第一話 漆黒の仮面男
【6章までのあらすじ】
王都において竜神の匙。
峡谷においてエルフの妙薬。
二つの秘宝を手に入れたレジスは、
ついに母セフィーナの病を治すことに成功する。
平穏が訪れるかと思われたディン家だが、
領内に『ドラグーン勢力の竜』と『危険な宝物』が流れ着く。
連合国とドラグーンキャンプの、勢力争いに巻き込まれてしまったのだ。
危険な宝物とは、連合国の統治者たちを簡単に殺せる呪いの石版。
もし破壊されてしまえば、王国と親しい連合国の統治者が軒並み死んでしまう。
そこで、王国は書状とともに石版を連合国に送り届けることを決定。
その使者として、レジスが抜擢されたのだった――
「着きました。王都です」
ウォーキンスの言葉を受けて、ふと目を開く。
目の前には壁が広がっていた。
光の届かない薄暗い空間。
一瞬困惑したが、ここが路地裏であることに気づいた。
「ふむ、着いたのじゃな。痕跡は消しておくのじゃぞ」
「百も承知です」
地面に描かれた魔法陣の端を、ウォーキンスがつま先で踏む。
すると、魔力の結集した紋様が静かに砕け散った。
魔素の気配が消えたことを確認して、彼女は光の差し込む方向を指さした。
「ここから王宮までは目と鼻の先です」
「ああ。書状と石版をもらって、先導役と合流しないとな」
俺たちは大通りへと出た。
北の貴族街に飛んできてたのか。
確かに王宮はすぐそこだな。
しばらく歩くと、荘厳な建物が見えてきた。
入り口から貴族街までの道を、王家の関係者が埋めている。
その中には王都の貴族たちも混じっているようで、突き刺さるような視線を感じた。
「……なぜあのような没落の家が」
「……他に適任はいくらでもいるだろうに」
「……爵なし貴族の分際で。王家に取り入ろうなど不届き千万」
ヒソヒソと熱い声援が飛んできている。
ディン家を快く思わない貴族まで呼んでいるようだ。
いや、違うな。
感情の好悪を問わず、高位の貴族を全て招集しているのか。
今回の勅命が本式のものであることを印象づけるために。
王家の決断であることを知らしめるために。
ここまで大々的に発表しているのだろう。
まさか宮内にいる廷臣も、裏切り者をあぶり出すために画策されたものであるとは思うまい。
内通者に不審を感じ取られないようにしているのだ。
道の中央を進んでいると、ひときわ目立つ一団を見つけた。
格式高い甲冑に身を包み、凛然とした威圧感を放っている。
王都本軍で指揮を取る騎士団の連中だろう。
その証拠に、騎士の中に見知った顔を発見した。
「お、久しぶりだな。ミレィも来てたのか」
「れ、レジス・ディン……!」
俺の言葉を受けて、ミレィが目を見開いた。
む、俺が来ることは知っていたはず。
驚いた顔をするのは予想外。
首をひねっていると、ミレィが目を逸らしながら訊いてきた。
「な、なぜ私にだけ声をかけるのかしら」
こんなにいっぱい貴族はいるのに――と、しどろもどろに呟く。
急に話しかけたから困窮してしまったのだろうか。
これは悪いことをした。
「知り合いを見つけたから……ついな。迷惑だったか?」
「別に、そんなことはありませんわ」
断言しながら、彼女は固く拳を握った。
その拍子にミレィの肘が隣にいた騎士の脇腹に直撃した。
すごく、痛そうです。
あれは確か……ミレィの兄貴だったか。
背後にいる叔父は苦笑いを浮かべている。
従者も大変だな。
「レジス様。シャルクイン家の当主様とお知り合いで?」
「ああ。学院で色々あってな」
街角で通りざまのラリアットを喰らったり、
模擬決闘をするハメになったり、
凶悪なドワーフの人質になっていたのを解放したり。
当時は頭が痛くなったが、今では良い記憶だ。
「あ、あの時は絡んだりして悪かったですわ」
「気にするな。済んだことだ」
学院を出る前に一回謝られたしな。
引きずって気負うことはない。
「お前の母さん――フランチェスカさんはどんな感じだ?」
「憑き物が落ちたみたいね。最近は外に出ることも多くなったし」
「そりゃよかった」
いくら室内型の生活をしてても、日光は大事だからな。
適度に出かけてないと、朝日を浴びた時に吸血鬼のように苦しむことになる。
経験者が言うんだから間違いない。
ミレィは自分の胸の辺りをギュッと抑えて、上目遣いで呟いた。
「……大変な勅命を帯びたようだけど、気をつけてね。
王国の貴族として、微力ながら健闘を祈ります。
貴殿の旅路に――大いなる祝福あれ」
「ありがと。行ってくるよ」
いくつか言葉を交わした後、俺はミレィに手を振って足を進めた。
その際、列をなす貴族のざわめきが聞こえた。
歯噛みするような声が耳に届いてくる。
「……下賎の輩が、馴れ馴れしく声をかけるな」
「……ミレィ様と口を利くなど、許されることではない」
「……言葉を頂くだけで恐れ多いというのに」
怨嗟の念をひしひしと感じる。
やはりシャルクイン家の威光は相当なものであるらしい。
これ以上の反感を抱かれる前に、さっさと進んだ方が良さそうだ。
ミレィの一行の前をそそくさと通過すると、今度は違う人物に声を掛けられた。
「行くのか、ディン家の子息よ」
「……あなたは」
威厳ある立ち姿。鷹のように鋭い瞳を持った初老の男だ。
首元や額に走る無数の傷が、ただの貴族でないことを如実に表していた。
見覚えのある顔である。
「愚生の名はノーディッド・ハルバレス・ホルトロス。
王都三名家の一つ、ホルトロス家の当主をしている」
そうだ、思い出した。
王都でジークが反乱を起こした時、ミレィと一緒にさらわれてた人だ。
自分のことを愚生なんて呼ぶ人に出会ったのは初めてだよ。
「これはご丁寧に。私はレジス・ディンと申します」
ミレィ相手なら多少の無茶ができたけれど、
さすがに王都三名家にはへりくだった方がいいだろう。
敬語は苦痛だが、下手に出るのは嫌いじゃない。
「ラジアス反乱の折、君は愚生を助けてくれたようだな。直接礼を言えず厚顔の極みだ」
「いえいえ。王国貴族として当然のことをしたまでです」
話を聞くに、王都から出発する前に礼を言えなかったことを気にしているようだ。
仕方ないと思うんだけどね。
あの時は刺客にやられて重傷を負ってたみたいだし。
ここに来て感謝をしてくる辺り、律儀な人なのかもしれない。
「それに、ノーディッド殿を助けだしたのは私ではなく、仲間の功績によるものですよ」
「そうか。ならばその人物にもいつか礼を言わねばなるまい」
やめておいたほうが良いと思う。
貴族がイザベルに声を掛けたら全力で威嚇されそうだ。
エルフとしての素性も隠してるしな。
ノーディッドは少し思案した後、訝しむように尋ねてきた。
「君の行く連合国だが……竜殺しという傭兵団については聞いているか?」
「はい。多少は」
「――危ない連中だ。街中では他種族に与する発言は控えておけ」
重大なことらしく、深刻げに告げてきた。
王国に存在する傭兵団の元締めであるため、他国の傭兵事情にも詳しいのかもしれない。
「他種族の排斥を唱えていると聞きましたが、やはり強硬手段を取ったりしているんです?」
「互助交易をしているドワーフでさえ、連合国内への立ち入りを固く禁じている。
愚生も他種族は好まぬ方だが、あそこまで行くと異常だ」
団員が常に街中を巡回しており、人間以外の種族は見つけ次第投獄する方針なのだという。
特にドラグーンへの嫌悪は相当なもので、
発見者や密告者に報奨金を出してまで根絶しようとしているそうだ。
実に恐ろしい。
「あの国に深入りするとロクな目に合わん。役目を終えたら即座に帰還することだ」
「ご忠告、ありがとうございます」
なるほど。
もしアレクを連れて街を闊歩してたら大騒ぎになるわけだ。
傲岸不遜ということで1アウト。
エルフということで2アウト。
大陸の四賢ということで3アウト。
間違いなく3アウト開戦だ。
交渉どころじゃなくなってしまう。
「では、そろそろ。先を急ぎますので――」
「ああ。勇敢なる少年に四賢のご加護あれ」
ノーディッドは俺とアレクを見つめてそう呟いた。
周囲に聞こえない小声でだが。
俺に肩入れすると他貴族にいい顔をされないからか。
肩をすくめていると、またしてもヒソヒソと声が聞こえてきた。
「……何を話していたのだ?」
「……増長した身の程知らずにノーディッド殿が活を入れたのだろう」
「……地方貴族ふぜいが、偉そうに」
偉そうで悪かったな……人が気にしている所を。
断言してしまう口調のせいか、はたまた無意識に出る態度のせいか。
自分で思う以上に素行が悪く見えてしまうらしい。
前世でもそうだった。
少年少女と無邪気に公園で遊んでいたら、息を吐くように通報されたからな。
自分では子供と戯れる爽やかお兄さんでいたつもりが、
世間の目は不審者としか見てくれなかった。
悲しい記憶だよ。
貴族の冷めた見送り行列を通りぬけ、王宮まで到達する。
「来たか、レジスよ」
国王といくつか言葉をかわした後、石版と書状を下賜された。
書状は紙だからまだいいとして。
石版は剥き出しの心臓が脈動してて非常にグロテスクだ。
夜に目覚めて枕元にこんなのが置いてあったら失神間違いなしである。
俺が持っておこうかと思ったが――
「私がお持ちしましょう」
ウォーキンスが名乗りでた。
アレクに視線をやったが、異論はないようだ。
どちらが保持するか事前に協議していたのだろう。
「先日は聞き損ねたが、そちは?」
「ディン家の専属使用人、ウォーキンスと申します」
ウォーキンスは恭しく挨拶した。
その姿を国王は興味なさげに見つめる。
今までは意識して視界に入れようとしていなかったのだろう。
初めてウォーキンスと眼を合わせた彼は、ハッとしたように顔を歪ませた。
「銀髪、銀眼……?」
絞りだしたような声。
国王がウォーキンスを見つめる眼は驚きに満ちていた。
気になったのか、彼女も首を傾げる。
「いかがなさいました?」
「いや、まさかな……くだらん夢物語だ」
そう言って、国王は言葉を飲み込んだ。妙な反応だな。
ウォーキンスの容姿を見て、何が脳内を駆け巡ったのだろうか。
疑問に思っていると、国王は咳払いをして確認してきた。
「しかし、あまり戦えるようには見えぬが……」
「そこはご安心ください。ディン家に仕える中で一番の腕利きです」
俺がフォローを入れる。
暴れる魔獣を一撃で葬り去り、賊の集団を切り払う強さだからな。
即答して国王を安心させようとする。
「そうか、ならば良い……」
そう言いながら、国王はしばらく浮かない顔をしていた。
しかし、側近の一人に促されると静かに頷く。
改めて俺たちに指示を出してきた。
「リムリス達は既に外門へ向かっている。そちらもすぐに合流するのだ」
「了解しました」
正直、この場からは一刻も早く離れたい。
後頭部に蔑むような視線が集中砲火のごとく突き刺さっている。
こんな状態でモタモタしてたら頭皮に良くない。
一礼して背を向けると、国王は粛々とした言葉を投げかけてきた。
「――道中の幸運を祈る」
◆◆◆
パレードのような貴族の列を抜ける。
すると、嘘のように息苦しさが消えた。
人の視線というのは集まるだけで立派な凶器と化す。
日常のように演説をこなす政治家や貴族はすごいと思うよ。
俺は多分、ベロンベロンに酔ってないと緊張で言葉が詰まりそうだ。
「ずいぶんな見送りじゃったな」
「ええ。王都三名家を招集するとは思いませんでした」
俺としては来てくれてありがたかった。
あの二人がいたお陰で、呼びつけられた他の貴族も不快感は和らいだようだったし。
あの王都三名家までもが召喚されたのなら仕方ない、
と不満の緩衝材になる役目を果たしてくれていた。
門の前に行くと、リムリスを発見。
彼女もこちらに気づいて近寄ってきた。
「来ましたか、レジス殿」
「お待たせしました」
旅路になるからか、リムリスは実用性の高そうな鎧を身につけている。
アレクを監視するだけなのに、そこまでの装備が必要なのだろうか。
必要なのかもしれない。
「あ、そちらの人は――」
俺の眼に写るのは、異様な格好をした男だった。
背は180センチくらいだろうか。
パーカーコートのような黒衣装が、上半身をすっぽりと覆っている。
血管を思わせる赤筋がコート全体に走っており、禍々しさを表出していた。
コートの下にも黒いインナーを着ているようで、
下半身は靴まで届く皮の厚い黒ズボンを纏っている。
よくぞここまで黒く染めたものだと感心するレベルだ。
顔はフードのせいで額から上が見えない。
パイプを口に咥え、トドめとばかりに舞踏会でかぶるような仮面を装着していた。
要するに、身体で見えている部位が、鼻から首までだけなのだ。
パイプから謎の煙を放出する黒ずくめの男。
前世で見かけたら職質間違いなしである。
とても案内人には見えない。
さすがに人違いだろう……と、そう思ったのだが。
「紹介します。こちらがレジス殿の案内役を拝命したバド・ランティスです」
紹介されてしまった。
この男が俺たちと共に連合国を行き来する人物らしい。
……正直、不安しかない。
大丈夫なのだろうか。
「…………」
バド・ランティスと言う男はフードを少し上げ、
仮面の奥から俺に視線を向ける。
そして口元を不機嫌そうに曲げ、リムリスに声を掛けた。
「リム。話が違うんじゃねえか?」
「え?」
リムリスが意外そうな顔をして振り向く。
そんな彼女に対し、男はぞんざいな口調で不満を漏らした。
「お前の頼みだって言うから来てやったがな。
まさか俺にお子様のお守りをさせるつもりか」
お子様。どうやら俺のことを言っているらしい。
まあ、十五歳の少年は大人から見れば当然子供である。
前世でいうところの中3か高1なわけで。
基本的に王国の成人年齡は18歳なので、被保護対象と思われても仕方ない。
彼の言葉にリムリスは困ったような顔をする。
「く、口を慎みなさい。あと、職務中はリムリス閣下と呼ぶように」
「……誰がお前に敬称なんざつけるかよ」
そう言って、バドはリムリスの横を通過した。
彼はため息を吐きながら俺の前まで歩いてくる。
「テメェが確か……レジス・ディンだったか?」
「ああ。道中は色々とあるだろうが、案内をよろしく頼む」
さりげなく右手を差し出してみる。
しかし、彼は無反応。握手拒否とはなかなかやるじゃないか。
その代わりとでも言うように、バドは上を向いて紫煙を吐き出した。
……煙草の類かと思ったが、匂いが違うな。
鉄のようなサビ臭さだ。
しかし、不思議と不快には感じない。
バドは食い入るように俺の顔を見てきた。
「とてもシュターリンを倒せるようには見えねえんだがな」
ん、シュターリンと言ったか?
あの暗殺者兄弟を知っているのか。
そういえば、服装の雰囲気がどこか似てるな。
真っ黒なところとか。
まさか暗殺者だったりしないよな。
俺が剣呑な推測を立てている最中も、バドは観察をやめない。
品定めをするように俺の顔を眺めた後、ボソリと呟く。
「……ふぅん。まあ、耐えられないほどじゃねえか」
そう言うと、バドは興味をなくしたように隣を通り過ぎた。
そして近くを浮遊していたアレクに接近する。
その際、バドの身体からにじみ出る魔力の質が変わった。
「……チッ」
バドは盛大に舌打ちする。
彼の瞳は苛立ちに満ちていた。
自分を落ち着かせるように、バドはパイプの煙を吐く。
その瞬間、アレクが軽く咳き込んだ。
「……けほっ、ごほっ! ……なんじゃ?」
なんだ、風邪でも引いたか。
気をつけろよ。
そういう時は玉ねぎをスライスして首に巻きつけて寝れば治る――
なんてのは全くの迷信だからな。
安静にしておくのが一番だ。
身を以って体験したことがあるから間違いない。
なにせ強靭な玉ねぎが首に絡まって失神したほどだ。
ケホケホと首を傾げながら咳をするアレクに、バドは無遠慮に尋ねた。
「――テメェ、名は?」
「てめぇ? このアレクサンディアを相手に、ずいぶんと舐めた口を利くのじゃな」
ギロリとアレクが睨む。
すると一瞬、バドは意外そうに口を半開きにした。
「……アレクサンディア? 大陸の四賢か」
ほんの少しだけ、バドは姿勢を正した。
それだけで全てを察せる辺り、四賢の知名度は半端ないな。
彼はパイプの排出口を指で押さえると、軽く肩をすくめた。
「そいつは悪かったな、英雄様。
そんなナリだから、単なるガキかと思っちまったぜ」
言葉のチョイスには誠意の欠片もないが、一応は敬意を払っているようだ。
バドはアレクの周辺に漂う煙を自らの手で散らした。
それを見て、彼女は訝しむような視線を注いだ。
「……その煙は何じゃ? 魔素の気配がするぞ」
「気にすんな」
バドは皮肉の利いた笑みを浮かべる。
そして、最後尾にいたウォーキンスの方へ足先を向けた。
気配を察知していたのか、彼女は問われる前に自己紹介をしていた。
「ディン家の使用人、ウォーキンスと申します。
霊峰を越えた後、しばらく同行することになると思いますので、よろしくお願いします」
物腰穏やかな対応。
毒気を抜かれたのだろう。バドは緩慢な動作で後頭部を掻いた。
「……胸は良いが、他はまだ育ち切ってねえな。残念だ」
そう言って、彼はウォーキンスから目線を切る。
何かを確認するために各々の顔を覗きこんでたのかと思ったら。
単なる品定めをしていただけか。
俺と並び立つ程の下衆さを感じるな。
苦笑していると、アレクが隣でため息を吐いた。
「……なんじゃあいつ。
最初、我輩に殺意を向けてきおったぞ」
確かに。
俺はともかく、最初アレクに対しての敵意は凄まじかった。
怪訝に思っていると、リムリスが申し訳なさそうに耳打ちをしてきた。
「……レジス殿。どうか気を悪くなさらないでください」
「あ、いえ……」
リムリスに謝られてしまった。
別に何も気にしていないのだけれど。
表面的な素行だけで好き嫌いを断じるつもりはない。
それよりも、あの男とリムリスの関係が気になるな。
「バド・ランティス殿とは何か縁があったのですか?」
「あの陰気男は、私が幼い頃からの知己なのです」
ほう、つまりは幼なじみか。
いい響きだな。
長年に渡って親交を結ぶ素晴らしい間柄だ。
俺も幼なじみが欲しかったな……。
もし窓から起こしに来てくれる幼なじみがいれば、
前世では真面目に生きられていたかもしれない。
ありえないだろうけど。
余計に悪化していたであろう自分の姿が目に浮かぶ。
ブルーな前世に想いを馳せていると、リムリスも悲しげな表情になった。
「昔のバドは、もっと誠実で真っ直ぐでした……しかし、今ではあんな不貞男に」
「誰が不貞男だ!」
彼女の言葉に反応して、バドが食って掛かった。
良い耳をしているな。
俺より鋭い五感を持っているようだ。
リムリスは一つ息を吐いて、小さな声でささやいてきた。
「と、ともかく。バドが人をジロジロ見るのは、決して下心からではありません。
そこだけは信じてあげてください」
「了解しました」
そうだな。
出会い頭に人の顔を注視するのがポリシーなのかもしれない。
気にせず寛容な心で行こうじゃないか。
バドはパイプを懐にしまうと、気だるげに自分を親指で示した。
「さっきリムから紹介されたが、俺はバド・ランティス。まあ、バドとでも呼んでくれや」
そうか、ならば遠慮なく呼ばせてもらおう。
発音にして二文字。呼びやすい名前で何よりだ。
ピカソの本名をつなげたのが名前です、なんて言われたら発狂していた。
「歳は29。そこの行き遅れ女と同い年だ」
「……ッ。バド!」
「何だリム。事実だろうが」
ヘラヘラと笑うバドに、リムリスが諫めるような声を出す。
普段クールで感情を見せないだけに、取り乱すリムリスの姿は新鮮だな。
「知ってるかは分からねえが、
普段は"暁闇の懐剣"って組織で暗殺者の始末をしてる」
「……暁闇の懐剣?」
どこかで聞いたような。
確か、王国の軍事部を研究する書物に載ってた気がする。
この王国には、表から王家を守護する”王都本軍”と、
裏から国王を守る”暁闇の懐剣”という組織が存在すると。
もっとも後者は眉唾ものの存在で、
一部の学者間で存在が噂されている程度だったはずだ。
実在したのか。
「王国貴族は暗殺者を仕向けるのが大好きだからな。
お前も心当たりがあるだろうよ」
「ああ……」
ドゥルフの雇っていたシュターリン。
ジークの雇っていた名も無きドワーフ。
知っているだけで何人もいる。
決闘でケリが着くのは穏便な方で、
普段は刺客の飛ばし合いをするのが争いの基本なのだ。
「もちろん、中には王を手に掛けようとする輩もいてな。
そういう不忠者を返り討ちにするのが俺の仕事だ」
ほぉ、戦国時代の忍みたいなものか。
かっこいいじゃん。しかし、バドは己の言葉を自分で笑い飛ばす。
「まあ、国王への忠誠心が皆無な俺が、不忠者を消すっても妙な話だがな」
「バド。間違っても他の貴族の前でそれを言わないように」
「分かってるっての」
リムリスの言葉に、バドは鬱陶しげに頷いた。
なんだろう、ピリピリしてるように見えて、阿吽の呼吸を感じるな。
まあ、バドがどのような男か知れないので、
彼と親しいリムリスが途中までついて来てくれるのはありがたい。
「そこな二匹。
痴話喧嘩をする暇があったら、さっさと出発するのじゃ」
ここで、アレクが呆れたように声を掛けた。
痴話喧嘩という言葉に反応してか、双方は心外と言った顔をする。
しかし不満を飲み込み、彼らは門の外へと歩き出した。
その後を追いかけ、俺達も王都を出発する。
いよいよ、連合国への旅が始まった――
次話→10/21
ご意見ご感想、お待ちしております。
本日から7章開始です。
3日に1話ペースで更新していきます。
以下は宣伝。
【ディンの紋章2巻】が10/24に発売されます。
書きおろし等、色々と追加した一冊になりますので、
是非よろしくお願いします。
活動報告の方にて、更新情報を含めた詳細が載っております。
http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/195765/blogkey/1010087/
お知らせ事項は以上です。
これから始まる7章、お楽しみ頂ければ幸いです。