第2話 僥倖に出会いました(嬉)
残念なことに、ライオネル兄様のひらめきというのは、貴族学院の入学式には間に合わなかった。
「ごめん、レア! あとちょっと! あともう少しなんだ! 入学式の今日だけ辛抱して、がんばって逃げまくってくれ! 多分、明日には出来上がるから!」
「ううう、ライオネル兄様……。ありがとうございます。今日一日、なんとか……なんとか逃げまくります……」
間に合えばよかったけれど、ライオネル兄様に無理を言って仕方がない。
ライオネル兄様は、もう、寝る間も惜しんでそのひらめきを形にしようと頑張ってくれていたのだ。お父様もお母様も、領地に残ってくれていてもいいのに、心配だからと一緒に王都のタウンハウスにまで一緒に来てくれたし。
ありがたい。
本当にありがたい。
だけど、やっぱり、今日に間に合ってくれればよかったなー……なんて思いながら、わたしは学院の制服に着替えた。
白いワンピースタイプの制服の上に、金の糸であちこち刺繍が施された紺色の上着を羽織る。更に首元にはえんじ色のスカーフ。髪は目立たないように結ぼう……と、最初は思ったけれど、ふわふわのままにした。髪で顔を隠すためにね!
お化粧は……あんまり効果がなかったので、いっそと思ってスッピンだ。
なのに、美少女度はそんなには下がらない……。
あああああ……。
鞄を両腕で抱えて、その鞄と髪の毛で顔を隠して、こそこそと入学式に参加した。
式の最中とか、鞄を抱えられない場面では、ハンカチを取り出して、口元にあてて下を向いていた。
「ご気分でも悪いの?」
そう聞いてくれる女生徒もいた。
「ありがとうございます。少々風邪気味で……、咳が出そうで……」と誤魔化すのが申し訳なかった。
ああ、気を遣ってくれる優しい女生徒とは、ぜひ懇意にしたい……と思いつつ、顔が見えてしまったときの、リスクを考えると「お友達になってください」というのも我慢しなければ。それは明日、明日から!
ライオネル兄様のひらめきとやらが完成したら、思う存分女友達を作ろう!
今日は我慢だ!
そうやって、なんとか無事に入学式も乗り切れた。
あとは帰るだけだ。
割り振られた教室に入って、自己紹介をしたり、授業を受けたり、教科書類を受け取ったりというのも明日から。
大丈夫。
あと少しで帰ることができる……。
そう思って、気を抜いたのがいけなかったのか、それとも下を向いて歩いていたのがいけなかったのか。
校舎から馬車の停車場へ向かう途中、わたしは誰かとぶつかってしまったのだ。
「きゃっ!」
「ああっ!」
すってんと、わたしは尻もちをついてしまった。
「ごめんなさいね」
落ち着いて柔らかい女性の声。わたしは慌てて顔を上げた。
「い、いいえ! こちらこそ、下を向いて歩いていたもので……」
そのまま見上げれば、わたしを心配そうに見下ろしていたのは、夜の闇を集めたような漆黒の長い真っ直ぐな髪とサファイアのような青く輝く瞳のご令嬢。
落ち着いた雰囲気からして、上級生かと思ったけれど、首に巻いているスカーフの色はわたしと同じえんじ色だった。
ということは、わたしと同じ一年生なのね。
そっと、手を差し伸べてくれて、わたしが起き上るのを助けてくれた。
「怪我はないかしら?」
「は、はい!」
「よかったわ」
微笑むその顔は、まるで女神さまのよう。
美少女というよりも、どちらかというと美女……かな。美女というにはちょっと目が吊り上がり気味だけど。
「あら、鞄が……」
「あ、あああ」
ころんだ拍子に鞄が地面に転げてしまった。わたしが慌てて拾おうとしたのだけれど、その黒髪の女生徒が先に拾ってくれて、わたしに手渡してくれた。
「ありがとうございます!」
「どういたしま……」
返事が、途切れた。
しかも、目がきょろきょろと右へ左へと動き出し、辺りを見回しだした。
ど、どうかしたのかな?
などと思う間もなく、わたしとその黒髪の女生徒は、いつの間にか何十人もの男子生徒に囲まれていた。
うっ! こ、これは……。
前世での、毎度のパターン!
「おまえ、何をしているんだ!」
男子生徒の一人がいきなり大声で叫んだ。しかも、黒髪の女生徒に対して指まで突きつけて。
「オレは見たぞ! コイツが、そっちの美少女にぶつかって、転ばせたんだ!」
「なんと! ワザとか⁉」
「そうに決まっている! 可憐な美少女が目の前に現れて、嫉妬でもしたんだろう!」
勝手なことを、言い出した。
「ち、違います! こちらのかたは、転んだわたしを助けてくれたんです! しかも、鞄まで拾ってくれた、親切なかたです!」
慌ててわたしは叫んだけど、そんなもの、誰も聞いてはいない。
「ああ、可憐なお嬢さん。あなたは自分を害した不埒者を庇っているのですね。なんて心が美しいんだ……」
「奪われた鞄をご自分で取り返したのですね。可憐な外見にもかかわらず、何と勇敢な……」
あああああ、もうっ!
どうしてわたしの話を聞かないで、自分の妄想世界に入って、勝手にわたしを被害者にするの!
「さ、お嬢さん。そんなにも恐ろしい女から離れなさい。この僕が守って差し上げますからね」
「いや、この私が。家まで送り届けて差し上げましょう」
そして、自分をアピールすることに結び付ける!
あんたたちのほうが、こちらの親切な女生徒よりも、よっぽど恐ろしいわ!
「一人で帰れます! 結構です!」
必死で拒絶しても、男どもは誰一人として引きはしない。
自分が、自分がと、わたしをエスコートして自宅前送り届ける役を、勝手に争いだしている。
あああ、もう! これだから嫌なんだ。
わたしの言うことなんて、ちっとも聞かないで、勝手にわたしの所有権を争って!
わたしを助けてくれる女生徒も、敵扱いして!
姫を助ける勇者になった妄想で、勝手にわたしを取り囲む。
妄想も、いい加減にしてくれ!
わたしはあんたたちみたいな男子生徒は嫌いだってーの!
叫びそうになったときに、黒髪の女生徒が言った。
「お下がりなさい! 見苦しい!」
鋭いその声に、男子生徒たちがぎょっとして。体が固まった隙に、黒髪の女生徒はわたしの腕を掴んで、即座に走り出した。
走るのなんて、淑女としては、はしたない行為だ。
だけど、今、わたしの手を掴んで走り出してくれた、黒髪の女生徒を、はしたないなんて、わたしは全く思わない。
ああ……。ヒーローだ。この人は、わたしを助けてくれたヒーローだ。
走りながら、心の中では爆発するくらいの感謝が渦巻いている。
ありがとう、ありがとう、ありがとうございます!
前世の悪夢、再び……かと思ったけれど、あなたのようなヒーローと出会えて、わたしはとてもしあわせだ……。
そのまま手を引かれながら、走って、走って……。
そして、貴族学院の正門を抜け、馬車の停車場にやってきた。
ここにはいろんなタイプの馬車が停まっている。
一頭立ての軽装馬車や屋根のない二輪馬車。四人掛けの馬車は、正面の高い位置に御者用の席があり、更に後方には畳み込み式の補助席が備わっているものが多い。
黒髪の女性が突然大声を出した。
「ディック!」
声に答えたのは馬車の横に立っていた、青い髪の背の高い男の人。
「ジョアンナお嬢様、こちらです!」
黒髪の女性の声の鋭さで何かを察したのか、馬車の御者に「出立急げ」と叫びながら、馬車のドアを開けた。
ジョアンナお嬢様と呼ばれた女生徒とわたしは四人掛けのシート目がけて飛び込む。
「急いで、馬車を、出して! 逃げるの!」
「わかりました!」
ディックという名の男の人が補助席に飛び乗った途端に、馬車は勢いよく走りだした。
馬車が動き出してからも、しばらくの間、わたしもジョアンナお嬢様と呼ばれた女生徒も、はあはあ……と、荒い息をついていた。
「ごめんなさいね、いきなり」
「い、いいえ。重ね重ねありがとうございます。お助けいただいて、本当に感謝の念が尽きません!」
マジ感謝! 女神様!
うっかり、前世の言葉遣いが出ないように、そして、この溢れんばかりの感謝が伝わるように、ていねいに、頭を下げた。
「……いつも、あのように、わたしのまわりを……、男のかたは取り囲み、勝手にわたしの所有権を取り合うのです……。わたしの周りの女のかたを、悪役に仕立て上げて……」
ですから、あなたが悪いことなんて、何もないんです。あいつらの目が曇っていて、勝手に妄想をしているだけなんです。わたしはそう説明をした。
「そう……、大変なのね、あなた……」
ああ、わかってくれる人がいた……。
嬉しくて、泣きそうだ。
「あ、ありがとうございます。あ、あの……、わたしは、レア・エルソムと申します」
「もしかして、あの保温が出来るカップで有名なエルソム子爵家の……」
「はい、そのエルソム子爵家の娘です。カップを作っているのはわたしの兄です」
「そうなのね……。わたくしはジョアンナ。スミス伯爵家の娘よ。わたくしのことはジョアンナと呼んで」
「ありがとございます、ジョアンナ様。わたしのことはレアとお呼びください」
「レア様ね」
わたしとジョアンナ様はお互いに顔を見合わせて、ニコッと笑った。
こ、これは……もしかして、前世を含めて初めてのお友達になれるのだろうか……。
期待で、わたしの胸が、ドキドキとしてきた。
「それにしても……、レア様。あのように、男性に取り囲まれるようでは、貴族学院での生活は、なかなかに困難では?」
「うっ!」
ジョアンナ様の鋭い指摘。
うん……前世では、まったくもってその通りでしたよ……。
「……発明好きなわたしの兄が、なんらかのひらめきを以てして、対策を立ててくれているのですが。それは今日の入学式には間に合わなかったのです……」
明日には間に合わせてくれるということだったけど、もし間に合わなかったら、発明品が出来上がるまで、わたしは学院を休もう……。
ジョアンナ様はなにかを考えているようだった。
「そう……、対策は必要よね……」
しばらく考えた後、ジョアンナ様は言った。
「……ねえ、レア様。いきなりですけど、お時間はある?」
「は、はい?」
「帰りは送らせるし、学園に停まったままの、レア様のお家の馬車の御者には使いを出すわ。だから、少し我が家に寄ってちょうだい」
「え、ええ⁉ よろしいのですか⁉」
「もちろん。それに、大丈夫かとは思うけれど、あのさっきの男性陣の中から、この馬車を追いかけている者がいたら、レアのお屋敷が知られるのはちょっと……」
「マズいですね……」
おっと、思わず前世の言葉遣いが出てしまった。令嬢らしからぬ言葉だけど、ジョアンナ様は気にせず言葉を続けた。
「身の安全を考えて、一度我が家に寄ってから、お帰りになったほうがいいと思うの」
「本当にありがとうございます! 助かります!」
なんて気づかいができる素晴らしい方なのだろうか、ジョアンナ様は!
「あ……、でも、ジョアンナ様にご迷惑がかかるのでは……」
ジョアンナ様のお屋敷を、わたしの家だと勘違いするやつらが出るかもしれない。
だけど、ジョアンナ様は柔らかく微笑んでくださった。
「大丈夫。スミス家は伯爵家ですけれどね、侯爵家と肩を並べるくらいの権勢を誇っているわ。相手が王族の皆様や公爵家のかたでなければ、なんとでもできますから」
うおう! 女神か! ありがたい!
そういえば、そうか。スミス家と言えば、かなりのお金持ち。水晶や金や銀が産出できる山をたくさん所有しているって聞いたことがある。ただ、加工技術がイマイチなので、それは近隣の領地の領主と連携して……とかなんとか。
とにかく我が家のような田舎貴族とは違う権威をお持ちだ。ま、我が領地もいいところだけどね。のんびりしていて。
なら……安心かな。
ありがたくお世話になってしまおう。
わたしは、ジョアンナ様に感謝の念を込めて、再度頭を下げた。




