第87話 火娘さんと勇者のおじさん
前回までのあらすじ!
解散!
全力だった。
決戦の地となたのは、イフリータの棲む火山地帯の麓だ。川はあるが、残念ながら水は干上がり涸れちまっていた。
俺はサクヤの剣のみならず、全身に可能な限りの濃度で魔力をまとい、イフリータから放たれる熱を少しでも緩和する。
「アハッ、どうしたのォ? 息上がってるよォ?」
「うるせえなァ。実際苦しいんだからあんま喋らせんなっつーの」
「いいねェ、あいかわらずの軽口! やっぱあんた最高だよッ! 有利なのか不利なのかさえわかんなくなっちゃう! アッハハハハッ!」
イフリータの蹴り俺の頭頂部を掠め、炎色の軌跡を残して熱風を巻き起こす。屈んで躱しはしたが、なるほど、こりゃきちい。
毛先が焦げた。
「おい、ハゲたらどうしてくれんだァ?」
「いーじゃん別にィ! 髪くらいさァ!」
厭だよ。
しっかし。
こいつの間合いで息をするだけで、肺が灼けそうになる。
魔力のコーティングを通す際に熱はある程度カットしているが、以前に赤熱化したこいつを両手でつかんだときのように焼け石に水だ。だから接近時、基本は無呼吸だ。
むろん限度はある。だから本来なら口も利きたくねえところだが、凶暴な獣に弱味を見せりゃ一気にたたみ込まれちまう。要するに軽口なんざ、ただの虚勢だ。
素早い踏み込みに接近を許しちまった俺は、呼吸を止める。
「……ッ」
「あれれ~? なんで黙るのさ? ねえねえ、もっとお喋りしようよォ! つまんな~いっ!!」
この状況の俺を見て、イフリータは嬉々とした表情で叫ぶ。
「アッハ! 喋りなよ、いつもみたいにさァ!? こっちは負けたら愛人にされる勝負に乗ってやってんだよォ!? 楽しませてよォォォ!」
拳の間合いから剣の間合いまで逃れ、俺は口を開いた。
「だからそりゃ誤解――」
「あ~ッ! 口に出したらまたムカついてきたァ! あっははははは! でも笑っちゃう! それも悪くないなって思っちゃってる自分にだよ! こんな気持ち初めて! もしかしてこれが恋ってやつなのかな!? あ~胸のあたりがモヤモヤする!」
「そいつぁただの殺意だ」
そう思いたい。
「あぁぁぁぁ~~~、もうどっちでもいいや! シネシネシネ! 死んじゃえっ!!」
繰り出される拳を剣で防ぎ、反動を利用して距離を取る。だがイフリータは超反応で踏み込んできて、ぴたりとくっついて離れやしねえ。
「ぬぐっ!?」
「そぉりゃあぁぁぁ! もっと、もっと、もっとッ、もっとぉっ!! もっと激しく殺し合おうよォォ! ライリーもガンガンおいでよ!」
炎の拳をかいくぐって躱し、俺は叫ぶ。
「く……っ、やれりゃやってるわッ!! ンのやろッ! ~~ッ!!」
ムキになったせいで、気道が少し灼けた。
ああ、くっそ強え。こいつの強さを形容するなら、燃えてるミリアスだ。
イフリータの体術と俺の剣技がほぼ互角。素手と武器の差を考慮しても異常だというのに、厄介な赤熱化で炎の鎧を着込み、飛び道具に魔術まで使いやがるときたもんだ。
放たれた小さな火炎弾を、俺はステップで躱す。着弾と同時に地面が弾けて、細かな礫が額を打った。
「痛……ッ」
「ほらほらァ、まだまだいくよォ!」
やりづれえ理由は他にもある。
イフリータは俺を殺そうとしているが、俺はイフリータを生かしたまま調伏しようと行動をしているからだ。殺しちまったら元も子もねえ。オアシスの戦力として絶対に必要なんだ、こいつは。
とにかく無力化させたい。戦闘不能になるまで四肢を刻むか、あるいは水中に投げ込むかだが、あいにくと川は涸れ果て、雨も降りそうにねえ。
ただでさえ紙一重の戦いだというのに、生かしたまま調伏という条件を貫いて勝つなんざ絶望的だ。
迫る炎色の拳を、俺はブリッジのように身を反らせて躱す。
「ハアアア!」
「――ッく」
追撃をいなすように剣を横に薙ぎ、イフリータが避けた隙に右へ左へとステップを踏みながら後退する――が、一瞬遅れで確実についてきやがる。
「しつッッけえんだよ!」
「そうだよォ? どこまでいっても、どこまでも追い詰めるからァ! でもそれって、ライリーだけだからね! こんな気持ちほんと初めてなんだ! ねえ、ライリーはあたしのこと嫌い?」
振った剣をかいくぐり、足下に潜り込まれて足払いをもらった。
「ぐ……っ」
接触はほんの一瞬だったというのに、ジュっと魔物革のブーツが焦げ付く音がした。
浮いた全身を空中でひねって追撃の後ろ回し蹴りを回避し、剣で牽制する。だが剣の腹を軽く炎色の掌で払いのけて、イフリータはさらに踏み込んできた。
「イッ!?」
「アハ! 殺ったァァァ!」
殺意の乗った炎の拳を、俺は不格好に身をねじって避ける。頬と耳を掠めた。
肉が焦げ付く。
「アッハッ! これでも避けるんだァっ!! やっぱイイネェ! ねえねえねえねえねえねえ、あたしのこと嫌いッ!?」
「……好き嫌い以前に怖い……」
声、震えるわ。もう。泣きてえ。
「アッハハハハハハッ!! もうね、あたしはライリーのこと、おもしろくて楽しくて嬉しくて、大好きっ!!」
そうしてまた拳や蹴りを繰り出すんだ。
俺は剣でそれを斬り払おうとするが、イフリータは器用に剣の刃部分だけを避ける。おまけに拳を繰り出すたびに小さなマグマのような炎の塊が飛散して、そいつが服に触れるだけで、魔力コーティングを貫通して服や肌をわずかに焦がすんだ。
間断なく放たれる連撃に、防ぎ続ける両腕が痺れてきた。
「――ッ」
「逃がさないよォ! ライリィィィ! もしあたしが負けたら、二番目でもいいから責任取ってねェ!?」
「勘弁してくれ……」
「なぁぁ~んでさァ!? アッハ、きっと一緒なら楽しいよォ!?」
せめてこいつが赤熱化してなきゃあ、やりようもあったんだが。
イフリータは精霊王の名に恥じることなく、全身を溶解しかけの金属のように炎色に染めて、次々と攻撃を繰り出してくる。
燃える、狂った瞳で。牙を剥き、けたたましく嗤いながら。
「勝っても負けても嬉しいなんてッ、これってばァ、最ッ高の殺し合いじゃんっ!」
「~~ッ」
「全力出せる男ってだけで、やっぱあんたたまんないよ! ライリィィィ! あたしは殺す気でいってるけど、もったいないから死なないでよねェ!?」
「無茶言うなアホが!」
俺は苦し紛れにサクヤの剣の切っ先を、イフリータの腹部へとめがけて突き出した。たたらを踏んだ彼女がわずかに距離を取る。
その隙に俺は目一杯、肺に酸素を送り込む。
だが一息つく暇もなく、今度はイフリータが両の掌を俺へと向けた。三バカがレンを融解した際に、小屋で見せた技だ。
広範囲に広がる渦巻く劫炎が、イフリータの両手から放たれた。
「アッハハハハッ!! まあ、負けないけどォォォ!」
辺り一帯が陽炎に揺らいだ。
前後左右、どこに避けても直撃は免れない。ルランゼの光線魔術や炎竜のブレスほどの熱量やバカ威力はないが、イフリータを中心として球状に増大するそれは回避不能。安全圏はイフリータの背後のみ。むろん、簡単に背後を取れる相手なら苦労はしねえ。
全身に魔力を纏い、耐えるしかない。前回はそれでどうにか耐え忍んだ。完全には防げねえし、おそらくあれでも、こいつは本気を出しちゃいなかっただろう。
俺は焦りの表情を浮かべながら、練りに練った魔力を幾重にも重ねる。
「く、そが!」
「アッハッ、死んじゃだめだよォォォォォ!?」
火球が俺を中心に爆発した。
レンを誘拐した頃よりも、火球の熱量も威力も増大している。わかっちゃいたが、全身が焦げ付く痛みに歯を食いしばった。
食いしばったまま、俺は地面を蹴った。
あの頃と違うのは、俺も同じだ。いま俺の手にはサクヤの剣がある。魔力を纏った武器は、魔術をも斬るんだ。斬り裂いて走るんだ。
熱量は完全には防げねえが、それはあきらめた。全身が大やけどを負う前にイフリータを無力化するしかねえ。
炎の壁を斬り進んだ先に、イフリータがいた。
突然現れた俺に驚愕――いや、違うな。俺を待ちわびていたかのように嬉々とした表情で、すでに拳を引き絞った状態で待ち構えていやがったんだ。それも、自らもまた火球の中へと踏み込み、俺が想定していたよりもずっと近い距離で潜んでいた。
俺は吐息のかかる距離にいながら、未だに剣を振り下ろす動作にも入れていなかった。無防備に全身をさらした状態だ。
のこのこと飛び込んできた俺という獲物を見て、彼女の炎色の瞳が狂喜に歪む。
「楽しかったよ。ライリー」
――死ぬ。
回避、間に合わない。
剣で防御、もっと間に合わない。
そもそもすでに剣の間合いじゃない。もう内側に入られているのだから。聖なる包丁は腰の鞘に忍ばせている。だが、抜く暇はない。それができるなら避けられる。
思考だけが高速回転し、次々と戦術を弾き出しては否定していく。
そのうちの一つ――!
「バッイバァ~イ!」
言葉とともにイフリータの拳が放たれると同時、俺はサクヤの剣を手放しながら左手を犠牲にイフリータの拳を払って軌道を逸らせ、右手を彼女の服の胸元から内側へと突っ込んでいた。
狂喜の瞳が戸惑いに変化した。
「ハッ? えっ?」
「揉む」
「ちょ――」
纏う炎が大きく乱れ、瞬間的に途絶えた。
イフリータは大きく飛び退るが、もう手遅れだ。俺の腕はしっかりとイフリータの服の内側に引っかかっていて、自ら追って跳躍するまでもなく一緒にポ~ンとついていく。
「ぎゃ、ぎゃああああぁぁぁーーーーーーーーーーーっ!! ちょ、ちょちょちょっと!」
「いや、揉むわ。そろそろ揉むわ」
大暴れするイフリータが上半身を右へ左へと振り回すが、服に引っかけた俺の右手はなかなか離れない。つか、離れたら死ぬ。こっちも必死だ。
もう剣も手放しちゃったからな。俺の武器はもう、どすけべしか残ってねえんだ。
「ま、待って、待って! まだ揉むな!」
「もう揉むわ。どすけべだもん。すぐ揉むと思うわ。ごめんな」
本当のことを言えば、それどころじゃあない。
炎纏い状態のイフリータの肌に直接触れた俺の右手は、すでに半分近くまで炭化していた。幾重にも魔力でコーティングしちゃあいたが、熱量を完全に防げるわけじゃないのは先述の通りで。
精神をかき乱して炎纏いこそ強制解除させたが、右手の感覚なんぞもうとっくにない。どこ触ってんのかもわかんねえ。指も曲がらねえ。揉みようがねえ。
だがまあ、局所的な火傷くらいならば自分の魔術でもどうにか治せる。最悪、ルナのお世話になりゃいい。
「さて、揉もう」
「こ、この――ッ!!」
当然、多少なりとも冷静に戻ればイフリータは再度炎を纏うだろう。その際に俺の右手を両手で固定すれば、完全な炭化は一瞬。むしろ全身灼かれて死ぬのは俺だ。
「い、いい加減に――ッ」
実際にイフリータは俺の右手を両手でつかんだ。
だが、それを待ってやるほど、お人好しではない。火傷を負ってもかろうじて動いている左手で腰の鞘から聖なる包丁を抜くと、俺はイフリータの上衣を、腰のあたりから首もとまで縦に斬り裂いていた。
果物の皮が剥けるように、彼女の服が左右にパカリと開いた。
「ぎゃあああああっ!?」
胸元の編み上げ部分は金属糸らしいが、こんだけ自分で熱を発してりゃあ、金属も糸も変わらねえよ。脆すぎて簡単に斬れるってもんでな。
「あああぁぁぁぁもおぉぉぉぉ!」
大慌てで俺の腕を放し、イフリータがでけえ胸を両手で押さえてぺたりと座り込む。その隙に俺はサクヤの剣を蹴り上げて左手でつかみ取り、半裸のバカの首に刃をあてた。
「俺の勝ちでいい?」
「い、いいわけないじゃんっ!? 以前といい、今日といい、ずるいよ! ライリーだって裸にされたら動けないだろ!」
俺は下卑た笑みで言ってのけた。
「くっくっく。むしろフリーダムになって、上下左右にめっちゃ動くが?」
「ひ……」
その反応やめろ。興奮するだろ。
「んで、まだやるのかィ?」
「……う……うう。……負けでイイ……です……」
問答無用の完全勝利だった。
おまわりさん早く! またあいつですッ!!!!
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※更新速度低下中です。
しばらくこの状態が続きそうです。




