第96話 岩石王とジャガイモ王
前回までのあらすじ!
王者さんとデートは尊い。
水面が陽光を反射して輝いている。どこまでも透明な水は空の色を如実に映し出し、魚の群れが飛ぶように泳いでいるのが船の上からでも見える。
相も変わらず、このオアシスの光景は美しい。
だが、気まずい。帰りてえ。
小舟から釣り糸を垂らしてしばらく。俺の竿には定期的に魚がかかるが、ガイザスの浮きはピクリともしやがらねえ。一度たりともだ。
「……」
「……」
さっきから歯ぎしりの音がうるせえ。釣れなくてイラついてやがる。
おっと、また釣れた。
俺は魚を引き揚げて針から外す。
今夜の夕食だ。もうルランゼとの二人分は十分にある。犬と竜の分はラズルが面倒を見てくれているからしばらくは不要だし、十分な釣果だ。
釣果ゼロのガイザスが恐ろしい目で俺を睨んでいる。
「……下賤上がりの新参王風情が。これで余に勝ったとは思うなよ」
「別に勝ち誇ってねえだろ」
「フン」
んもう、なんなの、こいつ。暑苦しいし息苦しいし。
仕方ねえなあ。
「竿、変える?」
「さっさと寄こせ。やはり小細工を弄しておったか。他国の王でなくば打ち首にしてやるところだ」
「小細工なんぞしてねえわ。あと、そんくれえで打ち首とかすんな。山賊の頭じゃねえんだから」
「貴様は冗談も解せぬのか」
「おめえが言うと冗談に聞こえねえんだよ。この戦バカ」
俺はガイザスに自身の竿を差し出した。
ちなみに、竿は同じ。仕掛けだって、どちらも鳥の羽で作った疑似餌だ。誓って、釣り具に優劣はない。純粋に腕の差だ。理屈は俺もわかんねえけどな。
「ほらよ」
「フン」
取り替えてから同時に釣り糸を垂らす。すぐさま俺の竿に魚がかかった。
引き揚げる。立派な魚だ。
俺はニヤケ顔でガイザスに視線を向けた。ガイザスの眼球が血走っている。血管が切れそうな表情してら。
はっは、いい気味だ。笑えるぜ。
「くかかっ! おまえさん、釣り糸から殺気が漏れてんじゃねえの?」
「やかましい。黙って見ておれ。この程度の湖の魚など、余の竿捌きで絶滅させてくれるわ。貴様には絶対に負けん」
「へいへいそーですか」
「釣果も、国家もな」
ため息しか出ねえ。
何が悲しゅうてこんな堅物岩石オヤジとボートデートしなきゃならんのだ。
その後も俺の竿には定期的に魚がかかるが、ガイザスの竿は動かない。もうガイザスにお裾分けできるくらい釣れたぞ。
どんだけ釣りの才能がねえんだ、こいつは。
にもかかわらず、ガイザスは釣りをやめようとはしない。
「おい、ライリー」
「あんだよ」
「退屈だ。話題を提供しろ」
「おまえな……」
「嫌ならば水底に潜り、余の釣り針に魚を引っかけてくるがいい」
「それもう銛で突いた方が早ええんじゃね?」
「フン、銛など使えん。突撃槍ならば手慣れたものだがな」
騎士が馬上のみで扱う、重量級の槍のことだ。
「アホか。んなぶっといもん撃ち込んだら魚が爆散するわ」
「軟弱な」
何言ってんだ、こいつ。
会話のない、静かな時間が流れる。また一匹、俺の竿にかかった。その後も順調に魚は釣れたが、ガイザスの竿には一向にかからない。
さすがに同情を禁じ得ねえ。魚にまで嫌われてるようだ。魔族や自国民からだけじゃなく。
ふと視線を向けると、ガイザスは竿を両手で握ったまま、うつむいて目を閉じていた。
「……?」
「……」
「おい、ガイザス」
「……」
微かに寝息が聞こえている。
「……寝ちまったよ……」
まあ、疲れていたのだろう。
病み上がりの肉体はもちろん、敵地にひとりでいるから精神的にもな。少なくともここには、こいつを敵視しているやつなんざ、もういねえんだが。
ガイザスが眠っている間に湖畔に戻ろうと、俺は竿を上げてオールを持つ。漕ぎ出そうとしたとき、ガイザスの両手が揺れているのが見えた。
かかった。
「ガイザス! 起きろ! 引いてるぞ! 魚だ、魚!」
「……んお? お、むっ! ようやっときおったかァっ!」
ビキィとガイザスの上腕筋が膨れ上がる。血管が浮いた。
ガイザスが豪腕を一気に持ち上げる。
「ぬおるあああぁぁぁ!」
いや、気合い入れすぎだろ。糸切れるわ。
だがそんな心配を余所に、水面からはそこそこ大きな魚が飛び出した。そいつは凄まじい勢いで迫り、俺の顔面にビターンとミラクルヒットする。
「がぺっ!? ぁいでえ~……!!」
「ふはっ!」
鼻の奥がジンとした。
くそ、鼻血が出そうだ。
だが、釣果は確かなもので、俺の眼前には大きな魚がぶら下がっている。俺の顔面と激しく衝突したせいか、魚は気絶しているようだ。
「ふはははははっ! どうだ見たかライリー! これが王者の竿捌きというものよ!」
「……へいへい。そいつぁようござんしたね。たったの一匹だけどねェ」
「だが貴様の釣ったどの雑魚よりもでかいぞ! ふぅーははははは!」
「俺ぁ十二匹釣ったけどな。全部合わせりゃ、おめえの魚の数倍の重さがあんぜ」
「阿呆が。戦は大将首を取った者の勝ちよ!」
「釣りは戦じゃねーし!」
俺の言葉など意にも介さず、ガイザスは見せつけるように、釣った魚を眼前で揺らす。
「ほれほれぃ、刮目せい! 余の勝ちだ!」
「ガキかよ。わかったから、さっさと魚を針から外せ。落として逃がしても知らねえぞ」
「貴様が外せ。余は触れぬ」
「は?」
「気色悪い」
「乙女か!」
もうほんとなんなの、こいつ~……。
だがようやく気が済んだようで、俺たちは小舟を漕いで湖畔へと戻った。家に戻り、桶に入れた釣果をルランゼに見せる。
ここでもガイザスは得意顔だ。
「どうだ、ジルイール! これが余の力だ!」
「うわー、ずいぶん釣ったねえ。すごいすごい。でもこれ、王者さんと分けても食べきれないな」
俺は半分以上を別の桶に放り込む。
ちなみに、湖畔で腸を抜いて血抜きは済ませておいた。ガイザスがドン引きした顔をしてたのが笑えたね。自分たちが普段から口にする食い物ってのは、こういうもんだって、あの年齢にしてようやく学べたようだ。
そう考えると、ちょいと気の毒な人生でもあるのかもしれねえ。
「ラズルんとこに持ってくわ。あの爺さんなら干物や燻製にしてくれんだろ」
「そうだね。ラズル先生に渡せば犬くんや竜くんにもまわるから、ちょうどいいかも。レンちゃんたちにもいくだろうし」
「待て。でかいのは余の魚だぞ。今宵、あのゴブリン族の酒とともに喰らうのだ」
酔ったウォルウォに横取りされそうだなあ。
「心配すんな、わかってるよ。ところでガイザス。おまえさん、調理はできるか?」
「できるか、だと? 誰に言っている! 王が料理などするわけがなかろう」
何を自信満々に言ってやがんだ。
ルランゼがガイザスににっこり微笑む。
「塩焼きでよければだけど、わたしがいましてあげられるよ? どうする、王者さん?」
「ふむ、よかろう。ライリーの妻にしては器量がいいな。褒めてつかわす」
概ね同意だが、前半の言葉が気になる。いちいち俺を下げるな。どんだけ敵視してんだよ、俺のことを。
「あはっ、褒められちゃった」
ルランゼが魚を入れた桶を持って、鼻歌交じりにキッチンへと向かう。
俺は残りの魚の入った桶を担ぎ、ガイザスを引き連れてラズルに貸している家へと向かった。
ラズルはあいかわらず、燻製を作っている。みんなラズルの燻製が食いたくて、次々自分たちで用意した食料をここへ持ち込むんだ。ラズルはその食料のうち、いくらかを分けてもらい、残りをすべて燻製や干物にして返す。
持ち込まれる量が膨大だから、もはや専門店のようになっている。
戦争がなくなったいま、ラズルはシュトゥンともどもいつまでリベルタリアに滞在しているかはわからんが、オアシスの住民にとってはありがたい存在だ。
家屋のドアは叩かず、そのまま裏手に回る。匂いでわかるのさ。燻製のな。
予想通り、ラズルは庭で燻製を作っていた。俺たちに背中を向けてな。
「ラズル」
「ライリーか。ほう、珍しい客も一緒だな」
ラズルは振り返りもせずに、簡単に言い当てる。
底の知れねえ爺さんだ。一度、剣の手ほどきを受けてみたいところだ。
リベルタリアを守った結界術士がルランゼとラズルであることは、ガイザスもすでに知っている。だが、ガイザスは敵意を示さず、黙ったままだった。そりゃそうだ。同じ結界術士のルランゼに対しても、そうだったからな。
「ラズル。ちょいと手間だが、魚を八匹、干物か燻製にでもしてくんねえか。ガイザスと一緒に釣ってきた魚だ。完成したらウォルウォとレンに二匹と、犬と竜に一匹ずつ、あとはそうだな、シュトゥンにも分けてやってくれ。残りはあんたが食ってくれてかまわねえ」
「三日ほどかかる。そこに置いておけ」
「ありがとよ」
「ライリー」
踵を返しかけた俺たちに、ラズルが掌サイズのチーズの塊をふたつ投げた。
「うおっと」
俺はそれを両手で受け止める。
ちゃんと燻製されたものだ。チップのいい匂いがしている。
んん~こりゃたまんないね。涎が出ちまう。
「おまえたちで好きに分けろ。どいつもこいつも好き勝手に酒だの食料だのを持ち込んでくる。儂とシュトゥンだけではもはや食い切れん」
ひねくれた爺様だ。
本来、腐りそうな余り物なんてもんは、いくらでも入る巨大ゴミ箱みてえな竜の口に放り込めばいいだけの話だからな。素直じゃないね。
俺は笑ってこたえる。
「おお。助かるぜ。あんがとな」
「ああ」
俺はチーズの片方をガイザスに渡す。
「む」
「おめえの分だとよ。よかったな。晩餐は豪華だ」
「ふむ……」
なんとも言えない表情で、ガイザスが燻製チーズを受け取った。
俺たちは家へと引き返す。そろそろルランゼの作る塩焼きができているはずだ。長い時間、小舟にいたから、太陽はもう傾き始めている。
ガイザスは俺の後ろを、黙ってついてきている。もらった燻製チーズを眺めながらな。
けど、唐突にその足音が止まった。
俺は振り返る。
「どうした?」
「……ライリー」
あかね色に染まった空の下。
ガイザスは少し疲れたような表情で静かに呟いていた。
「……リベルタリアは、このオアシスは、善き国だな……」
「……」
「……余は少し、うらやましく思う……」
俺は引き返し、ガイザスの背中を掌で叩く。
ガイザスがよろけた。
「くかか! いまさらあたりめえのことを言ってんな」
「……」
「ま、王をやることに疲れたら、また遊びにこいや。ちっとくれえなら、付き合ってやらあ」
ガイザスは返事をしなかった。
だが、岩石のような顔面が、そうだな、ジャガイモくらいには和らいだ気がしたね。
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