第十一話 連合国の朝
連合国での二日目が始まった。
爽やかな目覚めである。
俺はナイフを腰に差し、立ち上がった。
部屋の外に出ると、給仕に挨拶をされた。
ソニアがどこにいるのか聞いたのだが、彼女は今礼拝をしているらしい。
月の見えなくなる明け方と、月が煌々と輝く夜。
一日二回の祈りを欠かさず、たまに昼過ぎまで祈願を続けることもあるそうだ。
その信心深さは一種の尊敬を覚える。
懐かしいな、俺もかつては天に祈っていたよ。
配牌の神、メダルの神、銀球の神――様々な神へ祈祷を捧げたものだ。
まあ、信心が足りなかったようで、奇跡は起きなかったけど。
このタイミングで館の人に出会えたのは良かった。
俺は給仕さんに尋ねる。
「この近くに素振りができる場所ってあります?」
それでしたら、と紹介された場所は――
館を出て徒歩5分。
長々と広がる雄大な砂浜だった。
敷地内の庭を貸してもらえるかなと思ったのだが、甘かった。
まあ、この場所の方が断然広いので良しとしよう。
遠くには大海賊の小島が見える。
鍛錬の際はたいていウォーキンスが同伴しているのだが、
今日は一人で取り組みたい気分だった。
「まずは、普通の水魔法から――」
ゆっくりと魔素を体になじませ、水魔法を詠唱。
適正を高める修練を行う。
毎日欠かさず制御の練習をしてきたからか、
水の性質をいじるのも上手くなってきた。
地面に浸透しやすい清らかな水。
骨肉をも斬り裂く高圧の水流。
乱発はできないが、その変質性は増してきている。
少し息を吐いて、俺はナイフを抜いた。
今日の修行のメインになる魔法を練習するのだ。
対シャンリーズ戦の切り札になるであろう技――流水刃。
今までに一度も発動に成功したことはない。
しかし、イメージも定着してきたので、そろそろ成功してもいいはず。
そんな俺の希望を砕くかのように、水属性の魔素は刃に宿ってくれない。
何度試しても、魔剣刃の決定的なコツが掴めなかった。
「……くそ」
汗を拭って詠唱を続けていく。
度重なる失敗にげんなりしていると、背後から声をかけられた。
「――お困りですか、レジス様」
背後を振り向く。
砂浜にある大岩にウォーキンスが腰掛けていた。
まさか、ずっと見ていたのか。
「……なにしてるんだ?」
「いい天気なので、少し潮風に当たりに来たのです」
そう言って、ウォーキンスは髪を緩やかに払う。
浜辺を通り過ぎる風で、彼女の銀髪がふわりとたなびく。
一種の神々しささえ感じる光景だった。
「……よいしょっ」
ウォーキンスは軽く呟いて浜辺に降りてきた。
そして俺の背後に周り、腕を掴んでくる。
「イメージにこだわるあまり、ポーズが蔑ろになっています。
基本の構えは、両腕を前に突き出して――こうです」
言われた通りに姿勢を直す。
すると、明らかに魔力の伝導量が変わった。
詠唱へ至るまでの流れがスムーズになる。
「おぉ……ぜんぜん違うな」
「上位の魔法を使う時こそ、基礎を忘れないことです」
身にしみる言葉だ。
イメージとポーズは、それこそ幼児でも注意を払えるものである。
しかし、魔法を修得する際には、この2つが何より大切なのだ。
ウォーキンスにポーズの指導をされて、思わず苦笑する。
「なんか……思い出すな」
「と、いいますと?」
ウォーキンスはきょとんとした様子で訊いてくる。
そんな彼女に、俺は昔のことを告げた。
「初めて火魔法を教えてもらった時のことだよ」
「そうですね、私もよく憶えています。
あの時から、レジス様に魔法を教えていたのでしたね」
指導時に不可抗力で押し付けられる胸に動揺した記憶が蘇る。
いや、現在もそんなことをされると、赤面してしまうのだけれど。
ウォーキンスは俺の腕を慈しむように撫でてくる。
「あの時と比べると……本当に上達しましたね」
最初はイグナイトヘルのような高位魔法は使えなかった。
ガンファイア等の超初歩的なものを教わっていたのだ。
あの時の鍛錬があったからこそ、今の俺がある。
しかし、未だ満足には程遠い。
俺は首を振って本意を伝えた。
「いや、まだ全然だよ。
魔法を使う技量は、ウォーキンスやアレクには到底……」
「――届かなくていいのです」
ウォーキンスが割り込むように告げてきた。
まるで子供の危険行為を、窘めるかのように――
「……え?」
急な断言に、困惑の声しか返せない。
しかし、ウォーキンスは続けざまに言ってきた。
「私やアレクサンディア様は、
魔法師としてレジス様が目指してはいけません」
彼女には珍しく、強い口調だった。
普段は決して見せることのない否定の言葉。
俺の困惑に気づいたのか、ウォーキンスは指を立てて詳しく説明してくる。
「あまりに強大な魔力は、肉体の器に収まらなくなるのです」
「暴走する、ってことか?」
「自我を失い、魔素がもたらす破壊衝動のままに、
殺戮を繰り返してしまうようになります」
「…………」
まるで見てきたかのような言い方だ。
いや、あるいは経験したかのような――
ウォーキンスは淡々と、しかし警告するように宣告してきた。
「一度暴走すれば、魔素が身体を腐らせるまで止まらなくなります。
そして暴走を終えた後、その生命は――」
死ぬってことか。
俺はアレクの言葉を思い出す。
あれは学院にいた時だったか。
四賢が積極的に動かない理由を尋ねた時、悲しそうな表情で言っていたのだ。
魔法を使いすぎると『我輩が我輩でなくなる』と。
それは、このことを言っていたのか。
「でも、二人が暴走してるところなんて見たことないぞ」
「かつて浴びた邪悪なる魔力によって、耐性ができているからです」
邪悪なる魔力。
多分、邪神の呪いのことだろう。
「しかし、常人が私達の真似をすれば確実に暴走します。例外はありません」
「なるほどな……」
初めて魔法を使った時のことを回想する。
魔力に慣らしてない幼児の身体で、
アストラルファイアを撃とうとした時――
俺の意識は断裂し、魔力が制御できなくなった。
今は鍛錬を積み、魔力にも慣れているので、失敗することはまずない。
しかし、アレクやウォーキンスの使用する魔法を扱えば、同じことが起きうる。
だからこそ、彼女は警告しているのだ。
「どうかレジス様は無理なく着実に、正規の修業を重ねてください」
ウォーキンスは切実そうに言った。
俺の身体を真剣に慮ってくれているのだろう。
本当に、優しい奴だ。
「ああ、分かった」
ここまで言われたのだ。
彼女に心配を掛けるわけにはいかない。
俺はしっかりと頷いた。
「頼りにしてるからな。
間違ったり変なことをしたりしたら、容赦なく怒ってくれ。
今までどおり、これからも魔法を教えてくれると嬉しい」
「もちろんです!」
その一言で、重々しい雰囲気が打ち破られた。
胸が高鳴り、ナイフを握る手に力がこもる。
――感じる、今までとは違う魔力の波動を。
この高揚感……今なら行けるんじゃないか?
俺はナイフを持ったまま腰を落とす。
そして渾身の力を込めて、流水刃に必要な魔法を詠唱した。
「巡り渡るは水魔の波動。
流れし雲水、刃を濡らせ――『エンチャントウォーター』ッ!」
魔力がナイフへと移動し、輝きを放つ。
第一段階は成功。
この勢いのまま、さらに水魔法の属性を乗せた。
あとは剣を振り抜けば、発動するはずだ。
俺は大きく踏み込む。
そして示現流もかくやという気合を入れ、縦一文字に振り下ろした。
「チェェェェェエエエエストォオオオオオオオオオオオオオオオ!」
空中を斬り裂く一閃。
溢れだす魔力の奔流を感じる。
この手応え……間違いない。
今までにない裂帛の気合い。
すごい、碁盤切りおじさんの掛け声は最強だったんや!
これで成功しないわけが――ない。
絶対の自信を持って、俺はナイフの勢いを止めた。
すると、ウォーキンスは感嘆の声を上げた。
「す、すごいです、レジス様!」
俺の欲していた驚きの言葉。
ついに……成功したのか?
ウォーキンスの言葉に、歓喜の念が沸き上がってくる。
しかし、その刹那――
「流水刃ではありませんが、魂の篭った”素振り”ですね!」
「……は?」
「気合は十分ですが、まだまだ発動には程遠いです。
同じ感じであと2000回行ってみましょう!」
俺は膝から崩れ落ちた。
よく見れば、ナイフに水の波動なんて欠片も宿っていない。
俺のやったことは、壮大な空振りだった。
「素振りなわけ……ないだろ」
魔力が空になった俺は、
恨み言を吐きながら砂浜にダウンしたのだった。
疲労で痙攣を起こし、海岸に打ち上げられたイワシ状態になる。
もう……ダメだ。
ピクリとも動けない。
真っ白な灰になっちまったぜ。
「……あれ、レジス様ー?」
ウォーキンスはツンツンと肩のあたりをつついてくる。
伸びている様子がおかしいのか、彼女は少し苦笑していた。
と、俺の頭の下に膝を滑りこませてくる。
「少し、休みましょう」
膝枕だ。
柔らかい感触が、疲れを癒してくれる。
ウォーキンスは俺の髪を撫でながら、体力回復に付き合ってくれた。
――本日の修行、魔力切れにより終了。
動けるようになった後、
俺はウォーキンスに肩を借りて屋敷へ戻った。
もう二度とチェストはやらないことを、胸に誓って――
◆◆◆
朝食を摂り、俺たちは大広間で食休みをしていた。
ウォーキンスは紅茶をすすり、バドは首都の地図を眺めている。
今朝の素振り事件のせいか、無意識にため息が出た。
それを見咎めて、バドが眉をひそめる。
「なんだレジス。しけた面しやがって」
「……ほっとけ」
午後から街に出る予定だが、ソニアが多忙すぎて意見を仰げない。
彼女は祈りを終えた後、朝飯にも出てこず商務に取り組んでいるようだ。
シャディベルガを彷彿とする働きっぷりである。
つい心配してしまう。
「先代のナッシュ……」
「あん?」
ふと漏らした俺の呟きに、バドが反応する。
独り言だったのだが、この機会だし話題にあげておくか。
「ソニアさんの父親、死んじゃったんだな」
「ああ、暗殺されたんだろうよ」
バドはさらりと答える。
急死した先代の死に様を断言するとは。
「……確証はあるのか?」
「ねえな。だが、持病があるにしても、
こんな狙ったような時期に死ぬわけねえだろ」
石版が盗まれた心労で死去。
ありそうな死因だとは思うが、確かに違和感は残る。
跡を継いだソニアはナッシュとしては未だ経験不足。
親帝国派にとっては最高の状況だろう。
「連合国は暗殺への危機意識が低すぎるんだよ」
「そうなのか……?」
むしろトラブルの多い商人こそ、暗殺対策を整えてるイメージがある。
しかしバドの話だと、実情は全く違うようだ。
「昨日、ソニアが『私兵を用意したから安全!』って自信ありげに言ってただろ」
「そういえば……」
その言葉に引っかかって、俺は一度尋ねたのだ。
外を不用意に出歩くのは危ないんじゃないか、と。
しかし、ウォーキンスやバドなら刺客を返り討ちにしそうだから、強くは言わなかった。
「一応、王国貴族の末席であるお前に聞くが。本当に安全だと思うか?」
「……正直、そうは思わないな」
「だろ? 単なる警備で暗殺が躱せるなんてお笑いだぜ」
暗殺者に付け狙われた身としては、多少の護衛など考慮のうちに入らない。
シュターリンに比肩する刺客に襲われたら、私兵など粉砕されてしまうだろう。
暗殺者の脅威は直接的な戦闘力ではない。
恐るべきは、その神出鬼没さだ。
気が緩んだ一瞬を狙って、首を狙ってくる。
本当に、厄介な相手だ。
「だが、あの嬢ちゃんだけに危機感が足りねえわけじゃねえ。
息の長い商王ってのは皆そうなんだよ」
「建国からここ最近になるまで、
暗殺って手法が取られてなかったから――ってことか?」
俺の言葉に、バドは無言で頷いた。
建国時、商王たちの絆は非常に強かったらしい。
歴史の中で不仲になった家もあったそうだが、
相手を消そうという発想に至ることはなかった。
それもそのはず。
初代当主が結束を誓って以来、心臓の行方を共有しているのだ。
無意識に連帯感が生まれていたのだろう。
「だが、ここ数十年で商王の入れ替わりが爆発的に増えた。
当然そいつらは、石版とは無縁の商人だ。
しかも、その殆どに帝国の息が掛かってやがる」
そのせいで、暗殺の手段を取る商王が増えたのか。
帝国や王国にはびこる闇の慣例が輸入されてしまったのだろう。
特に王国は、『最近の流行りは?』って問いに『暗殺』って返せるほどだからな。
完全に闘争の常套手段として認識されている。
「早いところ親帝国派を潰さねえと、古参の商王がバタバタ死んでいくぜ」
「それは困るな……」
ソニアには俺の方から暗殺の危険性を説いておこう。
朝から血なまぐさい話をしてしまった。
俺は淹れた紅茶で気分を浄化する。
と、ここでウォーキンスが不憫げに呟いた。
「しかし、この苦境の中で家督を継ぐのは大変でしょうね」
「父親が急死した直後に、
親帝国派とせめぎあいを強いられてるんだもんな……」
俺が彼女の立場だったら、多分立ち直れていないだろう。
精神的な支柱が折れた時の対処法は、知らないから――
知らないまま、死んでしまったのだから――
いかん、思考が暗くなりかけた。
心を守るため、俺は話を変える。
「でも、ソニアさん。
いきなり商王になった割にはしっかりしてるな」
しっかり他の商王と連携を取っていたり、商王議の日程を隙なく決定したりと。
二十歳に満たない若さで、よく対応していると思う。
ここに関してはバドも同感のようだ。
「商王の血筋ってやつじゃねえの。
500年前からこの都市で商王を張ってる一族だからな」
あるいは、遺言か何かがあったのかもしれないな。
もし志半ばで死んだら、この紙に書いてあることを実行しなさい――みたいな。
先代ナッシュ孔明説が出たところで、ウォーキンスが首を傾げた。
「おや、私とは抱いた印象が違うみたいですね」
「――あ?」
バドが聞き返すと、ウォーキンスはカップをコトリと置いて答えた。
「ずいぶん張り詰めているように見えました。
表面だけ取り繕っているような、そんな気がしたのです」
「へぇ……よく分かるな」
俺の眼には、明るく健気な少女って風にしか映らなかった。
おそらくはバドもそうだったのだろう。
納得しがたい顔をしている。
「わかりますよ。私も同じ女の子ですからね!」
「うさんくせぇ……10年歳取って出直してこい」
バドは冷酷な目で辛辣な一言を浴びせる。
ストライクゾーンじゃない女性には本当に冷たいな。
ウォーキンスは「あはは」と流していたが、その直後にボソリと呟いた。
「――リムリス様がいなくて切なそうですね」
「あぁ? 何であの女が出てくるんだ」
バドは即座に反論する。
明らかに過敏な反応。
誘い出されたのに気づいたのか、バドはしまったというような顔をする。
その姿を見て、ウォーキンスはずいぶんと楽しそうだ。
「意趣返しです。
昔、お二人に似た関係を見たことがありますので、だいたい分かりますよ」
ウォーキンスは自信ありげに指を立てる。
そして沈黙するバドに向かって、邪悪な笑みを浮かべた。
「今はまだ――仮面の下を見せる勇気がないのですよね?」
「――――ッ」
バドの身体が大きく跳ねた。
ビクン、と。
素人目でも図星だったことが分かるくらいに。
バドは敵意に似た視線をウォーキンスに定める。
「……てめぇ」
「――そこまでだ。俺たちで争ってどうする」
エスカレートする前に制止した。
バドは何事にも動じないイメージがあったが、
ウォーキンス相手には頭が上がらない様子だ。
恐るべしは彼女の洞察力よ。
ただ、諍いを呼ぶような言葉は控えて欲しい。
そう訴えると、ウォーキンスはバドに謝った。
「申し訳ありません。私も口が過ぎました」
「チッ……これだからガキと大人未満は……」
バドの機嫌の悪さが頂点に達したようだ。
数十分後、商務を終えたソニアが入ってきた。
しかし、バドの険しい表情を見て小さな悲鳴をあげる。
無理もない。
バドの睨みはそれだけで人を殺せそうだもん。
ただ、頼むからその状態で街中は歩かないでくれ。
多分、ごろつきに喧嘩を売られる。
外に出る腹積もりだったので、予定通りに進める。
凍りつくような雰囲気の中、俺達は街へ繰り出すことになったのだった。
◆◆◆
ソニアの案内で、首都の街を観光する。
さすがは各国から財布として期待される連合国。
どこを見ても道が完璧に整備されているな。
立ち並ぶ商会や協会の建物は非常に華やかだ。
相当な額を投入していることが窺えた。
「すごいな……貧民街も全然ない」
王都は中央街の近くに、見るも無残なスラムが広がっているというのに。
ここは見渡す限りの街路が活発な商売人であふれていた。
「はぁ……独特の情緒がありますね」
ウォーキンスは街並みを見て感慨深げに呟いた。
バドはしばらく仏頂面だったが、外に出てからは機嫌が直ってきたようだ。
道にある露店を興味ありげに冷やかしている。
そんな俺達を見て、ソニアはそわそわした様子で尋ねてきた。
「わたくしは王国に行ったことがないのですが、やはり違いますか?」
「そりゃあもう。こんなに活気があるのかって思いましたよ」
ここが街の中央部ってのもあるんだろうけどな。
港から運ばれてくる物資、店頭に立ち並ぶ宝物。
まさに金や物が動いてる現場がありありと眼に入ってくる。
「500年かけて、この都市を発展させてきましたからね。
そう言って頂けると嬉しいです」
はにかむように笑うソニア。
非常にポイントが高い。
やっぱり笑顔が可愛い人を見ていると和むな。
ひと通り街の大通りを一周して、大きな広場に戻ってきた。
実に新鮮な経験だった。
バドは首を鳴らしながら、ソニアに提案した。
「ここから自由行動にしようぜ。好きなとこに行きたいんでね」
「そうですね。レジス様、私が随伴してもよろしいでしょうか」
「ああ、もちろん」
一人で見て回るのもいいが、
感動を共有できる相手がいた方が俺は好きだ。
バドは都市のマップを順に確認していく。
「ここで飲んで……遊んで……持ち帰って……」
なぜだろう。
一部の呟きからバドが行こうとしている店が分かってしまう。
興味を持って地図を覗きこんだソニアは、呟きの全てを耳に入れてしまったらしい。
赤面してあわあわとうろたえている。
「そ、そういうお店もあるというだけで……。
このミリアンポートは、とても健全な都市ですよ!」
わざわざ宣言しなくても……。
まあ、大都市で港町って条件が付いてれば、そういう店が増えるのも納得だ。
バドの行くルートを聞いたソニアは、後ろからついてきた従者を呼び寄せた。
「では、バドさんには十人の私兵をお付けいたします。
まさか襲ってくる人はいないと思いますが、大切な使者のお一人ですので……」
「――いらねえよ」
バドは一言でソニアの配慮を切り捨てた。
そして反論を許さない勢いで追い詰めていく。
「ギラギラ周りを警戒してる奴がいたら、酒がまずくなる。
それに、なんだ?
その後に行く店の個室にまで、そいつらがついてくんのか?」
「え、えと……それは……」
「俺に付ける兵士がいるなら、その分をあんたの護衛に回しときな」
戸惑うソニアに対し、バドはそう言った。
まあ、動員できる私兵の数を考慮するに、
俺やバドに振り分けたらソニアに付く護衛が少なくなるからな。
暗殺への意識が低い彼女の危険が増してしまう。
「そ、そういうわけには……何かあるといけませんし」
「何かあった時に一番死にそうなのが、他ならぬあんただから言ってんだよ」
バドは容赦なく言い放つ。
ソニアはなにか言いたげだったが、言葉を飲み込んだ。
素直に受け入れてペコリと頭を下げる。
「分かりました。バドさんのご厚意、感謝します。
それで、あの……お二人は」
「レジス様は私がお守りしますので大丈夫です。
ソニア様もどうかお気をつけて」
ナチュラルにウォーキンスも私兵の帯同を断る。
予想外の反応だったのか、ソニアは慌てたように手をパタパタさせた。
「え……そ、そんな……」
「じゃ、俺は遊んでくるからよ。お前らもせいぜい楽しんでくれや」
バドはマップをパーカーコートの中にしまう。
そして細い道に入っていこうとする。
それを見て、ソニアが必死で呼び止めた。
「あ、あの!」
「なんだ?」
「……せめてもの御守りに、これを――」
ソニアが修道服の中から何かを取り出した。
ずっしりと重みのありそうな物体。
バドは辟易したように尋ねる。
「なんだこりゃ」
「聖典です。十六夜神のご加護は、あまねく全ての人に――」
「悪いが無神主義なんでね。勧誘は勘弁してくれや」
そう言って、バドは聖書を突き返した。
そっけない応答にソニアは肩を落とす。
「そ、そうですか……」
バドよ、もう少し優しく接することはできないのか。
公に考えても、ソニアは連合国を統治する商王の一人なのだ。
使者としてもう少し配慮がほしい。
無礼者の烙印をよく押される俺が言えたことじゃないけどな。
「ただ、俺からあんたに渡しとくもんがある」
「な、何でしょう」
バドは懐からゴロリと何かを取り出す。
手の中に収まるくらいの赤い球だ。
素材はゴムに近いのだろうか。
弾力があるように見える。
「護身用の道具だ。どうしようもなく死にそうになったら敵に投げな」
「は、はい……分かりました」
ソニアは丁重に受け取ると、シスター服の中に収めた。
それを見て、バドは背中を向ける。
「そんじゃあな。深夜くらいになったら多分戻るわ」
手をヒラヒラと振ってバドは立ち去った。
その足取りが軽く見えるのは俺の錯覚ではないだろう。
そういえばあいつ、仕事先で遊べそうだからって任務を引き受けたんだよな。
絶対RPGの職業を当てはめたら遊び人だよ。
無言で頷いていると、目の前に分厚い本が差し出された。
「あの……レジスさんもどうぞこちらを――」
「あ、宗教は結構です」
「…………」
俺の即答に、ソニアの表情が固まる。
しまった、前世の癖でつい。
無職という仕事柄、よくその手の訪問者の対応をしていたために起きた悲劇。
こちらも言葉に詰まってしまう。
どうやら俺にだけは受け取ってもらえると思っていたらしく――
断られたソニアは目に涙を浮かべていた。
「うっ……ぐすっ……」
「ぜひ頂きましょう。
十六夜神、実は気になっていた神様なんですよ」
俺は光の速さで聖書を受け取った。
うむ、重い。
六法全書並みの分厚さだ。
俺の行動に、ソニアは一転して嬉しそうな表情になる。
「ほ、本当ですか!?」
「ええ、月は好きですからね」
十六夜神は月を司る神様と聞く。
月光に趣を感じる俺としては、興味がないわけではない。
引きつった笑みを返していると、ソニアがじっと見つめてきた。
なんだろう、白々しさが伝わってしまったか。
戦々恐々としていると、彼女はボソリと呟いた。
「……似ています。とても……」
「ん?」
どういう意味だ。
俺が誰かに瓜二つとでも?
怪訝な目を向けると、ソニアは慌てたように首を振った。
「あ、いえ……なんでもありません! 失礼しました」
何だったんだろう。
疑問に思いながら、ソニアの布教活動を見やる。
「あの、よろしければウォーキンスさんも」
「ありがとうございます。信仰する神は違えど、幸せでありたいものですね」
ウォーキンスは恭しく受け取った。
その直後、後ろ手に次元の扉を開いて、その中に収納するのが見えた。
なるほど、ああやって常に両手が使えるようにしていたのか。
少し感動した。
後で俺の本も一緒に入れといてもらおう。
「それでは――ゆっくりミリアンポートをご観覧ください」
そう言って、ソニアは館の方に戻っていった。
まだ片付いてない仕事があったようだ。
苦労人だね。
そして今気づいたのだが――
この重たい聖書を何冊も持ち歩いているソニアは、意外と体力があるのではないか。
聖書を武器に神罰(物理)を下す、武闘派シスターの可能性もある。
……まあ。
本人に言ったら泣きそうだし、心の中にとどめておこう。
ソニア肉体派説を揉み消し、
俺はウォーキンスと共に観光を続けたのだった。
次話→11/5(明日)
7章エピローグまで毎日更新。
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