第七話 引き揚げた物は
出港から数時間。
航海に支障はないが、調査には不向きな天候になりつつあった。
早いところ、魔力汚染の原因になっている沈没物を引き上げたいところだ。
ウォーキンスは甲板に行き、船乗りたちに指示の確認をしている。
引き揚げ器具の点検をするつもりなのだろう。
俺はウォーキンスとは反対側の甲板に向かった。
佇んでいるロギーと話をするためだ。
遠い目で海を見つめる彼女に、軽く声をかける。
「よ、さっきは災難だったな」
あわや竜騎士を相手に開戦するところだった。
退散させることができて、非常に満足している。
しかしロギーは、不満気に拳を握りしめていた。
「……不覚だ」
彼女の悔恨が耳朶を打つ。
凛とした雰囲気のせいか、今にも切腹しそうに見えるんだけど。
勘弁してよ、俺介錯とか経験ないよ。
「我が一人であれば、全て海の藻屑にしていたものを」
やっぱり、手を出すのを我慢してたんだな。
船と乗員に、被害が及ぶのを避けるために――
「退けただけじゃ不満なのか?」
「当たり前だ。アケロンの民は一切の侮辱を許さぬ」
そういえば、竜騎士の一人がロギーを蔑むような目で見下ろしてたな。
他種族であることを見破っていたのだろう。
その無遠慮な視線や振る舞いに、ロギーはご立腹のようだ。
「あの竜騎士――ザステバルデといったか。
次に鉢合わせた時は、磯蟹の餌にしてやる」
「……返り討ちにされないようにな」
血気盛んなのはいいが、ムキになるのはご法度だ。
恨み辛みを吹っ切ることも大切だよ。
前世の俺はそのへんを分かってなかったから、
銀玉を食いつくす『玉吸いの箱』の餌食になっていた。
悪魔のゲームだよ、あれは。
希望を見せておいて、結局は損にしかならないなんて。
諭吉をキャラメル一箱に変えられた屈辱を、俺は未だに覚えている。
「ふん、我が負けてたまるか。
高所から他者を見下すことしかできぬ輩めが」
思い出し怒りが頂点に達したのか、ロギーの角が黒い魔力を放っていた。
頼むから、いきなり暗黒光線とか撃ってくるなよ。
彼女の怒りを紛らわすため、俺は話を変えた。
「そういえば、さっき海面を爆発させてたよな。
海中で何をしたら、あんなことになるんだ?」
確か、天を衝くような水柱を作っていたように思う。
海中で炸裂するような魔法なんてあったっけか。
疑問に思っていると、ロギーは背中の得物を取り出した。
「これだ」
十文字の形をした銛。
彼女の額に刻まれた紋章と同じだ。
十文字の先端は鉤爪状になっており、禍々しさを放っていた。
「この銛に魔力を込め、一撃を海底に叩きつけたのだ」
「それであんな爆発が起きるのか……?」
恐ろしやアケロン族。
しかし、あれだけの破壊力だ。
種族としての力だけではない気がする。
少し考えていると、ある結論に行き着いた。
「もしかして、流水刃を使ったのか?」
「りゅうすい……じん?
武器に魔力を集約する程度のことに、わざわざ名前があるのか」
首をひねりつつ、ロギーは呪文を詠唱した。
もう一度、実演してくれるらしい。
彼女の詠唱により、銛が流動性のある水に包まれる。
循環する水の波紋。
外へ滲みだすような波動が、込められた魔力の濃さを物語っていた。
「やっぱり、流水刃だ」
ウォーキンスが手本で見せてくれた技に酷似している。
彼女の流水刃はもう少し穏やかだったが、
ロギーのそれは今にも破裂しそうなほど、水の膨張が見られた。
こんなものを渾身の力で振りぬけば、水柱ができてもおかしくはない。
「当たり前の刃術かと思っていたのだが」
「簡単なのか?」
「我が故郷には、覚えられぬ者も多くいた。
しかし我は、幼少の頃より使えていたはずだ」
なんと、幼い時から修得していたのか。
銛で大岩をくり抜く海の幼女か……怖いな。
しかし、逆に言えば、年若い少女でも扱える可能性が存在するということ。
必ず秘訣があるはずだ。
「それ覚えたいんだけど、何かコツとかあるのか?」
この間から練習しているが、一回も発動に成功しない。
制御できるか以前の問題なのだ。
俺の言葉に対し、ロギーは不思議そうに首を傾げた。
「経験ではないか?
水魔法と刃術を覚える途上で、普通に使えるようになったが」
「……えっ」
意識せずに覚えて、使いこなしていたのか。
どうやら俺とは違い、根っからの天才型のようだな。
こっちは小さい頃からナイフの鍛錬や属性魔法の勉強をしてきたのに。
いざ魔剣刃の魔法を唱えても、全く修得できなかったぞ。
一番得意な属性である、灼炎刃ですら覚えられる気配がない。
「じゃあ、普通の水魔法を使う時と、流水刃を使う時。
何か感覚的な違いで気をつけてることはないか?」
「強いて言うなら……銛を武器だと思わぬことだな」
む、どういう意味だ。
銛は立派な武器だろう。
俺の疑問に、ロギーは丁寧に答えてくれる。
「魔法陣などの例外はあれど――
普通、魔法は身体から発するもの。
流水刃とやらを使う時は、銛と身体を一つの物と考え、魔力を通わせているのだ」
銛と身体を一つの物として考える――か
もしかすると、このイメージはとても大切なんじゃないか?
思えば俺は、ナイフを完全に身体とは別の武具であると認識していた。
しかし、魔剣刃というのはエンチャント魔法の一種。
身体から捻出した魔力を宿すのだ。
拳に超圧縮した魔力を込める、メテオブレイカーのように。
と、なると。
もし武具を身体の一部と考え、
属性に依存した魔力を通せば……?
「――試してみるか」
ナイフを抜き、水魔法の魔素を捻出。
その際、ナイフの柄ではなく、刀身そのものをガッチリと掴んだ。
それを見て、ロギーが俺の手首を掴んだ。
「何をしている。指が飛ぶぞ」
「大丈夫だ。放してくれ」
そう言うと、ロギーはゆっくりと握力を緩めた。
しかし、完全に手をどけてくれるつもりはないらしい。
あくまで試すなら、この状態でやれということか。
何も被虐欲求で刀身を握りしめているわけではない。
こうした方が、ナイフと身体の境界線をなくせる気がするのだ。
握っているナイフそのものが、肉体の一部だというイメージ。
難しいことではない。
身体に魔力を通わせる。
その範囲を少し広げるだけだ。
よし……イメージが固まってきた。
次に、慎重にポーズを決めていく。
幾千幾万と繰り返してきた動作。
簡単なことだ。
精神を統一し、魔力を結集する。
そして、俺はナイフを握りしめ、流水刃の呪文を唱えた。
「巡り渡るは水魔の波動。
流れし雲水、刃を濡らせ――『エンチャントウォーター』ッ!」
詠唱後、数秒の沈黙。
魔力が波のように広がったものの、変化はない。
「……失敗、か」
完全に決まったと思ったのに。
何が悪かったんだ。
息を吐いた途端、頭に刺すような痛みが走った。
「……ッづぁ」
声にならない痛み。
頭骨を無視して、激痛が脳へ侵入してくる。
延髄に灼くような刺激が広がった。
思わず膝をつきそうになるが、ロギーが支えてくれる。
彼女は呆れた顔でたしなめてきた。
「魔力を注ぎすぎだ。量に訴えれば良いというものではない」
「これでも、かなり抑えたつもりなんだけどな……」
しかし、妙だ。
修得すらできていないのに、なぜここまで痛みを感じるのか。
疑問に思っていると、ロギーがあることに気づいた。
「レジス、そのナイフは……」
「ん?」
手元のナイフを確認。
力むあまり手を切ったのか、血が付着していた。
しかし、そんなことはどうでもいい。
それ以上に、俺の目を釘付けにするのは――
「水滴が……ついてる」
ナイフの刃に水が付着し、ポタポタと滴っている。
見れば、甲板の床はわずかに湿っていた。
どうやら完全に失敗したわけではないらしい。
水滴をすくい、ロギーは呟いた。
「どうやら、発動の一歩手前まで来ていたようだな」
なるほど、発動に向けて魔力が消費されてたんだな。
そのせいで反動を喰らったのか。
失敗はしたが、大きな収穫が得られた。
修練さえ積めば、俺でも扱えそうなことが判明したのだ。
「ありがとな。ロギーの助言のおかげだよ」
「別に、我は何もしていない」
ロギーは静かに目を閉じる。
全く表情を変えないからか、近寄りがたいクールさがあるな。
そう思っていると、彼女が俺の頭を撫でてきた。
「しかし、その謝辞は受け取っておこう」
ふむ、これが噂のナデナデ行為か。
この技で港町の子どもたちを骨抜きにしているに違いない。
撫で終えた後、ロギーは紐を取り出して髪を結び始めた。
「陸にいる時って、いつもくくってるのか?」
「然り。揺れて視界に入るのが鬱陶しいのでな」
説明しながら、あっという間にポニーテールを作ってしまった。
なんという手際の良さだ。
と、その時。
船に高波が押し寄せ、少し海水を被ってしまった。
服がずぶ濡れになったかと思ったが、被害は少ない。
安堵した瞬間――右手に耐えがたい痛みが走った。
「ぐぉぁああああああ……そういえば、切ってたんだった!」
誰だ、ナイフの刃を握りしめるなんてバカなことをした奴は。
おかげで傷口に塩が染み込んでしまった。
もう二度と刀身など掴むものか。
俺は転げまわりながら、船室の救急箱を取りに行ったのだった。
◆◆◆
手当を終えた後。
俺は甲板に戻り、またしばらくロギーと話を交わした。
すると、指示の確認を終えたウォーキンスが、俺たちの元へ来た。
俺は彼女に、流水刃をもう少しで発動できそうだったことを告げる。
すると、ウォーキンスは驚きの声を上げた。
「は、早いですね。――刃を肉体の骨と為す。
魔剣刃の極意をもう身につけたのですか」
そんな格言があるなら先に言えと。
まあ、そんな理念を紹介されたところで、何も進歩はなかっただろうけど。
結局は俺の持ってるイメージとは違うみたいだし。
コツを掴むに至ったのは、やっぱり――
「ロギーがヒントをくれたおかげだよ」
「否、我は何もしていないと言っているだろう」
ロギーはむず痒そうに首を振った。
こいつ……誇り高い所がある割に、謙虚さ全開なんだよな。
珍しいやつだ。
俺の説明を受けて、ウォーキンスは満足そうに頷いた。
「そこまで到達すれば、あとは練習の反復で修得が可能になります。
屋敷に戻ったら、また続きをしましょうね」
「ああ、頼む」
着実に、新たな力を身につけようとしている。
拳には属性魔法を纏えない以上、この魔剣刃をものにするしかない。
もし流水刃をマスターした暁には――
見てろよシャンリーズ。
二度とお前には負けんぞ。
不屈の闘志を燃やしながら、ロギーに気になっていたことを尋ねる。
「ところで、まだ目的地には着かないのか?」
「もう少しだ。焦ることはない」
角から光を放ち、ロギーは断言する。
ドラグーンの連中は、沈んでる場所がどこか分からなかったみたいだな。
海の底にある物など、魔力を放っていても探知魔法には引っかかるまい。
それこそ、ロギーのような海に特化した種族がいないと不可能だ。
「――む」
ロギーが眼を細めた。
彼女はある方向をじっと睨みつける。
「どうした?」
「微弱だが、生の魔力が接近しているのを感じる。恐らくは海獣だな」
海獣。
海に生息する魔獣のことだ。
気性が荒いのもいるので、船乗りは最大限の注意を払う。
見つけた時は大砲で退治するのが常である。
無論、海獣に襲われて殉職したり、船を沈められたりすることもある。
ロギーの言うとおり、海はどこまで行っても過酷なのだ。
「目標はこの船か。よかろう、しばし待っていろ」
ロギーは再び髪の紐をほどき、背中に提げている銛を抜いた。
そして惚れ惚れするようなダイビングを敢行。
海中へ潜ると、どこかへ一直線に泳いでいく。
ものの数秒で、彼女は視界から消えてしまった。
「……なんだあの泳ぎ」
「さすがは海の種族ですね」
その辺の回遊魚を置き去りにしそうなスピードだ。
ロギーと海中で鬼ごっこをしたら、ジョーズの気分を満喫できそうだな。
しばらく見ていると、遠く離れた海面が赤く染まった。
え……なにあれは。
ドン引きしていると、海から巨大な蛇が飛び出してきた。
顎から首にかけて、一文字に裂傷が走っている。
「ギ、ギュルリィィイイイイイイイイイイイ!」
けたたましい叫び声。
巨躯から繰り出される魔獣の断末魔は、ひどく耳に障る。
あんなのが突進してきた日には、船底に穴が開きそうだ。
ここで、海獣の声に驚いた船員が檄を飛ばす。
「た、大砲用意!」
「待って下さい。砲弾は邪魔になります」
ウォーキンスが船乗りに指示を出す。
ロギーに任せておけ、ということか。
蛇は首元から大量の血液を迸らせ、空中へ逃れようとする。
だが、その瞬間――
「――『ヘイルスティンガー』」
海中から追撃してきたロギーが、銛を突き刺した。
蛇の喉元を貫き、その一撃は脳天へと達する。
銛はそのまま頭部を貫通し、上空へと舞い上がった。
蛇は完全に動きを止め、水しぶきを上げながら着水。
そのまま海底へと沈んでいく。
ロギーは銛を回収すると、船の方へ戻ってきた。
「瞬殺だな……」
「私もアケロン族の戦いは初めて見ました。
ただ、使用した技は恐らく、流水刃の一種ですね」
海中での強さは本物だな。
しかし、俺としてはむしろ海獣の方に驚いた。
あんな巨大な魔獣が出没したりするのか。
竜などの例外を除けば、大陸には強い魔物はいないのだけれど。
海に漕ぎ出すと、その限りではないということか……?
「ちなみに、ウォーキンスはあの蛇を倒せたか?」
「少し手間がかかりますが、一応は可能です」
「ほう」
少なくとも俺には無理だ。
相手が水中にいる限り、いかなる魔法も通るまい。
雷魔法は拡散して有効打になるか怪しいし。
陸上の魔法使いは非常に難しい戦いを強いられるのだ。
「扱いが難しいのですが、ああいった魔物を水面にあぶり出す水魔法があります。
水中から出てきた所を攻撃すれば、倒せない相手ではありません」
ほぉ……さすがはウォーキンス。
しかし、魔法で海中から引きずり出さなければ、
ウォーキンスほどの魔法師でもロクに戦えないのか。
「もちろん、雷魔法を無差別に撃っていいなら話は別です。
一帯の魔物をまとめて瞬殺できますからね」
「……お、おう」
そんな凶悪な雷魔法を使えるのか。
ロギーは船乗りが投げたロープを掴み、船へ戻ろうとしている。
その様子を見ながら、ウォーキンスは告げてきた。
「しかし、私も水中では詠唱すらままなりません。
海の中で格闘や魔法の戦いができるのは、本当の意味で海の種族だけでしょうね」
つまり、海中でロギーと戦えば、ウォーキンスでも勝てるかは怪しいということか。
やっぱり得意不得意ってのは厳然としてあるんだな。
海に落ちれば、いかなる強者でも餌食になる他はない。
改めてロギーの強さを実感した気がする。
話している内に、彼女が船に上がってきた。
「おつかれ。ロギーが気づかなかったら危なかったよ」
「……あぁ、本当にな」
今度は謙遜しなかった。
それに、ロギーの表情はどこか険しい。
彼女は己が仕留めた海獣を一瞥する。
「あの海獣の名は岩底水蛇。
下手な軍艦なら沈めてしまう強力な魔物だ」
「なっ……そんなのがディン領の海域にいるのか?」
「まさか。いるとしても、人智の及ばぬ大深海のみだ。
こうして船の通る場所に生息しているはずがない」
だとしたら、なぜ――
あまりの深刻さに、思考が混濁しかける。
しかし、落ち着いて考えてみると、すぐに分かった。
「原因は――沈んでる物体か」
「然り。海一帯を汚染する魔力を嗅ぎ取り、
深海から海獣が上って来たのだろう」
おいおい。
ことは魔力中毒だけじゃ済まないぞ。
早くその沈没してる物を引き揚げないと、危険な海獣が寄ってきてしまう。
内心でどよめいていると、ウォーキンスがロギーに声を掛けた。
「沈没物のところまで、まだ着かないのですか?」
「幸いにしてすぐそこだ。じきに見えてくる」
「そうですか、良かったです」
ロギーの言葉を信じ、俺たちはしばらく甲板で待機した。
すると、数十分後。
ロギーが殺気立った様子で呟いた。
「この直下だ。海の嘆きが聞こえてくる」
そう言って、ロギーは再び海へ飛び込んだ。
手はず通り、船乗りが鋼鉄製のカギ爪を海底に下ろしていく。
引き上げるのに必要なのだ。
しかし、よくもまあピンポイントで場所を当てられるな。
試しに探知魔法を使ってみたが、何も引っかからない。
「ウォーキンス、魔力を感じるか?」
「いえ。土中や海底は探知魔法が届きにくいのです。
浅い位置なら余波を感じ取れますが、海底に沈んでいる物は――」
探知不可能、と。
ウォーキンスの話を聞いて、アレクのことを思い出した。
王都で豪傑のドワーフに尾行されていた時、アレクは男のことを看破していた。
しかし、シャンリーズが俺たちの前に現れた時――
アレクは探知魔法を使っていたにも関わらず気づけなかった。
恐らくは、地面に潜っていた深度の違いなのだろう。
「探知魔法も万能じゃないってことだな……」
「はい。海のことはロギーさんにお任せするのが一番でしょう」
ロギーはというと、カギ爪と共に海の底へ潜っていく。
そのまま待つこと数分。
鎖がグイグイと引かれた。
すると、船乗りたちの目が輝く。
「引き揚げよぉし!」
「巻き取り始めッ!」
「慎重にな! 縄を落っことすなよ!」
一丸となって、鎖を巻き取っていく。
沈没している物はかなり重いようだ。
ギシギシと鎖が軋んでいる。
……ちぎれたりしないだろうな。
懸命の引き揚げ作業が続き、ついに大きな影が海面に現れた。
「浮かんでくるぞ!」
「なんだありゃあッ!」
轟き渡る船乗りたちの声。
凄まじく動揺しているようだ。
そう、海の底から浮かんできたのは――
「……竜、か?」
一体の巨竜。
身体は黄金に輝き、鱗の一枚一枚が刃のように尖っていた。
しかし、その肉体は傷だらけで、右の翼が完全に千切れていた。
「……ギ、ギュァ」
と、巨竜がわずかに目を開け、声を発した。
その反応に、船乗りたちがどよめく。
「うわッ! まだ生きてやがる!」
「炎を吐かれるぞ!」
船上がパニックになりかけた。
確かに、その竜が有している魔力は相当なもの。
ここまでピリピリとした威圧感が漂ってくるほどだ。
個体としての強さで言えば、
先ほどの竜騎士が乗っていた竜より遥かに上だろう。
恐れるのも仕方ない。
「――案ずるな」
冷水のような一言。
その声は船乗り達の耳に染み渡り、落ち着きを取り戻させる。
ロギーは竜の背中に立っていた。
船体から伸びた鎖を竜の体にくくりつけ、ガッチリと固定する。
「腹が食い破られている。
先ほどの岩底水蛇に襲われたのだろう」
なるほど。見てみれば、黄金の竜の腹部が大きくえぐられていた。
明らかに致命傷。
もはや助かる見込みはないだろう。
「――衰弱も極まっている。もはや絶命は止められん」
ロギーが言うが早いか、竜はその瞳を閉じた。
すると途端に、竜から魔力が消え失せていった。
まばゆい身体の輝きは収まり、体色が鈍い金色へと変わった。
「息絶えたみたいですね」
魔素の濃度が明らかに低くなっている。
これで、魔力による汚染は収まるだろう。
海底から昇ってくる海獣も激減するはず。
だが、話はそれだけでは終わらない。
「この竜……一体何なんだ?」
魔力の塊と言わんばかりに、膨大な魔素をまとっていた。
ここまでの魔力総量をもつ竜など聞いたことがない。
「この個体、恐らく……」
「知っているのかウォーキンス」
「書物と照らし合わせないと何とも言えませんが、
恐らくはドラグーンキャンプの……」
なるほど。
竜騎士たちも血眼になって探すわけだ。
しかし、ご臨終してしまった以上、見つかるわけにはいかないな。
引き揚げたら既に死ぬ寸前だったと言ったところで、納得してくれるとは思えない。
「とりあえず、一回陸に戻ろうぜ」
「そうですね。このまま曳航していきましょう」
どうも嫌な予感がしてならない。
領内で起きた問題として済めばいいのだが。
ぬるい潮風にあたりながら、俺は黄金竜のことを考えていたのだった。
次話→7/17(※作者の体調不良により、7/18に延期します。申し訳ありません)
ご意見ご感想、お待ちしております。
『ディンの紋章1』の書籍発売まであと10日になりました。
作者の活動報告にて、解禁された特典情報をお知らせしています。