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蔑み

 新しい学区に移った桃太郎だったが、元いたところとの学力差は少なく、中学に入って授業で苦労するということはなかった。中学には粗暴な生徒もいたが、桃太郎に悪意を向ける者はなく学園生活は気が楽だった。中学二年に進級すると、桃太郎はクラスメートの推薦を受けてで学級委員になった。

 しばらくして、桃太郎はクラスの女子数人から頼まれごとをされた。クラスメートの山下(やました)(ぎん)が教室の掃除当番をずっとやっていないというのだ。桃太郎は少し意外に思った。ギンはどちらかと言えばおとなしく穏やかな生徒で、掃除をサボる不良生徒というイメージではなかった。もっとも部活を口実にサボる生徒は幾人かいて、ありえない話ではなかった。ただ、サボる口実の真偽に関わらずわざわざそれを問い詰めることまではせず、残った生徒だけで不公平に掃除当番を担当するというのがここでの常態だった。でも何故ギンには言えというのだろうか。

 桃太郎はお使いのようなことをさせられるのを億劫に思ったが、学級委員でしょと言われ、ギンの席に行き話しかける。掃除していないのは本当か、苦情が来ている、と。ギンは視線を上げ、眉をしかめる。ああ、していないよ、と答えた。どうしてだ、と問うと、理由は言いたくないと強めの語気で言った。どうしてだ、と再び問うと、あいつらとはやりたくないと吐き捨て、それきり黙ってしまった。桃太郎は、ギンと女子たちとの間に何かトラブルがあったのだと察し、やりとりを見つめていた女子たちのところへ戻った。そして、掃除やりたくないってさ、と背後を指さして言った。なんでなんで、と問われたが、後は直接話をつけれくれとだけ答えた。女子たちは不平を言ったが、桃太郎は無視した。

 それ以来、気になって、桃太郎は少しギンのことを観察するようになった。だが少し注意を向けるだけで桃太郎は事情を理解した。汚物扱いだ、と。

 教室や廊下で、ギンと女子たちとの距離がたまたま近くなると、その時だけ女子たちは手をマスク代わりに口元を覆って駆け足になる。そして距離が離れたところでチラチラと振り返り、顔を見合わせてヒソヒソと笑う。ここまであからさまだったのに、何故今まで気づかなかったのかと桃太郎は自分に驚いた。授業中、ギンが先生に指されて上手く答えられずどもってしまった時や、スポーツの試合でドジを踏んで笑いものになることはどうということのない当たり前のことと思ってスルーしていた。かく言う桃太郎も笑った覚えがある。物理的な暴力を振るわれたり、直接罵声を浴びせられているわけではない。しかし明確な悪意。桃太郎にも馴染みのある悪意だった。ギンに何があってそのような扱いを受けているのかはわからないが、理由など何でもいいのだろう。蔑みさえできれば。

 6月の下旬、放課後のHR前の教室で、机がバンと叩かれる音が聞こえて桃太郎は振り返った。ギンが真っ赤な顔を歪ませて立ち上がっていた。ある女子がひゃああ、と薄ら笑いを浮かべつつ悲鳴を上げ、彼から逃げ出した。だがいつもとギンの様子が違っていることにその女子は気付いていなかった。いつもは睨みつける程度でまた座っていた彼が、今回は自分も走りだして彼女を追いかけたのだ。女子はうええ、と変な嗚咽を漏らし、引戸に向かって逃げた。すると、そこで女子が転んでその場に倒れてしまった。ギンが吠える。ヤバいと思った桃太郎はダッシュして、やめろ、と言ってギンの身体を止めた。教室が騒然となったところで担任教師が教室にやってきた。

 担任教師は桃太郎を生徒指導室に呼んで事情を聞こうとした。その時、桃太郎は少し逡巡して、クラスメートの女子、浮森(うきもり)小雉子(さちこ)に同行を頼んだ。桃太郎は先ほどの教室での出来事と最近のいざこざを見たまま語り、サチコはもう少し女子界隈での話をした。ある時女子だけで男子の噂話をしているとき、誰かがギンのことを気持ち悪いと言い出しそれに賛同する声で盛り上がり、それ以来の当然のことのように行われていたというのだ。

 自分が傷つくことなく他人を傷つけられる方法。それは相手を心の底から蔑むことだった。

 担任教師は頷き二人に礼を言ったあと、ギンにも女子生徒にも一線を越えるなと説教するつもりだと教えた。

 生徒指導室から出るとサチコはどうして私を巻き込んだのと尋ねる。桃太郎は、サチコが教室でその女子生徒の脚を引っ掛けただろうと指摘した。見てたんだ、と微笑する。私は山下のこと好きでも嫌いでもないけど、ああいうのは悪趣味だと思うからね。

 サチコの行動は善行でもなんでもない。でもそれから桃太郎は彼女の行動を気にするようになった。

 この出来事の後も、クラスの女子がギンを避けるような態度だったことは変わらなかった。しかし、あからさまな嘲笑のようなものは無くなった。


 その週の土曜日、鞄を持ったギンが桃太郎の家を訪ねてきた。ギンとは特に友達というわけではなかったので突然の来訪に桃太郎は驚いた。彼は切実な表情で訴える。僕に勉強を教えてくれ、と。桃太郎は学年でもトップクラスの成績で、普段から自慢するつもりもなく隣の市の進学校である倫星学園を目指していることを口にしていた。ギンは、あいつらと同じところには行きたくない、うちの中学からの進学では一番偏差値の高い桃太郎と同じ高校に行きたいという願いを話した。桃太郎はギンの気持ちはわかったが、今の彼の成績では少し無理があるのではないかと思い、どう答えようか迷った。ところがそこで父の亨が横から口を挟み、教えてやればいいじゃないかと促した。ギンはありがとうございますと元気に頭を下げたため、もう断れなくなった。こうして不定期に桃太郎の家でギンと一緒の勉強会が行われることになった。亨も恵子もギンの向学心に感心し、彼を歓迎した。

 ギンに勉強を教えながらわかったことだが、彼は授業内容に遅れを取ると焦ってしまい、それを取り繕おうとしてかえって失敗してしまうということを繰り返していたようだ。でも、ゆっくり教えればちゃんと身につけてくれる。それに気づいてからはスピードはともあれスムーズに勉強が進むようになった。

 2学期も終わりそうになったころ、桃太郎は自分が捨て子だったことをギンに告白した。そして、かつてのように悪意を浴びたくなくて、彼が女子から嫌がらせをされていても何もせずいたことを謝罪した。ギンは自分が逆の立場でも何もできなかっただろうと返して桃太郎の頭を上げさせた。

 3学期の期末試験が終わると、初めての進路希望調査が行われた。桃太郎のクラスから倫星学園を第一志望にしているのは桃太郎、ギン、そしてサチコの3人だった。倫星学園の合格者は毎年学年から数人いたが、1クラスから3人志望というのは多い方だった。

 サチコは、桃太郎がギンと勉強していることを知ると、人に教えている余裕なんてあるの、と挑発気味に言った。それに対し、桃太郎は何なら俺たちと一緒に勉強しようぜと誘った。けれどもサチコは一人でやるほうが効率がいいからと断った。なので、桃太郎はサチコとは勉強以外の時間を一緒に過ごそうと思った。

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