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ディンの紋章 ~魔法師レジスの転生譚~  作者: 赤巻たると
第七章 旅立ち、連合国編
129/170

エピローグ

 


 商王議まで残り一週間。

 数日前のドラグーン襲撃で、首都ミリアンポートは揺れに揺れた。


 しかし、商王や関係者への被害はなかった。

 大海賊と竜殺しの奮戦が大きかったようだ。


 だが、間違いなくMVPはウォーキンスだった。

 一人で竜騎士の一個小隊を蹴散らす恐ろしさよ。


 そして今日。

 早起きした俺は、負傷したバドの様子を見に部屋へ入った。


「バド、身体は大丈夫か?」

「ああ、問題ねえ」


 バドは肩の辺りに包帯を巻いていた。

 漆黒のパーカーコートを脱いだ姿は妙に新鮮だ。


「折れた箇所は固めた血で固定した。

 あとは自然治癒に任せるしかねえ、って思ったんだが――」


 バドは勢い良く肩を回す。

 骨折した後にその動きはまずいんじゃないのか。

 しかし、バドは大きく頷いて肩を撫でた。


「予想以上に治りが早いな。

 正直、あの嬢ちゃんの魔法には期待してなかったぜ。

 腐っても治癒魔法ってことか――さすがに希少な魔法だけあるわな」


 褒めてるんだか貶してるんだか分からないコメントだ。

 しかし、傷が治りかけていることは嬉しいらしい。

 と、バドは掛け時計を見て呟いた。


「そろそろ朝食か……。

 正直、あの嬢ちゃんとは顔を合わせたくないんだがな」


 バドはボリボリと頭を掻きながら、パーカーコートを着用する。

 そして面倒くさいと言わんばかりに溜め息を吐いた。


「ま、同席くらいは我慢するか」


 部屋を出て、大広間に向かう。

 食事の配膳が完了するまで、ここで寛ぐつもりなのだろう。

 バドは美味そうにパイプをくゆらせている。


 そんな彼に、先程から気になっていたことを尋ねた。


「……もしかして、ソニアさんのこと苦手なのか?」


 ソニアの見た目は限りなく大人に近い。

 子供嫌いフィルターには引っかからないはずなのだ。

 俺が訊くと、バドは嘲るように呟いた。


「信仰心だとか、忠誠だとか、

 そういう目に見えないものに心酔しない主義なんでね」


 

 そういえば、忠誠心は必要ないと言ってリムリスに叱責されてたな。

 バドは右手を強く握り、俺に告げてきた。


「絶命の危機に瀕しても、神は何一つ救っちゃくれねえ。

 自分を救えるのは、今そこにいる人間だけだ」


 どうやら、地雷スレスレの質問だったようだ。

 前に神様関係で何かあったのだろうか。

 首をひねっていると、広間の扉が開いた。


「おはようございます」


 ウォーキンスだ。

 竜騎士たちと派手に戦ったというのに、かすり傷ひとつ負っていない。


 まさか相手側も奇襲に差し向けた部隊が、

 まとめて叩き落とされるとは思わなかっただろう。


「おはよう、ウォーキンス」

「……よぉ」


 爽やかな挨拶を返す俺とは対照的に、バドはげんなりとした顔をする。

 そういえば、ウォーキンスとも相性が悪いんだったか。

 今回の仕事を受けて、バドはことごとく天敵に出会ってるな。


「今、何やら面白そうな話をしていらっしゃいましたね」


 ウォーキンスはワクワクした様子で訊いてくる。

 神様の話題について語りたいのだろうか。


「面白そう? 不愉快な話の間違いだろ」


 そっけない返事をするバド。

 しかし、ウォーキンスは構わず持論を展開した。


「人を救うかどうかはともかく、

 神や精霊というのは実際に存在するのですよ?」

「……らしいな」


 バドは不明瞭な応答を返す。

 そう、この世界で神を信仰することは、

 俺の持っていた常識とは少しニュアンスが違う。


 架空の存在を作り出し、偶像崇拝する宗教――

 そういったものは殆どないのだ。

 現物として存在する神に対して、

 憧憬と畏怖を向けるのがメジャーな教義である。


 例えば、黎明の五神。

 アレクの師匠である拳神を含め、それぞれの神に対して世界中に信者がいる。


 大陸の四賢もそうだな。 

 学者によっては、四賢を天より遣わされた神と解釈する者もいた。


 ウォーキンスは面白そうに質問を重ねる。


「想像を超える魔力によって転変を引き起こす。

 その神々しい姿に心溺れるのは、自然なことだと思いませんか?」

「思わねえな。この目で見たもの以外は断じて信じねえ」


 バドの態度も一貫している。

 この分だと、目の前に神や精霊を連れてこないと信じそうにないな。

 土台無理な話だが――


 しかし、ここでウォーキンスはクスリと邪悪な笑みを浮かべた。

 考えを改めろと言わんばかりに、圧迫感のある一言を添える。


「では、実際の神を見たバドさんは、これからはちゃんと信じてくださいね」


 一瞬、俺は彼女の言葉の意味を考えた。

 そして俺が顔をひきつらせるより早く、バドが冷や汗を浮かべた。


「テメェ……まさか――」


 バドは音を立てて立ち上がる。

 しかし、ウォーキンスはそれを制するように続けた。


「冗談です。私はただの使用人ですよ」


 口元に指を持って行き、シーッと唇の形を作る。

 その時、ウォーキンスは俺の方にチラリと視線を向けてきた。

 気づけば、俺も無意識に席から立ち上がっていたのだ。


「ふふ。レジス様も、本気になりすぎです」

「心臓に悪い冗談はやめてくれよ……」


 俺の手はじっとりと汗ばんでいた。

 ウォーキンスが”ある神”だと疑ったことは――ないとは言えない。

 だからこそ、肝の冷える発言に対して、過敏に反応してしまったのだろう。


 ウォーキンスの明るい声が室内に響く。

 しかし、どんよりとした雰囲気は拭いきれなかった。

 と、そんな時――


「ふぅ……終わりましたぁ」


 扉を開けてソニアが入ってきた。

 目の下にクマができており、ハードな夜を過ごしたことを感じさせる。

 心なしか足元もふらついているように見えた。


 俺はそれとなく椅子まで誘導する。


「大変だったみたいですね」

「あ、ありがとうございます」


 ペコリと一礼して、ソニアは席に座った。

 彼女の手はインクの飛沫で黒くなっている。

 深い息を吐いて、疲労の理由を説明してきた。


「竜殺しが無権特区の修繕費を要求してきたり、

 大海賊が報奨金をせびってきたり、交渉に苦慮しました……」


 なんと、金をたかられていたのか。

 まあ、外敵を一身に受けて排除する大役を負っているのだ。

 竜殺しや大海賊が、見返りを要求してきてもおかしくはない。


「しかし、悪いことばかりではありません。

 ようやく全商王の動向が掴めました!」


 竜殺しや大海賊の報酬などは、全商王たちが分割して拠出している。

 今回の襲撃に伴う臨時報酬に応じるため、ソニアは派閥に関係なく通達を出したらしい。

 そして、全ての商王から返事が来た。


 以前から書状で確認を行っていたが、

 今回の一件が決め手になったそうだ。


「一応、十八人の商王は全員、首都に集まる予定のようです」


 出席するかはともかく、親帝国派も商王議まで待機するつもりなのか。

 まあ、もし親帝国派の商王抜きで開催に成功してしまったら、

 帝国にとって不利極まりない決議が出されまくるからな。

 保険として首都に足を運んでいるのだろう。


「親王国派と親帝国派は、既に全員が首都入り。

 中立派も一人を除いて、七人が首都で開催を待っています」


 つまり、十七人がもう集まっているのか。

 まだ到着していないのは中立派の一人だけ。

 親帝国派が開催を阻止しようとすれば、その商王を狙う可能性が高い。

 しかし、こちらの思惑を見越して裏を掻いてくることも考えられる。


 俺はソニアに注意を促す。


「親王国・中立いずれかの商王が一人でも欠けたら、

 商王議は流れてしまいます。

 既に集結した商王たちにも、しっかり自衛を要請してください」

「はい、もちろんです」


 ソニアは頷きながら、抱えていた書類の一つを取り出した。

 そして俺の言ったことへの対応を告げてくる。


「一応、各商王は自家で抱えている私兵を動員しているようです。

 念のため、アストライト家からも護衛の補助衛兵を派遣しています」

「それでしたら安全ですね」


 しかし、補助衛兵という存在は素晴らしいな。

 正規の私兵を編成して送りつけて「心配だから守ってやるよ」と言えば、商王側もムッとするだろう。

 自分の家の兵を信用していないのか、と思われかねない。

 だからこそ、各商王の手伝い役として派遣したのだ。


「もちろん、開催期日まで最大限の注意を払います。

 商王議を成功させて、父様の無念を晴らすために――」


 ソニアは小声で断言した。

 彼女なりに、確固とした決意をしたのだろう。

 武者震いか緊張か、彼女の身体は少し震えていた。


 ガチガチなのはよろしくないな。

 心が疲弊してしまう。

 俺は安心させるように声を掛けた。


「俺たちがいますから、困ったときは頼ってください」

「……はい、ありがとうございます!」


 ソニアは嬉しそうに頷く。

 この調子で商王議に臨みたいものだ。


 と――廊下から足音が聞こえてきた。


「ナッシュ様。失礼します!」


 扉を開けて入ってきたのは、門番だった。

 ずいぶんと青い顔をしている。


「な、なんでしょう」


 ただごとではないと感じたのだろう。

 ソニアは表情を強ばらせて尋ねた。


「――デュラニール家の方が、面会を求めております!」


 その一言で、ソニアの様子が一変した。


「…………ッ」


 怯えたような反応。

 まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。

 俺は隣にいるウォーキンスに耳打ちで尋ねる。


「デュラニール……?」

「親帝国派の首領・ゼピル氏の商家です」

「ああ、前に聞いたな」


 商王ゼピルが率いている家か。

 親帝国派という巨大な派閥を取り仕切る大商人だ。

 新興ながら、その勢いは凄まじい。

 現在ではソニアのアストライト家に次いで連合国No.2である。


 報告に対して、バドは不敵な笑みを浮かべる。


「上等じゃねえか。親玉の顔を拝んでみたかったのよ」


 ずいぶんと乗り気だな。

 ゼピルへの個人的な恨みすら感じさせる。

 まあ、暗殺者を差し向けられたせいで、彼はことごとく観光を潰されていたのだ。

 さすがにトサカにきているのだろう。


 ソニアはゼピルの名前を聞いて、身体を震わせている。


「ソニアさん、大丈夫ですか?」

「……は、はい。

 少し苦手な方ですが、アストライト家の当主としてお出迎えします」


 どうやら面識はあるようだ。

 当主として会うのは初めてになるが、

 先代ナッシュが健在の頃から顔は見知っていたらしい。


「護衛も兼ねて、俺が嬢ちゃんの隣に立っとく。

 レジス、ウォーキンス――テメェらは隣の部屋にでも隠れといてくれ」


 む、意外な方策だ。

 バドが面会に立ち会うのは納得できる。

 しかし、わざわざ俺とウォーキンスが隠れる必要があるのだろうか。


「俺たちがいることは既に知ってるんじゃないのか?」

「多分な。だが、チラつかせてこない限りは、こっちも動かないほうが無難だ」


 ゼピルの出方によって手を変えるということか。

 バドの言うことも一理ある。

 こちらの情報を最初から相手に与えることはない。


「分かった。頼んだぞ、バド」

「いつでも動けるよう、私とレジス様で待機しておきます」


 俺とウォーキンスは頷いた。

 と、ここでソニアの独り言が耳に入った。

 どうやら祈りを捧げているようだ。

 月を象ったブローチに手を添え、必死に懇願していた。


「十六夜神様……どうか私をお守りください」


 祈祷によって、少しは心が落ち着いたようだ。

 大きく深呼吸をした後、ソニアは席を立った。


「で、では、皆さん……よろしくお願いします」



 こうして、俺たちは商王ゼピルとの面会に臨むのだった――



     ◆◆◆




 俺とウォーキンスは、接見室の隣にある部屋にいた。

 ここには接見室を一方的に覗ける設備が設置してある。

 その名も――背面魔鏡。


 ドワーフ鉱山から掘り出された鉱石で作られており、

 蓄積した魔素によって特殊な性質を持っている。

 片面からのみ向こう側を覗くことができ、音すらも通過させるのだ。


 俺とウォーキンスは、壁に嵌めこまれた背面魔鏡の前に立つ。


「すごい鏡だな……ドワーフ鉱山ではこんな石も採れるのか」

「太古の昔から、貴重な鉱石が発掘され続けてきた場所ですからね」


 ドワーフ鉱山は切り立った連峰であるため、防衛面でも優れている。

 500年前、その有用性を恐れて、邪神が優先的に襲撃したほどだ。

 ウォーキンスは鏡を覗き込み、接見室を確認した。


「おや、ゼピル氏が入ってくるようですよ」


 その声で、俺も鏡の向こう側を見た。

 ソニアは長テーブルの最奥。

 緊張した面持ちでゼピルの入室を迎えた。


 その隣では、バドが覇気のなさそうな態度で立っている。

 清廉なシスター服の女性の横に、黒ずくめで冒涜的な見た目の男。

 なんという絵柄だ。


「――失礼致す」


 と、ここで老練な声が聞こえてきた。

 どうやらゼピルが入ってきたようだ。

 しばらくすると、鏡から見える位置に姿を現した。


「あれが……ゼピルか」

「魔力の匂いが濃いですね。中堅の魔法師並です」


 ピチっとした商人服に身を包んでいる。

 茶色の眼は非情に鋭く、猛禽類を思わせた。


 髪は茶髪のオールバックで、全体的に引き締まった印象を与えてくる。

 整えられた口髭が重厚な気品を漂わせており、威圧感をいっそう高めていた。


 あれが親帝国派を率いる男――ゼピル・ゴルダー・デュラニール。

 彼は一礼をした後、ソニアに挨拶をする。


「デュラニール家当主、ゼピルと申す者です。

 ソニア殿、お久しゅうございますな」


 洗礼名ではなく、本名でソニアを呼んだ。

 それに対し、ソニアは微妙な表情を返した。


「おっと、失礼。ソニア殿はナッシュを継承されたのでしたな。

 以降、ナッシュ殿とお呼び致そう」


 クックック、とゼピルは喉を震わせて笑う。

 からかうためにわざと間違えたのだろう。

 ソニアの父親に起きたことを知っておいて、ずいぶんな挨拶である。


「―――」


 と、ここでバドが無言でゼピルを睨みつけた。

 主導権を渡さないために、牽制しているのだろう。

 すると、ここで初めてゼピルがバドを視界に入れた。その瞬間――


「…………ッ」

「……バドさん?」


 バドが顔をしかめて肩の辺りを押さえた。

 痛みに耐えるような苦悶の表情。

 ソニアは心配するように彼を見上げた。


「おや、治癒魔法でも掛けておられたのですかな?」


 ゼピルは驚いたような声を出す。

 しかし、確認する彼の唇は嫌に吊り上がっていた。

 負傷していることを知った上で、バドに何かをしたのだろう。


「申し訳ない、私の眼はちょっと特別製なもので――」


 ゼピルは済まなそうに愛想笑いを浮かべた。

 そして右目をぎゅっと瞑り、その瞳に宿した特殊な力を説明する。


「視認した魔法の効果を、全て解除してしまうのですよ」


 神殺しの大精霊として恐れられた魔眼公アスティナ。

 そのアスティナが持っていた魔眼の一つ――破魔眼。

 魔法によって発生した恩恵や異常などを”視る”だけで打ち消してしまう。


 本当に、ゼピルはその眼を持っていたのか。


「何があるか分かりませんので、

 こうして瞑っておくことにしましょう。ところで、座っても?」

「ど、どうぞ……」


 ソニアはバドを心配しながらも、ゼピルに座るよう促した。

 そして、給仕が茶を持ってくるのも待たず、本題を切り出してくる。


「しかしまあ、多くの商王が警戒している時期に、自ら商王議を開かれるとは。

 その胆力には感服いたしますなあ」

「……どういう意味でしょうか」


 ゼピルは皮肉げな口調でソニアに迫っていく。

 少しムッとしたソニアが真意を尋ねると、ゼピルは鋭い一言を発した。


「――石版の管理責任。

 これを問う商王がいることは、ナッシュ殿もご存知でありましょう?」


 これだ。

 親帝国派はドラグーンに石版を盗まれた件を元に、

 アストライト家を徹底的に糾弾している。

 その苛烈な責めによって、先代ナッシュの病状は急激に悪化したのだ。


「……当家が管理していた石版が持ちだされたのは、恥ずべきことであると思います」


 下手に相手取らず、ソニアは流すように頷いた。

 反論してこない様子を見て、ゼピルは次の話に移る。


「いやぁ、私としても楽しみで仕方ありませんよ。

 いったいナッシュ殿が、商王議で何をおっしゃられるのか――」


 商王議が開かれる前提で話を進めようとしている。

 暗殺者を起用してまで開催を妨害していたというのに、とんでもない二枚舌だ。


「石版を奪われたことの謝罪か……。

 あるいは先ごろから続くドラグーンの案件についての相談か……」


 ゼピルは商王議で話される内容の予想を立てていく。

 明らかに何かを狙っている口ぶりだ。

 そして最後の一刺しと言わんばかりに、ゼピルは鼻高々に宣告した。


「――はたまた、王国の使者が石版を携えてやってきたことでしょうかな」


 やはり、こちらの存在は知っているようだ。

 しかしここで、バドが仮面の奥にある眼を煌めかせた。


「どこで俺たちの存在を知ったか聞きたいもんだね」


 反撃とばかりに揺さぶりをかけたのだろう。

 しかし、ゼピルは軽くいなしてくる。


「なに、少し前から首都に滞在しておりましたゆえ。

 麾下の者が色々と報告してくれたのです」


 あくまでも刺客を雇っていたことを認めないようだ。

 合法的な手段で、王国からの使者の存在を知ったと言いたいのか。

 ゼピルは舐めるような視線で部屋を見渡す。


「……しかし、今はこの場にいないよう様子。

 別室にて匿っておられるのでしょうなあ。

 もしそうだとすれば慙愧に堪えない臆病者だ」


 ククク、とゼピルは嫌に笑う。

 無礼な物言いに、バドが一歩踏み出した。

 警告を発され、ゼピルは心外といった顔をする。


「おっと、心違えなされぬよう。私は事を構えるつもりなどありませんよ」


 戦うなんてとんでもない、と首を横に振る。

 しかし、次の言葉はバドを煽り立てようとするものだった。


「――暗殺者を屠る王国の秘密機関に、殺されたくはないのでね」


 どうやら、竜騎士から多少なりとも話は聞いているらしい。

 俺の情報が出てこないということは、

 バドに関してだけしか報告してない可能性がある。


 まあ、あの竜騎士もバドに命を握られているのだ。

 よほど都合の悪いことは喋っていないだろう。


「――テメーこそ勘違いすんなよ。

 王国の秘密機関に属する人間なんざ、この屋敷には一人もいねえ」


 バドは挑発には乗らなかった。

 さすがに場馴れしているな。


 と、ここで俺の右肩がつつかれた。

 ウォーキンスが神妙な様子で顔を覗きこんできている。


「どうした? ウォーキンス」

「レジス様……面会の間だけ、こちらに着替えて頂けませんか?」


 そう言って、ウォーキンスは服を取り出した。

 いきなり出したように見えたが、これも次元魔法なのだろうか。

 質の良い生地で手触りも抜群。


 しかし、その意図がわからない。


「宮廷に仕える護衛魔法師の着るローブです」

「護衛……ローブ……」


 ここでウォーキンスの狙いがわかった。

 なるほど。

 よくもまあ、面白いことを考えつくものだ。

 が、ウォーキンスはなぜか悩ましげな顔をする。


「しかし、これはあくまで護衛兵の着る服。

 これをレジス様に勧めるのは、使用人として無礼の極みですが――」

「いや、いいよ。貸してくれ」


 俺は即答して服を拝借した。

 誰がウォーキンスを責めたりするものか。

 俺は彼女に微笑みかけながら告げた。


「あと、無礼なんて気にしなくていいよ。

 思ったことはなんでも言ってくれ」

「レジス様……」


 ウォーキンスは胸をぎゅっと抑えた。

 そしてここぞとばかりに熱い視線を送ってくる。

 ……そんなに見つめられてると着替えにくいんですが。


 まあ、ローブなので上から羽織るだけなんだけど。

 胸の高鳴りで指が震えてしまう。

 すぐに着替え終わり、ウォーキンスとともに鏡の観察に戻った。


「そ、それで……ゼピル殿は何をしに当館へ?」


 ソニアが恐る恐る尋ねる。

 すると、ゼピルは醜悪に口の端を吊り上げた。


「新しいナッシュが誕生したと聞きましてなあ。

 いてもたってもいられず、こうして祝福しに参った所存です」

「…………っ!」


 ソニアは信じられないといった顔になる。

 一番タチの悪い言葉だ。

 父親を亡くして、ソニアがどれだけ苦しんだと思っているのか。

 果てしない下衆だ。


 ソニアの言葉を待たずして、ゼピルは恭しく一礼する。

 そして懐からあるものを取り出し、丁重にソニアへ示した。


「祝儀と言ってはなんですが、こちらをどうぞ」


 見た目には、小さな紙片に見える。

 しかし、どうやらサラサラとした粉が中に入っているらしい。

 ソニアは怪訝な様子で尋ねる。


「これは……?」

「先代ナッシュ殿が罹患していた病の”特効薬”です」

「――――ッ!」


 ソニアは驚愕で目を見開いた。

 そして後を追うように、悲痛な表情になる。

 彼女は喉をひきつらせて、ゼピルに確認を取った。


「し、しかし……父様の病は不治のものと聞きましたが……」

「その昔、一族が同じ病に掛かりましてな。

 当家で薬を作らせていたのですよ。数年前から、大量に保管しておりました」


 立て板に水を流すような弁舌。

 先代ナッシュの病を一発で治す薬を、秘匿していたことになる。

 それどころか、全てを知った上で糾弾し、追い込んでいたのだ。


 ソニアはもう、今にも泣きそうな状態になっている。

 目に大粒の涙を浮かべ、震えた声で訴えようとした。


「そ、それなら……」


 しかし、ソニアは言葉を飲み込む。

 喚き散らしたい想いを押し殺したのだ。

 彼女が何を言わんとしていたかは分かる。


 『なぜ父様が苦しんでいた時に、それをくれなかったのか』だ。

 しかし、この外道な男を見ていれば答えは明白だ。


「もしナッシュ殿が父上と同じ病に掛かった時は、これを服用してください。

 ご安心を、効果と安全性は保証されておりますゆえ」


 そう言って、ゼピルは薬をソニアに差し出した。

 彼女は泣きじゃくりながら、無意識にそれを受け取ろうとする。

 しかし次の瞬間――


 バドが横から薬を奪い取った。

 そして粉末状の薬をパイプに詰め、見せびらかすようにふかし始める。


「……貴様、何を」


 予想外の行動だったらしく、ゼピルが顔を歪める。

 しかし、彼は知らない。

 ゼピルのような商人が信じる価値観の中で、バドが生きていないことを。


 バドは煙を大きく吸いこむ。

 そして間髪入れず、ゼピルの顔に浴びせかけた。


「……ゲホッ、ゴホッ」


 気管支に入ったのか、ゼピルは大きく咳き込んだ。

 その様子を見て、バドはパイプを懐に仕舞った。

 そして窓の外に残りの煙を吐き出す。


「まずい粉だな。毒にも薬にもなりゃしねえ」


 そしてこの一言である。

 ゼピルはすぐに平常を取り戻し、バドに非難するような言葉を浴びせる。


「……貴重な薬に、なんということを」

「ホラを吹くのはやめとけ。

 こんな草使っといて、騙せると思ってんじゃねえぞ」


 こんな草。

 まさか、今のあてつけの一服で、薬の正体を当てたというのか。

 ゼピルは反論のために口を開く。


「貴様……」

「――魔草オルゴニウス」


 が、バドが二の句を継ぐのを許さない。

 聞いたことのない草の名前を断言して、ゼピルを黙らせる。

 バドは肩をすくめて、薬のなくなった紙片を握りつぶした。


「これでもまだ貴重だって言うか?」

「…………」


 どうやら図星だったようだ。

 薬に関して、ゼピルは完全に沈黙した。

 しかし、バドに対して他方面から責めようとした。


「王国の従者がかようなことをして、ただで済むとでも?」

「おう、問い合わせてみればいいぜ。

 俺の名はバド・ランティス。逃げも隠れもしねえ」


 バドは自信満々に己の胸を指さした。

 名乗りを上げる余裕まであるようだ。

 しかし、その圧倒的な自信も頷ける。なぜなら――


「王宮が正式に俺を”王国関係者”と認めたら、

 土下座でも何でもしてやろうじゃねえか」


 そう。

 バドの所属する『暁闇の懐剣』は水面下の組織。

 連合国において竜殺しや大海賊が”無関係な勢力”であるのと同様に、

 王国において暁闇の懐剣は”存在しない組織”なのだ。


 確認した所で、認めるわけがない。


「文句があるなら商王議で聞くぜ。

 罰したいなら俺を処刑する決議でもするんだな」


 バドはそう吐き捨てて、ソニアの横に戻った。

 今の舌戦の間に、ソニアは平静を取り戻したようだ。

 涙を拭ってゼピルに視線を据える。


「私は……父様の跡を継ぎ、必ず内憂と外患を取り除きます」


 帝国に擦り寄る新興のデュラニール家。

 王国と共に発展を望む古参のアストライト家。

 この面会によって、その対立が決定的なものになろうとしていた。


 ソニアの決意に対し、ゼピルが肩をすくめる。


「酷な言い分だ。まるでこの私を逆賊であるかのように……」

「――失礼します」


 ゼピルの言葉を遮り、俺とウォーキンスは入室した。

 奴に打撃を与えるのはここしかない。


 王国の魔法師服を着た俺と、給仕服を身に包んだウォーキンス。

 そんな俺たちは、低姿勢のままソニアの横に歩いて行った。

 これを見て、ゼピルが好戦的に微笑んでくる。


「おやおや、王国からはるばる連合国へようこそ。使者のお付きの方ですかな?」


 矛先を俺に向けてきたか。

 これは好都合。

 俺は皮肉を込めてゼピルに返答した。


「まったく、大変でしたよ。

 我が主を襲撃する刺客の多いこと多いこと」


 熟練の魔法師っぽく肩を回してみた。

 ゼピルは俺の顔をまじまじと注視してくる。

 そして、喉を震わせて答えてきた。


「危険な輩がいるものですな。

 別室に控えておられる使者と従者殿にも、気をつけるようお伝えくだされ」


 ニィっと老獪な笑みを浮かべる。

 使者と従者の数くらいは把握している、と言いたいのだろう。

 安全圏から牽制してるつもりなんだろうが――


「あれ? おかしいですね」


 墓穴を掘ったな。

 俺は大げさに首を傾げる。

 すると、ゼピルの表情が張り詰めた。


「……なに?」

「従者としてついて来たのは、このウォーキンスとバドの2名。

 使者はこの私――レジス・ディンです。

 なぜ今、『他に使者と従者がいる』と仰られたのですか?」


 ゼピルの顔から余裕が消えた。

 自分の掴んだ情報が誤りだったことに、ようやく気づいたようだ。

 彼は肩をすくめて失言をごまかそうとする。


「…………いやはや、失礼。

 使者となれば、宮中の壮年たる家臣が来ると思っておりましたので――」


 苦しい言い訳だ。

 しかも人数の話から注意を逸そうとしている。


 どう見ても従者にしか見えない俺とウォーキンス。

 そして、自己紹介をしたバド。

 間違った報告を聞いていたゼピルは、

 他の部屋に使者と従者がいると思ってしまったわけだ。


 言葉を詰まらせるゼピルに、俺は助け舟を出してやる。


「私を護衛の従者だと間違えてしまった、と」

「……ええ、その通りです」


 ゼピルは一瞬だけ逡巡した後、同調してきた。

 自分の乗ったのが泥船であることも気づかずに――


「――だとしても、従者の数が合いませんよ?」


 ここで、ウォーキンスが口を開いた。

 人数の件へ話を引きずり戻したのだ。


 彼女は右手で3本の指を立てる。

 使者と従者を含めて、王国から来たのは3人。

 ゼピルの言った言葉と相反する。


 ウォーキンスは邪悪な笑みを浮かべて、ゼピルに声を掛けた。


「もしかして、王国から来たのが『壮年の使者一人』と『従者五人』だという話を、

 ”どこかのドワーフから”聞いたのではないですか?」

「…………」


 ゼピルは沈黙する。

 そう、俺たちがドワーフ鉱山を通過した時、

 ウォーキンスが刺客に幻覚を掛けたのだ。


 王国方面から来たのは3人ではなく、6人であると。

 それを聞いたゼピルが、見事に自爆してしまったわけだ。


「……ドワーフ? 知りませんな。

 人数に関しても、単に覚え間違いをしてしまっただけです。

 老体をあまり虐めなさるな」


 そう言って、ゼピルは話を打ち切った。

 これ以上の詮索を避けたいのだろう。

 苦笑してごまかしているが、ゼピルの顔からは苛立ちの念が見て取れた。


 ゼピルはウォーキンスを睨み、ボソリと呟く。


「それと、使用人ごときが気やすく商王に声をかけるな」


 それに対し、ウォーキンスはスカートの裾を摘み、一礼を返した。


「これは失礼しました――雇用者様」


 ゼピルの下衆な笑みに負けず劣らずな、妖艶極まりない微笑み。

 隣にいた俺までもがゾクッとしてしまう。


「…………」


 最後に皮肉を返され、ゼピルは憤りを隠せないようだ。

 ニコニコと上機嫌なウォーキンスに羞悪の視線を向ける。

 しかし数秒後、息を吐いて立ち上がった。


「――ナッシュ殿への挨拶も済んだので、そろそろ帰るとしましょう」

「おう、二度と来んなよ」


 退却する腹づもりのようだ。

 そしてバドの辛辣な即答がえげつない。

 反論するかと思ったが、ゼピルはバドの軽口を無視した。


 引き際を弁えている辺りは、油断できない強かさだ。

 ソニアは最後に、ゼピルに対して応戦する決意を告げた。


「――次は、商王議でお会いしましょう」


 すると、ゼピルは底冷えのする声を返した。


「商王が揃うとは限らないことを――お忘れなく」


 そう言って、ゼピルは部屋から出て行く。

 扉が閉まる瞬間、ソニアは宣告するように言い放った。


「……いいえ、開きます。開いてみせます。

 この家を、この国を守るための、商王議を――!」


 この日、親王国派と親帝国派を代表する当主が相まみえた。

 しかしてその実態は、気の弱いソニアをゼピルが挑発しに来たというもの。


 だが、ソニアに言い返されるどころか、危うく致命傷を負うところだった。

 金で雇った刺客の言葉を、あまり信用しないことだ。


 運命の商王議まであと少し。

 観光も楽しんだことだし、最後の仕事をするとしよう。

 しっかり役目を果たして、王国に帰りたい。



 波乱が近づく中、俺は親帝国派と対決する覚悟を決めたのだった――


 

 

第七章・完

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