第十三話 閉幕の葬炎
じわり、じわりと赤い溜池ができる。
まるでアヴァロの後を追うように、ゼピルは床に倒れ伏した。
この一撃に、商王たちは動揺を見せる。
と、ここでウォーキンスが円卓内から跳躍し、俺の横に立った。
そのまま俺に身体を寄せてくる。
そんな彼女に、俺は静かに囁いた。
「……商王の護衛は、大丈夫なのか?」
今、円卓の中にいるのは商王のみ。
いわばがら空きの状態だ。
俺の懸念に対し、ウォーキンスは少し眉をひそめた。
「申し訳ありません。少しだけ、想定外のことが起きました」
「想定外……?」
恐らくは目の前の怪鳥のことを言っているのだろう。
だが、それでなぜ円卓の中から出てくる必要があるのか。
「商王の護衛は続行します。
ですが、これ以上の不覚を取らないため、レジス様の護衛を優先致します」
……要するに、この怪鳥が俺の命を狙う可能性があるということか?
しかし、多少の距離があってもウォーキンスなら問題にならないと思うのだが――
疑問に思っていると、眼前の状況が動いた。
ゼピルを貫いた怪鳥が粘着くような笑い声を上げたのだ。
「カカカッ、哀れだなゼピル」
その呼びかけに、ゼピルは答えない。
ぴくりとも動かず、胸から血を流すだけだ。
その姿を見下ろし、怪鳥はひたすらに嘲った。
「憎悪に駆られた者ほど操りやすいものはない。
貴様は実に、優秀な手駒だったよ」
何がおかしいのか、嘴で鉄の右翼をかきむしりながら哄笑する。
磨りガラスを引っ掻いたかのような不快音。
寒気のする音を奏でながら、怪鳥はなおも嘲笑する。
「カカッ、しょせんは薄汚い商人の血筋。
憎しみを力に変えたところで、限界は見えていた。
そんな輩との約定など、誰が守ってやるものカよ」
理想を追い求めたゼピルを、怪鳥は唾棄してみせる。
その一方で俺は魔力の波長を感じ取っていた。
発生源は俺の真隣――
「……ウォーキンス?」
そう。
ウォーキンスが非常に強い魔力を張り巡らせていたのだ。
恐らくは探知魔法。
普段から低位のものを常時使用しているらしいが――
この波動は尋常なものではない。
「――そこの女」
ここで、怪鳥がウォーキンスに黒々とした瞳を向ける。
使い魔を通して魔力まで感じ取れるのか。
この鳥を使役している帝国幹部は、相当な魔法師と見える。
怪鳥はカラカラと笑いながら、ウォーキンスを睨みつけた。
「ずいぶんと探知魔法を広げているようだが、
いくら魔力を込めても、我が”全て”の使い魔は探し出せんぞ?」
「――――ッ」
その一言で察した。
俺は大広間を見渡す。
すると、すべての窓に大きな怪鳥が止まっていた。
穴の空いた天井の先にまでいる始末だ。
使役する魔獣は目の前の一羽だけだと思っていたが。
なるほど、囲まれていたのか。
ウォーキンスが警戒するのも頷ける。
だが彼女としては、他の点が気になっているようだ。
「探知魔法を妨害する魔法は、帝国には存在しないはずですが」
「……ほぉ?
なぜ言い切れるカは知らんが、その通りだ。カカッ」
興味深げに怪鳥が首を傾げる。
不躾な視線をウォーキンスに送るが、彼女はまるで気にしない。
ただ端的に推論を述べるだけだ。
「ラジアスの遺産――ですか」
「カカカカッ、明察よ。
王国民の遺物など反吐が出るが、使えるものは使う。
それが皇帝陛下の意向なのでな」
ここでも絡んできたか――ラジアスの遺産が。
魔獣に機械らしきもの結合させる技術など、帝国にも王国にも存在しないはず。
明らかなオーバーテクノロジーだ。
そんなものが実在するのなら、製作者はただ一人。
初代国王の親友だった空前絶後の大発明家――初代ラジアス以外に考えられない。
怪鳥は右の翼を動かしながら不満気な声を出す。
「ただしこの技術は侵略には向かん。
本来であれば炎鋼車の設計図が欲しかったのだが、失伝したようでな。
カカッ、王国貴族は骨の髄まで能なしよなぁ」
恐らくはジークのことを言っているのだろう。
シャンリーズが抹殺したと聞いたが、依頼主は帝国幹部だったか。
と、ここで怪鳥がピタリと挙動を止めた。
そしてゆっくりと首を回しながら、ウォーキンスに声をかける。
「女……前にどこかで会ったか?
見覚えのある顔のような――」
「ご冗談を、私は一介の使用人です」
ウォーキンスは余裕のある笑みで即答した。
呆気にとられたのか、怪鳥は興味なさげに視線を切る。
「カカッ、薄汚い下女であったか。
ならば帝室に連なる我が逢うたはずもないな」
「…………おい」
今、なんて言った?
俺は反射的に怪鳥を睨みつけていた。
ウォーキンスへの侮辱は許さん。断じて看過せん。
俺の眼光に気づいたのか、
怪鳥はキリキリと音を立てて首を動かす。
「なんだ? なにカ気に障ったカね、王国の使者よ」
「――自分で挨拶もできない臆病者が、遠吠えしてんじゃねえよ」
俺の言葉を受けて、怪鳥の瞳に魔力がこもった。
それに応じて俺も詠唱の構えを取る。
しかしその瞬間、地面からうめき声が聞こえてきた。
「…………ぁあ」
悟りのような、諦観のような唸り。
口から血をこぼすゼピルが、首を上げたのだ。
それを見て、怪鳥は魔力を解除した。
そして粘着力に満ちた高笑いを上げる。
「おお? まだ生きていたカ。
現世に妄執する輩の醜さは恐ろしいなぁ、カカカカッ――!」
怪鳥の声が耳に入っているのか、いないのか。
ゼピルは虚ろな瞳を穴の空いた天井に向ける。
そして震えた声でボソリと呟いた。
「……なぜ、こんなにも虚しい」
それは聞く者の胸を突く、悲しみの呻きだった。
ゼピルは赤く染まった右手をあらん限り握りしめる。
そして喉から込み上げる恨み言を吐き出した。
「全てを捨ててでも……母と父の無念を、晴らそうとしていた。
連合国を恨み、故郷を元に戻そうと……進んできた」
声を発する度に、ゴポゴポと口から漏れる血塊。
その血潮は、ゼピルの死がすぐそこに迫っていることを如実に示していた。
「だのに、だのに……何も為せぬまま、私は死にゆくのか……」
ゼピルの瞳に涙が浮かび、さみしげに零れ落ちた。
そして待ち受ける死への理不尽を震えながら嘆く。
「私の歩んできた道は……一体何だったのだ」
帝国の棄民と成り果て、
復讐のため連合国に赴き、
そこで反逆者として吊るされ、
母国であった帝国にすら裏切られる。
己の行為の果てといえばそれまでだが、
胸の痛む悲哀がひしひしと伝わってきた。
俺はとっさに、胸元に手を入れる。
「……ウォーキンス。竜神の匙は――」
念のため携帯しているとはいえ、生の薬草しか持っていない。
これを乗せるのはあまりにもリスクが高く、下手をすれば匙が壊れかねない。
しかしそれでも、このまま見殺しにするのは胸が痛んだ。
だが――ウォーキンスはゆっくりと首を横に振った。
そして小声で囁いてくる。
「――あちらを」
ウォーキンスの示した方向をこっそりと見る。
すると、この大広間を取り巻く全ての怪鳥が魔力を充填していた。
うかつに近寄れば、一斉射撃を受けてしまう。
治療の間、座して待ってくれるはずもない。
怪鳥は不快な嘲りの言葉を吐き捨てる。
「カカッ、見苦しいなゼピル。
瀕死でのたうち回り、芋虫の真似事か? カカカカカッ」
震える翼。
それだけで、使役する者がどれだけ楽しんでいるかが伝わってきた。
しかし、それもつかの間。
命の灯火が消えそうなゼピルに対し、怪鳥は残酷に宣告した。
「――良い見世物だった。しばらくぶりに笑ったよ。
さあ、無為なる人生にふさわしい、無為なる死を与えてやろう」
その言葉と共に、怪鳥の瞳に魔力が宿った。
先ほどの光線を再び発射しようというのだろう。
ゼピルは涙を零しながらも、死を覚悟した表情で待ち受けた。
しかし――
「やめてください!」
ここでゼピルの前に立ち塞がるものがいた。
ソニアが円卓をくぐり、彼を庇うように怪鳥から遮ったのだ。
「――ソニアさん!」
俺はとっさに声を飛ばした。
あまりにも危険過ぎる。
目を剥いて驚く商王たち。
彼女を心配するあまり、派閥を越えて制止の声を投げる。
「ナッシュ殿! 戻ってくるのだ!」
「ゼピルなど見捨てて当然! 思い直されよ!」
だが、この中で一番驚愕し、瞠目していたのは円卓内の商王ではない。
瀕死の状態で、今にもとどめを刺されそうになっていたゼピルだった。
「……何の、つもりだ」
血を吐き零しながら、ソニアを見上げるゼピル。
敵対者である商王を護ろうとするのは、帝国幹部も予想外だったのだろう。
魔力を集中させながら、怪鳥は辟易の声を発する。
「アストライト家の子女……カ?
貴女と話すのはこの後の予定なのだがね」
なに……?
奴の目的はゼピルの排除と商王の抹殺だけだと思っていたが。
しかし、交渉の余地を匂わせるような一言が出てきた。
とはいえ、ゼピルの排斥は規定事項のようだ。
怪鳥は魔力を解放寸前にして脅しかける。
「そこに立つということは、
覚悟はできているのだろう? 筆頭商王ナッシュ」
「――ゼピルさんは、殺させません」
だが、ソニアは一歩も引かなかった。
震えながらもゼピルの前からどこうとしない。
ゼピルは血を吐き出すのも構わず、ソニアに問うた。
「ナッシュ……貴様、分かっているのか……?」
何の利益も生まず、ただ己を危険にさらす行為だというのに。
なぜ――助けようとする。
それが不思議でたまらないのだろう。
錯乱のあまり本音が出てしまったのか、
ゼピルはソニアを慮る声を出した。
「どけ……私の死に付き合う義理はなかろう」
「はい。ありません」
ソニアは力強く答える。
だが、断固として一歩も動こうとしない。
それを見て、ゼピルは沈黙した。
しかしすぐにソニアを睨み、今まで隠していた事実を本人に告げた。
「貴様の父を、手にかけたのは……私だ」
「分かっています」
「…………ッ!?」
即答するソニアに、ゼピルは目を剥いた。
親の仇であることに、気づいていた。
ならば、なおさら己を助ける理由などないはずなのに。
ゼピルは心の底から疑念の声を出した。
「ならば、なぜ……」
「父上の無念を、晴らすためです」
理由なく、無責任な慈悲で間に入ったのではない。
彼女なりの答えがあり、それを咀嚼した上で、ゼピルを庇うに至った。
そう言いたげに、ソニアは地面に転がる仇に向け、厳しく告げた。
「死は逃げです。
自分の罪の重さを分からせるために――
牢獄で反省してもらうために――
ゼピルさんをここで殺させるわけには行きません」
安易な死より、苦しき生。
反省し続ける罰こそが、罪人にふさわしい。
ソニアは感じたのだろう。
しかし、ゼピルは納得しきれない様子だ。
それを見て、ソニアは悲しげに続けた。
「それに、ゼピルさんは――」
「カカカッ! 優しきことは素晴らしき哉。
知っているともさ。貴女の盲信する十六夜神教だろう?」
怪鳥が耳障りな声で口を挟む。
ソニアを心底馬鹿にするかのような口調だ。
帝国は無神論に支配された、神なき国家。
そこで培われた偏見のままに、怪鳥はソニアの行動を愚と断じる。
「くだらない、実にくだらない。
聖職者気取りはこれだから滑稽だ。
神などこの世には在らぬというのに。敵対者に情けをかけるなど――」
「違います」
だが、ソニアはその声を遮った。
決意に満ちた声に、怪鳥も言葉を続けることができない。
「十六夜神教において、
悪しき心を持つ者の救済は定められておりません」
「カカッ、ならばなぜ救おうとする?」
それは、ゼピルが最も気にしていたことだろう。
俺も正直、ソニアが間に入ったことに戸惑った。
しかし彼女は、胸に手を当てて優しく告げてみせた。
「――ゼピルさんは、我が国の商王ですから」
シン、と大広間が静まり返る。
ソニアの心がこもった一言は、この場にいる全員から言葉を奪った。
しかし怪鳥は、心底おかしそうに呵々大笑する。
「カカッ、カカカカッ!
面白い……実に面白いことを言う!
信仰のあまり気でも狂ったカ?」
真意を探るように怪鳥が尋ねた。
しかし、ソニアは発言を訂正することもなく、ただ静かに怪鳥を見据えていた。
その反応が気に障ったのか、怪鳥は床に沈んだゼピルを口撃した。
「そやつは帝国で地を這いずり、帝室からも切り捨てられたのだぞ?
誰の目から見ても役立たずの、三等市民以下の自惚れ屋だ」
辛辣な言葉。
しかし、ソニアはゆっくりと首を振る。
そして帝国幹部の評価と、正反対のことを柔らかに告げた。
「いいえ。ゼピルさんは刑を受けるまでは商王。
連合国を支える――ゴルダーの名を持つ商人なのです。
決して貴方がた帝国の、捨て駒などではありません」
その言葉は、今にも絶命しそうなゼピルへ響いたようだ。
今のソニアが放った言葉は、単なる擁護ではない。
母国である帝国の理解者が切り捨てたゼピルを、
連合国にとって大切な人材であると断じたのだ。
それは本心ではなく、死を迎えるゼピルへの気遣いだったのかもしれない。
しかし、他ならぬソニアが掛けた言葉。
それが嘘か真であるかは、この場の全員が察していた。
「偽善にも劣る綺麗事を……吐き気がする」
怪鳥は口から唾を吐き出した。
使役者の苛立ちが手に取るように分かる。
だが、ソニアは擁護をやめない。
その言葉が本心であることを裏付けるように、死にゆくゼピルを慈しんだ。
「我が国の商王が危機に陥っているのです。
筆頭商王として、助けないわけには行きません」
ソニアの宣告に、ゼピルは完全に言葉を失っていた。
それは恐らく、ソニアに言われると思っていた恨み事と、あまりにもかけ離れていたからだろう。
『そのまま殺してしまえ』
『刑に処す手間が省けて好都合』
『父様の苦しみを味わって死ね』
そのような声を掛けられると、ゼピルは予想していたのかもしれない。
しかしソニアの口から出てきたのは、ゼピルを庇おうとする優しき言葉だった。
ゼピルは震えながら、両の拳を握りしめる。
「……私は」
全身に力を込めていくゼピル。
それに伴い、胸や口から血が溢れていく。
だが、ここでゼピルの瞳に最後の光が宿った。
「……私は、なれるのか」
最後の力を振り絞り、彼は魔力を全開にする。
明らかなオーバーヒート。
もはや寸分もない最後の命を、全て魔力に変えているかのようだった。
この異変に、ソニアも気づいたようだ。
「……ゼピルさん?」
冷や汗を掻いて、床に伏せるゼピルを見つめる。
だが、ここで帝国幹部の方がしびれを切らした。
「もうよい、興が削がれた」
怪鳥は人間臭いため息を吐いた。
そして醜悪な笑みと共にソニアへ語りかける。
「ところで筆頭商王。貴殿が大切にしていた石版はどうした?」
「え……」
ソニアはとっさに懐に手を伸ばした。
そして安堵したように一枚の石版を取り出す。
だが、それは魔吸血石ではなく――
「こ、これは……すり替え……ッ!?」
単なる無地の石版だった。
商王の命をつなぐ魔吸血石ではない。
ここで、頭上から同じ怪鳥の声が聞こえてきた。
見れば、開いた大穴の端から怪鳥が顔をのぞかせていた。
その嘴には魔吸血石が咥えられている。
「そんな、いつの間に……!」
「カカカッ、そこの女の探知魔法をかいくぐるのは骨が折れたぞ。
しかし一瞬の隙があれば十分。”黒烙鳥”は有用な魔獣よなぁ」
窓に止まる怪鳥と、大穴に止まる怪鳥が、おぞましい笑い声を上げた。
それに伴い、この大広間を囲む怪鳥たちが、合唱するように嘲笑した。
いったいどれだけ数がいるというのか。
なるほど、ウォーキンスが先ほど言っていた想定外というのは――これだったのか。
探知魔法に引っかからない隠密の魔獣。
いかなる力を有していても、敵を発見できなければどうしようもない。
タチの悪い手練手管だ。
「さて、十八も王がいては煩わしくて仕方がない。
ひとまずこれを破壊して、間引くとするか」
天井の怪鳥が恐怖を煽るように、石版へ嘴を食い込ませる。
それを見て、一部の商王がパニックを起こした。
「や、やめろぉおおおおおおおおおおおお!」
「きッ、貴様に、人の心はないのか!」
「…………ッ」
俺は舌打ちをして、すぐに魔法を詠唱しようとする。
だが、ウォーキンスはあくまでも冷静。
彼女は俺よりも先に魔力を込めきっていた。
必要とあらば、今すぐにでも発動できる状態。
しかし、ここで怪鳥たちと乱戦になれば、商王にどれだけの犠牲が出るか――
だが、ここで混乱を遮るかのように、
唸り声が大広間を駆け抜けた。
「……破魔眼よ。
我が魂を魔へと変えよ……!
一片の灯火も残さずして……余すことなき魔を注げ……!
我が目するところの魔を破り……悠久の盟約を滅せよ……ッ!」
詠唱とともに、ゼピルの瞳が怪しく輝いた。
ずっと貯め続けていた魔力を全て眼に込め、力を発動したのだ。
大きな魔力が怪鳥に向けて拡散される。
「――――」
しかし、天井の怪鳥には何の異変もない。
商王の混乱を見下ろしながら、いよいよ怪鳥が石版を噛み砕こうとした。
だが、ここでウォーキンスはすっと手を下ろした。
「――人の心は、分かりませんね」
「ウォーキンス……?」
どうした、魔法の発動に失敗でもしたのか?
ありえないとは思いつつも、代わりに俺が魔法を発動しようとする。
だが、それをウォーキンスがやんわりと止めてきた。
「なにを……」
「既に帝国の野望は砕かれました。
不要と切り捨てた一人の商人によって――」
その一言。
ウォーキンスの言葉で、俺は察した。
魔力を霧消させ、敵の動きを見守る。
すると、怪鳥は愉悦の声と共に嘴を噛み締めた。
「さらばだ商王らよ。
遺言は悲鳴として聞いてやろう――ッ!」
バキッ、と絶望的な音が響いた。
石版に埋め込まれた魔擬臓器が両断され、石版が砕け散る。
契約魔法が発動すれば、全員の心臓が破裂してしまう。
ほぼ全ての商王が死を覚悟した刹那――
「……あれ」
「……なんともない、だと?」
商王たちは困惑のあまり硬直する。
ソニアを含め、契約していた全ての商王が立ち尽くした。
しかし、それ以上に混乱しているのは帝国幹部だ。
怪鳥は羽でガリガリと鉄の甲殻部分をかきむしる。
「バカな……なぜ死なぬ?
初代たちが契約を交わしたというのは、嘘偽りだったのか?」
「いいや……確かに、契約はあったさ」
怪鳥の声に、答えるものが一人。
もはや首を持ち上げることすら叶わない、瀕死のゼピルだ。
彼は最後の力を振り絞り、血の入り混じった声を紡いでいく。
「その石版には……数千人なら軽く殺してしまえるような、
とてつもない量の”魔力”が……しっかりと宿っていたさ」
その言葉に、怪鳥は目を見開いた。
ようやく気づいたのだろう。
なぜ石版に掛かっていた契約魔法が発動しなかったのか――
「……ゼピルッ! まさか、貴様!」
「私が持つのは……この世に二つとない魔眼。
それも、大精霊のな……。
たとえ堅牢な契約魔法であろうと……
魂を魔力に変えれば、打ち破れる……そう、思ったのだ」
破魔眼。
神殺しの異名を取った魔眼公アスティナが落とした――大精霊の形見。
契約魔法をかけた人物がいかなる大魔法師であろうと、精霊の干渉力には遠く及ばない。
命の全てを削り、商王らの心臓を縛る契約魔法を解除したのだ。
しかし、その代償は高くつく。
「……う、ゲホッ、ゴブォッ」
どこから出てきたのか疑ってしまうような大吐血。
これを見て、ソニアがゼピルの上体を起こす。
「ゼ、ゼピルさん……!」
商王を憎み、国すらも潰そうとしたゼピル。
そんな男が、最後の最後で契約魔法を解除し、商王を助けたのだ。
冷静を保ち続けていたヘラベリオも、驚きの声を漏らした。
「ゼピルよ、貴様……なぜ」
「……私が一番、わからぬさ」
ゼピルは苦しげに口を動かした。
そして自嘲的に微笑む。
その瞳からはもう、完全に魔力が消えていた。
それどころか、全身から魔力の波長が消滅。
もはや指一本動かすこともできまい。
視線を注いでくるソニアに、ゼピルは呻くように告げた。
「……謝ろうという思いなど、微塵もない。
私の成したことに……ただのひとつの悔いもない」
「では、なぜ契約魔法を――」
ソニアは目に涙を溜めながら言った。
その涙はきっと、恐怖や錯乱によるものではない。
終わりゆく男に対する、慈悲が発現したものだった。
「ただ、最期に……何かを為したかったのかも知れぬ」
ゼピルは微かな力で拳を握ろうとする。
しかし、指先がほんの少し、ぴくりと動いただけだった。
それを自認してか、ゼピルは己を嘲った。
「いや……違うな。
”認めてほしかった”……そんな、汚くて愚かしい、下賎な考えだ……」
ソニアの瞳から、一筋の涙がつたり落ちた。
それはゼピルの顔へ落ち、水滴となる。
しかし、それはすぐに誰のものか分からなくなった。
他ならぬ、ゼピルがこぼした涙によって――
「……決して、許されぬ……大罪人だというのに。
褒めて……もらえると、思ったのか……!
本当に、浅ましい……」
契約魔法を解除した理由。
それは、ゼピルが最後に願った希望の表れだった。
全ての居場所を失くした者が、終末の帰着点を求めたのだ。
「本当に、最期まで私は……何者にもなりきれぬ、半端者だった」
そう言って、ゼピルは眼を閉じていく。
その瞼が一度下りれば、二度と開くことはないだろう。
血涙の淵に沈みゆくゼピル。
しかしソニアは、そんな彼に優しく語りかけた。
「ゼピルさんは、商王です」
それは罪人へ掛けるにはあまりにも柔和で――
「誰がなんと言おうと、我が国の商人です」
何者でもない者が一番聞きたいと願った――
魂を鎮める、慈愛の言葉だった。
「……あぁ」
もはや呂律も回らない。
もはや光すらも見えはしないだろう。
「……くれるのか」
しかしそんな中でも、ゼピルはソニアを見据えていた。
涙で濡れた彼の表情が、穏やかなものに変わっていく。
「仇である私を……商王として、死なせてくれるのか……」
最後にゼピルは、張り詰めた顔を笑みに変えた。
今までのような邪気はなく、一欠片の敵意や皮肉もなく、
ただ純粋に――最後の救済へ感謝をしていたのだった。
「それは、きっと……気持ちが良いので、あろうな……」
帝国に追われ、連合国で罪人となった男。
ゼピル・ゴルダー・デュラニールは、商王としてその生涯を終えたのだった。
◆◆◆
静寂が大広間を支配する。
寂寞のような行き場のない後味の悪さを、商王たちは感じているのだろう。
憎しみの対象でない俺ですら微妙な気持ちになったのだ。
同じ商王としてゼピルと渡り合ってきた彼らは、心中を察するに余りある状態のはず。
しかしここで、怪鳥が不機嫌な声で沈黙を破り去った。
「死んだカ。復讐者としての矜持すらも捨てるとは。
――贖罪のつもりか? くだらん死に様だ」
ゼピルの亡骸を見て、辛辣な言葉を吐き捨てる。
「本当に、最後の最後まで、中途半端な愚民だったよ」
「――そう思っているのは、貴方だけです」
怪鳥の言葉に、ソニアが反論した。
まずい、挑発するのは避難した後にして欲しい。
俺とウォーキンスは、ソニアを庇いながらゼピルの亡骸を円卓の中に移送した。
俺を含め、全員が円卓の中に入る。
これで護衛が非常に楽になった。
ここで、ソニアが改めて怪鳥に告げた。
「ゼピルさんの計画は破綻し、商王の命は守られました。貴方がた帝国の負けです」
「……帝国の、負け?」
怪鳥はきょとんとした様子で首を傾げる。
そして次の瞬間、耳をつんざく大笑いを上げた。
「カカッ! カカカカカカカカカカカ!
負け、”負け”ねぇ! カカカカカカカカッ!」
怪鳥はソニアを見据え、得意げな声を放ってくる。
「言っただろう?
目的は既に果たされていると。でなければゼピルを殺すものか」
やはり主目的はゼピルの抹殺だったか。
あわよくば石版を砕こうとしていたようだが、まだ策を用意している様子だ。
先ほど覚えた違和感――ソニアたちに交渉を持ちかけようとしていた件。
その全容が、ここで明らかになりそうだな。
「では――本題に入ろうか。
帝国からの勅使と思いて、我が御言を聞くが良い」
ずいぶんと偉そうに自分を位置づけているな。
幹部と聞いたが、帝室に連なるということは帝王の血縁者か。
確かに、こいつの言葉は帝国の意向に限りなく近いことになる。
怪鳥は声を整えた後、俺へ視線を向けてきた。
「まずは王国の使者よ、来てくれてありがとうよ。
おかげで商王議を誘発し、全商王を首都に集めることができた」
言葉と共に、怪鳥たちは眼へと魔力を集める。
牽制のつもりだろうが、俺を相手に冗談は通用せんぞ。
俺とウォーキンスが全く同時に反撃の構えを取る。
すると、怪鳥たちは翼を軽く振って魔力を散らした。
「おっと殺すなよ。勘違いしないで欲しいが、私は交渉しに来たのだ」
「でしたら、使者として早く用件を仰ってください」
ソニアは筆頭商王として、
警戒した様子で対応に当たる。
「カカッ、我とて長話は好かぬ。端的に言おう」
怪鳥は深々と息を吸う。
そして一拍の後、身の毛もよだつ宣告をしてきたのだった。
「20万――貴様ら連合国の常備兵力の3倍に及ぶ兵を、国境に待機させている」
「…………なッ!」
「に、20万だと……ッ!?」
商王たちは絶句した。
王国が地方から全ての兵力を集めても、遠く及ばない数だ。
物量で圧倒的に優る帝国だからこそなし得る――数の暴力。
それをチラつかせながら、怪鳥は猫なで声で告げてきた。
「大人しく降伏すれば、貴様らは一等市民に。
連合国民も二等市民として迎えてやろう――大人しく、我が帝国の軍門へ降れ」
「――――ッ」
商王一同に緊張が走る。
これは要するに、帝国から連合国への降伏勧告。
全ての武力を放棄して、帝国の植民地になれということだ。
怪鳥は喉を鳴らしながら得意気に宣告する。
「断ればどうなるか分かるな?
貴様ら商王がいくら力を合わせようが、
しょせんは卑しい商人共が創ったお遊び国家。
名だたる軍閥を束ねた帝国からすれば、ただの植民地候補に過ぎん」
確かに、商王そのものが持つ私兵の練度は高くない。
例外が数家いるだけで、兵をかき集めても質と量の両方で帝国に劣るだろう。
それを踏まえた上で怪鳥は言う。
「領民の為を思えば……」
「――断る」
だが、ここで老獪な声が怪鳥の話を遮った。
商王ヘラベリオが己の意見を表明したのだ。
「悪いのぉ。
ここにおるものは全員、金しか頭にない守銭奴共じゃ。
どうせ降伏すれば奪われる財産、抵抗せんはずがなかろう」
この言葉に、全ての商王が頷いた。
一枚岩ではない商王たちだが、
帝国の下には付きたくないという想いで完全に一致しているな。
反駁を受けた怪鳥は、ヘラベリオを睨みつける。
「……わかっているのか? 一体どれだけの民が――」
「黙れ! 畜生の軍人国家どもが!
貴様らに惨たらしく隷属するよりは圧倒的にマシだ!」
だが、ここで商王たちの怒りが噴出した。
降伏を勧める怪鳥に対し、烈火のような憤怒を見せる。
「この国は商人の理想郷!
貴様ら戦争しか能がない輩に屈するなど認めぬ!」
「貴様らの軍事品はどこから輸入している?
荷留の恐ろしさを知らぬ素人がッ! 喧嘩を売る相手はよく選ぶんだな!」
帝国へ大量に輸出していた親帝国派が、ここに来て勢い付いた。
帝国から地位を保証されなくなった途端これだ。
手の平をクルクルしすぎな気もするが
反帝国という目的は一致しているので何も言うまい。
「どうしても欲しければ、
侵略国家らしく堂々と攻め取ってみよ!」
全商王が敵対宣言をした。
商売相手としてなら得意先だったが、
武力制圧をしてくるなら話は別ということだろう。
全ての商王の声を聞き取った上で、ソニアが代表して告げた。
「――これが商王の、連合国の総意です」
「……ふむ、良かろう。承知した」
意外にも怪鳥は聞き分けよく頷いた。
まるでその返答を予測していたかのようだ。
すると次の瞬間、怪鳥の口角が吊り上がった。
「――では、帝国正規軍20万が謹んでお相手しよう。
一族郎党をなで斬りにするのが今から楽しみだ。カカカカッ」
こいつ……最初から連合国と一戦交えるつもりだったのか。
その事前工作として、ゼピルを反逆させたのだ。
怪鳥は愉快げに商王を見渡していたが、何かに気づいたような声を出す。
「ああ、そうそう――最後に良いことを教えてやる」
その一言に、商王たちの顔に緊張が走る。
果たして怪鳥から繰り出されたのは、不可解な宣告だった。
「くれぐれも、王国からの援軍を頼りにできると思うなよ?」
「……なに?」
商王たちと同じく、俺も思案する。
おかしなことを言う。
援軍の使者を飛ばせば、王国軍がすっ飛んでくるというのに。
「王国の使者が連合国に入ったのは想定外。
そして王国に置いていた布石までもが捕縛される始末だ」
おお、国王やったな。
帝国への密通者とやらをあぶり出せたのか。
これで王国側としての目的は完全達成だ。
「援軍の使者が王国に到達――それだけは防がねばならん。
ここに至った今、不確定な危険は一片足りとも看過できない」
怪鳥はキリキリと音を立てて首を旋回する。
生物の限界を超え、360度一回転させた。
そして次の瞬間、絶望的な一言を告げてきたのだった。
「――全方位。一部の隙もなく完全包囲だ。
鼠一匹、国外には通さぬ。
次に王国が連合国の知らせを聞くのは、帝国領となった時になろう」
「…………なッ!?」
連合国と王国は地形的な隔たりがあるため、
使者が赴かねば異変を察知することはできない。
ゆえに使者をすべて止められてしまえば、王国側も動きようがないのだ。
王国からの援軍を期待していた商王たちは絶句した。
その表情を愉しげに睥睨した後、怪鳥は両翼を広げた。
「では、お暇しよう――この10羽を帝国進撃の狼煙としてな」
その瞬間、怪鳥の機械部分が赤く点滅した。
そしてあらゆる方向から鳥が円卓めがけて突っ込んでくる。
結局これかよ。
一人でも多く商王を滅殺しようとするつもりだ。
まあ――それくらいはやってくると思っていた。
「ウォーキンス、今だ!」
「了解です!」
俺とウォーキンスは魔力を全開にした。
このために俺たちを含め、全ての商王を円卓の中に避難させたのだ。
「ソニアさん、すみません! 商館燃やします!」
「……え? あ、は……はい!」
よし、家主の許可も取った。
俺とウォーキンスは怪鳥の動きを見極めながら、魔法発動のタイミングを揃える。
突進する怪鳥から強い火魔法の波動を感じた。
恐らく火魔法による起爆を狙っているのだろう。
「この円卓の外で爆発させちまえば――」
「被害は全くのゼロです!」
まあ、帝国幹部さんよ。
10羽なんてけち臭いこと言うなよ。
ここにいらっしゃる怪鳥、全部焼き鳥に変えてやる。
「行くぞウォーキンス!」
「はい!」
二人がかりで魔力を全方向に展開。
その上で、商館全体へ轟く火魔法を放ったのだった。
「「イグナイトヘル!」」
俺の第一波で、近づいていた10羽がまとめて起爆。
しかし円卓の周囲に張られた障壁が、全ての火魔法を無効化する。
辺りの怪鳥を誘爆に巻き込みながら、ウォーキンスの第二波が襲来。
この館に侵入した怪鳥を軒並み薙ぎ払った。
最後の一匹が爆発する瞬間、帝国幹部の舌打ちが聞こえてきたのだった。
「…………ッ、無為な犠牲をッ!」
なかなかに設計費用の掛かりそうな怪鳥をまとめて撃破。
この程度で懐を痛めるとは思えないが、意表を突けたので満足だ。
これで、全ての敵を駆逐できた。
商館内で出口を求めて渦巻く火炎が、
勝利のファンファーレを告げているかのようだった。
すると次の瞬間――
「よっしゃ、残すところは商館のみ!
あと敵がいるとしたらこの中だけだぜ!」
自信と爽快感に満ちた声が、商館前から聞こえてくる。
バドだ。
外の兵力を完全に倒し終えたので、
応援に来てくれようとしたのだろう。
「……あ、やばい」
今の館内はちょっとまずい。
俺は慌ててバドにテレパスを飛ばした。
だが、交信に成功する前に、彼は扉を蹴破ったのだった。
「手柄を渡すわけには行かねえ!
おらっしゃぁあああああああああああ!
俺様に続きやがれぇええええええええええええ!」
そして当然のことながら、
渦を巻いていた炎が、外へと勢い良く吹き出す。
完全なる直撃コースである。
「ぬぐぉあああああああああああああ!」
次の瞬間、バドの絶叫が響き渡った。
しかし、熱気を察知した後続の兵はギリギリで回避。
行き場のない火炎による被害は、バドだけに留まったのだった。
……人の家に入る時は、ノックしようぜ。
【第762回 商王議・総括議事録】
連合国の首都にて大規模な事件が勃発。
筆頭商王ソニア開催による当商王議で、商王ゼピルが謀反に及んだ。
主犯ゼピルは腹心アヴァロを殺害した後、全ての商王を手に掛けようとした。
しかし、王国の使者らの奮戦によって被害少なく鎮圧。
この時、長年の憂慮事項であった石版の契約が解除される。
その後、帝国幹部による宣戦布告が行われ、帝国との交戦が開始。
各商王は直ちに常任都市へ帰還し、防衛を行う方針で一致。
速やかに王国に援軍を要請し、帝国の侵攻軍を撃退されたし。
商人の理想郷を、守らんがために――
次話→3/23 PM21:00(多忙のため2日順延)
次が8章エピローグ。
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