは陽気に遊ぶ子供たちの前でピタリと止まる。


 そして、異常なほどに無機質な声を発した。


「――病魔わたしは通行を欲する。人の子らよ、速やかに消えよ」


 声質からして恐らくは女性。

 魔法陣が幾重にも刻まれた、不気味なローブを着ている。


 背は低く痩せ型で、見た目は20代前半ほど。

 癖のある焦げ茶色の長髪を揺らしており、端正な顔をしていた。

 だが、その両顎には刻印のようなものが挟み込むように刻まれている。

 明らかに、ただの平民ではない。


病魔わたしの道を塞ぐな、と言っている」


 女性の平坦な声はあまりにも小さい。

 夢中で遊んでいる子供たちの耳には届いていないのだ。

 すると、次の瞬間――


「把握。それが患者おまえ達の答えか。ならば病魔わたしは押し通る」


 女性はローブの裾から左腕を晒した。

 そして、ゆっくりと手のひらを子供たちに向ける。

 その掌中――女性の手には、常軌を逸する魔力が込められていた。


「――――ッ」


 ここで、エドガーが身を翻して子供たちの間に割り込んだ。

 そして有無を言わさず女性から隔離する。

 これを見て、クロエもすかさず動いた。


「君たち、違うところで遊びなさい」


 子供たちを誘導し、反対側の路地に送り出した。

 緊迫した表情の二人をよそに、子供たちの反応はのんきなものである。


「よ、傭兵さんだ!」

「かっこいい……」


 エドガーとクロエを見て、目を輝かせていた。

 子供たちが行ったのを確認し、二人は改めて女性に向き合った。


「……今、何をしようとしていた?」

「進むべき道を進もうとしたのみ」


 クロエの詰問に対し、女性は淡々と答えた。

 そして彼女は、行く手を塞いでいるエドガーへ視線を注ぐ。


「人間、それも知識層の者と判ずる。

 病魔わたしの疑念に答える意志、あるやいなや」

「……言ってみろ」


 警戒しながらも、エドガーは頷いた。

 彼女の手は剣の柄に掛かっている。

 隙あらばいつでも抜剣できる状態だ。


「――転移魔法。

 その極意書が、ここの編纂神殿にあるというのは事実か」


 この問いに対し、クロエは首を傾げた。

 心当たりのない言葉だったのだろう。

 だが、諸外国に少なからず知識のあるエドガーは即答する。


「それは帝国に伝わる魔法だ。

 ここは王国、そもそも編纂神殿というものはない」

「……把握。病魔わたしは困惑する」


 キリキリと不気味に首を傾け、女性は眉をひそめている。

 すると、懐から一枚の紙を取り出し、食い入るように見つめていた。

 そして合点がいったように頭をかく。


「座標を修正。目的物はここに在らず」


 どうやら、道が分からなかったらしい。

 だが、この女性が間違えたのは道という程度ではなく、国だ。

 そんな誤りをする旅人など、聞いたことがない。


「されど、遅かれ早かれ王国には来ていた。

 本懐を果たした今、目的物の入手は相棒に委任する」


 不審な言葉ばかり並び立てている。

 ここで、クロエは端的に尋ねた。


「お前、何者だ……?」

病魔わたしの名前?

 今は”百万殺し”のタリム。

 隠匿の欲はないが、身元の詮索は愚策と断ずる」


 百万殺し。タリム。

 いずれも聞いたことのない名前だ。


 しかし二人としては、それだけで納得する訳にはいかない。

 エドガーが警戒役、クロエが質問役となり、身元を隠す女性を追及する。


「理由を聞こう」

「――単純にして明快。

 病魔わたしに近づけば、患者おまえ達が死ぬからに他ならない」


 タリムと名乗った女性は、それだけ言って口を閉じた。


「…………」


 クロエとエドガーは、いずれも猜疑の視線を向ける。

 しかし、目の前の女は動じない。

 ぐるりと首を回し、辺りの光景を見渡す。


「しかし、この街は心地よい。

 かような景観は、両腕のうずきを引き起こす」


 そう言って、彼女は長袖のローブから両手を見せた。

 その素肌を見て、クロエは絶句する。


「…………ッ」


 女の両手には、顔に刻まれたものより異質な刻印が走っていた。


 右手には、痛々しく浮かび上がった螺旋状の赤い刻印。

 左手には、禍々しく刻まれた血管のような刻印。


 その両手を振り上げ、彼女はグーッと伸びをする。


「大地が砕け散り、人魔が引き裂かれる。

 そして、”万物が塵の価値と化す”。

 ――その顛末を見に、この大陸へと来た」

「何を言っている……?」


 本能的な恐怖からか、クロエは剣に手を掛けていた。

 だが、女は全く驚いた様子はない。

 まるで意に介さず、両手をある方向に向けた。


「命とは、衰え滅びるからこそ美しい。

 かような・・・・青き果実の飛び散るさまなど、絶頂さえ覚える」


 女の言葉を受けて、クロエはとっさに振り向く。

 その視線の先には――


「なっ……君たち……!」


 先ほど追い払った子供たちが、背後に立っていた。

 違うところに行けと注意したのに。

 路地の奥から、少年少女はこちらを覗いている。


 そして、女の手は間違いなく少年少女に向けられていた。


「君たち、逃げ――」


 クロエが声を発しようとした瞬間、女の魔力が収束した。

 攻撃される気配はない。


「…………?」


 疑問に思いながらも、クロエは子供たちを完全に追い払う。

 そして、再び女とエドガーを見やった。


「阻害の真意、図りかねる。なぜ?」


 女が魔力をしまった理由がわかった。

 エドガーが抜剣し、彼女の喉元に刃先を当てていたのだ。

 少しでも動かせば頸動脈を掻き斬れる状態である。


「その薄汚い魔力を、二度とこの街で出すな」


 すさまじい眼光を飛ばすエドガー。

 かつて共に戦った旧友の威圧感を見て、クロエは戦慄した。

 どうやら記憶の中にある力量とは、大きく乖離しているようだ。


 そんなエドガーに対し、女はふっと微笑んだ。


「剣呑。少しばかり患者おまえを冒したくなった」


 女はエドガーの剣に指先を当て、魔力を流し込んだ。

 すると、瞬く間に刀身が紫色に染まる。


「…………ッ」


 エドガーは虚を突かれ、一瞬動きが硬直した。

 それを見て、女は即座に拘束から逃れた。

 しかし、エドガーはそこに追撃をかけようとする。


「気をつけろエドガー! こいつの魔力は――」

「わかっているさ」


 クロエは直感していた。

 そしてエドガーも理解していた。

 このタリムという女は、今まで目にしてきたどの魔法師をも凌駕している。


 慎重になるエドガーとクロエを見て、

 女はつまらなさそうにため息を吐いた。

 そして、何のつもりかクロエをまじまじと見つめる。


「その人の子は……病因あり。勇敢なる先祖を持つと判ずる」

「……なに、先祖だと?」


 女の言っている意味がわからない。

 どこの国の人間かも知れないこの女が、クロエの先祖を知っているはずもない。

 すると、女は続けてエドガーへ視線を投じた。


「そして、そちらは…………病因なし?

 臆病にして愚鈍な先祖を持つと断ずる」


 哀れみと嘲りを交えた言葉。

 溜め息にも近い落胆を見せ、エドガーの先祖に評価を下した。


 これに対し、エドガーは露骨な敵意をむき出しにする。

 剣を握りしめながら、女へ詰問した。


「誰の先祖が臆病で愚鈍だって?」

「知るに及ばない。冒せない人の子に興味が湧くことはなし」


 風のようにエドガーの問いをかわす。

 女としては、これで話は終わりだと思っていたのだろう。

 だが、ここでエドガーが低い声で宣告した。


「――撤回しろ」

「む」

「私の先祖を侮辱したことを、撤回しろと言っているんだ」


 両親を亡くした生い立ちのこともある。

 純粋に、エドガーは我慢ならなかったのだろう。

 目の前の女に、先祖を貶められるということが。


 しかし、女は詫びない。

 舌を出して、辛辣にエドガーへ言い返した。


病魔わたしは拒否する。

 矮小なる人間が、口を利ける存在ではない」


 淡々と首を横に振る女。

 静かな怒りを灯すエドガー。

 正反対の感情を見せる二人は、しばらくの間見つめ合う。


 ――先に動いたのは、女の方だった。


「失言を撤回するべきは患者おまえだ。

 礼節を弁えぬ輩は、躾が必要と判ずる」


 彼女はローブの裾をめくり、肘の辺りまで腕を出した。

 そして尋常でない魔力を込め、あからさまに両手を掲げた。


「因子なき人の子へ、今ここに病魔の刻印を」


 腕の動きに警戒するエドガー。

 そんな彼女を前にして、女は右腕に魔力を集中させた。


「――10年に渡りて魔力を吸われ、激痛の中で衰弱死する右腕やまい


 赤い螺旋が暗澹たる光を宿す。

 見ているだけで気の狂いそうな魔力の渦。

 すると、女は間断なく左腕を見せつけてきた。


「――わずか数日で痛みなく、あの世に行ける左腕やまい


 紫の血脈が害意をまき散らす。

 脈動する刻印が禍々しさを表出させていた。

 右腕と左腕――共に常軌を逸した肉体が、あらゆる生物を威圧する。


 妖しい両腕を見せながら、女は醜悪な笑みを浮かべた。


「どちらの病魔わたしを血に宿し、命を枯らすことを欲する?」


 要するに、そのどちらかを以ってエドガーを抹殺するということだろう。

 未知の存在から発せられた死の宣告。

 だが、エドガーは軽く笑って返した。


「そうだな、死に方を選べるなら――」


 指の動きだけで刃を返す。

 そして迅雷の如き踏み込みで女に斬りかかった。


「可愛い年下の男に看取られて死にたいかなッ!」


 袈裟斬りを狙った一閃。

 だが、女は読んでいたかのように回避する。


「…………なにッ!?」

「慈悲はかけない。とくと死病を味わえ」


「エドガーッ!」


 始まってしまった闘争に、クロエが悲鳴のような声を上げる。

 しかし、過集中状態のエドガーにその声は届かない。

 一撃を避けた女は、魔力の篭った左手を振りかざす。


「良き剣筋。しかし――」

「燃えろ我が剣ッ! 『エンチャント・ファイア』ッ!」


 だが、ここでエドガーが一瞬にして剣に炎を灯す。

 その速度は女の反撃を許さない。

 返す刃で、鋭く彼女の腹部を斬り払った。


「――――ッ」


 一閃を受け、女は半歩だけ下がる。

 しかし、まるで効いた様子がない。

 彼女はローブに手を添えると、軽く魔力を流し込んだ。


「魔法陣に裂傷。魔剣刃の一種と推測する」


 淡々とした解析。

 その一方、女の魔力によってローブが元通りになっていた。

 全快を示すかのように魔法陣が煌めく。


 修復を終えると、女は疑念に満ちた目を向けてきた。


「それに今のは、”火”の魔剣刃……?」


 どうやら、エドガーが放った剣閃に思うところがあったようだ。

 女は首を傾げると、端的に尋ねた。


「灼炎剣の繰り手。患者おまえは刃神の一門か?」

「……刃神? 誰だそれは、あたしに師匠なんていない。

 これは自分で編み出したものだ!」


 エドガーは毅然として答える。

 彼女の持つ剣技は、逆境と悲しみに耐える中で会得したもの。

 誰かに教わった記憶などない。


「独力、すなわち我流。

 それが真実であるなら、比類なき才覚。

 刃神が聞けば喜ぶと推測される」


 女は興味深げな声を出す。

 しかし、エドガーは緊張を崩さない。

 と、女は大仰に肩をすくめ、眼光を飛ばした。


「それだけに、悲しい。

 その運命が、ここで潰えるということに――」


 女は左手から魔力を射出した。

 網のように広がる怨念の魔素。

 目の前に迫る死に対し、エドガーは――


「……ッ!」


 避けた。

 身体を半身にし、ギリギリのところで回避する。

 見る者を惚れぼれとさせる、天性の身のこなし。


 だが、魔力を抜け出た先には絶望が待っていた。

 そこでは女が独特の構えを取っている。


「あくまで因子を拒むか。ならば――」


 女の振り上げた右手。

 鋭く伸ばした指には恐ろしいほどの魔力が宿っている。


 最大限に研ぎ澄まされた手刀。

 それが一刀の下に振り下ろされた。


「受けよ――獄炎剣」


 その瞬間、女の手先が燃え上がった。

 濃密な灼炎が質量を伴って落ちてくる。


 エドガーはとっさに剣で受けた。

 だが、刀に宿った炎がかき消され、刃先が悲鳴を上げる。

 剣が折れる感覚を予知したエドガーは、衝撃を受けつつ自分から吹き飛ばされた。


「ぐあッ!」


 そして距離を置いたところで受け身を取る。

 剣を見れば、刀身が無残に焼けつきヒビが入っていた。

 もはや修復不可能なほどだ。


「これは五剣帝・シャマクートから奪いし技。

 剣士相手への効果は絶大と断ずる」


 己の手を眺め、恍惚の表情を浮かべる女。


 しかし、それもつかの間。

 彼女はすぐさまエドガーに追撃を掛けようとする。

 だが、そこでクロエが割って入った。


「せぁあああああああああああ!」


 渾身の力を込めて女を薙ぎ払おうとする。

 だが、もはや彼女は回避行動すら取らなかった。


「無為なり」


 女の勢いが停止した。

 指先でもって、襲い来る刀身を掴みとってしまったのだ。


「しょせんは人の子の太刀筋。

 患者おまえでは病魔わたしの服に傷ひとつ付けられない」

「くっ……」


 クロエは何とか剣を引こうとする。

 だが、刃はピクリとも動いてくれない。

 そして、振り上げられる女の右手。


 クロエが死を覚悟した刹那――




「ガ、ァアアアアアアアアアア!」



 クロエの眼前を飛ぶような剣戟が通過した。

 刀身を掴んでいた女の右手が視界から消える。

 エドガーが一瞬で斬り飛ばしたのだ。


 これを受けて、女は一歩だけ下がった。


「……ふむ、予想外の奇襲。

 弱々しき病魔わたしに斬りかかる非道を糾弾する」


 女は苦痛の表情すら浮かべない。

 むしろ嬉しそうに口角を歪めていた。

 彼女は落ちた右手を拾うと、おもむろにローブへしまう。


 そして、振り向きざまに左手をかざしてきた。


「意趣返し――『アクアキャノン』」


 一言。

 たった一言の詠唱で、視界に水が満ちた。

 洪水かと錯覚する質量の水が収束し、一つの球となる。


 そして、女の振り下ろされる指に呼応して、射出――


「…………ふッ!」


 狙われたエドガーは、とっさにサイドステップ。

 壁に身体を叩きつける勢いで射線から逃れる。

 だが――女が手を握りしめたことで球に異変が生じた。


「分かたれよ――水粒弾」


 大砲弾のような水球が大分裂した。

 一つ一つが致死性の弾丸となって撒き散らされる。

 これを見て、エドガーが取った行動は一つ。

 残された瞬刻を使い、クロエを庇いに行った。


「なッ……エドガー!」


 困惑する旧友を掻き抱く。


 狭い路地。

 避けるスペースなどない。


 跳弾する水弾が牙を剥いた。

 凄まじい破壊音が周辺に響き渡る。

 パラパラと壁が削れ落ちる中、女はエドガー達に声を飛ばした。


「これは大陸の四賢の”エルフ”から奪いし水魔法。

 回避は不可能と断ずる」


 しばらくして、土煙が晴れた。

 するとそこには、存命のエドガーとクロエが立っていた。


「……む? 病魔わたしは困惑する」


 女は眉をひそめた。

 確実に殺すための魔法だったというのに。

 注意深く観察すると、彼女は感心したように頷いた。


「マント……耐魔素材か」


 エドガーの纏っていたマントはボロボロになっていた。

 しかし、先ほどの魔法は到底防ぎきれるものではない。

 現に、エドガーは水弾を受けて裂傷を負っていた。


「エドガー! 大丈夫か!?」

「ああ、死にはしないさ」


 エドガーは涼しい顔で答える。

 しかし、その出血はおびただしい。

 この光景に、女は喉を鳴らして笑った。


病魔かんせんの時間は来た」


 刻印の浮かぶ左手に魔力を込め、近づいてくる女。

 それでも、エドガーは剣を握ろうとした。


 しかし、柄から先の刃がない。

 先ほどの水弾で折れてしまったようだ。


「……チッ」


 されど、エドガーの目から闘志は消えない。

 むしろ沸々と湧き上がってくる。


 女が隙を見せれば、一瞬にしてその喉元に噛み付くだろう。

 硬直する二人に、接近していく女。


 戦いが、死による終わりを告げようとした時――


「こっちです!」

「変なローブを着た女の人が……!」


 幼い声が響き渡る。

 その直後、一気に人の声が溢れかえった。

 この狭い路地に、すさまじい数の人間がなだれ込んでくる。


 王都の衛兵だ。

 中央街にある本部から、総動員されてきたらしい。


「何をしている、貴様ら!」

「この厳戒時に、よくも私闘ができたものだなッ!」


 叫ぶ衛兵の隙間から、幼い子どもの姿が見えた。

 先ほどエドガーとクロエが逃がした子供たちだ。

 彼らが衛兵を呼んできてくれたのだろう。


 衆人環視の状態となり、女は苛立たしげに舌打ちをした。


「……ふむ、横槍の到来は想定せず」


 身から溢れだす魔力を仕舞いこむ。

 そして荒い息をつく二人に向かって、女は残念そうに笑いかけた。


「皆殺しは得策に非ず。

 『まだ動く時ではない』――我が主の使命に反する」


「おい! そこの女、動くな!」


 衛兵が女に剣を突きつける。

 だが、そんなことは意に介さず、彼女は目を閉じた。

 そして微弱な魔力を飛ばし、ぼそぼそと呟く。


「相棒は……ちょうど帝国に進入。

 しかし、同行者……? 病魔わたしは聞いてない」


 その間、衛兵たちはじりじりと女との距離を詰めていた。

 騒動の原因がこの女であることは確実。

 逃がさないよう包囲を完成させていく。


「杞憂と見なす。予定通り、落ち合うのみ」


 ふぅ、と女は小さく息を吐く。

 そして右足を少し上げると、壮絶な魔力を込めて踏み鳴らした。


「人の子が、近寄るなよ――”覇軍舞踏・破魔”」


 裂帛の気合と共に、地面が激震する。

 魔力の波動によって、衛兵たちが吹き飛ばされた。


「ぐ、ぁああああああああああああああ!」

「なんだ、こいつはァ!」


 女から発生した魔素の大波。

 それはこの場にあった魔力の気配をまとめて消し飛ばした。


「証拠の消滅は完遂。追撃は無意味であると勧告する」


 そう言って女は跳躍した。

 壁を蹴り進んで行き、屋根にまで到達する。

 あっけにとられた衛兵たちだが、慌てて追いかけていった。


「……ま、待てぃ!」

「……増援を呼べ! 奴を逃がすな!」


 混乱の渦中にある路地裏。

 女はその中でエドガーを見据える。

 そして目が合ったのを確認し、宣言するように呟いた。


「――”王家の因子は目覚めた”。崩御までの猶予を楽しめ」



 王家。因子。目覚めた。

 不可解な言葉を最後に、タリムと名乗る女は王都から消失したのだった。




     ◆◆◆




 白昼に起きた私闘事件。

 および、衛兵への暴行事件。

 それらは不逞者の暴走ということにされ、一応の決着を見せた。


 しかし一部では、調査を求める声も上がった。

 私闘事件に関わった商人と傭兵の、強固な訴えだ。

 下手人が魔力を使っていたこともあり、治安部隊はさらなる調査を受理。

 すぐに追手が派遣されると思われた。


 しかし、二日後に現れた”異変”。

 王家を揺るがす事件によって、その対応は無期限先送りとなったのだった。







【王都日報・号外】――国王陛下、急病に臥す。

【王国紙版・号外】――陛下、原因不明の病魔に侵され重篤。王宮が発表。

【同職連盟・急報】――王宮宝物庫に保管中の『竜神の匙』が、何者かに破壊されていることが判明。修復は不可能との見込み




次話→6/27(21時予定)

明日から9章スタートです。

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