第71話 ゴブリンさんは去っていく
前回までのあらすじ!
人生には出逢いもあれば別れもある。
ハーレムなんて糞食らえ。
次期魔王であるルナを連れ回すのは少々気が引けたが、オアシスからこの魔都ルインまで街道を馬車でいけばそう長くはかからないはずだ。二ヶ月もあれば、確実に行って帰ってくることができるだろう。
ルナは俺に理由を尋ねてきたが、現時点でその質問にこたえることはやめておいた。予想が外れていた場合に、彼女を傷つけてしまうことになるかもしれないからだ。
だが正直なところ、俺には半ば以上の確信があった。
オアシスの魔力嵐だ。あの魔力嵐にルナを触れさせたいと思ったんだ。
魔王城に突入する直前、ラズルは俺に言った。禁術とされる結界魔術を使う際には、術者以外から鍵となる人物を設定する、と。実際、ルランゼがいた封印の間の禁術は、鍵に設定されていた俺自身には何ら効果を及ぼすものではなかった。服装以外は素通りだ。
そうして結界魔術の核であった光球を掌で包んだとき、それは消滅した。
魔力嵐はレイガの結界魔術、それも半永久的に残る禁術だ。ならばあれにだって鍵となる人物が設定されているはずなんだ。
真っ先に浮かんだのはルランゼだ。
だが、彼女の言動からは「素通りできる」等の、それらしき言葉はなかった。おそらくルランゼも俺と同様にあの嵐を強引に突き抜けてオアシスまで辿り着いたクチだ。
次はレイガの妻となった人間リィナだ。
もしも彼女が鍵に設定されていた場合、あの魔力嵐は永久に消えることはないだろう。だがレイガが魔力嵐を作り出したのは、すでにリィナが他界してからのことだ。死者を鍵に設定することが可能かどうかはラズルに尋ねなければわからないが、可能性は低い。
フレイアは言うまでもない。なぜならレイガが彼女の存在を知らないからだ。自身にもう一人の娘がいたことを知らなければ、鍵にされることは当然あり得ない。フレイアの母に関しても、彼女は自身を捨てて去った女であると思い込んでいるから、あり得ない。
ならば残るは一人。ルナだ。
俺はこの旅で、様々なヒトから先代魔王レイガ・ジルイールについて話を聞いてきた。
人類領域では完全なる悪と定められた魔王は、魔族領域でも強引な徴兵からの開戦により、大半の魔族民には暗君暴君であると認識されていた。
だが、彼を深く知れば知るほどに、その印象は覆される。
愛ゆえに戦いを選んだ男は、愛を失って、そして最後に死を選んだ。
もしレイガが俺の考える人物像と合致しているなら、そんな男がかつて王宮から捨てざるを得なかったもう一人の娘ルナのことを、何も考えていないわけがないんだ。自分が愛した女の娘だぞ。
だとするなら、もしかしたらあのオアシスは、レイガがルナに残した唯一の遺産、もしくは償い、あるいは愛だったのではないかと、そんなふうにふと思えたんだ。
だから俺は、ルナをオアシスに連れていくことにした。
あの魔力嵐に触れることで、真実が判明する。ルナが素通りできたなら、それはレイガの愛の証だ。
そうでなかったなら、適当に「俺とルランゼがこれから暮らす場所を、義妹となるおまえの尻にも一度見てほしかったんだ。キリッ」とか言っとけば万事OKだ。たぶん「そんなことでこんなとこまで連れてくんなバカ! ボカッ」で許してくれると思う。うん。
そんな妄想をしながらぼーっとしていると、入り口から遠慮がちな足音が聞こえてきた。正確には羽ばたく音と、チャッチャカチャッチャカ鳴る陽気な肉球音もセットでだが。
犬と炎竜は遠慮なく入ってきたが、レンは入り口から顔を覗かせている。
「……お邪魔しても?」
「もちろんよろしくてよ。レンちゃん」
レンがおずおずと入ってきた。
ローブを纏い、小さなリュックを背負っている。といっても子供用サイズだから、俺にとっちゃポーチだ。
「いくのか?」
「ええ。あまり長いと父が寂しがるもので、お別れをつげにきました。夕刻には父とともにクク村に向けて発つつもりです」
胸が痛い。ウォルウォとの対話で、彼女の気持ちを知ってしまったから。
きっと俺が止めれば、レンはウォルウォが何を言おうが残ってくれるだろう。だが、そんなもんは俺の無責任な我が儘だ。レン本人のためにはならねえ。
ああ、胸以上に眼球の裏側が少し痛い。
不覚にも涙が出そうだ。くそ。もういい歳したおっさんだってのによ。
だが、ケジメはつけなきゃな。
俺は痛む身体で上体を曲げ、頭を下げる。
「……世話になった、レン」
「こちらこそです、ライリー様。最後、お力になれず申し訳ありません」
「そんなこたぁねえ。おまえがいなかったら、俺は封印の間にすら辿り着けなかった。……地下にいる俺とルランゼを守ろうとしてくれて、感謝してる」
あの日、レンはミリアスとフレイアの前にたった一人で立ちはだかった。力も魔力もねえゴブリンがだ。その恐怖は推し量ることもできねえ。そんなのは俺ですらご免だ。同時に相手して生き残れる相手じゃねえんだから。
結果こそドジって頭を打っちまったが、それでも並大抵の勇気じゃできねえことだったろう。いや、勇気なんかじゃなかったんだろうな。
それは、想いが持つ、強さだ。
「……」
炎竜はアホ面で飛び回っているが、言葉の何割かは理解できる犬は殊勝なもんだ。空気を読んで、おとなしくお座りしている。
あ、犬が炎竜の尻尾を噛んで引きずり落とした。
「がぅ」
――ケェ?
そのまま前脚で炎竜を絡め取って、ゴロゴロ病室を転がり二匹で遊び出す。
そっちに視線を逃がしていたレンだったが。
「いま、私は自分自身に腹を立てています」
「んぁ?」
「私の心はあまりに醜い。ライリー様のお気持ちを知りながら、あの瞬間、あなたのことしか考えてはいませんでした。冷静さの欠片もなく、ルランゼ様のことなんて頭の片隅にもよぎらなかった。とても利己的です」
俺はもう、うつむいたまま何も言えなかった。
「冷静で、賢明で、子供のように周囲を愛せた頃の私の心は、ライリー様に連れ去られてしまったみたいです。だからここにいるいまの私は、ただの小狡い残り滓のようなもの」
「んなこたぁねえ」
「あなたならそう言ってくれるであろうことも、予測済みで言ってますから」
ああ、だめだ。否定してやりてえのに、口じゃまったく勝てねえ。
そんなわけねえのに、どう否定すりゃいいかわからねえ。目の前が真っ暗になる気分だ。だがこれも、レンに頼り過ぎてたてめえの不甲斐なさが原因だ。
俺は甘んじて受けねばならない。
レンは淡々と続ける。
「まあ、そんなわけで、一旦、もとのちゃんとした私自身を取り戻すために、クク村に帰ろうと思います」
「あ、ああ……」
「楽しかったです。お世話になりました」
そう告げて、次の瞬間にはもうレンは踵を返していた。
「あ、レ、レン」
「はい?」
いつもの表情で振り返る。
だが、かける言葉が見つからなかった俺は、思わず禁句を口にしてしまった。
「お、俺たちは、また逢えるのかな……?」
ああ、アホだ。俺は。ガキかよ。いったいいくつだと思ってる。
ゴブリン族の寿命と人間の寿命はほとんど変わらない。まかり間違ってもレンが俺より年上ということはないはずなんだ。
なのに、いい歳こいたおっさんが何を言い出すのか。
「いや、すまん……。いまのは忘れてくれ……」
「……私の話、聞いてました?」
「ごめん。聞いてたから、ああ、俺ってやつぁ」
頭を抱える。嫌になるね、ほんとに。この期に及んで友達でいようとしてる。最低の屑野郎だ。
「あたりまえじゃないですか」
「……?」
俺は眉間に皺を寄せて、視線を跳ね上げた。
「一旦、もとの私に戻るために故郷に帰るんです。頭さえ冷えたらご自慢のオアシスとやらに遊びに伺いますし、以降はクク村にも遠慮なく遊びにきてくださって大丈夫です」
「お、おお……?」
俺はなんとこたえたらよいものかと混乱する。
罠か? なんかの罠?
「耳、ちゃんと聞こえてますか? もしかしてミリアスさんとの戦闘で?」
レンが心配そうに俺の顔を覗き込みながら近づいてきた。いつものようにペタペタと裸足でだ。ぴょんとベッドに跳び乗って顔を近づけてくるもんで、俺は慌ててつぶやく。
「いやいや、聞こえてるよ」
「ほんとですか? ですが、耳から謎汁が垂れてますよ! ほら、また! ……だ、大丈夫なの、それ……?」
レンがものすごく不安げな表情になった。
かなり真剣だ。俺はちょっとした恐怖をおぼえた。
「へ? マジで? の、のの、脳みその汁!?」
「ちょっと調べさせてくださいっ!! 急いで!」
「見て、見て! 頼む!」
俺が耳を差し出すと、レンが左手で耳をつかんで覗き込んできた。
「ど、ど、どうなってんの、俺の耳? 脳みそハミ出てきてる!? ヤ、ヤバそうだったらルナちゃんを呼んできてほしいんだけど……」
「う~ん……。よくわかりません。でも――」
唐突に、唇が頬に強く押し当てられた。
「お、おあっ!?」
「……んふふ」
ぴょん、とレンがベッドから飛び降りる。
そうして無邪気――でもねえな。珍しくちょっとした悪ガキのような笑みを浮かべ、俺を指さしてこう言った。
「気のせいだったようです。何も出てませんでした」
「お、おお……お……?」
「それでは、また」
踵を返したレンだったが、ふと立ち止まってもう一度振り返る。
「そうだ、ライリー様。最後にお尋ねしたいことがあったんですが」
「あ、うん。何?」
「もしもあなたと先に出逢っていたのが私だったら、ルランゼ様より大切に思ってくれましたか?」
「ふぁっふ!?」
血の気が引いたね。頭がクラクラした。
なんって質問しやがるんだ。ミリアスの剣技より鋭く抉ってくる。
だが、俺のこたえなんぞ最初から決まってる。それが言えねえってのは甘えだ。そんな誠意のねえ人間にはなりたかねえ。
俺は首を左右に振った。
「…………それでも俺は、ルランゼじゃなきゃダメみてえだ……」
「ふふ、そういうところ、好きですよ」
ほんのわずかだけ見つめ合ってから、レンは後ろ手を振りながら部屋から出て行った。
俺はなんとも言えねえ気分で、上体をベッドに倒す。頭ん中からレンの笑顔がなかなか消えねえ。だからこそ、俺は無性にルランゼに逢いたくなった。
抱きしめたくてたまらねえ。
「今晩もきてくんねえかな……」
そんなことをつぶやくと、唐突に犬が両の前脚をベッドにかけて俺を覗き込んできた。
「んお!? びっくりした……」
「ゴスジンゴゴスジンゴスジンゴゴスゴスゴス」
「落ち着け、なぁ~んだよぅ?」
撫でてもねえのに尻尾振ってら。
「ヘッヘッヘッヘ! 犬、ワカル! 犬ワカタ! 堰カレテ募ル? コ、ココ、恋ノ情? ワカル? 犬コレワカル! クゥ~! ゴスジン、オ・ト・ナ!」
わけわからんから、ふわっふわの枕でぶん殴ってやった。
「ギャッフンダ!」
大人の男同士で渋く語り合いたかった犬の末路。
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