第四話 峡谷の一夜
アレクの暴君チェックインによって、見事に宿を確保した俺たち。
だが、エルフたちも最後の抵抗を試みた。
『峡谷にいる間は、俺とアレクを除く3人に、監視役のエルフを一人ずつ付ける』
この条件を付与してきたのだ。
素性の知れない人間を自由にさせたくないのだろう。
その思いは十分にわかるので、快諾しておいた。
そして現在――
俺たちは大屋敷の前にいた。
手配された寝床の確認をしているところである。
リムリスは真面目に部屋振り分けの相談に乗ってくれているが、
バドは心底どうでも良さそうに、離れた場所でパイプを吸っていた。
ひと声かけてみたが反応なし。仕方のない奴め。
その最中、アレクが辺りを見まわってくると告げてきた。
ついていこうかと思ったのだが、一人が良いと断られた。
非常に残念。
と、その時――ウォーキンスがアレクの後を付けようとしていた。
思わず声をかける。
「あれ、ウォーキンスもどこかに行くのか?」
「はい。アレクサンディア様と少し打ち合わせをしてきます」
これからの動きを確認するのかな。
まあ、二人で連携を取ってくれるのは喜ばしい。
俺はこっちで支度を整えておくとしよう。
貸してもらえる空きの屋敷は二つ。
それなりに大きいらしいので、泊まり方は自由自在だ。
まあ、男女で2:3に分けるのが無難か。
思考していると――いきなり後ろから抱きつかれた。
「レジスお兄ちゃん! お久しぶりです!」
なかなかの弾丸タックル。
疲労が蓄積していたため、危うく倒れそうになる。
しかし、この元気の良い飛びつきで、誰であるか瞬時に察することができた。
「おお、セシルか。久しぶりだな」
彗星の如く現れた癒し系幼女。
ジャックルもイザベルも出張中なので暇をしていたのだろう。
目を輝かせながら俺の腰元に頬を擦り当ててくる。
と、ここで俺以外の人間に気づいたようだ。
「お姉さん、誰?」
セシルはきょとんとした顔で、リムリスを見上げた。
人見知りなところがあるらしく、その言動はどこか不安げだ。
それを見て、リムリスは柔和に答えた。
「リムリスと申します。王都貴族として宮廷に仕えさせて頂いています」
「き、ききき、貴族……様ですかっ!」
セシルがあたふたと腰元で暴れまわる。
エルフの間で貴族がどう思われているのか分かってしまうな。
警戒されるだけのことをしているからだけど。
俺の後ろに隠れようとするセシルに、優しく声をかける。
「大丈夫、俺の知り合いだから。変なことはしないよ」
「で、では……よろしくお願いします」
おずおずと、セシルはリムリスに頭を下げた。
表情が変わる幼女の姿は、見ていて微笑ましい。
と、ここでセシルはもう一人の人間に気がついたようだ。
彼女は離れた場所で一服しているバドに近づいていった。
そして魅惑のエンジェルスマイルで自己紹介をする。
「私、セシルっていいます。おじさん、お名前は――?」
「…………」
今まで自分の世界に入っていたのだろう。
その言葉でようやく、バドはセシルの存在に気づいた。
するとその瞬間――
「――――ッ」
バドの身体がゆらりと揺れた。
こわばった筋肉を動かすようにして、彼はセシルに呟く。
押し殺した声のようで、俺のところまでは聞こえない。
しかし、その口がどう動き、なんと呟いたのかは見えた。
――ガ、キ、が
バドは右手をセシルの額に当てた。
そして魔力を指先へと集める。
「ふぇ……?」
と、その時。
リムリスがはっとしたような顔になった。
「――バドッ!」
リムリスが警告するような一言を浴びせる。
しかし、バドの身体は不気味に揺れるだけで、反応を返さない。
それを見て、リムリスは地面を蹴った。
凄まじい勢いで二人の間に割り込み、セシルを抱え上げたのだ。
「……え、ふわわっ! お姉さん!?」
困惑するセシル。
だが、リムリスの焦りも尋常なものではない。
彼女はセシルを抱えたまま、バドから逃げるように本屋敷の中へ走っていった。
――静寂がこの場を支配する。
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
しかし、バドの身体から滲み出る殺意の魔力を見て、全てを察した。
俺はバドに対し、詰問するように尋ねた。
「お前、そんなに魔力を出して、何をするつもりだったんだ?」
「…………」
バドは答えない。
ただ、彼は己の右手をぼんやりと見下ろすだけだ。
魔力が失せたその手は、少し震えているように見えた。
「……ガキは、嫌いだ」
それだけ言って、バドは屋敷の裏へ歩いて行った。
彼の背中から垣間見える哀愁の念。
それを見て、俺は何も言えなくなった。
「…………」
バドの監視役のエルフには、俺の方から話をつけておく。
幸運にも、バドが見せた殺気には気づいていないようだった。
危ないところだ――
肩をすくめていると、背後から話しかけられた。
「レジス殿、少しこちらへ」
リムリスだ。
セシルを本屋敷の中に避難させて戻ってきたらしい。
彼女は俯きながら、申し訳なさそうに告げてくる。
「実は、バドについて、まだ話していなかったことがあります」
「それは知っています。口止めされていたんですよね?」
牛車の中で、一度バドの話はされた。
だが、途中でバド本人によって話の腰を折られてしまったのだ。
同時に、彼はリムリスに余計なことを喋らないよう要求していた。
「……私も本人が自分で言うまでは、黙っておこうと思いました」
相当にデリケートなことらしい。
まあ、バドがあのタイミングで止めたほどだ。
人に軽く話せることではないのだろう。
「しかし、危うくセシル殿に害が及ぶところでした。
取り返しの付かないことが起きてからでは遅いので――お話します」
それで生じた責任は自分で取る、とリムリスは言い切った。
一応バドがいないことを確認して、彼女はボソリとつぶやく。
「――バドは魔獣のみならず、子供を見ると凄まじい殺意が湧くのです」
「……子供を?」
それはまた、奇異な話だ。
リムリスは気まずそうに声を低くし、バドの変わり様を嘆く。
「はい、理由はわかりません。
多分……親友の騎士を亡くして以来だと思います。
その時から、バドは子供に対して、暴力的な姿勢を見せるようになりました」
なるほど。
それを聞いて、一つスッキリしたことがある。
最初に出会った時――彼は俺やアレクに対して、すさまじい嫌悪感を抱いていた。
あれは今みたいな負の情念が湧いてきたからだったのか。
「その都度、リムリスさんが止めてたんですか?」
「はい……しかし、繰り返しになりますが。バドに悪気はないのです」
傷つけようと思って子供に敵愾心を持つわけではない。
その点だけ、リムリスは強調して告げてきた。
まあ、さっきの反応を見ていればなんとなく分かる。
「殺意が湧いてしまうことに、バドも苦悩しているのです。
確かに、普段は子供を見ると怒鳴り散らしたりしますが――
酒の席など、素が出る時はいつも悔やんでいます」
子供を害したいわけではないが、耐えられない衝動が襲ってくるわけか。
トラウマの根幹に子供が関わりでもしたのかな。
その点は不明だが、俺の方で取れる対応は定まってきた。
「要するに、バドに子供を近づけないようにすればいいんですね?」
「はい。道中ついて行けなくて心苦しく思いますが……どうかよろしくお願いします」
リムリスは恐縮そうに頼んできた。
なに、気に病むことはない。
刺激されると感情が高ぶってしまう過去の一つや二つ、誰だって持っているものだ。
人間だもの。
「じゃあ、この話はこれで――」
「どこかに行かれるのです?」
「ちょっとセシルと話してきますよ」
尋ねてくるリムリスに対し、俺は本屋敷の中を示す。
アフターケアはきちんとしないとな。
セシルもずいぶんと怯えている様子だったし。
俺はセシルの避難した本屋敷へ足を向ける。
その時、裏口から戻ってきたバドとすれ違った。
頭を冷やしてきていたのだろう。
バドの隣を通過した瞬間、彼は居心地が悪そうに呟いた。
「……見苦しいところを、見せちまったな」
「別に、気にするな」
ずいぶんと落ち込んでいるようだ。
彼は仮面の奥からぼんやりとした眼光を向けてくる。
「代わりに……あの嬢ちゃんに謝っといてくれねえか」
「いいけど、自分で謝れないか?」
さりげなく促してみる。
正直、俺を挟まず当事者が頭を下げた方が手っ取り早いのだが。
しかし、バドはゆっくりと首を振った。
「……ガキは、嫌いだ」
「ん、了解」
一筋縄では行きそうにないな。
この分だと、本格的に子供を隔離した方が良さそうだ。
連合国での動きに支障が出なければいいのだが――
懸念への対応策を考えつつ、俺はセシルの元へ向かったのだった。
◆◆◆
本屋敷の内装は以前と変わっていなかった。
相変わらず年季の入った建物だ。
一階のジャックルの部屋をチラリと覗く。
すると、そこには体育座りで顔を伏せているセシルの姿があった。
やはりここにいたか。
近づくと、彼女の耳がピクリと動いた。
「……あ、レジスお兄ちゃん」
「よぉ、怪我とかはないよな」
声は明るく、朗らかに。
刺激しないように彼女の調子を窺った。
セシルは気分が落ち込んでいるようで、半泣きになりながら見上げてきた。
「わ、わたし……何か、悪いこと……し、しちゃったのでしょうか」
「いやいや、そんなことはない」
思った以上に怖かったようだな。
まあ、先ほどバドが叩きつけた魔素は明らかに殺意が混入していた。
魔力に敏感なエルフであれば驚くのも当然。
現に、セシルはショックを受けて泣きじゃくっている。
「で、でも……わたし、嫌われ、ちゃってて……」
「大丈夫。さっきのおじさん、謝りたいって言ってたよ」
バドの謝意を伝えておく。
すると、セシルはおずおずと顔を上げた。
「ほ、本当ですか……?」
「ああ。セシルみたいな良い子を嫌いになるはずないって」
慰めの言葉と共に頭を撫でる。
『気安く触んじゃねえ!』と振り払われたらどうしよう。
拒絶を懸念したのだが、どうやら不快には思われなかったようだ。
セシルは涙を拭って、嬉しそうに呟いた。
「……えへへ、良かったです」
俺も泣き止んでくれて良かったよ。
天使のような笑顔とはこのことか。
見ているだけで和んでしまう。
しばらくすると、セシルは気分が落ち着いたようだ。
今度は寂しそうに俺を見つめてくる。
「あ、あの……レジスお兄ちゃん。今回もすぐ行っちゃうんです?」
「ああ。峡谷には仕事で立ち寄っただけなんだ」
もう日も暮れている。
旅に遅れを出さないためにも、早めに休んでおきたい。
しかし、セシルは悲しそうな表情を浮かべる。
「……かわあそび」
「大丈夫、忘れてないって」
本当に川遊びが好きだな。
俺はアウトドア派ではなかったので、新鮮な気分になる。
セシルを安心させるため、確固とした口調で断言する。
「前に約束しただろ? 次は一緒に遊ぼうな」
「はいっ!」
良い返事だ。
一つ一つの挙動が実に愛らしい。
きっと姪や甥がいたら、こんな感じなんだろうな。
近所の悪ガキを相手にした時は心が荒む一方だったのに。
それと比較すると、セシルは癒やしのオアシスだよ。
感動していると、セシルが恐ろしいことを報告してきた。
「この間、お爺ちゃんに『かわあそび』の約束のことを話したのです!」
「ほう。それで?」
「にっこりしながら頷いてくれました!」
お爺ちゃんの微笑みか。
いったい何の頷きなんだろう。
俺を的にして槍投げでもする決意かな。
ひしひしと命の危険を感じるよ。
「他には何かなかった?」
「そういえば、お気に入りの槍を念入りに磨いていました」
予想的中。
怒りの投擲が目に見えるようだ。
幼女と遊ぶリスクは、この世界でも変わらないらしい。
天真爛漫なセシルと話しながら、俺は背筋を凍らせたのだった。
◆◆◆
セシルと別れ、本屋敷を後にした。
そろそろ手配された宿泊所に行くか。
そう思っていると、リムリスが声をかけてきた。
隣にはバドを伴っている。
「レジス殿、戻りましたか」
「はい、お待たせしました」
ふと空を見上げる。
完全に太陽は沈み、鳥獣の声もなりを潜めていた。
時間にして21時前後か。
早朝の出発を考えた場合、そろそろ腰を落ち着けておきたい。
ひとまず、バドに声をかけて懸案を解消しておく。
「伝えてきたぞ。気にしてないってさ」
「……そうか。悪いな」
報告を受けて、バドはパイプをしまった。
微妙な沈黙が俺たちの間を流れる。
気まずさを打開するため、疑問に思っていたことを尋ねた。
「それ、どういう時に吸ってるんだ?」
バドが今しがた懐に収納したパイプを指さす。
ずいぶんとお気に入りのようだが。
「これか? イライラしたり、心を落ち着けたい時だ」
タバコみたいなものか。
前世ではアウトローを気取って、3本同時喫煙に挑戦したものだ。
駅のホームで盛大にむせて、周囲から白い目を向けられた黒歴史が今鮮やかに甦る。
あれは気管支の弱かった俺には合わない嗜好品だ。
バドはパイプを指で弾き、確認を取ってきた、
「こいつを切らせたら詠唱に支障が出る。
悪いが緊急時は断りなく吸わせてもらうぜ」
「了解。あんまり煙たくないし、別に俺は構わないよ」
もっとも、アレクはその煙に拒絶反応を示したみたいだけど。
エルフにとって嫌な匂いなんだろうか。
それにしては、監視役のエルフが鼻を押さえる様子もない。
ふむ……謎の煙だ。
バドの顔色を窺っていたところで、リムリスが報告してきた。
「レジス様、私達に貸し出された屋敷はあちらです」
二つの屋敷を指さした。
しかし、その周りをエルフの少年や少女が走り回っている。
青春だねぇ。
俺も混ざって懐古に浸りたいものだ。
子どもたちを見て、バドは歯を噛み締めた。
「……ガキに会わないってのは難しそうだな」
バドはため息を吐いた。
喫煙のために外へ出たら、子供に鉢合わせする可能性もある。
深夜でも、村の中を見まわる少年のエルフがいたりするのだ。
バドはフードの上から頭を掻き、監視役のエルフに尋ねた。
「どこかに離れみたいな場所はねえのか」
「あるが、使ってない倉庫小屋だぞ?」
エルフの女性は今にも潰れそうな建屋を指さした。
『やーい、お前んち、お化けやーしきー!』と煽られそうなオンボロ具合だ。
震度3で跡形もなく崩れ落ちることは間違いない。
しかし、バドは躊躇なく頷いた。
「十分だ。今夜はそこを貸してもらうぜ」
「おや、そうですか。でしたら私もそこで寝ます」
と、リムリスが同調した。
いきなりの申し出に、バドは舌打ちを返す。
「リム、ふざけてんじゃねえぞ」
怒気を孕んだ声。
バドは幼なじみを睨みつけた。
だが、リムリスは一歩も引かない。
「ふざけてなんかいない」
凛とした反論。
バドから目を逸らさず、彼女は厳かに言い放った。
「私はいつだって愚直で、正直で、偽りなく生きている。
それは君が一番よく知っているだろう」
驚異的な己への自信、そして相手への信頼。
しかし、バドの方も譲る気はないようだ。
仮面の奥には剣呑な光が宿っている。
「……真面目に生きてて、良いことなんざ一つもねえよ」
バドは吐き捨てるように言った。
重い雰囲気が辺りに渦巻く。
監視役のエルフも冷や汗を流して困惑している。
しかし、リムリスが押し通す勢いで言い放った。
「峡谷を出るまで私が一緒にいる。
これは上官命令だ――バド・ランティス」
「…………」
その一言で、バドはため息を吐いた。
何かを諦めたようだ。
「……チッ、お前が見張るのは英雄様だろうがよ」
腹立たしげに呟き、頭をボリボリと掻く。
そんな彼に向かって、リムリスは言質を取ろうとする。
「返事は?」
「……謹んで承ってやるよ。リムリス閣下殿」
バドは投げやりな口調で承諾した。
彼の肩の下がり方を見るに、非常に気だるそうだ。
「っつーわけで、俺はあのボロ小屋で休むぜ。あばよ」
「私も先に休憩を取らせていただきます」
バドはアクビをしながら建屋へ向かう。
その後をリムリスが毅然とした態度でついていく。
なんだかんだ、あの二人は放っといて良さそうだな。
リムリスが良いストッパーになってる。
幼なじみ……か。
経験がないので分からないが、居心地の良さそうな間柄だな。
感慨深く二人の背中を見送っていると、後ろから声を掛けられた。
「おや、レジス様。まだお休みになっていないのですか?」
ウォーキンスがきょとんとした表情で立っている。
暗い村落の中で、彼女の銀眼が密かに光っていた。
「お前こそ……って、アレクと会議してたんだっけな」
「はい、先ほど終了しました」
話を聞いてみると、いつものように作戦を練っていたらしい。
不測の事態を可能な限り挙げて、その対処法をセットで考えていたのだとか。
実に心強い。
しかし、ウォーキンスに頼り切るのも良くない。
俺も常に気を張っておかないとな。
「ところでアレクは?」
「墓地に行ってくる、とのことです。
先に寝ていろと申し付けられました」
「そうか……」
やはりアレクは峡谷に来る度、
今は亡き先祖を慰霊しているようだ。
邪神討伐の夢を胸に秘めて――。
アレクの心中を慮っていると、
ウォーキンスがぐーっと伸びをした。
「さてさて、私は屋敷に入ろうかと思います。
レジス様も、どうか身体を休めてください」
「そうだな、明日も早い」
峡谷を抜けた先にある大水源から、ドワーフ鉱山までの道は未知数。
恐らくはバドも経験したことがないだろう。
彼が得意としているのは、あくまでも連合国の地理だ。
この辺りはウォーキンスに任せた方が良さそうだな。
地形を含めてアレクから情報を聞いてるようだし。
頼りにさせてもらおう。
ふと、ウォーキンスが俺の正面に回ってきた。
そして上着に優しく手を添えてくる。
「前を止めた方が良さそうですね。今宵は冷えます」
冷気が入り込まないよう、丁寧に閉じてくれた。
そういえば、登山途中は暑かったので前を開けていたのだ。
しかし、山の気候は平地と異なる。
今気づけば、少し肌寒くなっていた。
「はい、これで大丈夫です」
「ん、ありがとう」
ポンポンと上着を軽く叩いてくるウォーキンス。
その微笑みは暗中でも輝いていた。
毎度のことながら、金の取れそうなスマイルだ。
「ではレジス様。おやすみなさい」
スカートの端をつまみ、優雅に一礼してくる。
ウォーキンスを見送り、俺も屋敷へと入った。
そして眠気に屈するまま、床へ就いたのだった。
◆◆◆
泥のような意識の底。
睡魔の深海を漂っていると、ゆるやかな刺激を感じた。
――どれくらい眠っていたのだろうか。
眼を開けると、天井が目に入った。
明日は峡谷を通過し、連合国へと至るドワーフ鉱山へ進む。
ハードな一日になるのは間違いないので、もう少し寝ておきたいところだ。
ふと――人の気配を感じた。
ぼんやりとした意識状態で戸の方を見る。
すると、申し訳なさげに一人の少女が入ってきた。
「……む、起こしてしまったか。すまぬな」
「……アレク?」
ひっそりとアレクが布団の傍へ寄ってくる。
なんだ、こんな夜更けに。
眼をこすりながらアレクに尋ねる。
「……どうした?」
「…………」
沈黙。
何か喋らないと分からんだろうに。
用件を言うのを待っていると、アレクは目をそらしながら呟いた。
「い、一緒に寝てもよいか」
「…………は?」
寝る。
一緒に。
つまり、どういうことだ。
同衾しろと言っているのか。
急に心拍数が上がったのを感じる。
除夜の鐘と化した心臓が秒間108回もの拍動を刻もうとする。
いかん、過呼吸になりそうだ。
俺が動転していると、アレクは弱々しげに言葉を絞り出した。
「……なにやら胸が痛くて眠れんのじゃ」
なに、胸が痛い?
それは医者案件じゃないのか。
俺に治療行為は一切できんぞ。
むしろ治癒魔法を覚えている分、アレクのほうが得意な気がする。
しかし、どうやら病や怪我で痛いわけではないようだ。
彼女はためらい気味に尋ねてきた。
「……ダメか?」
「いや、別にいいけどさ」
そんな顔をされては断れるはずもない。
少し布団の端を上げてやると、安堵した様子で入ってきた。
自分の位置を確保しようとしているのだろう。
中でモゾモゾと動いて、非常にくすぐったい。
しかし、アレクは幸せそうな表情だ。
「ふぅ……あったかいのじゃ」
「あんまり動くなよ。熱が外に逃げて寒い」
気づけば、寝る前よりも空気が冷えている。
足が床に一瞬触れたが、ひんやりとしていた。
アレクが小柄とはいえ、寝返りをすると布団からはみ出してしまう。
不満を訴えると、アレク意地悪げに笑った。
「ふむ、ならばこうか?」
そう言って、両手を背中に回して俺を引き寄せてくる。
脚まで絡める念の入れようだ。
目の前にアレクの顔がくるため、非常に気恥ずかしい。
「……ッ。くっつくと暑いだろ」
思わず身をよじるが、アレクがそれを許さない。
強くホールドしてきて、身動きを封じてくる。
「こりゃ、動くでない」
完全に両手両足を拘束されてしまった。
固めから外そうとした右腕がミシミシ言ってるんだけど。
大丈夫なのか、これ。
蛇を前にしたカエルの気分だ。
「よしよし、このくらいが心地よいのじゃ」
「そ、そうか……」
こっちは関節の各所が悲鳴を上げてるんだが。
まあ、痛みはないので我慢は可能。
懸念だった寒さも解消された。
俺はアレクから目線をそらして押し黙る。
この微妙な間が苦手なのだ。
しばらく沈黙が続いたが、ここでアレクが「ふぅ」と嘆息した。
「……我輩も、ついて行きたかったんじゃがのぉ」
「そうか。ここで待機だもんな」
「うむ、無念じゃ。口惜しい」
唇の端を噛んで悔しがっている。
大陸の四賢という肩書きによって、連合国への進入を拒まれてしまっている。
何事にも縛られないことを信条とする彼女からすれば、心外極まりないだろう。
「心配するなよ。すぐ帰ってくるからさ」
ギリギリ動く指先で、アレクの肩を軽く叩いた。
安心させたかったのだが、彼女はより沈鬱になってしまう。
「…………汝が心配じゃ」
俺の身を案じてくれてるのか。
ありがたいことだ。
しかし裏を返せば、今回の任務が危険であることを意味している。
俺は勝ち気な笑みを浮かべ、アレクに語りかけた。
「大丈夫だよ。
お前の教えてくれた魔法が、鍛えてくれた身体が――俺を守ってくれるさ」
魔力量の底上げに、徹底した体術の伝授。
アレクが稽古をつけてくれたおかげで、並みの魔法師には引けを取らなくなった。
ウォーキンスが整えてくれた下地。
それを開花させてくれたのは、間違いなく彼女なのだ。
そのことを告げると、アレクはぎこちなく顔を背けた。
「……ふ、ふん。我輩がいてやらんと危なっかしい、未熟者のくせに」
声にすごく熱がこもっているのは気のせいか。
ともあれ、こいつの感じている不安を払拭しておきたい。
「道中はウォーキンスもいるからな。きっと安全だよ」
「…………じゃからこそ」
「ん?」
アレクは歯がゆそうに、
それでいて絞り出すようにして呟いた。
「じゃからこそ、気がかりなのじゃ。
汝は盲目的にあの女を信用しすぎておる」
「盲目的って……」
相変わらず、ウォーキンスへ向ける警戒が異常だ。
さっきまで共に話していたんじゃないのか。
心理的な距離は今ひとつ縮まっていないようだ。
ここにいないウォーキンスを思ってか、ついトゲのある口調で訊いてしまった。
「あいつのこと、信頼しちゃいけないのかよ」
「い、いや……そういうことではない」
アレクは焦ったような表情になった。
悲しげに言葉を詰まらせる。
少し強く言い過ぎたか、反省だ。
反応を窺っていると、アレクは弁明してきた。
「我輩は、ただ――」
「ただ?」
「……もし我輩と奴の間で意見が割れた時、
きっとレジスはあやつの味方をするじゃろう」
言い切った瞬間、アレクはぎゅっと眼を瞑った。
切実でいて、助けを求めるような声だった。
そこまで言われて、ようやく気づいた。
ああ……そうか。
アレクは怖がっていたのか。
いざ俺が決断を迫られた時、
自分の味方をしてくれないのではないかと。
無条件でウォーキンスや他の人に肩入れするのではないかと。
こいつめ……俺なんか話にならないくらい強い力を持ってるくせに。
こういう面は本当に弱いんだな。
震えるアレクに向かって、俺は強い口調で囁いた。
「しないよ。絶対にしない」
「――――ッ」
俺の言葉に、アレクが目を見開いた。
なんだ、その驚いたような顔は。
本当に俺が見放すとでも思っていたのか。
しかし、この言い方だと語弊が生まれそうだ。
俺は彼女の背中に手を回し、軽く引き寄せた。
そして耳元で言葉を継ぐ。
「親しい人同士が争ってたら、まずは事情を聞く。
無条件でどちらかに肩入れは、絶対にしないよ」
「な、ならば……」
アレクは震える声で尋ねてきた。
「こちらに大義がある時は、我輩の味方をしてくれる……のじゃな?」
「もちろんだ。困った時は頼ってくれよ」
そう言うと、アレクはいきなり布団に顔をうずめた。
窒息しそうな勢いだ。
何事かと思っていると、彼女は身体を震わせながら呟いた。
「ふふ……そうか。……そう、なのじゃな」
喜びを隠し切れないといった様子だ。
アレクは俺に身を寄せてくる。
上機嫌に喉を鳴らし、俺の身体を抱きしめてきた。
「我輩は、いつでもレジスの味方じゃぞ」
やんわりと頭を撫でてくる。
あまり好きではないスキンシップだが、相手がアレクであれば話は別だ。
大人しく撫でられていると、彼女は期待に満ちた眼で微笑んできた。
「汝の帰りを、待っておるぞ」
「ああ、待っててくれ」
俺は即答した。
自分自身を奮い立たせるために。
それ以上に、アレクに安心してもらうために――
「もう眠るのじゃ。明日は早い」
ついさっき目覚めたばかりなんだけどな。
思わず苦笑する。
と、アレクは俺の額に指を当て、魔力を流し込んできた。
それに応じて、急に視界がかすみ始めた。
「…………ッ?」
瞼がシャッターのように降りようとしてくる。
眠気が脳内を侵食していき、意識が閉塞していく。
「……おやすみじゃ、レジス」
眠りの深海に落ちていく。
しかしその直前――頬に柔らかい感触を感じた。
一瞬でない、長い長い接触。
何秒、いや、何十秒が経っただろうか。
心地よい触感が頬から離れる。
その瞬間、眠気と共に脈動する魔素が流れこんできた。
「――『ディープコンタクト』。
我輩の魔力は、いつでも汝と一緒じゃぞ」
優しく暖かな言葉。
その一言を最後に、俺は眠りについたのだった。
次話→10/24(明日)
ご意見ご感想、お待ちしております。
【お知らせ】
ディンの紋章2巻の発売日まで、あと1日。
明日、10月24日に発売です。
お見かけの際は、是非よろしくお願いします。