天使様は心が狭い
意味が分からず、アシュリーが変な顔でぽかんと見上げてると、不機嫌な顔をしたシルヴィスに一瞥された。どうやら苛ついているらしいが、全く心当たりがない。
「こういう関係だ。間男はさっさと消えろ」
ヒュウに説明出来ず、頭を悩ませるアシュリーの肩をぐいとシルヴィスは強く引き寄せた。そして立ち尽くすヒュウを威嚇するように冷たい目線を送る。そんなシルヴィスは今まさに、大人げないという言葉を見事に体現している。
「あの、シルヴィスさん……。どういうことでしょう?」
「鈍感な女だな。察しろ」
「察せませんよ!?」
急すぎてアシュリーは何が何やらわからない。察するにはあまりにも想像力を必要とする。
「さっきから苛々する。お前はあまりにも無防備過ぎるんだ。他の男に触らせるな」
「えっと……?」
「お前の好きな男は私だろう?」
うまく飲み込めないでいると、今度はアシュリーがシルヴィスの視線を受けた。これは好意を示されているのか脅されているのか。一体どちらなんだとシルヴィスの意図を探るが、まさか前者のはずはないとアシュリーの脳が拒否をする。泣きそうに戸惑う空色の瞳に、シルヴィスは微かに唸ってため息を一つ零した。
「すまない。怖がらせたいわけじゃない……。私は、こういうのは慣れていないんだ。察してくれ」
そう告げるシルヴィスの白い顔は赤く染まっていて、アシュリーは信じられないとパチパチ瞳を瞬かせる。いつもツンと澄ました彼の、まるで照れているような表情が到底信じられない。
「シル……」
「あのさ、ごめん」
アシュリーがシルヴィスの名を言い終わるより早く、苦笑いをしたヒュウが気まずそうに声をかけた。正直、一瞬彼の存在を忘れていたアシュリーは申し訳なさに慌てて取り繕うとするが、気の利いた言葉が出てこない。
「えーっと、俺、邪魔みたいだからもう帰るよ」
「あっ! えっ! あのっ……なんか、ごめんなさい……」
「いや、良いんだ。もうとっくに恋人がいるだろうと思って来たし……。ついでにこの町で仕入れもして帰るつもりだったし……」
無理矢理笑顔を作るヒュウは明らかに落胆していて、アシュリーはあわあわと彼に寄ろうとするが、肩を抱き寄せるシルヴィスはがっちり掴んで離してくれない。毎回思うことだが、この細腕のどこにそんな力があるのか不思議で仕方ない。
「あの、ありがとう! ヒュウ。会えて嬉しかった!」
優しいヒュウについて行けば、きっと昔のように楽しく仲良く暮らすことが出来るだろう。それはとても魅力的で、有り得ない程の幸せだ。だけどアシュリーはもうシルヴィスに出会ってしまった。ヒュウがあと二か月ほど早く来てくれていたなら、何の迷いもなく歓喜に打ち震えてその手を取ったのに……と考えなくもないが、今このタイミングということは、もうヒュウとの縁はなかったのかもしれない。
「俺も会えて良かった。幼い頃、君を偏見の目から助けられなかった事がずっと心残りだった……。でも、もう俺が出る幕じゃないね」
「ヒュウ……! い、いい人すぎますぅ……」
どうしてこんなに良い人が、地味で何の取り柄もない自分を迎えに来てくれたのか、本当にわからない。儚さも色気もなく、大量の涙を流し出したアシュリーをシルヴィスがまたいつもの呆れた表情で眺めるが、腰のポーチから取り出したハンカチで丁寧に拭ってくれる。
「じゃあ、また会おう。アシュリー元気で」
「待て」
眉を下げて笑ったヒュウが爽やかに通り過ぎようとするところを、シルヴィスが腕を掴んで引き止める。アシュリーを片腕に抱いたまま、恋に敗れた男を引き止めるというのが、なんとも彼の性格を表している。
当たり前だが、どうして止められたのかわからないヒュウが訝しげな視線を赤い瞳に向けると、シルヴィスはいつもの愛想ない表情でアシュリーの家を指差した。
「仕入れならここでして行け。こいつの彫った木彫りが山程ある。工芸品としても美術品としてもなかなかの出来だが、格安で譲ってやる」
「美術品? そういえば昔、木彫りの動物を見せてもらったことがあるな……」
「ああ、好きなだけ仕入れて行けばいい」
「し、シルヴィスさん! そんな勝手に! ヒュウ、気にしなくて良いですから!」
急に何を言い出すのかとアシュリーはシルヴィスの案を却下しようとするが、ヒュウは顎に手を当て、真面目な顔で思案している。
「いや、普通に興味があるな。見せてくれる?」
「え、良いですけど……」
戸惑いながらもアシュリーがヒュウをあの在庫過多な家に案内する。ヒュウはまず家中に配置されたその数に大層驚き、一つ一つ手に取ってはその質の高さにまた驚愕した。ちなみに、棚に整理していて良かったとアシュリーは密かに安堵の息を吐いた。
「これは、すごいな……。ここまで上達しているとは思ってもいなかった」
「だろう? 全部持って行け」
家主であり、製作者であるアシュリーの意見を聞かず、シルヴィスはなぜか誇らしげだ。偉そうに腰に手を当てて、そこかしこにある作品に驚くヒュウを眺めている。
「ちょ、ちょ、ちょっと! シルヴィスさん!?」
「どうせ邪魔になる。荷物は少ない方がいい」
「へ?」
「お前を連れてこの町を出る。こんなところにいるから、おかしな価値観を持つことになるんだ。町は他にも沢山ある」
「ええ?! そんなの、聞いてないですよ?!」
「今言った」
しれっと言い放つシルヴィスに、アシュリーは理解が追いつかない。立て続けにあまりにも理解できない現象が多すぎて、これが現実かどうか、些か不安にもなってくる。頬をつねって現実を確認していると、瞳を輝かせたヒュウが感動したかのようにアシュリーの手を取った。もちろん、その手はすかさずシルヴィスに払いのけられたが。
「アシュリー、君はすごいな。是非買い取らせてほしい」
「え! いいんですか?」
「こっちが聞きたいくらいだよ。君の腕はすごい。是非また連絡してほしい」
ヒュウの提示した金額はアシュリーが驚くほどで、こんなに貰えないと恐縮する彼女の代わりに、苛ついたシルヴィスが交渉をしてくれた。
到底持ち帰れる量ではないので、大量の木彫は町の転移局に持っていくことにしたが、まず数が膨大過ぎる。とりあえず三人がかりで割れないように梱包をする事になったが、作業は丸一日を必要とした。
梱包用の紙はヒュウが商店ですぐに用意してきたが、ちまちまと小さな物をひたすら包む作業は想像していた以上の苦行だった。これならもう少し上乗せした金額にすべきだったと、シルヴィスは若干の後悔を感じた。
作業を終えて、大荷物を荷台に乗せて転移局まで二往復。ひとつひとつは小さくとも、数のせいで地味に重い。この時ばかりはアシュリーですら、町の外れという立地を恨めしく感じてしまう程だった。