第88話 おっさんは辿り着く
前回までのあらすじ!
サイテーだ……。
人生はつらいことや痛いことばかりだ。
ほんの少し他人より器用だっただけの俺は、あろうことか国家に目を付けられ、勇者なんてもんにされちまった。好奇の視線に加えて妬み嫉み、ろくでもねえ任務に否応なく従事させられ、逆らや貴族棒ってやつで頭を叩かれる。
居心地の悪さは一面に敷き詰められたクソの上もかくやといったところだった。だが俺は己の裡にある正義を貫いたことにより、結局のところ、そこで得たすべてを国家に剥奪された。金も地位も名誉もだ。
与えてみたり、剥奪してみたり。国家は国家で、いったい何をしてんだかねえ。
ま、剥奪されて失ったものなんざ、時間以外は何一つとして惜しんじゃいねえが、だったら俺の半生は、いったい何のためにあったんだと、時々考えることがある。
「……もっと早く、ここに辿り着きたかった……」
たとえばだ。
俺が勇者にはならなかった世界があったとしよう。
むろん剣の腕を磨こうとも、自分からは絶対に国に仕えたりはしない。適当にそこらのやつらを助けて、そうだな、冒険者ギルドなんてもんに所属して、魔族ではなく魔物を相手に戦っていただろうか。
いまとはほど遠い、小さな小さな冒険だ。
魔王や精霊王や竜といったやつらと絡むこともなく、剣一本で日銭を稼ぐ毎日。少ねえ報奨金で飯を喰らい、小汚え同業者どもと酒場で騒ぐ。
俺はどすけべだから、きっと冒険の中で仲間の女と懇意になり、おそらくはガキでも作って結婚しただろう。余生は貯めた金で郊外に小さな家を買い、犬でも飼って生きるのも悪くねえ。
そんで冒険者時代の馴染みを家に時折招待して、酒や飯をかっ食らいながら昔語りをするのさ。
「……それも悪くねえな。ああ、悪くねえ……」
たとえ魔王となったフレイアに支配された世界でも、俺は庭でガキと犬を遊ばせながらハンモックに揺られて、それを眺めて目を細めている。そういうのは得意なんだ。
フレイアが目指した世界では、人類は滅亡しない。ただ王侯貴族どもが解体されて、魔王の管理下に置かれるだけだ。その他の支配階級はいなくなる。
ただ、そいつがもたらすものが混沌か、あるいは秩序かは、いま以てわからんがね。
それでも、世界がどうあろうとも、俺は自分の小さな家族を守るためにうまくやっただろう。混沌なら再び剣を取るし、秩序なら剣を捨てて畑でも耕すさ。
同じだ。辿り着く先は同じ。
いま俺がオアシスで見ている景色と、とても似ている。勇者なんて称号があろうがなかろうが、結局俺はそこに辿り着く。そして、家族や仲間を見ている。
でも、きっと違うんだ。決定的に違う。
わかるか、この違いが。
同じものを見ていても違うんだよ。
おそらくいま、俺の中にある感情は、実現しなかった理想世界の俺とは、まるで別物になっている。
なあ、楽で楽しいことしかねえ人生ってそんなに大事か?
大した痛みも、何の苦労もなく手に入れた景色と、戦って苦しんで傷ついてようやく勝ち取った景色は、本当に同じ色に見えるのか?
大河の側にある都市で飲める水の味と、砂漠でカラカラに渇きながらようやくありついた一杯の水の味は同じか?
神は俺を選ばなかった。
王は俺を擦り切れるまで酷使した。
世界は俺という個人を拒絶した。
だから足掻いて、足掻いて、足掻き続けた。オアシスは、その先で俺がようやく辿り着いた場所だ。
ここで見る色鮮やかな景色は、きっとこのくそったれな人生でなければ、生涯手に入れることができなかったもんだろうよ。
かかっ、それに比べりゃあ、実現しなかった理想世界の俺の未来なんざ、色あせて見えるぜ。
※
「ライリー、寝ちゃってる?」
「ええ。眠っています。今日の主役なのに、困ったヒトですね」
魔力嵐に守られた広大なオアシスの一角で、小さなホブゴブリンの娘はため息をついた。その傍らでは、南国の樹木を繋ぐハンモックで眠る男の姿がある。
傷だらけだ。見るたびに増えていく。一日が始まり、そして終わる頃には、また新たな傷が一つ。
それでもこの男は立ち止まらなかった。誰かが見ていなければ、どこかで野垂れ死ぬ。そんな予感をさせながらも、未だに生き延びている。
男はホブゴブリンの娘に背中を向けるように、横を向いて眠っていた。呼吸のたびに、規則正しく肩が上下している。
娘は声をかけてきた女を見上げた。
かつては魔王と恐れられた女だ。いまはただの主婦だけれど。
「ライリー様はあいかわらずですね。決戦前だというのに、のんきなものです」
「ねえねえ、ライリーって旅の間もこんな感じだったの?」
「旅の話をご所望で、魔王様?」
「聞きたいな。もう魔王じゃないけどー」
ホブゴブリンの娘は少し迷うように視線を逃したあと、再び女を見上げる。胸に秘めた感情を押し隠すような、無感情な目で。
「妬いても知りませんよ?」
「妬かないよ」
娘の視線にわずかばかりの怒りが宿った。
「どうして? わたしが子供だからですか?」
だが、女はどこ吹く風で微笑んで。
「違うよ、レン。わたしがもうライリーの心の一部だから。彼もわたしの一部だから。ライリーが大切に思うヒトは、同じようにわたしも愛しく思うんだよ」
魔力嵐から流れる風は、ゆっくりと二人の髪を揺らす。
両者の隙間、その向こう側には宴を開いている人々が見える。
酒盛りをしている巨大なゴブリンと、そして魔王軍六千将の鬼、腹をパンパンに膨らませて眠る小さな炎竜、酒を口に含んで夜空に大炎柱を作る精霊女王に、それに拍手を送って騒ぐオアシスへの移住希望者。
妖艶な人型に変化した大狼は月を見上げて静かに杯を傾け、率いる人狼たちは運ばれた建材で昼夜問わずに新たな家を建てている。
喧噪からわずかに離れたところで大量の燻製を作っている老人の周囲には、かつて三人の魔族が命を懸けて守り抜いた子供ばかりの移住希望者の、およそ半数が集まっている。残り半数は三人の魔族の捜索に出たらしい。
夜のオアシスに、多くの灯りがあった。
やがてレンは根負けしたように、静かにゆっくりと長い息を吐く。
「ルランゼ様は、怖いヒトですね」
「え? 怖いかなあ?」
ルランゼは腕を上げたり、身をよじったりして自分の身体を眺める。
「わたしと同じ魔族だとは思えません。あなたはまるで――……」
レンが言葉を一度切った。
首を傾げて続く言葉を待つルランゼに、少女は頭を振る。髪の揺れが戻ると同時に、無邪気な表情を見せた。
「旅の話は長ぁ~くなるんで、覚悟してくださいね。ライリー様のご活躍を聞けば、きっとルランゼ様もお腹を抱えて笑っちゃいますよ」
「笑うのっ? なんでっ!? かなり大変な旅だったんだよね!?」
「ええ。とても大変でした。何度死んだと思ったことか。ですが、笑いますね、間違いなく。だってライリー様ですから。まともな旅になると思います?」
ルランゼは後頭部をポリポリと掻いて、苦笑いを浮かべる。
「……あ~、思わないや。ちょ~っとだけ期待したんだけどなあ。お伽噺やヒロイックな伝承に出てくる白馬の王子様みたいなの」
「ふふ、そんなわけ。見かけからして、もうすべけなおじさんじゃないですか」
「だよね~っ」
そう言って笑い合い、二人連れ立ってその場から去っていった。
樹木の裏から、一匹のコボルトがひょっこりと顔を出す。口には毛布を咥えている。
二人が完全に立ち去ったのを確認してから、しかし毛布を男にかけるではなく、つま先立ちになって男の目元にそっと押し当てた。起こさぬように、そっと。
「イ、犬、ワカル。ココマデ、大変ダタナ、ゴスジン。デモ――」
犬が全身を目一杯伸ばして男に毛布を掛ける。そうして自らは樹木にもたれて座り、真下から眠る男の顔を見上げた。
「ナ、ナナ涙トトモニ、パ、パン食ベタモノデナケレバ、人生ノ味、ワカラン。ゴスジン、ヨカッタナ」
男は眠りながら、幸せな涙を流していた。二人の少女は気づかなかったけれど、男は眠りの中で泣いていた。
なぜなら今夜のオアシスには、かつて男が望んだそのすべてがあったのだから。
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