第三話 ガルメリア水軍
副頭領ガゼルの口から放たれた衝撃的な一言。
なんと、贔屓であるアストライト家の要請を、完全に断ってきたのだ。
「…………なッ」
一瞬、俺も息を喉につまらせた。
だが、すぐに落ち着いて情報を整理していく。
ガゼルの宣告から二つのことが判明した。
一つは、商王ヘラベリオが窮地にあることを知っていたということ。
言い換えれば、知った上で放置しているのだということ。
そしてもう一つは、他の勢力によって、大海賊が既に買収されていること。
恐らくは親帝国派のゼピルだろう。
それ以外に考えつかない。
最後の望みであった大海賊に出兵を拒否され、ソニアも動揺を隠せない。
「そ、そんな……」
彼女は目を見開いて硬直している。
その表情は見ていて胸が苦しくなるほどに痛ましかった。
ガゼルも残念そうに目をそらす。
そして大海賊の正当性を主張しようとした。
「こちらにも事情があることを察して欲しい。なぜなら――」
「アストライト家の頼みを断って、敵対する派閥に手を貸す。
俺の知らねえ間に、大海賊もずいぶんと偉くなったんだな」
と、ここでバドが割り込んだ。
挑発的な物言いでガゼルの意識を誘導する。
そういえば、バドは連合国の情勢は下調べしていると言っていたな。
ここは彼に任せてみよう。
バドの指摘に対し、ガゼルは首を傾げる。
「ンー、何の話かな?」
「とぼけんなよ、大方ゼピルの野郎に懐柔されたんだろ。
これから海上で商王が襲われるが、救援を出すなってな」
バドは辛辣な口調で問い詰める。
すると、ガゼルはあざ笑うような笑みを浮かべた。
「セーカイ。
そこまで見破られてるなら、隠しても仕方ないな」
ガゼルは芝居がかった声を出す。
のらりくらりとする彼女に、バドは痛烈な言葉を浴びせた。
「大陸最強と名高い大海賊ってのは、
金を積まれれば誰の靴でも舐める集団なのか?」
「ハァ……貶める割には、義理を求めるんだね」
やれやれ、とガゼルは肩を竦める。
相手にしてられない、という意思表示だろう。
だが、バドは逃がすことなく食らいついていく。
「吐き気のする屑だろうと、力関係くらいは分かるだろうよ。
俺は余所者だがな、連合国の情勢には通じてるつもりだぜ」
大海賊とソニア率いるアストライト家は縁が深いと聞く。
バドはそこから切り崩す腹づもりのようだ。
「テメェらが住んでるこの島も、
連合国創建の時にアストライト家から貸与されたもんだろうが。いわば主従関係――」
「違ウヨ。大海賊は平和的に占拠してるんだ。
アストライト家の領地をね。
言うことを聞かせたいなら、力づくてやってみれば?」
バドの論理誘導を、ガゼルは一刀の元に叩き潰す。
信頼で成り立つ関係を保っている中、実力行使などできるはずもない。
ただ、この場合の信頼とは即ち『金』。
今回の場合、それが仇になっているのだ。
「半魚人様は、名目と実質の違いも分かんねえのか?」
バドはなおも喧嘩腰で続ける。
詭弁であることを突っ込まれ、ガゼルは小さく息を吐いた。
「確カニ、アストライト家に義理はある。
それは認めよう。でも――」
そして遊びは終わりと言わんばかりに、身も蓋もない結論を下してきた。
「義理があるからと言って、
助けなきゃいけないなんて気持ちは微塵も湧いてこないよ?」
「テメェ……どの口でそれを――」
バドの足が動きかける。
それを見て、俺は慌てて制止した。
「やめろ、バド。争って決裂したらそれこそ終わりだ」
「……分かってらぁ、墓穴掘る真似なんざしねえ」
バドは俺の手を振り払うと、コートの裾を正した。
まあ、バドは高圧的な面もあるが基本はクレバーだ。
ガゼルに手を出したりはしないだろう。
「ウンウン。
そっちの赤服君は、まだ話が分かりそうだね」
ガゼルは嬉しそうに頷き、俺に微笑みかけてくる。
赤服君とは、新しい呼び名だな。
意識がこちらに向いていることだし、違う角度でアプローチをしてみるか。
俺は端的に、ガゼルに至善策を尋ねた。
「――どうすれば、こっちの話を聞いてくれる?」
すると、ガゼルは髪をかきあげて即答した。
「大海賊は、常に上客の味方だよ」
要するに、動かしたければ競合先よりも多くの金を出せということだろう。
この発言に対し、真っ先に反応したのは他ならぬソニアだ。
「お、お金ならあります」
彼女は胸に手を当てて、ガゼルに視線を注ぐ。
そして昔より続く両勢力の関係に言及した。
「金銭とは誠意、誠意とは信頼、信頼とは確約。
アストライト家は、大海賊のために報酬を支払ってきました」
「ウン。それこそがアストライト家と大海賊の関係だ」
よくわかってるじゃないか、とガゼルは満足気に頷いた。
そして上体を傾けると、下から覗き込むようにソニアに顔を近づける。
「要スルニ、だよ。
人に物を頼みたいなら、先客の要求をねじ曲げて己の我を通したいなら――
それに応じた誠意があるよね?」
遠回しでいて不可避的な金銭の要求。
ゆすりたかり以外の何者でもない。
まるで賊のようだ――と思ったが、そういえば海賊だったな。
圧力を掛けるガゼルに対し、ソニアは恐る恐る尋ねた。
「どれだけお支払いすれば、いいのでしょうか……」
すると、ガゼルは戸棚から一枚の紙を取り出した。
そして差出人の部分を指で隠し、こちらに見せてくる。
「マズ、先方が示してきた報酬はこれだ」
「なっ……!?」
それを見て、俺達全員が絶句した。
そこに記載された額面は、はっきり言って天文学的なものだった。
王国の通貨に直すまでもなく、常人が払えるものではないことが分かる。
大貴族が総資産を集めても、到底この額には満たないだろう。
ここで一歩引いていたバドが再びガゼルにガンを飛ばした。
「馬鹿げてんのか? 法外どころの話じゃねえぞ」
「金は万物の根幹。この連合国では金品こそがすべて。
経済活動をキミに制限される謂れはないよ」
ガゼルは飄々とした態度でバドの追及を躱す。
その上で、己の意見の正当性を主張してきた。
「向こうの要求を断るのは、当然危険を伴うんだ。
その労力も含めて、この報酬の1.5倍掛けの金を出してもらう。
それと引き換えに、ウチから兵を出すよ」
額面より更に多くの金を搾り取りたいらしい。
確かに、ここまで来て親帝国派の依頼をはねのければ、大海賊は連中に恨まれるだろう。
しかし、それを考えても釣り合わないふっかけ方だ。
「結論は絶対に変えない。
これが副頭領の――大海賊の見解だ」
ガゼルは胸を張ってそう言い切った。
どうやら、説得に応じるつもりはないらしい。
文句があるなら金を持ってこいと言わんばかりだ。
俺はソニアに耳打ちした。
「ソニアさん。こんな金、用意できるんですか?」
「……結論から言えば、できます」
おお……?
王国の金庫を空にするレベルの大金だというのに。
アストライト家は用意できるというのか。
さすがは金満国家と呼ばれる商業国の筆頭商王。
しかし、その割には厳しそうな表情だ。
「ですが、すぐにこれだけの額を集めるのは――」
不可能、と。
そりゃそうだ。
あちこちに行き渡らせている金を全て戻し、
物に変えているものを換金して、ようやっと用意できる状態なのだろう。
一日やそこらで耳を揃えて払うのは無理だ。
と、ここでバドが代案を申し出た。
「報酬なら事後に払えばいいだろ」
すると、ガゼルがピクリと反応した。
彼女は憮然とした様子でバドに辛辣な言葉を飛ばす。
「ヘェ、後払い?
それは使者だけ送りつけて、物を頼もうとする輩と何ら変わらないよ」
大海賊は気むずかしい連中の集まり。
そう聞いていたが、見事に当たっていたのか。
当主直々に出向かないと話すら聞かない。
それに加えて、報酬はすべて前払いでないとダメ。
御しにくいにも程がある。
「じゃあなんだ?
これだけの額の金品を、目の前に現物で持って来いってことか?」
「アア、そうさ」
「どれだけ頭の悪いこと言ってるか理解してるか?」
「頭が塩漬けなのはキミの方だよ」
いかん、また二人が空中戦をやり始めた。
しばらく両者は口論を続けたが、
バカらしくなったのかガゼルの方から退いた。
「何と言われようと――それが大海賊に伝わる仕事の受け方だ」
「チッ……名だたる強者揃いと聞いてたが、とんだ役立たずだぜ。
副頭領でこれじゃあ、大海賊そのものに期待できねえな」
バドは副頭領である彼女でなく、大海賊そのものを糾弾した。
その物言いにムッとしたのか、ガゼルはバドを睨みつけた。
そして怒りっぽい表情で語りかけてくる。
「なぜ大海賊が、王国や帝国から仕事を請け負わないかご存知?」
「さあ? そもそも頼まねえから関係ねえな」
「ククッ……秘密裏に何度も要請を受けたことがあるんだけどね」
それは初耳だ。
しかし、大海賊の威光は大陸全土に轟いている。
その力を利用しようとした王国貴族もいたのだろう。
だが、そんな連中をガゼルは唾棄するように罵倒する。
「使者を寄越すだけで顔を見せない。
後払いを当たり前と思い、窮すれば報酬すらも踏み倒す。
貴族っていうのは、誠意を見せない愚か者の集まりだよ」
不快感を露わにして、ガゼルはバドを睨めつけた。
先ほどの半魚人呼ばわりへの仕返しのつもりなのだろう。
だが、バドはどこ吹く風で笑い飛ばした。
貴族でないバドには挑発にすらならなかったな。
しかしガゼルは気にすることなく、矛先をソニアに戻した。
「マァ、そういう意味では、貴方には期待してるよ。商王ソニア」
選択を迫る視線。
どうやらバドとの話には完全に見切りを付けたようだ。
何度かちょっかいを掛けようとしているが、彼女はバドに一瞥もくれない。
つまり、あとの命運はソニアに託された。
次の発言で、今回の依頼が通るか通らないか全て決まってしまう。
だが、答えは最初からわかりきっていた。
それでもソニアは、逃げることなく、正直に、目の前のガゼルに懇願した。
「このお金を集めるには、最低でも3日は掛かります。
どうか、アストライト家を、連合国のことを思って――」
「フゥ……泣き落とし、か」
ガゼルは残念そうに首を横に振った。
そして哀れみの視線をソニアへと向ける。
「他の副頭領には通用したかもしれないけどね。
このガゼル、その場の情などで動きはしない」
ダメだったか。
彼女がノーと言えば、それで大海賊全体の動きが決まってしまう。
もし連中が動かなければ、海上にいる商王は――
場に緊張が走る中、ついにガゼルが重い口を開いた。
「悪いがこの件はなかったことに――」
しかし――
「たっだいまぁ!」
ガゼルの発言を遮るかのように、入り口の扉が開いた。
いや、砕け散った。
扉を蹴破らん勢いとは言うが、本当に蹴破って入室してきたのだ。
「これがッ、今回のッ、戦利品ッ!」
木の破片が舞う中、闖入者は背負っていた大荷物を放り投げた。
部屋の最奥にいたガゼルに向かって――
「……むぎゅるッ!?」
直撃する満パンのズタ袋。
見た目相応の可愛い声を上げ、ガゼルは背中から倒れた。
重い荷物が地面に触れた瞬間、ズゴンッと重い音が響く。
その下敷きになったガゼルは目を回していた。
そんな惨状を作った張本人は――
「いやー、帝国の密漁船を襲ったら、出るわ出るわ。
海底に沈んだ宝石が豊作よ!
これだから帝国の腰抜けを脅すのはやめられないのよねー」
まったく気にする様子もなくズカズカと部屋に入ってきた。
そのままガゼルの元へ歩いて行き、今しがた放り投げた袋の上に座る。
それ即ち、ガゼルの上に腰を下ろすということだ。
「と、頭領……重たい」
もっともな声が袋の下から聞こえてきた。
部下の声に気づき、その人物は足元を見る。
そして困ったような顔で叱責した。
「あれ、ガゼルじゃない。
仕事してなさいって言ったのに、なに寝てるの?」
「……頭領が袋を投げなければ、立派な仕事人を続けていたともさ」
不服そうにガゼルが這い出てくる。
そして交渉の結果を告げようとしたが――
その前に女性が俺たちの存在に気づいた。
「……へぇ」
女性はソニアをまじまじと見つめる。
そして大体のことを察したのか、ガゼルに軽く声を掛けた。
「良いわ、私が対応する」
「ウィ、了解した」
女性の一声で、ガゼルが後ろに下がった。
そして、その人物は屈託のない笑みを浮かべてソニアに近づく。
「アストライト家の令嬢……いえ、当代のナッシュね。
会うのは初めてだったかしら」
「はい。亡き父様に代わり、私が継いでいます」
「そう、若いのに立派ね」
ソニアを褒め称えるその人物。
それは、俺が会ったことのある女性だった。
彼女は己の胸に手を当て、何者であるかを堂々と名乗った。
「私はランカードよ。
この水軍で頭領をしているわ。以降、話は私に通してね」
やはり、あの時の女性だ。
「ランカって呼んでねっ」と外見年齢にそぐわぬ挨拶をしてきた記憶がある。
只者ではないと思っていたが、大海賊の頭領だったのか。
そういえば、碇を武器に使ってたな。
伊達や酔狂で携帯してるわけじゃなかったらしい。
柔和な対応をしていた頭領ランカだったが、
仕事の話になった瞬間、一切の慈悲が雰囲気から消え去った。
「まあ、だいたい察しはつくけど、一応聞くわね。――何の用?」
鋭い視線だ。
ソニアも一瞬「ひっ」と小さな声を上げてしまう。
しかし、彼女も怯えはすれど負けてはいない。
「商王が海の上で孤立しています。
すぐにお金は用意できませんが……なにとぞ救援を――」
精一杯、彼女の持つカードを切って交渉に挑む。
しかし、その両足は震えており、今にも泣き出してしまいそうだった。
それを見て、ランカは眉をひそめる。
「半泣きじゃない。だいぶガゼルに脅されたようね」
「……トドメは頭領だった気もするが」
ガゼルはボソッと反論する。
しかしランカに振り向かれると口笛を吹いてごまかした。
震えた状態で、沙汰を待つソニア。
ランカはしばらく熟考しながら首を捻る。
「んー、大海賊は代々アストライト家と歩んできたし。
一番の上客だし……難しいところだわ」
金払いの良い新規客と、すぐに金の用意ができない固定客。
どちらを選ぶか決めかねているのだろう。
しかし、天秤は芳しくない方に傾いていく。
「でも正直――義理なんかで動く義理はないのよね」
ガゼルと同じようなことを言っている。
まずいな。
ガゼルに比べて譲歩してくれるかと思ったが、方針は変わらないようだ。
頭領にまで断られれば、確実に詰んでしまう。
どうする……なにか手は。
「って、あれ……レジスきゅん?」
と、ここで思いもよらぬ声が飛んできた。
ランカがまじまじと俺を見つめているのだ。
今まで反応されなかったから無視されていると思ってたのに。
単に気づいてなかっただけかよ。
俺は当り障りのない返事をする。
「よお、数日ぶり。頭領だったんだな」
「レジス様。この前言っていた女性というのは……」
「ああ、こいつだよ」
「なるほど。
このウォーキンス、ガルメリアとしての名前しか知りませんでした」
ウォーキンスは不甲斐なさそうに言う。
はっはっは、気にするな。知らないことは誰にだってある。
しかし今気づいたが、あの時に『ランカード』ではなく『ガルメリア』って知ってるかと聞けば、
ウォーキンスは答えられたんじゃなかろうか。
振り返れば俺のミスじゃん……反省だな。
肩を落としていると、ランカは意味深に頷いた。
「へぇ……なるほど。そういうことなのね」
何がそう言うことなのか。
警戒していると、彼女は緊迫した口調で声をかけてきた。
「――レジスきゅん。一つ、聞くわ」
声が真面目なのに、名前の呼び方で全てが台無しだ。
ランカはソニアに視線を注いだ後、俺に訪ねてくる。
「あなたって、もしかしてアストライト家の味方?」
それが今、何の関係があるのだろうか。
しかし、機嫌を損ねる訳にはいかない。
俺は即座に自信を持って答えた。
「ああ。もしかしなくても、絶対的な味方だ」
言い切った。
俺たちは紛うことなく、商王ソニアの友軍である。
俺の返答に対して、ランカの反応は――
「ふーん……」
なんか興味なさげに頷かれた。
なんだ、答え方を間違えたか。
内心でヒヤヒヤしていたが、ランカは優しげに微笑んできた。
「無茶する男も素敵だけど、力を貸す相手は選んだほうがいいわよ」
ご注進痛み入る。
仲間とパチンコ台はよく選べってな。
外れを引くと地獄を見ることになる。
今の質問の意味を測りかねていると、ランカが腰を上げた。
そして背後の部下に声をかける。
「――ガゼル」
「ハイ」
気だるげに答えるガゼル。
そんな彼女に対し、ランカはさらりと告げた。
「全艦出すわ。抜錨用意」
「ハイッ!?」
衝撃の命令。
この部屋に広がる重苦しい雰囲気を一掃する発言だった。
何かの聞き間違いだと思ったのだろう。
ガゼルは頭領にもう一度確認する。
しかし、ランカは呆れたように言い直すだけだ。
「聞こえなかった? 戦闘員集めて出帆しなさいって言ってるのよ」
「ナッ、なんで金を出さない派閥に――」
私のやっていたことは何だったんだ、とガゼルは頭を抱える。
なんか内部分裂が起きそうな勢いなんだけど、大丈夫なんだろうか。
首を傾げる部下に向かって、ランカは一言だけ告げた。
「そっちのレジスきゅんに、一回救われてるから」
「……なるほど」
彼女の言葉に、ガゼルは面食らったような顔になる。
どうやら合点がいったようだ。
それを見て、ランカは得意気に確認する。
「大海賊は金にならない義理なんて無視するわ。
でも、一つだけ、律儀に守り通すものがある――いつも言ってるわよね。それは?」
「多大なる恩」
ガゼルは平然と答える。
部下の即答に、ランカは満足気に頷いた。
「正解。で、なにか反対意見がある?」
「――即座に仕事へ移ります」
それだけ言って、ガゼルは部屋を飛び出していく。
彼女の背中に、ランカはヒラヒラと手を振った。
「ん、よろしくねー」
彼女が外に出た途端、島全体に轟音が響き渡った。
全員招集の合図らしい。
男女の慌ただしい声が部屋の外から聞こえてくる。
伸びをしているランカに、言質を取るため尋ねた。
「俺達の依頼を受けてくれるってことでいいのか?」
「特別にね。だって、レジスきゅんに拾ってもらった命だもの。恩は返さなくちゃ」
あっさりお墨付きをもらえた。
俺がやったことといえば、彼女を海から引き上げて水鉄砲を目に喰らっただけだというのに。
「ちょっとしたことの返礼が、大規模の援軍か……」
オーバーキルと言っても差し支えないレベルでのお返しだ。
俺が俯いていると、ランカがこっそり耳打ちしてきた。
「気に病むくらいなら、一晩ウチの部屋に泊まってくれてもいいのよ?」
「いや、それはいい……」
妖艶な吐息が、耐え難い欲求を想起させてくる。
しかし、そんな怪しげなゾーンに踏み込む度胸はない。
俺の返答にランカは残念そうな声を出す。
「あら、残念……みんな飢えてるから喜ぶのにね」
冗談か本気か分からないのが怖い。
信用するにはあまりにも危うく、力を持った存在だ。
ランカは俺の耳に顔を寄せたまま、チラリとどこかに視線をやった。
そして未練がましく囁いてくる。
「まあ、どうやら先約がいるみたいだし、ちょっかい出すのはやめにしとくわ」
先約……?
まさかウォーキンスの事を言ってるんじゃないだろうな。
俺たちは世界で最もクリーンな主従関係と言っても差し支えない程だというのに。
どんな妄想をしているのか。
呆れていると、彼女は俺の耳元から顔を離した。
そして胸を張って宣誓する。
「安心して。全力を上げて商王を助けに行くわ。
報酬は後払いできっちりいただくけどね。もちろん額面の1.5倍よ」
そう言って、ランカはソニアに視線を注いだ。
払えるのか、という確認だろう。
それに対し、彼女は決意を固めて頷いた。
「はい。構いません」
「じゃ、正式に交渉成立ね」
ランカは手を差し出した。
それにソニアも応え、二人は握手をする。
親帝国派が先に話を通していたのは驚いたが、なんとか依頼を上書きできたな。
しかし、一つだけ気になることがある。
「……確か、親帝国派からの依頼もあったんだろ?」
「ええ。でも、いいのよ。ゼピルの爺には心底腹が立ってるから」
そういえば、初めて会った時もゼピルを罵倒していたな。
仕事さえなければ、完全なる敵対関係なのかもしれない。
「金こそが現世の全て。
この真理を否定する輩は嫌いだけど――」
ランカは遠い目をして呟く。
そして、恐らくはゼピルに対してであろう毒舌を吐いた。
「金と権力を振りかざして偉ぶる奴は、もっと嫌いなのよね」
よく分からんが、ゼピル陣営に肩入れする恐れはなさそうだ。
そこだけは安心しておく。
不気味とも取れる掴みどころのなさが、今回は味方してくれたようだ。
「でも、約束を反故にしたのが広まるのは嫌ね。
連中、このままだと絶対復讐しに来るわ」
ランカは面倒臭そうに肩をすくめた。
一度引き受けた仕事をひっくり返すのだ。
ゼピルの悪辣さを考えるに、報復してくる可能性は高い。
しばらく黙考していたが、ランカはポンッと手を打った。
「ま、今回の件で親帝国派が潰れたら解決するわね」
その理論は間違っていない。
ゼピルを含めた親帝国派さえいなくなれば、脅かす勢力も消え去るのだ。
ランカは背中に背負った碇に触れながら、こちらにウインクしてきた。
「連中の根絶、よろしく頼むわよ――レジスきゅん」
「任せろ。最初からそのつもりだ」
俺は大きく首を縦に振った。
その瞬間、扉からガゼルが顔を出してきた。
「他の副頭領が帰着! いつでも出せます!」
「そう? 早いわね」
部下の報告に、ランカは感心した声を出す。
もう準備が整ったのか、凄まじい統率力だ。
「今回はトカゲ狩りよ。対空砲を充填しておきなさい」
「ウィ、承知!」
鋭く応答し、ガゼルは扉を閉めた。
すると、ランカも部屋の外に出ていく。
「さて、竜騎士の相手は久しぶりね」
大きく伸びをするランカ。
その後に続き、俺達も海の方に向かう。
太陽の下に出ると、先ほどとは様子が違うことに気づいた。
見渡す限りすべての船が、人の声で賑わっていたのだ。
「いったい、何隻保有してるんだ……」
「さすがは大陸最強の海賊ですね」
ウォーキンスはしみじみと呟く。
海の種族であるロギーも眼を見張るほどだ。
「私もこれほどの艦隊を見るのは初めてだな」
王国や帝国の持つ船とは、比べ物にならない規模。そして数。
質と量の両方において、他国のすべてを凌駕していた。
「私達が乗る艘はアレ。大きいでしょ?」
「…………ッ」
「かつて天才発明家がもたらした『不沈機艦』に、
同じくその人物が考案した『魔法弾』を積み込んだ戦艦よ」
両方聞いたことがないが、とてつもない兵器なのだろう。
初代ラジアスは、500年も昔にこんな逸物を造ろうとしていたのか。
常に現存の技術を超越したものを考案する。
まさに天才発明家という名がふさわしい。
感心しながら乗り込んでいると、隣でボソリと声が聞こえた。
「……海賊にはもったいねぇブツだな」
バドが皮肉るように呟いた。
ランカには聞こえていないようだが、彼女に向けた言葉のようだ。
俺は彼の脇腹をつついて小声で尋ねる。
「……どうした?」
「……何でもねえさ。不埒者の愚痴と思って聞き流してくれや」
バドは甲板の端に腰を下ろした。
そういえば、彼はラジアスの遺産を蒐集していたな。
その理由は計り知るところではないが、発明品とその保有者に何か思うことがあるようだ。
全員乗ったことを確認して、ランカは港と桟橋をつなぐ足場を蹴落とした。
「旗艦として先頭を巡航するわ。危ないと思ったら伏せてね」
そう警告してくる。
前列を行くということは、接敵機会も多いということ。
司令官が最前線に出るとは、勇猛果敢だな。
他の海賊とは一味違うということか。
感嘆していると、隣でウォーキンスが呟いた。
「そういえば……」
「ん?」
「大海賊というのは、本当の名前ではないそうですよ」
なに?
聞き捨てならない言葉が聞こえた。
俺はすぐさまウォーキンスに確認する。
「そうなのか?」
「はい。大海賊という名が有名になっていますが、真名は別にあると聞きます」
王国に出回っている書物でも『大海賊』と記載されているのに。
本当の名前が伏せられてるってことか。
そういえば、ランカ自身も言っていたな。
自分の名前は群衆に言っても分からない、と。
そこから推察するに、本当の名前は――
「錨を上げなさい!」
思考を吹き飛ばす号令。
烈風のような指示を飛ばすと、ランカは船首に立つ。
そして竜騎士が跋扈する先を指さし、
高らかに征伐の触れを発したのだった。
「”ガルメリア水軍”――出撃するわ」
大陸最強の水軍『大海賊』の真名を、高らかに叫んで――
次話→2/21
ご意見ご感想、お待ちしております。
ディンの紋章3巻の発売日まで、あと6日。