第十四話 王の真意
「ここまで我輩をコケにしておいて――
よもや無事でいられると思っておらんじゃろうな?」
アレクがゆらりと身体を揺らす。
体内から込み上げた魔力が輝きを放ち、謁見の間を憤怒の色に染め上げた。
壮絶な圧力を感じたのか、参列する臣下たちは小さく悲鳴を上げる。
しかしその瞬間、涼しい声が聞こえてきた。
「――アレクサンディア」
ウォーキンスだ。
彼女は小さく透き通るような声で、アレクの名を呼んだ。
すると、暴発しかけていたアレクはウォーキンスを睨みつける。
しかし、ウォーキンスもまた目を逸らさない。
数秒ほど、沈黙が空間を支配した。
しかしそれもつかの間。
アレクは一言吐き捨て、魔力を収めた。
「言われずとも……分かっておるわ」
その言葉に、ウォーキンスは微笑みを返す。
先ほどの諫言が効いたらしいな。
アレクは不機嫌そうな顔をしながらも、魔力を出す気配はない。
そんな彼女に対し、国王は釘を刺すように告げた。
「アレクサンディア殿。誤解されるな。
何も私怨によってこんなことを言っているのではない」
アレクが嫌いだから、などといった理由ではないそうだ。
まあ、国王が感情に流されるとは思えないしな。
ただひたすらに、この国を守ろうとする信念だけは感じられる。
国王は苦渋の表情でアレクに問いかけた。
「王国においては、確かに大陸の四賢は神に匹敵する功績者だ。
しかし、連合国にはどう思われているか存じていよう?」
「昔に国を滅ぼしかけた連中、じゃったか。
一人の暴走で四賢全体を憎まれても困るというものじゃ」
そう。
連合国は国を挙げて大陸の四賢を嫌っている。
数百年前、大陸の四賢の一人に国を滅ぼされかけたからだ。
しかし、それはあくまでも旧知の戦友による所業。
自分には関係ない、とアレクは言いたいようだ。
「しかし、連合国の憎しみは未だに続いている。
他種族はともかく、四賢は話に出すだけで禁忌になっているのだ」
向こうからすると侵略者だもんな。
連合国内では万が一にも四賢の賛辞なんかできない。
どれくらいまずいかと言うと、
ここで俺が「帝国万歳! 王室など滅ぼしてしえ!」と高らかに叫ぶようなものだ。
下手をしなくても首が飛ぶ。
市中引き回しのうえ獄門になるのは間違いない。
「王国の代表たる使者が、大陸の四賢を伴っていればどうなるか。
交渉の余地なく追い返され、場合によっては開戦だ」
アレクが見つかった時のリスクを懸念しているようだ。
しかし、その程度の危険なら彼女は乗り越えられるだろう。
なぜならアレクは――
「我輩は魔法で素性を偽ることができる。
そのような心配をされる筋合いはない」
そう、認識を捻じ曲げる隠遁魔法を会得しているのだ。
これさえあればアレクの正体が露見することはないだろう。
ただ、エルフという種族までは偽れないので、
どちらにせよ苦労するとは思うけど。
少なくとも、致命傷にはならないのだ。
だが、国王は静かに首を横に振った。
「余もアレクサンディア殿を信じている。
しかし魔法で身を隠す以上、魔法で見抜かれる可能性も否定できまい。
国が崩れるかもしれん危険を看過することはできぬ」
国王の論も一理ある。
魔法の中には、隠遁魔法を看破するものも存在するのだ。
しかし、見破るにはアレク以上の魔力を注がなければならない。
俺としては大丈夫だと思うんだけどな。
国王はどういう考えで拒んでいるんだ。
頑強な国王にしびれを切らしたのか、アレクはため息を吐いて譲歩した。
「よかろう、レジスから離れて護衛することとする。
これならば安心じゃろう」
「あなたの正体が露見する危険は否定できない。認められんな」
「……汝という奴はッ」
アレクは犬歯を覗かせ、ギリッと音を立てて噛み締めた。
魔力の発露を恐れてか、また臣下たちの顔が恐怖に染まる。
しかし、国王は一歩も退かなかった。
「――申し訳ないが、ここだけは譲れない。
余のすべてを持って拒ませて頂く」
初めて見せた、アレクに対する謝罪のような表情。
彼は切実に望んでいるのだ。
アレクが俺に同行しないことを。
「勘違いしないで欲しいが、余が四賢を敬う想いは本物だ。
だからこそ、こうして頼んでいるのだ」
国王は切実そうに会釈し、アレクに頭を下げた。
近くにいた臣下が苦い顔をしたが、
彼は構うことなく誠意を見せようとする。
一人の王として、古代の英雄に頼み事をしているのだ。
「余の願い――聞いてはもらえんだろうか」
「聞くはずがなかろう」
アレクは即答した。
当然とも言える返答。
だが、彼女は難しい顔をした後、ボソリと言った。
「じゃが、レジスを霊峰で死なせるわけには行かぬ」
不本意だが仕方ない。
そう呟いて、アレクは肩をすくめた。
彼女は威勢を保ったまま、目を伏せる国王に宣告した。
「今回だけじゃ。怒りを抑えてレジスの案内人に徹しよう」
「納得して頂き感謝する。
監視役としてリムリスを付けるが構わないな?」
「好きにせよ。じゃが、他の要求は一切聞かんからの」
お前の干渉は受けない、と言うことだろう。
アレクの忠告に、国王は重々しく頷いた。
「では、改めて確認する。
シャディベルガは領内で待機。
レジスは手引きの元、連合国へ使者として赴く。
アレクサンディア殿は、任務遂行中は連合国へ立ち入らぬこと。以上だ」
連合国……行ったことのない場所だ。
土地勘も、風習も、現地の常識も、詳しくは知らない。
書物で下調べしておく必要がありそうだ。
俺が沈思していると、国王が声を掛けてきた。
「レジスよ、王家の方からそちの護衛を選ぼう。
ここは王都本軍の精鋭を――」
「陛下。人選は私に任せて頂けないでしょうか」
と、ここでリムリスが名乗り出た。
予想外だったのか、国王は興味深げに耳を傾ける。
「連合国の情勢に明るい腕利きの者を知っております」
「そちにはアレクサンディア殿の帯同任務を与える。
その準備をしながら別途で手配できるのか?」
リムリス自身も、今回は動くのだ。
俺が連合国に行っている間、
アレクが立ち入らないよう、監視する役割を与えられている。
国王からの問いに、彼女は自信を持って頷いた。
「問題ありません」
「では、任せよう」
リムリスが護衛を仲介してくれるのか。
俺としてはアレクやウォーキンスがいてくれれば十分なんだけど。
しかし、連合国に詳しい人材となれば話は別だ。
頼らせてもらうとしよう。
「レジスよ。一週間の猶予を与える。
それまでに準備を整え、王都に来るのだ。
魔吸血石と書状はその時に渡す」
「――承知しました」
国王に臣下の礼でもって答え、謁見は終了したのだった。
◆◆◆
王宮の外。
大きな門の付近で、俺達は話を交わしていた。
今回与えられた勅命を受けて、どう動くのか。
慎重に確認作業を行っていた。
ウォーキンスはシャディベルガと何やら話している。
そんな中で、俺は真っ先にアレクへ頭を下げていた。
「……ごめんな、アレク」
すると、彼女はきょとんとした表情をする。
俺の頭をぺたぺた触りながら、心配するように覗きこんできた。
「何をいきなり謝っておるのじゃ。悪いものでも食べたか?」
「いや……俺のせいで、不本意なことをやる流れになっちまっただろ」
アレクからすれば完全にディン家のゴタゴタに巻き込まれた形である。
しかも、途中までの道案内だけという誇りを傷つける仕事を帯びさせてしまった。
面倒事を厭う彼女が断りきれなかったのは、間違いなく――
「俺がいなければ突っぱねられたのに……本当に、すまん」
権力によって動かされるのは、アレクが一番嫌いなことだというのに。
申し訳ない想いが胸の奥底からこみ上げてくる。
すると、アレクは俺の頭をはたいてきた。
ペチン、と軽い痛みが走る。
「痛っ……」
「――阿呆め。汝が気に病む必要など全くない」
そして、即座に頭を撫でてきた。
乱暴な撫で方のため、髪型が思い切り崩れる。
アレクは宙に浮いたまま胸を張り、名乗りを上げるように宣告した。
「我輩は大陸の四賢アレクサンディア。
何者にも与せぬし、何事にも束縛されぬ。
今回のことも、ただ我輩が好きで選んだことじゃ」
ああ、気を遣ってくれているのか。
俺が責任を感じないように、
あくまでも自分の意志によって動いているのだと――
本当に、優しい奴だ。
「それに、途中までというのが残念じゃが、
汝とまた旅ができて――我輩は嬉しいぞ?」
はにかみながら、アレクは俺の手を取ってきた。
そして痛いほどに強く握ってくる。
彼女の想いに応えるように、俺も握り返した。
「……ありがとう。俺も、嬉しいよ」
詰まりかけたが、なんとか伝えられた。
すると、アレクは気恥ずかしくなったのか、何も言わず俺の後ろに回ってきた。
背後から負ぶさるようにして首へ手を回してくる。
カブトムシに樹液を吸われる樹のようだ。
まあ、悪い気はしないのでこのままにしておく。
と、ここでウォーキンスと話を終えたシャディベルガが近づいてきた。
彼は幽霊のようにゆらりと身体を揺らす。
国王との謁見で体力と精神力を使い果たしたか。
相変わらず慣れてないんだな。
俺は大丈夫だよ、偉い人に会っても緊張しない。
前世では総理大臣ともフレンドリーに喋れると豪語していた。
実際の所は職務質問にすらキョドってたけどな。
「そう、レジスは何も悪くない……」
シャディベルガは力なく笑った。
今にも命の灯火が消えそうなほど憔悴している。
自嘲するように肩をがっくり落としていた。
「真に悪いのは――言われるがままで、ほとんど抵抗できなかった僕さ」
「権力の世界に生きる者が、国の最高権力者に抵抗しても困るんじゃがな」
「その通りです。シャディベルガ様の対応は完璧でしたよ」
アレクとウォーキンスがフォローを入れる始末だ。
実際、彼が気に病む必要はない。
あの石版を拾った時点で、難事に巻き込まれるのは確定していたのだから。
「ひとまず、一度帰りましょう。
色々と準備が必要だと思いますので」
「そうだね。セフィーナにも報告しなきゃいけない」
シャディベルガは頷き、歩き出そうとする。
と、その時――背後から声を掛けられた。
「レジス殿。少しお待ちください」
リムリスだった。
俺はアレクを地面に降ろし、彼女の前に立つ。
するとリムリスは小さな紙を渡してきた。
「ささやかな餞別です。では、私はこれで――」
そう言って、彼女は速やかに去っていた。
王宮の正門ではなく、何もない壁に沿って――
疑問に思いながらも、俺は紙を開く。
そこには魔素を宿して光る文字が書かれていた。
『一人で王宮に参上されたし。密かにリムリスの後をつけよ。
――シャルナック・オルブライト・エリストルム』
国王からのメッセージ。
読みきった数秒後、文字は完全に消えた。
ただの紙切れになってしまう。
俺は紙をポケットに突っ込み、皆についていく。
そしていざ王都の門外へ出ようという時、俺は切り出した。
「あ、ちょっと忘れ物したみたいだ。急いで取ってくるよ」
「……早くするのじゃぞ」
「ここでお待ちしております」
二人は勘づいたようだ。
鋭い直感に惚れ惚れするが、褒めている暇はない。
俺は探知魔法を展開しながら、王宮の方へと向かったのだった。
◆◆◆
探知魔法に反応はなし。
この付近には俺しかいないようだ。
リムリスが歩いて行った道を慎重に進む。
すると、小さな林の傍でリムリスを見つけた。
彼女は俺を視認すると、ゆっくり林の中へ消えていった。
俺は人の目を気にしながら、彼女の後を追う。
王宮から離れた場所。
王都の城壁にほど近い、鬱蒼とした雑木林。
ここは王家の管理する土地のようで、人の歩いた形跡が見つからなかった。
しばらく進むと、リムリスは大きな樹に手を当てた。
そして何かをつぶやくと、木々の間を魔力が通り抜けた。
今までなかった道が、そこに現れたように感じる。
驚いたな、障壁か。
エルフの峡谷にあるものと似たような作りだ。
限られた人しか通行できないようにしているのか。
リムリスは木々の間を通っていく。
それに続き、俺も障壁の中を通過する。
俺が通り抜けた直後、魔力の通り道が消えた。
どうやら障壁を閉じたらしい。
しばらく歩くと、樹木に囲まれた広場のような場所に出た。
行き止まりかと思われたが、リムリスがしゃがみこんで土をどける。
すると、重たそうな鉄扉が現れた。
彼女は懐から鍵を取り出し、鉄の蓋をどける。
地下があるのか。
リムリスに続いて、俺も地面の扉をくぐった。
「ここまで来れば、もう大丈夫でしょう」
そう言って、リムリスは鉄扉を内側から閉めた。
真っ暗になりかけたが、小さな火種で明かりを灯す。
暗い洞穴の中で、リムリスの顔が浮かび上がっていた。
「この先を進むと王の私室へ出ます。
話が終わりましたら、また戻ってきてください」
「……案内、ありがとうございます」
リムリスの示した方向へ進む。
ずいぶんと仰々しい隠し通路だ。
こんな場所を俺に教えるあたり、国王も切羽詰まっているのだろう。
まあ、告げ口しようとは思わないけど。
知ったところで、限られた人しか進めないので意味がない。
通路の最奥――そこに古ぼけた扉があった。
試しにノックしてみる。
すると、中で何かが動く音がした。
しばらくして「入って来い」という声。
言葉に従い、俺は扉を開ける。
すると、途端に明るい光が網膜を襲った。
「…………ッ」
地下にいたからか、目が慣れるのに時間がかかる。
目をこすって再び見渡す。
豪奢な調度品、格調高い雰囲気の部屋。
そして、長椅子に腰掛ける国王。
リムリスの言う通り、王の部屋みたいだな。
隠し通路の扉は棚によって隠されていたのか。
扉を閉めたところで、国王が声をかけてくる。
「ふむ、来たか。レジスよ」
「何の用でしょう。なぜこのような裏口から?」
「まあ座れ」
国王は対面の長椅子を指さす。
質問したい欲求を抑えて、俺は腰を下ろした。
それを確認すると、国王はテーブルの上に丸められた書簡を示した。
「ここに書状がある。
そして連合国には、ナッシュ・ゴルダー・アストライトという余の知己がいる。
その男を通じて、この書状を連合国へ届けてきてくれ」
「……はい?」
書状て。
ついさっき、謁見の間で読み上げたじゃないか。
一週間後、出発する時に渡されるはずだろう。
首を傾げていると、国王は手元の書状を指で弾いた。
「これは『正式に連合国に届けられる』書状だ」
「では、先ほど謁見の間で見せて頂いたものは?」
「道中で現れるであろう刺客に『強奪され、処分される予定』の書状だ」
今ここにあるのが、連合国へ届けたい書状。
そしてさっき読んだのが、誰かに奪われる予定の書状。
色々と突っ込みたいことはあるが、まずは剣呑な事からだ。
「……刺客、ですか?」
「王国に仇なす輩が雇った暗殺者だ。
連合国へ至る間に、必ず使者へ襲撃をかけてくる。
先ほど謁見の間で読ませた書状を奪うためにな」
剣呑な話になってきたな。
ただ、全体の外観が見えないと、何とも言いがたい。
俺は首を傾げながら、国王へ説明を求めた。
「どういうことかお聞きしても?」
「結論から言うと――」
国王は真剣そうな様子で、
衝撃的なことを宣告してきたのだった。
「先ほど謁見の間に並んでいた臣下の中に、裏切り者がいる。
そちには此度の任務で――その者を炙りだしてもらうぞ」
◆◆◆
恐ろしい話だった。
王宮の廷臣といえば、王都貴族の中でも最上位の者達。
長きに渡って王家を支えてきた一族の中から選抜されているのだ。
その中に、連合国の反王国派に密通している者がいるのだという。
公になれば王都に激震が走るだろう。
国王としては可能な限り、秘密裏に処理したいに違いない。
「特定はできているのですか?」
「おおかたの目星はついている。
だが、決定打に欠ける上、証拠の確保もできていないのだ」
どうやら、怪しい廷臣は何人かいるしい。
しかし、その全員が反王国派に通じているのかは不明。
最終的な絞り込みのところで苦慮しているらしい。
「王国の膿を絞り出すのに、これ以上の好機はない。
これを逃せば、王家に仇なす奸臣を見逃すことになろう」
王国の貴族が末期という話は本当だったのか。
地方はもちろん、王都の貴族が腐敗していることは実感していた。
しかし、まさか宮中までもが危機に瀕していたとはな。
「そして反王国派の連中は帝国へとつながっている。
反逆の廷臣を野放しにしていれば、
連合国を通じて王国の情勢が帝国へ筒抜けとなるのだ」
「……恐ろしいですね」
「だからこそ、余とナッシュは決断せねばならぬ」
話を聞くと、ナッシュという人物が鍵を握っているらしい。
正式な名はナッシュ・ゴルダー・アストライト。
連合国で一番勢力のある商王である。
十八の商王が合議して治める連合国だが、
ナッシュは一番の仁君と呼ばれている。
国王の家系とナッシュの家系は、500年前から縁があったそうだ。
ナッシュの先祖――アストライト家の初代は、
王国を打ち立てた初代国王と戦友だったとか。
連合国の歴史の中で、
アストライト家は王国の王家と組んで勢力を広げてきた。
その付き合いは現代にも及んでおり、ナッシュは国王の親友なのだそうな。
「現在、連合国の流れは帝国へなびこうとしている。
ナッシュが食い止めてくれているが、
このままでは王国の敵が増えかねん」
帝国へ接近する商王が6家。
王国と仲の良い商王が4家。
特に肩入れしない中立派の商王が8家。
中立派をどちらの勢力が抱き込むかで、連合国の派閥が確定するのだ。
連合国は協定により、敵対国に対して一切の貿易を停止している。
もし連合国からの武具や魔法書の流入が止まれば、
貿易国は大打撃を受けてしまうのだ。
そのため、長きに渡って王国と帝国は綱引きをしてきた。
だが現在、親王国派の旗色は非常に悪い。
帝国からの圧迫が強まり、王国を見限ろうとする見方が強まっている。
ここで起死回生を狙うべく、国王は今回の派遣を決めたのだ。
しかし、それなら気になることがある。
「先ほど謁見の間で読んだ文書ですが……。
あのような内容の文書を奪われても良いのですか」
完全に脅迫文書だったぞ。
あんなのが商王たちの目に入ったらどうなることやら。
だいたい、これほど王家やナッシュが警戒しているのだ。
前提条件として、危険を冒して襲撃に乗り出してくると言い切れるのか。
俺が怪訝な目を向けると、国王は自信ありげに微笑んだ。
「まあ落ち着け。
親帝国派の目線で考えてみるがいい。
もし先ほどの書状が正式に届けられればどうなる?」
もし、正式に届けられれば――
ああ、そうか。理解した。
ここで重要なのは、連合国の商王たちは『要求を断れない』ということ。
なにしろ、石版が砕ければ自分たちの一族が全滅してしまうのだ。
保身を願う中立派の商王たちは確実に王国側になびくだろう。
帝国とつながりを持つ連中が、この事態を座視するはずもない。
「しかし、親帝国派の連中も狡猾だ。
恐らくは我が知己、ナッシュの私兵に扮して使者を襲ってくるだろう」
「なるほど。王国と一番のつながりのある商王が、
王家を裏切ったという事実を作れるわけですね」
帝国に肩入れしている連中が、この手を逃すはずもない。
襲撃してくるのは確実と言っていいだろう。
派閥には分かれているが、連合国の集団意識は非常に高い。
鉄の掟として、『どこの国にも味方しない』というものがあるほどだ。
売国奴には血の制裁が待っている。
実質的には他の国へ密通していても、
商王はそれを隠しておかねばならない。
もし親帝国派の持つ目的のような、
『連合国を帝国の支配下に置く』という目論見が露見すれば、
親帝国派の連中はまとめて処刑されるだろう。
あくまでも連合国は連合国。
他の国に従属するなどありえない。
もし手引きする者がいれば、それは商王だろうが反逆者なのだ。
「この一件の始まりだが――恐らくは親帝国派によるものだろう」
「断定できるのですか?」
「考えてもみよ。
商王たちの心臓にも等しい秘宝が、
なぜドラグーンキャンプに奪われた?」
単にドラグーンの竜騎士が強かったから。
そう理屈づけることはできる。
しかし、考えて見れば妙だ。
連合国に拠点を置く大海賊。
そして戦争の主力となる竜殺し。
これらの熟練した部隊がドラグーンを迎え撃ったのだ。
そう簡単に宝が持ち出されるとは考えにくい。
ここまで考えが至ったところで、国王は言い放った。
「手引きをした者がいるのだ。
今の商王を快く思っていない者がな――」
「その連中を炙り出すために、偽の書状が使われるのですね」
今回の件で、親帝国派は様々な動きを見せる。
連合国へ向かう使者の襲撃を行う手配。
そして手に入れた偽書状の情報を帝国へ流す行為。
あらかじめ注意していれば、
これらの動きに際して証拠を得られる可能性は高い。
上手く行けば、連合国にはびこる親帝国派をまとめて排除できるのだ。
「余はナッシュと協力して、今までに何度も似たようなことをしてきた。
しかし、親帝国派の連中は尻尾を見せなかった。
当然だな、我が廷臣の中に密通しているものがいたのだから」
ここで、王宮にいる密通者の話に戻ってきた。
正式に書状を送る以上は、謁見の間で各大臣の話を聞かざるをえない。
その時に、親帝国派を炙り出そうとする動きを感知されていたのだろう。
そして反逆の廷臣は連合国へ報告し、
証拠を抑えられないように注意を促していた。
なるほど、そりゃあ上手くいくはずもない。
「しかし、今回は秘宝を届ける正式の遣いが持った書状だ。連中も動かざるをえん」
「……我がディン家は、襲撃されることが前提の使者ということですか」
「言っただろう。そち以外には任せられぬ任務だと」
国王は不敵に笑う。
いや、俺は全然笑えないんだけどね。
巨大鮫を釣り上げるための生肉にされている気分だ。
「自然に書状を奪われた上で、親帝国派の目をかいくぐりナッシュに正式な書状を渡す。
これが可能なのは、機転が利き魔法に素養のあるそち以外にはおるまい」
実際は、こんな馬鹿げた作戦を受けてくれる貴族がいないだけだろうに。
信用されている、といえば聞こえはいい。
しかし、言い換えれば「人柱になってこい」とも聞こえる。
やるしかないとはいえ、ハードな任務になりそうだ。
「無駄だとは思いますが、アレクに任せることは考えなかったのですか?」
「どういう意味だ?」
「あいつなら奪われるはずの書状でも、平気で連合国に送り届けるでしょう。
そもそも、石版を手元に置いて書状だけを送って履行を待てば、
連合国の属国化も狙えたのではないですか?」
今回は書状と一緒に、石版を返還することになっている。
しかし、わざわざ危険を冒して輸送する必要はないのだ。
先に書状で要件を正式に要求して、それが成されてから現物を渡せば良いはず。
「脅迫外交をすれば、連合国と共に王国も滅びることになる。
そもそも、服従を誓わせたところで実効的な支配ができると思うか?」
心臓を握っているという意味では、商王たちの支配はできている。
しかし考えてみれば、連合国は商王だけの国ではない。
御し難いほどに肥大化した竜殺しという傭兵団。
帝国ですらも恐れる最強にして最古の大海賊。
これらが君臨する限り、脅迫しても国の支配にまでは至らないのだ。
むしろ、隣接しており兵力も豊富という点で、
まだ帝国の方が支配に向いているだろう。
「それに、脅迫するような書状を突きつけてみよ。
中立を保っていた商王の感情は間違いなく反王国派になる。
そうなれば、ナッシュも流れに逆うことができず、帝国が連合国を併合するだろう」
まあ、そうだろうな。
脅迫されて気分がよくなる人なんてまずいないだろう。
女性上位系のうふふなゲームが好きな俺とはいえ、
現実で脅された日にはドロップキックで応戦する所存だ。
「では、石版を盾に履行を迫るというのは?
もし言うことを聞かないなら、実際に破壊することも考えたとして――」
「不可能だ。親帝国派の連中は、
石版に心臓を縛られておらぬ新興の商人たちなのだからな」
なんだと……?
親帝国派には石版が脅しにならないのか。
むしろ石版が他国に渡ったことで、
今まで以上に他の商王に対して強気になる可能性がある。
国王が返還を焦っていたのはこのこともあったのか。
時間をかけていては、中立派が完全に抱き込まれてしまう。
「そして致命的な欠点として、
ナッシュの心臓は石版に縛られている」
「……それは非常にまずいですね」
なるほどな。
石版を砕いて王国が得をすることは何もない。
さっさと連合国に返すのが一番マシな選択だ。
石版を砕けばナッシュが死に、連合国は帝国の軍門に下る。
石版を元に脅迫すれば、連合国は親帝国派が実権を握り、王国の敵になってしまう。
すさまじい窮地だ。
石版を拾って王国が躍進できるかと思いきや、全くの真逆じゃないか。
「それに、そちは言ったな。アレクサンディア殿に頼まないのかと」
「正直、解決できるなら、あいつに頼るのが一番早いでしょうからね」
確実だしな。
まあ、自分で言っておいてなんだが、
もし嫌がるアレクにしつこく頼み込むようなら、
相手が相当な権力者でも間に割り込む自信があるけども。
実際にできるかどうかは別にしてな。
「あの方は余を嫌っておるからな。
それに、そちを盾にして強硬に要求すれば、余の首が飛びかねん」
「もっともなことで……」
現に、さっきの時点で限界が近かったからな。
ウォーキンスが諫言をしていなければ危ないところだった。
そして、国王はアレクの存在について言及する。
「それに、もしあの方が連合国に立ち入れば、間違いなく王国が窮地に立たされる」
「あいつの隠遁魔法は相当なものですよ。
連合国の魔法師とはいえ、見抜けるとは思えません」
学園にいた時、誰一人として見抜けてなかったし。
連合国の竜殺しでも、彼女の隠遁魔法は破れまい。
しかし、ここで国王は苦渋に顔を歪めた。
「……魔眼、というものを聞いたことがあるか?」
「はい、存じております」
この間、説明されたっけ。
魔眼公アスティナという精霊が持っていた7つの眼のことだ。
拳神に滅ぼされて、その眼は世界中に散らばったという。
「表向きには知られていないが、
この大陸には一つだけ発見された魔眼が存在する」
「……え」
魔眼公の眼玉の一つが、発見されていた?
そんなことは、アレクからもウォーキンスからも聞いてない。
国王によると、親友ナッシュから届いた情報なのだという。
彼は深刻な顔でその話を告げた。
「――その名も“破魔眼”。
七魔眼の一つにして、炎刃帝シャマクートを葬ったとされる。
視認するだけで、魔法によって変質したものを元に戻すというのだ」
聞いたことがある。
幻覚魔法や隠遁魔法を“見る”だけで解除してしまう魔眼の存在を。
魔眼公アスティナが最も気に入っていた眼の一つだ。
その効果は凄まじく、剣士のエンチャント魔法をも無力化するとされ、数々の神を苦しめた。
太古の精霊である五剣帝を封殺して、壊滅に追い込んだ逸話は有名である。
最後には素の力で圧倒してきた“拳神”に、なぶり殺されたらしいけど。
やっぱり黎明の五神は恐ろしい。
「話によれば――」
破邪眼の説明を終え、国王は一拍置く。
そして、アレクを遠ざけた一番の理由を告げたのだった。
「その眼を、親帝国派の頂点に君臨する男が持っているそうなのだ」
◆◆◆
連合国は商王たちの合議によって動いている。
しかし同じ商王でも、持っている力に差がある。
一番の影響力を持っているのは、
連合国創始の時からコツコツと販路を広げてきたアストライトだ。
国王の親友ナッシュが率いている家である。
そして次点、アストライトと非常に仲の悪い家がある。
新興の商家でありながら、現在では連合国No,2にまで上り詰めた。
しかしその家の当主、おかしな眼を持っているのだという――
古代宝物の売買という非常にリスクの高い商売を始めたが、その目利きは百発百中。
魔法によって姿を変えられた贋物をも見抜き、恐ろしい勢いで勢力を拡大。
帝国へ太いパイプを作り、莫大な財を得てきたのだ。
地元の商王を蹴落とし、商王の座を奪取してからは、親帝国派の筆頭として動いてきた。
早い話が、その男こそがナッシュと王国の敵である。
軽く説明したところで、国王はアレク同伴のリスクを告げてきた。
「正式に書状を届けるとなれば、商王たち全員の前に立つことになる。
すると当然、その男も同席しているだろう」
「魔眼でアレクの隠遁魔法が解除されると、大騒ぎになるわけですか」
魔眼の効果がどんなものかは知らないが、
神が相手でも通用する兵器級の逸品なのだ。
アレクの隠遁魔法を打ち破ってくるかもしれない。
「うむ。奴がいる限り、
アレクサンディア殿の姿が露見する可能性は否定できんのだ」
「なるほど……理解しました」
確かに、アレクが連合国に来ると非常に面倒なことになる。
無関係を装っていても、王国と結び付けられて不利益を被るだろう。
今回はやっぱり、彼女には霊峰で待機してもらうしかないようだ。
「最後に任務の流れを確認してもいですか?」
「構わん。よきにはからえ」
間違いがあっては困るので、俺のやるべきことを慎重に確認していく。
熟議の後、俺の動きは次のようになった。
その一。アレクと共にケプト霊峰を越え、ドワーフ鉱山を通り連合国へ向かう。
その二。道中で襲ってくる連中に偽の書状を奪わせる。
その三。逃げ帰ったと思わせ、ナッシュの手引きで正式な書状と石版を送り届ける。
その四。王国との決裂を目論む連中の暗殺者に殺されないよう、王国へ帰還する。
相当にシビアな任務だ。
その二で逃げるのに失敗し、殺されてしまえばおしまい。
その四で暗殺者に殺されてもおしまい。
この二箇所が最大の難関になりそうだな。
確認が終了したところで、国王が重々しく宣告してきた。
「話としては以上だ。失敗は許されぬぞ」
「没落した貴族には身に余る大任ですね」
「仕方なかろう、これが一番の最善手なのだ。
余は初代様の家命に従い、王国を守るまでよ」
国王は大きくため息を吐いた。
連合国での勢力争いは、いわば王国と帝国の代理戦争。
今回の一件によって、連合国の動きが確定する。
国王が緊張するのも無理はない。
「ラジアスの愚か者が抜けた穴は、いつか誰かが埋めねばならぬ――」
と、国王がボソリと言った。
王都三名家は王家を補助する重要な支柱だった。
その一本が折れた今、王国は激動を迎えている。
国王は俺の眼を覗き込み、口角を上げて呟いた。
「それがディン家かどうかは分からぬが、
此度の活躍次第では、その可能性もあると踏んでおる」
「身に余る光栄です」
もしこの任務に成功すれば、国王から褒賞がもらえる。
そうなれば、王都の腐敗貴族から向けられる目も変わるだろう。
今までの扱いが酷かっただけに、俄然やる気が出てきた。
国王は立ち上がると、形式張った所作で俺に手のひらを向けた。
「では、改めて命ずる。
レジス・ディンよ。石版と書状を連合国へ届けてまいれ」
「――拝命致しました」
国王からの直々の勅命。
連合国との関係を決定づける重要な任務。
まだ見ぬ未踏の国への出発。
今ここに、新たな旅が始まろうとしていた――
次話→8/10
次回で6章エピローグ。
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