ショートショート「手のひらサイズの絶望」
私が「それ」を拾ったのは、雨上がりの公園だった。
ベンチの下に、小さな透明な球体が転がっていた。ビー玉ほどの大きさで、中に何か景色のようなものが見えた。手に取ると、妙に冷たく、ずっしりと重かった。見た目の軽さとは裏腹に、まるで鉛のような重さだった。
覗き込むと、そこには街があった。
見知らぬ街。だが、不思議とどこかで見たことがあるような既視感。高層ビルが立ち並び、その間を無数の車が走っている。人々が歩道を行き交い、公園では子供が遊んび、頭に丸い被り物をして世界の終わりとか掲げてるでも団体も居たりした。
ただ、すべてが止まっていた。
車も、人も、噴水の水さえも、空中で静止している。時間が凍りついたような世界。
家に持ち帰り、デスクライトの下で観察した。
しばらく見ていると、気づいた。世界は動き始めていた、そしてだんだんと早く動き出す。ただ、最初は、とてつもなく遅く。五分見続けて、ようやく一人の男が横断歩道渡りきったぐらいだった。一日経ってやっと普通のリアルタイム映像みたいになった。
球体の中では、時間の流れが違うらしい。私の一日が、あと数日も立てましたあちらでは何年にもなるのかもしれない。
私はその世界を、毎日観察するようになった。
球体の中の人々は、普通に生きていた。働き、笑い、恋をし、子供を産み、老いていく。私が見ている数週間で、彼らは何十年も生きている。ある男の人生を追いかけた。若者だった彼が結婚し、子供ができ、中年になり、白髪が増えながらも幸せそうだった。
私は神のような視点で、彼らを何処からでも見下ろせた。だが、何もしてやれることはなかった。ただ見ているだけ。
二ヶ月が経った頃、変化が始まった。
街のあちこちで、人々がさらに集まるようになった。広場でデモも起きた。最初は平和的だった。人々は手を繋ぎ、歌を歌って、何かを訴えている様子だった。
だが、一週間後──私の時間で──様相が変わった。
機動隊が現れた。衝突が起きた。煙が上がった。人々が倒れた。恐怖した人立ちが顔を真っ青にして逃げる、デモの一員だった一人が絶望の顔で上を見る様子もあった、私の方が見えると錯覚さえしてしまった。
街が二つに分かれていった。旗の色が違う。掲げるスローガンが違う。憎しみが、目に見えて広がっていった。
彼らの声が聞こえず、時間の流れも早すぎる中、私はなぜこの世界がこの境地に至ったのか理解できていなかった。
三ヶ月目。
戦争が始まった。
最初は局地的だった。ある地区とある地区の争い。だがすぐに拡大した、各国で起こった。街全体が戦場になった。建物が崩れ、道路が破壊され、公園は瓦礫の山になった。
私が追いかけていた男も、戦場に駆り出された。彼は銃を持ち、塹壕に身を潜めていた。家族と離れ離れになった彼の顔には、もう笑顔はなかった。
四ヶ月目。
戦線はさらに拡大していた。球体の中の世界全体──私が観察できる範囲だけでも、数十のなも知らぬ都市が炎に包まれていた。夜になると、世界中が赤く染まる、それが私の机の上では蛍のような小さな光。
燃える都市の光。彼が前線にいる間、彼の家は燃えていた、残った娘が一人外で泣いていた。
私は眠れなくなった。
球体を机の上に置いたまま、ただ見続けた。見たくない、しかし見なければ、という強迫観念があった。彼らの最期を、誰かが見届けなければならないと思った。
五ヶ月目のある夜。
それは起きた。
午前二時。私は球体を覗き込んでいた。
彼を探していた、まだ生きてて欲しかった。
空に、光の筋が現れた。
一本ではない。数十本。数百本。それらは美しい放物線を描いて、世界中の都市に降り注いだ。
私は息を呑んだ。
核ミサイルだ。
最初の着弾。
閃光が世界を真っ白に染めた。それから、巨大なきのこ雲がゆっくりと立ち上った。街が一瞬で消えた。そこにいた何百万という人々が、光に変わった。
それに連鎖し、次の着弾。また次の。
世界中で、同時に。
調整されたように、完璧なタイミングで。
まるで、誰かが計画した終末のように。
私は手が震えた。球体を落としそうになった。
惑星が燃えていた。大気が赤く染まり、海が沸騰し、大地が裂けた。
私が追いかけていた男も、彼の家族も、残った娘もどうなったかわからない、もう見えなかった、見られなかった。光に飲み込まれて、消えた。
数時間後──私の時間で──すべては終わっていた。
球体の中は、灰色の霧に包まれていた。建物も、森も、海も、すべて消えていた。ただ、死の灰だけが、永遠に舞い続けているように見えた。
私は球体を両手で包んだ。
温かかった。いや、熱かった。まるで、中の熱が伝わってくるように。
手のひらに乗るほど小さな世界で、何十億という命が消えた。彼らの愛も、憎しみも、夢も、絶望も、すべて。
一週間、私は球体を見続けた。
灰は少しずつ晴れていった。そこには何もなかった。荒れ果てた地表。割れた大地。黒く染まった海。
生命の気配は、まったくなかった。
私は疲れ果てていた。
もう、見たくなくなった。この絶望を、これ以上抱えていたくなかった。
球体を持って公園へ向かった。元の場所に戻そう。そして、忘れよう。
秋の午後だった。あの日と同じように、雨上がりの公園。枯れ葉が濡れた地面に張り付いている。
ベンチに座り、手のひらに球体を乗せた。
中の世界は、まだ死んでいた。何も動かない。ただ、灰色の荒野が広がっているだけ。
そのとき、手のひらで何かが砕ける音がした。
パキリ、と。小さく、脆い音。
球体に、亀裂が入っていた。
そして、ゆっくりと、崩れていった。
破片は風に吹かれて粉になり、空気に溶けて消えた。手のひらには何も残らなかった。温もりさえも。
私は空っぽの手のひらを見つめた。
さっきまで、そこに世界があった。何十億という命があった。歴史があった。文明があった。
今は、何もない。何も痕跡もなくなった。結局彼の声すらも私は知らない部外者だった。
私は立ち上がり、ベンチを離れた。
足取りは重かった。胸の奥に、何か重いものが沈んでいた。しかし、それでまた何かが無くなった空白感と虚しさもあったかも知れない。
公園の出口に向かって歩いていると、若いカップルが私とすれ違った。
男が女に話しかけている。
「そういえばさ、前にこの公園でビー玉拾ったんだよね」
私は足を止めた。
「え、ビー玉?」女が笑った。
「うん。透明なやつ。中に何か見えるんだよ」
背筋が凍った。
「最初はなんか見た事もない文字がそこら中うに書いていた普通の街だったんだけどさ。毎日見てたら、だんだん変になってきて」
「変って?」
「わかんない、デモとか起こったり、いつの間にか争いが始まって。で、これ高く売れるかなーって色々持って行ってたらなんか気づいたら灰になっててさー、まじ高い箱買って保存したの損だわー」
男は楽しそうに話している。まるで、映画の話をしているように。
「怖い、何?宇宙人?」女が肩をすくめた。
「でも面白かったよ。なんか変な夢見てる気分だった。あれ、なんだったんだろうね」
二人は笑いながら、私の横を通り過ぎていった。
私は呆然と立ち尽くした。
この球体を拾った人間が、他にも、いたのか。
そして、彼らが持っていたのも──終わる世界だったのか。
誰かの手のひらに乗る世界って、なんだよそれ。彼はなんだったんだよ。
ふと、空を見上げた。
雲が流れている。秋の空。高く、青い。
そして、雲の合間に、何かが見えた。
目があった。
「あ、あれ?」と声に出してしまった。




