すきときめときす
しばらくして興奮が冷め、秘密を打ち明けたアシュリーはどこか軽くなった胸をホッと撫で下ろした。
美しいだけでなく、アシュリーの事情にも怯まず態度が変わらないシルヴィスは、やはり本物の天使に違いない。改めて今日の出会いを奇跡のように思ってしまう。
シルヴィスならば、もしかしたら……。そう淡い期待で緊張する心を落ち着けるように、アシュリーは自分の胸に手を当てた。
「あの、シルヴィスさんにお願いがあるんですが……」
「断る」
「せめて聞いてくださいよ!」
「……聞くだけだからな」
まさか言う前に拒否されるとは思わなかったアシュリーは、前のめりにシルヴィスに寄る。まさに秒速。そのスピードに少し驚いたシルヴィスだったが、とりあえず話を聞くことにする。
「あの、私、こんなに人に親切にしてもらったことがなくて。しかもシルヴィスさんは天使の如く美しくて……。いえ、もう確実に天使様だと思っています」
「まだ言うのか」
「それで、あの、もしよければ……お友達に、なってください!」
そう勢いよく出されたアシュリーの手をシルヴィスは冷めた目線で見やる。どうやら握手を求めているみたいだが彼はその手を取らない。
「ここにずっといるつもりはない」
「すぐに出立されるんですか?」
「いや、特に決めてはない。出たい時に出る」
「じゃあ、ここにいらっしゃる間だけでも! そして! 旅立たれた後は文通でも!」
いつまでも交わしてもらえない握手は、とりあえず諦めた。けれどもアシュリーはぐっと両の拳を握って、なんとかシルヴィスを説得しようと試みる。
「卑屈なくせして、図々しいなお前」
「そうだ! もしよければ、うちに泊まっていってください。もちろん宿代は必要ありませんので」
「いや、そういうわけには……」
「部屋も余ってますから! 少し散らかっていますけど、片付ければ大丈夫です!」
そう言って早くも片付けに取り掛かろうとしたアシュリーが家の扉を開き、共に覗き込んだシルヴィスは絶句する。
「少し……だと……?」
「えっと、はい……。少し、よりもう少し……?」
シルヴィスは特に潔癖というわけではない。
ない、が、あまりの惨状に数秒、彼の脳が思考を拒否してしまった。
「なんだこのガラクタの山は?!」
「ひどいです! ガラクタじゃありません!」
家の中にはあちこちに狐やら、猪やら、果てはやたらと精巧な木彫り作品で溢れている。
ひとつひとつ眺めると、どれも緻密で美しい。まるで美術品のようだが、所狭しと乱雑に置かれているせいで、その価値が全く見出せない。
アシュリーの母は木彫り職人で、それを町の商店に卸して生計を立てていた。友達もいなく、特別裕福でもないアシュリーは、小さな頃から見様見真似で木を彫り始めた。それこそ時間は沢山あったので、いつの間にやら彼女の腕は匠の域まで届きつつある。
これを母と同じように卸せば収入になることはわかっているが、なんせ人とあまり会いたくないアシュリーには店と交渉なんてハードルが高い。
手慰みに彫っては次々に増えていく在庫を処分することも出来ず、とりあえず家中に置いてある。
「到底、無理だな。予定通り宿を探すことにする」
「え、そんなぁ……。じゃあまた来てくれますか?」
「気が向いたらな」
「そんなぁ……! では宿を教えてください! 会いに行きます!」
「怖いなお前……」
シルヴィスはアシュリーを偏見の目で見なかったとても珍しい人物で、しかもやや素っ気なくても普通に会話を返してくれる。
この人となら友達になれる、いや是非なりたい! と意気込むアシュリーはそれはもう必死で。シルヴィスがいくらうんざりした顔をしても、一切めげなかった。あと単純に、彼女の木彫り作品に表れているように、美しく繊細なものが好きなアシュリーにとって彼の容姿はドストライクだった。
最後まで渋りながらもシルヴィスを見送ったアシュリーは、またいつもの日常に戻る。
ガラクタと言われた作品たちが少し気の毒に思えて、久々に棚へと整理することにした。
きちんと片付いたなら、もしかしたらシルヴィスはここに泊まってくれるかもしれない。
そうしたら、一緒にご飯を食べて、眠るまで楽しく話をして……。友人と過ごす時間に憧れを抱くアシュリーは、もしもの未来を想像してニヤニヤと顔がだらしなく緩んでしまう。
幼い頃、母が買ってくれた小さな恋物語を読みながら、どちらかというと恋愛よりも主人公とその友人の仲に随分と憧れた。
恋に悩むヒロインを慰め、寄り添って話し、姉のように妹のように、時には共に眠ったり。
そんな仲睦まじい様子が、友人のいないアシュリーにはとても羨ましかった。
「お友達と眠くなるまでお話……。してみたいなぁ」
きっとアシュリーが一方的に話し続けて、それを適当に相槌を打つだけのシルヴィスなんだろう。それを想像して、ほわんと胸が暖かくなる。
そして眠くなるまでを想像したところで、ふとシルヴィスの性別を思い出す。どれだけ美人でも彼は男性だ。
「あ、私ったら……。今日会ったばかりの男の人に、宿泊を勧めてしまいました……」
久しぶりの友人に舞い上がり、咄嗟に提案してみたけれど。それは拒否されて当然だろう。今更ながら恥ずかしさを覚えてくる。
あんなに綺麗なのに、男の人で。でも確かにアシュリーの腕を掴んだ力は、とても強かった。
ボサボサの身なりでも、コミュニケーションがあまり上手くない自分にも、シルヴィスは偏見の目を向けず怪我まで癒してくれた。
アシュリーに優しくしてくれた人は、シルヴィスで二人目だ。
昔、年に一度だけ会う、幼なじみのような少年がいた。
行商人の両親と共に年に一度。一ヶ月ほどこの町に立ち寄る彼は、偏見の目などなくアシュリーに優しくしてくれた唯一の友達だった。
お互いの髪色が似ていたことが、仲良くなったきっかけだったと思う。幼い頃は彼が来る季節が楽しみで、将来はお嫁さんになりたいとも思っていた。だけどここ数年は、一度も会っていない。彼の来なくなった一年目はこの世の終わりの如く絶望したが、きっと両親とどこかに定住したのだろうと思えば、まだ子供の自分たちにはどうにも出来ないので仕方ないとも諦めがついた。
そういえば元気だろうか。久しぶりに思い出したものの、それよりもやっぱり浮かんでくるのはシルヴィスのことだった。
なんとなく、掴まれた腕に触れると感触を思い出す。決して逞しくはないのに、それでもやっぱり自分とは全然違う男の腕だった。
そうやってひとつ思い出すと、顔に触れた手や、じっと見つめる赤い瞳、それを縁取る白銀の繊細なまつ毛。
彼のパーツ、ひとつひとつが鮮明に脳内に浮かび上がってきて、アシュリーは熱くなった頬を押さえながらしゃがみ込んでしまった。
これは、この感情は危ない気がする。
「あうぅ……。どうしましょう、ドキドキする……」
一度意識し始めると、うるさく鳴り止まない動悸に戸惑ってしまう。昔、幼なじみに淡い恋を覚えた時を思い出す。当然この動機が何なのかくらい、鈍いアシュリーにだってわかってしまう。
出会ったばかりの人で、しかもあんなに美しい人に恋をしたってどうしようもないのに。せめて、友人として側にいる分には許してもらえるだろうか。
少なくとも彼がここにいる間だけ。どうせなら束の間の恋を楽しい思い出にしようと、アシュリーはそう心に決めた。