第69話 ふたりの夜に
前回までのあらすじ!
会話の途中で勝手にくたばってんじゃないよ……。
闇の中に突っ立っていた。
そいつはとんでもなく濃厚で、まるで粘液質でも帯びているかのように手足にまとわりついてきていた。ちょうど流れのねえ沼に、首から上だけを出しているかのような、そんな状態だ。
粘り着くといっても動けねえほどでもねえんだが、どういうわけか俺は動きたくねえ気分だった。どっちに行きゃあいいかがさっぱりわかんねえからだ。
そもそも俺は何をしてるんだ。ここはどこなんだ。なんでこんなわけのわかんねえとこにいるんだ。
闇の底はキメ細やかな泥のようで、それがまた人肌温度で気持ちいいのなんのって。
意識した瞬間、ずぶり、と俺は闇の沼に頭まで沈んだ。まあ、水ってわけじゃねえから息はできるんだが、視界が消えちまったのはいただけねえ。視界っつってもな~んも見えねえ真っ暗闇だったけどな。
腰まで泥ん中で、そっから上は闇だ。だが、これまた気持ちいい。なんかあれだ。太陽の匂いがするフェンリルたんのほっかほかの毛皮に包まれてるみたいだ。
ずぶり。また沈んだ。胸まで泥だ。さすがにここまでくると自力では動けねえ。でもまあ、気持ちいいしこのままでもいいか。
ずぶり。
……と思う反面だ。
なぁ~んか忘れてる気がするんだよな。俺にはこれより気持ちいいことをする予定があったはずなんだ。なんだっけなあ。
そんときだ。闇色一色だった視界の中に、白いフリルが舞い降りてきた。
俺はそいつをたしかめようと、闇沼を両手両足で掻いて這い上がり、空から落ちてきたそれをつかむ。
真っ暗闇でわからなかったが、白のフリルは黒の布地につけられていたエプロンだ。広げりゃエプロンドレスだった。
あああああっ、俺のメイド服だっ!!
あ……。
手の中のメイド服が突風に吹かれたかのように舞い上がる。俺はそれにしがみつき、一緒に天までぶっ飛ばされて――。
目を開けた。
ルランゼが俺を覗き込んでいる。
なんつう夢だよ。
「……もしかして俺、いま死んでた?」
「うん」
「そっか~。死んじゃってたか~。あっちゃ~」
てことはだ。
首が動かんので眼球を思いっきり横に寄せて、俺はベッドの隣の椅子に座る女の腰を見た。
あ、でけえわ。尻が。
「な~んだ、ルナちゃんかよ」
「そうだよ。悪かったな。最初に見る顔が姉様じゃなくて。あと、わたしを尻で識別するな。視線が粘り着くようで不快だ」
天井や壁面から察するに、魔王城の一室のようだ。クリスタルのような謎の材質が特徴的だからすぐにわかる。
「あいかわらず俺の心を抉るね……。いい尻だと思うよ。褒めてんだぜ、これでも」
「うるさいなっ。……触るなよ?」
「大丈夫。手ぇまだ動かねえから」
「動いてたら触る気か。シュトゥンに殴ってもらうぞ」
マジ死んじゃう!
「勘弁してくれ。寝起きのせいか、それとも血ぃ流しすぎたからか、まだ視界が白んでぼやけてんだ。ルナちゃんもフレイアもルランゼにそっくりだから、見分けポイントがね。……ところで、なんでルナちゃんがここに?」
「姉様からルーグデンス監獄に早馬がきた。おまえがマヌケなことにまた死にかけてるから急いで助けにきてってな。ま、わたしが到着したときには間に合わず、笑える顔面で死んでたけど。感謝しろよ。わたしだから助けられたんだからな」
ああ、思い出してきた。
ミリアスのアホが、まだ会話も終わってねえのに自分勝手に死にやがったもんで、俺は自分の回復魔術を切ってあのボケの回復にあててやったんだった。結果として自分の回復力まで間に合わなくなって、死んじまってたってわけだ。
それをルナが圧倒的回復力の戦神ガリアの奇跡で生き返らせてくれたのだろう。ルナやレンの崇める戦神ガリアでも、シュトゥンの崇める軍神ビシャモンテンでもいいが、俺もたまには神さんに手ぇ合わせた方がよさそうだ。
「わざわざきてくれてありがとな、ルナちゃん」
「バカ。礼など受け取れるか。わたしは姉様のためにきただけだ。そしておまえは姉様を助けてくれたからな。貸し借りなしだ」
「二度も蘇らせてくれたろ?」
「あれはシュトゥンを助けてもらった礼だ。ああ、わたしはどうでもよかったが、シュトゥンはおまえのことを結構心配してたぞ」
ツンデレだ。可愛いね。ツンしか感じられないけど。
「――ミリアスはどうなった?」
「ん」
ルナが俺のベッドの隣を指さす。
俺が視線を向けると、そこには青白い顔の青年がいた。
「生きてんの?」
「誠に残念ながら! 姉様に言われなかったら見殺しにしてやってたのに!」
そうか。俺の拙い回復魔術でも、ギリセーフだったか。
ああ、よかった。こいつが死んでたらフレイアがまた暴走する恐れがある。ま、死なせたくなかった理由は他にもあるが。
ルナが吐き捨てるように言った。
「昏睡状態だ。こいつは死んだままでもよかったのに。てか、あんな大きな穴を胸に空けた状態で、どうやって助かったんだ、ほんと。あんなの魔族だって死んでるぞ」
ごめん、俺のせいだわ。穴を空けたのも、埋めたのも。
んでも叱られそうだから黙っとこ。
「はっはっは。目覚めの一発目でルナちゃんにそれ言われたら、あいつショック死するかもな」
「なんで?」
「ルナちゃんのことをフレイアと間違えて」
ルナが不思議そうな顔をした。
やはり似ている。ルランゼとも、フレイアともだ。似ているが、やっぱルナじゃ俺はときめかねえや。
ムラっとはするけどね? ちょっとだけね? やっぱ尻がね? いいよね~? 腰から尻に流れる急激なカーブを描くラインたるやもう!
「もしかして、フレイアとミリアスはできてんのか?」
「そうみたいだ」
「道理でひどく取り乱してたわけだ。あの女」
俺は尋ねる。
「……どうなった? あれから何日目だ?」
「まだ翌日だよ。一日も経ってない。夜だ。状況は、わたしにだってわからない。シュトゥンにフレイアを殺させようとしたんだけど、姉様がフレイアを庇うんだよな」
「そうか。ま、姉妹だし、ぶん殴り合ってようやくわかり合えた部分もあったんじゃないかな」
俺とミリアスみたいに。
だが、フレイアの罪が消えることはない。三人組と同じだ。
あいつは今回、魔王軍を動かして人類を殺しすぎた。たとえ一般人への殺戮や略奪を禁止していたとしてもだ。
俺やルランゼが許しても、世界はきっとフレイアを許さないだろう。攻め込まれた人類はもちろんのこと、そろって彼女に騙されていた魔族もだ。
「姉様を呼んでくる」
「うん」
そう言って俺は部屋に残された。ミリアスと二人でだ。
「ミリアス。起きてるだろ」
何となくだが、気配でそれがわかる。
どうやら俺の感覚は、戦いを終えてなお、鋭く尖ったままのようだ。年喰っても案外成長するもんだね。
「ええ」
「いまのうちにフレイアを連れてこの大陸から姿を消せ」
「……命を救った上に、ボクらを見逃すおつもりで?」
「知らん。ルナちゃんが去ったあと、俺は寝てた。起きたらいなくなってただけだ」
俺は寝返りついでに毛布にくるまり、ミリアスのベッドに背を向けて目を閉じる。
ミリアスがすぐにベッドから下りる気配がした。
「……髪を残していきます。フレイアの」
首の代わりにしろということだ。フレイアを社会的に殺すんだ。そうすりゃあ、少なくとも彼女への追っ手を編成する必要はなくなる。それでもミリアスへの追っ手は放たざるを得ないだろうが、それで捕まるようなやつでもないだろう。
俺はため息交じりにこたえた。
「ああ。元勇者の放蕩オヤジが気まぐれで偽魔王を討った。魔族民にも人類にもそう流す。サクヤ以来の大手柄だ。ま、これからオアシスに住む予定の俺にゃ、必要のねえ肩書きだがね」
もう人類領域に戻るつもりはねえ。魔族領域に留まるつもりもねえ。とことんだ。とことんまで疲れた。俺の行く先は砂漠のオアシス、それでいい。
一足先に戻って、今度こそルランゼの帰りを待つ。静かに暮らしながらな。なぁに、そうはかからねえだろう。ルランゼはすぐにやってくるさ。元気いっぱいにな。
衣擦れの音がする。しばらくして、音が消えた。
気配は残ったままだ。
「頭なんざ下げる必要はねえぞ。惚れた女がフレイアなら、俺も同じことをしてた」
「そうかな。あなたならもっとうまく立ち回れてたはずだ」
「買い被りだ」
ミリアスが微かに笑って、呆れたようにつぶやく。
「何度も言ったでしょう。先輩はご自身を過小評価しすぎてるんです。この先、あなたほどの人間に出会える機会はもうないでしょうね」
「へっ、あったりめえのことを抜かしてんじゃあねえよ」
「ああっと! ボク自身を除いて、でした」
それっきりだ。ふいに気配が消滅する。扉の音すらなかったのにな。
目を開けても、もうやつの姿は部屋のどこにもなかった。
「くく、あのガキ、言い捨て腐りやがって。くっくっく――ッ痛ぁ~……」
あんにゃろう。最後に笑わせてんじゃねえよ。内臓がまた破れんだろうが。まったく、可愛げのねえ後輩だったぜ。
「もっと昔に知り合ってりゃ、い~いツレになれたかもなあ」
この瞬間以降、ミリアスとフレイアの姿を見た者はいない。
後日知った話だが、フレイアは幽閉されていた個室から、忽然と姿を消してしまったそうだ。長い黒髪を一束だけ残して。
ミリアスが姿を消し、しばらくしてから、ルナがルランゼを連れてやってきた。
ルナは部屋に戻るなりミリアスが消えたことに憤慨したが、俺の様子を見て何かを察したらしく、それ以上口を開くことはなかった。
ルランゼが許すと言ったら許しちゃうのが、ルナちゃんのいいとこだ。
そして、ルランゼは――。
さすがは半魔族だ。人類の使う回復魔術に加えて魔族の自己回復力も併せ持つ彼女の顔は、激しく腫らしていた昨夜とは違って綺麗なもんだ。
魔王らしく毅然として入室してきたルランゼだったが、しかし、俺を見るなりすがりついて泣き出し、ベッドの横に膝を折って床まで力なく崩れ落ちた。
そうして、大声で、子供のように、泣きじゃくっていた。
そのときに俺は始めて実感したんだ。
昨夜、再会時にルランゼ自身が語った通りだ。
もう俺への気持ちが強くなりすぎて、魔族民を統べる魔王として、毅然と立てなくなってしまっていたんだ。ルランゼにも限界が近い。このまま魔王を続けることはできない。ただの女になっちまった。
少し落ち着いてから、ルランゼは表情を戻して現状の説明をしてくれた。
なんでも、人類領域奥深くにまで食い込んでいた魔王軍に王権を駆使して即時撤退を促し、これまでの経緯を各地の領主、並びに魔族民全員に報せるため、使者を編成していたらしい。
それと、カテドラール領の浮浪児たちへの救援物資を積んだ支援部隊の派遣と、同領地の再建計画もだ。これはおそらくフレイアから内情を聞かされて知ったのだろう。
彼女が魔王位を退く前の、最後の仕事だ。
強硬派を率いたアルザール公への沙汰は、後任に任せるそうだ。
そこまで話し終えると、ルランゼは俺の側にいられなかったことを、今度はバカみてえに何度も謝ってきた。部屋に入ってきたときと同じで、またすがりついて泣きながらだ。
やはり情緒が少しおかしくなっている。一刻も早くオアシスに連れて帰りてえところだが、最後の仕事だけは全うさせてやりたい。
あんまりにも何度も何度も詫びられるもんで、何だか居心地が悪くなってきた俺は、ルナを手で部屋から邪険に追い払ったあと、ルランゼの両手をつかんでベッドに引きずり込んでやった。
その後は、そりゃもう激しくアレよ!
……と、言いてえところだが、残念ながらだ。
毎度のごとく、こういう機会に恵まれるときに限って、俺の肉体ってやつはオンボロなんだよなあ。くそったれ。
今回は腰だけどころか、内臓や血管までスッカスカ。ヘタに動けば簡単に出血だの骨折だのしちまうのがわかる。
結局、ルランゼとのお楽しみは、オアシスまでお預けのようだ。
俺は彼女の額に唇を押し当てて囁く。
「……ルランゼ……オアシスで待ってる……」
「……っ……うん……うん……」
や~っと笑顔が見れた。お日様の笑顔だ。
だから今夜はおとなしく――……。
可愛い可愛い俺のルランゼを、そっと抱きしめて、眠りについた。
残念っ!
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