第十三話 警戒
豪邸に帰って、シャディベルガの部屋に向かう。
まさか暗殺されてやしないかと危惧したが、その心配はなかった。
彼は椅子に座って和やかにお茶をすすっていた。
「レジス。そのナイフはどうしたんだ?」
「ああ、これか。何か良さげだったから一本買ってみた」
購入してきたナイフを見せる。
しかし、シャディベルガとしてはあまり興味がないらしい。
「ディン家のナイフを渡しているだろう?
まあ、アレは顕示用だから使っても困るんだけどね」
「じゃあ親父のを貸してくれよ。俺よりよさそうなの持ってるじゃん」
俺はシャディベルガがベルトに差しているナイフを指さした。
すると、彼は慌てたように手で覆い隠す。
「こ、これはダメだ! 絶対になくしちゃいけない物なんだから」
「って、これディン家の紋章じゃないな。
銀の剣と金の盾じゃない。こいつは……青銅の盾と赤い槍か?」
「ああ、それはジルギヌスの紋章だよ」
聞き覚えのある家名だな。
こんなに洒落た紋章を持っていたのか。
「それって、母さんの実家だったっけ」
「そうだよ。ディン家が吸収したから事実上なくなったけどね。
昔は剣と魔法で成り上がった名家だったんだよ」
それは聞いたことがある。
ウォーキンスが自慢していたから。
そう言えば、ウォーキンスはセフィーナって、かなり仲いいんだよな。
ベッタリってくらい距離が近い。
あの両依存には何らかの理由があるんだろうか。
「なるほど。それじゃあ古株の貴族からの受けは悪そうだな」
「そうだね。ホルゴス家みたいな歴史ある家は、ジルギヌス家を毛嫌いしていたよ」
確かに、ドゥルフもジルギヌス家をディスりまくってたな。
あの暴言は性格の悪さだけから来たわけじゃないってことか。
うーむ、根は深い。
「なるほどね。で、何で親父がそのナイフを持ってるんだ」
「誓いだよ」
「誓い?」
仰々しい言葉だな。
しかし文字通り、厳かな誓約であるらしかった。
「ああ。ディン家とジルギヌス家。
両家が共に繁栄するよう、互いのナイフを交換し合ったんだ」
「つまり、母さんはディン家のナイフを持ってるんだな」
「そうそう。レジスに持たせているのはセフィーナのレプリカだよ」
ふむ。俺のも良い作りなんだけどな。
少なくとも模造品には見えない。
職人の力はすごいってことか。
これで偽物ならセフィーナのナイフはどれだけの品なんだ。
「ところで、暗殺対策はしっかりしてるか?」
「僕みたいな貴族の命を狙っても、何の意味もないと思うんだけど」
「決闘法を考えると、殺しに来てもおかしくないぞ。
親父がぽっくり逝ったら勝つのは向こうなんだから」
「分かってるよ。だから出来るだけ家から出ないようにしてるし、
ウォーキンスが動ける時にしか外に出ていない」
ならいいんだけど。
あと、本当は俺が外に出るのもあんまりよくないんだよな。
俺を人質に取るって手も、もちろんありだと思うし。
まあ優先度の順から言って、狙うならシャディベルガだろ。
「決闘の手続きは済ませてきたのか?」
「もちろんだ。バッチリだよ」
「決闘人の欄にはなんて書いた?」
「『ディン家当主』って書いたよ。
向こうは『ホルゴス家代理人』って書いてたかな」
「やっぱり代理人を立てるよな。まあ当然か」
当方がシャディベルガで行く事は、もう相手も知ってるわけだ。
客観的に見て、こちら側が勝つ可能性は低い。
相手は私兵の中から腕利きの傭兵を選抜するはずだ。
シャディベルガがそんなのに勝てるのか、と聞かれると首をひねらざるをえない。
まあ本人が出ると言っているのだから、出ればいいと思う。
俺としては他の手も視野に入れてるけどな。
「じゃあ、なおさら暗殺襲撃には注意しないとな」
「そうだね。ドゥルフはお世辞にも正々堂々とは言えないから」
人間権力に溺れると心まで汚れてしまう。
ドゥルフもそのクチだろう。
だけどその欲望がいろんな所で敵を産んでるんだぞ。
具体的には傭兵上がりの魔法商店の店長とか。
「ああ。決闘まではあと3日か。気を引き締めとけよ」
「言われなくとも」
その返事が聞ければいいや。
これ以上言うこともない。くどいのは俺も嫌だからな。
シャディベルガのことは彼自身に任せよう。
今こそ男を見せる時ですぞ。シャディベルガ殿。
◆◆◆
使用人の部屋に行くと、ウォーキンスがお茶を飲んでいた。
シャディベルガといい、お前らは本当にお茶が好きだな。
俺としては身体を蝕む炭酸飲料が恋しいけど。
あの多糖類っぷりが癖になるんだ。
虫歯直行コースだけどな。
この豪邸を用意した人は、使用人室に金をかけない主義なのだろうか。
椅子が一個しかない。
仕方がないので、傍にあったベッドに腰掛ける。
ここからウォーキンスまでの距離は遠くないので、支障はない。
「なあウォーキンス」
「何でしょうレジス様」
「お前、昔に帝国の連中と何回か戦ったことある?」
「……え。何で知ってるんですか?」
あっさり答えおった。
もっと言いよどむかと思ったのに。
つまらないので、俺も意外そうな顔をしてみる。
「あれ、普通に認めるんだ」
「訊かれたら答えますよー。大体のことは」
あはっ、と悪びれないウォーキンス。
どうやらあんまり隠すべき秘密でもないようだ。
「魔法協会に雇われてたんだな」
「力を貸していただけですよ。
当時はもう、奥様のジルギヌス家で働いていましたから」
「ふむ、そこで質問だ。ウォーキンス、お前何歳?」
その瞬間、パキャッと変な音がした。
発生源はウォーキンスが握っているティーカップから。
よく見たら、カップのつまみが根本から砕けている。
やばい、なんか嫌な予感がする。
「レジス様……」
ゆらり、と立ち上がるウォーキンス。
おぼつかない足取りで、俺に近づいてくる。
ウォーキンスの頬はなぜか紅潮していた。
彼女は小悪魔っぽい笑みを浮べる。
俺の傍まで近寄ってきたウォーキンスは、俺の肩を掴み――
「お、おい……?」
そのままベッドに押し倒してきた。
光源がウォーキンスの身体に隠れて、急に部屋が暗くなったように感じる。
彼女の銀髪が、妖しく揺れている。
温かい身体を重ねるように、ウォーキンスは俺に密着してきた。
熱い吐息が俺の耳にかかる。
「ウォー……キン、ス?」
動けない。
妙な魅力にとりつかれて、身体が言うことを聞かない。
同時に、背中を縦断するような寒気が走った。
これは捕食者と相対した時に感じるもの。
――喰われる。
本能が強烈な警報を鳴らしていた。
ウォーキンスの柔らかい身体から、灼熱の鼓動が伝わってくる。
彼女は俺の耳元に口を寄せ、そして――
「はむ」
噛まれたー!
いきなり耳を噛まれたぞおい。
ウォーキンスはベッドから身体を起こす。
そして、何がおかしいのかお腹を抱えて笑い始めた。
「あはは、あはははははははっ!」
「な、なんだよ一体」
「もしかして、期待されてました?」
俺の顔を覗きこんでくるウォーキンス。
先ほどの接近がフラッシュバックする。
思わず緊張してしまい、言葉が詰まってしまう。
「んなっ!? いいや……それは」
「そういうのは、もう少し大きくなったら考えましょう」
そうだな、と頷きかけたが、お前が説教できる立場か。
人をからかっておいて。
半分期待した俺がバカみたいじゃないか。
純情を弄ぶんじゃない。
まあ、今の俺に色欲なんて大してないんですけどね。
「ったく。タチの悪いイタズラだな」
「女性に変なことを聞いた罰です。反省して下さい」
「反省しないといけないのか」
ずいぶんと理不尽な要求に思えた。
ウォーキンスはいたずらっぽく微笑む。
「女の人に歳は聞いちゃいけないんですよ」
「でもお前、さっきは答えてくれるって――」
「大体のことは、です。年齢は例外です」
なんだよ。
だったら都合の悪い質問は全部例外だろうが。
と一瞬思ったが、予防線って元々そういうものだったな。
一杯食わされた。
「それで、何で私の歳が知りたかったんです?」
「いやさ、今日の話なんだけど。
魔法商店の店長が、十年前に助けられたって言ってたんだよ」
「誰に?」
「ウォーキンスに」
すると、ウォーキンスは額に指を当てて考え込んだ。
色々思い当たるフシがあるのか。それともないから困ってるのか。
「辺境で帝国偵察隊と衝突した時って言ってたけど」
「あー、あの時ですか。
そう言えば、腰の抜けた傭兵さんを助けたような助けてないような。
まだ幼かったように思いますが」
「曖昧だなおい」
「戦場であちこち見てる暇はないですよ。
とにかく目の前の敵を片付けないと」
それは確かに。
だからこそ、エドガーが名前を聞いた時に、
「それどころじゃない」
って言ったんだろう。
帝国の連中は強かったみたいだし。
「そうですか。あの時の小さな傭兵さんが、この王都で魔法商店を」
「ウォーキンスに憧れて、魔法に関わる仕事に就いたんだって」
「それは嬉しいですね。縁が合ったら会うかも知れません」
「向こうも会いたがってたしな」
そうか、やっぱりエドガーの探し人はウォーキンスだったのか。
いろんな所に出没してるんだな。
何で魔法協会に時々行くんだろうとは思ったが、そういう縁があったのね。
この話は終わりだ。
俺としては、ウォーキンスにもう一つ用がある。
「ところで、今日は一個だけ達人編の魔法を教えてくれないか?」
「……うーん。まあ魔力使用量が小さめのならいいですよ」
「大丈夫。ちょっと特殊なやつだから。
どっちかというと維持が大変かな」
そう言ってウォーキンスにある魔法書を見せる。
先ほど購入したものではない。
全く属性の違う、改定前の達人編。
家から持ってきたものだ。
この中に、未だに改定後の達人編に居座る魔法が存在する。
以前に読んだ時、使えそうなものを見つけた。
何というか、小細工の効いた俺には珍しく、豪快な魔法だ。
「これなんだ」
「……これは、修得が非常に難しいですよ。
熟練の魔法師ですら忌避する特殊魔法です。
残念ながら、認めるわけには行きません。
痛みで精神を歪める可能性もあります」
危険性を色々と説明してくる。
しかし、俺としては決意を変えるつもりはない。
「上等だ。俺のひん曲がった性根だぞ?
これを更に歪ませられる魔法なんて、この世に存在するわけないだろ」
「……うーん」
やっぱり、危険が伴う魔法だからか。
ウォーキンスも二つ返事で了承してくれない。
だけど、ここで引いちゃダメだ。
決意を見せれば、彼女も分かってくれるはずだ。
「頼む。絶対に必要なんだ」
「……みっちりやっても数日はかかりますよ?」
「そうか。
じゃあとりあえず今から寝る時間までやろう。
それで明日と明後日もつぎ込むから」
言った後、かなりのハードスケジュールになることに気づいた。
とはいえ、そのくらいしないと修得できないだろう。
「本気、ですね。途中で投げ出しませんか?」
「投げ出さないよ。俺の忍耐力を舐めるな」
「はい、分かりました。では今から始めましょう」
コクリと頷いてくれる。
よし。やっぱりウォーキンスは話が分かる奴だな。
さすがハイパー使用人。
師匠と呼ぶにふさわしい存在だ。
この魔法が使えるようになれば、俺の戦略も広がる。
まさかの事態に備えて、俺も力を蓄えさせてもらおうか。
魔法の修行のため、色々と準備をする。
それが終わった後、早速ウォーキンスとの稽古に励んだ。
しかしやってみて分かったが、この魔法は相当に面倒くさい。
ポーズはもちろんとして、
イメージと詠唱を完璧にしないと魔力すら込められない。
確かに、これは一朝一夕じゃ行きそうにないな。
しかも、この魔法は発動してからがタチが悪い。
詠唱者の魔力を無尽蔵に食い荒らす、とんでもない輩だ。
だけど、弱音なんて言ってられない。
決闘までは後少し。
シャディベルガが上手くやってくれれば俺の出番はなくて済む。
しかし、どうにも胸騒ぎがする。
汚い手を使うと聞くドゥルフが、何も仕掛けてこないのだ。
シャディベルガ本人が出るから舐めてる可能性もあるのだけれど。
何かあった時のために、俺もスタンバイを開始しないとな。
数時間の練習の後、俺は倒れるようにして眠った。
王都の城郭から見える月は、禍々しく輝いている。
ディン家とホルゴス家の決闘は――近い。