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間話 酒を飲む理由

 


 エドガー・クリスタンヴァルは多才な人間である。

 傭兵・店主・教員・無職と、その職歴は幅広い。

 そして彼女は、その全ての職において才覚を発揮してきた。


 またに才能の塊。

 だが、彼女の半生は決して幸せに満ちてはいなかった。

 特に幼少期は壮絶なまでに鮮烈で、凄惨だったのだ――




 エドガーの出自を乱暴に表せば『戦争孤児』となるだろう。

 父親は辺境の街で働く守衛。

 母親は魔法師の補助を生業としていた。


 そんな両親は、娘が幼い頃に戦死。

 エドガーは一人、国境付近の拠点に取り残された。

 そこは王国の最北部――境界線上の大橋近くの街だった。


 身寄りのない彼女は、困窮の中で生きる術を模索した。

 幼さは言い訳にならず、死と隣合わせの毎日。

 極限の状態で生存を続けていた彼女だが、ある日転機が訪れた。


 寝泊まりしていた治療院の近くで、ある女性に声を掛けられたのだ。


 ――家族はいないのかい?


 そう尋ねてきた女は、軽鎧に身を包んでいた。

 王国衛兵が着用する規格のものではない。

 恐らくは傭兵だろう。


『いない、帝国兵に殺された』


 端的にエドガーが答えると、女性は切なそうに眼を細めた。

 彼女はエドガーの顔を注視し、小さく頷く。

 そして、優しく手を差し伸べてきたのだ。


 ――もし行くところがないなら、ウチの傭兵団へ入ってみないか


 傭兵団。

 そこに入ることが何を意味するのかは、分からない。

 でも、この飢えと寒さから逃れられるのなら――


 当時9歳のエドガーは、女性の手を弱々しく掴んだ。

 これこそが、傭兵エドガー誕生の顛末である。


 後でわかったことだが、

 エドガーに声を掛けた女性は傭兵団の団長だった。


 王国北方傭兵団。

 その歴史は古く、王国で七番目に傭兵団として認定された。

 団員も優秀な戦士ばかりで、実力は国内で五指に入る。

 本部は王都にあるが、国境の長期警備を主な仕事にしていた。


 この街に駐留しているのも、

 国境を圧迫してきている帝国の牽制のためである。


 王都北方傭兵団の平均年齢は高く、次世代の人材を探していた。

 そのため、この街においてスカウト活動を始めたそうだ。

 エドガーの他にも、有望そうな孤児を救済のために拾っていたという。



 傭兵団に加入してからしばらくして――

 エドガーを含む新入りは、苛烈な訓練を課された。

 成人した傭兵でさえも音を上げる苦行。

 当然、耐え切れず脱落していく者が多数だった。


 しかし、エドガーは違う。

 恐るべき吸収力を発揮し、鍛錬を難なくこなしていった。


 剣を教えられれば即座に習得。

 戦術を伝授すれば想像以上の戦略を打ち立てる。

 半年もしないうちに、大半の団員を模擬戦闘で打ち破るほどにまで成長した。


 幼少にして怪童。

 矮躯から溢れだす強者の片鱗。

 その強さは、年齢を無視した強さを誇ったとされる、大陸の四賢を想起させるほどだった。


 そしてエドガーは、傭兵団の中で確固とした地位を築いた。

 最年少ながら、有事の際には前線で剣を振るう実戦班へと組み込まれた。

 ここから、エドガーのさらなる才能が開花し始める。


 盗賊団の討伐においては首領を討ち取り、

 帝国からの潜伏者を看破して引き渡し、

 暗殺者に狙われた際には返り討ちにした。


 順風満帆に進む傭兵稼業。

 エドガーが入団してからしばらく経ち、

 争いの絶えなかった国境付近は平和な地になっていた。


 しかし、その安寧は突如として崩れ去る。


 敵国である帝国が、国境を越えて侵攻してきたのだ。

 平時とは比べ物にならない兵数。

 帝国魔法師を動員し、境界線上の大橋に置いていた王国兵を打ち破ってきたのだ。


 このままでは拠点が陥落してしまう。

 傭兵団は戦場に出て、王都から派遣された部隊と力を合わせて戦った。

 だが、帝国魔法師はエドガーの想像を超える存在だった。


 次々に蹂躙される傭兵たち。

 エドガーは他の団員からはぐれ、魔法師数人に付け狙われてしまう。

 初陣にして死地――壮絶な恐怖だった。


 今までに覚えたことのない絶望。

 エドガーは心が粉々になる錯覚まで覚えた。

 剣の通用しない敵を相手にしたのは、初めてだったのだ。


 逃げるのも長くは続かない。

 拠点の郊外で追い詰められた時、エドガーは死を覚悟した。

 しかしこの時、彼女はある人物と出会う。


 それは、一人の女性。

 敵の魔法を大剣で受け止め、反撃の詠唱で魔法師を吹き飛ばした。

 散り散りになった敵を得物の大剣で叩き斬り、完全に壊滅させた。

 絶体絶命の危機にあったエドガーを、助けてくれたのだ。


 それは銀色の長髪が似合う、美しい人だった。

 死の淵から引き揚げてくれた、美麗なる女性。

 まるで女神のように美しい姿は、幼いエドガーの心に強く焼きついた。


 エドガーはとっさに、名前を尋ねた。

 しかし、「今聞くことですか」と苦笑されてしまった。

 だが、エドガーは諦めなかった。


 あくまで食い下がると、女性は自然な流れでさらっと名を告げてきた。

 それは、華奢で端麗な容貌からは想像もつかない、雄々しく力強い名前だった。


 ――確かに聴き取ったはずだった。


 しかし、なぜか名前が頭の中から消えていく。

 書いた文字を白く塗りつぶしたかのように、記憶から消えてしまったのだ。

 ただ、ウォー、までは覚えている。


 慌ててもう一度言ってくれと頼んだのだが、女性はやんわりと断ってきた。

 そして距離を置くかのように、すぐに去ってしまった。


 拠点で繰り広げられた血みどろの闘争。

 苦難の末に、帝国兵を打ち破ることに成功した。

 しかし拠点は使い物にならないほどに破壊されてしまった。


 終戦後、傭兵団は体制を立て直すため、本部のある王都へ帰還した。

 エドガーは魔法教会に赴いて、恩人である女性を探した。

 だが、懸命の捜索も甲斐なく、見つからなかった。


 しかし、粘り強い聴きこみで少しだけ情報を掴むことができた。

 あの銀髪の女性はどこかの貴族に仕えており、魔法協会に恩を売るために出向してきたのだという。

 素性は分からなかったが、彼女の使っていた魔法に強く興味を引かれた。


 ――いつか、魔法を使った仕事をしたい。

 ――そして、あの人みたいになりたい。


 思い立ったその日から、苛烈な努力を始めた。

 しかし、エドガーはすぐ壁に直面した。

 属性魔法の才能が、全くと言っていいほどなかったのだ。


 火属性に少し適性を示しただけで、他属性はほとんど使えない。

 ただ唯一、強化魔法だけは人並み以上の素質を持っていた。

 そうと分かれば、エドガーはその一点を徹底的に磨きあげた。


 剣術の修行に加え、身体や剣を増強する強化魔法。

 これを続ける内、エドガーは傭兵団の中で並ぶ者のいない強者へと化けた。

 周囲の期待は加速していくが、エドガーには深刻な悩みがあった。


 それは、傭兵にとって致命的なものだった。


 ――どうやっても手加減ができない。

 ――常に全力で、殺意を込めて相対してしまう。

 ――そればかりか、興奮時には敵味方の区別なく襲いかかってしまう。


 いくら脱力しようとしても、その五指は柄に食い込む。

 暴走するかのように、周囲の存在を斬って捨ててしまうのだ。


 帝国魔法師に追われてから発現したため、

 あの時に感じた心の傷が起因していることは分かった。

 しかし、解決策は見当たらない。


 この悩みを公言したが、周りの反応は非常に薄かった。


 『俺たちの仕事は敵を斬り殺すことだろ』

 『単独行動なら、間違って仲間を切ることもないだろうしな』

 『そうだ、気にするな』


 傭兵としての業務に支障はない、と楽観視していたのだ。

 しかし、エドガーからしてみれば簡単な問題ではない。

 何とか治そうと努力した。


 中には有効な手もあったが、一時的かつ不安定で使いものにならない。

 本当に、どうしようもならなくなったのだ。

 そんな中、彼女の問題が顕在化してしまう。


 団員の訓練相手を務めた際、大怪我をさせてしまった。

 木剣を使っていたので一命は取り留めたが、もし真剣であれば命を奪っていただろう。

 今回はまだこの程度で済んだ。


 しかし、このまま剣を握り続ければ、いつか―― 


 いくら努力しても、剣を握れば殺意が無尽蔵に湧いてくる。

 いつしかエドガーは、傭兵としての自分に限界を感じ始めた。


 ――誰かれ構わず斬り殺すなんて、まるで獣じゃないか。


 数週間の熟慮の後、エドガーは団長に傭兵を引退することを告げた。

 手加減や連携行動ができない自分は傭兵には向かない、と。

 周囲の団員が必死で止めたが、決心を変えるつもりはなかった。


 このまま剣を握り続ければ、いつか大切な人を殺してしまう。

 王都北方傭兵団の全員に謝り、エドガーは傭兵稼業から退いた。

 この時、エドガー17歳。


 以降はすべての仕事を断ったため、

 依頼者たちの間で『隠身のエドガー』という嘲りの二つ名が付いた。


 しかし、エドガーは気にしない。

 仲間に申し訳がないだけで、別に傭兵という職に固執していたわけではないのだ。

 むしろ、新たなことを始める契機になったと言える。


 しかし、迂闊に剣を握れない自分を悲観視していたため、次の行動に移る意欲まで削がれていた。

 傷心のあまり、酒場に入り浸る生活が続いた。

 不味いとしか感じない酒を浴びるように呑み、いらだちを紛らわしていた。


 そんなある日――エドガーは暴漢に襲撃される。


 泥酔して帰っていたところを狙われたのだ。

 だが、酔った程度で賊に負けるはずもない。

 エドガーは瞬時にして暴漢を斬り伏せた。


 首を狙った必殺の一撃だった。

 血を流して倒れる暴漢を見て、彼女は嘆息した。

 しかし直後、エドガーはあることに気づく。


 ――息がある

 ――死んで、いない


 首を斬ったはずなのに。

 見れば、首への一撃は非常に弱まっていた。

 悩みを抱えて以来、初めて手心を加えることに成功したのだ。


 ………………。


 なぜあれほど苦しんだ手加減が、ここで上手く行ったのか。

 考えられるのは、一つしかなかった。

 暴漢を衛兵に引き渡し、エドガーは木彫の人形に剣技を試した。

 いつもならば一刀で両断してしてしまう人形を、軽くなぞった一撃で打ち倒せる。


 手加減ができるのだ。

 この時、エドガーは確信した。


 ――酔っている間は、凶暴な自分が抑えられる


 泥酔状態にあれば、殺気を止めることができた。

 それに伴い、誰かを誤って切ることもなくなった。

 悩まされた悪癖が解決したことにより、エドガーの視界は急激に開けた。


 ただ、傭兵稼業を続けようとは思わなかった。

 酔いながら仕事や訓練をするなど言語道断。

 それに、自分は他にやりたいことがあったのだ。


 良い発見をしたのは幸い。

 しかし、戦場に出る職業からは離れることにした。

 戦わずして、魔法に関する仕事に就こう。


 いろいろ考えた末、エドガーは商売を始めることにした。

 以前から興味のあった分野だ。

 しかし、ただの店ではない。

 魔法書などを取り扱う――魔法商店。


 あの女性のように、魔法を扱う仕事をしたかったのだ。

 しばらくは王都の商店を観察して、ノウハウを勉強した。

 そして傭兵として稼いだ金を元に、エドガー魔法商店を開業した。


 店はそれなりに繁盛した。

 エドガーの目利きや商才は確かなもので、固定客を掴むことに成功したのだ。

 もっとも、その中にはエドガーの容姿を目当てに来店する者もいた。


 商売が軌道に乗ると、今度は次の欲が出てくる。

 そう、幼少の頃から思い抱いていた宿願だ。


 ――あの女性ひとに逢いたい


 死の危険から救い出し、自分をここまで導いてくれた銀髪の女性。

 いつかあの女性に会うために、今は全力を尽くすのみ。

 自分の道を、歩んでいくのだ。

 そう誓って商売を続けること数年――




 ある少年が来店したことによって、

 エドガーの願いは叶えられることになる。





     ◆◆◆



 それは――ずいぶんと不思議な少年だった。

 昼下がりに来店した貴族の子供。

 からかうように声をかけると、ムキになって力を示そうとしてきた。


 そして、エドガーは瞠目する。

 扱える者の少ない上位魔法を使ってみせたのだ。

 只者ではないと思い、エドガーはその少年に興味を持った。


 そして話しているうちに、この少年はとんでもないことを口にした。

 エドガーが恩人の話をすると、その名前をピタリと言い当てたのだ。


 ――ウォーキンス。


 欠けていたピースが、カチリとはまった。

 間違いない、それこそがあの女性の名前だ。

 ウォーキンスさん――探し続けた女性の行方が、ついに掴めた。


 エドガーは即座に詳細を訊いた。

 ウォーキンスという女性は、その少年の使用人であるらしい。


 すぐにでも会いたい。

 そう思ったが、どうやら事情が込み入っているようだった。


 なんでも、大貴族が恩人であるウォーキンスを狙っているという。

 聞いたことがある。

 西方には、欲望のままに女性を手中に収めようとする悪辣貴族がいると。


 許せなかった。

 断固として許せなかった。

 怒りのままに、エドガーは初対面の少年に対して協力を申し出た――


 少年の名前は、レジスと言った。

 ディン家の子息にして魔法使い。

 ラジアスを倒すまでに何度も行動を共にしたが、

 その印象はエドガーの心に深く刻み込まれた。


 ――いわゆる『貴族らしさ』が、その少年にはまるでない。


 一介の平民に気を許したばかりか、

 己の身分を振りかざすことをしない。

 鬱陶しい貴族連中を見てきただけに、少年の態度は意外極まりなかった。


 企みがあって擦り寄っているのか?

 一瞬そう思ったが、どうも様子が違う。

 単純に、相手にしてくれる人を求めている――そうにしか見えなかった。


 現に、暗殺者シュターリンによって店を爆破された時、

 エドガーが死んだと思ったのか、彼は今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 その姿を見て、エドガーは己の心中にあった猜疑の心を恥じた。


 少年の表情はどこまでも悲痛で、とっさに抱きしめたくなった程だ。

 同時に、普段は不敵そうに佇むその少年が、

 実は打たれ弱い心の持ち主であることを知った。


 その一件で、少年が打算的であるという疑いは完全に消えた。

 その淋しげな背中を、守ってあげたくなったのだ。


 ――万が一にも誤って剣刃を振るわないように。

 ――この少年の助けになるために。


 エドガーは過剰なまでに酒を飲んだ。

 泥酔していれば、剣を握っても冷静でいられる。

 少年の前に出る時は、酔いつぶれる寸前まで呑んだ。


 しかし、過度な泥酔は剣を鈍らせる。

 地下でシュターリンと戦った際、不覚を取ってしまった。

 守ろうとしたレジスに、守られてしまう始末だ。


 不甲斐ない。

 あまりにも不甲斐ない。

 その後、決闘でシュターリンと再戦するに辺り、

 エドガーは一滴も酒を飲まなかった。


 溢れ出る殺意の波動。

 目の前の暗殺者を斬り伏せようと、エドガーの凶暴性が牙を剥いた。

 しかしその際、少年に見られていることを意識すると――


 今までにない感情が湧いてきた。

 敵を破砕する衝動と裏腹に、どこか冷静でいられたのだ。

 芯なき殺意が、決意ある戦意に変わったかのようだった。


 揺るぎなき信念で振るわれた、魂の一閃。

 その一撃は、シュターリンを完膚無きに粉砕した。

 レジスも決闘で勝利し、ホルゴス家との争いは幕を閉じた――



 そして、ついにエドガーの悲願が果たされる時が来たのだ。

 そう、恩人ウォーキンスとの再会である。


 胸に渦巻く感謝の想いを伝えるため、事前に何度も練習していた。

 だが、当の本人に出会った瞬間。

 衝撃で全ての想定が吹き飛んだ。


 ――ウォーキンスは、全く見た目が変わっていなかったのだ。


 あの頃と同じ、少女の枠から出切らない体躯。

 ただ一つ変わっていたのは、長かった銀髪が短くなっていたことだけ。

 十九歳となった自分の方が年上に見えたほどだ。


 驚きと緊張のあまり、言葉がほとんど出てこなかった。

 しかし、ちゃんと礼が言えたことはエドガーにとって大きな一歩だった。

 ウォーキンスとの再会を果たし、レジスという親友もできた。


 この二人は、自分を輝かしい毎日に導いてくれた存在。

 彼らとの出会いによって、新たな目標ができた。

 一つは、いつの日かウォーキンスさんに認められる人になること。



 そしてもう一つは、レジスと……レジスと――





     ◆◆◆





「……ガー……ドガー……」


 誰かに呼ばれている感覚。

 声に引かれ、夢の中から引きずりだされようとしていた。

 もう少しだけ、昔に浸りたい。


 そんな想いを砕くかのように、大声が響き渡った。


「おい、エドガー!」

「…………なんだ、いきなり」


 エドガーは目を擦る。

 ここは王都中央街の酒場。

 窓から差し込む光が心地よい。

 どうやら眠気に負けて昼寝をしてしまっていたようだ。


「……寝てる時に怪しげな声を出すな。

 その……私まで変な目で見られてしまう」


 目の前の女性は気恥ずかしげに咳をした。

 見れば、周囲の目がエドガーと対面の女性に向いていたのだ。

 身に覚えのない反応をされて、エドガーは困惑する。


「あたし、なにか変なことを言っていたか?」

「ああ、とても口に出しては言えないことをな……」


 何を口走ったのだろう。

 エドガーは首を捻るが、寝言を思い出すことなどできない。

 そんな彼女を見て、女性は目を細める。


「それにしても、声を掛けても起きないなんて、お前にしては珍しいな」

「何を言う。ちゃんと起きたじゃないか」


 エドガーは即座に反駁する。

 そして、対面に座る女性の姿をしっかりと見据えた。


 目の前に座っているのは、エドガーの元同僚。

 名をクロエ・フランツと言う。


 王国北方傭兵団に所属する女性だ。

 かつてエドガーが、訓練中に斬殺しかけてしまった人物でもある。

 王都で起きたラジアス反逆の際、戦火の中で再会を果たしたのだ。


「まったく、酒場で寝るものじゃないな」


 苦笑して、エドガーは眠気覚ましの水を飲んだ。

 その様子を見て、元同僚のクロエは訝しむように尋ねる。


「何か夢でも見てたんだろ」

「ああ……少し、昔のことをな」


 前髪をいじりながら、エドガーは女性に視線を送る。

 そして、しおらしく深々と頭を下げた。


「あの時、斬って悪かったな」


 傭兵時代、悪癖に負けて斬りつけてしまったことを謝する。

 しかし、クロエは呆れたように肩をすくめた。


「何年前の話を……済んだことだろ。気にするな」


 クロエはシッシッと手で払う。

 暗い話になるのを防ぐためか、彼女はニヤリと微笑んだ。


「それに聞いたぞ。例の癖、克服したんだろう?」

「ああ、ベロンベロンに酔えば癖が出ないんだ」


 世紀の発見とばかりに喜ぶエドガー。

 そんな彼女を見て、女性は呆れ果てる。


「……本当、どんな体してるんだか」

「ふっ、褒めてくれるな。ただ酒に愛されているだけだ」


 エドガーという戦士は、剣を握れば濃厚な殺意が込み上げる。

 止めようとしても手立てのない、不可避の戦意。

 しかし、それは泥酔によって抑えることが可能になった。


 それが、クロエの聞いたエドガーの解決策である。

 噂が真実だと知り、彼女はため息を吐く。


「……酒。あのエドガーが、酒をねぇ」


 クロエは言葉を反芻し、怪訝な瞳を向ける。

 その視線に居心地の悪さを感じたのか、エドガーは首を傾げる。


「……どうした?」

「なにも。ただ、お前が酒に執心するのは意外だなって」

「な、何を言う。こんな飲酒愛好家を捕まえて」


 エドガーは即座に己を指さす。

 その挙動には一種の必死ささえ見て取れた。

 分かりやすい動揺を見て、クロエは肩をすくめた。


 しかし、決して茶化したりはしない。

 悪癖に悩まされていたエドガーの過去を、誰よりも知っているからだ。

 己の正当性を主張するためか、エドガーは酒に抱く想いを語る。


「酒というのは実に素晴らしい。

 陰鬱になる気持ちを吹き飛ばしてくれるからな!

 次に生まれ変わることがあれば、酒の伝道師になりたいほどだ」

「……ふぅん」


 熱の入った演説。

 しかし、クロエの眼は冷ややかである。

 なぜなら、彼女の記憶の中にある、傭兵時代のエドガーは――


「でもさ、エドガー」


 一拍置いて、クロエは昔のことを回想する。

 彼女は仕事を終えた後、酒場に行くのが日課だった。

 そこで、普段から仲の良かったエドガーを誘っていたのだが、その時は毎回――


「その割には、最近めっきり酒飲んでないよな?」


 ただの確認に取れる言葉。

 しかし、それはエドガーの表情を凍りつかせるには十分だった。


「そ、そうかな? 控えめにしてる自覚はあるけど……」

「ああ、そうだと思うよ」


 クロエは大きく頷いた。

 そして核心を突く一言を言い放つ。



「だってお前――酒全然好きじゃないんだし」



「…………」


 沈黙するエドガー。

 その反応を見て、クロエは確信した。

 恐らく、他に知られないよう隠していたのだろう。

 その理由も何となく分かっていた。


 しかし、彼女は止まらない。

 昔の面影と照らしあわせて、エドガーに語りかける。


「確か、味が苦手で敬遠してたんだっけ?

 荒れてる時はヤケになって飲むこともあったみたいだけど」


 特に、自分を誤って斬ってしまった時は、ずいぶんと深酒をしたと聞く。

 元同僚の境遇を思って、クロエは目を伏せる。


「味が無理――でも、悪癖を抑えこみたい時には飲まざるを得ない。難儀な体質だと思うよ」


 呑めば剣が鈍って実力を発揮できない。

 呑まなければ周囲を殺意の餌食にしてしまう。

 あまりに両極端な二択だ。うつむくエドガーに対し、クロエは優しく問うた。


「素直じゃないお前のことだ。

 例の少年の前では、酒好きとして振る舞ってるんだろう」


 例の少年――レジスという貴族の子息。

 彼と出会って以来、エドガーは酒を飲む頻度が爆発的に増加したと聞く。

 それこそ、彼と顔を会わせる時は、最低でもほろ酔い。

 ほとんどは泥酔している状態だそうだ。


 張り詰めていないか、心を案じているのだろう。

 クロエはあえて直接的に告げた。


「お前は例の少年に心配されるのを嫌って、

 変に思われるのが怖くて、悪癖と解決策を黙っているんだ。

 本当は酒なんて、好きじゃないのに――」


 それは邪気のある隠匿ではない。

 むしろ全く逆の――好意の裏返し。

 大事な人であるがゆえに、殺意に巻き込みたくない。

 間違っても斬りかかりたくない。


 だからこそ、エドガーは酒を好む人であろうとした。


「例の少年が王都を離れて以降、

 ぱったり酒を飲まなくなったのが――その証拠だ」


 押し黙るエドガーの前で、一連の考察を全て吐き出した。

 最後に、クロエは彼女の手を取る。

 そして優しく、包み込むように言う。


「でも、私の前では無理しなくていい」


 言いたかったことを、クロエは力強く告げた。


「どうか、偽りなく、ありのままのお前でいて欲しい」


 エドガーに届くよう願った言葉。

 それは酒場の喧騒を置き去りにして、悠久の時間を招来させる。

 共に少女時代を過ごしてきたからこそ体感できる、両者だけの空間。


 しばらくの沈黙の後――


「ああ、分かった」


 エドガーはクロエに向かって微笑みかけた。

 彼女は腕を組むと、感慨深く頷く。


「そこまで言われたからには、私も本音を言おうじゃないか」


 元同僚の想いを無駄にすまい。

 エドガーの姿勢からはそんな覚悟すら見て取れた。

 クロエから全ての考察を聞いたエドガーは、たった一言――




「――すまないが、見当違いも甚だしい」




 冷や汗を掻きながら、同僚の心配を否定した。

 至極真面目な顔。冗談を言っているようには見えない。

 思わず、クロエも上ずった声を出してしまう。


「………………え?」


 眼を瞬かせるクロエ。

 そんな彼女に対し、エドガーは言いづらそうに呟く。


「いや、その……得意げな顔で推測を立ててるし……。

 なんか知らないけど……同情までされちゃったからさ。

 途中で止めるのも無粋かなって」


 エドガーは申し訳なさそうに頬をかく。

 それを見て、クロエは狼狽する。


「え、ぇええええええええええええええええ!?」


 推測が外れていると認めたくないのだろう。

 クロエは顔を真っ赤に上気させ、エドガーに食いかかった。


「……ど、どこだ! どこが違った!?」

「いや、ほぼ全部。そもそも、あたし酒好きだし」

「はぁああああああああああああああああ?」


 悲鳴のような驚き。

 クロエの声に周囲の客がビクンと体を震わせる。

 しかし、彼女はそんなことを気にする余裕はない。

 エドガーを問い詰めようと必死だ。


「あれだけ苦手と言ってたじゃないか!」

「味は別に好きじゃないよ。苦いし」


 酒そのものが苦手であることは否定しない。

 しかし――エドガーは窓から空を見上げる。

 そしてクロエが見たこともないであろう情緒深い表情を浮かべ、噛みしめるように呟いた。


「でも、たとえ酒が不味くとも――

 これで懸念なくあいつと一緒にいられるんだと思うと、飲むのが楽しみで仕方ないんだ」


 クロエは絶句する。

 彼女の言う通り、ほとんどの推測は外れていたようだ。

 ただ一つ当たっていそうなのは、

 例の少年を危険な目に遭わせないため、意識して泥酔している――という点だけ。


 額に手を当て、突っ伏すようにしてクロエは愚痴を言う。


「……なんだ、心配した私が馬鹿みたいじゃないか」


 傭兵時代のエドガーを知っているだけに、仲間を案じようとする繊細さが心配だった。

 それで悩んでいないかと思って確認をとったというのに。

 帰ってきたのは惚気話だった。

 意気消沈するクロエに対し、エドガーはニヤリと笑う。


「ふふ。クロエの早とちりなところは変わらないな」

「う、うるさい! お前にだけは言われたくない!」


 エドガーのからかいに耐えかねたのか、

 クロエは椅子を蹴るようにして立ち上がった。


「……付き合ってられるかッ! もう私は帰る!」


 そう言って、逃げるように酒場から去っていった。

 あの猪突猛進さは、エドガーの中に残る記憶そのものだ。

 変わらぬ戦友の姿に、クスリと笑ってしまう。


 完全に目が覚めたエドガーは、大きく伸びをした。

 そして、離れた場所で頑張っているであろう親友を想う。


「……レジス、どうしてるかな」


 今頃、彼はどこで何をしているだろうか。

 自分のことを忘れてはいないだろうか。

 思えば、数ヶ月しか経っていないというのに。


 こんなにも、これほどにも会いたいと願ってしまうのは――


「……なんだ、女々しいなぁ」


 エドガーは自嘲的なため息を吐いて、席を立つ。

 そろそろ午後になる頃合いだ。

 身体が鈍っては困るので、剣の鍛錬をしに行こう。


 出口に向かう際、カウンターが目に入った。

 魅力的な酒が溢れんばかりに並んでいる。

 しかし、エドガーはその前をゆっくり横切った。


 自分が泥酔した姿を見せるのは、たった一人だけ。

 そして、その一人を守るためにのみ、酒を呷る。

 自分のために飲むのではなく、誰かのために酒を飲む。

 それが、エドガーという女性なのだから――



「会いたいな」



 少年への想いを胸に抱き、

 エドガーは酒場を後にしたのだった。

 

 

  

メリークリスマス。

プレゼント代わりの間話投下です。


次章→1月中を予定。

ご意見ご感想、お待ちしております。



============以下、広報=================


書籍版ディンの紋章3巻が、2月25日に発売予定です。

Amazon様などで予約が始まっておりますので、

何卒よろしくお願いします。

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