第七話 血脈は尽きず
バドの血液が地面に染みわたる。
溢れだした血潮で水たまりができそうな程だった。
人間が失っていい血液の量ではない。
バドを突き刺したのは鎧姿の男だった。
血の滴る長剣を腰布でぬぐっている。
「我らが振り下ろすこの一撃――愚者を仕置く神罰と知れ」
奴は致命傷を負ったバドに対して、さらなる斬撃を加えた。
倒れ伏すその身体に剣を突き刺したのだ。
何度も、何度も、遺体を完全に破壊するかのように――
「――ガン、ファイア!」
我慢ならなかった。
俺は男に向かって火球を投げつける。
すると、奴は長剣を盾にして防いだ。
こちらを睨みつけながら、後ろへ下がろうとする。
それを見て、俺は追撃を加えようとした。
しかし、ここでウォーキンスが俺の横に立つ。
「……お待ちください」
見れば、ウォーキンスの大剣には血がべっとりと付着していた。
彼女が先ほど跳んでいた方向を見やる。
そこには男と同じ鎧姿の連中が3人ほど倒れ伏していた。
今の一瞬で片付けたのか。
「まだ新手がいますので、不用意に追ってはいけません」
ウォーキンスが呟いた刹那、
岩陰から5,6人の兵士が出てきた。
こいつらもまた、バドを刺した男と同じ装備をしている。
「残りは貴様ら二人。
神の代行者たる我らの懲罰を受けるがいい」
バドを刺した男が宣告してくる。
それに乗じて、他の男たちが声高に叫んだ。
「――十六夜神の名の元に粛清を!」
「粛清を!」
残った連中も同調し、妙な祝詞を叫んでいく。
その隙を狙って魔法を叩き込もうとしたのだが、
ウォーキンスが俺の右手を握っている。
詠唱もするなということか。
痛ましく横たわるバドの姿に、胸が締め付けられる。
その周りに立つ男達は、ここで高々と名乗りを上げた。
「我こそは商王ナッシュが編成せし”十六夜聖商隊”――修道兵長!」
「同じく、”十六夜聖商隊”修道兵!」
男たちの兵装は、国王に聞かされていた通りのものだった。
他大陸の神を象徴する月の紋章が兜に刻まれている。
見た目は間違いなく、商王ナッシュが抱える私兵団の装備だ。
「敬虔なる連合国の守護者として、卑劣なる王国の使者に鉄槌を!」
「――鉄槌を!」
そう言って、男たちはこちらに長剣を向けてきた。
思わず身が強張る。
しかし、ウォーキンスはあくまでも自然体だった。
涼やかに微笑み、男たちに声をかける。
「下手な演技はやめたらいかがでしょう。
商王ナッシュの私兵を装っても、騙されるほど愚かではありませんよ」
「――何のことだ?」
にじり寄る男たちの足が止まった。
ウォーキンスの思惑が知れないのだろう。
そんな男たちを見て、彼女は明るく尋ねた。
「他種族を嫌う商王が、兵団にドワーフを入れると思っているのですか?」
「…………」
「その巨躯、独特の攻撃方法、ごまかすことはできませんよ」
最初は、どこから攻撃してきたのか分からなかった。
ウォーキンスでさえも、ギリギリまで襲撃に気づくことができなかったのだから――
しかし、すぐに可能性に行き当たる。
あんな不意打ちが可能なのは、地中から襲いかかることのできるドワーフだけだ。
ウォーキンスの指摘に対して、鎧姿の男たちは笑う。
「そうか……ならばこちらも好都合」
「神に酔う馬鹿共のフリをするのは疲れるんでな」
そう言って、連中は兜を投げ捨てた。
ドワーフ特有の褐色肌。
熟練の傭兵たちであるらしく、どの男も顔中が傷だらけだった。
ドワーフの一人は倒れたバドに視線を落とし、ウォーキンスを嘲った。
「はっ、探知魔法を唱えてれば安全だとでも思ったか? バァカ」
「地面の下にはほとんど届かず、急速浮上さえできれば突破できる欠陥魔法。
三流魔法師らしい警戒だぜ」
挑発に対し、ウォーキンスはまるで動じない。
それが気に障ったのか、奴らは足元に倒れるバドを踏みつけた。
うめき声すらも上げないバド。
その肉体から流れ出る多量の血。
幾重にも刻まれた致命傷。
行き着く先は――死。
俺は無意識に、男たちを睨みつける。
我知らず発した言葉には、凄まじくドスが利いていた。
「…………離れろよ」
それ以上、バドの肉体を破壊することは許さない。
許されてはならない。
俺の言葉に反応して、ドワーフの一人が歩み出てくる。
「なんだ、てめぇ……、……ッ!?」
と、男たちが表情を歪めた。
何かに気づいたようだ。
引きつった顔でこちらを見てきた。
「ちょっと待て、このガキ……唾付けられてやがる」
「この魔素は…………まさか、シャンリーズか?」
「……ふざけんなよ、聞いてねえよ」
ドワーフたちの間にざわめきが広がる。
どうやら俺の魔力を見て、大陸の四賢の一人との関係を察したようだ。
恐らくは、俺を殺すと宣誓したシャンリーズに怯えているのだろう。
男の一人が周りの連中に声をかける。
「割に合わねえぜ。
てめえら……こいつらを殺したことは黙っとけよ」
「当たり前だ。言えるわけねえだろ……」
どうやらシャンリーズを恐れているようだ。
これだけの頭数がいるというのに。
ドワーフの中で、シャンリーズはタブーな存在らしい。
混乱に乗じて、俺はバドから引き離そうとする。
右手を奴らに向け、火魔法を詠唱――
しかし、それはウォーキンスによって止められた。
彼女は俺の手を優しく掴み、降ろさせようとする。
「レジス様。どうか動かずに」
「わかってる……けど、早く治療を……!」
無駄なことはやめろ、と言いたいのだろう。
あの怪我だ、助かるはずもない――と。
しかし、バドをこのまま放置しておくことはできない。
「大丈夫です」
ウォーキンスは静かに首を振った。
安心させるように、柔和に微笑んでくる。
その上で、俺とドワーフに聞こえるようにして、涼やかに告げた。
「――バド様は生きています」
衝撃的な一言。
しかし、その一言によって、思考が冷静に戻る。
状況を把握しようと、頭の中がクリアに稼働し始めた。
奴らはドワーフ。
間違いなく親帝国派の商王が雇った刺客だ。
ここで、最初に竜騎士を鉱山に誘導した連中の真意に気づいた。
先に竜騎士とドワーフを争うようにしたのは、刺客の種族について絞らせないため。
まさか刺客その一と殺し合ったドワーフ種が、本命の刺客であるとは思わない。
竜騎士の誘い出しはその布石でもあったのか。
ウォーキンスの言葉にドワーフ達が反応する。
「ハァ? 今そこの雌、なんて言った?」
「――そこの男、生きてるんだってよ」
ドワーフの一人が深刻そうに告げる。
すると次の瞬間、奴らは頭のネジが弾け飛んだように爆笑した。
「ハッ、ハハハハハ! バカかこの女!」
「どこの世界に心臓貫かれて生きてる奴がいるんだ!」
根拠のない、希望的観測を告げている。
そう思ったのだろう。
しかし、俺としては理解していた。
ウォーキンスはそんなつまらない嘘をつかないことを。
「現実見ろよ! どう見ても致命傷だっての!」
「ハハハハハ! 見ろよあの血! 辺り一面に広がって――」
と、ここでドワーフの言葉がピクリと止まった。
違和感に気づいたようだ。
奴らは臨戦態勢のまま、横たわるバドの身体に視線をやった。
「……血、出すぎじゃね?」
そう。
バドの胸から流れ出た血が、あまりにも異常な量なのだ。
しかも俺とウォーキンスだけを避けて、奴らの足元に広がっている。
と、ここで一人の男がむくりと身体を起こした。
「――痛ぇことしやがるな」
バドだった。
彼は口の中に残った血を地面に吐き出す。
その上で、己を襲撃したドワーフをあざ笑った。
「ったく……心臓を刺した上にめった刺しとか、俺じゃなきゃ死んでるぜ」
バドは胸の辺りを押さえる。
すると、流動する血がパキパキと固形化し、傷口を完全に塞いだ。
その光景に、ドワーフ達は釘付けになる。
バドは地面に満ちた流血から離れると、こちらを向いてきた。
「レジス、そこの血だまりに火を付けろ。それで全部終わる」
気だるげに頭をかくバドを見て、ドワーフ達は激高した。
残った連中も鞘から長剣を引き抜く。
「テメェ、何で生きてやがる!」
「それに、終わるだぁ? ホラ吹くのもそこまでに――」
男が剣を振り上げようとする。
しかしその瞬間、上半身がガクンと揺れた。
バランスを崩し、ドワーフはそのまま地面に倒れこんでしまう。
「足が、上がらねえ!」
「何だこの血! へばり付いてやがる!」
見れば、バドの身体から流れ出た血が黒く凝固していた。
長剣で付着した血を落とそうとしているが、血に硬度で負けて刃がこぼれている。
その様子を見て、バドは辛辣に嘲笑する。
「おいおい、無理に剥がそうとするなよ。足裏の肉ごと削げるぜ」
バドは肩をすくめて、こちらに合図を出してきた。
その瞬間、俺は火魔法を詠唱した。
「――『クロスブラスト』!」
地面に広がった血に炎の雫を落とす。
すると、ガソリンに着火したかの如く燃え盛った。
男たちを火の海が蹂躙していく。
「ぐぉぁあああああああああああああ!!」
「なんだってんだ、てめぇらはぁああああああああああああ!」
断末魔の叫び。
男たちはのたうちまわり、為す術もなく地面に倒れ込んだ。
鉱山の頂上に静寂が戻る。
このまま放置してもいいが――
書状の件で、こいつらには生きてもらわないと困るな。
「そろそろいいか……」
全身に火傷を負わせたところで、クロスブラストを解除。
水魔法をぶっかける。
男たちの身体からは黒煙が上がっていた。
命に別状はないようだが、完全に気絶してるな。
俺は書状を取り出すが、ここで疑問が出てきた。
「完全に撃退しちゃったけど、書状どうしよう」
「私にお任せください」
ウォーキンスは奪われる手はずの書状を受け取ると、
ドワーフの中で隊長格と思われる男の前に立った。
奴の額に手を当て、瞼をこじ開ける。
その瞬間、ウォーキンスの瞳が赤と金を混ぜたような色へと変貌した。
そしてボソリと言葉をつぶやく。
「――『カオス・メモリー・ダズル』」
ウォーキンスが顔をのぞき込むと、気絶していた男が眼を覚ました。
しかし、どこか様子が変だ。
その双眸は光が欠け落ちており、焦点もあっていない。
そんな男に向かって、ウォーキンスは声を掛けた。
「何が起きたかわかっていますか?」
すると、男の口が意思に反するように動いた。
ボソボソと、うつろな表情で答える。
「……男一人と小娘。
そしてガキ一人に、攻撃したら……血が固まって、焼かれた……」
亡霊のように言葉を絞り出すドワーフ。
しかし、ここでウォーキンスが訂正を促した。
「違います。あなた方は王国の使者と思われる壮年の男と、その護衛5人を襲いました」
「……壮年の、男」
ドワーフはぼんやりと復唱する。
その間、無理やり頷かされているかのように首が震えていた。
ウォーキンスは手慣れた様子で次の訂正を呟く。
「火魔法を放たれるなど抵抗を受けましたが、
使者と護衛を崖下に突き落とし、書状を奪うことに成功します」
「……崖下に落とし……奪うことに、成功……?」
男が疑問形で呻く。
その瞬間、ウォーキンスはさらに瞳へ魔力を込めた。
それを直視した男は、さらに胡乱な状態になる。
「次に眼を覚ました時――
あなたは仲間とともに奪った書状を、雇い主に届けます。わかりましたか?」
「……雇い主……届ける」
男は首をガクガクと縦に振った。
それを確認して、ウォーキンスは満足そうに魔力を収めた。
「では、おやすみなさい」
すると、男は糸が切れたように再び気絶した。
ウォーキンスは立ち上がって軽く伸びをする。
今まで静観していた俺だが、ここで彼女に尋ねる。
「何をしたんだ?」
「幻を見せました。
この方の中では、襲撃して使者を抹殺し、書状を奪ったことになっています」
ま、幻……?
まさか、魔力を流しこんで認識能力をいじったのか。
俺が乗り物酔いをした時に掛けてくれたものと同じようだったけど。
そんな恐ろしい使い方をするものだったのか。
俺が戦慄している横で、バドは興味深げに首を傾げる。
「……幻惑魔法ってやつか? 禁忌魔法の筆頭だぜ」
「それではありませんが、種別的には近いものです。ご内密に」
そう言って、ウォーキンスは他の襲撃者にも同じことを行った。
書状を隊長格の男に握らせ、岩の陰にどける。
最後に手をパンパンと叩き、彼女は軽く息を吐いた。
「さて、これで敵方は使者が死んだものと思い、追手の出撃を打ち切るはずです」
「ずいぶん旅がしやすくなったな。好都合だぜ」
バドはパーカーコートに付着した血を拭い落とす。
元々の素材が黒なので、あまり色的には目立たない。
涼しい顔をしているが、俺とはしては心配である。
「……そういえば、バド。ケガは大丈夫か?」
「ああ。水さえ飲めばな」
バドは懐からボトルを取り出し、豪快に飲み下す。
胃の底が抜けるんじゃないかと心配になるほどの一気飲み。
水分補給が終わると、彼は遠くの景色を見据えた。
「条件も達成したし、あとは王様の盟友っていう商王に会いに行くだけだな」
そうか、もうこの辺りでドワーフ鉱山は終わりか。
さっきの襲撃者、さりげなく地の利を活かしてたんだな。
侮れん。
「ついに、ここからは連合国ですね」
「バド、案内は任せたぞ」
連合国に入ってしまえば、あとは目的地へ一直線だ。
しかし、土地勘がなくては不都合極まる。
そこで、連合国の情勢と地理に明るいバドの出番だ。
しかし、当の本人は面倒臭そうにアクビをしていた。
「俺に頼りすぎるとロクなことにならねえぞ」
何を仰る。
むしろここからがお前の仕事だろうに。
肩をすくめていると、バドはほんの少しだけ口角を上げた。
「――が、報酬分くらいは働いてやるよ」
「おお、その意気だ」
少しずつ、表情の機微でバドの内心が読めるようになってきた。
あと少しで連合国領ということもあり、気分がハイになっているようだ。
「楽しみだぜ。連合国には可愛い姉ちゃんがいっぱいいるからな」
「……そうなのか?」
初耳だ。
しかし、商業都市の集まりと聞けば、納得できそうな気もする。
容姿端麗な人ほど稼ぎやすい場所なのかもしれない。
どこでもその傾向はあるが、商売の活発なところだと特に顕著だ。
「頭の硬ぇリムとは似ても似つかねえ、気立ての良い奴揃いだ。
連合国で遊べると確信して、今回の仕事を受けてやったんだからな」
「勅命ェ……国王が泣くぞ」
そしてリムリスが怒るぞ。
確かに頭は硬いのかもしれんが、度量は広いだろうに。
あれほど権力を持っていて謙虚な人はなかなかいないぞ。
俺の言葉に対し、バドは「下らねえ」と呟いて頭をかく。
「勅命で満たされるのは忠義心に酔った奴だけだろ。
こっちは俗物なもんでね、欲に従わなきゃ動けねえのよ」
「ほぉ……」
そういう即物主義は嫌いじゃない。
バイト先に義理立てするよりかは、自分の利益が大事。
前世の自分を思えば共感しやすい。
まあ、周囲から叩かれやすいスタンスだろうけど。
バドは地図を確認して、これから俺達の向かう場所を示した。
「まずは国境近くの温泉都市”サラマン”を通る。
ここは親帝国派の商王が統治してるから気をつけろ。目立つんじゃねえぞ」
「……気が抜けないな」
いきなり帝国寄りの都市を通過するのか。
しかしここさえ突破すれば、目的の地であるナッシュの商業都市に着く。
警戒心を緩めずに行きたい。
自分に言い聞かせていると、バドは舌なめずりをしていた。
「温泉……旅館……酒……混浴……女……――女」
最後の一言だけなぜかはっきり聞き取れた。
頭の中が完全にドドメ色である。
真面目なのかだらしないのか分からん奴だ。
俺はバドを冷めた視線で見つめる。
「おい……遊びに来たんじゃないからな」
「分かってるっての。ただ、行程上サラマンで一泊はするからな」
「温泉ですか。楽しみですね」
バドに加え、ウォーキンスもどことなく上機嫌のように見える。
なんか俺だけ気を張っているのも馬鹿らしい気がしてきた。
いや、二人は自然体で十分対応できるから、その状態なんだろうけど。
まあ、温泉の街に来たらテンションが上がるのも頷ける。
遊びはしないが、旅人の気分を味わうとしよう。
俺達は軽い足取りで連合国へ突入したのだった。
次話→10/28
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