鏡の中の私
ほぼ森の入り口に面する家に着くと、キアラはキョロキョロと辺りを見回し、クロウは色付いた木々の香りを深く吸い込んだ。もはや勝手知ったるシルヴィスは木製の椅子に腰掛けて、いち早く寛いでいる。
「アシュリーちゃんのおうち、素敵なとこだね!」
「そ、そうですか……? 森ですが……」
「うん、私たちのおうちも森にあったの。人が多い場所よりずっと落ち着くよ」
「ああ、静かでいいな。懐かしい感じだ」
確かシルヴィスは森の近くに住んでいたと言っていた。それなら妹であるキアラも一緒に住んでいたのだろう。でも今の言い方だと、どうやらクロウも近くに住んでいたのだろうか。指を絡める仲睦まじい二人を見て、なんとなしに気になったアシュリーは軽い疑問を抱いた。
「お二人は幼馴染なんですか?」
そう聞くと何がおかしいのか、クロウとキアラは顔を見合わせて少し笑う。
「えっとね、私とクロウは兄妹だったの。もちろん血の繋がりはないよ。私、養女なの」
二人の関係に驚いたアシュリーだったが、キアラが養女だとするとシルヴィスはやはりクロウと兄弟なのだろうか? ただ単に壊滅的に仲が悪いから他人と言い張るだろうか? 少し疑問も浮かんできたが、血の繋がりがないとはいえ兄妹。
おそらく色んなドラマがあったに違いないと想像して、珍しくアシュリーの乙女心が刺激された。
「そ、それは、波瀾万丈ですね!」
「そうかな?」
「お前も波瀾万丈だろ。こいつの父親……」
「シルヴィスさん?!」
急に会話に混じってきたシルヴィスの口を慌てて押さえたアシュリーに、キアラが首を傾げる。前髪の奥から睨んでみせるが、シルヴィスはツンと顔を背けて取り合わない。そもそも前髪に隠れているせいで睨んでいることも伝わらない。
「な、なんでもありません! えっと! そう! それより! 髪を!」
「あ。うん、そうだね! アシュリーちゃんも乗り気になってくれて嬉しいな」
話題を変えたくて必死に訴えてみただけのアシュリーだったが、キアラの意識を逸らせたことにホッと胸を撫で下ろす。
家の中へ案内しようとするとシルヴィスに止められ、風もあまりないし外で切ろうということになった。アシュリーは一旦家に入り、鋏と掃除のための箒を持ってきた。
「どれくらい切る? 長い方が良いかな?」
「ついでだから短くしてもらえ。どうせすぐに伸びる」
キアラが菜の花色の髪を掬って長さをシミュレーションしていると、どうでも良さげにシルヴィスが口を挟む。その態度が気に入らなくて、キアラはムッと頬を膨らます。
「もう! 乙女の髪を簡単に言わないで! アシュリーちゃんは長いの、短いの、どっちが好き?」
「私は特にこだわりは……。でもそうですね、ずっと長かったので思い切って、短くしてください」
「うーん、じゃあ肩くらいまで切っちゃうね。ボブも可愛いし」
おおまかに長さを決めたキアラはアシュリーの長い髪を手に取って、慎重に鋏を入れる。シャキンと金属の音が鳴ると、金色の束が舞うように地面に落ちた。
「うぅ……緊張するぅ……。少しずつ切るからね?」
自ら提案したものの、自分とクロウ以外の髪を切るのが初めてのキアラは、少しずつ切っては長さを揃えていく。
キアラが鋏を動かすたびに、はらりはらりと少量の金糸が日を反射して、キラキラ輝いては地面に広がり落ちる。少しずつ軽くなっていく頭がなんだか不思議で、アシュリーは目を閉じてその心地よさに身を任せた。
慎重に慎重を重ね、かなりの時間を要して大方切り揃えたキアラは一層の緊張で前髪にシャキリと鋏を通し、はっと息を飲んだ。日に透ける厚い前髪を切り落とせば、菜の花色の長い睫毛を伏せた日焼けのしていない白い顔が現れる。
「こ、これはっ……?!」
「どうかしましたか?」
「するよ! あわわ……震えちゃう……! じっとしててね!」
物騒なキアラの言葉に一瞬ヒヤリとしたアシュリーだったが今動くと余計に危険な気がして、そのまま姿勢を保つことにした。
は? とか、え? とか、キアラの声が大変気になるが、鋏を持つ彼女を刺激してはいけない。アシュリーは大人しく、顔にかかる前髪のこそばゆさにしばらく耐えることにした。やたらと長く感じた緊張の時が過ぎ、柔らかな布で顔を軽く払われる。
「おしまい、ですか?」
アシュリーがそっと目を開くと、ハンカチを手に持ち、信じられないものを見るような目で、肩を震わせているキアラとばっちり目が合う。
「意味わかんない! この顔をなんで隠すの? 信じられないんだけど……! めちゃくちゃ可愛くない?! お人形さんだよ! 期待以上だよ! 可愛い〜!」
鋏を側のテーブルに置いて、ぎゅうと抱きついたキアラにアシュリーがあわあわしていると、クロウが「すまない」と声をかける。
「うちの奥さん、暴走癖があるから……。しばらくしたら正気に戻ると思う」
「暴走癖ですか……」
なんとなく身に覚えがある気がしたアシュリーは妙な親近感を覚えた。するとテーブルの方向から苛ついた声がした。見ればシルヴィスが手に鋏を持っている。さっきまでキアラが手にしていたものだ。
「こいつも似たようなものだ。それより、お前の嫁に一般常識として、刃物の危険性を教えてやれ」
ちなみに興奮気味のキアラが半ば投げるように勢いよく鋏を置いた場所は、シルヴィスが肘を突いているすぐ側だった。切り終わるのをぼんやりと待っていたシルヴィスだったが、その一瞬で変な汗をかいてしまった。
だが、クロウはそんなシルヴィスの忠告も華麗にスルーする。回復魔法が身近にあるクロウは基本的に自分を含め、キアラ以外の家族の怪我はあまり気にしない。
「それにしても、見違えたな。キアラが喜ぶのもわかる。こっちの方がいい」
抱きつくキアラを挟んでいるとはいえ、腰を屈めて近い距離でじっと見つめてくるクロウにアシュリーが慌てる。無表情ではあるが端正な顔でまじまじと見つめられると好意云々は別にして、どうしたら良いのかわからない。
あわあわアシュリーが焦っていると、シルヴィスがキアラを剥がしてクロウに押し付ける。そのおかげでアシュリーは無事に視線から解放された。
咄嗟に何が起きたのかわからない顔をしていたキアラだったが、シルヴィスの行動を理解した途端ニヤニヤと顔を緩めた。
「シルヴィス、やきもち〜。かわいいんだ〜」
「うるさい、人助けをしただけだ。こいつは人馴れしていないからな。デリカシーのない脳筋はこれだから困る」
距離感を言うのならシルヴィスだって大概なものだとアシュリーは思ったが、とりあえずそこは突っ込むことはやめた。今は素直に感謝する。
「誰が脳筋だ。心配しなくても、僕はキアラにしか興味がない」
「クロウ……っ! 私も!」
クロウの答えに瞳を潤ませて感激したキアラが勢いよく飛び付いたが、はっと思い出したようにワンピースのポケットから小さな手鏡を取り出し、アシュリーに再び寄っていく。
「見てみて。すっごく可愛いから!」
自分のことのように頰を紅潮させて喜んでいるキアラから、そっと鏡を受け取ったアシュリーはおそるおそる覗き込んでみる。
そこには眉より少し下で切り揃えた前髪から覗く、丸く大きな明るい空色の瞳。ツンとした小さな鼻に健康的な頬。うっすら赤い唇。手入れ不足のため、肌も唇も少しカサついてはいるが、そこにはアシュリーが見たこともない少女が映っている。
試しにパチパチと片目を瞑ってみると、当然鏡の中の少女も片目を瞑る。
「美少女が……います……」
「お前……、相変わらず図々しいな」
素直な感想を述べるアシュリーに、一緒に鏡を覗いていたシルヴィスがドン引きしている。だがキアラはこくこくと頷く。
「まごうことなき美少女だよ! すごい!」
「キアラさんどうしましょう?! 私、可愛くないですか?!」
「可愛いよ〜! 千点満点だよ〜!」
先程のシルヴィスの突っ込みなど聞こえないかのように、女子二人は手を取り合ってキャアキャアと跳ねて喜んでいる。特にアシュリーは感激のあまり、涙が溢れそうになっている。
「こんな……奇跡です! やっぱり、シルヴィスさんは天使様ですね!」
感極まったアシュリーの言葉に、クロウとキアラは同時に吹き出した。ツボにハマったのかクロウはそのまま肩を震わせている。涼しい表情を崩さなかったクロウが盛大にウケていることに驚いたアシュリーだったが、キアラもふるふると笑いを堪えている。
「あ、アシュリーちゃん……。シルヴィスが、天使?」
「はい! シルヴィスさんは美しく、優しく、本当に天使様だと私は思っています」
「お前はいい加減に黙れ」
気まずそうな顔のシルヴィスがアシュリーの口を押さえるが、その様子もキアラには面白かったらしい。とうとう堪えられなくなったように笑い出した。そして笑いながらアシュリーの腕を取り、キアラを睨むシルヴィスから離れて、こっそり内緒話のように顔を寄せる。
「ね、やっぱりアシュリーちゃんにとって、シルヴィスは世界一素敵なの?」
「えっ! そ、そうですね……。世界一美しいのではないでしょうか……?」
この美意識はきっと間違っていないはず。恐る恐る窺うと、まだ少し笑いを引きずっているキアラは大きく頷いた。
「すっごくわかる! だって私もクロウが世界一素敵だって思ってるから。私たち一緒だね! 安心したよ。きっと父さん母さんも大喜びするよ」
両親を引き合いに出されて少し驚いたが、あまりにもキアラが嬉しそうなので、アシュリーは戸惑いながらも、もう好意を否定をすることはやめておいた。




