第五話 追憶の悪魔
ウォーキンスは地面を蹴り、大きく跳躍する。
低空飛行をしていた竜騎士の懐に飛び込んでいく。
これを見て、紫竜が尻尾を振り下ろした。
「脳漿をぶちまけて、くたばるがいいッ!」
紫竜に乗る騎士は得意げな声を出す。
当たれば甲板の表面が粉々になるであろう一撃。
その攻撃速度は尋常ではない。
しかし、ウォーキンスはとっさに体をひねる。
最小限の動きだけで、迫り来る尻尾を回避してしまう。
そして竜の頭に向け、渾身の蹴りを繰り出した。
「――覇軍舞踏・廻天脚」
空気が張り裂ける重低音。
乾いた音と粘りのある音が同時に届いてくる。
その直後、上空から血の雨が降ってきた。
「…………は?」
急に重力を感じたのか、竜騎士は目を剥く。
そして己の騎乗する竜馬を見やった。
ウォーキンスの蹴りが通過した場所には――何も残っていなかった。
竜の首が、根本から吹き飛んだのだ。
「う、うああああああああああああああああ!」
乗っていた竜騎士は悲鳴を上げて海に落ちていく。
そして激しい水音を立てながら脱落していった。
ウォーキンスは後続の竜騎士に睨みをきかせながら、甲板に着地する。
そして視界に映る軍勢を見てため息を吐いた。
「数が多いですね……厄介です」
絶望的な物量差だが、ひとまず一体は片付けた。
この調子で撃墜していきたいところだ。
しかし、ここで背後から惨状が聞こえてきた。
「くそ、来るんじゃねえ!」
「慌てるな、海に落ちるぞ!」
沈む戦艦から逃げようとする船員が悲鳴を上げている。
退艦途中を竜に攻撃されているのだ。
援護しようにも、うかつに砲撃をすれば他の戦艦も巻き込んでしまう。
「救出してまいります。
レジス様、この位置から動かないようお願いします」
「ん……なんでだ?」
「この射線上であれば、向こうの戦艦からでもお守りできますので」
救出というだけで、相当なキャパを割いてしまうというのに。
ウォーキンスはそれと同時に、俺の護衛も果たそうとしているのだ。
本当に平気なのか。
心配になるが、頷くしかない。
「分かった。
俺も気をつけるから、ウォーキンスはそっちに集中してくれ」
「はい。すぐ戻ってきます」
そう言って、ウォーキンスは隣の戦艦に飛び乗った。
そして義経の八艘飛びかと見まごう跳躍で、竜騎士の攻撃する戦艦へ迫っていく。
俺はランカに声をかける。
「ランカ。向こうはウォーキンスが向かったから平気だ。
前方から接近してくる連中を薙ぎ払うのに専念してくれ」
「あの銀髪の娘一人で……? 大丈夫なのかしら」
弾込めをしながら、ランカは首をひねる。
彼女は目を細めて、退艦中の部下を見やった。
「まあ、助けに行ってる余裕はないし……。
そこはレジスきゅんの付き人を信じるわ」
「頼むぞ。砲撃をどれだけ叩き込めるかが勝負の分かれ目だ」
そう言って、俺は船の側面に回る。
そして迂回して接近しようとしてくる竜騎士へ火魔法を放った。
効果はてきめん――このまま船に近づけず墜落させてやる。
ここで、ランカが目を見開いた。
「任せなさい。ガルメリアは海戦不敗。
当代の撃墜王とは私のことよ!」
ランカは自信ありげに微笑む。
そして大きく息を吸うと、全艦に向けて指示を発した。
「総員ッ! もう一度、全艦で砲撃を――」
「ガァアアアアアアアリィイイイイイイイアアアアアアアアアアア!」
だが、ここでランカの声を遮る咆哮が放たれた。
比較的近くにいた俺でさえ、途中から聞き取れない。
こんな妨害ありかよ。
「――――ッ!」
指示を遮断され、ランカの頬に汗が浮かぶ。
しかし、受難はこれだけでは終わらない。
砲撃の隙間を抜け、一体の竜が突撃してきた。
その体色は翠色。
鋭利にして強固な爪で、城門を紙のように引き裂くという。
かくして、恐ろしい一撃が甲板に振り下ろされた。
凄まじい衝撃。
甲板全体が波打ち、床の木板が爆散した。
「きゃあッ!」
ランカが悲鳴を上げる。
俺の立つ場所まで亀裂が走った。
とっさに目を覆い、視界を封じられるのを防いだ。
しかし、まずいな。
今の衝撃で大筒が海へと落ちてしまった。
「……くっ、やるわね」
歯噛みするランカ。
それを尻目に、翠竜の騎士は飛び去ろうとする。
ヒットアンドアウェイで船を沈める気か。
だが、そこで船首近くにいたバドが右手を振りぬいた。
「オラァ!」
「――――ッ!」
血を竜の頭に浴びせかける。
その瞬間、翠竜が想像を絶する悲鳴を上げた。
「ギ、ギュォアアアアアアアアアアアアアア!」
「な、なにぃ!?」
空中でのたうち回る竜。
竜騎士は必死に振り落とされまいと愛竜にしがみつく。
何が起きたのか理解できない様子だ。
そんな竜騎士に向けて、バドは血を滴らせて言い放つ。
「触れたら火傷確定の強酸だ。
そのまま放置してたら首から先がなくなるぜ」
見れば、竜の顔から凄まじい湯気が出ていた。
皮膚を溶かし、肉を焦がし、骨までドロドロにする。
非常にグロテスクな攻撃だ。
高度を下げていく竜を見て、バドは皮肉げにほくそ笑む。
「竜を屠るのは趣味じゃねえが、
敵対者には容赦はしねえタチなんでな――あばよ」
彼が立てた親指を下に向けると同時に、翠竜は海へと墜落した。
これで正面の安全は守られた。
バドはぐるりと肩を回す。
「ハッ、竜騎士ってのも大したこと――、ッ」
バドが言い切る寸前、目の前を巨大な影が横切った。
俺の守っていた反対側からの襲来。
爆発的な風圧と共に通過した瞬間、バドの身体が一回転した。
「――ぬごぉぁッ!」
苦痛に満ちた呻き。
激しい動きに伴って舞い散る鮮血。
見れば、甲板に倒れ伏したバドの肩に風穴が開いていた。
通りざまに襲撃されたのだ。
「いってぇな……心臓狙いやがって」
しかし、バドはすぐに起き上がる。
出血箇所の血を固めて強制的に止血した。
だが、貫かれた傷は深い。
しばらくは動けそうにないな。
「ほぉ、やるな。臓物だけは避けたか」
襲撃した竜騎士は、上空で感嘆した声を上げる。
騎乗する竜の牙はバドの血でべっとりと濡れていた。
しかし、血液の変化を警戒してか、騎乗者はすぐに水で洗い流す。
他の竜騎士と一線を画する移動速度。
明らかに只者ではない。
今しがた襲来した竜騎士の声は、以前に聞いたことがあるものだった。
連鎖して、竜騎士の顔が記憶と一致する。
「お前は、王国海域にいた……」
「おや、また会ったな小僧」
不敵な笑みを浮かべてくる。
そう、奴はディン領の海域を侵犯してきた竜騎士だったのだ。
シャディベルガを脅迫してきたが、その時は追い返すことができた。
まさか、ここで再会を果たすとはな。
意外そうな表情を浮かべる男は、口の端を好戦的に吊り上げた。
「なぜここにいるかは知らんが、
戦場で会ったが運の尽きだ――この海で死に絶えよ」
男はギロリと睨みつけてくる。
こいつ、やっぱり正規の兵士だったんだな。
彼は槍を振り上げて高らかに名乗りを上げる。
「我が名は翠牙竜空隊・総帥――ザステバルデ・レイジリッド。
この槍の前に立ちはだかる者は、誰であろうと穿ち貫いてくれるッ!」
言い切ると、奴は竜を駆って急降下してきた。
しかし、狙いは俺ではなくランカのようだ。
司令塔を先に潰すつもりか。
俺は全身から魔力を絞り出した。
「――ガンファイアッ!」
極限まで魔力を凝縮し、炎の弾丸を放つ。
超圧縮された弾は不可避の高速を誇る。
火弾は一直線に飛んで行くと、竜騎士ザステバルデの騎乗する竜へ直撃した。
「ガ、ギュアッ……!」
苦しげに舌を出す竜。
動きが止まったのを見て、ランカは大筒の照準を合わせようとする。
しかしこれを見て、ザステバルデは上空へと舞い戻る。
「チッ――疾いな」
射殺すような視線を俺に向けてくる。
今度こそ、狙いは俺に定まったようだ。
魔法の届かない位置から、獄竜炎を放とうとしているのだろう。
だが、そうはさせん。
「爆ぜろ――イグナイトヘル!」
魔力を拡散させ、奴の行く手を竜ごと爆破した。
視界を紅白に点滅させる一撃。
翠竜の耐久力と言えど、我慢できるものではない。
「ギィイイイイイイァアアアアア!」
つんざくような悲鳴を発し、海へ堕ちていった。
だが、まだ仕留めきれていない。
着水したところを狙ってトドメを――
「…………フッ」
その瞬間、落下するザステバルデは愉悦の声を出した。
騎乗する竜が負傷したというのに。
不気味に思っていると、奴は目を見開いた。
「――やれ、我が同胞よ」
風鈴のように染みわたるザステバルデの声。
その指示が発された瞬間、視界の両端に緑色の影が見えた。
「なっ……!?」
後方の上空から二人の竜騎士が急接近していたのだ。
身体を捻って避けようとするが、双方の竜が口に炎を灯していた。
獄竜炎を撃つつもりだ。
俺は半ば反射的に迎撃していた。
「――ッ! 喰らえ、『ボルト・ジャッジメント』ッ!」
放射状に広がり、回避を許さぬ雷撃。
口に火の粉を溜める竜に襲いかかり、一気に通電する。
だが、本命は竜ではない。
「か、ハッ……」
竜と密着していた竜騎士は白目をむいた。
体勢を崩し、竜の背からずり落ちる。
それを見て、翠竜は攻撃よりもマスターの救助を優先した。
「…………キュゥ」
切ない声を上げて海へ落ちた主人の元へ向かう。
片方の竜は対処できた。
あとは反対側の――
「…………ッ」
チリッ、と身を焦がすような熱を感じた。
後ろを振り向くと、今まさに竜がブレスを吐こうとしていた。
超低空から、俺一人を狙った獄竜炎。
間に合うか怪しいが、やるしかない。
俺はとっさに身を守るファイアーシェルを唱えようとした。
消し炭になるか、大火傷で済むかの分水嶺。
そんな中で、俺は透き通るような声を聞いた。
「――『フューリーインペイル』」
聞き慣れた柔らかい声。
それが耳に届いた瞬間、目の前の竜が動きを停止した。
獄竜炎を撃ってこない。
怪訝に感じ、俺は恐る恐る上を見上げた。
すると、竜の胴体には大きな風穴が開いていた。
激しい熱線が通り過ぎたようで、竜の傷口は完全に炭化していた。
誰が見ても分かる、一撃必殺だ。
俺は熱線が放たれたと思われる発射地点を見る。
そこでは、ウォーキンスが戦艦の手すりに立ち、こちらに右手をかざしていた。
「レジス様に敵意を向ける方は、私が冥府へ誘って差し上げましょう」
ゾッとするような、余裕に満ちた笑み。
その一方で、彼女は心配した様子で俺に視線を注いでくる。
そして慌ててこちらへ戻ってこようとしていた。
その姿は、俺の目から見ても明らかに無防備。
まだもう片方の竜は仕留めきれていないのに。
俺は慌てて下を見た。
しかし、先ほど墜落させた竜は動きが止まっている。
注意して見ると、竜騎士の腹部と竜の頭蓋をそれぞれ銛が貫通している。
……何が起きた?
疑問に思っていると、竜の巨体を押しのけて、ある人物が海中から浮上してきた。
「魔法を使うまでもない。
レジスの初撃により、既に動ける状態ではなかったようだ」
ロギーは軽く息を吐いた。
どうやら彼女がトドメを刺していたらしい。
「しかし、大将格の男は逃がしたか……」
ロギーは不満気に槍を引き抜き、竜の巨体を海底へ沈める。
そしてウォーキンスに感嘆の声を手向けた。
「やるな。先ほどの光線、人間の魔力とは思えんぞ」
「射線ギリギリでしたけどね。危ないところです」
「……貴殿がいるなら、ここも安泰か。船は任せたぞ」
そう言って、ロギーは潜行した。
そのまま深い海底へ消えていってしまう。
「……あいつ、どこへ行くつもりだ?」
敵の攻勢が続く中で離脱されるのはさすがに厳しいんだが。
俺が呟いていると、隣にウォーキンスが降り立った。
例によって船の間を跳躍して戻ってきたようだ。
「お待たせしました。ウォーキンス、ただいま戻りました」
「ありがとう、助かったよ」
「いえいえ、お役に立てて嬉しいです」
礼を言うと、ウォーキンスは心地よさそうにコクコクと頷いた。
彼女が戻ってきたということは――
「向こうはもう?」
「はい。船は直せませんでしたが、退艦は完了しました」
「そうか、ご苦労様だ」
これで被害は最小限に抑えられる。
このまま竜を追い払って商王と合流しよう。
しかし、ここで再び船上に影ができた。
「ほぉ、挟撃を防ぐとは……驚いたぞ」
ザステバルデが体勢を建て直し、上空を飛んでいた。
ロギーが仕留め損なったと言ったのはこいつのことか。
彼の周りには、配下と思われる竜騎士が多数飛んでいる。
それを見て、俺はため息を吐いた。
「……ずいぶんの数が、砲撃をかいくぐってきたんだな」
翠竜が何体も真上を飛んでいる。
他の六色の竜は砲撃を浴びまくってて、近づくことさえできていないのに。
いや――だからこそか。
他の部隊を暴れさせて、こちらの注意を引きつけていたんだ。
そして生じる間隙を見逃さず、この竜騎士たちが砲撃の雨を抜けてきたんだろう。
ザステバルデの脅威が迫る中、ウォーキンスが俺の前に立った。
そしてやんわりとした視線を上空に注ぐ。
「お帰りください。無為に命を散らせることはありません」
ここで、ザステバルデが初めてウォーキンスの存在に気づいた。
彼は目を見開いてこちらを睨みつけてくる。
「貴様は、あの時の女……またしても我等の邪魔をするか」
「お引き取り願います」
奴の呼びかけを無視し、ウォーキンスは淡々と意向を告げる。
ザステバルデはしばらくこちらを睥睨していたが、静かな声で隣の竜騎士に確認した。
「ベスタ。訓練は積ませてあるな?」
「はっ、翠牙竜空隊副総帥として、滞りなく」
ベスタと呼ばれた竜騎士が答える。
理知的というか、学者のような朴訥さを感じる。
あれが奴の右腕なのだろう。
ベスタという男の返答を受けて、ザステバルデの口元が吊り上がった。
その瞳に燦然たる闘志を宿し、竜に負けぬ咆哮を放つ。
「――ォ、オオオオオオオオオオオオオオオッ!」
ザステバルデの裂帛の気合。
これに呼応して周囲の竜騎士も同じように叫ぶ。
ビリビリと大気が震える。
それに伴い、竜騎士たちの身体に変化が現れた。
肌がパキパキと硬質化し、動きに一切の澱みがなくなる。
「ドラグーンの種族能力だ……気をつけろよウォーキンス」
「大丈夫です。竜の扱いは慣れておりますので」
ウォーキンスは表情一つ崩さず、そう言ってみせた。
それと同時、ザステバルデ達が種族能力を発動し終えた。
彼らは槍を掲げると、威勢よく竜の腹を蹴った。
「翠牙竜空隊――参るッ!」
奴らは一瞬にして人間の反応速度を超える。
このまま攻めかかられたら、ひとたまりもない。
しかし、これに対しウォーキンスはボソリと呟くだけだった。
「――『アウラ・ドラゴンキル』」
彼女はおびただしい魔力を辺りに撒き散らす。
確か、これは竜だけを威圧する特殊な魔法だったはず。
俺達には無害だが、これを喰らった竜たちは――
「ギ、ギギュガァ……」
案の定、全ての竜が空中で動きを止めた。
口から泡を吹いて呻きを上げる。
だが、ここで竜騎士たちの目に光が宿った。
「利かぬわッ! ァアアアアアアアアアアアアアアア!」
壮絶に吼え、彼らは再び愛竜の腹を蹴る。
すると衝撃で怯え苦しんでいた竜がハッとなった。
その上で、竜騎士が首を優しく撫で付ける。
その時にはもう、竜の瞳には戦意が戻っていた。
「マジか……無効化しやがった」
「お見事ですね。
野良の竜でしたらこれで片付いたのですが……」
ウォーキンスも少しだけ唸る。
以前に撃退されたことを鑑みて、対策を立てていたのか。
戦火飛び交う中で、ザステバルデは高らかに叫び散らした。
「恐怖とは、孤独なる武人が背負う根源の試練ッ!
これに応ずるは克服する意志ッ!
人竜一体となれば、乗り越えられぬ恐怖などない!」
奴は槍を俺達に向けてくる。
そして竜の動きに合わせて、思い切り上体を反らした。
「前のようには行くと思うなッ! これが貴様らの最後だッ!」
気迫に満ちた宣告と共に、速度を上げて突っ込んでくる。
しかし、ウォーキンスは慌てない。
彼女は目を伏せて再び魔力を集め始めた。
「仕方ありません。恐怖が通じないのであれば――」
彼女の全身に、先ほどとは比べ物にならないほど濃い魔力が集まる。
存在を感じ取るだけで背筋が震えるほどだ。
しかし、強力な魔法には強い反動と長い詠唱が必要となる――
「はッ、隙だらけよ!」
ここで竜騎士の一人が急接近してきた。
ウォーキンスを槍で穿とうと加速する。
これを見て、ウォーキンスが一瞬眉をひそめた。
彼女ならば簡単に避けられるはず。
しかし、ウォーキンスは微動だにしなかった。
「…………ッ」
ここで俺は気づいた。
ウォーキンスの棒立ちは余裕からくるものではない。
回避行動を取るよりも、魔法の発動を優先させているのだ。
いかなる強者といえど、詠唱を邪魔されれば魔法は撃てない。
発動しようとする魔法が強ければ強いほど、詠唱中は無防備になってしまう。
逆に言えば、ウォーキンスは今までとは桁違いの魔法を詠唱していることになる。
その隙を突くのは、竜騎士としても当然。
だが、俺がそれを許すわけがない。
竜騎士は槍を振り上げると、勝利の快哉を叫んだ。
「あの世に堕ちるがいいッ!」
「お前がな! ――『クロスファイア』ァアアアアアアアアッ!」
ここで、俺が火魔法を前方に打ち出した。
拡散する炎の渦が、敵をウォーキンスに近づけない。
範囲の広さに、竜騎士たちも突撃をためらった。
「……レジス様、ありがとうございます」
と、ここでそんな声が聞こえた――気がした。
いや、詠唱中に呪文以外の言葉を入れるのは難しいはず。
ただの聞き間違いか。
首を捻った刹那。
ウォーキンスの魔力が急激に辺りへ満ちた。
「邪ノ奔流ヲ魔ニ宿ラセ、追憶ヲ刻モウ。
剥奪ノ魂ハ死ヘノ手向ケ。
万物ヲ回帰セヨ、我ガ虐殺ノ証――『メモリアルエクリプス』」
その瞬間、全身の毛穴が開いたのを感じた。
肉体がすくみ、粘ついた汗が浮かんだ。
心臓を鷲掴みにされたような圧迫感を覚える。
「…………ッ」
その発生源は、間違いなくウォーキンス。
暴風のように荒れ狂う魔力の波動。
その魔素は言いようもないほどにドロドロとしており、濁っていた。
ピタリ、と空を飛ぶ竜たちの動きが止まる。
そして一体の竜が、カタカタと震えた。
それを筆頭に、震えは全ての竜に伝播していく。
「たとえ、恐怖は乗り越えられたとしても――」
声にすら魔力が篭っているように錯覚する。
彼女から放たれた重圧は、戦場の喧騒を置き去りにしていた。
ゆっくりと、ウォーキンスは指を振り上げる。
「破滅に満ちた原初の記憶は――何者にも耐えられません」
告げた瞬間、彼女の全身から魔力が解き放たれた。
あまりにも黒々としていて、邪悪さを纏った魔力。
それが海域全体へ広がり、竜たちを襲った瞬間――
「ギ、ギュギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「ギゴ……ァ……」
「ギィイイイイイイイイイイイイアアアアアアアアアアアアア!」
思わず耳をふさいだ。
上空の翠竜のみならず、遠く離れた全ての竜たちが目を血走らせて絶叫していた。
その叫びは凄まじく、絶望を孕んだ苦痛に満ちている。
この海域にいた全ての竜騎士に動揺が走る。
「な、なんだ!?」
「くそッ……静まれ! 静まらんか!」
多くの竜は首が千切れんほどに頭を揺さぶる。
無茶な叫びで、喉から盛大に出血していた。
もはや戦えるとかそういう次元ではない。
完全に戦意を喪失している。
「馬鹿な、この波動は――」
この状況を受けて、竜騎士の一人が何かに感づいた。
ザステバルデの横にいた男だ。
彼の声に、ザステバルデが反応する。
「知っているのかベスタ!」
彼は竜にしがみつきながら尋ねた。
なんとか竜の混乱を抑えようと必死だった。
しかし、いかなる処置も効果を為さない。
これを見て、ベスタという男は冷や汗を垂らしながら、うわ言のように呟く。
「これは――祖先に刻みつけられた、虐殺の記憶……」
虐殺の記憶。
ピンと来ないらしく、ザステバルデは詳細を目で訊いた。
それに対し、ベスタは硬直した舌で風聞を話す。
「……噂に聞いたことがある。
かつて多くの竜を虐殺せしめた者が、同じ魔法を使ったと」
「それは……?」
ザステバルデは唾を飲み込む。
竜の絶叫に紛れて聞き逃さないよう、耳を澄ましている。
そんな彼に、ベスタは恐る恐る告げた。
「かつて大陸を混乱に陥れた、あの邪悪なる――」
「――『カオスウインド』」
しかし、その言葉は最後まで続かなかった。
暴れる竜を抑えていたベスタに、ウォーキンスが魔法を放ったのだ。
騎乗する竜とベスタを暴風が襲い、その身体を引き裂く。
「…………ガフッ、ッ」
海へ落下していく男。
明らかな致命傷だった。
「よそ見が仇になりましたね」
墜落した竜騎士を見て、ウォーキンスは淡々と呟いた。
彼女は確認の意味を込めてか、絶命したと思われる男に追い打ちを掛ける。
これを見て、怒声が響き渡った。
「きッ、貴様ァアアアアアアアアアア!」
ザステバルデだ。
彼は竜の腹を痣ができそうなほど強く蹴る。
その目は完全に血走っており、憤怒と復讐の念に満ちていた、
「許さぬ! 貴様だけは、絶対に許さぬぞッ!」
竜を無理やり引きずって操縦。
魔力を全開にして、こちらへ突っ込んでくる。
だが、ここでランカが颯爽と舳先に飛び出した。
「――再装填、完了! 撃ち落としなさい!」
見れば、砲門が全て上空の竜騎士に向いていた。
撃ち出された魔法弾が炸裂し、翠牙竜空隊を後退させていく。
この猛勢を前にしては、ザステバルデも突撃できない。
「邪魔を、するなぁああああああああああああああ!」
彼は怒りに任せて魔法を放つ。
殺意に満ちた風魔法。
しかし、ランカはそれを軽く錨で防いだ。
「――諦めなさい。
この海域はもとより、ガルメリア水軍が治める『大海賊の聖域』。
相手の本拠地で勝てると思わないことね」
ランカは鋭い言葉を浴びせた。
そしてすぐに指示を出し、行動不能に陥った竜たちを撃墜していく。
魔法弾があちこちで炸裂し、竜たちを海の藻屑に変えた。
もはや数でも相手を上回った。
砲撃の雨に耐え切れず、次々と竜は後退していく。
多くの竜騎士団が退却命令を飛ばし、この海域からの脱出を図ろうとする。
――勝利の大勢はここに決した。
「認めぬ……我は認めぬぞ………」
ここで、海の底を震わせるような声が耳に届く。
堕ちて行く竜と騎士たち。
次々に師団長が退却していく中、その声は放たれた。
「――せめて一人でも多く、貴様らを道連れにしてくれるッ!」
ただ1人――
瞳に闘志を宿らせたザステバルデが、
捨て身の勢いで突撃して来たのだった。
次話→2/25
ご意見ご感想、お待ちしております。
ディンの紋章3巻の発売日まで、あと2日。
書店にてお見かけの際は、どうぞよろしくお願いします。