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プロローグ

 

 今思えば、ゴミのような人生だった。

 切にそう感じる。

 もしやり直せるのなら、前の時点からリスタートしたい。

 具体的に言えば、十秒前。

 その時間からやり直させてくれ。

 だって、もし十秒前にさえ戻れれば、俺は死ななくて済むのだから――



  


 周りから悲鳴が上がる。

 救急車を呼べと叫び散らす男もいる。

 だけど、一番多い掛け声は『大丈夫か』だった。


 いや、大丈夫じゃないだろ。

 鉄骨の下敷きになって、どうして生きていられるんだ。

 テレビのリポーターが鉄骨に敷かれながら、

 「これはいい重圧ですね。うん、内蔵破裂」

 なんて和やかに実況してるか?

 してないだろ。

 つまりそれが答えだ。


 かろうじて見える視覚は、どんどん狭まっていく。

 身体が冷たくなっていく感覚。

 親父を介して手に入れた中小企業の名刺は、俺の体液でレッドカードになっていた。

 と言ってもこの場合、退場するのは俺なんだろうけど。


 土方さんによって放たれた鉄骨スパイクが俺に直撃。

 なのに、俺だけが一発退場。

 理不尽にも程があるだろ。

 こんなことなら、クリスマスの夜に外へ出なければよかった。

 そしてそれ以上に、『何か職に就こう』なんて、思いつかなければよかった――

 

 




 俺はとにかく何も出来ない人間だった。

 取り柄といえば、少し痛みに強いということくらい。

 二十五年生きてきて、良いことなんて一つもなかった。


 俺の青春時代を漢字二文字で的確に表すと――そうだな。

 『無惨』、だろうか。

 とりわけ部活に熱心というわけではなかった。

 かと言って、勉強も出来る方ではない。

 そんな俺に友達なんて出来るものか。

 彼女なんて空想上の何かだと思っていた。


 典型的なダメ人間だ。

 人生終了ルートに入ってしまったのは、いつからなのだろうか。

 大学入試の前日に、インフルエンザに冒されたあの時か。

 俺の悪い学力でも、何とか受かるはずだった大学。


 激しい関節痛と頭痛を我慢して、何とか校門前までは行った。

 だが、いかんせん顔色がバイオハザードだった。

 光の早さで病院に搬送されたことを、今でも覚えている。

 そして追試。

 俺に残された最後のチャンス。


 その前日――俺はノロウイルスで倒れた。

 牡蠣が悪かった。

 それ以上に俺がバカだった。


 家族内パーティーを盛り上げたかったからと言って、

 加熱用牡蠣を生で食べた俺は一体何がしたかったのか。

 結局妹はドン引きだったし。

 だけど、まさかこんな重病に掛かるとは思わないだろ。


 結果から言って、俺は青春への登竜門――大学を受けられなかった。

 その時だったか。

 俺の中にある緊張感がプツリと切れ、自堕落な生活になっていったのは。


 無生産な短期バイトをするフリーター。

 そりゃあ親類とも疎遠になる。

 言うまでもなく、両親からはとっくに見限られていた。


「お前、本当に俺の息子か?」


 あのセリフを言われた時、何も言い返せなかった。

 だって無職。いい年して。

 感情に任せて暴れてやろうかと思ったが、そんな勇気もない。

 自室で膝を丸めて一晩中泣いていた。

 もう誰も俺に味方なんてしてくれない。


 だけど――妹だけは違った。

 俺とは似ても似つかない、よく出来た妹。

 あいつだけは、落ちぶれた俺を最後まで気にかけてくれた。


 いつぞや両親が、俺を家から叩き出すという計画を打ち出したそうな。

 その時、親父達を説得して阻止してくれたのも妹だった。


 何も出来ない、無能な馬鹿。

 だけど、せめてあいつの前では一人の兄貴でいたかった。

 わがまま過ぎる自尊心だ。

 でも、それでも。これだけは俺の偽らざる本心だった。


 そんな折、妹が結婚するという一報が入った。

 相手は大学時代から仲の良かった新米医師。

 数年の付き合いの末、ついにゴールインするのだそうな。


 寂しい反面、喜んで送り出してやりたい気持ちになった。

 兄貴として、妹の幸せを祝いたい。

 だから俺は、数年ぶりにあの男と口を利いた。

 難しい顔で新聞を読んでいた親父に、仕事の斡旋を頼んだのだ。


 どの面下げてそれを言う、と本気で怒られた。

 酒瓶を頭に投げられ、出血する始末だ。

 でも、俺は諦めなかった。


 もともと痛みには強い方なのだ。

 骨が折れた所で、眉一つ動かさない自信がある。

 親父の目の前に腰を下ろし、数時間粘り続けた。

 こっちも意地だった。


 その結果、親父から一つの名刺を渡された。

 聞いたこともない企業で、検索をかけても会社名くらいしか分からない。

 風の噂なのだが。

 そこは『治験』という営業をしているのだと聞いた。


 しかし、噂話で分かった情報はそこまで。

 実際に何をやっているかは不明瞭。

 怪しい匂いがラフレシア状態である。


 だけど、金がもらえるのならそれでいい。

 妹のために何かをしてやれるのなら――

 全てのことはどうでも良く思えた。



 そして――全国的にクリスマスの今日。

 俺は久しぶりに外出した。

 企業の場所は、町外れの雑居ビル。

 そこへ向かって一直線に歩いて行った。


 あちこちで身体を寄せ合う男女。

 対照的に、挙動不審な状態でうろつく俺。

 きっと、怪しいブローカーにしか見えなかったことだろう。


 工事中のビルの前を、通過しようとする。

 その時、前方からカップルが歩いてきた。

 一個のマフラーを仲良く首に巻き付けている。

 不意に邪魔してやりたい衝動に駆られた。


 でも、違うだろう。

 今日の本懐はそんなことじゃない。

 妹の顔を思い出すだけで、無限の力が湧いてくる。

 俺はカップルから大きく逸れて、ビルに沿って歩いた。


 今なら、どんな痛みにも耐えられそうだ。

 矢でも鉄砲でも持って来いやジェネシス。

 そんな思いすらあった。


 すると神の悪戯か、はたまた悪魔の所業か。

 足元に大きな影が出来た。

 空に船でも浮遊しているのだろうか。


 そう思って上を見た瞬間――

 視界が真っ赤に染まった。

 

 

 



 身体が壊れた人形みたいになっている。

 痛い。痛い。

 何だよこれ。

 痛いのは大丈夫だけど、この流れ出る血は何だよ。


 死ぬだろ、こんなの。

 確かに、いつ死んでもいいやとか思ってたけど。

 それは今じゃないだろ。


 頼むから少し待ってくれ。

 せめて妹の結婚式にだけは――

 あいつを祝う場にくらいは出席させてくれよ。

 俺が勝手なことをして生きてきてたから、天罰が下ったのか?


 神の裁きか。

 大いなる神の怒りか。

 ここに至ってしまった今、もうどっちでも関係ない。


 だったらな神様。

 もうやり直したいなんて言わない。

 思っても言わない。


 だから、せめて妹だけは――

 あいつだけは幸せにしてやってくれよ。

 じゃないと俺が浮かばれない。


 あと、出来るなら。

 可能なら、一つだけ頼まれてくれ。


 妹の幸せを祝ってやれないバカな俺なんだ。

 せめて、来世でくらい、誰かを幸せにしてやれるチャンスをくれよ。


 もう怠惰な生き方なんてしない。

 全力で生きる。

 自分ができることは全てやる。

 だから、だからだから――



「……もう一度、人生を歩ませてくれ」



 赤色灯が辺りに立ち込める。

 うるさいサイレンの音が耳に響き渡った。

 ああ、こんな俺のために救助が来てくれたのか。

 仕事とはいえ、見ず知らずの他人を救う。

 それは、何よりも素晴らしいことに思える。


 もし次があるなら、誰かに愛される人間になりたい。

 そして誰かを救える人間になりたい。


 一際大きな血の塊を吐き、俺の全てが終わる。

 命が消え行く。

 その最後の最後で。

 俺は声にもならない渇望を口にしていた。

 



 ――あと、一度だけ。新しい人生を。

 

 



 

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