第六話 父親だから
ドラグーンキャンプ。
大陸の南東に位置する平野地帯で、ドラグーン種族の聖地である。
王国とはケプト霊峰を挟んでおり、関係は中立。
ただ、大河を挟んで隣接している連合国とは、極端に仲が悪い。
ほぼ毎年、小規模な軍事衝突や紛争が起きているという話だ。
ドラグーン勢力は連合国の生命線である貿易を、執拗なまでに妨害している。
しかし、連合国もやられっぱなしではない。
ドラグーンの征伐に特化した傭兵団を雇って対抗している。
その名も『竜殺し』。
他種族の完全根絶という、危険思想を持つ集団だ。
また、この大陸には珍しく、連合国の主要戦力は海軍である。
建国時から海戦において圧倒的な強さを持ち、
帝国の大艦隊に対しても無敵を誇っている。
王国にはない、海上での戦力を有しているのだ。
攻めの傭兵団と、守りの海軍。
この二柱で、連合国は独立と自衛を保ってきた。
一方、ドラグーンキャンプだが――
基本的に、連合国以外への侵略は好まない。
現に、王国や帝国から渡航してきた船は、ほとんど襲うことはないのだ。
たまに略奪を働くドラグーンもいるようだが、それは連合国の海軍が追い払っている。
好戦的ではあれど、王国には害をなさない。
それこそが、数百年前から王国貴族に根付いていたイメージだ。
そして、その印象は俺とて例外ではなかった。
だが、しかし――
「まず一つ。貴様らは何者だ?」
甲板に落ちる五つの影。
船乗りたちは空を見上げて硬直していた。
空戦最強の種族が、敵意を持って詰問しているのだ。
歴戦の勇士であっても、震え上がる光景だろう。
しかし、俺としては炎鋼車の方がまだ怖かった。
こいつらの場合、話し合い次第では交戦の回避も見込めるわけで。
臆さず話を振るのが良策だろう。
「ここはディン家の領海――つまりは王国の支配海域だ。
色々引き連れて来てるが、王家に許可は取ったのか?」
「問いを問いで返すなよ、小僧」
髭面の男が、ギロリと睨みつけてくる。
穏やかじゃないな。
返答を焦っているようにも見えた。
竜のブレスを吐かれても困るので、ひとまず返事をする。
「俺の名はレジス・ディン。
王国西部を治める領主の息子だ」
ひとまず名乗りを上げる。
すると男は、一つ頷いて俺の質問に答えてきた。
「王家の許可などいらん。
元よりこの大陸はドラグーンの郷里。
我らが踏み入って、何か問題があるのか」
有無を言わせぬ威圧。
自分の庭を散歩して悪いか、くらいの開き直りである。
ドラグーンキャンプには、考えの硬直化した者がいると聞くが。
この男もその一人なのだろうか。
少し揺さぶって、退却を促してみる。
「お前らは他国に無断で侵入した上、貴族の乗る船を襲撃したことになる。
こんなことをして、王国がどういう対応に出るか分かってるのか?」
ちなみに俺は分かってるぞ。
面倒事を嫌い、ガン無視を貫くことだろう。
『地方貴族が単独で犯したことだ』と言って、
トカゲの尻尾のごとく切り離すに違いない。
なぜならば――
「今の王国は内部が腐敗しているそうだな。
そんな状態で、我らを相手に戦争ができるのか?」
そう、髭面の言う通り。
戦争する余裕なんてどこにもないのである。
帝国の侵略を食い止めるのでいっぱいいっぱい。
ここにドラグーンキャンプへの対処が加われば、確実に容量オーバーだ。
王国が強く出れないのを分かっていて、
この竜騎士たちは横暴を働いているのだろう。
俺の問いかけが気に障ったらしく、
男は脅迫するように告げてきた。
「問いを続ける。
まだ無駄口を叩くのなら、愛竜の灼炎で返事をしてやる」
竜騎士の乗る蒼竜が小さく炎を吐く。
竜にも種類があると聞いたことはあるが……よりにもよって蒼竜か。
動体視力と機動力に優れ、その巨顎から放たれる蒼炎は、熱光線のごとく敵を灼くという。
その上、ドラグーンによって調教済みときた。
霊峰で出くわした竜とは、動きも強さも別物だと考えた方がいい。
なるべく穏便に済ませるため、俺は周囲の人達に小声で呼びかける。
「……ウォーキンス、手を出すなよ」
「……了解しました」
ここは海上。
下手をすれば、船を沈められてお陀仏である。
その前に敵を倒したとしても、船乗りたちが犠牲になる可能性がある。
現時点で反抗するのは、あまり良い手ではない。
「……実力行使は、あくまでも最終手段だ」
それに、奴らを墜落させれば、
ディン家とドラグーン小隊の問題では済まない。
王国とドラグーンキャンプの対立にまで波及する。
それだけは是が非でも避けたい。
船の縁にいるロギーにも、手振りで意思を伝える。
すると、彼女は憮然とした表情で頷いた。
言われるまでもない、ということだろう。
再び頭上を見上げると、
竜騎士は首をひねっていた。
「それにしても、領海……領海ねぇ」
何かを疑問に思ったのか、
男は訝しむような目を向けてくる。
「見たところ漁船のようだが、なぜ貴族が同伴しているのだ?
単なる漁ではあるまいよ」
その一言で、奴らの狙いが見えた。
こいつらは恐らく――何かを探しているのだ。
出会い頭に沈没させようとする強硬姿勢から、
探しものがどれだけ深刻な物であるか察することができる。
本来なら今すぐにでも、船を沈めたいと思っているに違いない。
しかし奴らにとって、俺達の戦力は未知数。
奇襲の一撃を止められて、少なからず動揺しているのだろう。
あるいは、無傷で倒せる相手ではないと悟ったのかも知れない。
だからこそ、問答に切り替えた。
何の目的でここに来ているのか、と。
探している物との関係性を確かめようとしているのだ。
これに対し、
『海に異変が起きたから、その元凶が何か確認しにきた』
と正直に言えばどうなるか。
探し物との関係を疑われ、見事に開戦してしまうだろう。
こちらの意向など完全無視で、死に物狂いで襲って来るに違いない。
となれば、取れる善後策はただ一つ。
上手いこと躱す言い訳を――
「――定期視察だよ」
と、甲板の奥から声が聞こえてきた。
毅然とした声に、堂々とした立ち振る舞い。
甲板に降り立ったのは――シャディベルガだった。
「見ての通り、船乗りたちに同乗して視察をしている。
領主として、領海の漁場と航路は把握しておく必要があるからね。
こうして定期的に海に出ているんだ」
そう言いながら、彼は俺とウォーキンスの前に立つ。
今にも襲いかかってきそうな頭上の外敵に対し、
厳然とした姿勢で立ち向かっていた。
「それに、君たちこそ何のつもりだ。
ドラグーンキャンプの竜騎士が来るという報告は聞いていないが?」
シャディベルガは静かな怒りを燃やし、
竜騎士たちに問いかける。
「ふん……人間が画定した境界線など知った事か。
脆弱な王国の地方貴族ごときが――何を血迷って我らの前に出てきた?」
ギロリ、と竜騎士がシャディベルガに眼光を飛ばした。
従者がいなければロクに威張れない弱者のくせして、と。
竜騎士はそう言いたいのだろう。
しかし、シャディベルガは怯まない。
「――僕は領主だ。
それだけで、僕がここにいる理由としては十分だよ」
顔色一つ変えず、奴らと俺たちの一直線上に立ちふさがる。
奴らの威圧感を前に、まったく怯えた様子はない。
自分では敵わない相手に論戦を挑むのは、
死と隣り合わせの行為であるはず。
しかし、シャディベルガは臆さない。
奴らを立ち退かせるため、
領主として船乗りを守るため、
こうして甲板に出てきたのだ。
「……ふん、青臭い世迷い言だ」
竜騎士は唾を吐いた。
そして、両脇にいた部下に何か指示を出す。
すると、竜騎士たちは上空を旋回し、船上を飛び回った。
何かを確認をしているようだ。
「――――」
指示の伝達の隙を突き、
シャディベルガは少しだけ後ろに下がった。
決して退いたわけではない。
視線と身体は、相変わらず竜騎士に向けている。
彼は俺とウォーキンスの前まで後ずさり、ピタリと足を止めた。
そして――
「……守るから」
ボソリと、決意を告げてきた。
先ほどまでの凛とした声とは正反対のもの。
涙が混じっているようにも感じた。
「君を、レジスを、守る……」
過呼吸に陥っているのだろう。
その声は極限まで張り詰め、震えていた。
しかしそれでも、彼は最後まで言い切った。
「――僕は、父親だから」
父親だから、守る。
父親であるからこそ、血縁者を守ろうとする。
よく、分からない言葉だった。
なぜなら、俺にとって、
前世の俺にとって、父親というのは――
「……シャディベルガ様」
と、ウォーキンスの一言で、意識が回帰する。
彼女の視線を追うと、シャディベルガの身体があった。
ここで、あることに気づく。
――シャディベルガの脚は、震えていた。
人が生命の危機を感じた時の、典型的な反射だった。
やはり、彼は恐怖していたのだ。
殺意を向けてくる竜騎士たちに。
そんな連中に立ち向かうという、緊迫した状況に。
しかし彼は、それを決して顔には出さない。
ギリギリの所で、その怯えを隠している。
ふと、シャディベルガは自分の膝に手をやった。
そしてあろうことか、思い切り爪を突き立てる。
押し込まれた爪は服を破り、皮膚を切り裂く。
「……ッ」
彼の貴族服に薄く血が滲む。
その横顔は、苦悶の表情に満ちていた。
本当は、叫び出したいほど怖いはずなのに。
恐怖を押し殺し、
震えを無理やり止めようとしているのだ。
その壮絶な意志に、俺は思わず声をかけていた。
「……親父」
「大丈夫さ。僕に……任せておいてくれ」
シャディベルガは、乾いた笑みを返してくる。
どう見ても虚勢だ。
彼は大きく息を吐くと、甲板の舳先に歩いて行く。
連中も確認が終わったらしい。
髭面の男を中心に、部下の竜騎士たちが集結していた。
男はひどく苛立っているようだ。
「……チッ、収穫は皆無か。くだらん時間を取った」
どうやら、関係性は見つからなかったようだ。
男はシャディベルガを睨みつける。
「最後の問いだ。
貴様、この海域で魔力を感じなかったか?」
「知らないな。その魔力というのは、僕の視察と関係があるのかい?」
シャディベルガはあえて話に踏み込んだ。
危険な箇所に自分から触れて、
無関係であることを示そうとしている。
「……ほぉ」
男は甲板にいる船乗りを見渡す。
そして次に、俺とウォーキンスに無遠慮な視線を寄越した。
最後にロギーへ唾棄するような目を向ける。
「いいだろう。
我らに歯向かう蛮勇に免じて、
海へ立ち入った非礼、そして蒼炎を放った無礼を詫びてやろう」
髭面の男は嘲笑するように告げてきた。
しかし、シャディベルガは皮肉を取り合わない。
「謝りはいらないよ。一刻も早く立ち去ってくれ」
断固たる返答。
その反応が気に入らなかったのか、竜騎士は片眉を吊り上げる。
しかし、すぐに余裕に満ちた顔に戻り、恭しく槍を収めた。
「我が名はザステバルデ・レイジリッド。
王国と戦になりし時、貴様の頭蓋を踏み砕く戦士の名よ」
そう言って、奴らは空高く上昇しようとする。
さっきの妙な確認は、俺たちが何かを引き揚げてないかチェックしてたのだろう。
そして、これ以上探っても無意味と断定し、去ろうとしているのだ。
「僕はシャディベルガ・ディン。
争いは好まないが、家族や民に手を出すつもりなら――容赦はしない!」
シャディベルガはそう言ってみせた。
ドゥルフに対して、宣戦布告した時のような気迫だ。
渾身の名乗りに対し、髭面の男は鼻で笑った。
「ふん……シャディベルガ、か。
覚えておいてやろう。それでは、さらばだ――」
そう言うと、奴らは蒼竜を旋回させた。
すぐには離れず、船の上を得意気に飛び回る。
ドラグーンなりの挑発なのだろう。
帰るならさっさと帰ればいいのに。
警戒のため、俺は気を抜かず奴らの動向を見守る。
と、その時――
「血戦の呪譜をその身に刻め。
飲み干し嗤うは竜の屠り手――『アウラ・ドラゴンキル』」
ウォーキンスがボソリと呪文を呟いた。
彼女の身体から不思議な魔力が迸る。
魔法を使う予兆や、他者への敵意は感じられない。
……発動に失敗したのか?
珍しいな、彼女の不発は初めて見たかもしれない。
と、思ったその時――
「ガ、ァアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「ギガギュアッ、ァアアアアアアアアアア!」
耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。
上空を見れば、蒼竜が取り乱したように暴れている。
今にも竜騎士を振り落としそうだ。
「な、なんだ!?」
「くそ、怯えてやがる! 静まれ!」
「ダメだ、言うことを聞かねえッ!」
蒼竜は目が血走り、今にも殺されそうな声を出している。
そして全ての力を振り絞り、海の彼方へと消えていった。
あの速度だと、ドラグーンキャンプへと一直線だな。
竜の気配も消え、船上に静けさが戻る。
しばらくした後、ウォーキンスは魔法を解除した。
そして、小鳥のように首を傾げる。
「あれ、もういなくなっちゃいましたか。
竜も早く帰りたかったんでしょうね」
彼女は伸びをして、俺の手を取った。
そして、自覚なさ気に微笑んでくる。
「御者の制止を振り落とそうとするなんて。やっぱり竜は怖いです」
「……あぁ」
本当に、恐ろしいよ。
訓練された蒼竜を魔法一発で混乱させるお前がな。
戦闘にならなかったことに安堵しつつ、内心でウォーキンスに突っ込んだのだった。
◆◆◆
一難去った後。
船乗りたちも落ち着いたところで、調査を再開した。
邪魔者は祖国へ帰ったことだしな。
ゆっくり確実にサルベージさせてもらおう。
先ほどの問答の中で、沈んでいる物の情報が手に入った。
まず、引き揚げたらまず隠せないほどの巨大なもの。
これは船の上を探査していた竜騎士の行動で分かる。
そして、もう一つ。
沈んでいる物は魔力を放っている。
調査書及びロギーの話と符合させてみると、ぴったり合致する。
奴らの探していた沈没物こそ、海を汚し、魔力中毒を発生させた原因なのだ。
このことをロギーに話し、俺は一回船室に戻った。
シャディベルガがダウンしているのだ。
全身から発汗し、顔色は非常に悪い。
応急手当の心得があるウォーキンスが診断した結果――
「これは……過労ですね」
俺でも察せるほどの、見事な疲弊っぷりだった。
先ほどのドラグーンの相手で、全ての体力を使い果たしたのだろう。
彼にしてみれば、濃密で陰鬱な時間だったに違いない。
殺気と敵意が充満した中に立っていたのだ。
心が磨り減るのもやむなしと言えよう。
「すまない……少し休むよ」
「大丈夫、後のことは俺たちとロギーに任せといてくれ」
なにせ、あとはロギーが指し示す地点に向かうだけだ。
引き揚げの方も、一応の手は打ってある。
案ずることなくベッドで横になっていてくれ。
それこそ、就職浪人をしていた、いつかの俺のようにな。
平日の真昼間から寝っ転がって、タ○さんの顔でも拝んでおいてくれ。
どのような人であっても、休息は必要なのだから。
俺が励ましの言葉を掛けていると、シャディベルガは目を腕で抑えながら言った。
「役に立たなくて……ごめん」
「は?」
いきなり何を言い出すんだ。
シャディベルガは傷心気味のようで、申し訳なさそうに声を絞り出した。
「声を、震わせないようにするのが、精一杯で……あれが、僕の限界だったよ」
今にも泣きそうな声。
俺も、前世で何度も経験したことがある。
自分の力が足りないことを、まざまざと見せられる悔しさ。
しかし、前世の俺とシャディベルガは違う。
すぐに首を横に振った。
「何言ってるんだ。
言葉だけで交戦を回避してみせただろうが」
あれは長たる領主がやってこそ意味がある芸当なのだ。
俺が同じことをやっても、開戦記念日を作る結果にしかならないだろう。
シャディベルガ以外にはできない、シャディベルガだからこそできたことである。
「もっと自信を持ってくれよ。俺は昔からずっと――
それこそ生まれた時から、親父をすごいと思ってるんだからさ」
寛容な心。
誰かのために怒れる愛情。
しかし決して押し付けがましいものではなく、
一歩引いた所から優しさを注いでくれる配慮。
そして――父親であるという覚悟。
そんなもの……前世の俺は、
一つも持ち合わせていなかった。
シャディベルガはまさしく、俺の持たないものを持つ男だった。
嫉妬こそすれ、尊敬しないわけないだろうが。
俺の言葉を受けて、シャディベルガは言葉をつまらせた。
ふと、彼の眼にじわりと涙が浮かんだ。
自分でも気づいたのか、シャディベルガはシーツを目深に被った。
そして、ポツリと一言呟く。
「……ありがとう。嬉しい……よ」
平素な言葉。
しかし、シャディベルガの感情が凝縮されているように思えた。
彼の身体が小刻みに震えているのを見て、俺は立ち上がる。
ウォーキンスを伴い、そっと部屋から出た。
少し潮風に当たって来よう。
肩をすくめて、俺たちは甲板へと向かうのだった。
人に見せたくない涙は、一人で流す方がいい。
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