桃太郎誕生
奇跡は誰にでも起こり得る。
けれど、奇跡で幸せになれるとは限らない。
暗闇の中でそれはかすかに動いていた。弱く、弱く、しかし確実に、生きたい、と。だが、その鼓動は周りの水音にかき消されそうだった。
どんよりと暖かい春の日だった。休日の昼食を終えた中年の夫婦が、自家用車で近場の砂浜へと乗り付け、散歩をしていた。
二人の住む町は古くからの漁師町であったが、ここは漁港からは少し離れた海水浴場である。海開きはまだなので、人は少ない。狭い河口のそばで、バケツや拾った流木の枝を持った小学生の男の子たちが3人、わいわい言いながら歩き回っていた。それを微笑ましく眺めていた二人だったが、突然、子供たちが悲鳴のような奇声を上げた。キョロキョロとあたりを伺うと、夫婦に気付き、すいませーんと大声を上げながら駆け寄ってきた。
どうした、と、夫の柴川亨が返事する。すると、子供たちは河口を指さし赤ちゃんが、赤ちゃんが、と叫ぶ。見ると、段ボール箱が砂浜に打ち上げられていた。夫婦の心臓は跳ね、小さく声を上げそちらへ向かった。
亨はうめく。段ボールの中には生後何ヶ月ぐらいだろうか。人間の赤ん坊が大きめのタオルに包まれて横たわっていた。そして恐ろしいことに口には布テープが張られていた。亨は屈み、扱いに慣れない赤ん坊に手を添え、テープを剥がした。少し遅れてきた妻の恵子は同じものを見て悲鳴を上げ、胸に手を当てた。そして小刻みに震えると砂の上に膝をついた。恵子、と亨が声を掛けた。恵子はうん、と返事し、赤ちゃんは、と様子を心配した。赤ん坊はテープを剝がされても泣き声を上げず、ケッ、ケッと不自然な呼吸音を出していた。
救急車……いや、俺の車で行ったほうが早い。亨は判断すると、恵子に赤ん坊を抱かせた。彼女の胸につらい記憶が蘇る。30年ほど前、柴川夫婦の間には待望の赤ん坊が産まれた。恵子は生まれつきあまり身体が強くなかったのだが彼女の強い要望で1度だけ赤ちゃんを産もうということになった。しかし、赤ん坊はそれからわずか8ヶ月で病気にかかり短い命を散らした。恵子はしばらくの間精神を病んでしまったが、亨が献身的に側で支えたおかげで現在に至る。
亨は携帯電話を取り出すと、近くの大学病院へ掛けた。この病院の小児科には亨のかつての教え子がいて今でも交流があったのだ。亨は死にそうな赤ん坊がいること、今から救急病棟に向かうこと、そして小倉先生をと医師を指名した。子供たちに、見つけてくれてありがとう、とお礼を言うと、砂浜脇の自動車に駆け出した。恵子はいつもと違って後部座席に座り、緊張の面持ちで赤ん坊を抱いた。
病院に着いた赤ん坊はただちに治療室に運ばれた。医師の小倉が柴川夫妻を見つけて、先生、と声を掛けた。小倉は亨から状況を聞き、そんなことが、と驚いた。そして警察に連絡する旨を告げた。亨が何としても赤ちゃんを助けて欲しい、と頼み、もちろん、と頷く。亨の横で恵子が黙ってうつむいて座っていたが、小倉は夫婦の間の子供の事も知っていたので気持ちを察した。
だが状況はあまり良くなかった。赤ん坊はどれくらい放置されていたのか、体機能は不全で予断は許されなかった。しかも生まれつき疾患があったことも発見された。何としても助けて欲しい、その言葉が重く小倉の胸にのしかかる。柴川亨は小倉の中学時代の担任教師で、ある時不良グループとのいざこざで彼の人生が台無しになりかけたとき、体を張って助けてくれたことがあった。あの恩は一生かかっても返さなければいけない。その気持ちが募り、小倉はどんな手段であっても使おうと思った。
川から流されてきた赤ん坊のことは全国ニュースとなって新聞やテレビを騒がせた。警察は赤ん坊が流れてきた川のある地域を中心に捜査を行い、産婦人科に該当しそうな子供はいなかったかと問い合わせを行ったが、決定的な手掛かりは見つけられなかった。恵子は赤ん坊の快復に自分が無力であることがつらく、自宅と大学病院の間にある神社に毎日通って祈りを捧げた。
赤ん坊の状態が安定したことの連絡を受け、柴川夫婦は安堵し泣いた。そして二人はもうこの時にはこれからのことを相談して決めていた。普通はこのような赤ん坊は福祉施設に送られるところだが、特別養子縁組を行って我が家に迎え入れよう、と。