第六話 高らかな凱旋
「――ォオオオオオオオオオオオオオオオ!」
ザステバルデは目を血走らせて咆哮する。
その気迫に応えてか、苦しんでいた彼の竜が平常を取り戻した。
そして人竜一体となって進撃してくる。
「無駄よ。この無敵の魔法弾があるかぎり、近づけさせないわ」
ランカが落ち着いて照準を定める。
一斉砲撃でザステバルデを討ち取る構えだ。
いかに猛ろうと、いかに速かろうと、単騎では限界がある。
ランカが砲撃の指示を出そうとした刹那――
「我らだけ逃げるわけにはいかぬ……!」
「翡翠の騎士として、団長に添い遂げよう!」
「せめて、あの船だけでも――ッ」
何人もの竜騎士が、弾幕を無視して突っ込んできた。
いずれも翠竜に乗った騎士たち。
ザステバルデの部下だろう。
ざわめく船員に対し、ランカは涼しく声をかける。
「落ち着きなさい。
雑魚は他の艦が迎撃するわ。
私達はあの師団長だけ狙えばいいの」
そう言って、乱れ飛ぶザステバルデを牽制して追い詰めていく。
ドラグーンの種族能力に持続性はなかったはず。
体力が切れ、魔法弾が直撃するのは時間の問題だ。
俺とウォーキンスが戦況を見守っていると、
横から張り詰めた声が聞こえてきた。
「伏せな――レジス、嬢ちゃん」
とっさの反応。
瞬発的に、俺とウォーキンスは頭をかがめた。
その頭上を、風切り音を立てて何かが通過する。
慌てて確認すると――鋭利な短剣だった。
俺は投げた人物を横目で批難する。
「いきなりどうした……バド」
手傷を負っているバドが、渾身の力で短剣を投擲していたのだ。
溜め息を吐くが、彼は悪びれた様子がない。
ある一点を冷めた目で見つめているだけだ。
「なるほど、そういうことですか」
ここでウォーキンスが合点の行ったような顔をする。
おい、一人で勝手に納得するんじゃない。
俺はバドの視線の先を追う。
そして、気づいた。
よく見れば、バドが投げた短剣は壁に刺さって止まっているのではない。
壁の手前で宙に浮いて静止していた。
「……なんだ、これ」
警戒していると、止まっていた短剣が動いた。
放物線を描いて海へ落ちていく。
それと同時に、短剣のあった場所に異変が生じた。
壁の色彩が歪み、人の形を取り始めたのだ。
そしてあっという間に、一人の人物が現れた。
先ほどからそこにいたとでも言うように、悠々と壁にもたれている。
「私の擬態は探知魔法すら欺くはずだが。
よく気づいたな――バド・ランティス」
聞き覚えのある声。
そして見覚えのある黒装束。
つい先日にソニアの商館で戦った、漆黒の竜騎士だ。
ウォーキンスでさえも接近に気づけなかったとは。
特殊な魔法か……それに準ずるものを使ってやがるな。
危ないところだった。
「いきなり短剣を投げつけるとは、剣呑極まりない。
私でなければ死んでいただろう」
竜騎士はやれやれと首を鳴らす。
怪しい風体だが……確かこいつ、無翼竜空隊に所属しているんだったか。
バドが猛毒の血を注いで、脅している人物だ。
ぼんやりと空を見上げる漆黒の竜騎士に、バドは目を細めた。
「次に牙を剥いたら殺す。そう言ったはずだぜ?」
「勘違いするな、私は約定を違えぬ。
ここに来たのは闘うためでなく、ただの観戦目的だ」
竜騎士は淡々と答える。
確かに、武器を携帯しているようには見えない。
ただ、隠しているだけかもしれないし、
そもそも素手で常人を引き千切れる膂力があるので油断は禁物。
漆黒の竜騎士の言葉に、バドは口を曲げる。
「観戦だぁ?」
「ああ、目付け役を頼まれているのでな」
「……それを信じると思ってんのか?」
目付け役。
誰に命じられているのかは知らんが、胡散臭い仕事だ。
疑って掛かるバドに対し、竜騎士はため息を吐いた。
「私の無翼竜空隊が参戦しなかった事実が一つ。
そして私個人が暴れることができた中、貴様に気づかれるまで静観していた事実が一つ。
敵対心があるなら、貴様もろとも首を掻き斬っていたさ」
「ハッ、無理なことは口に出さねえほうがいいぜ」
淡白ながら勝ち気な事を言う竜騎士。
しかし、バドは肩をすくめてあざ笑った。
両者はしばらく睨み合っていたが、最後にバドが注意を飛ばした。
「見てるだけなら構やしねえ。
が、ちょっとでも変なことしたら、分かってんだろうな?」
「くどい。約定は違えぬと言っただろう」
そう言って、竜騎士は話を打ち切った。
姿を変えないようバドが釘を刺したため、彼はそのまま観戦に興じる。
不気味な輩だが……無害なら放っておいても問題はないだろう。
何かしでかせばバドが黙ってはいない。
とはいえ、一応警戒はしておこう。
漆黒の竜騎士は空を飛ぶザステバルデを見つめる。
そして見てられないと言いたげに深々と息を吐いた。
彼は辺りを飛び回る残党を眺めた上で、ボソリと呟く。
「……頃合いか」
意味深な言葉。
思わず身構えたが、漆黒の竜騎士は動かない。
ただ近くにいるランカに視線を注ぎ、声をかけるだけだ。
「先代と比べ、ずいぶんと劣化したな――大海賊よ」
「……なんですって?」
竜騎士の言葉にランカが反応する。
戦況は間違いなく、彼女の思い通りに進んでいるはず。
感情に任せて暴走しているザステバルデを、限りなく追い詰めている。
眉をひそめるランカに、漆黒の竜騎士は言い放つ。
「私の無翼竜空隊もそうだが、奴の師団とてしょせんは竜空隊の一つ。
その一隊にかまけていて、無敵の水軍とは片腹痛い」
あくまで、竜空隊の一つ。
その言葉を受けて、俺の脳内に嫌な予感が走った。
間違いなく、この戦艦たちを前にして多くの竜騎士団が退却したはず。
しかし、それはあくまで陽動で、
ザステバルデに目が向きやすいようにするための布石だとしたら?
彼に注意が集まったところで、
全部隊が反転して本懐を達成しようとしているのだとしたら?
胸騒ぎを感じ、俺はとっさに叫んでいた。
「――ランカッ!」
「ええ、分かっているわ」
俺の言葉に、ランカは頷く。
俺達はここから離れた商王船に視線をやった。
すると、その船の遥か向こうに何かが見える。
目を凝らすと、退却したはずの竜騎士が隊列を組んで飛んでいた。
口の中に炎を灯したまま急接近している。
「…………ッ!」
それが狙いだったか。
奴らはただ退却したのではない。
被害を抑える至善の策を取ったにすぎないのだ。
最低限の戦力を残し、ウォーキンスに乱された隊列を立て直すため戦線を離脱。
そして入念に獄竜炎の息を溜めたところで反転。
目標の商王船だけを集中攻撃して、大海賊の反撃を受ける前に退却する。
一見無謀に見えたザステバルデの突貫は、
この作戦の下敷きに過ぎなかったのか。
だが、ここで不敵に笑ったのはランカだった。
「得意げなところ悪いけど、これくらい想定しているわよ?
――全軍、砲撃中止ッ!
翠竜を迎撃する2隻を残して、他は商王船を狙う竜を攻撃しなさいッ!」
ランカの指示で、戦艦たちが砲撃を開始した。
稀代の天才発明家である初代ラジアスが発明した魔法弾。
その飛距離と精度は、ここから狙撃できる程に高性能だ。
ここから撃ち出された魔法弾は、
商王船の頭上を越えて竜騎士に襲いかかる。
相変わらず無茶苦茶な射程だ。
雨のような砲撃に、商王船を狙う竜空隊は難儀している。
これを見て、ランカは漆黒の竜騎士に声を返した。
「意表を突かれたのは認めるけど、
そんな策を強行しても自分の首を締めることにしかならないわ」
「それはどうかな?」
漆黒の竜騎士は淡々と聞き返す。
どうやら負ける気はさらさらないらしい。
彼は商王船を見つめた上で呟いた。
「砲撃を受けても、少数の竜は斬り抜ける。
商王船一隻を沈めるなど造作もない」
「――無駄よ」
多少の被害が出たとしても、
切り抜けた少数の竜が大将首である商王船を吹き飛ばす。
それこそが、襲撃してきたドラグーンたちの狙いだったのだろう。
しかし、ランカはその思惑を一刀両断する。
「あの商王にはウチが魔法弾を卸してるわ。
取り扱いの練度には差があるだろうけれど、
それでも数体なら自力で仕留められるわよ」
なんと、商王船に自衛能力があったのか。
よく目を凝らしていると、商王船の甲板に無骨な大筒が見えた。
それを動かしているのは、退艦騒ぎの時に見かけた船員たち。
小型船で、商王船に乗り込んでいたようだ。
「魔法弾は使うのに訓練が必要なのよね。
でも、ちゃんとした奴が使えばあの通り――」
ランカの腹心の部下が、商王船の大筒を起動させて迎撃を始めた。
やられっぱなしでいた商王船が、ここに来て自衛能力を全開にしたのだ。
猛反撃を受け、獄竜炎を撃とうとしていた竜は軒並み後退していく。
「…………ふむ」
この一連の流れを見て、漆黒の竜騎士は嘆息した。
「先ほどの文言、訂正しよう。
当代の大海賊頭領よ、貴様の統率と対応力には敬意を表する」
なんだ、いきなり認めてきたぞ。
手のひらをクルクルしすぎだろう。
お前の手首は全自動式の回転マシーンか何かか。
肩をすくめていると、漆黒の竜騎士が重く低い声を発した。
「だが――1つだけ質問だ」
「なにかしら」
大勝利を目前に控えたランカ。
そんな彼女に鋭い視線を叩きつけ、竜騎士は訊いた。
「その魔法弾とやらは――海中にも有効か?」
「…………ッ!」
ここで、ランカが狼狽の色を顔に浮かべた。
言うまでもなく、竜の本領は空である。
わざわざ海に入って戦う必要はない。
だが、それが完全に海の中であるなら?
野良の竜は海水を嫌うと聞くが――訓練や躾こそドラグーンの本領。
竜空隊直属の竜であるならば、海の中を潜行するのは不可能ではない。
ここで、今まで回避に徹していたザステバルデが突如として叫んだ。
「今だッ――! 船底を打ち砕け! 紫爪竜空隊!」
船底。
そこに風穴を開けられれば、船の構造上ひとたまりもない。
ザステバルデが大海賊の本隊を引きつけていた本当の理由。
それは、この乾坤一擲の奇襲のためだったのか。
戦場の空気が一本の糸のように張り詰めた。
商王船に乗る者達は死を覚悟したことだろう。
だが――
「なんだ、どうした……?」
数秒が経過しても、何も起きない。
ザステバルデが困惑の声を上げる。
「何をしている! 早く沈めろッ!」
ザステバルデは海中を見て怒鳴りつけた。
爆砕するはずの商王船は、攻撃を喰らうことなく迎撃態勢を続けている。
海域がざわめく中、ついにその原因が浮かび上がってきた。
「――――ッ!」
その光景に、表情を崩さなかった漆黒の竜騎士も呻く。
見れば、商王船の真下から傷だらけの紫竜が複数浮かんできていた。
竜騎士は海底に沈んだらしく、紫竜も喉を穿たれて絶命している。
「何が起きた……?」
焦燥するザステバルデと対照的に、
下手人と思われる人物は悠々と商王船に乗りこんだ。
「海に潜るな、魔族に喰われる――」
その手に握られているのは邪悪な三叉槍。
捻くれた角が鮮やかな青髪に映える。
海の種族ロギーが、辺りを飛ぶ竜騎士を見回しながら言った。
「どの大陸でも有名な話のはずだが、幼き頃に教わらなかったか?」
二重三重にも張り巡らされた襲撃作戦。
だが、最後の最後で想定外の事が起きた。
海に潜んでいたロギーが、飛び込んできた竜を皆殺しにしてしまったのだ。
なんで途中離脱したんだと思ったら、ロギーはこれを懸念してたのか。
彼女の先見の明には恐れ入る。
「――なッ、なんだこの種族は!」
「――殺せッ、殺してしまえ!」
しかし、ここまで来た以上、竜空隊も引き返せない。
戦いに殉じた仲間ごと焼き払おうと、遠方から獄竜炎を吐く。
「――ッ」
それを察知したロギーは即座に海深くへ潜る。
水の中に潜ってしまえば、獄竜炎といえども届かないはずだ。
しかし、ロギーのすぐ上に青い竜が舞い降りてきた。
「馬鹿めッ、深海が貴様の墓場だ!」
放たれる獄竜炎。
他の竜が吐く炎と違い、光線となって海面を貫く。
そしてあろうことか海中深くまで達した。
「はッ、魔力を込めた蒼炎は水では消えぬ! 海中で焼け死ぬがいい!」
ロギーがいた辺りを薙ぎ払った怪光線。
しかし次の瞬間、海中から何かが飛び出してきた。
「――ぐぉ!」
それは禍々しい形状の銛。
深海から放たれた一撃が、的確に竜騎士の喉元を貫いていた。
これを見て周りの竜騎士が戦慄する。
落ちてきた銛を回収するため、ロギーは海面へ浮上してきた。
「……海中にまで届く炎か。それだけは予想外だった」
彼女は憮然とした表情で空を見上げる。
ロギーの身体は火傷で真っ赤だった。
絨毯爆撃のような光線だ、さすがに避けきれなかったのだろう。
「――だが、同じ手は二度と食わん」
そう言って、ロギーは半身を捻って槍を握りしめた。
再びあの殺人投擲が繰り出される。
生命の危機を感じたのだろう。
竜騎士は仲間に怒号を飛ばした。
「くそッ、上空だ! もっと高いところから一斉に焼き払うぞ!」
ロギーの脅威を受けて、竜騎士が大空へ舞い上がる。
だが船から離れてしまえば、その体躯は魔法弾のいい的であり――
「今よ! トカゲ共の残党を海に沈めなさい!」
ランカの砲撃指示によって、大打撃を被ることになった。
商王船のみならず、大海賊本隊の魔法弾が降り注ぐ。
この猛攻を前にして、崩れていく竜騎士軍。
今度はハッタリではない、本当の退却だ。
それを見て取ったランカは、強欲に追撃指示を出した。
「まだよ! このまま進撃! 残存戦力を削りきりなさい!」
商王船と合流しつつ、残党を駆逐しようというのだろう。
だが、この状況を捨て身で止めようとするものがいた。
「――オオオオオオオオオオオオオオオッ!」
鼓膜を苛む魂の叫び。
上空を飛ぶザステバルデが執念の怒号を発した。
その声に反応して、彼の取り巻きである竜騎士たちも気勢を上げる。
「言ったであろう!
この身が砕け散ろうとも、貴様らを道連れにすると!」
退却する竜騎士の殿を務めて、玉砕するつもりか。
捨て身の攻撃は、文字通り何が起きるかわからない。
十分に警戒しておかねばならない。
しかし、ここでザステバルデの愛竜に飛び乗る者がいた、
その人物は死地へ向かおうとしていた同僚の肩に手をかける。
「――やめておけ」
漆黒の竜騎士だった。
俺は慌てて横を見る。
注意していたはずなのに、いつの間にか移動していたのか。
その隠密の徹底ぶりたるや、かつて戦ったシュターリンの比ではない。
ザステバルデは背後の同僚に怒声を浴びせかける。
「貴様は……ッ!」
血走った目。
ひどく立腹している様子だ。
今にも槍を振り上げそうなザステバルデに、漆黒の竜騎士は静かに告げる。
「一時の感情などで、拾える生を捨てるな」
「黙れッ! だいたい貴様、今まで何をしていた!? 言ってみろ!」
辛辣な詰問。
しかし都合の悪いことはスルーする主義なのか。
彼は無言で首を横に振った。
それを見て、ザステバルデは憤怒で声を震わせる。
「師団長の身でありながら、不戦を決め込んでいたな……ッ!」
なに?
あの男、上の方の地位だとは思ったけど、師団長だったのか。
まあ、一つの部隊を操ることができると考えれば、自然なところか。
ザステバルデの批難に対し、漆黒の竜騎士は面倒臭そうに反論する。
「私達はあくまでも暗殺専門。
闇に紛れて喉元を喰い破る、弱い者いじめの部隊だ。
戦争での活躍は期待するなと言っていたはず」
「詭弁を……竜王様への注進は避けられんぞッ!」
喉から肺にかけて出血しているのだろう。
ザステバルデは込み上げる血を吐き散らしながら叫んだ。
しかし、それに対する竜騎士の返答はぞんざいだった。
「やってみるといい。竜王は俺の意向を汲むだろうさ」
「なに……?」
「俺は竜王の味方であり、竜王は俺の味方だ。
同じ派閥に属しておいて、分からないとは言わせん」
「…………」
彼の叩き潰すような論調に、ザステバルデは押し黙る。
静かで淡々としているが、有無を言わせぬ圧迫感を持っていた。
竜騎士はトドメを刺すように力強く宣誓する。
「貴様もよく知っているだろう。
――このアドレイ・スケアリッド。
私怨や種族愛など、下らぬものでは動かん」
アドレイ?
あの暗殺特化の竜騎士、そんな名前をしてたのか。
無翼竜空隊の総帥アドレイは、
同じ総帥であるザステバルデを糾弾する。
「むしろ、そんな陶酔で兵を削られては迷惑極まりない。
自覚しているか? 貴様の持つ兵は、そもそも誰のものなのかを」
「黙れッ、戦わぬ兵に存在する価値などない! あってたまるかッ!」
今までになく感情的なザステバルデ。
どうやら双方は初対面というわけではないようだ。
むしろ昔から互いを知っていた間柄のように見える。
憤るザステバルデを制するためか、ここでアドレイははっきりと告げた。
「――撤退しろ、バルディ。
お前のような愚直な男でも、竜王には必要だ」
ひどく親しみを込めた呼び方。
その声は漆黒の竜騎士アドレイには珍しく、感情が篭ったものだった。
ザステバルデも反駁する声をなくしてしまう。
「…………」
両拳を握りしめ、耐えるように歯を軋ませるザステバルデ。
そんな彼に向かって、アドレイは穏やかに言い放った。
「それに、晩酌する相手がいなくては興ざめだ」
「………………チッ」
しばらくの黙考の末、ザステバルデは同僚の手を振り払った。
その上で、隣を飛んでいた部下の御する竜の背中にアドレイを移す。
そしてザステバルデは鋭く声を発した。
「――残存している竜騎士に撤退を伝える。貴様も手伝え」
「――引き受けよう」
意志が合致したところで、二人は撤退指示を発した。
そして飛び去ろうとする寸前、ザステバルデはこちらを振り返ってきた。
どうやらウォーキンスを睨みつけているらしい。
「……どれだけ長き年月が経とうと、この恥辱は忘れぬ。
いつか必ず、貴様を竜の餌にしてくれる」
羞悪に満ちた声。
しかし、ウォーキンスは一切表情を変えない。
しばらく睨めつけた後、ザステバルデは視線を移す。
「そして、そこの魔族。
此度はしてやられたが、この恨みは忘れぬぞ」
どうやらロギーも目の敵にしているらしい。
この海戦において、奴らの用意していた最後の策を打ち破ったのはロギーだ。
奴らからしてみれば、最大の敵に映ったのかもしれない。
「――海の哨戒部隊を徹底的に増やす。
次に海へ身を投じた時が貴様の最後だ」
そう言い残して、彼は竜を加速させる。
背後に漆黒の竜騎士アドレイを乗せて、追撃を振りきって行く。
「…………」
深手を負ったロギーだが、彼女は涼しい顔で言葉を受け流していた。
ザステバルデは同僚と共に空の彼方へ消えるまで、彼女に刺すような視線を向けていた。
こうして、二人の師団長の離脱により勝敗は決着。
海上が竜の血で染まる中、首都沖での激戦は集結した。
「敵――海域より撤退を確認しましたッ!」
団員の報告を受けて、ランカはニヤリと微笑む。
そして倉庫の鍵を取り出すと、船員へと放り投げた。
彼女は全ての戦艦を見渡して、満足気に頷く。
「被害は二隻、まあ上々な結果でしょ。
商王船に鎖をつなぎなさい。曳航するわ」
こうして、商王船は無事に救出された。
こちらの戦艦にも被害は出たが、速やかな退艦により被害は極小。
想像を絶する水平線の戦いは、大海賊の勝利に終わったのだった。
◆◆◆
「正直、死ぬかと思ったわ……」
鎖で船をつなぎながら、ランカは深い溜息を吐いた。
やっぱり、今回の戦いは想定をはるかに上回るものだったらしい。
「一部隊で街を消し飛ばせるトカゲ共が七部隊よ、七部隊!
ご先祖様でも三部隊が最多だったのに……誰よ、あんなの呼びつけたのは」
一番知ってるのはランカなんだよなぁ。
商王ゼピルが金と情報を積んで動かしたんだっけか。
こんなのを知ってたら、そりゃあ親王国側の仕事を受けるのも躊躇するはずだよ。
「まあ、いいわ……トカゲの駆除ができて私としては満足だったし」
そう呟いて、ランカは商王船を曳航するのだった――
結果から言うと、商王の船は沈没寸前だった。
あちこちに穴が開いており、浸水していないのが奇跡なほどだ。
あと少し助けるのが遅ければ海の藻屑になっていただろう。
大手柄を上げたロギーを褒め称えようと思ったのだが、
彼女は今ここにはいない。
「――我は深海で身体を冷やしてくる」
そう言って、海の底に潜っていってしまったのだ。
獄竜炎の火傷がかなり痛むらしい。
ソニアが治癒魔法を掛けたが、治るのには時間がかかりそうである。
今は商王船から乗組員を移し終え、
首都に戻るため曳航している最中だ。
ここで、テキパキと指示を出すランカの後ろにある人物を見つける。
ボロボロの商王船を眺めて、安堵の息をこぼす老人。
その人物は魂が抜け落ちそうなほど深い息を吐いた。
「……わし、死ぬとこじゃったわい」
腰は曲がり、今にも棺桶に向かって崩れ落ちていきそうな身体。
しかし服は高貴さと威圧感に溢れており、将軍格の人物であることを悟らせる。
老人は段差に腰を下ろすと、ランカに声をかけた。
「大海賊の頭領よ……わしは真っ先にヌシへ救援を求めたはずじゃ」
「ええ、そうね。断ったけど」
あっさりと答えるランカ。
一歩遅れていれば見殺しになっていたわけであるが、彼女は悪びれる様子を一切見せない。
まあ、最初は見殺しにする気満々だったもんな。
「なぜ今になって助けに来たんじゃい」
「馴染みの商王様に直接頼まれちゃったのよねー。
ボケ老人の命拾うのは気乗りじゃないけど、来ちゃった」
しなを作ってとぼけるランカ。
乙女がやるとかわいいが、妖艶な雰囲気を持つランカがやると不気味さの方が強い。
ボケ老人呼ばわりされた彼は、喉から愉悦の声を漏らす。
「ふぇふぇ……金の亡者のいと恐ろしきことよ」
楽しげな声を出しているが、目が一切笑ってないのが気になる。
と、ここで老人はソニアへと視線を移した。
どうやら、誰が大海賊を動してくれたのか察したようだ。
「ありがとうよ……ナッシュ」
老人は深々と頭を下げる。
ただでさえ腰が直角級に曲がっててブーメラン状態なので、頭が地面に付くスレスレまで達していた。
このままでは頭を床に打ち付けてご臨終もあり得る。
ソニアも似たようなことを危惧したようで、首をブンブンと振った。
「い、いえ……私は当然のことをしたまでで――どうかお顔を上げてください」
彼女がそう言うと、老人は頭を上げてソニアの顔を見つめた。
するといきなり目に涙を浮かべ始める。
「おお、わしを助けるために身を削って……こんなちんちくりんに……悲しいのぉ」
「……は?」
ソニアは心の底から疑問の声を上げた。
しかし老人は構うことなく目に溜まった涙をぬぐう。
「ただでさえ矮躯であったというのに……これでは武具もうまく扱えんじゃろうて」
さめざめと悲しみを告げる老人。
どうやらこの方の目には、何か違うものが見えているらしい。
勘違いされていることに気付いたのか、ソニアは慌てて撤回した。
「いえ、あの……私は父ではありません。娘のソニアと申します」
年を取れば視力が落ちるのも仕方ない。
こちら側で配慮しないとな。
しかし、老人はまるで気付いた様子はない。
相変わらずソニアが彼女の父親に見えているようだ。
「そうじゃ……お前は昔からそうじゃった。
わしをからかうところも、いい歳してまだ女装から足を洗えておらんところもの」
「ち、父上にそんな趣味がっ!?」
ソニアは困惑の声を上げる。
言うこと為すこと全てが他人を振り回すものだった。
俺は隣のバドに辟易した言葉をささやいた。
「おい……なんだあの吹っ切れた爺さんは」
「中立派最大の商王ヘラベリオ・ゴルダー・ギルディアだ。御年92の最年長商王だな」
なんでこう、会う商王は変な人ばかりなのだろう。
見目麗しい男の娘を囲う親帝国派の商王に始まり、
マイナー宗教の勧誘が日課な反帝国派の商王に、
ポックリ逝きそうランキング1位に輝きそうな中立派の商王がいたりと。
この国は大丈夫なんですかね。
俺が溜息を吐く中、バドは商王ヘラベリオに視線を注いでいた。
「油断すんなよ。あの爺、ああ見えて曲者だぜ」
「はい……このウォーキンス、ただならぬ覇気をあの方から感じます」
「本当かよ……」
生前の近所に住んでた爺さんにすげえ似てるから信じられないんだよなぁ。
今にも入れ歯とカブトムシを間違えて口に入れそうなんだもの。
俺の目が節穴なだけか。
「わざわざナッシュが出張ってきたんじゃ。
このわしに頼みがあるんじゃろう」
ここで、ヘラベリオが探るように声をかけた。
それを待っていたと言わんばかりにソニアが答える。
「はい。此度の商王議ですが――」
「みなまで言わんでええ。ナッシュ殿に票を投じよう」
どうやら、ソニアの意向を見通していたようだ。
あっさり受諾されるとは思っていなかったのだろう。
ソニアは確認するように尋ねた。
「いいのですか?」
「よい。しかし、これは恩や義理ではないぞ」
「では、なぜ……?」
「ナッシュについた方が金になるからじゃ。
一度救われた程度で相手を盲信するような輩は成功せぬ。
商売は冷徹になり切ったものが勝つのじゃ」
この言葉に、ソニアは表情を曇らせる。
失言に気付いたようで、ヘラベリオは素直に詫びた。
「聖職者の前で言うことではなかったのぅ。
ふぇふぇ……すまぬすまぬ」
「……いえ、お気になさらず」
商売と信仰はよく結びつくと聞くが、ソニアの家の場合それが顕著だ。
たとえ正論でも、信心深さを否定されるのは嫌だろう。
ヘラベリオは失言を埋め合わせるかのように、力強く告げた。
「まあ――少なくとも我がギルディア家は、
この商王議に限りアストライト家の味方じゃ」
「あ、ありがとうございます!」
無事首都へ移送できる上に、味方になるとの言質も取れた。
これで商王議への憂いはなくなったな。
要件を伝え終えたヘラベリオは、腰を叩きながら要求した。
「その代わり、早く陸でもてなしておくれ。
海は疲れるし揺れるしで最悪じゃ」
そう言って、戦艦の指揮権を持つランカを見上げる。
すると、彼女は嘲るように微笑んだ。
「あーら、海の良さがわからないなんて。爺のくせに情緒がないこと」
「情緒がないのはお前じゃよ。海など潮臭いだけじゃ。
血と鉄の匂いにこそ情緒は宿る」
今さらっと恐ろしいことを言ったな。
鉄血政策でも始めそうな爺さんだ。
「さすが戦争バカは言うことが違うわ」
ランカは呆れたように肩をすくめる。
しかし彼女も根っこのところは同感のようで。
特に追加の憎まれ口を叩くことなく頷いた。
「ま、いいわ。帰りましょ、私も疲れちゃったし」
そう言うと、ランカは操船室へと指示を出す。
加速するよう促し、全ての艦隊に響き渡るような鬨の声を上げたのだった。
「――帰港するわ! 凱旋よ!」
次話→2/28
ファイル管理でエラーが起きて、少し遅れました(汗
次話から8章後半戦の商王議。
ご意見ご感想、お待ちしております。
ディンの紋章3巻は本日発売。
どうぞよろしくお願いします。