第二話 難儀な護衛
まず俺達が向かうのはケプト霊峰だ。
そこを通らないことには、北へ抜けていくことができない。
門外へ出たところで、リムリスが壁沿いの建物を指さした。
どうやら馬の乗り合い所らしい。
「王家の方で馬車を用意しております。こちらへ――」
しかし、ここでアレクが片手を上げた。
妙に自信ありげな様子だ。
「不要じゃ。馬より速い移動手段を使うぞ」
「……え?」
リムリスが困惑した顔になる。
それもそうだろう。
王家の選抜した馬より速く走れる動物など、普通は存在しない。
しかし、魔獣となれば話は別だ。
ウォーキンスも察しているようで、森の方を無言で眺めていた。
どうやら、暴れ狂牛を呼び出すつもりらしい。
俺は皆に耳を塞ぐよう言った。
すると次の瞬間――
「出てくるのじゃ!」
威勢よく叫ぶと、アレクは高らかに指笛を鳴らした。
ビリビリと、空気を震わせる音が疾駆する。
危ないところだ。
こいつの指笛は鼓膜を苛むほど響くからな。
みんなも耳を塞ぐのに間に合ったようだ。
バドはフードを耳に密着させて防いでいたが、不快げに歯を噛み締めていた。
やはり聴覚が鋭いみたいだな。
しばらくすると、森の方から土煙が近づいてきた。
大地を震わせるような鳴き声も聞こえてくる。
「――ヴォォォオオオオオオオオオオオ!」
暴れ狂牛がその姿を現した。
相変わらず恐ろしい体型だ。
こちらに猛進してくる暴れ狂牛を見て、リムリスの表情が強張る。
「ま、魔獣……!?」
「どいてろ。俺が片付ける――」
リムリスの肩を叩き、バドが前に歩み出た。
そして右手を前に突き出し、暴れ狂牛に照準を合わせる。
その瞬間、バドの身体から不気味な魔力がにじみだしてきた。
魔力を行使する前兆なのだろうが……妙にドス黒い魔素だ。
今にも魔法を詠唱しようとするバドを見て、アレクが声を荒らげた。
「こら、何をしておるのじゃ! 我輩の乗り物じゃぞ!」
鋭い叱責を受けて、バドは詠唱を中止した。
彼は苛立たしげに振り返り、アレクに呟く。
「……じゃあ、止めるのは任せたぜ。英雄様」
「うむ……まったく、危ないことをするのぉ」
アレクは信じられないといったような眼でバドを睨む。
一般人からすると、魔獣を呼び寄せることの方が危なく見えるんだけどな。
もう少しで使役魔獣を潰されていたアレクは、ホッとした表情で暴れ狂牛を見据える。
そして眼前まで迫ってきた瞬間、彼女は底冷えのする声で命令した。
「――止まれ」
暴れ狂牛の目が見開かれる。
全力で身体にブレーキを掛け、アレクの目の前で大人しく座った。
それを見て、リムリスは驚いたような声を出す。
「……ま、魔獣を扱っているのですか」
「こいつで行けば数日で着く。
我輩以外は誰も乗せぬ主義じゃが、特別に汝らも運んでやるのじゃ」
「ご厚意、ありがたく存じます」
リムリスは厩舎へと向かう足を止め、アレクに深々と一礼した。
本当、アレクは王国だと凄まじい敬われ方だな。
これが連合国に行けば殺意の引き金に変わるというのが恐ろしい。
所変われば英雄も侵略者、か。
「――俺は乗らねえぞ。馬で追いつくから先に行っててくれや」
「はぁ? 何のための案内人じゃ」
「魔獣には吐き気しか覚えない性分なもんでな。英雄様の指示でも聞けねえよ」
バドは牛車への乗車を頑なに拒否した。
どうやら、魔獣に対して相当な嫌悪を抱いているようだ。
これは仕方ない面もある。
しかし、最短ルートが潰れるとなると――
「我輩は興味のない人間に容赦はせん。乗るか死ぬかを選びたいか?」
「おおよ、選んでやろうじゃねえか」
アレクの恫喝に対し、バドは真っ向から反論した。
まずい雰囲気だ。
と、ここでリムリスがバドの元へ駆け寄った。
「バド、気持ちは分かるけど、ここは折れて……」
「魔獣は殺すって決めてんだよ。見つけ次第、何があろうがな」
バドは仮面の奥から見える眼をギラつかせた。
恐ろしく強い意志を感じる。
これを懐柔するのは難しそうだ。
ひとまず、こっちはこっちで高圧的なアレクを諌める。
「アレク。お前も落ち着け。実際、魔獣嫌いな人も多いんだ」
「百も承知。エルフも元来、魔獣など憎悪の対象じゃ」
そうだったな。
どうやらアレクも感情で怒っているわけではないようだ。
エルフの戒律でも、魔獣との友好的接触は禁じられていたはず。
それを理解した上で、彼女はバドに要求しているのだ。
「しかし此奴は、不本意とはいえ案内役を買って出ておるのじゃぞ?
任を果たさず、一団と別行動を取る――
かようなことが許されると思っておるのか?」
「…………」
バドは答えない。
無言のまま、暴れ狂牛とアレクから距離を取る。
張り詰めた空気が場を支配した。
と、その時――ウォーキンスが口を開いた。
「――暴れ狂牛。生息域は大陸北部の山岳地帯。
気性の荒い魔獣ですが、村落に甚大な被害を与える魔猪やヘル・ボーアを餌として好みます。
古代共和国においては、魔猪撃滅のために暴れ狂牛を荒廃した村に放ち、駆逐させていたという記録も残っています」
詳細にして流れを変えるウォーキンスの説明。
予想外の援護射撃に、アレクは驚いた様子で頷く。
「……う、うむ。しつけをすれば懐いて言うことを聞く魔獣なのじゃぞ」
おお……冷や汗を掻くアレクの内心が見えるようだ。
『この女、なぜ我輩ですらも知らぬ知識を……!?』とでも思っているのだろう。
間違いない。
ウォーキンスとアレクの説得を受けて、
バドはフードの奥から刺すような眼光を飛ばした。
「……我慢しろ、って言いてえのか?」
「その通りだよ、バド。『この魔獣』に罪はない」
不満気なバドに対し、リムリスが感情を込めて呟いた。
何やら含みのある一言だった。
それを受けて、バドはフードを目深に被った。
パイプを取り出し、それとなく口に咥える。
「……チッ、勝手にしろ」
そう言ってバドは牛車に近づいていく。
どうやら我慢してくれるらしい。
しかし、思わぬ所で意見が衝突してしまったな。
旅はこれからだというのに、先が思いやられてしまう。
バドという男がどのような人物なのか、探っていく必要がありそうだ。
アレク、ウォーキンス、リムリスが順に乗り込んでいく。
バドに先に行くように示すと、彼は渋々牛車に接近し、縁に足を置いた。
すると次の瞬間――
「――ヴォアッ! ヴォアアアアアアアアアアア!」
「うおッ! なんだこの牛野郎ッ!」
牛が身をよじるようにして暴れた。
牛車の入口付近が盛大に揺れて、バドは弾き出された。
「……なにが懐くだ。凶暴極まりねえぞ!」
「煙の匂いを嫌がっておるんじゃろう。車内は禁煙じゃ」
聞き覚えのあるフレーズだな。
しかし、暴れ狂牛が煙の匂いを嫌がっているのは確かのようだ。
バドがパイプを懐に仕舞うと、途端におとなしくなった。
わざと魔獣が嫌う煙を出してるのかと思ったが、無意識だったらしいな。
「……チッ、面倒な牛畜生だぜ」
フードの上から頭を掻き、バドも牛車に乗り込んだ。
すると、アレクが微弱な治癒魔法を掛けてくれた。
これで酔いも一発解決。
素晴らしきかな治癒魔法。
俺には素養がなくて何一つ扱えないのが悲しいな。
全員乗り込んだことを確認して、アレクは威勢よく声を上げた。
「さあ――ケプト霊峰へ、出発じゃ!」
◆◆◆
アレクがノリノリで牛を走らせたため、前回以上に旅は順調なものとなった。
恐らく、明後日の夜か明々後日の夜明けには霊峰へ到着するだろう。
しかし、今日はこれ以上進めそうにない。
既に日はすっかり暮れており、暴れ狂牛の疲労も溜まっている。
今夜は水場の近い森林地帯で宿を取ることになった。
アレクは俺の頭上付近で浮きながら横になり、
ウォーキンスは俺の右隣に座って壁にもたれている。
今なら盗賊に襲われても慌てず対応できそうだ。
この二人がいる今、もはや何の心配も生まれ得ない。
リムリスはというと、窓際でぼんやりと空を見上げていた。
そしてバドは御者席に近い段に腰を下ろし、せわしなく指で膝を叩いていた。
あの動作……何かの禁断症状に似ているな。
大丈夫なのだろうか。
少し冷え込むので、トーチファイアを使って小さい火を灯す。
これで安全かつ持続的に暖が取れる。
と、俺の魔法詠唱を見てウォーキンスが感嘆の声を上げた。
「レジス様、以前に解説してさし上げたことを体得していますね。このウォーキンス、感無量です」
「ああ。火魔法ならこの通り――火種単位で微調整できるようになったよ」
もともとトーチファイアは、薪の束を一発で燃え上がらせるほどの火力を秘めている。
火の性質や威力をいじりやすいのが特徴であり、
アストラルファイアほどではないが、少しの風では消えない火を起こすことが可能。
上手くコントロールすれば、火種を確保するのに最も適した魔法になる。
覚えておいて損はないということで、昔ウォーキンスが教えてくれたのだ。
喜ぶウォーキンスを見て何か思う所があったのか、アレクは憮然とした表情で呟いた。
「……ふん。派手に影響を与えることこそが、魔法の醍醐味であり存在意義じゃろうに」
「機に応じて調節のできる可変性こそが、魔法の利点だと思いますよ?」
火花が散るような錯覚。
そういえばこの二人、魔法理論に関しては全く意見が合わないんだったか。
反論してきたウォーキンスを、アレクは嘲笑気味にあしらおうとする。
「はっ、一番調節の下手じゃった汝が言っても説得力がないのぉ」
「今はアレクサンディア様より達者ですので、どうかご安心を」
ウォーキンスの自然体な皮肉。
しかし効果は抜群のようで、アレクは眉をひくつかせる。
「ほ、ほぉ……言うではないか」
あらやだ、ギスギスしてきた。
そろそろ俺が何らかのアクションを起こすべきか。
タイミングを見計らっていると、御者席からガタンと音がした。
バドが立ち上がり、牛車から降りようとしているのだ。
それを見て、アレクが冷ややかな視線を送る。
「バドとやらよ。こんな夜分にどこへ行くつもりじゃ」
普通にトイレじゃないのか。聞いてやるなよ。
しかし、バドは懐から愛用のパイプを取り出した。
それを口に咥える素振りを見せ、口の端を吊り上げた。
「ちと外で吸ってくるぜ。車内で吸うとうるさそうなんでな」
やっぱり、我慢してたみたいだな。
定期的に喫煙しないといけないようだ。
しかし、俺の嗅覚が確かならば、あれはタバコの類ではない。
アレクでも特定できないあたり、珍妙な草なのだろうか。
間違っても麻薬のようなものだとは思いたくない。
バドが外に出て行った後、アレクはため息を漏らした。
「当たり前じゃ。我輩の愛車にしけた臭いが付いては困る」
アレクは刷毛のようなものでバドの座っていた場所一帯を掃く。
なんてことをするんだ、失礼な。
こいつには花嫁を震撼させる姑の素質がありそうだ。
「レジス……何じゃその眼は。無礼なことを考えておるじゃろ」
「イイエ、特ニハ」
シャチョサン的な発音でごまかしておく。
バドが席を外したのは好都合。
この機会に色々と仕入れておきたい情報がある。
俺は空を見上げるリムリスに声を掛けた。
「リムリスさん」
「なんでしょう」
彼女はすぐにキリッとした姿勢に戻る。
その佇まいからは、騎士のような力強さと、貴族のような優艶さを感じる。
そんな彼女に、俺は単刀直入に尋ねた。
「バドについて――
そして良ければリムリスさんとの関係について――
少し話を聞いてもいいですか?」
これから旅をする仲なのだ。
どんな特徴があり、どんな道を歩んできたのか。
最低限この辺りを掴んでいないと、信頼して背中を預けることは難しい。
ここでバドの人物像を把握しておくのは絶対条件だ。
俺の頼みに対して、リムリスは眉をひそめた。
「………………」
数秒の沈黙。
明らかに悩んでいる。
しかし、しばらくの沈黙の後に頷いてくれた。
「そう、ですね……あまり多くは語れませんが、お話ししておきましょう――」
リムリスは外をチラリと見る。
遠く離れた場所で、バドは紫煙を吐いていた。
それを確認して、彼女は意を決したように話し始めた。
「私とバドは幼少の頃からの友ですが、出自はまるで違います。
ご存知の通り、私はトルヴァネイアという執政官の家に生まれました」
実にハイパーエリートな家系だ。
国王の命で、多岐にわたる政務の多くを執行する役職である。
トルヴァネイア家の官位は非常に高く、王都三名家に次いで一桁のはず。
そんな家に生まれた子女となれば、まさしく王国指折りの姫様である。
「そしてバド生誕の場所もまた王都ですが、出自は孤児です。
本人の話によると、口減らしのために捨てられたのだとか」
つまりは天涯孤独。
王国の繁栄を如実に表しているように見える王都も、その実は闇を孕んでいる。
中央街の裏通りに行けばスラムが広がり、
もう一本道を違えれば怪しい商人の闊歩する場所がある。
恐らくバドはその辺りに捨てられ、自力で育ったのだろう。
「しかし……執政官の令嬢と孤児ですか。根本から住む世界が違う気がしますね」
リムリスの友人ということで、てっきりバドも高家の生まれかと思っていた。
しかし、違った。
そうなると、どうやって出会ったのか気になるな。
リムリスは慎重に言葉を選びながらバドとの関係を語っていく。
「私がこう言うと誤解を招きそうですが……。
事実、本来バドは私と口を利くことすらも許されない間柄でした」
「……でしょうね」
二人の身分を考えると、接点を持つ機会は皆無。
せいぜいが貴族のパレード中に、行進する令嬢を群集の中の一人として見る、くらいが関の山だろう。
ここで、バドとの出会いに話が移ってくる。
「幼少時、私は落ち着きのない娘でした。
よく屋敷を抜けだして、中央街の辺りを散策していたんです」
ほう、それは意外。
てっきり常道から外れない真面目さを発揮していたのかと思いきや。
名家の姫様が姿を眩ませて街に繰り出したとなれば、凄まじい騒ぎになるだろう。
しかし、この点に関してはリムリスにも一家言あるようだ。
「幼心ですが、多分、耐えられなかったのだと思います。
他家との交渉道具として育てられ、『姫』として扱われることに――」
俺の人生に口を出すな、的なアレか。
それはつまり、幼女の時点で自分の立ち位置を理解し、意志を持って反発していたことになる。
リムリスは相当な早熟だったんだろうな。
俺の前世における幼少期なんて、
トンボを追いかけて田んぼに落ちて、泣きじゃくっていた記憶しかない。
「話を聞くに、王都の街中でバドと出会ったんですか?」
「はい。しかし、私が出会ったのはバドだけではありません」
リムリスは含みありげに言った。
遠い目をしながら、彼女は幼少の記憶を探り当てる。
「私たちの出発点には、もう一人の存在があったのです」
サラリと告げた一言。
この事実こそが、バドの性格を難儀にした原因であるらしかった。
◆◆◆
もう一人の存在――当然、初耳である。
しかし、知名度のないバドはともかく、
リムリスに近しい友人がいたならば、もっと噂になっている気もするが。
訝しんでいると、リムリスが核心を突く過去を吐露した。
「生き残るために必死だった身寄りのないバドと、下級騎士の家に生まれた少年。
この二人と出会ったことで、私の人生は大きく変わりました」
「下級騎士……?」
その人物が、もう一人の存在というわけか。
しかし、なおさら疑念が湧き上がる。
どのくらいの階級なのかはともかく、リムリスとの友情が続いているのなら――
下賎な話、リムリスという人脈を活かして出世しているはずなのだ。
だが、王都に張ったアンテナには一切引っかかっていない。
訝しまずにはいられないが、ひとまずはリムリスの話に耳を傾ける。
「窮屈な屋敷を抜けだして、街の裏側で友達と遊ぶ。
今思えば危ないことをしていましたが、とても楽しかったのです」
従者からしてみればヒヤヒヤだったろう。
もし姫様に何かあればリアルな意味で首が飛んでしまう。
彼らの肝を冷やしながらも、リムリスの甘美な時間は長く続いていたようだ。
「付き合いは数年にも及び、その間で色々なことを知りました。
騎士の道はとても険しいこと、税を逃れる悪徳商人から金をせびる方法、
騎士の使う剣には多くの種類があること、女性の尻を触っても怒られないごまかし方――
聞いた話は今でもありありと思い出せます」
すげえ。
どれがバドの吹き込んだ話なのか一発で分かってしまう。
無垢な幼女になんてことを教えこんでいたんだ。
しかし、籠の中の小鳥のように育てられてきたリムリスにとっては、どれも新鮮に感じたのだろう。
「そうやって話していく内、私達は大きな夢を描くようになりました――」
と、ここでリムリスの眼がすぅっと細まる。
彼女は追想するように、幼き頃の決意を述べた。
「私は家督を継いでトルヴァネイア家の次期当主になる。
バドは一生遊んで暮らせる金を手に入れる。
そして騎士の少年は、大切な人を守れるようになる。
私以外の二人は、とてもふわっとした目標でしたね」
その後、三人は夢を叶えるため血の滲むような努力を重ねたらしい。
リムリスは執政官の勉強を行い、同時に王の側近として剣術を徹底的に磨いた。
能力に乏しい親族から、家督を貰い受けるために――。
そしてバドは過酷な環境で培った力を基に、迷宮を攻略する探索者として働き始めた。
騎士の少年は何も語らず、黙々と武術を極めて行ったらしい。
「あの時はどんな苦労も楽しく思えましたね……共に頑張れる友がいましたから」
リムリスは感慨深そうに嘆息する。
ここで俺は、気になっていたことをそれとなく尋ねた。
「それで、騎士の人はどうなったんです?」
「………………死にました」
リムリスは悲壮な顔になる。
そして、その一言で疑問は解消した。
既に死んでしまっているのなら、噂も流れるはずはない。
リムリスは服の裾をぎゅっと掴み、騎士の少年を偲んでいた。
「バドと共に魔獣の討伐へ向かい、その場で殉職したのです」
魔獣か。
強力な個体が大量発生すれば、村がいくつも壊滅してしまう。
それほどまでに脅威となる存在。
その凶牙に倒れた人は数知れない。
と、ここで――離れていた二つの推測がつながった。
「もしかして、バドが魔獣を嫌っている理由というのは……」
「はい。唯一無二の親友を奪われたからです」
なるほど。
あの異常なまでの魔獣嫌いはそこに起因していたのか。
バドの記憶をあさっていると、今まで黙っていたアレクとウォーキンスが口を開いた。
「珍しくもない話じゃが、不憫な奴ではあるな」
「ええ。心の支えとなる人を失うのは、とても辛いことです」
二人は静かに頷いていた。
なんだかんだで同情して悼む辺り、奥底に眠る優しさが窺えるな。
特にアレクよ、その申し訳程度にしか垣間見えない優しさ、もっと表面に出していいんだよ。
俺はそっちのが好きだ。精神的に楽だし。
リムリスは最後に、バドのことを語り始めた。
「彼が目の前で死ぬのを見たバドは、忽然と失踪しました」
「……失踪?」
「連合国を始めとする諸国を廻っていたのだと思います。
しかし、その間は探索者としての仕事はしていないようでした」
傷心旅行でもしていたのだろうか。
空白期間が謎に包まれてるな。
「数年間、何の音沙汰もなかったのですが――
ある日、バドは妙な格好をして帰ってきました」
「あの服と仮面ですか」
「……あの服と仮面です」
ついでにパイプもそうらしい。
失踪する前までは薄着を好み、素顔も晒していたという。
しかし今では、リムリスを前にしても決して仮面を外してくれないのだという。
恐るべき変貌だな。
旅先で何かあったとしか考えられない。
「何があったか、話そうとしないのですか?」
「一切話してくれません。ただ、なんと言いますか……」
かつての面影と、今の彼を比べているようだ。
リムリスは違和感の正体を突き止めようとしている。
そして数秒悩んだ後、声を潜めて告げてきた。
「なにやら、おぞましい魔法を修得して――」
「何話してんだ、リム」
ビクン、とリムリスの身体が震えた。
見れば、牛車の扉にバドが寄りかかっていた。
どうやら気配を消して牛車に戻ってきていたらしい。
扉に背を預けながら、彼は鋭い視線をリムリスに向ける。
「曲がりなりにも俺は、暗殺者を敵に回す仕事をしてるんだぜ?
情報をペラペラ喋るなよ。どこから漏れるかわかったもんじゃねえ」
俺はバドを注視する。
少し焦りが顔に出てるな。
さっきのリムリスの一言が致命的なものだったのか。
そっけないことを言うバドに、リムリスは困ったように声をかける。
「私はバドが誤解されないように――」
「ありがた迷惑だ。誰にどう思われようが知ったことじゃねえよ」
「しかし……」
「くどいッ!」
バドが鋭利な声を発した。
威圧に負けて、リムリスも返事に窮してしまう。
言い過ぎたと感じたのか、バドは居心地が悪そうに吐き捨てた。
「お前は貴族として、こいつらと付き合いがあるんだろうがな。
俺はこの仕事が終われば接点のなくなる、他人中の他人なんだぜ」
もっともな話だ。
いわゆる任務だけの関係。
バドからしてみれば、信用の置けない相手に色々と喋られるのを好まないのだろう。
当然の反応だとは思うが、それはこちらとて同じである。
ロクに知らない奴と一緒に、安心して仕事ができるはずもない。
静観していると、バドは幼なじみに対して辛辣な言葉を浴びせた。
「――分かったら、余計なことに首を突っ込むんじゃねえ。
宮内に引きこもって王の機嫌でも取ってろ」
さすがにカチンと来たのだろう。
リムリスは感情を露わにしてバドに罵声を浴びせた。
「……ッ! もう、バドのことは知らない!」
「ハッ、勝手にしろ」
バドは乾いた笑みを浮かべて腰を落ち着ける。
会話が終わりを告げたことで、急激な気まずさが車内を襲った。
「…………」
いくらあとは寝るだけと言っても、この空気は耐えられない。
ウォーキンスとアレクを見たが、二人は気にすることなく就寝の準備をしていた。
なんという鋼メンタル。
見習いたいよ、そういうところ。
でも、ほら。
俺はこういう雰囲気が無理な方だからさ――
喉が震え、反射的に冗談を呟こうとしてしまう。
「……オシドリの」
「あん?」
その、バドが不機嫌そうに見てきた。
たった一瞥で、冗談が通じそうにないことを実感した。
……逃げ出したい。
しかし、この閉塞感を打破するためにはこれしかない。
俺は淀んだ空気を中和するため、土壇場の閃きで浮かんだ一句を詠んだのだった。
「オシドリの 仲が良きほど 喧嘩して
騒ぐ早鐘 胸のときめき――ディン小路レジ麻呂」
かつてない最高の自信作。
これが異世界に誇るジャパニーズTANKA。
怒りなど消え失せ、心に染み渡る一句のはずだ。
この快作をダイレクトで受けたバドの反応やいかに……!?
「――――ぁ?」
凄まじい目つきで睨まれ、
凍てつくような空気が朝まで牛車の中に満ちたのだった。
もう短歌なんて読まない。
次話→10/22(明日)
ご意見ご感想、お待ちしております。
【以下、ご報告】
ディンの紋章2巻の発売まであと3日。
10月24日発売です。
成長したレジスとアレクが表紙を飾る巻になります。
どうぞよろしくお願いします。