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ディンの紋章 ~魔法師レジスの転生譚~  作者: 赤巻たると
第七章 旅立ち、連合国編
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第四話 峡谷の一夜

    


 アレクの暴君チェックインによって、見事に宿を確保した俺たち。

 だが、エルフたちも最後の抵抗を試みた。


 『峡谷にいる間は、俺とアレクを除く3人に、監視役のエルフを一人ずつ付ける』


 この条件を付与してきたのだ。

 素性の知れない人間を自由にさせたくないのだろう。

 その思いは十分にわかるので、快諾しておいた。


 そして現在――

 俺たちは大屋敷の前にいた。

 手配された寝床の確認をしているところである。


 リムリスは真面目に部屋振り分けの相談に乗ってくれているが、

 バドは心底どうでも良さそうに、離れた場所でパイプを吸っていた。

 ひと声かけてみたが反応なし。仕方のない奴め。


 その最中、アレクが辺りを見まわってくると告げてきた。

 ついていこうかと思ったのだが、一人が良いと断られた。

 非常に残念。


 と、その時――ウォーキンスがアレクの後を付けようとしていた。

 思わず声をかける。


「あれ、ウォーキンスもどこかに行くのか?」

「はい。アレクサンディア様と少し打ち合わせをしてきます」


 これからの動きを確認するのかな。

 まあ、二人で連携を取ってくれるのは喜ばしい。

 俺はこっちで支度を整えておくとしよう。


 貸してもらえる空きの屋敷は二つ。

 それなりに大きいらしいので、泊まり方は自由自在だ。

 まあ、男女で2:3に分けるのが無難か。


 思考していると――いきなり後ろから抱きつかれた。


「レジスお兄ちゃん! お久しぶりです!」


 なかなかの弾丸タックル。

 疲労が蓄積していたため、危うく倒れそうになる。

 しかし、この元気の良い飛びつきで、誰であるか瞬時に察することができた。


「おお、セシルか。久しぶりだな」


 彗星の如く現れた癒し系幼女。

 ジャックルもイザベルも出張中なので暇をしていたのだろう。

 目を輝かせながら俺の腰元に頬を擦り当ててくる。


 と、ここで俺以外の人間に気づいたようだ。


「お姉さん、誰?」


 セシルはきょとんとした顔で、リムリスを見上げた。

 人見知りなところがあるらしく、その言動はどこか不安げだ。

 それを見て、リムリスは柔和に答えた。


「リムリスと申します。王都貴族として宮廷に仕えさせて頂いています」

「き、ききき、貴族……様ですかっ!」


 セシルがあたふたと腰元で暴れまわる。

 エルフの間で貴族がどう思われているのか分かってしまうな。

 警戒されるだけのことをしているからだけど。


 俺の後ろに隠れようとするセシルに、優しく声をかける。


「大丈夫、俺の知り合いだから。変なことはしないよ」

「で、では……よろしくお願いします」


 おずおずと、セシルはリムリスに頭を下げた。

 表情が変わる幼女の姿は、見ていて微笑ましい。


 と、ここでセシルはもう一人の人間に気がついたようだ。

 彼女は離れた場所で一服しているバドに近づいていった。

 そして魅惑のエンジェルスマイルで自己紹介をする。


「私、セシルっていいます。おじさん、お名前は――?」

「…………」


 今まで自分の世界に入っていたのだろう。

 その言葉でようやく、バドはセシルの存在に気づいた。

 するとその瞬間――


「――――ッ」


 バドの身体がゆらりと揺れた。

 こわばった筋肉を動かすようにして、彼はセシルに呟く。

 押し殺した声のようで、俺のところまでは聞こえない。

 しかし、その口がどう動き、なんと呟いたのかは見えた。


  ――ガ、キ、が


 バドは右手をセシルの額に当てた。

 そして魔力を指先へと集める。


「ふぇ……?」


 と、その時。

 リムリスがはっとしたような顔になった。


「――バドッ!」


 リムリスが警告するような一言を浴びせる。

 しかし、バドの身体は不気味に揺れるだけで、反応を返さない。

 それを見て、リムリスは地面を蹴った。


 凄まじい勢いで二人の間に割り込み、セシルを抱え上げたのだ。


「……え、ふわわっ! お姉さん!?」


 困惑するセシル。

 だが、リムリスの焦りも尋常なものではない。

 彼女はセシルを抱えたまま、バドから逃げるように本屋敷の中へ走っていった。


 ――静寂がこの場を支配する。


 一瞬、何が起きたのかわからなかった。

 しかし、バドの身体から滲み出る殺意の魔力を見て、全てを察した。

 俺はバドに対し、詰問するように尋ねた。


「お前、そんなに魔力を出して、何をするつもりだったんだ?」

「…………」


 バドは答えない。

 ただ、彼は己の右手をぼんやりと見下ろすだけだ。

 魔力が失せたその手は、少し震えているように見えた。


「……ガキは、嫌いだ」


 それだけ言って、バドは屋敷の裏へ歩いて行った。

 彼の背中から垣間見える哀愁の念。

 それを見て、俺は何も言えなくなった。


「…………」


 バドの監視役のエルフには、俺の方から話をつけておく。

 幸運にも、バドが見せた殺気には気づいていないようだった。

 危ないところだ――


 肩をすくめていると、背後から話しかけられた。


「レジス殿、少しこちらへ」


 リムリスだ。

 セシルを本屋敷の中に避難させて戻ってきたらしい。

 彼女は俯きながら、申し訳なさそうに告げてくる。


「実は、バドについて、まだ話していなかったことがあります」

「それは知っています。口止めされていたんですよね?」


 牛車の中で、一度バドの話はされた。

 だが、途中でバド本人によって話の腰を折られてしまったのだ。

 同時に、彼はリムリスに余計なことを喋らないよう要求していた。


「……私も本人が自分で言うまでは、黙っておこうと思いました」


 相当にデリケートなことらしい。

 まあ、バドがあのタイミングで止めたほどだ。

 人に軽く話せることではないのだろう。 


「しかし、危うくセシル殿に害が及ぶところでした。

 取り返しの付かないことが起きてからでは遅いので――お話します」


 それで生じた責任は自分で取る、とリムリスは言い切った。

 一応バドがいないことを確認して、彼女はボソリとつぶやく。


「――バドは魔獣のみならず、子供を見ると凄まじい殺意が湧くのです」

「……子供を?」


 それはまた、奇異な話だ。

 リムリスは気まずそうに声を低くし、バドの変わり様を嘆く。


「はい、理由はわかりません。

 多分……親友の騎士を亡くして以来だと思います。

 その時から、バドは子供に対して、暴力的な姿勢を見せるようになりました」


 なるほど。

 それを聞いて、一つスッキリしたことがある。

 最初に出会った時――彼は俺やアレクに対して、すさまじい嫌悪感を抱いていた。

 あれは今みたいな負の情念が湧いてきたからだったのか。


「その都度、リムリスさんが止めてたんですか?」

「はい……しかし、繰り返しになりますが。バドに悪気はないのです」


 傷つけようと思って子供に敵愾心を持つわけではない。

 その点だけ、リムリスは強調して告げてきた。

 まあ、さっきの反応を見ていればなんとなく分かる。

 

「殺意が湧いてしまうことに、バドも苦悩しているのです。

 確かに、普段は子供を見ると怒鳴り散らしたりしますが――

 酒の席など、素が出る時はいつも悔やんでいます」


 子供を害したいわけではないが、耐えられない衝動が襲ってくるわけか。

 トラウマの根幹に子供が関わりでもしたのかな。

 その点は不明だが、俺の方で取れる対応は定まってきた。


「要するに、バドに子供を近づけないようにすればいいんですね?」

「はい。道中ついて行けなくて心苦しく思いますが……どうかよろしくお願いします」


 リムリスは恐縮そうに頼んできた。

 なに、気に病むことはない。

 刺激されると感情が高ぶってしまう過去の一つや二つ、誰だって持っているものだ。

 人間だもの。


「じゃあ、この話はこれで――」

「どこかに行かれるのです?」

「ちょっとセシルと話してきますよ」


 尋ねてくるリムリスに対し、俺は本屋敷の中を示す。

 アフターケアはきちんとしないとな。

 セシルもずいぶんと怯えている様子だったし。


 俺はセシルの避難した本屋敷へ足を向ける。

 その時、裏口から戻ってきたバドとすれ違った。

 頭を冷やしてきていたのだろう。


 バドの隣を通過した瞬間、彼は居心地が悪そうに呟いた。


「……見苦しいところを、見せちまったな」

「別に、気にするな」


 ずいぶんと落ち込んでいるようだ。

 彼は仮面の奥からぼんやりとした眼光を向けてくる。


「代わりに……あの嬢ちゃんに謝っといてくれねえか」

「いいけど、自分で謝れないか?」


 さりげなく促してみる。

 正直、俺を挟まず当事者が頭を下げた方が手っ取り早いのだが。

 しかし、バドはゆっくりと首を振った。


「……ガキは、嫌いだ」

「ん、了解」


 一筋縄では行きそうにないな。

 この分だと、本格的に子供を隔離した方が良さそうだ。

 連合国での動きに支障が出なければいいのだが――


 懸念への対応策を考えつつ、俺はセシルの元へ向かったのだった。




     ◆◆◆




 本屋敷の内装は以前と変わっていなかった。

 相変わらず年季の入った建物だ。

 一階のジャックルの部屋をチラリと覗く。


 すると、そこには体育座りで顔を伏せているセシルの姿があった。

 やはりここにいたか。

 近づくと、彼女の耳がピクリと動いた。


「……あ、レジスお兄ちゃん」

「よぉ、怪我とかはないよな」


 声は明るく、朗らかに。

 刺激しないように彼女の調子を窺った。

 セシルは気分が落ち込んでいるようで、半泣きになりながら見上げてきた。


「わ、わたし……何か、悪いこと……し、しちゃったのでしょうか」

「いやいや、そんなことはない」


 思った以上に怖かったようだな。

 まあ、先ほどバドが叩きつけた魔素は明らかに殺意が混入していた。

 魔力に敏感なエルフであれば驚くのも当然。

 現に、セシルはショックを受けて泣きじゃくっている。


「で、でも……わたし、嫌われ、ちゃってて……」

「大丈夫。さっきのおじさん、謝りたいって言ってたよ」


 バドの謝意を伝えておく。

 すると、セシルはおずおずと顔を上げた。


「ほ、本当ですか……?」

「ああ。セシルみたいな良い子を嫌いになるはずないって」


 慰めの言葉と共に頭を撫でる。

 『気安く触んじゃねえ!』と振り払われたらどうしよう。

 拒絶を懸念したのだが、どうやら不快には思われなかったようだ。

 セシルは涙を拭って、嬉しそうに呟いた。


「……えへへ、良かったです」


 俺も泣き止んでくれて良かったよ。

 天使のような笑顔とはこのことか。

 見ているだけで和んでしまう。


 しばらくすると、セシルは気分が落ち着いたようだ。

 今度は寂しそうに俺を見つめてくる。


「あ、あの……レジスお兄ちゃん。今回もすぐ行っちゃうんです?」

「ああ。峡谷には仕事で立ち寄っただけなんだ」


 もう日も暮れている。

 旅に遅れを出さないためにも、早めに休んでおきたい。

 しかし、セシルは悲しそうな表情を浮かべる。


「……かわあそび」

「大丈夫、忘れてないって」


 本当に川遊びが好きだな。

 俺はアウトドア派ではなかったので、新鮮な気分になる。

 セシルを安心させるため、確固とした口調で断言する。


「前に約束しただろ? 次は一緒に遊ぼうな」

「はいっ!」


 良い返事だ。

 一つ一つの挙動が実に愛らしい。

 きっと姪や甥がいたら、こんな感じなんだろうな。


 近所の悪ガキを相手にした時は心が荒む一方だったのに。

 それと比較すると、セシルは癒やしのオアシスだよ。

 感動していると、セシルが恐ろしいことを報告してきた。


「この間、お爺ちゃんに『かわあそび』の約束のことを話したのです!」

「ほう。それで?」

「にっこりしながら頷いてくれました!」


 お爺ちゃんの微笑みか。

 いったい何の頷きなんだろう。

 俺を的にして槍投げでもする決意かな。

 ひしひしと命の危険を感じるよ。


「他には何かなかった?」

「そういえば、お気に入りの槍を念入りに磨いていました」


 予想的中。

 怒りの投擲が目に見えるようだ。

 幼女と遊ぶリスクは、この世界でも変わらないらしい。

 天真爛漫なセシルと話しながら、俺は背筋を凍らせたのだった。




     ◆◆◆




 セシルと別れ、本屋敷を後にした。

 そろそろ手配された宿泊所に行くか。

 そう思っていると、リムリスが声をかけてきた。

 隣にはバドを伴っている。


「レジス殿、戻りましたか」

「はい、お待たせしました」


 ふと空を見上げる。

 完全に太陽は沈み、鳥獣の声もなりを潜めていた。

 時間にして21時前後か。


 早朝の出発を考えた場合、そろそろ腰を落ち着けておきたい。

 ひとまず、バドに声をかけて懸案を解消しておく。


「伝えてきたぞ。気にしてないってさ」

「……そうか。悪いな」


 報告を受けて、バドはパイプをしまった。

 微妙な沈黙が俺たちの間を流れる。

 気まずさを打開するため、疑問に思っていたことを尋ねた。


「それ、どういう時に吸ってるんだ?」


 バドが今しがた懐に収納したパイプを指さす。

 ずいぶんとお気に入りのようだが。


「これか? イライラしたり、心を落ち着けたい時だ」


 タバコみたいなものか。

 前世ではアウトローを気取って、3本同時喫煙に挑戦したものだ。

 駅のホームで盛大にむせて、周囲から白い目を向けられた黒歴史が今鮮やかに甦る。


 あれは気管支の弱かった俺には合わない嗜好品だ。

 バドはパイプを指で弾き、確認を取ってきた、


「こいつを切らせたら詠唱に支障が出る。

 悪いが緊急時は断りなく吸わせてもらうぜ」

「了解。あんまり煙たくないし、別に俺は構わないよ」


 もっとも、アレクはその煙に拒絶反応を示したみたいだけど。

 エルフにとって嫌な匂いなんだろうか。

 それにしては、監視役のエルフが鼻を押さえる様子もない。


 ふむ……謎の煙だ。

 バドの顔色を窺っていたところで、リムリスが報告してきた。


「レジス様、私達に貸し出された屋敷はあちらです」


 二つの屋敷を指さした。

 しかし、その周りをエルフの少年や少女が走り回っている。


 青春だねぇ。

 俺も混ざって懐古に浸りたいものだ。

 子どもたちを見て、バドは歯を噛み締めた。


「……ガキに会わないってのは難しそうだな」


 バドはため息を吐いた。

 喫煙のために外へ出たら、子供に鉢合わせする可能性もある。


 深夜でも、村の中を見まわる少年のエルフがいたりするのだ。

 バドはフードの上から頭を掻き、監視役のエルフに尋ねた。


「どこかに離れみたいな場所はねえのか」

「あるが、使ってない倉庫小屋だぞ?」


 エルフの女性は今にも潰れそうな建屋を指さした。

 『やーい、お前んち、お化けやーしきー!』と煽られそうなオンボロ具合だ。

 震度3で跡形もなく崩れ落ちることは間違いない。

 しかし、バドは躊躇なく頷いた。


「十分だ。今夜はそこを貸してもらうぜ」

「おや、そうですか。でしたら私もそこで寝ます」


 と、リムリスが同調した。

 いきなりの申し出に、バドは舌打ちを返す。


「リム、ふざけてんじゃねえぞ」


 怒気を孕んだ声。

 バドは幼なじみを睨みつけた。

 だが、リムリスは一歩も引かない。


「ふざけてなんかいない」


 凛とした反論。

 バドから目を逸らさず、彼女は厳かに言い放った。


「私はいつだって愚直で、正直で、偽りなく生きている。

 それは君が一番よく知っているだろう」


 驚異的な己への自信、そして相手への信頼。

 しかし、バドの方も譲る気はないようだ。

 仮面の奥には剣呑な光が宿っている。


「……真面目に生きてて、良いことなんざ一つもねえよ」


 バドは吐き捨てるように言った。

 重い雰囲気が辺りに渦巻く。

 監視役のエルフも冷や汗を流して困惑している。

 しかし、リムリスが押し通す勢いで言い放った。


「峡谷を出るまで私が一緒にいる。

 これは上官命令だ――バド・ランティス」

「…………」


 その一言で、バドはため息を吐いた。

 何かを諦めたようだ。


「……チッ、お前が見張るのは英雄様だろうがよ」


 腹立たしげに呟き、頭をボリボリと掻く。

 そんな彼に向かって、リムリスは言質を取ろうとする。


「返事は?」

「……謹んで承ってやるよ。リムリス閣下殿」


 バドは投げやりな口調で承諾した。

 彼の肩の下がり方を見るに、非常に気だるそうだ。


「っつーわけで、俺はあのボロ小屋で休むぜ。あばよ」

「私も先に休憩を取らせていただきます」


 バドはアクビをしながら建屋へ向かう。

 その後をリムリスが毅然とした態度でついていく。

 なんだかんだ、あの二人は放っといて良さそうだな。

 リムリスが良いストッパーになってる。


 幼なじみ……か。

 経験がないので分からないが、居心地の良さそうな間柄だな。

 感慨深く二人の背中を見送っていると、後ろから声を掛けられた。


「おや、レジス様。まだお休みになっていないのですか?」


 ウォーキンスがきょとんとした表情で立っている。

 暗い村落の中で、彼女の銀眼が密かに光っていた。


「お前こそ……って、アレクと会議してたんだっけな」

「はい、先ほど終了しました」


 話を聞いてみると、いつものように作戦を練っていたらしい。

 不測の事態を可能な限り挙げて、その対処法をセットで考えていたのだとか。

 実に心強い。


 しかし、ウォーキンスに頼り切るのも良くない。

 俺も常に気を張っておかないとな。


「ところでアレクは?」

「墓地に行ってくる、とのことです。

 先に寝ていろと申し付けられました」

「そうか……」


 やはりアレクは峡谷に来る度、

 今は亡き先祖を慰霊しているようだ。

 邪神討伐の夢を胸に秘めて――。


 アレクの心中を慮っていると、

 ウォーキンスがぐーっと伸びをした。


「さてさて、私は屋敷に入ろうかと思います。

 レジス様も、どうか身体を休めてください」

「そうだな、明日も早い」


 峡谷を抜けた先にある大水源から、ドワーフ鉱山までの道は未知数。

 恐らくはバドも経験したことがないだろう。

 彼が得意としているのは、あくまでも連合国の地理だ。


 この辺りはウォーキンスに任せた方が良さそうだな。

 地形を含めてアレクから情報を聞いてるようだし。

 頼りにさせてもらおう。


 ふと、ウォーキンスが俺の正面に回ってきた。

 そして上着に優しく手を添えてくる。


「前を止めた方が良さそうですね。今宵は冷えます」


 冷気が入り込まないよう、丁寧に閉じてくれた。

 そういえば、登山途中は暑かったので前を開けていたのだ。

 しかし、山の気候は平地と異なる。

 今気づけば、少し肌寒くなっていた。


「はい、これで大丈夫です」

「ん、ありがとう」


 ポンポンと上着を軽く叩いてくるウォーキンス。

 その微笑みは暗中でも輝いていた。

 毎度のことながら、金の取れそうなスマイルだ。


「ではレジス様。おやすみなさい」


 スカートの端をつまみ、優雅に一礼してくる。

 ウォーキンスを見送り、俺も屋敷へと入った。

 そして眠気に屈するまま、床へ就いたのだった。





     ◆◆◆




 泥のような意識の底。

 睡魔の深海を漂っていると、ゆるやかな刺激を感じた。


 ――どれくらい眠っていたのだろうか。


 眼を開けると、天井が目に入った。

 明日は峡谷を通過し、連合国へと至るドワーフ鉱山へ進む。

 ハードな一日になるのは間違いないので、もう少し寝ておきたいところだ。


 ふと――人の気配を感じた。

 ぼんやりとした意識状態で戸の方を見る。

 すると、申し訳なさげに一人の少女が入ってきた。


「……む、起こしてしまったか。すまぬな」

「……アレク?」


 ひっそりとアレクが布団の傍へ寄ってくる。

 なんだ、こんな夜更けに。

 眼をこすりながらアレクに尋ねる。


「……どうした?」

「…………」


 沈黙。

 何か喋らないと分からんだろうに。

 用件を言うのを待っていると、アレクは目をそらしながら呟いた。


「い、一緒に寝てもよいか」

「…………は?」


 寝る。

 一緒に。


 つまり、どういうことだ。

 同衾しろと言っているのか。

 急に心拍数が上がったのを感じる。


 除夜の鐘と化した心臓が秒間108回もの拍動を刻もうとする。

 いかん、過呼吸になりそうだ。

 俺が動転していると、アレクは弱々しげに言葉を絞り出した。


「……なにやら胸が痛くて眠れんのじゃ」


 なに、胸が痛い?

 それは医者案件じゃないのか。

 俺に治療行為は一切できんぞ。


 むしろ治癒魔法を覚えている分、アレクのほうが得意な気がする。

 しかし、どうやら病や怪我で痛いわけではないようだ。

 彼女はためらい気味に尋ねてきた。


「……ダメか?」

「いや、別にいいけどさ」


 そんな顔をされては断れるはずもない。

 少し布団の端を上げてやると、安堵した様子で入ってきた。


 自分の位置を確保しようとしているのだろう。

 中でモゾモゾと動いて、非常にくすぐったい。

 しかし、アレクは幸せそうな表情だ。


「ふぅ……あったかいのじゃ」

「あんまり動くなよ。熱が外に逃げて寒い」


 気づけば、寝る前よりも空気が冷えている。

 足が床に一瞬触れたが、ひんやりとしていた。


 アレクが小柄とはいえ、寝返りをすると布団からはみ出してしまう。

 不満を訴えると、アレク意地悪げに笑った。


「ふむ、ならばこうか?」


 そう言って、両手を背中に回して俺を引き寄せてくる。

 脚まで絡める念の入れようだ。

 目の前にアレクの顔がくるため、非常に気恥ずかしい。


「……ッ。くっつくと暑いだろ」


 思わず身をよじるが、アレクがそれを許さない。

 強くホールドしてきて、身動きを封じてくる。


「こりゃ、動くでない」


 完全に両手両足を拘束されてしまった。

 固めから外そうとした右腕がミシミシ言ってるんだけど。

 大丈夫なのか、これ。

 蛇を前にしたカエルの気分だ。


「よしよし、このくらいが心地よいのじゃ」

「そ、そうか……」


 こっちは関節の各所が悲鳴を上げてるんだが。

 まあ、痛みはないので我慢は可能。

 懸念だった寒さも解消された。


 俺はアレクから目線をそらして押し黙る。

 この微妙な間が苦手なのだ。

 しばらく沈黙が続いたが、ここでアレクが「ふぅ」と嘆息した。


「……我輩も、ついて行きたかったんじゃがのぉ」

「そうか。ここで待機だもんな」

「うむ、無念じゃ。口惜しい」


 唇の端を噛んで悔しがっている。

 大陸の四賢という肩書きによって、連合国への進入を拒まれてしまっている。

 何事にも縛られないことを信条とする彼女からすれば、心外極まりないだろう。


「心配するなよ。すぐ帰ってくるからさ」


 ギリギリ動く指先で、アレクの肩を軽く叩いた。

 安心させたかったのだが、彼女はより沈鬱になってしまう。


「…………汝が心配じゃ」


 俺の身を案じてくれてるのか。

 ありがたいことだ。

 しかし裏を返せば、今回の任務が危険であることを意味している。

 俺は勝ち気な笑みを浮かべ、アレクに語りかけた。


「大丈夫だよ。

 お前の教えてくれた魔法が、鍛えてくれた身体が――俺を守ってくれるさ」


 魔力量の底上げに、徹底した体術の伝授。

 アレクが稽古をつけてくれたおかげで、並みの魔法師には引けを取らなくなった。


 ウォーキンスが整えてくれた下地。

 それを開花させてくれたのは、間違いなく彼女なのだ。

 そのことを告げると、アレクはぎこちなく顔を背けた。


「……ふ、ふん。我輩がいてやらんと危なっかしい、未熟者のくせに」


 声にすごく熱がこもっているのは気のせいか。

 ともあれ、こいつの感じている不安を払拭しておきたい。


「道中はウォーキンスもいるからな。きっと安全だよ」

「…………じゃからこそ」

「ん?」


 アレクは歯がゆそうに、

 それでいて絞り出すようにして呟いた。


「じゃからこそ、気がかりなのじゃ。

 汝は盲目的にあの女を信用しすぎておる」

「盲目的って……」


 相変わらず、ウォーキンスへ向ける警戒が異常だ。

 さっきまで共に話していたんじゃないのか。

 心理的な距離は今ひとつ縮まっていないようだ。

 ここにいないウォーキンスを思ってか、ついトゲのある口調で訊いてしまった。


「あいつのこと、信頼しちゃいけないのかよ」

「い、いや……そういうことではない」


 アレクは焦ったような表情になった。

 悲しげに言葉を詰まらせる。

 少し強く言い過ぎたか、反省だ。


 反応を窺っていると、アレクは弁明してきた。


「我輩は、ただ――」

「ただ?」

「……もし我輩と奴の間で意見が割れた時、

 きっとレジスはあやつの味方をするじゃろう」


 言い切った瞬間、アレクはぎゅっと眼を瞑った。

 切実でいて、助けを求めるような声だった。

 そこまで言われて、ようやく気づいた。


 ああ……そうか。

 アレクは怖がっていたのか。


 いざ俺が決断を迫られた時、

 自分の味方をしてくれないのではないかと。

 無条件でウォーキンスや他の人に肩入れするのではないかと。


 こいつめ……俺なんか話にならないくらい強い力を持ってるくせに。

 こういう面は本当に弱いんだな。

 震えるアレクに向かって、俺は強い口調で囁いた。


「しないよ。絶対にしない」

「――――ッ」


 俺の言葉に、アレクが目を見開いた。

 なんだ、その驚いたような顔は。

 本当に俺が見放すとでも思っていたのか。


 しかし、この言い方だと語弊が生まれそうだ。

 俺は彼女の背中に手を回し、軽く引き寄せた。

 そして耳元で言葉を継ぐ。


「親しい人同士が争ってたら、まずは事情を聞く。

 無条件でどちらかに肩入れは、絶対にしないよ」

「な、ならば……」


 アレクは震える声で尋ねてきた。


「こちらに大義がある時は、我輩の味方をしてくれる……のじゃな?」

「もちろんだ。困った時は頼ってくれよ」


 そう言うと、アレクはいきなり布団に顔をうずめた。

 窒息しそうな勢いだ。

 何事かと思っていると、彼女は身体を震わせながら呟いた。


「ふふ……そうか。……そう、なのじゃな」


 喜びを隠し切れないといった様子だ。

 アレクは俺に身を寄せてくる。

 上機嫌に喉を鳴らし、俺の身体を抱きしめてきた。


「我輩は、いつでもレジスの味方じゃぞ」


 やんわりと頭を撫でてくる。

 あまり好きではないスキンシップだが、相手がアレクであれば話は別だ。

 大人しく撫でられていると、彼女は期待に満ちた眼で微笑んできた。


「汝の帰りを、待っておるぞ」

「ああ、待っててくれ」


 俺は即答した。

 自分自身を奮い立たせるために。

 それ以上に、アレクに安心してもらうために――


「もう眠るのじゃ。明日は早い」


 ついさっき目覚めたばかりなんだけどな。

 思わず苦笑する。

 と、アレクは俺の額に指を当て、魔力を流し込んできた。

 それに応じて、急に視界がかすみ始めた。


「…………ッ?」


 瞼がシャッターのように降りようとしてくる。

 眠気が脳内を侵食していき、意識が閉塞していく。


「……おやすみじゃ、レジス」


 眠りの深海に落ちていく。

 しかしその直前――頬に柔らかい感触を感じた。

 一瞬でない、長い長い接触。


 何秒、いや、何十秒が経っただろうか。

 心地よい触感が頬から離れる。

 その瞬間、眠気と共に脈動する魔素が流れこんできた。



「――『ディープコンタクト』。

 我輩の魔力は、いつでも汝と一緒じゃぞ」



 優しく暖かな言葉。

 その一言を最後に、俺は眠りについたのだった。






次話→10/24(明日)

ご意見ご感想、お待ちしております。





【お知らせ】

ディンの紋章2巻の発売日まで、あと1日。

明日、10月24日に発売です。

お見かけの際は、是非よろしくお願いします。

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