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ディンの紋章 ~魔法師レジスの転生譚~  作者: 赤巻たると
第七章 旅立ち、連合国編
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第八話 温泉名物

 



 連合国は十八の商王によって治められている。

 というのも、建国時から発展してきた十八の大都市が存在するのだ。


 例えば、親王国派ナッシュの統治する首都ミリアンポート。

 例えば、親帝国派の首魁が統治する副首都ウィンダス。

 そして同じく、親帝国派の有力者が統治する、ここ――温泉都市サラマン。


 商王というのは、各都市で最も勢力のある商人が襲名する、その都市の統治者である。

 常に強い商家がその都市を発展させていくシステムというわけだ。

 現在、未だに建国時の商王が勢力を保っているのは十一家。

 七都市では500年の間に勢力図が変わり、商王が変更になっている。


 そしてそのうちの六家が親帝国派になっている辺り、

 帝国に与する商人が比較的新興の勢力であることを窺わせる。

 商人情勢は複雑怪奇――ってことだ。



 俺達は今、人通りの多い街中を歩いていた。

 関所があったのだが、そこはウォーキンスの風魔法で突破した。

 親帝国派に俺たちが来ていることを悟らせてはならない。

 そのため街でも目立たないようにしているのだが――


「必要なかったみたいだな」


 思った以上に街は活気にあふれていた。

 連合国の各所から旅人が訪れているのだろう。

 中には神聖国のものと思われる徽章をつけた人もいた。


 遠い所からよくもまあ。

 どうやらこの都市は物見遊山の名スポットであるらしい。


「普通に歩いてる分には、まず怪しまれねえよ。

 商業都市ってのはそれこそ色んな職種の奴が集まるんだからな」

「しかし、どこを見ても人間しかないな」


 住居や国籍が違う者はたくさんいるが、エルフやドワーフさえいない。

 連合国は基本、どこの国の人間でも歓迎するが、他種族だけは例外だ。


 確か商王の中には、ドワーフ鉱山と商売をしている家もあるというのに。

 連合国への立ち入りは禁じてるのか。

 妙な話だ。


 広い道に出ると、バドが足を止めた。

 そしてゆっくりと俺とウォーキンスに声をかける。


「紫色の魔法服を着てる奴には気をつけろ。あれが竜殺しの団員だ」


 見れば、正面から三人の魔法師が歩いてきていた。

 殺気をまき散らしており、観光地の中で明らかに浮いている。

 すれ違いざまに魔素を確認したが、相当に濃い。

 王国出身で学院卒の魔法師より、練度は上かもしれない。


 我ながらよく分析したものだと思ったが、隣のウォーキンスは淡々と呟いた。


「先ほどの魔法師たち、歩き方から手と足に傷があるようですね。

 巡回がてら湯治に来ているのでしょう」

「……ドラグーンと戦って重傷でも負ったのかもな」


 そうコメントしたが、俺は内心で戦慄していた。

 よく一瞬の視認で、そこまで見抜けるものだ。

 魔法師たちが角を曲がったところで、バドは面倒臭げにため息を吐いた。


「……一般の温泉宿に泊まると竜殺しと鉢合わせしそうだな」

「ってことは、素泊まりになるのか?」


 温泉街に来て湯に浸かれないのは残念だな。

 安い宿だとなかなか疲れが取れないのもある。

 肩を落としていると、バドは訝しむように言ってきた。


「何言ってんだ。最高級の宿に泊まるんだよ。最初からそのつもりだったしな」

「……え?」

「合法非合法なんでもありの商人たちが使う温泉宿があるんだよ。

 後ろ暗い富豪も泊まるから、一切詮索もしてこねえんだ」


 ほぉ……そんな素晴らしい宿があるのか。

 地図を見ても載っていないため、隠れ家的な旅館なのかもしれない。

 なるほど、この辺りは土地勘がないと不可能な手法だ。

 バドが頼もしく見える。


「近くに綺麗どころが集まる休憩所があるしな……くく、楽しみだぜ」


 理由が下衆の極みだった。

 休憩所って言い方がまた怪しい。

 あれだろ、2時間で5万とか取る一室みたいなところだろ。


 確かに温泉街の近くには必ずあるけどさ……任務中だぞ。

 冷ややかな目を向けると、バドは不満げに睨んできた。


「何だその眼は。文句があるならテメェだけ安宿に泊まってもいいぜ」

「別に、何も言ってないよ」

「街の喧騒から離れた方が休めますので、

 私もバド様の薦める宿の方がいいと思います」


 そうだな。

 ここしばらく歩きづめだったから、ゆったり羽を休めたい。

 バドの提案通り、俺達は高級旅館を目指すことにした。


 十字路を曲がり、道を違えた大通りに入る。

 しばらく歩くと、大きな温泉宿が立ち並ぶ辺りに来た。


 周囲を歩いているのは貴族や富裕層の商人のみ。

 たまに精悍な騎士のような人物もいた。

 地位の高い階層しか利用できないみたいだ。


 すれ違う人々は俺達に視線を注いでくる。

 この中を歩くと、さすがに浮くんじゃないかな。

 質素とはいえ貴族服の俺はともかく、バドは明らかにカタギの服装じゃない。


 目立つことを危惧したのだが、

 通行人はウォーキンスを見ると何事もなかったように視線を切った。


「使用人の装束を着てきて正解でしたね」

「ああ。テメェのおかげで、富裕層の人間だと思ってもらえてるようだな」


 バドも素直に頷いた。

 ウォーキンスがメイド服を着用して同行しているため、だいぶ怪しさが軽減されている。

 グッジョブだウォーキンス。


「周りからすると――私が使用人、バド様が護衛、レジス様が貴族のように見えるはずです」


 こんな怪しい護衛を引き連れる貴族がいるかと思うが、別におかしくはないな。

 ドゥルフがシュターリンを連れていると思えばいい。

 奴らもあれでなかなかの不審者ルックだったしな。


「そこの角を曲がったとこだ。

 でかいからってオドオドするんじゃねえぞ」


 バドの示した通り、大通りを左に曲がる。

 するとそこには、歴史を感じさせる温泉宿があった。

 門構えはさながら高位貴族の邸宅のよう。


 その向こうに見える本館は果てしなく奥へ続いていた。

 敷地内からほのかに立ち上る湯気が格式高さを倍増させている。


「すごいな……」


 思わず門の前で立ち止まってしまった。

 しかし、バドは俺を置いて門前を通りすぎようとしている。


「お、おい。ここじゃないのか」

「そこはこの都市で二番目の宿だ。一番はこっちだぜ」


 見れば、通りの奥には更に巨大な門がそびえていた。

 商王が建てたことを象徴する石像が、二台設置されている。

 豪奢な飾りが全体を色めき立たせており、今見た宿よりも高級さは上だった。


「さっさと入るぞ。脚がクタクタなんでな」


 バドは先んじてNo.1宿へ入っていった。

 その後を追いながら、俺はウォーキンスへ声をかける。


「温泉地に来たことはあるのか?」

「はい。500年前に何度か」

「そうか、5世紀も昔か……」


 泣けてくるな。

 そういえば、王国ではあまり湯治の人気がないんだったか。

 北東の方に行かないと火山性の温泉がないからな。

 わざわざ辺境へ足を運ぶ貴族は稀なのだ。


 さて、それじゃあ久しぶりの温泉を堪能するとしようか。

 そう思って門をくぐった瞬間――


「おい! どういうことだ!」


 奥の方からバドの怒声が聞こえてきた。

 何事かと思い駆けつけると、温泉宿の主人らしき男にバドが食って掛かっていた。

 彼は案内表を見ながら不満を告げる。


「部屋がねえだぁ? こんなに空いてるじゃねえかよ!」

「ほ、本日から数日にかけて貸し切りです。

 申し訳ありませんが、一般のかたのご利用は遠慮願います」


 貸し切り……?

 貸切湯とかでなく、完全に温泉宿そのものを誰かが借りてるのか。

 そんなことがあるのかね。


 首を傾げていると、バドが不平を漏らす。


「貸しきりったって、誰が来るんだ?」

「お教えできません」

「――帝国の宮廷騎士が訪ねてきたってのに、そういう態度を取るんだな?」


 バドは親指で俺の方を示す。

 それを聞いた途端、主人はビクンと体を震わせた。

 そうか、親帝国派が幅を利かせている街であることを利用したのか。

 俺が貴族服を着ているため、主人は急に弱腰になった。


 真偽はともかく、本物だった時のリスクを考えたのだろう。

 主人は明らかに狼狽している。


「ご、ご内密にして頂けますか……?」

「なんだその言葉は。まさか帝国騎士が秘密を漏らす不逞者だと思っているのか?」


 バドがドスを利かせて続きを促す。

 すると、主人はため息を吐いて囁いてきた。


「実は、ザナコフ様がお忍びでいらっしゃるのです」

「ほぉ……ザナコフ様がね。そりゃあ上客だな」


 バドはニヤリと微笑んだ。

 俺は事前に調べていた商王の情報を思い出す。


 ザナコフ・シルヴァー・ゼッペルン。

 ここ、温泉都市サラマンの地を治める商王だ。


 先祖が奪い取った商王の座を引き継ぎ、その勢力を拡大しているらしい。

 大精霊サラマンディルを都市神とし、精霊信仰の教義に則った厳格な法を制定した商王だ。


 例えば、『一夫一妻の義務化』『不貞の禁止』と言った民事的なもの。

 あるいは、『徴収税の透明化』といった行政的なものまで。

 ”連合法規”と呼ばれる大元の法に抵触しない限りは、

 各商王の都市では規則を自由に定めてよいのだそうな。


 そんな中で、ザナコフは徹底した金脈の透明化と禁欲主義を目指している。

 それゆえ民衆や商家からの人気も高いとか。


「ちなみに他の客を入れるなってのは、ザナコフ様のご意向なのかい?」

「私の独断でございます。商王様にはゆるりとおくつろぎ頂きたいですから……」


 バドの視線が嘘のあぶり出しに一役買っているな。

 声の震えや挙動から言って、明らかに主人の話は嘘だ。

 人払いを頼んだのはザナコフ自身のものだろう。

 と、ここでバドは肩をすくめる。


「まあいいや。

 ここだけの話、ザナコフ様はウチの国と懇意なんでね。野暮はしねえよ」


 そう言って、バドは背を向けた。

 完全に帝国騎士の従者になりきってるな。

 大した演技力だ。


 大根役者の俺にはできない芸当である。

 立ち去ろうとすると、旅館の主人が俺に仄暗い視線を注いできた。


「騎士様……どうか他言しませぬように」

「当然だ。それに、商王がどこに繰りだそうと知ったことではない」


 俺は興味なさげに振る舞った。

 帝国の宮廷騎士らしい挙動がどういうものかは知らないが、

 王都を歩く王国騎士の真似をして背筋を伸ばしていればいいだろう。


 簡単な事だ。

 ミレィの歩行法を思い出せ。

 品ある歩き方をしていれば自ずと騎士らしさが滲み出るだろう。

 華麗なるバレリーナの如きステップで歩くんだ。


 そうやって慣れない歩き方をした結果――

 本館の入り口で盛大につまづいた。

 ガッ、と絶望的な音と共に浮遊感が去来する。


「――どぶぉろわっしょいッ!」


 あらぬ奇声を発して顔面から滑り込んだのだった。

 高級旅館だけあって、下は硬度の高い石床。

 摩擦も尋常なものではない。


「だ、大丈夫ですかレジス様!」

「……バカみてーな歩き方してっからだ」


 心配と呆れ声が同時に降ってくる。

 危うくモミジおろしになりかけた俺は、

 自分らしく道を歩いて行こうと心に決めたのだった。




     ◆◆◆





 俺達は今、温泉宿の一室でくつろいでいる。

 商王ザナコフが訪ねる所は無理だったので、隣の旅館で休むことにしたのだ。

 素朴な木の素材を活かしたスイートルーム。

 茶菓子がセッティングされており、重厚なもてなしを感じる。

 

 居心地の良さが気に入ったのか、ウォーキンスは大きく伸びをした。


「やはりこちらの宿も素晴らしいですね」

「温泉の格はちと落ちるがな。トップクラスであることには変わりねえよ」


 確かに。

 むしろ俺は、先ほどの宿よりこっちのが好きだ。

 落ち着きのある内装が実に嬉しい。

 旅路の疲れをいたわっていると、ウォーキンスが尋ねてきた。


「先に湯浴みをしてきてよろしいでしょうか」

「もちろん。ゆっくり浸かってくるといい」


 確認など不要。

 心ゆくまで楽しんできてくれ。

 俺は紅茶をすすりながら、菩薩の如き返事をする。


 通りざまに、ウォーキンスが俺の横にしゃがみこんだ。

 鼻腔をくすぐるバニラアイスの芳香が、

 これ以上ない安らぎをもたらしてくれる。


 と、ここでウォーキンスが囁いてきた。


「――レジス様、一緒に入りませんか?」

「…………ぶふぉあッ!」


 妖艶かつ衝撃的な勧誘。

 俺は思い切り茶を吹き出した。

 すると、俺の正面に座っていたバドが悲鳴を上げる。


「あづぁッ、熱づっ――!

 てめぇ、レジス! 何しやがる!」


 どうやら首から胸の辺りに直撃したらしい。

 慌ててタオルで紅茶を拭きとっている。

 俺は咳き込む気管をなんとか押さえ込んだ。


「す、すまん……不可抗力だ」


 隣のウォーキンスは悪びれることなくニコニコしている。

 ジト目で睨むと、彼女は小鳥のように首をかしげた。

 まったく、からかい癖は相変わらずだ。


「お前……入り口に男女別って書いてあっただろ。

 混浴もあるけど、今の時間は清掃中だ」

「あれ、そうでしたっけ。忘れていました」


 頭に手を当てて恥ずかしげにはにかむウォーキンス。

 忘れているはずなどあるまいよ。

 ため息を吐いて、彼女を立ち上がらせる。


 すると、ウォーキンスは楽しげに声を掛けた。


「では、バド様。レジス様をお願いします」

「……へいへい」


 バドは気怠げに片手を上げ承諾した。

 ウォーキンスは軽くステップを踏みながら浴場へ向かっていく。

 ここの宿は男女別の湯と混浴の湯、両方を揃えているらしい。


 ウォーキンスは女風呂へと向かったようだ。

 その背中を見送っていると、バドの動作が目に入る。

 彼は黒い立方体をパーカーコートの裾から取り出していた。


 そして怪し気なそのブツを布地で丁寧に磨いている。


「なにしてるんだ、バド」

「好機が来たんでな。魔法具の手入れをしてる」


 バドは箱のようなものに視線を落として答える。

 しかし今、聞き捨てならない言葉が聞こえたな。

「なに……魔法具? そんなの持ってるのか」


 魔法具というのは本来、そんな簡単に手に入るものではない。

 人智を超えた魔力が、複雑な構造を生み出した宝物。


 数百年をかけて迷宮の魔素を浴び続けた武器や道具が、

 突発的に変貌を遂げる――それが魔法具なのだ。


 莫大な金でも釣り合わぬ神秘の武具。

 裕福な貴族や騎士でさえ、手に入れがたい逸品である。

 興味があるので肩から覗き込む。


 すると、箱の側面にあるものを見つける。

 それは背筋に寒気が走るものだった。


「お前……この印章は」

「ああ、ラジアス家のもんだ」


 そう。

 銀色をした円の中で、逆さの赤い鎌が交差したマーク。

 間違いなく、王都三名家の一つ――ラジアス家の紋章だ。


「何でお前が?」

「…………」


 無視するようにうつむくバド。

 しかし、俺もここで引き下がる訳にはいかない。


「教えてくれよ。まさか、ラジアス家の残党とかじゃないよな?」


 暗殺者を排除する内密組織――暁闇の懐剣に所属していることは分かっている。

 だが、彼そのものの過去や素性は未だに知れない。

 警戒した視線を向けると、バドはため息を吐いた。


「……”ラジアスの遺産”って聞いたことがあるか?」

「いや、ないな」


 そのままの意味で取れば、ラジアス家が遺した宝ということになる。

 取り潰されたラジアス家からは、金品以外のものは出てこなかったと聞くが。

 その金銀財宝のことを言っているのだろうか。


 このことを訊くと、バドは「見当違いだ」とバッサリ切り捨ててきた。

 彼は頬を掻きながら確認してくる。


「そもそもテメェ、ラジアス家の起源を知ってんのか?」

「えっと……初代国王の親友だった魔法具の発明家が、王国創始の時に作った家だろ」


 初代国王サリアの戦友だった発明家――初代ラジアス。

 邪神大戦の終結、そして王国の発足に際してその男がラジアス家を作ったと聞く。

 しかし、バドは俺の説明に首を振る。


「それはあくまでも表向きの事実だ」

「というと?」

「初代国王と共に戦った発明家は、ラジアス家なんて作ってねえ。

 偏屈な奴だったらしく、権力に興味はなかったらしいからな」


 ん……?

 いわゆる初代ラジアスと呼称される発明家は存在したはず。

 なのに、その男がラジアス家の当主になってないってことか。


「じゃあ、俺の知ってるラジアス家ってのは……?」

「発明家の『弟』が、おこぼれで勝手に作った家だ。

 『お兄ちゃんが貴族にならないなら私が!』ってな」

「発明家の――弟?」


 衝撃的な話だった。

 王都三名家はそれぞれ、初代国王の親友3人が始めた家だと聞いていたのに。

 ラジアス家だけは例外のようだ。


 バドはうんざりした表情で、箱に刻まれた印章をなぞる。


「そう。天才の兄から甘い汁を吸って、権力を勝ち取った無能な弟。

 今の王都三名家ラジアスの血脈ってのは、その男から始まってるんだよ」


 そうなると、ラジアス家だけ他の王都三名家から浮いてるな。

 初代当主たちはラジアス家の創始者を見て「誰だよこいつ……」って思ったに違いない。

 バドは箱の底面を丁寧に磨きながら、ラジアス家の闇を暴露していく。


「で、その発明家は、邪神戦争の時に呪いを受けて、王国創始のすぐ後に没した。

 弟は自分の影響力を高めることを狙い、その死を隠蔽。

 最終的には存在すらなかったことにしようとした」

「なるほど……だから表沙汰にはなってないのか」


 初代国王の親友が興した名家、ってことにした方が体裁もいいからな。

 しかし、取り繕うためにそこまでやるか。


 兄貴の死を隠すだなんて。

 初代国王のサリアは何も言わなかったんだろうか。


 ……ああ、そうか。

 サリアも邪神の呪いですぐに死んだんだったな。

 不幸なことだ。


 ここで、バドは俺の質問の方向に話を引き戻してくれた。


「その発明家――真の初代ラジアスは研究中に病没した。

 その後、研究所から多くの完成品や設計図が消失したんだよ」

「消失?」

「盗まれでもしたんだろ。

 後でラジアス家が血眼になって探したらしいが、

 炎鋼車を除いて、あとはロクに使えねえ設計図しか見つからなかったそうだぜ」


 なんと。

 ラジアス家が持っていた技術や設計図が、初代ラジアスの全てではなかったのか。

 潰した後に王家が回収した設計図もあったそうだが、

 今の技術力では到底作り得ないものばかりだったらしい。


「まさか、他の国に渡った可能性もあるのか」

「ああ。貴族がこっそり保有してるケースはあった。

 だが、初代ラジアスの発明した魔法具は、作ってしまえば国すらも揺るがす。

 秘匿してる奴がほとんどだな」


 なるほど……炎鋼車を見ていると納得する。

 資材と人員さえ確保できれば、一つの貴族が単独で作れてしまう兵器なのだから。

 しかし、バドの話を聞いてさらなる衝撃をうける。


「炎鋼車なんざ、失敗作の筆頭だったらしいぜ。

 破り捨ててあった設計図を、ラジアス家の人間がつなぎあわせて回収したって話だ」

「マジかよ……」


 初代ラジアスの中では黒歴史だったのか。

 じゃあ、本気で作った技術や設計図となると……考えるだけで恐ろしい。

 空前絶後の発明家だとは聞いていたが、まさかそこまでとは。


「初代ラジアスが遺した禁断の魔法具と技術。

 それこそが”ラジアスの遺産”なんだよ」


 そう締めくくって、バドは嘆息した。

 なるほど、悪用されれば国家情勢もが変動する発明品か。

 たいそうな遺品だな。


「で、バドはそれを集めてるのか?」

「ああ。地道にコツコツ、保有者を闇に葬りながらな」

「何のために?」


 これこそ、一番気になる事柄だった。

 正直、初代ラジアスが遺した兵器の卵なんて、

 王国の対暗殺者組織に仕える彼とは縁遠い話だと思う。


 しかし尋ねた瞬間、バドは口元をこわばらせた。

 フードで目線を隠し、歯をギリッと噛みしめる。

 そして――


「……下らねえ、約束だよ」


 ただ一言。

 そう答えて、彼は押し黙った。


 約束。

 それこそが、バドを遺産の回収に走らせる理由なのか。

 バドは大きく息を吐くと、釘を刺すように宣告してきた。


「これはリムにも聞かせてないんでな。今話したことは全部忘れてくれや」

「ああ、分かった」


 その時のバドの視線は、射殺すような鋭さを持っていた。

 『もし口外すれば、たとえ護衛対象だろうが許さん』

 そう告げているようにも思える。


 俺は話の方向を変えるため、彼が手入れしている魔法具を指さした。


「で、その立方体もラジアスの遺産の一つなのか?」

「おう。製造番号071。

 その名も”魔素映写機『プロジェクナー』”。

 魔素を注ぎ込めば色のついた液体が湧いてきて、

 目の前の光景を紙に念写してくれる代物だ」


 要するに…カメラみたいなものか?

 魔法をもってしても映写は不可能だというのに。

 この魔法具があれば、写真や動画を撮れるわけか。


 なんという技術力。

 初代ラジアスは500年前にこんなものを作っていたのか。


「こいつを使えば権力闘争で優位に立てるぜ。

 ラジアスが作った魔法具の正確性を知らねえ貴族は皆無。

 不正の現場をパシャリと撮れば、一発で失脚に追い込めるんだからな」


 やっぱり、使い方は俺の知るものと同じか。

 現場を撮影すれば最強の証拠となる。

 話によると、初代ホルトロスの依頼を受けて、初代ラジアスが作ったものらしい。


 多分、「相手の不正を押さえられる物品を作れない?」と軽く相談でもしたんだろう。

 親友同士とはいえ、それで発明してしまう初代ラジアスの凄まじさよ。


「こいつには他の使い方もあるんでね。

 まあ、俺が勝ち取ったブツだから好きに使わせてもらってるぜ」


 バドは含みのある笑みを浮かべた。

 ほぉ、多分お前が思っている使い方は、俺のもっとも得意とすることだと思う。

 温泉……浴場……そして映写機。


 間違いない。

 同類の匂いには敏感なんだよ。

 バドは妙に上機嫌な様子で腰を上げた。


「さて、それじゃあ俺もそろそろ行くとするか……」

「ちょっと待てぃ」


 俺は彼のベルトを掴んで強制的に座らせた。

 仮面を通り越して、バドの眼を睨みつける。


「そのキャメラで何を撮る気かね?」

「隠密には自信があるんでな。ちと盗撮してくる」


 言いやがった。

 ごまかしもせず堂々と宣言したよこの人。

 次の瞬間、俺は渾身の力で床を蹴った。


「そうはさせるかぁ!」


 俺はバドの顔を掴み、アイアンクローを繰り出した。

 顔に押し当たる仮面が痛いのか、バドはうめき声を上げる。


「て、テメェ……! 何しやが……痛ッ、いでででででで!」

「この盗撮魔めが! 羨ま……けしからんことを!」

「テメェもまんざらじゃなさそうじゃねえか!」


 図星を突かれ、一瞬だけ迷いが生じる。

 だが、邪悪な囁きに魂を売ったりなんてしない。

 すぐに心を持ち直した。


「黙れ! ウォーキンスの安穏は俺が守る!

 天誅を受けろぉおおおおおおおおおおおおおおお!」

「ぬぐぉあああああああああああ!」


 指に全力を込める。

 メキメキと仮面が凄まじい音を立てた。

 俺の指も骨が軋みを上げる。


 しかし、構うものか。

 こいつの愚行は今ここで止める。

 俺の決意を訊いて、バドは心外だとでも言うように怒鳴ってきた。


「あの女は俺の好みじゃねえって言ってんだろ!

 俺の好みは言ったよなぁ!? もっと全体的に成熟してる大人だってな!」

「リムリスみたいな?」

「ああ、そうそ――――殺すぞ」

「ウス、スイマセン」


 バドの声に冗談抜きの殺気がこもった。

 とっさに力を緩める。


 しかし、今の言葉。

 即座に脅しに切り替えてきたが、無意識の焦りが見えたな。

 面白いやつだ。

 バドはずれかけた仮面を元に戻しながら、盛大に息を吐いた。


「ったく……とんだ誤解だぜ。

 俺はガキは好かねえ。リムを除いた同年代の女って心に決めてるんでね」


 わざわざ名前を挙げてまで否定するとは。

 その必死さは昔の俺を思い出すよ。


 まあ、バドが内心で慕ってそうな女性は既にいるし。

 美人な幼なじみがいるって時点で俺の完敗だがね。

 おのれ、羨ましい……。


 バドはパーカーコートの裾を叩き、厳粛に言い放った。


「これから始めるのは真面目な仕事だ。遊びじゃねえんだよ」

「そうなのか?」

「ああ、下手すりゃ死ぬかも知れねえ」


 社会的に死ぬって意味か。

 ウォーキンスに興味がないってことは、他の旅館まで遠征に行くのだろうか。

 元気なやつだ。


 俺は覗きのために、そんなリスクや労力を割く気にはなれん。

 肩をすくめる俺に、バドは神妙な口調で決意を告げてきた。


「――俺はこれから、ザナコフの入浴している浴場に行ってくる」


 瞬間。

 俺の行動は早かった。

 光の速さでバドから距離を取る。

 そんな俺を見て、バドは怪訝な眼を向けてくる。


「……なんだ?」


 いや、頼むから見てくれるな。

 申し訳ないが、俺にそちらの気はない。

 本気でない。

 一ミクロンの塵芥もなく皆無だ。


 行くなら一人で行ってきてどうぞ。

 俺のドン引きの意味を悟ったのか、バドは呆れながら怒鳴ってきた。


「馬鹿かテメェは!

 貴族がわざわざ温泉を貸し切るんだぞ。中で何をするか分かるだろうよ」

「まさか……」


 厳格な商王、という風聞に騙されてはいけない。

 例えば、そう。

 これを欲望まみれの貴族に置き換えてみろ。

 浴場を一人で独占して、他の目をなくすということは――


「湯煙に乗じた女遊びか?」

「その通り。ザナコフの人間性についても調べはついてる。

 人目がなけりゃあ、獣欲も発散し放題だからなぁ」


 そういえば、この辺には富裕層の通うアレ的な休憩所があったな。

 なるほど、話がつながった。

 わざわざ温泉宿の近くに店を構えているのは、そういう理由もあったのか。


「権力者様が雇う女となれば上質だろうなぁ。

 こいつでバッチリ撮影してやるぜ。後で見返すのが楽しみだ」


 バドは喉を震わせて笑った。

 そのゲスさが妙に輝いて見える。

 服装の怪しさにマッチしてるのが原因だな。

 心躍らせるバドに対し、俺は引きつった返事を返す。


「ら、ラジアス家の遺産をそんな風に使うのか……」

「初代ラジアスも本望だろうよ」


 そんなわけあるか。

 きっと化けて出るぞ。

 美女を被写体にした魔法具を見て激怒する様子が目に見える。


「玉のような肌、湯煙に滴る汗――

 ここで動かなきゃ……俺が俺じゃなくなっちまう」


 バドは頭を抱えて深刻に告げる。

 そのまま全てをなくして消滅してしまえ、と女性に言われそうだな。

 リムリスがいれば、ここで止めたんだろうけど。


「ってなわけで、俺はこれから行くが。お前はどうする?」

「……え?」


 ここで、バドが俺に確認してきた。

 そういえばウォーキンスから身辺護衛を頼まれてたんだったか。

 バドを見送れば、一時的にだが俺は一人になってしまう。


 その隙を狙う襲撃者などいないだろうが……。

 もしもの時、リスクが高まるのは事実だ。


「まあ、無理強いはしねえよ。

 下種野郎の覗きに、貴族様が付き合うことはねえんだからな」


 ヒラヒラと手を振り、立ち上がるバド。

 どうやら本気で突撃するようだ。

 見送りを期待してるんだろう。


 しかし――甘かったな。

 お前は俺の本能パワーを見誤っている。

 悲しいことだよ。


「そんじゃ、俺は一人で楽園へ行って来――」


 俺は即座に立ち上がる。

 そして力強くバドの肩を叩いた。


「なんだ、止めんじゃねえよ」


 バドは面倒臭そうに首を傾げた。

 そんな彼に向かって、俺は真剣な口調で問いかける。


「よく考えてみろ、バド。これは覗きにはならない」

「ほぉー?」


 バドは興味ありげに見下ろしてきた。

 そんな彼に向かって、俺は大義名分を打ち出す。


「――帝国へ与する商王の敵情視察だ。

 その過程で見えたもの、写ったものはしょせん不可抗力。気にすることはない」

「ほぉ…………」


 それに、俺一人が残るのはウォーキンスの想定にも反する。

 まだバドと同行していたほうが安全だろう。

 バドは外へと続く戸を開き、俺の方を向いてきた。


「それで、結局どうするんだ?」

「決まってるだろ」


 俺は何も言わず、右手を差し出した。

 王都で会った時は――あえなく拒否された握手。

 しかし、今のバドは一味違う。


「…………」


 無言ながら、バドは笑みを浮かべる。

 そして俺の右手をしっかりと握ってきた。

 固い握手を交わし、俺たちは部屋を出る。


 もう何も怖くない。

 こうして俺達は、商王の泊まる旅館へ赴くことになった。




 命を懸けた偵察のぞきが――始まる。



 

次話→10/30

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