第五話 ケロンの氷橋
翌朝。
出発の準備は整った。
連合国へとつながるドワーフ鉱山へは、比較的すぐに到達するはず。
しかし過酷な地形であることには変わりない。
日も昇らぬ夜明け前に、俺達は見送りを受けていた。
エルフの峡谷の住人たちはホッとした様子になる――
かと思われたが、どんよりとした表情だった。
理由は簡単。
この勅命が果たされるまで、アレクが峡谷に滞在するからだ。
その上、部外者であるリムリスまでが駐在する始末。
峡谷のエルフたちはため息一色だった。
ここにいるのは、凛とした出で立ちのアレク。
いつもどおり柔和な表情のウォーキンス。
眠そうな顔のバド。
それを見咎めるリムリス。
以上、俺を含めた5人である。
セシルはまだお眠らしい。
子供らしくて非常によろしい。
バドは思い切り背伸びをする。
「ったく、なんだあのボロ小屋……首を寝違えちまったぜ」
「それはバドの寝相が悪いからだよ」
リムリスが冷静な突っ込みを入れた。
しかし、バドの機嫌も相当に悪いようだ。
即座に幼なじみへ言い返す。
「テメーみたいな女々しい寝方してたら、そりゃあどこでも寝れるだろうよ」
「なっ、女々しいとは何だ!」
「まあまあ、お二方とも。別れ際ですよ」
珍しくウォーキンスが仲介に入る。
しばらく睨み合っていた二人だったが、バドの舌打ちを最後に諍いは終わった。
各人の様子に、アレクはため息を吐く。
「はぁ……本当に不安じゃ」
やれやれ、と肩をすくめている。
と、彼女は俺の方をじっと見てきた。
「レジスよ」
「ん、どうした?」
「これを持っていくのじゃ」
アレクは懐から何かを取り出す。
見たところ、丸めた手紙のようだ。
経年劣化で黄ばんでおり、歴史を感じさせる。
「なんだ、これ」
「500年前に書かれ、連合国から失われた書簡じゃ」
「……何でそんなの持ってるんだ」
ウォーキンスと言い、お前らは古代の産物を所持しすぎだろ。
しかし、このタイミングでわざわざ渡してくる辺り――
偶然その書簡を持っていたというわけではなさそうだ。
ひとまず、中身が気になるため紐を解こうとする。
すると、アレクは俺の手を掴んで止めてきた。
「あー、今開くでない」
「ん?」
「連合国に入った後、『何をどうしても解決できない窮地に立たされた時』、その書簡を紐解くのじゃ」
ずいぶんと具体的な状況だな。
そもそも、連合国に着いてしまえば武力も必要ないだろうに。
どうも釈然としない。
「今読んだら何かまずいのか?」
「――偏見が生じる。
そして恐らく、それは此度の任務で致命的なものになるじゃろう」
鋒矢のように鋭い一言。
そこまで言われては、開くわけにはいかない。
「分かったよ」
俺は書簡を懐に入れた。
持ち歩いてるのに中身が分からないって絶対ムズムズするよ。
しかし、他ならぬアレクの忠告だ。
素直に聞いておくとしよう。
朝日が昇っていくのを見て、ウォーキンスが呟いた。
「そろそろ出発した方が良さそうですね」
「…………」
アレクは複雑そうな表情で彼女を見つめていた。
しかし、深いため息を吐くと、開き直ったようにウォーキンスへ語りかける。
「レジスを頼んだのじゃ」
「もちろんです。この身命に賭けて――」
ウォーキンスは胸に手を当てて答える。
そこまで命を懸けられては、こっちが恐縮してしまう。
苦笑していると、リムリスも幼なじみに別れの挨拶をしていた。
「バド。子供に気をつけるように」
「言われるまでもねえよ。
テメーも血迷ってエルフを斬り殺すんじゃねえぞ」
バドの軽口に、リムリスはムッとしたような顔になる。
しかし、さすがは仏の如き寛容さ。
一つ咳をして、俺たちの方を向いてくる。
「では、レジス殿。ウォーキンス殿。後は頼みました」
「任せてください」
俺は即座に頷いた。
間を取り持ってくれるリムリスが離脱するのは惜しいが、
バド相手の意思疎通であれば、もう問題はなさそうだ。
「レジス殿の勇姿。必ずや王に伝えましょう」
「それは是非、よろしくお願いします」
武勇伝として王に語り継いで欲しい。
なるべく高い官位がもらえるように、3割くらい話を盛ってくれるとなお嬉しい。
へりくだる俺を見て、アレクはため息を吐く。
「荷物を届けるだけの旅じゃ。さっさと終わらせよ」
「ああ、それじゃあ行ってくるよ」
こうして俺たちは、エルフの峡谷を出立したのだった。
◆◆◆
エルフの案内を受けて峡谷を抜け、霊峰を踏破した。
うっすらと霧のかかった山々。
こちら側から見る霊峰というのも新鮮だな。
「これで案内は終わりだな」
エルフの一人が安堵の息を吐いた。
彼女はすぐに霊峰の方へ戻っていく。
その背中に向けて礼を言っておいた。
「ここまでありがとう。アレク達によろしくな」
「やれやれ……厄災続きだ。まあ、頼まれてやろう」
そう言って、エルフは一足飛びで山の中へ消えていった。
ここからはウォーキンスとバドとの旅になる。
朝早くの出発だったからか、バドは眠そうだ。
「ったく……。周囲だけじゃなく、足元に気を払ってたからな。神経使うぜ」
アクビを噛み殺すバドに対し、ウォーキンスは平然としている。
むしろ期待に満ちた眼で俺に確認してきた。
「そういえば、レジス様。王国の外に出るのは初めてですよね」
「峡谷を除けばそうだな」
そうか、国外への旅はこれが初めてになるのか。
まあ、王国と隣接する国は気軽に遊びに行けるところじゃないからな。
出る機会がないのも当然と言える。
「見聞を広めるためには諸国漫遊が一番ですよ。
特定の地域でしか伝わっていない剣技や魔法などもありますからね」
「そう聞くとワクワクするような……」
もっとも、危険度の方が高いから素直に喜べない。
こうやって歩いている間にも、襲撃される可能性がある。
携帯している『奪われる手はずの書状』の位置を確認する。
自然な流れで敵に持って行かせて、姿をくらませるのが理想だ。
演技力が試されるな。
脳内でイメトレをしていると、ウォーキンスが懐かしげに呟いた。
「この辺りを歩くのは久しぶりですね。
温暖期の真っ盛りになると、巨大な蟲型魔獣が群をなすのです」
「……今が寒冷期の手前で良かったよ」
霊峰で見かけた巨大蜂みたいなのが大量発生するのか。
考えたくもないな。
しかし、バドは口の端を吊り上げて笑っている。
「ほぉ、小せぇ蜘蛛ですら怖がるリムに見せてやりてぇな」
ここに鬼がいる。
虫ってダメな人は本当にダメなんだからな。
俺も前世では黒光りする害虫と激戦を繰り広げたものだ。
紙コップで捕獲を試みて二の腕に飛びつかれた時は、さすがに死を覚悟した。
まあ、虫は俺も苦手である。
しばらく歩くと、開けた場所に出た。
山林地帯がついに終わったのだ。
「――ッ」
すると、眼を見張るような湖が目の前に現れた。
いや、湖というのも生ぬるい。
もはや海だ。
果てしなく水平線の続く巨大な貯水池。
しばらく進むと、膨大な水量が落下する崖を見つけた。
「なんて滝だ……」
「噂には聞いてたが、ずいぶんと洒落てんじゃねえか」
水圧で全てを押しつぶす大瀑布。
轟々とした水音が身体の中で反響するほどだ。
そよ風を浴びて髪を揺らすウォーキンスは、滝の向こう側を指さして言った。
「ここは大水源ですね。
かつて水霊王ウィンディが身を浄めたことにより、大陸を潤す水運を得たとされています」
へえ、そんな伝説があるのか。
五大精霊の一柱にまつわる景勝地――さすがに荘厳だ。
バドは手持ちの地図を開き、現在位置を確認する。
「こいつは霊峰と鉱山を分断する地形だったか。
どうやら方向は合ってるみてぇだな」
ここまでは順調ということか。
大水源は秘境にあるため、書物での言及も少なかった。
ここは二人の導きに頼りたいところだ。
「バド、鉱山に入ってからの方向はわかるのか?」
「北東に下山していけばすぐに連合国だ。迷うもんじゃねえよ。ただ――」
バドはそこで一回言葉を切る。
そして地図をよく眺めた後、深刻な口調で呟いた。
「まずはこの大水源を向こう岸に渡ってからだがな」
キュウリを流したら一秒で四散しそうな水流。
激しい波がぶつかり合い、急流が集まって渦を作っている。
泳いで渡るのはもちろん、船を使ってもたどり着かないことは必至。
「方策はあるのか?」
「ねえな。どうしたもんか」
バドはさらりと答える。
おいおい、ここに来て障害か。
だとしたら、なんで国王は自信満々でこのルートを通れと言ったんだ。
大水源が越えられなければ、連合国には行けないだろうに。
思い悩んでいると、ウォーキンスが意外そうに尋ねてきた。
「おや……レジス様はともかく、バド様もご存知でないのですか?」
「あん?」
ウォーキンスの問いに、バドは不機嫌そうな返事をする。
しかし、ウォーキンスは気にする様子もなく進んでいく。
後を追っていくと、もっとも向こう岸に近い場所に出た。
すると、あるものが目に入った。
それを指さし、ウォーキンスは懐かしげに告げたのだった。
「比類なき氷魔法の使い手、ケロンが遺した不壊の橋――”氷結橋”です」
◆◆◆
水平線の彼方まで続く長い橋。
その迫力に思わず圧倒されてしまう。
そして気づけば、鳥肌が立つほどに辺りは冷え込んでいた。
あの橋の持つ温度が恐ろしく低いのだ。
「境界線上の大橋と違い、今では使われず忘れ去られた旧時代の遺物ですね」
忘却された橋。
詳しく話を聞くと、これは邪神大戦の時に作られたものらしい。
当時、大陸の四賢は帝国領において邪神軍に敗北した。
激しい追撃をかわすため、南部へ後退することを決定。
しかし、船が壊滅した状況では大河を渡って避難することができない。
そんな時、大魔法師ケロンが名乗りを上げた。
彼女は大水源のこの場所ですべての力を解放し、この氷橋を作り上げたのだ。
そのおかげで邪神軍の追撃をかわし、南部へ退却することに成功。
アレクの案内のもと、エルフの峡谷へ一時駐留するに至ったのだ。
「その撤退があったため、四賢を筆頭とする討伐軍は勢力を盛り返すことができたのです」
なるほど。
以前に聞いたアレクの話につながった。
ウォーキンスは少し気恥ずかしげに頬をかいている。
「ちなみに私が峡谷でお見せした橋の結晶化は、
ケロン様の得意とした氷魔法を参考にしたものです」
「へぇ……」
ケロン。
大陸の四賢の一人であるシャンリーズの親友だった女性。
人の身でありながら、他種族との友好に努めていたと聞く。
「もっとも、氷を結晶化して渡りやすくする技法は、私が編み出したものです」
「ということは、この橋って……」
「かなり滑るってことだな」
誇らしげに胸を張るウォーキンスの横で、俺とバドは肩を落とす。
普通の靴で氷上を歩くのは骨が折れそうだ。
慣用句的な意味でも、物理的な意味でも。
こんなの、スニーカーでスケートリンクを突っ切るようなものだ。
「どうか気を落とさず。
ここを越えればドワーフ鉱山ですよ。連合国はもう目の前です!」
元気づけようと鼓舞してくれるウォーキンス。
そうだ、こんなところで怖気づいてどうする。
俺は気合を入れ、すり足で進み始めた。
じり、じり。
一歩一歩を大切にしながら、徐々に前進していく。
意外といけるな……心配して損したぜ。
俺は汗を拭い、渾身のガッツポーズを取る。
「なんだ、思ったより簡単っぽいな。
こうやって慎重に進んでいけば何とかなるっとぉおおおおおおおおおおおおお!」
踏み込んだ瞬間に思い切り滑った。
空中で足を高々と突き上げる妙な舞を見せ、顔面から着地する。
何とか額と氷の間に手を入れたため、ダメージは最小限。
しかし、痛いことには変わりない。
「ぐ、ぐぬぉお……」
「だ、大丈夫ですか、レジス様」
ウォーキンスが手を差し伸べてくる。
その手に捕まって立ち上がらせてもらう。
しかし、ウォーキンスの歩行法は平常時と全く変わらないな。
この氷をものともしないとは、恐ろしいやつよ。
「ハッ。情けねえな、レジスよぉ」
見れば、バドもなかなかの安定した歩き方で先へ進んでいる。
さすがは暗殺者殺しといったところか。
バドは得意気な眼光を仮面の奥に宿し、後ろを振り向こうとした。
「体幹を鍛えてねえからそうなるんだ――ぜっしょい!」
ゴキャン、と破滅的な音が響いた。
バドの身体は氷の上に投げ出され、ピクリとも動かない。
……後頭部から行った。
ひどい、俺よりひどい。
どうやら振り向いた拍子にかかとを滑らせたようだ。
白目を向いて倒れている。
この隙に仮面を剥いでみたい欲求に駆られたが、理性を動員させて我慢。
意識を回帰させたバドが起きるのを手伝ってやる。
俺とバドの二人を見て、ウォーキンスはクスクスと邪気なく微笑む。
「慢心するべからず――ですね」
もっともな言葉だ。
しかし、油断も驕りも捨てた今、もう何も怖くない。
同じ失敗を繰り返すと思うな。
俺とバドは慎重に歩くことを意識し、氷の上を進撃していく。
――その結果、渡り切るまでに七回の転倒で済んだのだった。
なお、バドは途中で足を滑らせ、また失神してしまった。
俺と同じく、氷の上が大の苦手のようだ。
揺らしても起きないので、仕方なく俺が引きずって行った。
何このリアル七転八倒。
腫れかけた額を押さえ、絶対にスケートをやらないことを誓う俺だった。
次話→10/25(明日)
ご意見ご感想、お待ちしております。
【お知らせ】
本日、ディンの紋章の2巻が発売となりました。
書き下ろしの新規エピソードが2本追加されており、
全体的に加筆を施し、パワーアップした学院編になります。
WEB版の更新も今以上に頑張ってまいりますので、
今後ともディンの紋章をよろしくお願いします。