鬼の子
桃太郎は土の臭いで目覚めた。
死ぬ、と思った。だが死んでいなかった。地面に手をついて起き上がると、濡れた土の気持ちの悪い感触があった。すぐそばで細い川がわずかな月明かりに照らされて輝いていた。気絶する前のことを思い出す。あれほどまでの悪意を受けたのは初めてだった。頭部の激痛を思い出し、嫌な気分のままそこに手をやった。だが、新しい傷に触れたときのジクッという痛みが、無い。無かった。かさぶたか土かよくわからないものがパラパラと顔から剥がれて落ちた。
どちらを見上げても山の斜面を這いあがるのは困難そうだった。川を下っていけば海に辿り着くはずだ、と安易な推測をして、桃太郎は川に手を入れて方向を確かめるとそれに沿って歩き出した。
街灯の無い月光ばかりの闇の中を黙って歩いていると、妄念が浮かび上がってくる。鬼、かつて父親は桃太郎の実の親のことをそう言った。だがそれは、本当のことではないのか。鬼の子、自分が見ていたアニメにも、鬼の血を引く主人公が超能力を発揮して悪者を打ち倒すものがあった。カッコいいと思っていたがそれが自分だと思うと喜びでも悲しみでもない不思議な感情が襲った。俺は鬼の子だから捨てられたのか。真実はどうあれ、本当の親に会ってみたい。桃太郎は生まれて初めて自分の人生の目的を見つけた。
川が土の中へと吸い込まれていってしまっていた。困った、と思ったが目を左右にやると、斜面がいつの間にかコンクリートで固められていることに気付いた。久しぶりの人工物にホッとして彼はそこを這い上り、ガードレールを越えて舗装された道路に足をつけた。辺りは既に明るみかけていた。しばらく道路を下りの方向に歩いていると、動く光が自分を照らした。光の向こうから、桃太郎くんかい、という質問をされ、はい、柴川桃太郎です、と答えた。
サイレンの鳴らないパトカーで桃太郎は病院へと連れていかれた。そこには既に父の亨が待っていて桃太郎を抱きしめた。お母さんは、と訊くと、心配で倒れてしまい、家で寝ているのだと聞いて、罪悪感が胸を襲った。桃太郎は体中に傷や痣が出来ていたが病院での検査の結果は驚くほどに軽傷だった。桃太郎は父と共に帰宅してベッドの上の母の恵子の手を握り安心させた。
桃太郎はその後、警察官に自分にあったことを話した。その高校生は一度は逮捕されたものの、いったいどういう力が働いたものか彼は不起訴となった。もちろん亨は抗議したが結果は変わらなかった。桃太郎はその高校生への怒りや憎しみよりも、あのとき一緒に遊びに行った友達が証言してくれなかったことを知って、そちらの方がショックだった。
そんなとき、桃太郎に接近してくる男がいた。筋肉質で人相が悪い男で、塩田猿彦、という変わった名前の名刺を桃太郎に渡した。男はフリーライターだと名乗り、週刊誌でその高校生を糾弾してやろうと持ち掛けてきた。まだ幼い桃太郎はその話にうっかり乗っかりそうになったが、亨はその男が桃太郎が捨て子であるという情報も得ており、それを含めて興味本位の記事を書き立てようとする意図を察し、彼を追い払った。
桃太郎はこの町の空気が嫌になり、学校にも時々しか行かなくなった。両親はそんな桃太郎の気持ちを汲み、少し離れた町へ引っ越そうと提案した。桃太郎も中学からは気持ちを切り替えていこうと決心した。