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第九話 激震の発露

 




 ゼピルの発言は、多くの商王をどよめかせた。

 ソニアの地位剥奪と処刑を行うというもの。


 あまりにも荒唐無稽。

 親帝国派を除いた全ての商王が驚愕の顔になる。

 言葉の真意を探ろうとする者。驚きのあまりソニアとゼピルを交互に見る者。


 様々な反応が混在する中、大広間全体に怒号が轟いた。


「――ふざけるなッ!」


 親王国派の商王たちだ。

 彼らは先ほどとは比べ物にならないほどの怒りを露わにしていた。

 それも当然、筆頭商王を処刑するという議案だ。


 ゼピルに掴みかからん勢いで食って掛かる。


「何を言い出すかと思えば、商王売国罪?

 ふざけるなッ! ソニア殿が国賊なはずあるまい!」

「撤回しろ! 冗談で言っていいことの分別もつかぬのか!」


 だが、ゼピルの対応は異常なまでに泰然としていた。

 彼は余裕のある含み笑いを浮かべ、大きく肩を竦める。


「ええ、伊達や酔狂で言っているわけではありませんからね」


 親王国派をさらに煽るかのような言動。

 それは筆頭商王として慕われてきたアストライト家に対しての宣戦布告に他ならない。

 さすがにゼピルの言動に不信感を持ったのか。

 中立派の商王らも疑問の声を上げる。


 だが、そこでゼピルは口元に指を立てた。


「――静粛に」


 自身に満ち溢れた表情。

 己の選択には一片の誤りもないと言わんばかりの態度。

 脇を固める親帝国派の圧力もあり、次第に紛糾が収まる。


 それを見逃さず、ゼピルは主導権を引き寄せようとしてきた。


「連合法規に合致する懸案であるからこそ、こうして発議したのです。

 我がデュラニール家の全霊を賭してソニア殿を国賊と断じます」

「…………ッ」


 睥睨するかのような視線。

 ゼピルの発言に対し、ソニアも身震いする。

 そんな彼女を見かねてか、ヘラベリオがゼピルに問いかけた。


「ふぇふぇ……よかろう、言ってみよ。

 貴様は何を以って売国奴断罪の法を用いる?」


 ありがたい参入。

 この空気を払拭するには中立派の力が必要だ。

 ヘラベリオの質問に対し、ゼピルは平然と答える。


「話は至極簡単。

 ドラグーンによる石版強奪は、

 先代ナッシュ殿とソニア殿が国を揺るがすための反逆行為。

 その報いを今ここで受けていただく――それだけの話です」

「反逆行為じゃと……? 貴様、正気か?」


 発言を受けて、ヘラベリオは辟易する。

 他の中立派の商王たちも、ゼピルの言葉には首を傾げていた。

 ソニアの信用を失墜させようと、虚言を吐いているだけにしか見えない。


 親王国派の商王がゼピルに詰め寄っていく。 


「よくもいけしゃあしゃあと!

 アストライト家が、どれだけ連合国を真摯に導いてきたか知らんのか!」

「そう興奮なさらず。まずは私めの話をお聞きください」


 ゼピルは反駁する商王をなだめ、ニタリと嫌な笑みを浮かべた。

 そして指を立て、順序立てて己の推論を述べていく。


「考えてもみてください。

 助力義務があるとはいえ、石版を保管していたのはアストライト家ですよ?

 動員できる軍団の数も桁違い。

 当然、竜殺しが付近を厳重に警戒していたことでしょう」


 ゼピルの呼びかけで、商王たちは顎に手を当てて考える。

 石版強奪の日を思い返そうとしているのだろう。

 それを尻目に、ゼピルは竜殺しの戦力を分析する。


「だというのに、石版はドラグーンによって盗まれた。

 彼らの防衛能力を鑑みればあまりにも不自然。

 500年近くも石版を竜殺しの猛攻から守り抜いたというのに――

 なぜ当代になって略奪を許したのでしょうなあ」


 パズルのピースを埋めていくような喋り方。

 逃げ場をなくし、追い詰めるため誘導する話法。

 ザリ、と砂を噛んだようなノイズが脳内に走る。


 前世において、誘導尋問にも似た圧迫をされた記憶が浮かび上がった。

 こういう奴は、俺がもっとも嫌いな輩だ。

 ゼピルに圧力をかけられ、ソニアは恐る恐る答えた。


「つ、つまり……竜殺しが背反したと言いたいのでしょうか」

「いいえ? 違いますな、まるで見当違いだ」


 ゼピルは呆れた様子で、ソニアの推測を切って捨てる。

 そしてソニアを含め、反論を試みる親王国派へ説明していく。


「竜殺しが凶暴極まりないことは周知の上です。

 しかし、彼らの竜嫌いは掛け値なしの本物。

 現に、黄金竜を撃墜せしめております。

 竜殺しには翻意も手抜かりもなかった――そう考えるのが妥当でしょう」


 なるほど。

 ここで竜殺しの実力に説得力を持たせるため、あの場で反対を表明しなかったのか。


 竜殺しは一人ひとりの魔法師も優秀だが、団体戦において真価を発揮する。

 ゼピルの言う通り、一応は竜殺しが黄金竜を討ち取ったのだ。


 だからこそ、違和感が湧いてきてしまう。

 一流の戦力を持つ竜殺しが強奪を許したのは、何か理由があったからではないのかと。

 商王の心に隙を生ませた上で、ゼピルは問題を提起する。


「ならば、残った要因はただ一つ――」


 次に来る言葉を、俺は予想していた。

 親王国派の商王も察したようだ。

 彼らは歯ぎしりをしながら怒声を上げる準備をする。


 そんな中で、ゼピルは屹然と言い放った。


「――ソニア殿がわざと盗ませたのですよ」

「詭弁だッ!」


 すぐさま王国寄りの商王たちが声を飛ばす。

 ここで、親王国派の急先鋒である商王が溜め息を吐いて尋ねた。


「つまり、ゼピルよぉ……。

 あんたはソニアちゃんが、

 石版を竜騎士に盗ませようと動いてたって言いてぇのかい?」

「ええ、その通りです」

「ハッ、馬鹿馬鹿しい。

 それだとトカゲ共が首都を襲撃したことに説明がつかねぇ。

 もし手を結んでたとしたら、ソニアちゃんは真っ先に襲う候補から外すだろうが」


 親王国派の商王が言うことはもっともだ。

 ソニアがドラグーンに通じているという疑惑は今の反論で退けられる。

 だが、ゼピルもそれくらいは読んでいるはず。


 案の定、他の角度からソニアを糾弾してきた。


「誰もソニア殿が通謀しているとは言っていませんよ。

 しかし少なくとも、竜殺しの動員を工夫すれば、

 石版の守りを手薄にすることはできたのです」


 なるほど、ゼピルの狙う誘導先が分かった。


 ソニアがドラグーンと通じていた可能性は低い。

 だが、竜殺しの出動をわざと遅らせ、敵軍を誘致することはできた。

 そして喉元を故意に喰い破らせて、魔吸血石を盗ませた。

 そう主張したいのだろう。


 しかし、ここでゼピルの話を断ち切る者がいた。


「可能性の話にすぎぬじゃろう。

 それで国賊呼ばわりとは……早計を通り越して愚昧じゃ。

 取ってつけたようなぶつ切れの推測じゃな」


 ヘラベリオだ。

 彼は辟易した様子で肩を竦める。

 そして猛禽類を思わせる鋭い視線をゼピルに叩きつけた。


「そんな欲望まみれの策謀に騙されるほど――儂らも馬鹿ではない」


 中立派の最大勢力であるヘラベリオが、痛烈な反論を加えた。

 この波及効果はやはり大きい。

 説明に耳を傾けていた中立派の商王たちも、ゼピルに猜疑の目を向けた。


 しかし、この状況でもゼピルは余裕の表情を見せる。


「では、その『ぶつ切れの推測』を綺麗につなげてみせましょう。

 しばしの間、ご静聴くだされ」


 そう言って、ゼピルは親王国派とヘラベリオを睨めつけた。

 そして静かになるまで一言も発しない。

 この状態で騒ぎ立てても、親王国派の心証が悪くなるだけだ。

 王国寄りの商王たちは一旦口を閉ざした。


「ご協力に感謝を。では、続けます」


 大広間を見渡した上で、ゼピルは話を再開する。

 ゆっくりと席を立ち、円卓の周りを歩きながら説明した。


「海に堕ちた黄金竜ですが――

 潮の流れを計算に入れれば、漂着箇所もある程度は操作可能です。

 それに加え、黄金竜の肉体から発せられる魔力を頼れば、容易に見つけ出せてしまいます」


 これを皮切りに、ゼピルは次のように続けた。


 連合国の海域から物が流れれば、必ず王国の南部に漂着する。

 そして海に沈んだ黄金竜は、その肉体から大量の魔力を放射。

 その魔素は海の汚染を引き起こし、必ず領主の耳に入るのだ――と。


 そして、ゼピルはアストライト家へと話を移行していく。


「そして知っての通り、ソニア殿の家は王国と懇意だ。

 もしかの国が、”偶然にも”流れ着いた遺失物を決死の思いで届ければ、喝采せざるを得ない。

 心臓を縛られた方たちは大いに喜び、王国に思いが傾くでしょう」


 なぜ魔吸血石が奪われ、商王議が開かれ、このような状態になっているのか。

 それを一つ一つ踏まえながら、ゼピルはここまで話をつなげてきた。

 もはや何を言いたいのかは明白。


 トドメとばかりに、ゼピルは最後の誘導尋問をソニアに仕掛けた。


「ここまで来て――おかしいことに気づきませんか?」

「ちっ……違います!」


 ソニアは即座に反駁し、ゼピルの主張を折ろうとする。

 だが、ゼピルは何者も寄せ付けず毅然として言い放った。


「石版が強奪されたのは必然。

 遺失物として王国に届くよう仕向け、自作自演の返還を演じたのです」


 パズルのピースは埋まった。

 確かに、今の一連の流れはありえない話ではない。

 ソニアが本気でこの連合国を潰そうと思えば、実際にできたことなのだ。


 一度可能性が生まれれば、人はそれを否定し切ることができない。

 恐怖と警戒の念を瞳に宿しながら、ソニアを見つめる商王が出てきた。

 発言は控えろと言われていたが、そろそろ限界だ。


「――違うな」



 俺は席を立ち、ゼピルに言い放ったのだった。




     ◆◆◆




 その瞬間、こちらに全ての商王の視線が集まった。

 ここまで来たんだ、後戻りはできないし、しようとも思わない。

 俺は全力で宣告した。


「今の説明には、あまりにも無茶がある」


 ゼピルに正面から向き合おうとする、

 しかしその寸前、辺りから非難の視線が飛んできた。

 俺はすぐさま原因に気づく。


「……失礼。無茶があるのです」


 意識していないと、すぐに取り繕った敬語が剥がれ落ちてしまう。

 俺の訂正に対し、ヘラベリオがフォローを入れてくる。


「よい。歯切れの悪い口調よりはマシじゃ、看過する」

「いえ、私が無礼でした。改めます」


 中立派の心証を良くしなければならないのだ。

 機嫌を損ねる要素は一つでも多く摘み取っておきたい。

 俺は軽く咳払いし、改めて円卓に向き合った。


「まず、黄金竜について一つ。

 そしてソニアさんに関して決定的なものが一つ。

 ゼピル氏の述べた説明には、おかしなところがありました」


 彼女を擁護しながら、ソニアに疑いの念を持った商王と目を合わせた。

 発議された以上、どうあっても投票は行われる。

 ソニアが解任され命を落とすことになれば、

 連合国どころか王国の命運も危うくなってしまう。


 だからこそ、こいつら中立派を一人残らずこちら側につけなければならない。

 俺はゼピルの唱えた説を槍玉に挙げ、一つ一つ崩していく。


「まず一つ目。

 潮流を考えれば、確かに黄金竜は王国の南部に辿り着くでしょう。

 しかし漂着するまでの間に、多くの不確定要素が介在します」


 そして俺達は、その不確定要素の多くを実際に見たのだ。

 俺は記憶を呼び起こしながら解説を続ける。


「実際に私達が引き揚げた時、黄金竜を探すため多くの竜騎士が海域を見回っていました。

 もし途中で発見されてしまえば、その場で回収されて敵の手に渡ってしまいます」


 そうなれば最悪だ。

 その場で砕かれて商王が皆殺しにされるならまだいい方で、

 石版を盾に脅迫されれば国が大分裂を起こしかねない。


 連合国が散り散りになったところを、

 ドラグーンキャンプに制圧されるのがオチだろう。


「その上、黄金竜の魔力に釣られて海底の魔獣が寄ってきます。

 王国側が引き上げる前に全て食いつくされていた場合、回収するのは不可能です」


 事実、黄金竜は魔力によって海の汚染を引き起こした。

 そのおかげで石版を発見するに至ったのだ。

 だが、同時に海底に潜んでいる協力な魔獣すらも呼び起こしてしまった。


 確か、海底蛇とやらだったか。

 あと少し引き揚げるのが遅ければ、石版ごと奴の餌になっていたことだろう。

 これらを踏まえて、俺は断言する。


「ここまでの不安要素がありながら、

 王国に届けてもらうために竜騎士を誘致するとは考えにくい。

 そうは思いませんか?」


 これで、ゼピルの説明した中で出てきた方法は崩せた。

 残るは動機を完全否定してやれば、全ての疑いは霧散する。


「そして、あと一つ。

 これは皆さんご存知のとおりだと思いますが。

 ソニアさんにはそのようなことをする理由が――全く、断じて、一つもないのです」


 多くの商王が分かっていると思うが、彼女はとても心優しい人物である。

 裏表も感じられず、態度や姿勢は誠実そのもの。

 父親の評判が高かったことからも、アストライト家が反逆するなど考えられない。


 しかしここでは、もっと現実的な面から動機に迫っていく。


「その魔吸血石には、ソニアさんを含むアストライト家の心臓も結び付けられています。

 石版が壊れてしまえば、当然のことながら死に至る。

 先ほどゼピル氏が述べた芝居を演じるには、あまりにもリスクが高過ぎるのです」


 これに関しては、もはや説明不要なレベルである。

 そもそも、自分の命を敵の手に渡し、

 それを撃墜させて海をどんぶらこと漂わせるなんて、打算的な人間がやるわけがない。


「以上のことから、ゼピル氏の話は言いがかりにすぎません」


 俺は全員に向かって宣告した。

 明らかに場の空気が変わったのを感じる。

 最後の牙城を崩した今、もはやゼピルに手は残っていないはず。


 だが――


「王国の使者殿……実に素晴らしい反論だ。

 私めに反駁する方は、これくらい筋道立てた話をしてもらいたいですなぁ」


 その口元が醜悪に吊り上がったのを、俺は見た。

 ここで噛み付かれることを予想していたか。

 いいだろう、反論があるなら相手をしてやる。


 ゼピルは頬を掻くと、残念そうに微笑した。


「まったくもってその通り……と申し上げたいところですが――

 今貴殿が上げたことは、両方とも説明がつくのです」


 ずいぶんと自信に満ち溢れてるな。

 俺もあまり難しい話にはついていけないが、この程度の論戦であれば対応できる。


 考えられる可能性を全て検証したが、

 ソニアが連合国を潰そうとするという結論には至らなかった。

 俺の論拠を――崩せるものなら、崩してみろ。


「まず前者ですが……正直に申しましょう。

 ソニア殿からすれば、どんな形の結末を迎えても良かったのですよ」

「どんな形の結末、というのは?」


 妙なことを言っていないか、ゼピルの発言を全て脳内で討論していく。

 そんな俺の問いに対し、ゼピルはすぐさま答えてきた。


「どんな結果になってもいい、ということですよ。

 竜殺しに回収されるもよし。

 王国が引き揚げるもよし。

 魔力に釣られた魔獣に石版を噛み砕かれるもよし――」


 俺がさっき挙げた可能性を全て包括してくる。

 その上で、ゼピルはとんでもないことを言い出した。


「結局――多くの商王が命を落とされるだけでしょう?

 どの結末を迎えても、ソニア殿本人には何の実害はないのです」

「…………なに?」


 俺は言葉を喉につまらせた。

 反論に困ったからではない。

 ゼピルの言っていることが、あまりに無茶苦茶だったからだ。


 こちらが積み上げた前提を全て無視している。


「……聞いていませんでしたか?

 言いましたよ、ソニアさん自身の心臓も石版と運命を共にしてるって」

「それが――結び付けられていないんですよ」


 ゼピルはなおも言い切ってくる、

 無茶なことを口にすれば、信用を損なうというのに。

 だが、ゼピルは揺らがない。


 こちらの追及に対し、奴は凄絶な笑みを浮かべたのだった。


「王国に擦り寄るアストライト家は、

 初代の頃より裏切り者の家系なのですから――」




     ◆◆◆




 礼を逸した発言。

 何を途方もないことを言っているのか。

 肩をすくめて、俺は反撃の言葉を組み立てる。


 だが、ゼピルが声を発した刹那――

 ソニアがビクンと肩を震わせたのだ。

 その震えは止まらず、彼女の全身に強張りが広がっていく。


「……ソニアさん?」


 小声で声をかける。

 だが、彼女に反応はない。

 ただ、俯いて震えているだけだ。


 気にかかるが、ゼピルから気を逸らすわけにはいかない。

 奴に目線を戻した瞬間、耳にソニアの声が届いてきた。


「……ごめんな、さい」


 それはとても小さく、儚く、絶望に満ちた一言。

 俺の他には、誰にも聞こえていないであろう、ひどくか細い声。

 まるで罪を犯した者が、許しを請うているかのようだった。


 視界の端に、彼女の頬から伝い落ちる液体が見えた。

 ……なぜ泣く? なぜ謝る?

 まだ処刑が決まったわけではない。

 むしろ、失言を誘ってゼピルを追い込むことが可能な状況だというのに。


 明らかに、ソニアは何かに怯えている。

 不審に駆られ、俺が彼女の肩に手を置こうとした瞬間―― 


「知っての通り、私は古物商をやっていましてね。

 こういった、遺失した書物なども取り扱っているんです」


 ゼピルは懐から一つの巻物を取り出した。

 見たことはない、しかし既視感がある。

 俺は無意識に、自分の胸のあたりを押さえていた。


 その内側に入っているのは、アレクから託されたボロい書状。

 そうだ……ゼピルの持つ巻物に、ひどく似ている。

 何も関連がないとは思えない。


 ゼピルは巻物を丁寧に開き、全商王に見えるよう晒した。


「連合国が建国された時の書状です。

 その際、商王同士で取り交わした書状にこんなものがあるのですよ」

「……なに!?」

「建国時の書状だと……!?」


 商王たちはざわめきながら書物を見つめる。

 その中でただ一人、ソニアは俯いていた。

 それを無視し、ゼピルは書状の内容に言及していく。


「書状の名は『連合血判・後篇』。

 十八の初代商王が連合国を作った時、結束を誓った文言が書かれています」


 書状にはおびただしい量の文字が走っていた。

 長い文章だが、最後の章末を見れば要旨は見て取れる。

 その部分をゼピルは朗読してみせた。


『商人の理想郷を作り上げる――その信念の元、我ら18の商家は結束する。

 心の臓を束ね、血を一つにし、

 災禍の駆逐と連合体の栄華に、統一された”心血”を注ごう』


 それは連合国が産声を上げた時、全商王が発した誓い。

 読み上げた後、ゼピルはその真横に指を滑らせた。

 そこには全て形の違う押捺がある。


 書状が古いため見難いが、黒ずんだ色から言って血判だろう。

 血を朱肉代わりにすることで、魔力や意志を残すことが可能になると聞いたことがある。


「最後に十八の印章がそれぞれ押してありますね。

 これは創始時の商王たちが用いた紋章です」


 下調べのおかげで、どの押捺がどの家のものか理解できた。

 しかし、いくつか見覚えのないものがある。

 あれは恐らく、連合国の変遷の中で消滅した商王の紋章なのだろう。


「もちろん、紙も押印も偽造ではありませんよ?

 初代より続く家の商王方に、ご確認願いましょう」


 ゼピルは中立派や親王国派の商王に印章を見せる。

 いずれも初代から続く家の商王だ。

 彼らは慎重に検分した後、重々しく頷いた。


「……間違いはないようだな」

「そして、見て頂きたいのは次の文です」


 ゼピルは親王国派の商王の疑問を打ち切った。

 そうだ、考えてみれば、なんでゼピルがこんなブツを持ってるんだ。


 ゼピルのデュラニール家は勢力こそ最大クラスだが、その歴史は非常に浅い。

 勃興はせいぜい数十年前で、帝国の息がかかった新興商家のはず。

 連合国創始の重要書物など、持っているはずがないのだ。


 全員が感じるであろう疑念を無視し、ゼピルはさらに指を滑らせた。


「冒頭の後には、各初代の商王が声明を直筆にて記しております。

 ではヘラベリオ殿、こちらをご確認ください」


 そう言って、ゼピルは巻物の中ほどを見せた。

 そこにはヘラベリオの先祖――初代ギルディア家当主の遺した直筆文が書かれている。


『一族を率い、連合に加われることを誇りに思う。

 我がギルディア家は血と鉄によって鍛え上げ、いかなる時も中立を貫き、

 恩義のためには何事も厭わず、この国を守り続けることを宿星に誓わん』


 本当に、初代の頃から中立を守り続けようとしてたんだな。

 掠れかかった文章だが、意志の強さが文字から伝わってくる。

 文の最後には、ギルディア家の押印がされていた。


 それを見ては、ヘラベリオも頷くしかない。


「そうじゃのぉ……確かにこれを書いたのは初代様じゃろうて」


 ヘラベリオの返答に、ゼピルは愉悦の笑みを浮かべる。

 ここまで来て、書物の真偽を疑うものはいない。

 明らかに本物だ。


 その認識を確固にした上で、ゼピルは高らかに声を上げた。


「では、最後にアストライト家の初代当主が書いたものを御覧ください」


 そう言って、彼は書状のある位置を指さした。

 連合国の黎明に当たり、ソニアの先祖が書き遺した文字だ。

 非常に繊細で、悲しげな文章が、そこには綴られていた。


『これより続いてゆく我がアストライト家は、恥の家であります。

 十八の契約に添い遂げずして、その末席に名を連ねることになるのです。

 この血脈の石が砕ければ、友らの血族が皆死に絶えてしまう。

 しかし、そんな時すら我が一族は浅ましく生き残るのです。

 これを恥と言わずしてなんと言いましょう――』



「…………ッ!」



 それを読み終えた時、全ての商王が絶句していた。

 俺も例外ではなく、組み上げていた思考回路が真っ白になる。


 どよめく大広間の中央で、ゼピルは宣言した。



「ここに書いてある通り――

 魔吸血石に掛けられた契約魔法に、アストライト家は入っていないのです。

 分かって頂けましたか? ソニア殿の一族が、裏切り者であるという事実を」



 ゼピルは巻物を指し示し、

 悪魔のような笑みを浮かべたのだった。




      ◆◆◆




 文章の最後にはしっかりと血判が押されている。

 偽造の痕跡はどこにもない。

 ゼピルは巻物を仕舞い、粘ついた口調でソニアに詰問しようとする。


「一家だけ免れていたこと、必ずや跡継ぎに口伝していたはずです。

 知らなかったとは言わせませんよ?」


 圧力を掛けるためか、ソニアの真近くに来ようとする。

 だが、そこで俺が間に割り込んだ。

 これ以上、こちらの大将に圧力はかけさせない。


 しかし、ゼピルの問いは俺を含め、

 この場の全員が知ることを欲していることだ。

 仕方がない――俺は可能な限り刺激しないよう尋ねた。


「知っていたんですか? ソニアさん」


 辛いとは思うが、ここは答えてもらいたい。

 こんな事実を隠していたのは、俺としても想定外だった。

 言ってくれていれば、カバーする証拠を用意できなくても、心の準備くらいはできたのだ。


 しかし、ソニアが意味もなく隠していたとは思えない。

 自分が不利なようになる状況を、放置しておく理由は皆無。

 それに――彼女は俺達に対し、一度として嘘をついたことはないのだから。


 数秒の後、ソニアは俺の問いに対しコクリと頷いた。



「…………ごめんなさい」



 その瞬間、大広間の雰囲気が一変した。

 ソニアに肩入れしようとしていた中立派の気配が、急速に遠のく。

 そんな中で、俺は歯を軋ませていた。


 ソニアがこの事実を伏せていた時点で致命的だった。

 しかし、どこかで気づけるチャンスがなかったわけではない。

 思えば、最初にソニアと邂逅した時、その片鱗はあったのだ。


 俺は石版について、彼女に聞いた時のことを思い出す。


『もし魔吸血石が砕けると、他の商王だけでなくソニアさんも絶命してしまうんでしたよね』

『………………ぁ。ぇ、えと』


 あの時の、すさまじく動揺した挙動。

 そして返答どころではない身体の震え。

 きっとあれは、嘘をつくことを嫌うソニアが、精一杯見せた本心だったのだ。


 考えてみれば、彼女がなぜ事実を明かさなかったのかも察しがつく。


 後ろ暗く、それでいて重大極まりない機密事項だ。

 もし漏洩することがあれば、アストライト家への信頼が大きく揺らぐ。

 そのために、恐らくは後継者――ナッシュにしか教えてこなかったのだろう。

 だとすれば、ソニアが誰に喋ることができなかったことにも説明がつく。


 泣きじゃくるソニアを見て呆気にとられる商王たち。

 しかし、まだ反論できる余地がある。

 俺は全ての商王に聞こえるよう言い放った。


「待ってください。

 ソニアさんが一人だけ契約の括りから外れていたとしましょう。

 でも、それを利用して石版を壊せば、味方の商王まで亡くなってしまうんですよ?」


 考えてみれば当たり前のことである。

 たとえ自分だけが助かったとしても、それがプラスに働くとは限らない。


「合議制を採る連合国においては、派閥の確保が最重要。

 そんな中で味方を葬っても、何の得にもなりません」


 言いつつ、俺はゼピルら親帝国派に視線をやった。

 慎重に整理していけば、これで一番得をするのは親帝国派なのだ。


 石版が砕けると、ソニアを除く全ての親王国派と中立派が消え去る。

 あとは残ったソニアを数の暴力で圧倒すれば、思うがままに国を操れるのだ。

 こんな未来が待っている中で、アストライト家が暴挙に及ぶはずがない。


 だが、ここでゼピルが待っていたとばかりに宣告してきた。


「いいえ、それが得をするのですよ。

 商王が死去し、ふさわしい後任が見つからなかった場合、

 各都市の商王職は筆頭商王が兼任することになっているのです」

「――――ッ」


 俺は舌打ちをした。

 そんな制度があるだろうな、ということは予想できていた。

 だからこそ、後任がすぐに見つかる前提で話を進めていたのだ。


 しかし、魔吸血石が契約で縛っているのは血縁のつながる一族。

 もし石版が砕けて商王が死ねば、跡継ぎになり得る人物まで死に至る。

 ゼピルはそのケースについて言及しているのだろう。


「一族ごと商王を殺し、空位となった都市をアストライト家が手に入れる。

 あとは息のかかった商人を押し上げて各都市の商王にすれば、

 今までにない最大派閥ができあがる――

 これでもまだ、ソニア殿に得がないと言い切れますかな?」


「…………」


 当然のことだが、連合国の規則を熟知してやがる。

 ただの可能性の話に過ぎないが、

 これに対する論拠を今すぐ提示することはできない。

 俺は一旦発言を止める。


 すると、ここで中立派の商王が声を上げた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。

 ソニア殿が契約に入っていないことは理解した。

 しかし、なぜその事実が他の家には伝わっていないのだ……?」

「少し考えれば分かるでしょう。

 一方的に他の十七家の商王の命を握っていたのですよ?

 後世に伝えるな、と脅して口止めさせたと考えるのが自然です」


 ゼピルは平然と答えてみせる。

 だが厳密に言えば、その理屈はおかしい。

 十七家の命運を握っていたとしても、

 今までアストライト家がそのことをチラつかせて脅したことはなかった。


 本当に邪気があるなら、口止めなんてしなくていいのだ。

 全商王の次代へ伝えさせて、

 アストライト家の権威を知らしめた方が圧倒的に有用なのだから。

 

 俺はゼピルの発言を嘘と断ずる。


「……そんなのは、詭弁だ」

「では、私の論拠を崩すだけの証拠をお持ちで?」


 ここに来て、ソニアの致命的な負い目が発覚。

 これをカバーできるだけの情報はさすがに持ち合わせていない。

 だが、まだ終わったわけじゃない。


 考えろ――冷静に思考を回せ。


「以上で、先ほど弾劾された『ぶつ切れの推測』とやらがつながりましたなぁ」


 中立派の商王たちを煽動するかのような口調に切り替える。

 その上で、ゼピルは話の要点をまとめて結論に入ろうとしていた。


「石版が奪われるか砕かれるかすれば、手を汚さずして商王を抹殺できる。

 王国に拾って届けてもらえれば、かの国とさらなる接近が可能になり絶大な利益を得る。

 先ほど私の言った通り、アストライト家だけが一人勝ちをする筋書きだったのです」


 騒然としていた大広間に、いつの間にか静寂が訪れつつあった。

 中立派は困惑した様子でソニアを見つめている。


 心情と経歴、そして議題の重大さを鑑みれば、

 慎重を期して彼女に味方するのが常道のはずだ。

 しかし、他の商王がソニアを裏切り者と判断すれば話は別。

 その疑念を払拭したいところだが、ゼピルの証言が否定できない。


 利害関係を考えれば、ゼピルに味方する中立派はいないはず。

 だが、商王からすればソニアも信用しきれない状態だ。

 投票の棄権を行う可能性が高い。


 中立派が味方してくれなければ、

 親王国派は人数差で競り負けてしまうというのに――



「…………」



 今こそ、開くべき時なんじゃないか。

 懐で眠っている、借り受けた書物を。

 アレクは言っていた。


 『何をどうしても解決できない窮地に立たされた時』

 そんな時に、この書簡を紐解けと。

 きっと彼女は、心のどこかでこの状況を見通していたのかもしれない。


「……ウォーキンス」


 念のため、背後のウォーキンスに確認を取る。

 今まで沈黙を保っていた彼女だが、俺の無言の視線に頷きで応えてくれた。

 ここはアレクと、彼女をよく知るウォーキンスを信じるほかない。


 よし――行こう。

 俺は全商王に声をかける。



「少し、聞いてください」



 アレクが直々に用意してくれたんだ。

 きっとこの書簡は、役に立ってくれるはず。

 この窮地をひっくり返すため、俺は懐に手を突っ込んだ。


「実は、こういう書物を――」

「では、これより審議に入ります」


「……なっ!?」


 俺が切り出そうとした刹那、ゼピルが鋭い声で遮ってきた。

 俺が動いたのを見て警戒したのか。

 反撃される前に、投票に移ろうとしているんだろう。


 だが、ここで折れるわけにはいかない。


「ま、待て! 俺はまだ――」

「静粛に、これは我が国の問題。部外者は口を挟まれなさるな」


 俺を指さし、苛烈な声で制止してくる。

 一言の発言も許さない勢いだ。俺はゼピルを睨みつけた。


「部外者……だと?」

「ええ。連合法規において、

 商王議は『秘密会であり商王以外の在席を禁ずる』と定められております。

 今までは黙認しておりましたが、恩義ある方とはいえ部外者は部外者。

 これ以上の詮索は退場願うことになりますが?」


 ソニアがなるべく喋るなと言っていたのは、このせいだったのか。

 本来ならば出席すら睨まれるところを、彼女がねじ込んでくれていたらしい。

 これ以上の無茶をすれば、この場にいることすら難しくなってしまう。



「だけど――」



 ここで引き下がるわけにはいかない。

 俺は退場を命じられるのを覚悟で、食い下がろうとした。

 だが、ここで誰かに肩を掴まれる。


「…………ッ」


 そして強い力で引き止められた。

 見れば、商王議の開始から一切の反応を見せなかったバドが、俺の背後に立っていた。

 その上で、俺だけに聞こえる小声で囁いてくる。


「……大丈夫だ、言っただろ。

 テメーの力が必要なのはもうちょい後だ」

「……何か策があるのか?」

「……まあ、ここは俺様に任せてくれや」


 この苦境の中、バドの声は自信に溢れていた。

 しばらくの逡巡の後、俺は無言のまま着席した。

 ゼピルは興味をなくした顔で自分の場所へと戻っていく。


 どうやら、食い下がる俺を退場させる腹づもりだったらしい。

 それが不発に終わった今、ゼピルは予定通り事を進めようとしているのだろう。

 商王全員に投票用紙が配られていく。


 ソニアは目の下を赤く腫らしていた。

 見ているだけで痛々しく、胸が痛い。

 だが、それでも彼女は商王。

 最後まで職務を全うせねばならない。


 しかし、そんなソニアをさらなる絶望に叩き落とす声が円卓に響き渡る。


「すまないソニア殿……私には、どちらが正しいのか、断ずることができない」

「我はどちらにも票を入れぬことにきめた」

「同じく……許されよ」


 無言のヘラベリオを除く全ての中立派の商王が、投票放棄を予告したのだ。

 ゼピルは悦びを隠せないらしく、口の端が歪に吊り上がっていた。


「それではソニア殿。最後に何か言いたいことは?」


 ゼピルは皮肉げにソニアへ尋ねた。

 死体撃ちもいいところだ。

 憔悴しきったソニアは、生気のない表情で呟いた。


「……信じてください、としか言えません」


 しかしそんな彼女と裏腹に、中立派は難色を示すばかり。

 陰鬱な空気が渦巻く中で、ゼピルの声だけが愉楽に満ちていた。


「では、『ソニア殿の商王解任と処刑』について採択を開始しましょうぞ」


 その掛け声を切っ掛けに、全ての商王が投票を行う。

 紙に賛成か否か、あるいは放棄かを書くのだ。


 緊迫した空気が流れる中、背後から声が聞こえた。



「――罪なもんだぜ」



 バドが全員に聞こえる声で呟いたのだ。

 投票途中の商王――特に親帝国派が彼を睨みつける。

 その瞬間、バドは口を閉ざした。


 商王たちはすぐに投票へ意識を戻す。

 残酷にも、その記入はあっという間に終了する。


「では、集計致します」


 票を完全に読んでいるのだろう。

 ゼピルは得意気に全員の紙を手早く集める。

 そしてそのまま結果を見るかと思いきや――


「読み上げをお願いします、ナッシュ殿」


 束ねた紙をソニアへと渡した。

 明らかにあてつけだ。

 どこまでも彼女を苦しめたいらしい。


 目の前に紙束が置かれた瞬間――

 ソニアは恐怖で全身を跳ね上がらせた。

 彼女の手は震え、目には絶望の色が浮かんでいた。


 公開処刑を自らの手で執行しなければならない。

 ソニアは票を受け取ると、恐る恐る読み上げ始めた。


「ま、まずは……投票放棄ですが、7票です」


 7票が無効。

 この時点で、こちら側の不利は確定。

 7票を引いた残りの11票は、もはや言うまでもない結果だからだ。


 王国派の4票。

 帝国派の6票。

 中立派の1票――恐らくはヘラベリオだろう。


 彼がこちらに投じてくれていても、帝国派の票数には届かない。



「つ、次に……私の商王解任に反対の方は――」



 これが六票であれば、ソニアの処刑は免れる。

 俺は天に祈る思いで拳を握りしめたが――




「――五票です」




 ソニアは涙を零しながら宣告した。

 親王国派の商王は顔に絶望の色を浮かべる。

 この時点で、こちらの敗北が決定した。


 反対に、親帝国派の商王たちは満足気に頷いていた。

 カタカタと震えるソニアに、ゼピルは賛成票の開示を促す。

 完全な死体蹴りだ。ソニアは半ば放心した様子で票を数えていく。


 だが、そこで彼女の瞳に困惑の光が宿った。


「あれ…………?」


 見間違えかと思ったのか、再び票を1つずつ確認していく。

 その行動に全商王が首を傾げる。

 賛成票を含め、全てを開き終えたソニアは引きつった声を出す。


「……1票、足りません」


 その発言に大広間がざわつく。

 もう一度確認しろと、何人かの商王がソニアに詰め寄る。

 高圧的な態度に対し、ソニアは怯えながら呟く。


「賛成の票も……5票しかないのです」

「なにぃ?」


 ソニアが票を広げてみせる。

 確かに、全部で十七票しかない。


 このうち投票棄権が7票。

 解任と処刑への反対が5票。賛成が5票。

 この得票では、最終的な結果が分からない。


 これを見て、ゼピルの横にいたアヴァロが怒鳴り散らした。


「貴様、死を恐れて破り捨てたのではあるまいな!」

「そ、そんなことはしません……!」


 ソニアは必死で否定した。

 さすがにアヴァロの疑念には無茶がある。

 票をゼピルに渡されてからは、ソニアの一挙一投足に全商王の視線が集まっていた。


 下手な行動をすれば一発で露見してしまう。

 俺の目から見ても、ソニアに不審な素振りはなかった。

 だとしたら、ゼピルの仕業か?


 とっさに彼へ視線を移すが、彼は顎に手を当てて周囲を見渡していた。

 原因を探っているようにみえる。

 どうやら奴の企みではないらしい。


 場が騒然を極める中、涼やかな声が通り抜けた。


「勝ちを盲信するあまり、基本的なことを見誤る。

 ――かっこわりいなぁ」


 その一言で、商王たちがこちらを見やる。

 今のは俺が言ったのではない。

 バドが嘲るように呟いたのだ。


 二度目の割り込みに、アヴァロが青筋を立てて確認する。


「……喋るな、と使者殿に告げたはずだが?」


 だが、バドは肩をすくめて批判を受け流す。

 そして商王たちの手元へ焦点を移し、皮肉げに笑う。


「よく見てみな、集計の時に渡してなかった奴がいるぜ」

「や、やかましい! 貴様は黙っておけ!」


 一喝されると、バドは余裕の表情で黙り込んだ。

 焦燥を顔に浮かべるアヴァロは、辺りの商王を注視する。

 そして一人だけ、商王の中で浮いている人物を見つけた。


「――どうされた、ザナコフ殿」


 アヴァロの声に釣られ、ザナコフを見る。

 彼は身体を震わせ、右の拳を握りしめていた。

 顔には脂汗が浮かび、渋い顔で歯を食いしばっている。


 ザナコフはアヴァロと並んで親帝国派の実質的なNo.2。

 年齢的にはザナコフの方が上なので、アヴァロは恐る恐る心配する。


「ひどい汗だ……具合が悪いのですか?」


 同志の異変を慮るアヴァロ。

 だが、彼はその時あることに気づいた。


「ザナコフ殿……それは――」


 見れば、ザナコフの拳から紙片が見えていた。

 爪が食い込むほどに握りこんでいるため判別が難しい。

 しかし紙質を確認すれば、それが投票用紙であることは一目瞭然。

 辺りの親帝国派がざわめき立つ。


「……なぜまだ持っておられるのです?」

「処刑に賛成票を投じたのでしょう?」

「早くお見せください」


 その一票で、親王国派にトドメを刺せるのですから。

 彼を取り巻く商王はそのように締めくくった。


 票が足りない原因が分かり、安心した様子だ。

 ゼピルやアヴァロを筆頭に、親帝国派は胸を撫で下ろした。

 歯を噛みしめるあまり、ザナコフは口の端から血を垂らしていた。


 しかし意を決したようで、彼は票を白日の元に晒す。

 そこにはザナコフの確固たる意志が書かれていた。



「――許せ、ゼピル」






 商王ザナコフ――【反対】






 凍りつく大広間。

 全商王の表情は硬直し、完全に固まる。


 場内が大紛糾する寸前。

 魔素映写機を片手に哄笑するバドの声を、俺は確かに聞いたのだった。




「――やられっぱなしでいると思ったのか、馬ァ鹿」




次話→3/8

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