これが修羅場というものらしい
もうこの町では知りたい事も、それほど残っていない。早朝に町を出ようとしていたシルヴィスだったが、早めに就寝したにも関わらず、なぜか気分はスッキリしない。寝起きの頭を覚ましているうちに、すっかり予定していた時刻を過ぎてしまった。
宿を出てぼんやり歩いていると、足はなぜか馴染みのある森へと向かっている。もう早朝というほどでもないが比較的まだ早い時間帯だ。いつもより人通りも少なく、森に近付く頃には誰ともすれ違わなくなった。
――昨日別れを告げているし、今更合わす顔もない……。
少し、少し楽しかっただけだ。別にアシュリーに未練があるわけではない。昨日のキスだって、ただの別れの挨拶だ。あの空色の瞳と、何を言ってもへこたれない図々しさが少し……、少し気に入ってるだけで、特にこれといって理由なんかない。そう、理由なんかないはずだ。この町に留まる必要もないし、早く町を出よう。
そう思いつつも、どういうことかシルヴィスの足は勝手に動いてしまい、気付けばアシュリーの家の側まで来てしまっていた。
馬鹿みたいだと一つ大きく息を吐いて踵を返そうとしたが、アシュリーの家の前に一人の男を見つけた。アシュリーとよく似た明るい金の髪が、やたらとシルヴィスの目につく。
町の者かと疑問を抱いたのと同時に男はアシュリーの名を呼び、驚く彼女を馴れ馴れしくも抱きしめた。少し離れた場所から眺めているため、二人の表情まではわからない。親しい仲であることは間違いないだろう。
「わぁ……、修羅場? 挨拶に寄ったけど、無理かな……」
シルヴィスが何やら込み上げる苛つきを感じていると、後ろから聞き慣れた甘い声が聞こえた。もちろん振り向かなくても、そこに誰がいるのかシルヴィスにはよくわかる。
「どうするの? 止めなくていいの?」
クロウの腕を引っ張りながら横に来たキアラが覗き込んでくる。じとりと非難するようなその顔を押しのけて、シルヴィスはツンと顔を背けた。
「止めるもなにも、私には関係ない」
「もう、なに格好つけてるの? そういうの格好悪いんだから。ね? クロウもそう思うでしょう?」
キアラが隣を見上げて同意を求めると、ああ、と頷いたクロウに桜色の髪を撫でられて、満足そうに精悍な腕に擦り寄る。その仲睦まじい様子が今のシルヴィスにはいつも以上に鬱陶しく目に映り、舌打ちで不機嫌を表した。
ふと改めてシルヴィスを見たキアラが、旅に出るような姿に首を傾げる。そう多くはない荷物だが、昨日会った時とは装いが違うことに気付いたようだ。
「あれ? 荷物持ってる。シルヴィスも出掛けるの?」
「ああ、もうこの町に用はない」
「アシュリーちゃんは?」
「関係……」
「ない子のところにわざわざ来ないよね、シルヴィスは。ねえ、昨日ちゃんとお話したの?」
眉を下げたキアラはまるで小さな子どもに尋ねるように声をかけた。一応、妹という立場ではあるけれど、彼女はなぜかシルヴィスを随分年下の弟のように接している。
「ああ、伝えた」
「アシュリーちゃんなら大丈夫だったでしょう?」
何が大丈夫なのか分かりかねるが、キアラは自信満々といった体で言い切る。
「さあ……どうだろうな」
「さあ、って……ちゃんと話してないじゃない。あのね、アシュリーちゃんにも言ったんだけど、想いは口に出さないと伝わらないんだから。きちんと話さなきゃダメだよ」
「……人ではない私と一緒にいても、幸せにはなれないだろう」
「あ! そういうこと言っちゃう? アシュリーちゃんの幸せは、アシュリーちゃんが決めるんだよ。シルヴィスが決めちゃダメだよ」
正論で突かれて回答に詰まり、シルヴィスが視線を彷徨わせると、珍しくじっと眺めてくるクロウと目が合った。
「……気持ちに蓋をすればする程、後から悔やむことになる。アシュリーに向き合ってやれ」
キアラとのやり取りを黙って聞いていたクロウが不意に口を挟んできたので、シルヴィスは一瞬驚き、怪訝な顔をする。
事情により、ある意味父が同じとはいえ、クロウとシルヴィスは出会った時からお互いが気に食わない。残念なことに、これが同族嫌悪だと本人たちは気付いてもいない。
「お前が私に助言とは、珍しいな」
「彼女はキアラの友人だからな。お前の為じゃない」
言いたいことだけ言ったクロウはすぐにシルヴィスから目線を外し、アシュリーの家を指差す。つられたように、キアラとシルヴィスの視線もそちらへと向かった。
「天使様はいいのか? あれ」
「燃やすぞ脳筋」
見ると、先程一度解放されたはずのアシュリーが再び男の腕に収まっている。その光景はやはりシルヴィスの癇に障り、苛々とした顔をする彼の腕をツンとキアラが突いた。
「大丈夫だよ。アシュリーちゃんなら。だって私と同じ感じがするもの」
「同じ? どういう意味だ?」
「ちゃんと話せばわかるよ。ほら、いってらっしゃい!」
予告なくトンと強く背中を押されたシルヴィスは少しバランスを崩して、一歩アシュリーの家に近付いてしまった。振り返るとキラキラした瞳で何かを期待するようなキアラが一人で頷いている。
「アシュリーちゃんに、またねって伝えてね。私たちはもう帰るけど、二人で海辺の町まで遊びに来てね。絶対だよ!」
早く行って! と手で示されて、また舌打ちをしたシルヴィスは砂利を蹴り、アシュリーの家へと歩き出す。だが自分で思っているより足は速く動いてしまい、走るような速度になってしまったことは否めない。
――これではまるで、焦っているみたいじゃないか……。
そう距離もなかったので、少し息を切らせてあっという間に家の前に着く。シルヴィスの姿を認識したアシュリーが男の腕の中で驚いた顔をした。
「シルヴィスさん?!」
声を上げたアシュリーが腕から飛び出し、驚いた顔のまま、もつれるようにしてシルヴィスに駆け寄った。その慌てた様子はシルヴィスに少しの優越感を与える。
突然の来訪者と、腕をすり抜けたアシュリーに驚き振り向いた金の髪色をした青年は、シルヴィスの銀の髪と赤い瞳に目を瞬いた後、はたと我に返る。そして、どこまでも誠実な彼はシルヴィスに向き合った。今日の天気と同じくらい爽やかな彼は、見るからに好青年だ。
「やあ、ヒュウ・ティンバーレイクです。アシュリーの幼馴染だ。アシュリー、用があったのはこの人? やっぱり、恋人……?」
少し残念そうなヒュウから発せられた言葉に、アシュリーは気まずさで嫌な汗を感じた。
まさか昨日振られたところだと、言い出せるわけもない。そもそも、どうしてシルヴィスがここにいるのかもわからない。
「い、いえ! そういうわけではないのですが! こちらはシルヴィスさんとおっしゃって……」
「アシュリーの好きな男だ」
「そう、私の……えっ?! ちょ、ちょっと、何を言ってるんですか?!」
偉そうに腕を組んでズバンと尊大に言い切ったシルヴィスに、驚きのあまり声をひっくり返したアシュリーが目をまん丸にする。シルヴィスの顔を見上げてみても、やっぱりいつも通り平然と高慢な顔をしている。
「お前が昨日言っていただろう」
「今言うことですか?!」
「えっと……どういう関係?」
状況をよく飲み込めないヒュウが困ったように尋ねるが、それはアシュリーが聞きたいくらいだった。