エピローグ
帝国の怪鳥が飛び去って、二日が経った。
ゼピルの亡骸をどうするか、
空位になった商王の座をどうするか、など。
様々な問題が山積していたが、これらはひとまず保留となった。
他に最優先すべきことがあるからだ。
時間が経つに連れ、連合国のあちこちから絶望的な知らせが届いてくる。
帝国の包囲は凄まじいものだった。
国境を接していた都市は瞬く間に落とされてしまい、
何人かの商王は帰る場所がなくなってしまった。
しかし外周都市が攻撃されている間に、
首都へ近い順に商王が都市への帰還に成功。
既に都市を落とされた商王は、泣きながら内側の都市へ合流した。
帰った商王たちはすぐさま兵力を整え、侵攻してくる帝国軍を食い止めている。
だが、戦況は非常に悪く、時間稼ぎが精一杯な状態だ。
残念だが仕方ない。
兵力差と練度で負けてて何で勝てと言うのか。
相手は邪神大戦を経ても倒れなかった古き強国である。
分が悪いってレベルじゃない。
帝国の侵攻ルートは大きくわけて二つ。
一つは停戦協定を結んでいた平野を乗り越え、北側から進撃。
親帝国派が主である外周の都市を食い破っている。
もう一つはドワーフ鉱山を通過して、西側からの侵攻。
ドワーフ鉱山を背にした都市を攻め落とすと、すぐさま南部へ転進。
大河に面した商王都市を攻撃し、川港を全て破壊してしまった。
ドワーフたちと商売をしていた商王は、
帝国の指揮下に入った彼らにショックを受けたようだ。
元々、ドワーフキャンプは帝国が半ば植民地にしている場所。
考えてみれば帝国に味方するのは当たり前なのだが、いざ敵対されると悲しいのだろう。
二方面からの猛攻撃に、連合国が混乱している状態だ。
これに対して、商王たちも作戦を練った。
まずは自分の担当する都市へ帰還し、兵力を総動員。
首都であるここを本陣とし、攻撃を受けた都市への派兵を行った。
帝国からの侵略を徹底的に耐えしのぐ構えだ。
しかし、これは単なる延命措置にすぎない。
根本的に帝国を追い返すには、王国の力が必要なのだ。
そういうわけで――
「では、王国への帰還方法について、協議したいと思います」
現在、俺達は聖堂の椅子に座って会議をしていた。
時刻は早朝。
面子はソニアと俺。
それにウォーキンスとバドの計4人である。
怪鳥を撃破するための火魔法で大炎上した商館だったが、この聖堂は無傷だった。
ウォーキンスが消火に当たってくれたため、全体的に被害が少なく済んだのだ。
今は王国からの応援を呼ぶために、
そして俺達が帰国するために、
どうやって帝国の包囲を突破するかの話し合いをしていた。
ソニアが二本の指を立てて、苦しげに告げてくる。
「まず、陸路で王国に帰る経路は二つありますが――
恐らく、ここからの帰還は不可能です」
「一つは俺達が来た道だろ? あそこから帰れねえのか」
バドが難しそうな顔で尋ねた。
要するに、ドワーフ鉱山からケロンの氷橋を通り、
ケプト霊峰へ入ってエルフの峡谷を経由して帰るルートだ。
これならばアレクとの合流も可能であり、確実に帰還が望める。
しかし、ソニアは首を横に振った。
「ドワーフ鉱山から連合国に、多数の帝国兵が流れ込んでいます。
ケプト霊峰の入り口付近にまで兵が犇めいているらしく、万が一にも突破はできません」
とんでもなく厚い包囲網だな。
とにかく西側と北側を封じて、あらゆる帰途を潰そうとしているのだろう。
しかし、このルートが難しいとなると――
「一応、もう一つの経路を聞かせてもらえますか?」
俺は率直に尋ねた。
すると、ソニアは机の上の地図を指さした。
連合国の周辺見取り図だ。
その右下の方へ指を滑らせ、ソニアは説明してくる。
「連合国の南東には、大陸を二分する大河を渡れる橋がかかっています。
そこを迂回すればケプト霊峰へ至ることができます」
「おお」
王国と帝国をつなげていた境界線上の大橋。
それと同規模の大きさを誇る橋が、連合国の南東には掛かっているらしい。
素晴らしい、ケロンの氷橋なんていらんかったんや。
内心で喜んでいると、ソニアがさめざめと告げてきた。
「しかし、途中でドラグーンキャンプを挟むことになります」
「……無理だな」
橋を渡ったところで、竜騎士に袋叩きにされるのが見えている。
この間の七部隊を相手にするだけで死にかけたというのに。
本拠地ともなれば、その数倍から数十倍の戦闘員が出てくることだろう。
今の連合国が捻出する寡兵では、到底打ち破ることは不可能である。
「となると、海路しか帰る道はねえってわけだ」
ここで、バドがため息を吐いた。
俺も陸路が一番の安全策だと思ったんだけどな。
まさかここまで徹底した包囲を敷かれるとは思わなんだ。
バドの嘆息に対し、ソニアはおずおずと手を挙げた。
「いえ……それが……」
どうやら、海路にも問題があるようだ。
ソニアは連合国の東にある海港に指を当て、すぅっと動かした。
「この通り……海を出て北上しても、帝国海域を通ることになります」
しかも、北からの帰国ルートは距離が果てしなく、
大陸の4分の3を迂回するような形になる。
その間、帝国側は海でも陸でも攻撃し放題。
絶望的な経路だ。
次に、ソニアは指を下に動かしていく。
「そして、南下すればドラグーンの警戒する海域に突入。
大海賊の護衛があったとしても、突破することは至難の業です」
ここでも竜騎士の総攻撃を受けるわけか。
大海賊がいれば一度や二度は追い払えるかもしれないが、
船を壊されたら終わりな時点で、帰還できる見込みは絶望的だ。
ほぼ確実に、大海賊と仲良く海の底に沈むことになる。
「つまり、海路も無理ってことか……」
どうしたものか。
首をひねっていると、バドが地図の端を指さした。
「じゃあ、あれだ。踏破できるか半々だが、
大河を遡上して大水源から帰るってのはどうだ」
バドが言っているのは、かなり無茶な道程だ。
まず南の大河から船を出し、
激流の大河を昇って大水源に至り、
そこからケプト霊峰へ進入するというルート。
ちょっとアクロバティックすぎる経路だが、文句を言える状況ではない。
しかし、この案すらもソニアは首を横に振る。
「実は……帝国の電撃的な侵攻で、
全ての港が封鎖されてしまっています」
「おいおい、万策尽きてるじゃねえかよ」
バドは呆れた様子で両手を上げた。
万歳降参してる場合か。
俺は他に案がないかと頭を捻る。
単に援軍を要請するだけなら、誰かが王都へ至るだけでいいのだ。
別に全員が辿り着く必要はない。
ここで俺は、一つの可能性を思いついた。
「ソニアさん。ロギーは、どうなっていますか?」
彼女は海を越えながら連合国へ来たと言っていた。
もしかすると、王国へ戻れる余力があるかも知れない。
だが、ソニアは悲しげに呟いた。
「獄竜炎の火傷が尾を引いているようでして、治療中です」
「そうですか……」
ただでさえ成功確率は低いというのに。
手負いとなれば失敗待ったなしだ。
それに、これは全快したとしても現実的な案ではない。
彼女が帰る時、どっちみちドラグーンの海域を通ることになるのだから――
ここで俺は、竜騎士ザステバルデが言い放った言葉を思い出す。
『――海の哨戒部隊を徹底的に増やす。
次に海へ身を投じた時が貴様の最後だ』
恐らくは今頃、海域をおびただしい数の竜が飛んでいることだろう。
海の中を移動したとしても、見つかってしまう可能性が高い。
その隙を縫って帰国するのは困難だ。
ロギーには帝国を退却させた後で、安全に帰還してもらおう。
全ての案が出尽くしたところで、俺はソニアを一瞥した。
「……ソニアさん。
つまり、王国への帰還は不可能ということですか?」
「今のところは、否定できません。
包囲があまりにも厳しくて……その、難しいです」
今のところは、か。
むしろ時間が経つにつれ、どんどん包囲が狭まってしまう。
動くなら少しでも早い方がいい。
帰還作戦が難航したのを見て、バドは深い息を吐いた。
「やってらんねえなぁ。死ぬのを待つだけかよ」
彼は懐からパイプを取り出し、口に咥えようとする。
それを見て、ソニアが慌てて止めた。
「せ、聖堂は禁煙です!」
「……悪い、そうだったな」
バドは一瞬渋ったが、素直にパイプをしまった。
膝をトントンと叩いているのが気になる。
そういえば一昨日くらいから吸ってないようだが……禁断症状か何かか?
つい一昨日に火魔法の余波を喰らったバドだったが、軽度の火傷で済んでいた。
冷やした血を全身に塗って処置する光景は視覚的に凄まじく、
食欲が彼方に消し飛ぶほどだった。
まあ、無事でよかったよ。
「……本当に、どうしたものでしょう」
ソニアは祈るように手を組み、必死に考えていた。
俺はここで、隣のウォーキンスに尋ねる。
「ウォーキンス……何か案はあるか?」
「うーん。正規の方法で帰還するとなれば、難しいとしか言えないです」
ウォーキンスは困惑したように呟く。
やっぱりこの状況を覆すのは難しいか。
しかし、彼女個人の力を考慮にいれれば、活路が開けそうな気がする。
俺は一つの案を出した。
「例えば、帝国兵を攻撃して混乱させてる間に、
ウォーキンスだけでも突破することはできないか?」
「恐らく、成功率は半々くらいだと思います」
「厳しいな……」
ウォーキンスを以ってしても半々か。
まあ、連合国の周りに数千数万が犇めいてるからな。
これを単独で突破するのは至難の業だ。
だが、ここでバドがウォーキンスを見据えた。
「ほぉ……逆に言えば、50%は突破できる芽があるわけだ」
その声調は、『じゃあ、やれよ』と促しているかのようだった。
まだ煮詰めてもいない案なのに、即決はできない。
俺がバドをたしなめようとすると、先にウォーキンスが口を開いた。
「ええ。しかし私は一人で王国に帰るつもりはありません。
私の使命はレジス様をお守りすることですので」
「あん? どういう意味だ」
バドはウォーキンスを冷めた目で見つめた。
彼はウォーキンスの遠回しな言い方を嫌っているようだ。
少し感情を露わにして詰問している。
これに対し、ウォーキンスは淡々と答えた。
「私が運良く包囲を突破できたとしましょう。
そこから最速で帰還したとして、王国が軍を動かすまでの間に、
連合国が征服されていないと、言い切れますか?」
無理だな、相手が相手だ。
帝国軍を相手に勝利宣言ができるなら、
王国はとっくの昔に帝国を攻め滅ぼしていることだろう。
痛いところを突かれて、バドは肩をすくめた。
「俺に聞くなよ。連合国の実情を一番知ってるのはこっちの嬢ちゃんだぜ」
「……その、あの、えっと」
こら、キラーパスを回すんじゃない。
ソニアは焦った様子で返事をしようとする。
だが、その前にウォーキンスが重ねて告げた。
ソニアでなく、バドに向かってだ。
「失礼を承知で申し上げれば、
行方の分からない国に主を置き去りにすることなど、使用人としてできるはずがありません」
語気は平坦。
しかし、ウォーキンスには珍しく強めの言葉遣いだった。
バドに対する意趣返しなのかもしれない。
ウォーキンスは一つ間を置くと、現実的な観点から案を否定した。
「それに――もし”望まぬ追手”が邪魔をしてきた場合、
私一人では帰還できなくなる可能性があります」
望まぬ追手。
シャンリーズのことか。
神出鬼没なだけに、どこで出てくるかは分からない。
もしかすると、誰かから依頼を受けて、
帰還中のウォーキンスを襲う可能性だってある。
大陸の四賢シャンリーズの力量は、恐らくアレクとほぼ同等だ。
ウォーキンスでも必ず勝てるとは言いがたいのだろう。
ここまで話した上で、ウォーキンスは目を閉じた
「ですが、このまま待っていても状況は変わりません。
レジス様の手となり足となることが私の本懐――」
胸に手を当て、真摯に呟くウォーキンス。
彼女は俺の表情をチラッと窺い、意味深に指を立てた。
「一つだけ、確実に帰還できる方法があります」
「……どうするんだ?」
俺が尋ねると、ウォーキンスは軽く答えた。
「転移魔法を使います」
「……転移魔法?」
彼女の言葉に真っ先に反応したのはバドだ。
彼は仮面の奥で目を見開き、ウォーキンスへ確認していた。
「はい。距離の問題でほとんどの魔法陣が使用できない状態ですが、
一つだけ使えるものに心当たりがあります」
転移魔法の発動にはいくつか制限があったんだっけか。
そういえば前にアレクと話していた気がするな。
使えそうな魔法陣が残っているのは朗報。
だが、バドは歯を軋ませてウォーキンスを睨みつけた。
「……テメェ。それ、本気で言ってるのか?」
「何かお気に触りましたでしょうか」
ピリッ、と場の空気が張り詰めた感覚。
ソニアも察したようで、気まずそうに視線を逸らしていた。
ここで、バドが舌打ちをして探りを入れた。
「……チッ、それで、どこに飛ぶんだ?」
「角が立ちますので、転移後まで秘密にさせてください」
その一言を受けて、バドは口の端を引き攣らせた。
爆発を懸念したが、彼は大きく息を吐いた。
そして俺へと顔を向けてくる。
「…………レジス、どうするんだ」
俺の意見を仰ごうというのだろう。
でも、警戒しているバドには悪いが、俺の出す答えは一つだ。
「じゃあ、頼めるか――ウォーキンス」
俺は力強く言い切った。
すると、ウォーキンスは少しだけホッとした顔になる。
反対にバドは複雑そうな顔をしていた。
「連合国まで併合されたら、王国の勝ち目がますますなくなる。
一刻も早く戻って、帝国の背後を突こう」
帝国の兵数は相当なものだ。
普段は他の前線に置いている兵を動員して、初めて可能になる大規模侵攻。
ゆえに、他のところは手薄になっている。
背後から王国が出兵して帝国に踏み込めば、帝国も兵を引かざるを得ない。
あとは時間との勝負なのだ。
「承知しました。転移はお任せください」
ウォーキンスは微笑みながら頷いた。
するとここで、ソニアが手を挙げる。
彼女は商王としての眼光で俺たちに告げてきた。
「何か、わたし達にできることはありますか?」
帰還するまで全力で力を貸してくれるらしい。
ありがたい、やはり兵がいると選択肢の幅が広がる。
ここでウォーキンスがソニアに答えた。
「ドワーフ鉱山の手前まで、護衛して頂ければ助かります」
「……ドワーフ鉱山。しかも、その手前ですか?」
ドワーフ鉱山は連合国北側と並んで、一番包囲が分厚いと目されるところだ。
そこに兵を送っても、端から見れば玉砕にしか見えないだろう。
ソニアも少し心配した顔になる。
「もちろん、無理に交戦する必要はありません。
私達が飛んだ後はすぐに撤退してくださっても構いません」
まあ、転移するための条件を整えるために必要なのだろう。
やんわりとフォローを入れるウォーキンス。
その言葉で安心したのか、ソニアは決意を露わにして受諾してくれた。
「わかりました。残った常備軍の全てを投入して、そこまでお守りします」
力強い返答。
その表情を見ていると、こちらも力が湧いてくる。
俺は総括と共に、会議を締めくくったのだった。
「じゃあ、帰還には転移魔法を使うということで――」
その後、転移の決行時刻は夜に決定した。
闇夜のドワーフ鉱山に向かい、
敵に接近される寸前で転移をするという流れだ。
つまり、深夜までにドワーフ鉱山に着く必要があるということ。
そのためには比較的早くここを出発しなければならない。
俺たち三人を逃がすために兵団を用いるという――荒唐無稽な作戦。
しかし、このまま待っていても包囲が狭まるだけ。
そうなれば首都で死ぬのを待つばかりだ。
ここで包囲突破に成功し、援軍を呼ぶ。
それが俺の使者としての、最後の務めだ。
そう決心して、俺は作戦の時を待っていた。
◆◆◆
時刻は昼前。
ソニアの号令でアストライト家の私兵が外に集まっていた。
また、各商王が一定の兵を首都に置いていったため、その兵力も動員しているようだ。
一応、竜殺しや大海賊にも出兵を要請したらしいが、断られてしまったそうな。
竜殺しは『敵にドラグーンがいないのに、わざわざ外に出て行くのは無駄』とのこと。
大海賊は『戦艦の修理中。それに海の上からできることなどない』と告げて不参加を決め込んだ。
世紀の国難だというのに、協調性のない連中らである。
しかし両勢力とも『首都に敵が及んだ際は戦う』と言っているので、まだ救いがある方か。
嘆息して、俺は前を向いた。
今いるのは商館にある客人用の居間。
ここでウォーキンスと共に作戦の時を待っていた。
バドはパイプを吸いに海岸沿いへ出かけていった。
ソニアは聖堂で祈りを捧げている。
ゆえに、今はウォーキンスと二人きりで話ができる。
俺は静かに窓の外を見ているウォーキンスへ声を掛けた。
「落ち着いてるな、ウォーキンス」
「そうですか? 私はいつも通りですよ」
いつも通りて。
今、連合国は戦争まっただ中だぞ。
その状態で平常心を保てるのが恐ろしい。
肩をすくめていると、ウォーキンスはクスリと笑った。
「そういうレジス様も、冷静のように見えます」
「それは単なる気のせいだ」
生まれてからこの方、国家間の戦争を目の当たりにしたことはなかった。
下手をすれば国が潰れる侵略を前にして、俺の心はかなり浮き足立っている。
表情に出さないようにしているだけだ。
海岸線の方を見ながら、俺は静かにつぶやいた。
「バドは……かなりウォーキンスのことを疑ってるみたいだな」
「そうですね。でもあれが普通だと思いますよ」
ウォーキンスは苦笑する。
先ほど、バドは彼女に猜疑の目を向けていた。
全面的に信用してくれているわけではないようだ。
懸念していると、ウォーキンスが顔を覗きこんできた。
「むしろ、レジス様のようにお目こぼしをしてくださる方が珍しいですよ」
「ハハッ、あまり褒めるな」
俺は乾いた笑みで流す。
これ以上聞いていると、ウォーキンスの内側に触れる質問をしてしまいそうだった。
それを彼女が望んでいないことは、以前に嫌というほど学んだ。
俺の表情が気になったのか、
ウォーキンスは力強く告げてきた。
「私は、裏切りません」
「……ウォーキンス?」
珍しく真剣な表情だ。
本心であることを分かってもらうため、声に力がこもったのかもしれない。
ウォーキンスは俺の手に指を添え、ひたむきに呟いた。
「必ずレジス様のお傍にいます」
「……わかってるって。心配するな」
誰もウォーキンスを悪い人だとは思っていない。
バドもきっと分かってくれるさ。するとここで、居間の扉が開いた。
「失礼します。皆さん、揃っていますか?」
おずおずとソニアが顔をのぞかせた。
どうやら準備が完全に整ったらしい。
外も闇夜に包まれ、絶好の時間だ。
しかし、全員揃っているわけではない。
「あ、いえ……まだバドが」
「――いるぜ。もう行くのか?」
バドの声。
発信源はソニアの真後ろである。
「ひぃああっ!?」
いきなりの声に、ソニアが飛び上がる。
見れば、バドがソニアの背後に立っていた。
彼は頭を掻きながらため息を吐く。
「入り口で立ち止まらんでくれや」
「す、すすすすすいません!」
毎度のことながら、ソニアの腰の低さに泣けるな。
そんな彼女を見て、バドは端的に尋ねた。
「で、出発すんのかい?」
「は、はい! いつでも兵を出せます」
準備は万端らしい。ならば急ぐか。
俺とウォーキンスは席を立った。
「よし、行こう!」
こうして、俺たちは転移のためドワーフ鉱山へ向かったのだった。
◆◆◆
酔った。
光の速さで酔った。
吐きそうになりながらも、俺は馬車の揺れと戦っていた。
グロッキーになってる俺を見て、見かねたウォーキンスが処置してくれる始末だ。
ありがたい……でも、ドワーフ鉱山への道は荒れ放題なんだな。
俺たちは現在、ギルディア家から借りた騎兵隊と共に前進していた。
北部の商王が残していった騎馬をフルに活用し、目的地へ接近している。
さすがに馬での移動は早く、目論見通り深夜にドワーフ鉱山の近くに着くことができた。
まだ敵が気づいた様子はない。
馬車の中で、バドがウォーキンスに尋ねた。
「まだ有効距離とやらには入らねえのか?」
「えーと……もう少しですね」
「早くしてくれや、気づかれちまう」
バドの焦りもわからんでもない。
しかし、ここで精彩を欠いたら負けだ。
俺は暴れる鼓動を抑えながら待機する。
すると、最悪の報告が飛び込んできた。
「伝令! 帝国歩兵軍がこちらに気づいた模様です!」
しかし、ソニアはここで指示を出した。
「怯まず前進してください!」
その命令に、騎馬たちはスピードを緩めず走り続ける。
この馬車からも敵兵が遠目に見えてきた。
闇の中に浮かぶ膨大な黒い影。
相当な兵数が待機している。
まるで壁だ。
これ以上前に出れば、帝国正規軍との交戦は確実――
「行けます! 降りてください!」
ここで、ウォーキンスが開眼して言い放った。
遠くにある転移魔法陣との接触が可能になったようだ。
その言葉を受けて、俺は馬車から転がり出ようとする。
「了解 バド、早く!」
「分かってらぁ!」
俺達はソニアを残し、馬車から飛び降りた。
スピードを緩めてくれていたため、なんとか着地に成功。
次の瞬間、ここでウォーキンスが魔力を開放した。
「我が魔力の前に、距離の壁は意味を成さぬ。
縮まれ空間、捻れろ因果。――『ギガテレポーテーション』ッ!」
魔力の波動が雫となって地面に落ちる。
すると、黒ずんだ紫色の魔法陣が広がった。
設置した魔法陣に膝をつき、ウォーキンスは魔力を流しこんでいく。
そして少しだけ眉をひそめた。
「……古すぎましたか、やはり錆びていますね」
「飛べそうなのか?」
ここになって使用不可とか洒落にならん。
歩兵の軍勢に巻き込まれてしまう。
だが、ウォーキンスは安心させるように微笑んできた。
「はい、魔力が余分に必要になるだけです。
転移まで、あと十秒と少しばかりお待ちを」
それだけで済むのか。
ならば間に合いそうだ。
しかし、ここで伝令が悲鳴のような報告を叫んだ。
「――帝国兵、突っ込んできます!」
眼前に歩兵が迫っている。
あれと戦えば騎兵とはいえただでは済まない。
俺は馬車の中にいるソニアへ告げた。
「ソニアさん、もう大丈夫です! 兵を引かせてください!」
「承知しました。――全員、撤退してください! 私の都市へ戻ります!」
ソニアの声を受けて、騎兵たちは安心したように反転した。
そして、来た道を全速力で駆けて行く。
歩兵部隊ではあの速さに追いつけまい。
安心しつつ、最後まで残っていたソニアに声を掛けた。
「ソニアさんも」
俺の言葉に、ソニアは頷いた。
彼女は御者に指示を出すと、柔らかに微笑んできた。
「レジスさん、皆さん……どうか、お気をつけて。
十六夜神様の御加護があらんことを」
祈りを捧げてくれるソニア。
そんな彼女に、俺は強い口調で断言した。
「必ず、援軍を出して帝国を退却させます。どうか耐えてください」
「はい、連合国の誇りにかけて!」
そう言って、ソニアもこの場から離脱した。
去っていく連合国の兵たち。
迫り来る、帝国の軍勢。
焦燥に火がつく中、ウォーキンスが高らかに告げた。
「魔力は満ちました! お二人とも、こちらへ!」
彼女の声と共に、魔法陣が怪しく輝いた。
キリキリと歯車のように回る紋様。
ずいぶん毒々しい色をしているが大丈夫か。
ともあれ、あの魔法陣の中に入ればいいわけだ。
俺は一目散に飛び込んだ。
「バド、早く!」
「……おうよ」
逡巡しながらも、バドは魔法陣の中へ踏み込んだ。
それを確認して、ウォーキンスは静かに呟く。
「――転移魔法、発動」
ひときわ輝きを放つ魔法陣。
それに呼応して、俺の視覚が完全なる闇に閉ざされた。
流動状の空間へ引き込まれる感覚。
遠ざかる連合国兵の掛け声も、近づく帝国兵の怒声も、全てが無へと呑み込まれる。
魔力の渦へ巻き込まれながら、
俺は転移の成功を祈ったのだった。
◆◆◆
視覚が回復した瞬間、宙に浮いていた。
視界いっぱいに広がるのはゴツゴツとした岩石。
そして次の瞬間、全身に衝撃が走った。
硬い場所に落下した感覚。俺は腰をさすった。
「……っ。いてて」
「大丈夫ですか、レジス様!」
すぐさまウォーキンスが駆け寄ってきた。
おお、良かった。
無事、転移は終わったようだ。
しきりに心配する彼女に対し、俺は首を振って答えた。
「ああ、背中から落ちたらしくてな。
でも、もう大丈夫だ」
なぁに、前世で二階から落ちたことがある俺だ。
この程度の衝撃など軽い軽い。
少しの痛みと共に、肺の空気が国外追放されたに過ぎん。
胸をなでおろしていると、隣から恨めしそうな声が聞こえてきた。
「……顔面から着地した俺よりはマシだろうよ」
見れば、バドが岩の地面にうつ伏せで張り付いていた。
すわ五体投地の儀式かと思ったわ。
ヨロヨロと身体を起こしたバドは、辺りを見てボソリと呟いた。
「どこだ、ここ……」
真っ暗闇なので何も見えない。
俺は火魔法で種火を起こし、松明代わりにした。
すると、この場所がどこか明らかになる。
「廃坑みたいだな」
それもずいぶんと古い。
昔に発掘作業がされて、打ち捨てられた坑道なのだろう。
現在位置を確認していると、隣でウォーキンスが濃い魔力を放った。
「――覇軍舞踏・破魔」
彼女が地面を踏みつけると、足元にある魔法陣が粉々に砕け散った。
前にアレクの敷いた魔法陣も破壊していたな。
痕跡を残さないための処置らしい。
俺とバドが立ち上がったのを見て、ウォーキンスは右方を指さした。
「外に出ましょう。ここからは徒歩での移動になります」
彼女の指さした方を見る。
相変わらず真っ暗闇だが、空気が流れてきているのを感じた。
出口は向こうで間違いないようだ。
しばらく歩くと、外に出ることができた。
少し冷えた風が肌を撫でる。
そして遠目に、明かりのようなものが見えた。
「あれは……」
街だ。
それも結構大きい。
目を凝らしていると、隣でバドが身体を震わせた。
彼の視線を追った先には、街の外郭に昇った旗が見える。
「今いる場所は連合国から見て、ドワーフ鉱山の反対側です」
立ち上る旗を見て、俺は全てを理解した。
ここはどこなのか。
そして、どうやって王国に帰ろうとしているのかを。
「それって、つまり――」
俺の言葉にウォーキンスは頷く。
彼女は風の鳴く闇夜に紛れ、衝撃の言葉を告げてきたのだった。
「ここは帝国。
これより敵国を中央突破して、王国へ帰還致します」
次章・帝国踏破編
更新開始予定→1ヶ月後
現在チャージ中。
進捗は活動報告にてお知らせします。
また、投稿が遅れてしまい申し訳ありません。
書籍化作業と重なってしまっていました。
ご意見ご感想、お待ちしております。