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ディンの紋章 ~魔法師レジスの転生譚~  作者: 赤巻たると
第六章 領海の脅威編
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第十話 運命のコイン弾いて

 


 しばらく待ってみたが、コインは落ちてこなかった。

 大気中で燃え尽きてしまったのかもしれない

 それか、遠い何処かへ飛んでいってしまったか―― 


 さすがに反省したのだろう。

 アレクは二枚目のコインを取り出すと、俺にパスしてきた。

 少し落ち込んでいるような様子だ。

 

「……レジスよ。投げるのじゃ」

「了解」

 

 しかし、コイントスか……懐かしいな。

 前世ではよく小銭を弾いて遊んでいたものだ。

 だが、楽しい記憶ばかりではない。


 ドヤ顔で500円玉を弾いていたら、

 自販機の下に入ったことがあったからな。

 しかもその後、仕方なく下を探ってたら、

 身体をぶつけた拍子に警報機が鳴り響いたし。


 あれ以来、俺は金を指先でいじることはやめた。

 しかしまさか、こんな形でコインを飛ばすことになるとは。

 人生わからないもんだ。


「いくぞ」


 アレクとウォーキンスに確認を取り、俺はコインを弾いた。

 スピンした銅貨は頭上へと舞い上がっていく。

 そして、いざキャッチしようと手を伸ばした寸前――


「――表じゃ」


 アレクが鋭い口調で宣告した。

 一拍遅れて、俺はコインをキャッチ。

 得意げなアレクを見て、ウォーキンスは淡々と告げた。


「そうですか。では、私は裏で」


 宣告が終わったところで、俺は被せていた手をどける。

 すると、手の甲には――しっかりと表の銅貨が乗っていた。

 それを見て、アレクはニヤリと笑う。


「一本先取、じゃな」


 どうやら当てずっぽうではなく、視認して当てたらしい。

 投げた本人ですら目で追えないというのに。


「お前、肉眼で見えるのか?」

「余裕じゃ」


 空中でめまぐるしく回転するコインを見極めるなんて。

 どうやったらそんな動体視力が身につくんだ。

 と思ったが、エルフの五感は全種族の中でも最高峰だったな。


 ちなみに、先制を許したウォーキンスはというと。

 アレクの妙技に対して、嘆息したように拍手をしていた。


「さすがは拳神の手ほどきを受けた達人ですね。感服です」

「感心しとる場合か。

 いかにして大酒を一人で飲み干すか、今から考えておくのじゃな」


 さすがのウォーキンスでも、苦手な酒は苦痛だろう。

 しかもあの量だ。

 並みの酒豪でもぶっ倒れてしまうに違いない。

 この二人のどちらかが、勝敗を付けた後で罰ゲームに挑むのだ。

 

 ウォーキンスに負けてほしくない。

 しかしアレクにも負けてほしいとは思えない。

 難しいところである。


「次、行くぞ」


 釈然としないものの、とりあえずコインを弾く。

 先程よりも強く回転させてみた。

 さすがにこれは目で追えまい。

 しかし、先程よりも早いタイミングで、二人の口が開いた。


「裏じゃ」

「裏です」


 ほぼ同時の宣告。

 しかし、タッチの差でアレクが早かった。

 キャッチはしたが、正解しているのか半信半疑である。

 手をどけると――裏が出ていた。


「ふっ、王手じゃな」

「……ふぅ。今のタイミングでも間に合いませんか」


 ウォーキンスは少し意外そうだった。

 アレクの視力が異常すぎるのだ。

 エルフの特性を完全に引き出している彼女に、果たして太刀打ちできるのだろうか。


 次にアレクが一本取れば、勝敗が決する。

 しかしここに来て、ウォーキンスが静かに頷いた。


「いいでしょう。少し力を使います」

「はっ、今までは本気ではなかったと?

 よかろう、ならば見せてみよ。汝の実力とやらをな」


 アレクは更に闘志を高める。

 次はコインが最高到達点に上がった時点で言い当ててきそうだ。

 コイントスって確率がほぼ一緒な、公平性のあるゲームだったはずなのだが。

 彼女たちの前では違うようだ。


「じゃあ、行くぞ」


 俺がコインを弾こうとした刹那――


「――表です」


 ウォーキンスがしっかりと呟いていた。


「……は?」


 思わず呆けた声が出る。

 しかし、弾く動作に支障はない。

 そのまま指はコインを弾き飛ばし、落ちてきたところを掴みとった。

 さっきのタイミング……明らかに運任せだよな。


「ふん、確率に頼った勝負に出たか。つまらん奴じゃ」


 動体視力で勝てないからといって、逃げるのか。

 アレクの語調からは、そんな意思が読み取れた。

 しかし、ウォーキンスは不思議そうに首を傾げる。


「いえ、あの……しっかりと視えていますよ?」


 ウォーキンスの一言。

 それに釣られ、俺はコインを隠した手をどかす。

 すると、そこにはウォーキンスの言った通り、表が出たコインが鎮座していた。


「……ちっ、運に救われおったか」


 アレクはため息を吐く。

 これでアレク2勝、ウォーキンス1勝。

 依然としてアレクが優勢だ。

 しかし、どうもウォーキンスの宣告が運任せの当てずっぽうには思えなかった。


「次、行くぞ」


 俺は渾身の力を込めて、銅貨を弾き飛ばそうと――


「――裏です」


 まただ。

 俺がコインを弾く寸前の時点で、宣告してくる。


 高々と舞い上がる銅貨。

 キャッチして確認すると、コインは裏面を示していた。

 愕然とした顔になるアレク。


「レジスよ、汝……」

「な、なんだよ。公平にやってるからな?」


 男レジス、八百長に手は貸さない。

 だいたい、ウォーキンスの宣告を聞いてから、思い通りの面を出すなんて無理だ。

 俺の弁解にセフィーナも同調してくる。


「……うん、レジスはちゃんと弾いてる」

「わ、分かっておるのじゃ」


 アレクも本気で疑っていたわけではないらしく、

 すぐに矛先をウォーキンスへと変える。

 そして、凛然とした口調で尋ねた。


「まさか……”到来眼”を持っておるのか?」


 到来眼。

 どこかで聞いたことがあるな。


 確か……魔眼公アスティナという神が持っていた、七魔眼の一つだったか。

 迫り来る未来を、はっきりと見通す眼だと聞く。


 出会った者に死期を宣告する、というアスティナの逸話で有名だ。

 しかし、会った途端に『お前は後2年で死ぬから』と告げてくるなんて。 

 ずいぶんと趣味の悪い神様だったらしいな。

 神話の書物を紐解くと、色んな精霊や神に煙たがられていたことが分かる。


 なお、魔眼公アスティナは存命ではない。

 黎明の五神の一柱――拳神と戦って絶命したのだ。


 しかし、アスティナは完全なる死だけは免れた。

 トドメを刺される寸前で、己の魔力を魔眼たちに分散し、世界中に解き放ったのだ。

 本体は拳神に貫かれて葬られたようだが、アスティナの魔力は以前健在。


 魔眼は各大陸に散らばり、あちこちで災禍の元になってきたという。

 なんでも、眼玉を手に入れた者は、その魔眼の効果を己のものにできるらしい。

 力に目が眩んだ者達が魔眼を奪い合い、そして滅んでゆく。

 生きてても死んでても禍根を残す――とても迷惑な神様である。


 そういえば、この大陸にも二つの魔眼が眠っていると聞いたことがある。

 ただ、今までに冒険者が発見したという記録はない。

 一部の学者が反論しているだけで、基本は眉唾ものとして認識されていたはず。


 しかしアレクは今、ウォーキンスに尋ねた。

 魔眼の一つである”到来眼”を所持しているのか、と。

 警戒するような顔で訊いたのだ。


 それに対して、ウォーキンスはさらっと言った。


「いいえ。単に観察して予測しているだけですよ」

「……観察、じゃと?」


 どうやら大ハズレのようだった。

 何が魔眼だ、そんな便利なものがあってたまるか。

 もし存在するなら俺によこせと。


 内心で溜息を吐いていると、

 ウォーキンスは正答へと至った根拠を並べ立てた。


「はい。レジス様の筋肉の収斂、呼吸、視線の位置、風向き――

 コインの材質、形状、投擲前の裏表、弾く直前の指の速度、そして角度――

 これらに留意しながら眼に魔力を込めれば、案外当たりますよ?」


「…………」


 ドン引きするレベルの眼力だった。

 ただ見てるだけと言っても、次元が違いすぎる。

 正直、俺からすれば魔眼と大差ないな。


 だが、アレクに怖気づいた様子はない。

 彼女はあくまでも闘志に満ちていた。


「……いいじゃろう。こっちも魔力を使わせてもらうぞ」


 そう言うと、アレクは眼に魔力を集中させた。

 ギラギラと獣じみた眼光を放つ。


「――レジス、投げるのじゃ」


 その一言は緊張に満ちていた。

 戦場にいるのかと見紛うほどの裂帛の気合。

 俺は唾を飲み込んだ。


 アレク二勝、ウォーキンス二勝。

 共に王手をかけており、次の一戦で勝負が決する。


「じゃ、行くぞ」


 このピリピリした空気を早く終わらせたい。

 彼女たちの視線がコインに集まる。

 緊迫した空気の中、俺は指先に力を――




「――表じゃッ!」「――裏です!」



 全く同時の宣告。

 荒れ狂う魔力の暴風を感じた。



「……ひっ!?」



 全反応速度の限界を突っ切って宣告してきたのだ。

 眼からレーザーでも出てるのかと疑いたくなる魔力の顕現。

 思わず身体が跳ねてしまい、コインをつかみそこねてしまう。


「……しまった!」


 掴もうとした手が見事に空振り、コインは地に落ちてしまった。

 不甲斐ない、受け止めるのに失敗するとは。

 両者は俺の足元に駆け寄ってきて、コインの表裏を確認する。


 初めて割れた二人の宣告。

 出たのはアレクの言った表か、それともウォーキンスの言った裏か。

 視線を落とすと、ついにコインの全貌が目に入る。



 ――なんと、コインは直立していた。



 縁の部分が地面にはまったのかもしれない。

 鈍い輝きを放つコインは、表も裏も示していなかった。

 これには俺も困惑を隠せない。


「えっと……どうしよう、これ」

「……引き分けでいいと思う」


 そうだな。

 セフィーナの言うとおり、ここは平和的な決着にしておこう。

 それが一番角も立たないだろうし。

 俺が両者の健闘を讃えようとすると――


「んー、少し表側に傾いておらんか? 我輩の勝ちじゃろ」


 アレクが己の勝利をアピールしていた。

 彼女は現場保存と言わんばかりに身体をかぶせ、コインを指で示していた。

 鑑識と見間違えるほどの熱意である。


 しかし当然、何度も確認してもコインは垂直。

 恐るべきいちゃもんだった。

 チンピラかお前は。


 この甲乙をつけたがりな幼女をどう説得しようか。

 悩みそうになった刹那、一陣の風が通り抜けた。

 ケロンの樹を揺らし、儚くも美しい花弁が舞い散っていく。


 自然、その風はアレクの方向に向かって吹いてゆく。

 次の瞬間、守護していたコインがパタリと倒れた。

 ウォーキンスの宣告していた裏を上に向けて――



「あ、ぁああああああああああああああああ!」



 アレクが絶望的な叫びを上げた。

 慌ててコインを拾い、地面を足で削りとる。

 なんという証拠隠滅。

 その無駄に洗練された無駄な動きは、鑑識どころか犯罪者のそれであった。

 

「今のは無しじゃ! 風のせいじゃよ! 引き分けじゃ引き分け!」

「ちなみに私は、その風を考慮に入れた上で裏と言いました」


 ウォーキンスは涼しい顔で微笑む。

 まあ、彼女ならやりかねんな。

 アレクは歯をギリギリと噛み締めながら恨み言を吐く。


「ぐっ……まぐれ如きで好き放題言いおって」

「往生際が悪いぞ、アレク」

「……アレクサンディア、負けは負け」

「わ、わかっておるわ!」


 アレクはすねたようにそっぽを向いた。

 ひどく悔しそうだ。

 それに対し、ウォーキンスは満足気に頷いた。


「ふぅ……私の勝ちですね」


 安堵するように息を吐いていた。

 緊張していたウォーキンスは、ふとこちらを見てくる。

 彼女は俺の手を取り、はしゃぐように聞いてきた。


「見ていてくださいましたか、レジス様!」

「ああ……すごかったな」


 アレクの動体視力も、ウォーキンスの予測能力も。

 そしてそれ以上に、コイントスがここまで殺伐としたものだったのかと――

 俺は戦慄を隠せないでいた。


「……ちっ、媚を売りおって!」


 と、ここでアレクが地団駄を踏んだ。

 地響きが起きるほどの圧倒的な衝撃。

 踏みしめるたびに地表がめくり返るのが恐ろしい。


 しかし、勝負事や約束の履行に関しては真面目なようで。

 アレクは怒りの息を吐いた後、おもむろに酒瓶を手にとった。


「はぁ……まさか我輩が飲むことになろうとは」


 そういえば、負けた方が全部飲むという勝負だったか。

 今更ながら恐ろしい罰ゲームだな。

 嫌なら無理に飲むことはないだろうけど。


 しかし、俺が止めても、確実にアレクの矜持を傷つけてしまうだろうな。

 一応訊いてみようかと思ったのだが、目線で牽制されてしまった。

 彼女はヤケになったように酒瓶を持ち上げる。


「見ておれ、我輩はいかなる暴虐にも屈しはせぬ!」


 そう言って、アレクは瓶に口をつけ、ダイレクトで飲み始めた。

 酒盃とは何だったのか。

 俺の視線を気にすることなく、アレクは一切顔色を変えず空にしてしまう。


「ぷはーっ! 次じゃ!」


 一気に二本を開栓し、同時に嚥下していく。

 無謀とも言えるハイペースである。

 本当に大丈夫なんだろうか。


 いや、案外俺の常識が間違っているのかもしれない。

 エドガーのように、みんなが酒に対して強靭な耐性を持っている可能性もある。

 反応を確認するため、隣のセフィーナを見てみた。


「…………すごい」


 絶句していた。

 表情に変化はなかったが、内心では相当に驚いているのだろう。

 この様子だと、やっぱり異常な飲みっぷりみたいだな。

 やはり俺の感覚は間違っていなかった。


「ふん、後は瓶にして10本か。余裕じゃな!」


 栓を抜くのも面倒になったのか、アレクは手刀で瓶の上部を切断した。

 なにお前、伝説の空手家?

 その身体のどこに入るんだというペースで飲み干していく。

 この異常な酒への強さはエドガーを彷彿とさせる。


「バカな、こいつの内臓は化け物か!」

「くくく、楽勝楽勝! この程度、いくらでも入るのじゃ!」


 誇示するように酒を呷っていくアレク。

 彼女の怒涛の勢いは、10分以上に渡って続くのだった。





     ◆◆◆





 そして、11分後。



「……う、うぅ」



 アレクは完全に酔い潰れていた。

 泥酔状態で、今にも向こう側の世界へ旅立って行きそうだ。

 しかし、彼女はなおも酒を飲もうとする。


 残りの瓶はたった3本。されど3本。

 よく減らしたなと感心したいが、残った酒の量は多い。

 ここまでデロンデロンになっていては、飲み干すのは不可能だろう。


「もういいって。無理するなよ」

「……約束したことじゃろう」

「別に構いませんよ。お身体をいたわるのが一番かと」


 約束を交わした相手――ウォーキンスもそう言っているのだ。

 そろそろギブアップしても良いと思う。

 しかし、アレクも意固地だった。


「……我輩は約定を違えぬ。一人で飲み切るのじゃ」


 そう言って、アレクは瓶の栓をおぼつかない手つきで抜く。

 普段は自信に満ちあふれ、やたらと騒がしいアレク。

 そんな彼女が、泥酔して弱気になっている姿は、とても新鮮だった。


 しかし、そんなアレクを見て喜べるはずもない。

 ただ酒の恐ろしさを実感するだけである。

 彼女は恨み言を呟きながらも、酒瓶を手にとった。


「……うぅ、酒。酒なんか……」

 

 瓶を無理やり口元に運ぼうとする彼女の手は――震えていた。



「もういい、よこせ」


 俺はアレクの酒瓶をかすめ取った。

 無意識だった。もはや見ていられなかった。

 限界のアレクに代わり、代飲レジスである。


 とはいえ、もちろん俺は酒に関しての耐久力はほとんどない。

 下戸ではないが、致命的な酒癖の悪さを発揮してしまうのだ。

 例を挙げると――


 打率は1割1分7厘。

 本塁打数、貫禄の0。

 逆ゴールデンクラブ賞、ワーストナイン賞をダブル受賞。

 なお故障中。

 

 スター性がないわけではないが、実績は伴わない。

 そんな感じである。


 来年には戦力外通告を受けてそうな俺だが、

 アレクの窮地となれば見過ごすことはできない。

 俺の動きを見て、セフィーナも杯に手を伸ばした。


「……実は、私も飲み足りないと思っていた」


 彼女もこれ以上無理をするアレクを見ていられなかったのだろう。

 飲み足りないからと言って、相手に配慮するその心。

 セフィーナの素直な優しさを感じた気がした。 


 そして、複雑な顔をしていたウォーキンスだが。

 不仲のためか、しばらくはアレクを眺めるのみだった。

 しかし、一つ小さな息を吐くと、彼女は酒瓶に手を添えた。


「私も一本ほど飲みます。

 あ、セフィーナ様。お注ぎ致しますよ」


 いついかなる時でも、ウォーキンスの慈愛は発揮されるな。

 本当に天使のような使用人だ……。


 しかし、気難しいアレクのことだ。

 情けを掛けられたと思って不機嫌になるかもしれない。

 懸念しつつ彼女の方を見ると――


「……にゃむ」


 酒が回ったのか、完全に熟睡していた。

 まあ、限界が近かったし。

 緊張の糸が切れて、眠ってしまったのだろう。


 その寝顔をもう少し眺めた上で、

 マジックペンの餌食にしてやりたいところだったが、

 物事には優先順位というものがある。


 先に残った酒を片付けるとしよう。

 ウォーキンス及びセフィーナと協議した結果、

 一人一本をノルマに飲み切ることになった。


 ――正直言って、非常に怖い状況である。


 エドガーの推薦する酒を選んだのだが、どれがどの酒か忘れてしまったのだ。

 中には匂いを嗅ぐだけで昏倒しそうなのもあったはず。

 違和感を感じたらすぐに廃棄するとしよう。

 嗜好品は身体を壊してまで飲むもんじゃない。


 俺がアレクから奪い取ったのは、小さな瓶に入ったもの。

 ラベルの文字を読んだが、どんな特徴を持っていたかは思い出せない。

 匂いを検分したが、特にキツそうな様子はなかった。

 チラリとセフィーナたちの方を見る。


「……うぅ、発酵酒の芳香が」

「こちらは少し強い果実酒のようですが、

 セフィーナ様の物よりは飲みやすいはずです。お換えいたしますよ」

「……ありがとう、ウォン」


 ふむ。向こうは発酵酒と果実酒か。

 どうやら俺の酒が一番軽いようだな。

 さすがのくじ運、ベストチョイスだ。

 瓶の先にアレクの唾液が付着している点を除けば、特に文句のつけようもない。


 大きめの杯に注ぐと、瓶の中身は空になった。

 見ていろアレク、これが酒の飲み方というものだ。

 プリン体を湯水のように浴びてきた男の酒盛りを目に焼き付けるがいい。

 自分で言うのも何だが、漂わせている頼もしさと悲壮感は、常人と一線を画するはずだ。


 ここは与えられた酒を飲み切って、大人の余裕を見せてやるとしよう。


 これが、かつてビール缶を開けまくり、

 数々の諭吉さんを旅立たせた俺の実力だ。


「――――ッ」


 俺は一気に嚥下しないよう注意しながらも、勢い良く呷った。

 喉奥にドロッとした液体が流れこむ。

 構うことなく飲み込み、杯をドンと置いた。


「ふっ、ざっとこんなもん――」


 その時。

 胃と喉の奥から、じわじわと熱が広がった。

 そう、熱だ。

 ポカポカとしたものではなく、ジクジクと腫れるような――


「――熱ッ」


 全身から汗が噴き出る。

 心地よい熱さは灼炎の熱さへと変わっていく。

 直後、燃えるような痛みと熱さが体内を襲った。



「ぐぉぁああぁああああああああああああああああああ!」



 なんだこれは……なんだこれは……。

 こんなの絶対おかしいよ。


 口から火が出そうなほどの圧倒的熱量。

 凄まじい刺激が口内を暴れまわる。

 とっさに吐き出そうとしたが、食道が痙攣してそれどころではない。



「焼けるぅうう……喉がぁ……喉の中で……煉獄鳥がタップダンスをぉおおおおおおおおお!」



 意味不明な絶叫。

 地面でのたうち回っていると、走馬灯のように光景が浮かんだ。

 エドガーから聞いた話を、今になって思い出したのだ。



『それは業炎茸と呼ばれるキノコからできた酒だ。

 無臭の割に味が強く、痺れるような辛さが癖になる。

 一口飲むだけで、身体が燃えるように熱くなる逸品だ。

 でも、たまに本当に発火する人がいるから、摂取量には気をつけるんだぞ』



 気をつけるんだぞ……つけるんだぞ……だぞ……。

 エコーが掛かったかのように、彼女の声が再生される。


 ありがとう、エドガー神。

 今回は手遅れだったけど、次からはお前の酒談義を聞き逃さないようにするよ。


 霞みゆく視界。

 その端には、悶え苦しむ俺を心配する二人の姿があった。

 向こうの酒を選ぶか、大人しく廃棄処分にしていればよかったな――


 すさまじい後悔とともに、意識を失っていく。

 なんだか眠い……少しだけ、眠るとしよう。

 失神する寸前、俺は酒への抱負を立てたのだった。




 ――未来永劫、禁酒します。




次話→7/31(早まる可能性あり)

ご意見ご感想、お待ちしております。



PS:書籍版ディンの紋章が発売日を迎えたようです。

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