第9話 楽しい話をしようよ
前回までのあらすじ
楽しい未来を妄想する二人!
二つのテントを並べて建て終えた俺は、小さな携帯テーブルを組んで、持ってきたワインで唇を湿らせる。贅沢にも満天の星空を見上げながらだ。
ちなみに三日分ほど用意していた生の食材は、すべて食べ尽くした。俺とルランゼはともかく、竜の子があれほど大食らいだとは思わなかった。明日こそ魚を釣らねばならないようだ。
甘い果実の酒が五臓六腑にゆっくりと染み渡る。疲労すら心地いい。
「ふぅ~……」
月見酒だ。魔力嵐の砂嵐の上には、吹き抜けのようにぽっかりと大きな夜空が覗いている。街にいては見えない無数の星に、大きく明るい月は、なかなかに風流だ。
つまみがただの干し肉なのが惜しいところだ。まあ、うまいんだが。
「あ、ずるい」
「竜の子は?」
「寝てる。あの大食らいにはびっくりしたね。ご飯を上げようとしたライリーの腕ごと食べようとするんだもの」
「思い出させるな。肘の傷がうずくだろ。持って行かれるかと思ったぜ」
「がっつり口の中までイカれてたもんね」
ようやく水着から着替え終えたルランゼが、自身のテントから出てくるなり、俺の横に立った。俺は隣に立てかけておいた折りたたみの椅子を片手で取って、ルランゼへと差し出す。ルランゼはそれを受け取って広げ、斜向かいに腰を下ろした。
見目麗しき水着姿でなくなったことは残念だが、編み上げ式のコルセットの下は、花のように広がったスカートだ。よく似合っている。だがもう眠りつく前の時間だというのにわざわざ着飾ってくるというのは、俺にはあまり理解できない女心というやつか。
「寝間着じゃないのか。いちいち着替えるのは面倒だろうに」
「べ、別にいいでしょ。こういう服は嫌い?」
「似合ってる。とても」
「……う、へへ」
変な笑い方をしながら、ルランゼが酒瓶に手を伸ばした。
「わたしももらっていい?」
俺は一瞬早く酒瓶をつかんで、意地悪く彼女から遠ざける。
「だ~めだ。干し肉はともかく、ガキに酒はやれねえよ」
「だから、わたしはライリーより年上なんだってば。……むぐう、言ってて虚しい……」
「悪いな。俺から見りゃ、若い娘に見えるんだ」
ルランゼがむくれながら頬を染めた。
「それは嬉しいけど。でも喉が渇いた~っ」
「代わりを用意してある」
折れて千切れた聖剣の刃側を懐から取り出して、魔力を通す。
半壊したテントの側にあるのは椰子の木だ。本来なら自分で飲むつもりだったのだが。
俺は刃を樹木の実の付け根をめがけて投げる。月光を反射し、回転しながら椰子の木の上部を通過した刃は魔力に引かれて旋回し、俺の足下に突き刺さった。
かっこ良く受け止められりゃいいんだが、さすがにこの夜の闇の中では怖い。手首や指がすっぱり飛んだりしたら、最高に笑えない笑い話のできあがりだ。いや、先ほど竜の子に食われかけたばかりだったが。あいつめ。
だがその代わりに。
「よっと」
落ちてきた実を受け止め、今度は聖剣の柄側、調理用の包丁となった側で椰子の実の上部を切り飛ばした。それをテーブルで待つルランゼに差し出す。
「……飲めるの?」
「なんだ、ルランゼは知らないのか。椰子のジュースは甘いんだ。何なら俺が毒見しようか、魔王様?」
「いいよ。ライリーのことは信じてるもの」
両手で受け取ったルランゼが、椰子の実に口をつけて傾ける。一口含んで。口の中でよく味わって、頬をゆるめた。こくり、喉が動く。
「甘~い。おいしい。気に入ったよ、ライリー」
「どういたしまして。欲しけりゃまた取るから言ってくれ」
「うん、ありがと!」
夜がゆっくりと更けていく中、砂を巻き上げる魔力嵐に切り取られた月の下で、俺たちは語り合う。
「ライリーはいつまでオアシスにいるの?」
「バカンスって言っても、俺はクビだからな。家族もいないから帰らなきゃいけないような郷もない。だからまあ、ここに飽きるか、食い物がなくなるまでかねえ」
「そうなんだ」
ムグムグと干し肉を食べながら、ルランゼが俺を見つめている。ちょいと迷ったすえに、俺は彼女に同じ質問を返した。
「……ルランゼは?」
「明日の昼には戻らなきゃ。平和主義者の魔王が不在じゃ、魔族はいまにも人類領域に侵攻しちゃいそうだからね」
ルランゼが重いため息をついた。
「魔王の仕事は嫌いか?」
「まるで囚われてるみたいだよ。それにわたしを憎むヒトは多いの。人類に攻め込まれても、わたしが攻め返さないから。配下から命を狙われたことだってある。嫌になる。逆に聞きたいんだけど、どうして人類王は魔族領域に侵攻したがってるの?」
「さてなあ。無責任に聞こえるかもしれんが、俺にはさっぱりわからん。王の野望ってやつなんじゃないか?」
少し間を置いて、俺は自分の意見を述べる。
「くだらんね。たった一人の野望に踊らされて大勢死ぬのも、大勢殺すのもだ。だから俺は不良勇者なんて言われたわけだが。おまえさんもそうだろ。魔王的にはろくでなしだ」
「だね。不良と、ろくでなし。お似合いかもね」
甘いワインが少し渋みを増した気がした。
干し肉で口直しだ。
「ライリー、少しマジメな話をしてもいい?」
「ああ。てか俺はいつだってマジメだったが……」
「あれで!? ま、まあいいや」
気になる反応だな、オイ。そっくりそのまま返してえわ。
「えっとね、わたし、人類王に何度か使者を送ったの」
俺は眉をひそめて、思わずテーブルに身を乗り出す。腰がわずかに痛んだ。
「……おい、初耳だぞ」
「和平交渉だよ。要約すると、人類が和平を望まないなら、期限を定めた不可侵条約でも構わないから結びたいって内容なんだけど」
「それで、どうなった?」
「王が替わるたびに送ったけど、断られっぱなしだよ。厳王ガイザスの代になってからも何度か断られて、三度目のときに片腕を失った使者が戻ってきた。それでガイザスの時代に和平を目指すのはあきらめた」
使者の腕を斬って帰すなど、あり得ない暴挙だ! 蛮族じゃねえか!
やったのはガイザス王か? あるいは大司教カザーノフに手紙自体を握り潰されていたという可能性もある。
「……すまん……」
「ううん、ライリーが謝ることじゃないから」
「何にせよ、戻らなきゃいけない理由はわかった。変なことを話させて悪かったな。ルランゼといるのが楽しかったから、年甲斐もなく欲が出ちまったらしい。忘れてくれていいぜ」
ルランゼが表情を隠すようにそっぽを向いた。
「そ、そういうこと、口に出して言うのずるい」
「人間は年を取ると恥を忘れるんだ。何でも言えるようになる。本心をな」
「んもう。わたしだってほんとはライリーと――……」
彼女が言葉を切って、椰子の実のジュースを飲み干す。
俺もゆっくりとグラスを傾けた。先ほど感じた渋みが消えて、甘い味に戻っている。
「ねえ、ライリー。もう半日もないけれど、やっぱりもう少し楽しい話をしようか」
続く言葉は、まるで関係のないものだったが、俺だって数十年を無駄に生きてきたわけじゃない。先ほど彼女が言わんとしたことくらいはわかる。そしてその気持ちは、汲むしかないだろう。
つまり、明日が俺たちの別れだ。
「そうだな。そうしよう。ルランゼの故郷はどんなところだった? ガキの頃はどんな暮らしをしてたんだ? 母ちゃんは型破りなヒトだったんだろ?」
ルランゼがテーブルに身を乗り出して、茶化すように悪戯な表情をした。自然、俺たちの距離は近づく。それこそ息がかかるほどに。
「あ~、それ聞く~?」
「ええ、なんだよ? なんかあんの?」
そうだ。楽しい話をしよう。
どうせ今晩で最後となる二人なのだから。
ただし、その距離は無限。
明日17時台の更新で最終話です。
本日更新で終了の予定でしたが収まりきらず、一話追加することにしました。
最後まで見届けてやっていただけると幸いです。