第72話 火娘さんがやってきた
前回までのあらすじ!
クゥ~、ゴスジン、オ・ト・ナ!
出発の日はぽかぽか陽気だった。
小型の王族専用馬車に乗って、俺とルナは街道をいく。無粋な護衛は必要ない。なぜならこの馬車には、この最強のおっさんたる俺様が乗っているからだ。ふふん。
まあ、顔面には見事な手形がくっきりとつけられてるけどな。
「頬が痛え」
「バカだな。自業自得だ」
「奇跡で治してよ、ルナちゃん」
「戦神ガリア様を顎で使うな。自力でやれ、それくらい」
ルランゼにしばしの別れと再会を告げる際には、ぜひともムチュっとキスの一発でもと思っていたのだが、どうやら俺は魔族国家を窮地から救った英雄扱いをされていたようで、魔王城を出る際には魔王の側近団に盛大な見送りをされちまった。
結果、彼らの視線を恥ずかしがったルランゼが、キスをせがんで唇を尖らせた俺の頬を盛大に叩き、その場で側近どもの大爆笑を誘って別れの儀は締め括られた。
ルランゼめ、ビンタのときに魔力を込める癖やめてくんないかな。
まあ、その後こんなふうに謝られたんだが。
『あぁん、ごめんね、ライリ~……。オアシスで全部叶えてあげるから~……』
『いまのでさらに上乗せになったぞ。もうすっごいことするぞー。どうせ砂漠にふたりだしな』
『う、うん。いいよ! で、でも、初めてだからお手柔らかにね? ね?』
なんて可愛いことを言うんだ、こいつは。やっぱいますぐにでも連れ去りてえよ。
『ぐっふふふ』
『ひゃ~……邪悪な笑顔……』
てな具合だったワケよ。
それにしても帰りは楽なもんだ。
今度はこそこそ草原や山道をいく必要はなく、しかも王族の馬車に乗ってんだから。その上、旅の道連れが美少女とくれば、いい旅だ。口だけは辛辣だけどな。
ああ、ちなみに炎竜は空だ。疲れたら時々下りてきて、馬車の屋根で休憩している。
犬のやつは結局フェンリルとは帰らず、俺の側から離れなかったから連れてくことにした。いまは俺の足下で眠っている。
ルランゼのやつ、今度はこいつらの視線まで気にするんじゃあないだろうな。特に犬は中途半端に喋りやがるからな。視線を遮断できるように、念のためにちっちぇえ犬小屋も造っておいた方がよさそうだ。
なんの問題もなく、俺たちは馬車に乗ったまま魔族領域を進む。野宿の必要さえない。今度は街道沿いの地方都市や、宿場町を使うことだってできるからだ。もちろん、ルナとは別部屋だ。俺は遠慮するなと言ったんだが、断固拒否された。照れ屋さんめ。
おそらくこのまま平穏にオアシスのある砂漠にまで辿り着けるだろう。と、思っていたのだが、ルインを離れてから五日が経過したある日、街道の真ん中で馬車が突然停車した。馬のいななきが半端ない。怯えてるんだ。
まあ、盗賊か魔物だろう。街道じゃちょいと珍しいが。
俺は腰を浮かせてルナに告げた。
「ちょっといってくるわ。すぐ戻る」
「うん。一応言っとくが、脳みそは死守な。首から上だけは落とされるな。奇跡でも復活できなくなる。あとは火傷なら何とかなるが、灰になるのも禁止な」
馬車のドアから下りながら、サクヤの剣を鞘ベルトごと腰に巻く。
「はっはっは。ルナちゃんは心配性だね。どんな激闘を想定してんの。俺だよ、俺?」
「一応って言ったろ。おまえが簡単にくたばるようなやつじゃないことはわかってるよ。それでも気をつけろ」
「なんて優しい言葉だ。ルランゼだったらキスをせがんでたね」
「あはは、姉様がいなかったら考えてやってもよかったけどな」
いまさらね。
言っちゃなんだが、俺はフェンリルの咆哮つきのあのミリアスを正面から張り倒した男だぜ。そんな苦戦するような相手がもういるわけ――。
めっちゃにこやかに、轟々と燃え盛る腕をこっちに向けて振っている女がいた。
「ヤッホーッ!! ライリーッ!! 約束通りきちゃったァ。アッッハハハハハハ! なぁ~んて顔してんのさァ!?」
「いたわ……」
火娘いたわ。こいつあれだ。精霊王イフリータだから、勇者や魔王級の強さなんだわ。てか、まだ底を見てねえんだ。
馬はあきらかにイフリータの存在に怯え、御者は大慌てで馬をなだめてる最中だった。
「あぁ、くそ。……ヘタすりゃ灰にされそう……」
「あれれ~? どったの? ノリ悪っ!! そんなことよか早くヤろうよォ! もう待ちきれないよォ! ライリーライリーライリーライリィ!」
「もーやだぁ……この狂戦士娘……」
これで死んだら、結局ルランゼと致せねえ。あんなに頑張ってきたのに、結局なんもできずに終わっちまう。
冗談じゃない。俺は嫌だ。絶対ダメだ。
どうにかこの戦いを回避したい。
「あのさ、質問いいか?」
「ん? いーよ? ライリーはあたしのお気にだから、大体のことは教えたげるよ?」
同じ「いいよ」でも、ここまで聞こえ方が違ってくるものか。リータ以外の口から聞きたい言葉だったぜ。縮み上がりそう。
「リータはさ、アルザール公から金もらってる猟兵なんだよな?」
燃える赤毛がうなずく。
「うん! でもさッ、色々あってもらえなくなりそうだったからァ、アルザールの館が差し押さえられる前に金かっぱらって逃げてきちゃったっ! で、それが何っ!? 早くヤろうっ!? 早くっ、早くっ!」
「うわあ。おまえ、なんかもうすげえな……」
精霊界にはモラルという言葉が存在していないのだろうか。
リータは融解寸前の金属のような色をした拳を固め、右へ左へと振って踊っている。可愛いけど怖えよ。
「でもよ、もう俺たちが戦う必要ないだろ?」
「なんで?」
「俺を倒したって、かっぱらった以上の金にゃなんねえよ。もう賞金もかかってねえだろ」
「アハッ! ラァ~イリィ~。なんか勘違いしてない? あたしは金もらってやらなきゃ強いやつと出遭えないから、仕方なくもらってやってるだけ。別にいらないよ? 金なんて。あんま使わないもん。欲しいならいる? あたしに勝ったら持ってっていいよ? どうせスラムとかでバラまくつもりだったしー?」
絶句するわ! どういう猟兵だよ! 逆物乞いかよ!
この旅で出逢ったありとあらゆる人物が俺の想像の遙か斜め上を超えていったが、こいつがぶっちぎりで一番頭おかしいわ。
「か、金がねえと飯食えねえだろ?」
「獣捕まえりゃいいじゃん? それに、あたしは最悪、火を食えば生きてけるし」
火が栄養になるんだ……。
こういうとこだけ現象生物かよ! うちの大食い炎竜にも聞かせてやりてえわ!
リータが顎に赤熱した指を当てて、思案するように目を閉じた。
「ん~。ほんとに必要なのは服代くらいかな? 前のはライリーに紐切られちゃったし? アッハ! ほんと、ライリーってば、えっちおじさんなんだからァ!」
合ってるけど、やかましいわ!
「でもよ、ふっかふかの暖かいベッドで寝たいだろ? 時々は風呂に入って身体洗いたいだろ?」
「身体燃えてていつも暖かいよ? 洗わなくても燃えてるから臭ったりしないし、返り血浴びたら川入ればいいし?」
もうだめだぁ。ありとあらゆる常識が通用しない。
やるしかないのか。
「ところでライリーさァ? アルザール公を失脚させたの、あんた?」
「まあ、間接的にはな」
「てことはだ。三バカはさておき、フレイアやミリアスと闘ったんだ。ねェねェ、どうだった!? あたしも狙ってたんだけど、アルザールがうるさくって結局闘れなかったのっ」
「すんげえ強えよ。あいつら。二度殺されかけた。まあ何とか最後は勝ったが」
フレイアを張り倒したのはルランゼだが、それを教えるとこいつはルランゼにまで手を出しそうだ。黙っておこう。
「ワオ! さっすがライリー! んんんん、もうたまんない! 胸の奥がうずうずしちゃう!」
ふふん。若い――若く見える娘にそう言われるのは、悪い気はしないね。
いや、悪いわ。強ければ強いほど突っかかってくるんだったわ、こいつ。
「あ、えっと、いまのナシ。やっぱほんとは偶然勝てただけで――」
否定しようと口を開けたとき、馬車のドアから声が響いた。
「謙遜などらしくないな。その男は魔王軍六千将の鬼族シュトゥンも倒した。そこの女、おまえがどこの身の程知らずかは知らんが、野盗の類ならばさっさと逃げた方が身のためだぞ」
痺れを切らしたのか、ルナが馬車から降りてきちゃった。
あわわわわっ。それはかえって火に油なんだよ、ルナちゃん。
オロオロ、オロオロ……。
リータが笑顔を切らして、つまんなそうにつぶやく。
「あんた誰? ライリーの新しいカキタレ? 前の可愛らしかったゴブリンちゃんは捨てたの?」
「や、レンは――」
ルナが目をかっ開いて、俺を指さし怒鳴った。
「失礼なやつだ! 侮辱するな! わたしがこんなしょぼくれたおっさんとどうにかなるわけないだろっ!」
「無意味に俺の心を抉るのやめてっ、ルナちゃんっ!」
イフリータが両手を腰に当て、豊満な胸を張って眉をつり上げる。
「そう思うならちょっと黙ってなよ。不愉快。あんたみたいな、いかにもお嬢様然とした女にはわかんないかもしんないけどさァ、ライリーはこう見えて最高にいい男なんだよ。つまんない女に彼を評価して欲しくないなァ」
「もっと言ってやって、リータ!」
んん? あ、応援する方を間違えた。
ルナがギロリと俺を睨んだ。
「ライリー、ほんと何なの、この女? まさかおまえ、ルランゼ姉様と二股かけてたわけじゃないよな?」
「バ、バカ! そんなわけあるか! 俺は最初から最後までルランゼ一筋だ!」
「へえ、さっすがライリー。あたしだけじゃなくて現魔王まで籠絡しちゃったんだ。うんうん、いい男だね。――それでこそ狙い甲斐があるねェ! アッハハハ!」
「狙っ!? おまえ、いまのどういう意味だ! 聞き捨てならない!」
俺は慌てて二人の会話に割り込むも――。
「や、リータの言った『狙う』は『命を狙う』の方であって、色っぽい意味では――」
「ライリーには聞いてない!」
速攻で会話から弾き出された。
「へぁ……」
女同士の舌戦が繰り広げられる。
オロオロ、オロオロ……。
「ところでルナっつったっけ? あんたさ、魔力もないくせに現魔王の妹なんだァ。ルランゼってのはすごい魔術師だって聞いたんだけど。ハッ、残念なやつ。ザコじゃん」
「うるさいな! わたしのことはいい!」
「そ、そうだぞ。このルナちゃんはなんと、稀少な神の奇跡を操る聖女――」
「ライリーは黙ってろ!」
なぜかルナに叱られた。
いま俺、味方してましたやん……。
「こんなのでもわたしの義兄になる男だ! 姉様のために貴様のような下賤に誘惑などさせるものか!」
「あのさァ、ライリーのことをこんなのとか言うのやめてくれるー? あたし、力を持たないやつは襲わない主義だけど、なんか腹立つよ。ライリーは唯一無二だよ。あたしがこれまで見てきた男の中で、ぶっちぎりで唯一無二だ」
リータの笑顔の質が変化した気がする。怒りを内包したものに。
さっきまでは余裕があったのに、いまは引き攣りそうになってるし。
オロオロ、オロオロ……。
「それに、下賤ってのはよく言ってくれたもんだねェ。あたし、こう見えて炎の精霊王なんだけどォ」
「貴様が何者であるかなど知ったことか! だがガワがなんであれ、中身はただの薄汚い泥棒猫だな!」
オロオロ、オロオロ……。
やめろ。やめてくれ。頼む、もうやめてくれ。
何だか陽炎のように景色が歪んだ気がした。
ぐにゃぁ~……。
俺はなったことがないが、おそらく貧血になったらこんな感じなんだろうという気持ち悪さだ。あ、いや、涙が滲んできただけだったわ。
リータが俺に手を差し伸べる。
「ライリー、あたしと一緒においでよ。朝から夕方まで楽しく殺り合って、夜はあんたの好きにしてもいいから。邪魔の入らないところで存分に闘ろう? へへ、今度は簡単に解かれないように、服の紐も金属糸で強化したんだっ」
「ふざけるなっ、この阿婆擦れ!! どういう生活だ! ふしだらにもほどがあるだろう!」
違……っ。紐とか言ってるけど、それも命のやりとりの方だから……っ。
オロオロ、オロオロ……。
リータが耳の穴かっぽじって眉根を寄せた。
「あーほんとうるさっ。せっかくライリーと遭遇できたのに……なんか乾いてきた。今日はもういいや。――またね、ライリーっ! 絶対逢いにいくからねっ! また激しく闘ろうね!」
我知らず、白目で両膝を折っていた俺に手を振って、イフリータは問題の種子を散々まき散らし、何もせずに帰っていった。
睨みつけてくるルナへの弁明は、犬というかろうじて意思疎通ができているのかできていないのかわからない、頼りにならない証人の必死の弁護により、事なきを得たのだった。
その日の夜、ルナと宿の別室に泊まった際、ぐったりしていた俺を見上げて、犬が言った。
「ゴゴスゴスジン、ア、アイアイ、愛オオ多ケレバ、憎スミ至レル? 雄ハ、ツライ! 犬モ! ゴスジン、犬ワカル! オ・ト・ナ!」
俺は犬の両前脚をつかんで、ひょいとひっくり返す。
「ギャッフン――ダ? ウワッホ、ウッホッホ! コココレ、気色イイ感ジ!」
褒美に腹をワシャワシャしてやった。
犬よ。我が忠犬よ。ルランゼとの危機を救ってくれたおまえには、立派な一軒家を建ててやるからな。そこで一緒に恋バナもしような。
雌犬もそのうち探してやろう。
少し泣いてたという。
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