第九話 渡さない
血の凍るようなシャディベルガの折檻。
それから数週間経った今日。
唐突だが、このディン家に妙な話が持ちかけられている。
俺が呑気に寝ていると、小間使いに招集をかけられた。
正直、朝は辛い。
とは言うものの、緊急招集ならば仕方がないな。
何とか眠さを我慢して起きてきた。
そこから始まったシャディベルガの説明。
長々としたご高説が繰り広げられる。
それを一通り聞いた所で、俺は簡潔に聞き返した。
「引き抜き? ウォーキンスを?」
居間には俺の他に、シャディベルガとウォーキンスがいる。
神妙な顔をしたシャディベルガは、手を震えさせながら紅茶をすすっていた。
ウォーキンスは困惑したような表情をしている。
「うん。ここから川を隔てた所に、
ホルゴスという貴族が本拠を構えていてね。
この辺りの有力貴族なんだけど。
そこの当主であるドゥルフの使者が、今朝やって来たんだ」
「ウォーキンスをよこせ、って言ってきたのか」
「まあ、そういうことになる」
「うーん……私を欲しがる理由なんてあるんでしょうかね」
首を傾げるウォーキンス。
本当に分かっていないのか?
俺は下卑た人間だから、すぐに見当がついたぞ。
「魔法だろうな。あと容姿」
「そうだろうね。
ウォーキンスが魔法を使えることは、極力表に出さないようにしてる。
僕もなるべく外には漏らさないよう、必至に努めてるんだけどね。
近隣にはやっぱ伝わっちゃうよ。ホルゴス家の領地は隣だし」
「やっぱり、山賊の討伐を頻繁にやり過ぎちゃいましたかね……」
溜め息をつきながら、ウォーキンスはうなだれた。
別に落ち込む必要はないと思うんだけど。
この辺りの治安が何とか保たれてるのは、彼女のおかげなんだから。
俺がフォローするように続ける。
「親父の言う通りなんだけどさ。
多分ホルゴスはウォーキンスが可愛いから招こうとしてるんだと思う」
「えへへ、私は可憐ですからね。仕方ないですよ」
「自分で言うかお前」
「え……レジス様は私のことが嫌いなのですか?」
ウォーキンスが目を潤ませて俺を見てくる。
ええい、鬱陶しい。
本気に取るな。
しかも内心で絶対からかおうとしてるだろ。
「そんなわけあるか。
でもさ、俺達の一存でこの件を決定するのは間違いじゃないか?」
「というと?」
「いや、ウォーキンスを雇ってるのは母さんなんだろ?
だったら母さんに指示を仰がないと」
「ああ、既に聞いてみたよ。
だけど、僕とレジスに任せるって言って寝ちゃったから」
「適当だなおい」
まあ、俺達を信頼して任せてくれるのだろう。
だったら期待に応えないとな。
苦渋に満ちた顔をするシャディベルガに、今朝の行動を訊いていく。
「で、親父は何て返答したんだ?」
「ああ、返事を待ってもらったよ。
そしたら使者が不愉快そうな顔をしてね。
一週間後にまた来るから、答えを決めておけってさ」
「横柄な物言いだな」
「仕方ないよ。僕達ディン家はこの王国内でも下級貴族。
それに比べて、西部一帯を治めてるホルゴス家は強力な統治者だからね。
もう僕が承諾すると思って話を進めてるはずだよ」
「……はぁ。だからって弱腰外交じゃダメだろ」
相手は大貴族なのか。
なるほど。崩壊した貴族と落ち目の貴族がくっついたディン家。
そんな没落貴族とは、格からして違うと。
でもなシャディベルガ、媚びたら負けなんだよ。
他国にヘコヘコ頭下げちゃうと、問答無用で領土を切り取られる。
多少不利になるとしても、交渉は強気に行くべきなんだ。
「それで? 親父は何て回答するつもりなんだ」
「いやぁ……そういうレジスはどう思ってる?」
「渡すわけ無いだろ。要求を突っぱねてやれ」
「でも、西部の貴族を敵に回すことになっちゃうぞ。
周りの貴族が恐れちゃって、支援を貰いにくくなっちゃうし」
「もともと雀の涙なんだろ?
それよりも、政務を全てこなすウォーキンスを失う方が失策だと思うけど」
俺の意見を聞いて、シャディベルガも考えこむ。
苦労に苦労を重ねている人なのに。
これ以上悩ませたらシャレじゃ無くハゲるかも知れん。
シャディベルガは咳を一つして、質問の矛先をウォーキンスに変えた。
「ウォーキンスはどう感じてる?」
「もちろん、ディン家から離れたくないですよ。
奥様との約束ですしね。それに――」
「ん?」
ウォーキンスが頬を赤らめて俺を見てくる。
何だ、俺の顔に蝿でもついてるか。
いきなりスパーンと叩かれたりしないだろうな。
溜めるようにうつむくウォーキンスは、力を込めて前を向いた。
「レジス様が渡したくないと言ってるのですから……。
私は絶対にレジス様の側にいます!」
その言葉を聞いたシャディベルガは、決心したように目を見開いた。
力強く拳を握り締める。
「うん、そうだよね。よし分かった、僕が責任をもって断ろう!」
「おお、優柔不断な親父が覚醒した」
「見直したかレジス!」
「おお、親父がハゲても一生尊敬するぜっ」
「ハゲることを前提にするなボケェ!」
シャディベルガは涙目で否定する。
気にしているのだろうか。
確かに、少し髪質が細くなったように感じるもんな。
領主は大変だということか。
「こんなことを真面目に悩んだ僕がバカだったよ!
やめやめ、さあ意見もまとまった所で祝杯をあげよう!」
はっはっは、と笑うシャディベルガ。
その目は確実に死んでいた。
周りの弱小貴族からの支援打ち切り。
それが目に見えているので、ヤケになっているのだろう。
でも、大きい所を敵に回すのなら仕方ない。
宿命だ。
「さあレジス、お前も飲もう!」
「俺はまだ七歳なんだが」
今ひとつ締まらない親父だった。
◆◆◆
翌週。返事を約束した日。
小間使いが階段を転がり落ちてきたのが、一日の始まりだった。
二十人の使節団を率いて、ある人物がやってきたのだと言う。
「ホ、ホルゴス家の当主であるドゥルフ殿が、直々にやって参りました!」
「なんだって!?」
ここは会見の間。
報告を聞いて、目を見開いたシャディベルガは同じく椅子から転げ落ちる。
同時に、俺も驚きを隠せなかった。
この辺りの有力貴族様が、自ら足を運ぶ?
己より下の位置にいる貴族に対して。
ずいぶんな姿勢だな。それだけ本気ってことか。
意表を突かれたシャディベルガは、ガチガチと歯を震わせていた。
顔も真っ青。
うーむ、ブルーオーシャン。
「親父。流石にうろたえすぎだろ。
使者を相手にする時はいっつもそうなのか?」
「し、使者なんて久しぶりだからね。
それに、いつもなら隣にセフィーナがいて助言をくれたから」
「……情けない領主様だな」
嫁がいないと精神不安定ってどんな貴族だよ。
私兵団が見たら泣くぞ。
でも、こんな雑事のためにセフィーナを病床から起こすのも馬鹿らしい。
ゆっくり療養していて欲しいからな。
何とかここは俺とシャディベルガとウォーキンスで切り抜けないと。
「レジス様、私を守ってくださいねっ」
ウォーキンスが俺の裾をちょいちょい引っ張ってくる。
半分面白がってるだろ、こいつ。
「なあウォーキンス。ホルゴスってどんな貴族なんだ?」
「え、えっとですね――」
ウォーキンスの話だと、ホルゴスという家はかなりの古株らしい。
この王国が建国された時には、もう西部の覇権を握っていたとか。
王国で最大の金の埋蔵量を誇る金山を持っていて、資源も豊富。
ただ、やることが外道じみている。
得意技は荷留と暗殺。
敵が現れると、問答無用で周りごと潰しに掛かってくる。
そんな行動とは裏腹に、王国上層部への上納金はたっぷり収めているそうで。
潔癖症の役人でも、メスをいれることが出来ない一家なのだとか。
潤沢な財源を基礎とした力は強く、領地はこのディン家のなんと二十倍。
数十年掛けて、無理やり周りの家から奪い取ったらしい。
そりゃあ、底辺貴族も怖れるはずだ。
気に入らない名家があると、密かに暗殺者で消す。
少しでも不興を買った貴族には、経済封鎖で破滅に追いこむ。
そんな手口で、周辺から令嬢とかを娶ってウハウハしてる貴族。
なるほど、シャディベルガが警戒したのも頷けるな。
まさに外道。凄まじい独裁っぷりだ。
『汚物は焼却だー!』って叫んで、火炎放射器を撒き散らしてそうだな。
ぜひ無惨な末路をたどって欲しい。
それに――
「……誰がウォーキンスを渡すかよ」
「え? 今なんて言いました?」
「いや、何でもない」
こいつをどこぞの馬の骨とも知れん輩にやれるか。
お父さんは許さんぞ。
こいつはディン家の専属使用人だ。
悔しかったら正当な手口を使って養成してみろよ。
無駄に金はあるんだろ。
冷や汗を流す小間使いが、コソコソとシャディベルガに耳打ちする。
「ホルゴス家の方が、入って来られました」
「分かった、じゃあ君は下がっていてくれ」
「はい」
人払いを済ませると、部屋全体が緊張に包まれた。
本来なら私兵団の一人でも側に置いておくのが普通だ。
使者が剣を持っているケースなんて多分ない。
だけど、もし使者が襲ってきた時、主人を守る人が必要なのだ。
その役はウォーキンスがこの場にいるので不要だけど。
万能使用人、さすがです。
しばらくすると、二人の配下を連れて誰かが入ってきた。
締まりのない身体。
贅肉にまみれている。豚としか言いようがない。
ライターで炙ったら三日三晩は燃えていそうだ。
顔は深いシワと汚いシミが刻まれており、見ているだけで不快になる。
いかにも好色家って感じだ。
「わしはホルゴス家当主――ドゥルフ・ザジム・ホルゴス。
貴家当主・シャディベルガ殿から、先週の返事を受け取りに参った」
ザジムというのは、高位貴族に付けられた名だったはず。
もちろんディン家である俺達の名前に、そんなものは付随していない。
こいつ、予想通り最初からこっちを見下してきてるな。
脂ぎった身体を揺らすドゥルフ。
そんな彼に対し、シャディベルガはにこやかに応対する。
「遠路はるばる、よく来て下さいましたね」
「世辞は結構。わしは答えを聞きに来ただけだ」
「ああ、その件ですが――」
「もし断れば、嘆かわしいがこの王国から一つの名家が消えてしまうだろう。
心して答えよ。――応か、否か」
ギロリ、とシャディベルガを睨みつけてくる肉ダルマ。
転がって突進攻撃でも仕掛けてきそうだな。
奴は俺の隣に座るウォーキンスを見て、不躾に舌をべろりと出した。
「……やはり、いいモノだな」
豚めが。
欲望をよくそこまで丸出しに出来るものだ。
気色悪さが倍増したぞ。
威圧感を振りまく大豚……!
他方、俺の左隣には怯えた父上殿が……!
いや、震え上がるなよ。
まず落ち着け。
いやいや、何いきなりカップに手を伸ばしてるんだよ
水飲んでも一緒だから。変わんないから。
シャディベルガがテンパりかけているので、こっそり耳打ちする。
(……親父、代わろうか?)
(馬鹿言え、一応僕が当主なんだぞ)
(こんな奴、親父自ら相手にするに値しない。
ここは息子である俺に代弁させとけよ)
(行けるのか? 穏便にだぞ?)
(任せとけって)
シャディベルガの了承を取って、俺はすっと手を上げた。
一応シャディベルガは、俺の内面が異常に成熟していることは知っている。
そのため俺に助言を求めたり、仕事を任せたりすることもしばしばあった。
だからといって、こんな存亡の危機を一任するのは不安なのだろう。
仕方がないな。
俺がその不安を払拭してやらないと。
コホン、と咳を一つして、俺は話し始める。
「父上は喉を痛めていて辛いらしい。俺が代わりに返事を返そう」
そう言うと、肉だるまことドゥルフは俺に視線を写した。
そして俺の容姿をひとしきり眺める。
足先まで睨めつけると、ドゥルフは豚のように鼻を鳴らした。
そして、爆笑。
「ふ、ふはははははははははははッ!
堕ちたものだな、このディン家も。
こんな年端もいかぬ子息に任せっきりとは」
「そうだよなー、俺もそう思う。
でもしょうがないよ、これが時代の流れなんだから」
無駄に頷いてみせる俺。
シャディベルガの眉がひくひくと動いている。
青筋もうっすら浮かんでいた。
目の前で侮辱されたのが腹立たしいようだ。
まあ、もう少し我慢しててくれ。
「く、くくく。いいぞ、わしは寛容だ少年。
それで? ウォーキンス殿を渡してくれるかね?」
満足層に首肯する大豚。
それに対して、俺も「えへっ」と笑い返した。
スマイルスマイル。
さて、焦らすのも飽きたし。
そろそろお返事させていただこうかな。
声を出しかけた瞬間。
シャディベルガがヒソヒソと話しかけてきた。
酷く慌てている。
(いいか、レジスっ! 穏便に、当たり障りなくだぞ!)
(分かってるよしつこいな。まあ見とけよ)
シャディベルガを半ば強引に引き剥がした。
目の前のドゥルフは満足そうに目を細めている。
そんな彼に、俺はにっこりと微笑みながら、返事を返した。
「――消えろ豚野郎。去勢するぞ」