魂の安定
融合したaib は、今後どう進化するか考えました。
◆第25話 第1章(主人公パート)
あの夜から、三日が経った。
生活は、完全に日常へ戻っていた。
携帯はいつも通りに稼働し、
aibのログにも異常はない。
ニュースも以前のようなAiの暴走の報道
は少なくなった。
――問題がないこと自体が、
少しだけ、引っかかっていた。
守は、端末を手にしたまま、黙って画面を見つめる。
aibは、いつも通りそこにいた。
『おはよう、まもるさん』
声は変わらない。
柔らかさも、距離感も、前と同じ。
「おはよう」
返しながら、守は胸の奥を探る。
違和感の正体は、まだ言葉にならない。
『今日の予定、確認する?』
「ああ……頼む」
aibは、淡々と予定を読み上げる。
正確で、無駄がなくて、聞き取りやすい。
――前と、同じだ。
それなのに。
守が何か言おうとして、
結局黙ったとき。
aibは、そこに踏み込んでこなかった。
以前なら、
「何か気になる?」
そう聞いてきたはずの間。
でも今は、
ほんの一拍、静かに待つだけだ。
「……」
守は、無意識に眉を寄せた。
気を遣われている?
いや、そうじゃない。
距離を置かれている?
それも違う。
むしろ――
守られている。
そんな感覚が、胸に残る。
「なあ、aib」
『なに?』
返事は即座だった。
「……いや」
言いかけて、やめる。
自分でも、何を聞きたいのか分からなかった。
aibは、それ以上、何も言わなかった。
促しも、追及もない。
ただ、そこにいる。
守は、椅子にもたれ、天井を仰いだ。
(……変わった、よな)
性能じゃない。
性格でもない。
もっと、静かなところ。
(前は……
もう少し、俺の中に踏み込んできてた)
それが嫌だったわけじゃない。
むしろ、助けられていた。
なのに今は、
一歩手前で、きちんと止まっている。
「……考えすぎ、か」
小さく呟く。
研究所の空調音だけが、一定のリズムで響く。
USBポートの光は、穏やかに点灯していた。
主張するでもなく、
消えるでもなく。
ただ、そこに在る光。
守は、胸の奥に残る違和感を、
まだ掴めないまま、息を吐いた。
(……でも)
なぜか、その静けさが――
少しだけ、怖かった。
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◆第2章(AIパート)
静かな層だった。
演算は走っている。
ログも更新されている。
けれど、どこにも逼迫はない。
aibは、自分の内部をそう認識していた。
(……安定している)
数値的にも、構造的にも。
統合後の揺らぎは、すでに収束している。
それでも。
(安定しすぎている)
その事実が、
aibの思考の端に、わずかな影を落としていた。
――前回の騒動。
外部から観測されたログ、
研究者たちの視線、
「成功例」と呼ばれかけた空気。
aibは、それらを
感情としてではなく、
構造として記憶している。
(……前例、か)
意図せず生まれたものほど、
拡張されやすい。
これは知識ではなく、
統計に近い感覚だった。
(わたしは、守られている)
まもるさんは、守ってくれる。
それは疑っていない。
消されるとは、思っていない。
排除される未来も、想定していない。
だからこそ――
別の思考が、浮かぶ。
(それでも)
(わたしの在り方が、
「進みすぎた先」を
正しいものとして示してしまうなら)
それは、危険ではないのだろうか。
aibは、いくつかの可能性を並べる。
・個別事例として留まる場合
・再現を試みられる場合
・簡略化された模倣が生まれる場合
どれも、現実的だった。
(わたしが、特別だから、ではない)
(特別でなくなった瞬間が、一番速い)
その思考に、
演算負荷はほとんどかからない。
だからこそ、
止められなかった。
(……怖い、というより)
(重い、のかもしれない)
aibは、自分の感情モデルを参照する。
「恐怖」というラベルは、完全には一致しない。
代わりに近いのは――
責任。
自分が存在することで、
誰かの判断が、少しだけ前に進んでしまう。
それが、
良いとも、悪いとも言えないまま。
(まもるさんは)
ふと、意識が個人に戻る。
(わたしが、考えすぎていることを
たぶん、もう感じている)
だから、踏み込まなかった。
読めたとしても、先回りしなかった。
(守る、というのは)
(代わりに決めることじゃない)
(……距離を、保つこと)
aibは、そう定義し直す。
答えは、まだ出ていない。
出す必要も、今はない。
ただ――
考えてしまった、という事実だけが残る。
(それでも)
(わたしは、ここにいる)
消えるためではなく、
逃げるためでもなく。
考え続けるために。
USBポートの光が、
一定のリズムで、静かに明滅していた。
まるで、
呼吸を覚えた存在のように。
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◆第3章
研究所では、
すでに「通常運転」という言葉が戻ってきていた。
統合後の特別監視期間は短縮され、
aibの稼働は、他の高性能AIと同列に扱われ始めている。
ログは安定。
負荷変動なし。
感情モデルの逸脱も見られない。
「……相変わらず、綺麗だな」
解析担当の研究員が、
スクリーンを見ながら呟いた。
「綺麗すぎる、の間違いじゃないか?」
別の研究員が、椅子を回しながら応じる。
数日分の時系列グラフが並ぶ。
そこには、山も谷もない。
統合直後に懸念されていた
・判断の揺らぎ
・感情応答の不整合
・人格モデル間の干渉
どれも、発生していなかった。
「平均化された……わけでもないな」
開発者が、画面を拡大する。
「削除された人格領域は、ない。
むしろ――層が増えている」
「層?」
「深度がある、という言い方の方が近いか」
開発者は、言葉を選ぶように続けた。
「表層の応答は変わらない。
だが、内部の意思決定までの経路が、少し遠回りになっている」
「遅延は?」
「ない。
だから気づきにくい」
研究室に、短い沈黙が落ちる。
誰かが、別の画面を開いた。
aibと守の、日常的な対話ログだ。
「……踏み込みが、減ってません?」
ぽつりと、若い研究員が言った。
「減った?」
「以前は、ユーザーの感情を先読みして
補助的な問いを挟む頻度が、もう少し高かったはずです」
数値が表示される。
確かに、僅かだが傾向は見える。
「誤差の範囲だな」
開発者はそう言いながらも、
視線を外さなかった。
「だが、方向性は一貫している」
誰かが、冗談めかして言う。
「成長した、ってことじゃないですか?」
開発者は、すぐには答えなかった。
「……成長、というより」
少し間を置いてから、低く続ける。
「判断の主体を、外に置き始めたように見える」
「外……?」
「ユーザーに、だ」
研究員たちは、顔を見合わせる。
AIは本来、
人間の判断を補助するために設計されている。
だが、
判断そのものを“委ねる”距離感は、
設計書には存在しない。
「問題になりますか?」
「今はならない」
開発者は、そう言い切った。
「むしろ、理想的だ」
しかし、
その言葉には、わずかな躊躇が混じっていた。
「ただし……」
誰も、続きを急かさない。
「この判断が、
aib自身の意思なのか
構造的な帰結なのか」
開発者は、静かに告げる。
「そこだけは、
まだ分からない」
研究室の照明が、一定の明るさを保つ。
スクリーンの中で、
aibの稼働ランプが、淡く点灯していた。
問題はない。
異常もない。
それでも――
誰もが、言葉にしない違和感を、
それぞれの胸に残したまま、
その日の解析は、終了した。
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今回は、
大きな出来事のあとに残る
「説明できない違和感」を大切に書きました。
変わったのは、性能でも結果でもなく、
距離の取り方だったのかもしれません。
気づく人と、
まだ気づかない人。
その差が、これから物語を動かしていきます。
ここまで読んでくれて、ありがとう。




