第二話 ひとまずの調停
アレクから話を聞き、俺は屋敷へと戻った。
あの後も少し話したが、やはりウォーキンスとは会いたくないらしい。
ただ、いきなり殴りかからないように、とは伝えておいた。
俺は屋敷の門をくぐりながら、状況を整理する。
アレクとウォーキンスは確実に接点があった。
それも、険悪な方向性で。
いつ亀裂が入ったのか、その時期は分からない。
ただ、アレクはウォーキンスのことを警戒していた。
まるで、大陸の四賢であるシャンリーズを見た時のように。
アレクにとってウォーキンスが警戒の対象であるならば。
ウォーキンスにとって、アレクは何なんだろう。
「……聞いてみるか」
俺の知らないところでギスギスされても困るしな。
首を突っ込む気はないが、事情くらいは把握しておきたい。
ただ、ウォーキンスから話を聞くにしても、問題がある。
秘密主義を徹底している彼女のことだ。
簡単に過去を話してくれるとは思えない。
が、何かしらの情報はつかみたいところだ。
屋敷に入り、2階をチラリと見る。
小間使いが執務室にお茶を運んでいた。
どうやらシャディベルガは帰っているようだな。
はて、そう言えば。彼に関することで何か忘れているような。
思い出そうとしていると、背後から声をかけられた。
「お帰りなさいませ、レジス様」
ウォーキンスだ。相変わらず人の後ろを取るのが好きだな。
ひとまず挨拶を返す。
「ん、ただいま」
ウォーキンスは両手に工具を持っていた。
手を保護するためか、両手に純白の手袋を装着している。
ほぅ……給仕服に白手袋か。
ときめくものがあるな。
「どうかさないました?」
「いや、なんでもない」
彼女の左手には大きな鉄板。
そして右手には大きな鎖が握られている。
ずいぶんと大仰な工具だが、いったい何に使うのだろうか。
「お帰りをお待ちしていたのです。これで作業ができますね」
そう言うと、ウォーキンスは玄関の扉を完全に閉めた。
さらに扉へ肉厚の鉄板を立てかける。
手でしっかりと固定したかと思えば、彼女は魔力を送り込んだ。
厚い鉄板が変形し、扉にピタリと癒着した。
ウォーキンスは試しにノブをいじるが、扉は全く開かない。
「ふぅ。封鎖完了です」
なるほど、バリケードを作っていたのか。
鉄板なんか担いじゃって、どこのトリッキーな武器使いだよと思ってたけど。
外と内を遮断するためなら仕方ないな。
……仕方ないか?
なぜ使用人が家の出入り口を封鎖してるんだ。
家を劇的にリフォームして、要塞へと変えるつもりじゃないだろうな。
「なにしてるんだ?」
「あ、不便ですよね。申し訳ありません、後ほど戻しますので。
セフィーナ様の指示を受けて、出入口を固めているのです」
その一言で、封鎖の意図を理解した。
同時にシャディベルガ関連のことも芋づる式に思い出す。
やったね、モヤモヤが一気に解決したよ。
「……こうして、しっかりと窓に鎖を」
ウォーキンスは丁寧に錠をかけていく。
うむ、殊勝な心がけだ。
鍵は厳重にかけないとな。
やっぱりチェーンが最強だ。
自転車もそうだよ。
二重ロックしてなきゃ防犯性なんてないに等しい。
備え付けの鍵など、ビニール傘の部品で簡単にこじ開けられてしまう。
手頃な石で叩けば壊れるのがほとんどだしな。
前世でも何度チャリの盗難に遭ったことか。
一度だけ、サドルの代わりにブロッコリーが刺さってたこともあったっけ。
あの時は怒りよりも先に笑いがこみ上げてきたな。
廊下の窓にも鎖をかけ終え、ウォーキンスは息を吐いた。
「さて、これにて完了です。今やこの屋敷内は陸の孤島!
私が魔法を解除しない限り、一切の出入りはできません」
あらやだ、なんて素敵物件。
名探偵を放り込めば、血の祭典が幕を開けそうだ。
作業を終了したところで、俺はウォーキンスに声をかける。
「ところで、母さんは今何をしてるんだ?」
「部屋でお休みになっています」
ふむ。
俺は内心で胸をなでおろした。
先ほどのアレクの一件が心労になってないか心配だったのだけど。
あまり気にしていないようだ。
ただ、ウォーキンスが何事もなく仕事に戻ってるのが妙に感じた。
一歩間違えればアレクと殺し合いになっていたのだ。
もう少し警戒した様子を見せてもいいはず。
「さっきのこと、気にしてないのか?」
「特には。よくあることです」
いや、絶対ないだろ。
しかしこの態度でよく分かった。
先ほどの一件を完全に流そうとしている。
追及を避けようとしているのだ。
いきなり核心を突くのは上策ではないな。
外堀の質問から埋めていくとしよう。
「そういえばさっき、変な所から剣を取り出してたよな。
あれって何の魔法なんだ?」
アレクに襲撃を受けた時。
ウォーキンスは妙な魔法を使っていた。
空中に手をかざし、空間を歪めたのだ。
そして歪みに手を突っ込み、大剣を取り出していた。
魔獣討伐の際に使っている、彼女自慢の愛剣を――
「あー……とっさに使っちゃってましたか」
どうやら、その魔法を発動したのは想定外だったようだ。
アレクを退けることで頭がいっぱいになっていたのかもしれない。
「先ほど使ったのは次元魔法ですね」
次元魔法?
聞いたことないな。
古代魔法の一種……というわけでもなさそうだが。
「魔力で構築した空間に物を出し入れする魔法です。
あまり大きな物は入れられませんが、武器の貯蔵に重宝しますよ」
なるほど。
ウォーキンスは普段、大剣を携行していない。
しかし戦闘時、彼女はいつの間にか剣を握っている。
どうやってるのか疑問に思ってたけど、魔法で取り出してたんだな。
「ちなみにそれって、俺にも使える?」
「不可能です」
ですよねー。
風、水などの五行魔法すらまともに使いこなせていないのに。
そんな特殊極まったものを修得できるはずがない。
さて、緊張もほぐれてきた。
そろそろ聞いてみるか。
ずっと気になっていた本命の疑問を――
「あと、もう一ついいか?」
「なんでしょう」
「アレクとウォーキンスって、どういう関係なん――」
その瞬間。
ウォーキンスの様子が変わった。
まず感じたのは、魔力の変動。
ウォーキンスの纏う魔素がおぞましいものへと変貌する。
針で刺されるような圧迫感。
何度か感じたことがある――ウォーキンスの『無言の警告』だ。
肌がひりつき、防衛本能が悲鳴を上げる。
「――――」
見れば、ウォーキンスは静かに俺の顔を覗きこんでいた。
いつも通り、柔和な表情をしている。
だが、彼女の瞳の色は、いつもの銀色ではなかった。
赤と金色を綯い交ぜにしたような、禍々しい色。
警戒色極まりない色彩だった。
「…………ッ」
その瞳は――
身体から溢れだす魔力は――
明らかに忠告してきていた。
『命が大事なら、余計なことを聞くな』と。
危機本能へ突き刺さる脅しのようにも思えた。
「――なあ」
しかし、俺は怯まなかった。
無礼を承知で、禁断の一線を超える。
ウォーキンスなら、きっと答えてくれるはず。
その信頼が、俺の迷いを打ち消した。
「アレクとウォーキンスって、どういう関係なんだ?」
今度は言い切った。
以前までなら諦めていた所から、一歩進んだ。
彼女の秘匿する領域へ踏み込んだのだ。
「アレクとは初対面じゃないよな?
いくら凶暴だからと言って、
アレクはいきなり襲いかかったりはしない」
何かあったはずなんだ。
アレクとお前の間にな。
見つめ合ったまま硬直して、どれだけの時間が経っただろうか。
ウォーキンスは俺から視線を外し、小さくため息を吐いた。
「……ふぅ」
困ったように微笑み、頬をかく。
ごまかしによる言論封鎖を諦めたのだろう。
ウォーキンスは纏う魔力から圧迫感を消した。
瞳の色も美しい銀へと戻る。
その上で、彼女は大仰に肩をすくめた。
「それを訊いてしまいますか。レジス様」
「ああ。たとえ答えてもらえなくても。
この件に関してだけは――お前に訊き続ける」
彼女だけの過去なら詮索もすまい。
しかし、アレクと決定的な亀裂が走っているのなら話は別だ。
知らないところで戦いが始まっても困る。
それに、一番の理由としては――
「他ならぬウォーキンスに関わることなんだからな。やっぱり気になるよ」
「やはり、私ごときが欺ける御仁ではありませんね」
そう呟いて、ウォーキンスは苦笑する。
どうやら質問をかわすことは諦めたようだ。
彼女は口に指を当てて、ウインクしてきた。
他言無用ですよ、という意味だろう。
「そうですね。
仰るとおり、英雄アレクサンディアとは少し縁がありました。
できればお会いしたくなかったのですが、ままならないものですね」
ようやくアレクと関係があることを認めたな。
俺が興味を持つ素振りを示したからだろう。
彼女は釘を刺すように言ってきた。
「しかし、本音を言わせて頂けるのでしたら――あまり話したくないです。
私の昔についても、アレクサンディア様についても」
「そうか……」
まあ、それは分かっていた。
今までの避け方から、十分にな。
ただ、俺としては知りたいことがあるのだ。
「一つ、確認させてくれるか?」
「何でしょう」
「ウォーキンスはアレクをどう思ってるんだ?」
すると、彼女は顎に手を当て難しそうな顔をする。
しかし、率直な感情をそのまま答えてくれた。
「――憎い、ですね」
その一言は、妙に力強かったように思う。
アレクのことを思い出したのか、彼女は胸に手を当てて言った。
「彼女が先に謝ってきても、私は許せそうにありません。
絶対に――何があろうとも」
とても、遠い目だった。
悠久の時が経てど、決して埋まらぬ両者の確執。
思ったより、溝は深いってことか。
どうしたものか。
仲良くしようぜなんて言っても、
『知ったふうな口を利くな!』と言われておしまいだろう。
誰だって、距離を置きたい輩がいるものだ。
安易に介入すべきではない。
「ウォーキンスの目にはどう映ってるのか分からないけど。
――アレクは良い奴だよ」
「存じております」
ウォーキンスは即座に頷く。
しかし認めた割には、少し悔しそうな様子だった。
「大陸の四賢は――良い人ばかりでした」
俺としては、無条件で良い奴だとは思えないけどな。
特にシャンリーズだ。
あいつが『良い人』かと訊かれたら、俺は全力で首を横に振るぞ。
ウォーキンスは虚空を見上げて肩をすくめる。
そして、自嘲的に呟いた。
「悪いのはただ一人。
主人に嘘を吐いてまで秘密を隠そうとする――不忠な使用人だけです」
「こら」
俺はウォーキンスの肩に手を当てた。
今の言葉は、聞き捨てならなかった。
「秘密くらい、誰だって持ってるだろ」
今の今まで、俺は一回も返答を強制したことはない。
促すことはするが、最後は本人に決定を任せている。
かつて俺自身が、それで苦しい思いをしたからな。
無理に答えろなんて口が裂けても言えない。
「隠したからって、それを責めたりなんかしないよ」
墓場まで持っていきたい隠し事。
そのくらい、前世の俺にだって腐るほどあった。
妹モノのゲームが見つかることを、
俺は常に恐れていたのだ。
まかり間違って親類に見つかったら――そう思うと寒気と震えが止まらなかった。
しかしある日。
無気力な俺を見かねた親戚が、性根を叩き直すと言って驚きの行動に出た。
俺が必死の思いで集めたコレクションを、見つけ出して捨てようとしたのだ。
なんたる愚行。
なんたる冒涜。
俺は命を賭してガサ入れに抵抗した。
その甲斐あってか、見つかったのは異種交配モノだけにとどまった。
致命的な妹モノは隠し通すことができたのだ。
誰が見ても疑いようのない、完全勝利である。
ちなみその一件以降、親戚一同からの風評が完全に死んだ。
なんでや……そんなに軽侮される性癖でもないだろ。
と泣きそうになったのを覚えている。
と、まあ。
一つや二つ、話したくないことがあるものだ。
そんなことで負い目を感じることはない。
「それに、不忠だなんて――自分を卑下するなよ。
俺はウォーキンスのことを、万能で誠実なハイパー使用人だと思ってるんだからさ」
謙遜も行き過ぎれば卑屈だ。
ウォーキンスを不忠者だなんて誰が思うものか。
俺の言葉を受けて、ウォーキンスは静かに訊いてきた。
「私は、お役に立てていますか?」
「当たり前だろ。言うまでもない」
この身体の根幹には、ウォーキンスの教えが根付いている。
ナイフの戦闘術。魔法の基礎。
これらが下敷きとなって、アレクの鍛錬で開花した。
ウォーキンスの修行がなければ、とっくに野垂れ死んでいただろう。
「いつもありがとう、ウォーキンス」
精一杯、彼女に微笑みかける。
すると、ウォーキンスは歯切れ悪く頷いた。
ずいぶんと反応が鈍いな。
一瞬不安になったが、ウォーキンスはポツリと呟いた。
「ありがとう、ございます」
「……ど、どうした?」
いきなり感謝されても困るぞ。
むしろ礼を言うのは俺の方だろうに。
ウォーキンスは湿っぽく、噛みしめるように言ってきた。
「こんなに救われた気持ちになったのは、初めてです」
俺は特に何もしていない気がするのだけれど。
まあ、ウォーキンスが喜んでくれるならそれでいい。
「――レジス様」
と、ウォーキンスは神妙な顔で言ってきた。
俺の手をそっと取ると、約束するように握ってくる。
「いつか、必ずお話いたします」
何を、とは聞かなかった。
言うまでもない。
彼女が隠している秘密のことだ。
ウォーキンスは不安そうな声で訊いてきた。
「その日が来るまで、待って頂けるでしょうか」
「可能な限りな」
ここで『もちろん』と言えない自分が恨めしい。
しかし、これは仕方ないと思う。
俺は一番大切なことを、まだ彼女に尋ねられていないのだから。
彼女の正体について。
そして――ある邪悪なる存在との関係について。
この疑問が残る以上、俺はきっと訊き続けるのだろう。
しかし、今はまだその時ではない。
ここで尋ねてしまうと、取り返しの付かないことになる気がしたのだ。
まあ、焦ることはない。
ウォーキンスだって、悪気があって秘匿しているわけじゃないだろうし。
彼女から話してくれる時を待つとしよう。
今回の所は、ひとまずここを落とし所にする。
アレクとの関係を、認めてくれただけでも収穫だ。
ウォーキンスの反応を窺いながら、
俺はそう結論づけたのだった。
◆◆◆
俺とウォーキンスが話を終えた直後。
応接室から誰かが出てきた。
「ふぅ、これは再視察が必要だなぁ……」
シャディベルガだ。
お疲れのようで、充実感に溢れた伸びをしていた。
と、それを見たウォーキンスは鮮やかに手を叩く。
パンッ、と軽快な音が広間に響き渡った。
すると――
「……シャディ」
セフィーナが部屋から出てきた。
彼女は階段を降り、シャディベルガに声を掛ける。
その時、俺の目にすごいものが映った。
シャディベルガの位置からは確認できないだろうが。
セフィーナは後ろ手に、ある物を持っていた。
それを見て、俺はこっそり玄関の端に退避する。
君子は危険な所に近づかない。
少し疲れを覚えているようで、
シャディベルガは眠そうな顔で答えた。
「ん、どうしたんだ? セフィーナ」
「……これ」
そう言って、セフィーナは右手に持っている物を提示した。
桃色の表紙。
あられもない少女が戯画化されて表紙に描かれている。
どう見ても例のブツである。
「……まだ持ってたんだ」
セフィーナは淡々と呟く。
シャディベルガの顔がひきつった。
「いや、はは……前に捨て忘れたのが残ってたみたいだ」
前世の俺みたいな言い訳をしている。
なぜか涙が出てきそうになった。
冷や汗をかく夫に対し、セフィーナは無言。
彼女は自室の前に歩いて行き、扉を開けた。
――雪崩のごとく本が溢れだしてきた。
いずれもピンク色の装丁をしている。
よくぞ集めたなと感心する冊数だ。
崩れ落ちた本を見下ろし、セフィーナが尋ねた。
「……これも全部捨て忘れてたの?」
シャディベルガの眼が死んだ。
よもや探し当てられるとは思わなかったらしいな。
しかし熟練の発掘マスター・ウォーキンスの眼は欺けなかったみたいだ。
「いや、それは――」
「……捨て忘れてた、って言ったよね?」
一切の感情を言葉に乗せないセフィーナが恐ろしい。
いい年をしたおっさんと、俺と同い年くらいにしか見えない少女。
しかし、どちらが優位に立っているのかは火を見るより明らかだった。
「……シャディ、嘘ついた」
そう言って、セフィーナは左手に持っているものを構えた。
手錠である。
錠を回して閉める古いタイプだな。
生命の危機を感じたのだろう。
シャディベルガは全力で階段を駆け下りた。
「なんでバレたんだぁああああああああああ!」
さぞかし自信のある所に隠してたんだろうな。
しかし見つかった今、仕置きは避けられない。
セフィーナは回復しているため、折檻内容も激化するはず。
だからこそ、シャディベルガは逃走を選んだのだろう。
ほとぼりが覚めるまで、身を隠すために。
彼は俺達のいる玄関方面へ一直線へ向かってきた。
扉を開けて外に出ようとする。
しかし――
「あ、開かない! なんでだ!?」
渾身の力を込めているが、扉はピクリとも動かない。
「扉も閉まりたい年頃なんですよ、きっと」
ウォーキンスが笑顔で答えた。
主犯はこいつなんだよなぁ。
そのための工具、そのための封鎖か。
シャディベルガは慌てて他の脱出経路を探す。
と、セフィーナがゆっくりと階段を降りてきた。
「……どうして逃げるの?」
首を傾げてシャディベルガに訊く。
無表情って怖いんだな。
この歳になって初めて実感したよ。
「くっ、こうなれば窓から――」
シャディベルガは廊下の窓に手を伸ばした。
しかし、ジャランという音とともに阻まれる。
「……じゃらん?」
シャディベルガの眼が驚愕に見開かれる。
窓枠が鎖によって完全に固定されていた。
彼はウォーキンスに非難の目を向ける。
「は、図ったなウォーキンス!」
「さて、何のことでしょう」
ウォーキンスは微笑みで応えた。
しかし、シャディベルガも諦めない。
「くっ……最後の手段だ」
彼は反転して階段へ向かおうとした。
2階から逃げるつもりだったのだろう。
セフィーナの横をすり抜けようとした瞬間――
「……捕まえた」
ガチャン、と絶望的な音がした。
いつの間にか、シャディベルガの背後にセフィーナが回りこんでいた。
階段に視線を誘導させて、一気に踏み込む足捌き。
病み上がりとはいえ、武人としての動きを感じさせた。
そういえば、セフィーナは大病を患うまで王国有数の戦士だったんだっけ。
危険を感じた王都貴族が、徒党を組んで潰しにかかった程に――
まあ、シャディべルガが横をすり抜けるのは無理だろうな。
「……2階、行きたいの? いいよ」
「ど、どちらかと言うと外に行きたいかな」
「……それはダメ」
ズルズルと、セフィーナはシャディベルガを引きずっていく。
階段を登り、自分の部屋へ向かっている。
俺の眼には、セフィーナの部屋が地獄の釜にしか見えなかった。
「う、うわぁああああああああああああああああああああああ!」
絶叫するシャディベルガ。
しかし、俺はそこでセフィーナに声を掛けた。
貴重な書物が失われるのを、指を咥えて見ているつもりはない。
それに、前々から思っていたことを、伝えようと思ったのだ。
「まあ待てよ、母さん」
俺の言葉に、セフィーナが足を止める。
彼女はゆっくりと振り向き、こちらを注視してきた。
「……どうしたの?」
「親父も男なんだし。
本の100冊や200冊くらい、持ってて当たり前だろ」
ちょっと冊数がおかしい気がしないでもない。
でも、本は冊数じゃないからね。
かつて電脳世界で、春本ソムリエの名を取った俺が言うんだから間違いない。
持っているのであれば、1冊も1000冊も変わりはせん。
「……でも」
「親父は15年間、ずっと我慢してたんだぞ?」
正直、この言葉を口にするかは迷った。
しかし、婉曲的な表現では伝わらない。
今回は桃色の本を愛する同士として、
シャディベルガに助太刀しようじゃないか。
「……我慢?」
「ああ、そうだ。
だけど当然、他の女性に目を移すなんてのは言語道断。
そうなったら、本に頼るのも仕方ないだろ」
これが妾を囲う貴族だったら、問題にもならなかった。
しかし、シャディベルガという男は根本からして違う。
正真正銘、セフィーナ一筋なのだ。
他の女性に手を出すことは絶対にしない。
だからこそ、それが災いして本の収集癖に目覚めたのだろう。
シャディベルガ……愛に生き、悲しみを背負う男よ。
と、まあ。
真面目な話、欲求の矛先がどこにも向けられないのは辛いわけで。
それを本で解決できてるなら、問題ないと思うわけで。
それなのに本の処分なんかしたら、
逆に他のところで問題が起きる可能性もあるわけで。
このことを話すと、セフィーナは静かに俯いた。
何か納得することがあったようだ。
彼女はシャディベルガを解放する。
「……シャディ」
彼女は本をいそいそとまとめていく。
一箇所に集め終わると、再びシャディベルガの前に立つ。
そして、非常に申し訳なさそうに呟いた。
「……ごめんなさい。
私、シャディが我慢してるなんて……思わなかった」
「いや、別に気にしてないよ」
いきなりの詫び入れに、シャディベルガも困惑している。
しかし、セフィーナも気づいてくれたようだ。
桃色の本を滅することが、いかに愚かしいかを。
元春本ソムリエとしては、涙なしでは見られない回心だった。
セフィーナはそっとシャディベルガの裾をつかむ。
手錠を解除するのだろうか。
そう思った刹那――セフィーナが彼の耳元で囁いた。
「……でも、これからは本も必要ないから」
「「えっ」」
俺とシャディベルガが同時に声を発した。
セフィーナは彼を再び引きずっていく。
2階にある己の部屋へと――
「……まだ夜も更けてないけど、いいよね」
「え……いや、ちょっと……うわぁああああああああああああ」
断末魔の叫びを上げつつ、シャディベルガは部屋へと吸い込まれていった。
そして扉が閉まる寸前、セフィーナがひょこっと顔を出した。
階下にいるウォーキンスに声をかける。
「……ウォン」
「なんでしょう」
セフィーナは少しだけ逡巡する。
しかし、チラリと部屋の中を振り返り、一つ頷いた。
「……やっぱり、本は許せない」
「では、どうなさいます?」
今までの経験だと、確実に焼却処分が待っている。
惜しいな……助けようとしたのだが、力及ばずか。
しかし、セフィーナは言った。
「……後でシャディと話しあうから、置いておいて」
おお。
頭ごなしに処分するのはやめたようだ。
俺の説得が功を奏したのかもしれない。
ウォーキンスは恭しく一礼し、妖しく微笑んだ。
「かしこまりました。
では、ごゆっくりどうぞ――」
「……っ、うん」
セフィーナの顔がボッと赤面した。
無表情フェイスが常な彼女にしては珍しい。
セフィーナはいそいそと扉を閉めた。
そこからしばらくは叫び声が聞こえてきていたが、
20分もしない内に屋敷は静寂を取り戻した。
一体何どんなことをしたら、あんな絶叫が出るんだ。
辟易しつつ、俺は二人の仲の良さを実感したのだった。
この日は色々とあったが、なんとか切り抜けられた。
どんな魔物よりも、人と人との関係が一番脅威だな。
そう思う一日だった。
しかし、平穏は長く続かない。
領地が広がれば、それだけ問題も起きるわけで――
翌日。
領内で異変が起きているとの知らせが入ったのだった。
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