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短編

フレースヴェルグの巣

作者: かふぇいん

 何万羽もの鳥の羽音のようだ。そんなわけはないのに、キャノピーを染み通る音は一対の鉄の翼すら容易く呑むような、そんな怪物を予感させた。救難信号の発信地点までは、直線で100キロほどか。このまま行けば、10分もしないうちに辿りつくことになるだろう。普段の航路ならばそうだ。

 眼の前の空が壁のように歪んで見える。空を覆う巨大な災害。大風壁「フレースヴェルグの巣」。地表から空まで、常に風が渦巻くそれは、人が空に出てからというものいくつもの航空機乗りを呑みこんできた。死体を喰う嵐の巨鳥、その巣と名指されたその現象は、今や子供ですら知っている恐ろしいもののひとつだ。否、現象というにはあまりにそれは大き過ぎた。なにしろ、止んだことが無いのだ、その風は。

「こちら『リディル』、これより「巣」の暴風圏に入る。オーバー」

 無線に向かってそう告げ、遥か下を見やる。風壁の下の方は白く霞んでいる。雲でも霞みでもない。暴風に巻き上げられた海が、巣に砕けているのだ。海の時代も空の時代も、「巣」は避けるべきものであって、向かうものではなかった。

 なのに、そんな者に惹きつけられる奴というのはいつの時代もいるのだ。それが、今回、弱々しくもその中から発信を送った、友人だった、と言うだけだ。

《こちら、『グリトニル』、オーバーっつったって誰が応答するんだ、馬鹿。死ぬ気か、『リディル』。オーバー》

 不意の無線に、驚いて言葉に詰まる。

「独り言だよ、『グリトニル』。連絡所に人がいるとは思わなかった。オーバー」

《いるわけねぇだろ、俺だって休暇中だ。更新記録に遺言残すような奴がいるから、旧友のよしみで来てやったんだよ。――悪いことは言わん、戻れ。オーバー》

「ネガティブ。もう嵐の中だ、出られない。オーバー」

 真剣な声に、笑って返し、揺れる機体を風の濁流に乗せる。こんな高さにまで、巻き上げられた海水が霧雨のようにキャノピーを叩く。もう、この先にすすめば、操縦などほとんど意味がない。木の葉のように中で踊るだけだ。

《通信が切れる前に、言いたいこと言っとけ。お前だけだぞ、『フロッティ』が生きてると思ってんのは。お前も、奴と同じように巨鳥の餌になるだけさ。オーバー》

「信号が出たら助けに行くのが、おれらの仕事だろう『グリトニル』。オーバー」

《死体拾いに行くのは違うだろう。どうしてそこまでやる必要があったんだ。まさかお前まで古代文明だの、神の遺産だのと言うんじゃねぇだろうな。オーバー?》

「フレースヴェルグの卵なんて、あいつか子供くらいしか信じちゃないさ」

 嵐を越えた先の神の遺産など、辿りつけなかった不帰たちと、残されたものへの慰めだ。死ねば天国があると思うようなものだ。誰もが痛苦の先には救いを求めるから。

「ただ、人の夢を馬鹿にして、喧嘩別れもないな、と思ったんだ。そんなもんさ、理由なんて。オーバー」

 嵐を止める古代の機械も嵐に閉じ込められた楽園も、否定は容易いが無いと証明もできないだろう。この嵐の何千倍も小さな口諍いの、最後の言葉はそれだった。

《罪悪感で死んでちゃ世話ねぇぞ。まぁ、お前が生きてて信号送ろうと、こっちにはもう送る機体がないからな。頼むから、悲鳴はあげないでくれ。……ノイズが酷いな、そろそろか。せめて、その先に楽園があるように。あばよ、『リディル』。オーバー》

「風が止んだら自力で帰るさ。悪いな『グリトニル』。――アウト」

 無線を切り、口を閉じた。舌を噛んで死ぬのも馬鹿げているし、辞世の詩も思いつかなかったからだ。機体がたてる、鈍い軋みと悲鳴のような高いエオルス音。


風の歌に、巨鳥の囀りを聞きながら、眼前の光景はただ白くかき消えていった。


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