第四話 海の種族
「大量の魚が……変死?」
「ああ、ディン領の海域で被害が出てるみたいなんだ」
俺の問いに、シャディベルガは神妙な顔で答えた。
のっぴきならない事態が起きたのだ。
現在、一階の大広間では会議が開かれている。
俺の正面にはシャディベルガが座り、右にはウォーキンスが立っていた。
議題は、近海における魚の変死について。
連日続いていた不漁の報告が、魚の不審死に変わったのだ。
俺はシャディベルガのまとめた資料に目を通す。
「海上に魚の死体が浮いてて、鮮魚が全く取れない……と」
その上で、海面や水の色に変化はなしか。
妙な話だ。
しかし、船乗りたちにとって大打撃であることは間違いない。
収入源が軒並み死んでしまっているのだ。
これでは商売になるまい。
それに、運良く活魚を水揚げしたとしても、
魚が変死する海で獲れたという話が広がれば、値が下がるのは確実である。
ウォーキンスも報告書に目を通しながら首をひねっていた。
「海流に変化が起きたのでしょうか」
「いや、船乗りの話だと、潮流はいつも通りらしい。
原因は他にあるみたいなんだよ」
潮の流れも正常。
どうやら自然現象が原因ではなさそうだな。
赤潮とかも発生してないみたいだし。
とはいえ、書類から考察するだけでは限界がある。
「最低限、現地の人から詳しく話を聞かないことにはなぁ……」
「そう思って一人呼んでるよ。港の監督をしてくれている女性をね」
「ああ、こないだ言ってたやつか」
連絡がつかないと嘆いていたが、もう呼び寄せたのか。
手際がいいな。
しかし、男だと思っていたのだが、女性だったのか。
少し意外だった。
シャディベルガは小間使いに指示を出す。
「じゃあ、通してくれるかな」
「かしこまりました」
小間使いは一人の人物を案内してきた。
日焼けしており、ほのかに磯の香りがする女性。
藍色のポニーテールが特徴的だ。
見た目は二十代の後半くらいだろうか。
背丈は180センチを超えていた。
エドガーよりも体格がいいな。
いかにも海の仕事人といった出で立ちだ。
背中に巨大な銛をくくりつけている。
また、額には妙な刻印が浮かんでいた。
漆黒の十文字槍を象った印。
少し不気味だった。
左目には真紅の眼帯をつけている。
眼帯の端から、縦一文字の古傷が少し覗いていた。
明らかにカタギではない。
しかし、それ以上に目を引くのは――
「……角、か?」
そう。
両方の側頭部から捻くれた漆黒の角が生えていた。
もはやただの船乗りではない。
というか、人間ですらない。
種族名は分からないが、見た目に圧迫感のある他種族だな。
案内してきた小間使いは、明らかに怯えている。
初めて他種族を見たんだろう。
経験がないと、どうしても異質に映ってしまうのかもしれない。
女性はさっそく椅子に座ろうとしたが、
その前に、ふと俺とウォーキンスに気付いた。
すると彼女は、右足を叩きつけるかのように踏み鳴らす。
そばにいた小間使いが「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。
しかしそれに構うことなく、女性は口を開く。
「我は『海神の抜け殻』出身――ロギー・アケロット。
ロギーと呼んでもらおう」
自己紹介をしてくれるのはありがたい。
しかし、さっきの足踏みは挨拶だったのか。
お辞儀みたいなものなのかね。
てっきり威嚇かと思ったよ。
俺も椅子から立ち上がり、挨拶をしておく。
「俺はレジス・ディン。シャディベルガの息子だ」
「把握。二度と忘れまい」
そう言って、ロギーは腰を下ろした。
俺は先ほど彼女が言ったことを脳内で反芻していた。
海神の抜け殻……か。
この大陸の出じゃないんだな。
確かその島、書物で紹介されていた気がする。
この大陸から遠く離れた海に、人と他種族が共存する島があると。
古い文献だったし、作り話の可能性も考えてたのだが。
実在してたんだな。
「海神が生まれた島だったっけ」
「ほう。この大陸の者が海神を知っているのか」
ロギーは興味深げに訊いてきた。
まあ、書物で読んだ程度だけどな。
海神。
名をヴァルカと言い、
太古の昔に海を支配した神である。
残忍な気性で、縄張り意識が非常に強かった。
故郷の近くを通ろうとした神や精霊を、容赦なく滅ぼしたらしい。
また、海神の率いた軍勢は非常に強力だった。
破竹の勢いで勢力を広げ、一時は世界の海を掌握しかけたそうだ。
しかしその途上。
黎明の五神の一柱である”刃神”に敗れ、
海神の隆盛は終わりを告げた。
海の一族はことごとく討ち死にし、
海の神や精霊のほとんどが滅んでしまった。
故郷にいた戦士がまとめて玉砕し、島には未熟な者だけが残った。
ゆえに――海神の抜け殻。
海の覇者が生まれ、そして死んでいった島である。
このことを話すと、ロギーは深々と頷いた。
「海神伝説まで知っているのか。聡明だな」
「いやいや……書物の内容を覚えてただけだろ」
聡明て。
ストレートに褒められると困惑してしまう。
かつては勉学を忌避していた俺に、そんな賞賛は似合わない。
しかし、ロギーは譲歩しなかった。
「我が『海眼』を侮るな。
知識を語る者が、上っ面か否かくらい察せる」
「そうか……まあ、褒めてくれる分には嬉しいけどさ」
よくわからんが、人を見る目があると自負しているようだ。
せっかくの称賛だ。
素直に受け取っておくか。
ロギーは一つ息を吐くと、
正面に座るシャディベルガに目を向けた。
「この大陸に流れ着いて二十年が経つ。
王国の海には、我が一番詳しかろう」
「ああ。頼りにしてるよ」
シャディベルガはロギーに全幅の信頼を置いているらしい。
いいことだ。
いいことなのだが……どうも会話の雰囲気が堅苦しいな。
ロギーが肩に力の入った話し方をするからだろう。
種族柄なのだろうか。
しかし、他種族という割には、風貌は人間そのものなんだよな。
もちろん、角を除いての話であるが。
気になったので、一つ彼女に尋ねてみる。
「ロギーは混血なのか?」
「いいや、純正の魔族だ」
む、読みを外したか。
てっきりどこかで人間の血が入ってると思ったのだが。
「我が一族――アケロン族は、元より人間に近い容貌を持つ。
間違えても致し方あるまい」
なに、アケロン族だと?
そう言えば……特徴は一致しているな。
非常に危ない種族だと、文献に書いてあった気がする。
確か、海の狂戦士と称される種族だ。
海中では非常に高い戦闘力を有し、
数が集まれば軍艦すらも沈めてしまうとか。
また、頭から生えた黒い角は特殊な感覚を司っている。
魔力を込めれば淡く光り、海の気候を感じ取るという。
居住域は”海神の抜け殻”の近海だけと聞いていたが。
この大陸に流れ着いてきた者がいたなんて。
こんな他種族にも交流を持っているとは、
相変わらずシャディベルガの人脈は侮れんな。
ただ、案内してきた小間使いは、最後まで怯えた様子だった。
極力顔に出さないようにしていたが、両足が震えていたな。
シャディベルガが彼を下がらせると、ロギーは眼を伏せた。
「この大陸では、魔族はひどく嫌われるらしいな」
「まあ、人間至上主義な国しかないからな。仕方ない」
一応フォローしておく。
ロギーの言った『魔族』というのは、人間以外の種族のことを指す。
別に、『他種族』とまったく意味は変わらない。
言ってしまえば、
人間から見ればエルフやドワーフも魔族なわけで。
まあ、基本は学者くらいしか使わない言葉である。
俺も普段は『他種族』って呼ぶしな。
話が落ち着いたところで、
シャディベルガは本題に切り込む。
「今起きている異変については訊いてるかな?」
「一応はな。
しかし知っての通り、我は最近まで外に出ていたのだ。
詳しいことは何も把握していない」
おいおい。
さらっと無知を認めたな。
あまりにも堂々としてるから、そのまま流すところだったよ。
潜在力としては申し分なさそうだが、
今回に限っては人選を間違えたのではなかろうか。
もう少し、事情を知る人を呼ぶべきだったような。
港町で異変を実際に目の当たりにした船員とかさ。
俺の視線に気づいたのか、ロギーは肩をすくめる。
「説明されずとも、何が起きているかなど分かる。
少し待っていろ。今『海耳』で様子を探る」
そう言って、彼女は目を瞑った。
ボソボソと何かを呟く。
すると、ロギーの額に魔力が集まり始めた。
十文字槍の刻印が赤く変色する。
魔力は額から角へと集約され、ぼんやりと発光する。
探知魔法に近い波動が出てるな。
何かを掴んだのか、
一瞬だけロギーの表情が険しくなった。
「――海が、悲鳴を上げている」
その後、しばらくロギーは目を閉じていた。
しかし数分後、角から放出される光が止まった。
それに伴い、ロギーは目を開ける。
「なるほど、魚も死ぬわけだ」
彼女は納得したように頷いた。
まさか、今ので現況を理解したってのか。
シャディベルガも驚いた様子だ。
「様子がわかったのかい?」
「生まれた時より海の声を聞いている。造作もない」
どうやら、陸上にいても海のことを把握できるらしいな。
距離で制限があるんだろうけど、それを差し引いても便利な能力だ。
航海する時に是非とも欲しい人材である。
「海図はあるか」
「これでいいかな?」
シャディベルガは周辺の海図を取り出した。
それを見て、ロギーが筆を取り出す。
そして――ある一点。
ディン領の海域にほど近い沖に丸を付けた。
「此度の異変は、潮の変化でもなければ汚染でもない。
魔の匂いが、聖なる海を穢しているのだ」
断定して、ロギーは立ち上がる。
そしてある一点に目を向け、
俺達の行くべき場所を指し示した。
「――海に出る。実地調査だ」
◆◆◆
ここはディン領の西部。
かつてホルゴス家から譲り受けた領土であり、漁業の盛んな沿岸部である。
その港町の船着場に、俺たちは来ていた。
いつもは賑わっていると聞く漁港。
しかし現在、漁期であるにもかかわらず閑散としていた。
ロギーの話によると、
魚が死んだのは“魔力中毒”が原因らしい。
魔力中毒。
大量の魔力を浴びたことで起きるショック症状だ。
個体差はあるが、身体に溜め込める魔力というのは決まっている。
その限界を超過すると、『反動』に似た現象が起きるのだ。
魔法の鍛錬を積めば限界値が上がるため、苦しむことはまずなくなる。
しかし、ただの魚は魔素に対する抵抗などない。
そのため、海に強い魔法を叩き込んだりすると、魚の変死が起きたりするらしい。
地上戦が主な王国では、あまり知られていない。
俺も魔力中毒については既知だったが、
今回の件とは結び付けられなかった。
しかし、大陸外の海洋国家ではよく見られる現象らしい。
ロギーの見聞に感謝だな。
ひとまず原因が分かってスッキリした。
ただ、この辺り一帯の魚を殺す魔力となると、相当なものである。
海中に広がった魔力の根源は何なのか。
それを突き止めるために、こうして港まで出てきたのだ。
港を歩いていると、通りがかった子供や船乗りが挨拶をしてくる。
「あー! 領主さまだー」
「かたじけねぇ。今日も来てくれたんですかい?」
シャディベルガを慕う領民たちか。
相変わらず彼は民衆との距離が近いな。
ねぎらいの言葉に対し、シャディベルガは爽やかに答えた。
「苦労をかけるね。必ず海を元通りにするから、もう少し待ってくれ」
「頼みます。このままじゃ商売になりませんぜ」
船乗りたちは心配の声を上げつつ、往来の向こうに消えていく。
海鳥の声だけが残った船着場を見て、俺は息を漏らした。
「船……全然動いてないな」
「漁に出ても死骸しか獲れないからね。
ここ数日、船乗りたちは酒場で愚痴をこぼしているよ」
シャディベルガはため息を吐く。
港町が機能してないのはよろしくないな。
なお、ロギーは酒場に行って情報と人手を集めている。
すぐに終わるらしいので、俺たちはここで待機していた。
海を眺めながら待っていると、ウォーキンスが口を開いた。
「ちなみに、シャディベルガ様とロギー様はどのような縁で?」
「今から5年くらい前かな。
海の視察中に海上で浮いている彼女を発見したんだ。
それを引き揚げたのが、最初の出会いだったはずだよ」
なにそのエピソード。
水揚げが出会いになるなんて普通ないよ。
ロギーの正体はイカ娘だとでも言うのか。
シャディベルガの話によると、
ロギーは相当に壮絶な過去を送っていたらしい。
20年前、漂流していたロギーはこの海域に流れ着いた。
これを好機と思ったらしく、彼女はさっそく上陸を試みたそうだ。
しかし、当時の領主は若かりし頃のドゥルフ。
他種族が港に現れたと聞いて、すぐさま討伐隊を差し向けたらしい。
排斥意識の強い、王国貴族らしい対処法だ。
陸上では分が悪いと判断したのだろう。
ロギーは海へ戻った。
それを見て、ドゥルフは追撃指示を出したそうだ。
領海に他種族が居つくのを嫌ったのだろう。
しかし、海中や海上において海の民は最強。
ロギーは私兵を完全に打ち破った。
それを聞いたドゥルフは、討伐を断念。
むしろ、海上の戦力として雇おうと画策したそうだ。
「だけど、ロギーは見ての通りの立ち振る舞いだろう?
ドゥルフに辛辣な言葉を吐いて、完全に決裂したらしくてね」
確かに、あの態度は頭の硬い貴族からは忌み嫌われるだろうな。
寛容なシャディベルガが特殊なだけで、
しきたりにうるさい王国貴族が許すはずもない。
用心棒として引き込むことを諦めたドゥルフは、ロギーの徹底的な迫害を決意。
彼女が陸に上がろうとするたび、執拗に攻撃を重ねたそうだ。
しかし、一つ疑問が出てくるな。
「ところで、なんでロギーはそこまでして上陸しようとしてたんだ?」
ロギーは海の種族。
海中にいた方が快適だろう。
無理を押して大陸に上がる理由がわからない。
返事を期待したのだが、シャディベルガは言葉を濁した。
「いや、実は僕も知らないんだ……」
なんだそりゃ。
まあ、ロギーが話していないんだろうな。
彼女にも彼女なりの思惑があるのだろう。
「でも、彼女は真っ直ぐな戦士だよ。それだけは分かる」
シャディベルガは断言した。
というのも、彼女は昔から人に優しいことで評判だったらしいのだ。
海に転落した船乗りや子供を助けたことは数知れず。
ドゥルフは蛇蝎の如く嫌っていたようだが、
港町の船乗りからは人気が高かったそうだ。
まあ、他種族としての風貌と雰囲気のせいか、
直接に声をかけられたことは皆無らしいが。
しかし、密かに子供たちから憧憬の目を向けられるなど、
この港においてロギーは好意的な目で見られている。
前世で子供を遊戯で負かしてマジ泣きさせ、
通報されていた俺とは雲泥の差である。
いいなぁ。
俺も本当は、幼女と知り合いになって慕われたかったよ……。
結局、できた知人は警察関係者ばっかりだったけど。
まあ、滲み出る下心の差だろう。
「結局、彼女が陸に上がることになるのは、
僕がここの領主になってからだった」
8年前、ホルゴス家が王都での決闘に負け、この地がディン領になった。
その後、領内の視察をしていたシャディベルガは、ロギーと出会った。
連日の嵐で衰弱し、海上に浮かんでいたそうだ。
それを見て、シャディベルガはすぐに彼女を引き上げた。
港町でロギーの治療を施し、
領主として正式に上陸許可を出したのだ。
その際、良ければということで、港の監督役を頼んだらしい。
断られると思っていたらしいが、彼女は快く引き受けてくれたそうだ。
「海に関しては彼女が一番良く知ってるからね。
こうして港の監督役を務めてもらってるんだ」
「なるほど……天職なのは間違いないな」
海を知り尽くした種族に、港を任せる。
これ以上の適材適所はあるまい。
頷いていると、酒場からロギーが出てきた。
後ろには、壮年の船乗りが何人か付いて来ている。
「待たせた。出発するぞ」
どうやら情報と人手が集まったらしい。
ロギーは海上を飛ぶ鳥を見て、静かに呟いた。
「風が強くなる。迅速に出港した方が良かろう」
「分かった。ディン家で保有している船を出すよ」
既に用意していたのだろう。
それらしき船が船着場に止まっていた。
中規模の帆船だ。
船員を除いて20人くらいは乗れそうだな。
船体を眺めていると、ウォーキンスが感慨深く呟いた。
「船に乗るのは久しぶりですねー」
「最後に乗ったのはいつなんだ?」
「400年くらい前だったような気がします」
桁がおかしいぞ桁が。
というか、アレクと知り合いだってことを認めてから、
年齢系の質問に寛容になってきたな。
これが開き直りというやつか。
「レジス様はこれが初めてですよね?」
「ああ、そうだな」
正真正銘、これが最初の船出である。
前世ではフェリーなんて乗り物もあったけど。
海と沈没が怖くて一回も乗船したことはない。
俺、ウォーキンス、シャディベルガ、ロギー。
そして船乗りたちが乗り込み、出港の準備が整った。
「じゃあ、海図の目印に向かおう」
「――出港だ」
ロギーの重々しい一言で、船が動き出す。
目指すは領海の異変を引き起こした魔力の源だ。
果たして、何が流れ着いたのか。
何が沈んでいるのか。
そして、なぜこんなにも嫌な予感がするのか。
戦々恐々としていた俺だったが、
3つめの疑問については、わずか数分後に解決した。
「……うぇっぷ」
こみ上げてきたのは、強烈な不快感。
自分の弱点を、完全に失念していた。
目的地へ着くのが先か。
はたまた俺の嘔吐が先か。
今ここに――船酔いとの壮絶な戦いが幕を開けた。
次話→7/11
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