第63話 エルフは理想を語らない㊦
前回までのあらすじ!
罪の重さは変わらない。
ギャッツは伏したグックルに一旦視線を向けて、けれどもすぐに俺へと戻した。
「森には弟妹が多くいる。捨て子、みなしご、孤児、人魔のハーフ、人間族の逃走奴隷、そんなやつらばかりだが、身を寄せ合い暮らしていた。まるで蛮族のような汚らしい暮らしぶりだ。夢を語る者もなく、泥水を啜り、実らぬ季節には木の根や蟲を喰らって、澱んだ瞳でただその日を生きるのみだった」
「……」
「そんな底辺からでさえ脱落する弟妹も少なくはなかった。変態貴族に身売りできる容貌を持つ弟妹は、まだ運がいい。多くは餓死や病死だ。そこで数年間を生き延び、年長となった俺たちは、必死で狩りをした。だが、どう足掻いても腹は満たせぬ。冬が訪れるたび、人狩りがやってくるたび、決して少なくはない数の犠牲が出ていた。何度か代表を立てて身なりを整え、領主のもとへも出向いたが、館に上げられたことすらない」
ビーグはうつ伏せに倒れたまま、肩を震わせている。泣いているのだろうか。
「迫害を受け、逃げ延びた先でさえ、誰にも手を差し伸べられることなく、私たちは無為に死んでいくしかなかった……。私もビーグもグックルも、多くの弟妹たちを見送ってきた……。世界は私たちを必要とはしない。ならば我らは、なんのためにこの世に生を受けた……?」
危険の無さを察知したのだろう、レンが犬と炎竜を連れて、俺の側に戻ってきた。俺はその肩に手を置いて、自身の側に引き寄せる。
レンが俺を見上げてうなずいて見せた。どうやら無傷だということらしい。
ギャッツがその様子を見て、皮肉に唇を曲げた。
「そこのゴブリン族の娘ならば知っているはずだ。ルーグリオン地方カテドラール領の片隅での話だ」
「カテドラール領は内乱で滅んだのでは……」
レンの言葉に微かなうなずきを見せ、ギャッツは続けた。
「カテドラールの領主は小悪党だった。森の片隅でかろうじて生きている浮浪児を変態貴族どもに売り払い、小銭を稼いでいるようなやつだった」
「ちょっと待て。さっきおまえは、領主のもとに救いを求めにって――」
「ああ。そう言ったとも。やつは私たちに対して何もしなかったわけじゃあない」
ギャッツの表情が憎しみに歪む。
「嬉々として人狩りを送り込んできたのさ。洗って食わせさえすれば輝く原石が、森の中にいくらでも隠れ住んでいると知ってからな」
「……!」
下劣な。
「先ほど俺は、変態貴族に身売りできるほどの容貌を持った者は幸運だと言ったが、あれは詭弁だ。本当は誰もそんなことを望んじゃいなかった。ただ、ほんの一握り、そうして生き延びた弟妹もいたというだけの話に過ぎん」
ギャッツが疲れた年寄りのように、長い長い息を吐く。
「そんな私たちの前に姿を見せたのが、フレイア様だった。なにがしかの理由があったのだろう。領主を殺害した彼女は、この世界そのものを憎んでいた。私たち浮浪児と同じくしてな。その理由はもう、彼女の真名を知る貴様なら知っているのだろう、ライリー」
「ああ。知ってる」
フレイアは先々代の魔王により、母親を殺されている。その後の人生は知らないが、想像に難くない生き方をしてきたことだろう。それこそ、もしかしたらギャッツが語った浮浪児たちよりも、ずっと過酷な。
「王族のみが扱うとされる魔術で領主を殺害したフレイア様は、燃え盛る館で俺たちにこう言った。『いまは耐えろ。わたしがこの世界の歪んだ秩序を浄化する。然るのちに、おまえたちの生きやすいよう作り直せばいい』とな」
「フレイアもおまえたちの仲間になったってことか?」
ギャッツが頭を振った。
「違う。そうではない。フレイア様はあくまでもただの個に過ぎない。彼女は世界を浄化するだけだ。我々の間に、その後の約束は何もない。魔王位にすら興味がないんだ、あの方は。だからこの世界の不条理を一掃したあとのことは、どうでもいいと言った」
「バカげてる。ただ単に壊すことだけが目的だなどと」
「どうだっていいさ。ただ、私たちとて世界を憎む者の集まりだ。彼女の野望の先に私たちの生きる未来があるのであればと、我らは自ら彼女の尖兵となって動くことを決めた。それだけのことだ。フレイア様は何も命じない。魔王位を奪取したこと以外の悪行はすべて、俺たちが勝手に手を染めたに過ぎない」
俺は吐き捨てる。
「なぜ先にルランゼに相談しなかったッ。あいつならきっと、どんなやつでも見捨てたりはしな――っ」
「おまえならッ!!」
ギャッツが突然叫んだ。俺の言葉をそれ以上吐かせないために。
「憎しみを抱く体制のその先頭にいる者に救いを求められるのか!? 惨めに助けを乞えとでも言うのか! 領主ですら嬉々として人狩りを送り込んできた! そんな体制を築いた王族になどすがれるものか!」
這い蹲ったまま、ビーグが俺を睨み上げた。
「……獣のごとく衣食住を失おうとも、小さき生命をいくら守れずとも、我らは矜持まで捨てたわけではない……ッ」
なんなんだよ。
俺は自分の顔が歪み、喉が震えるのを感じた。
「間違ってる……。おまえら、間違ってるよ……。――矜持を捨てれば救えたんだぞ! 失った弟妹を! 殺さずに済んだんだぞ、魔族の子らを!」
ギャッツが笑う。
「くっく、ライリー。おまえは甘いな。そのようなことは先刻承知の上だ。ああ、我らは間違っているとも。とことんまで間違っている。常軌を逸している。だが、フレイア様の野望が潰えたとしても、私たちの命が消えたとしても――」
一度言葉を切り、今度は悔しげに吐き捨てた。
「――彼の善王ルランゼ・ジルイールならば此度の一件を機に、ルーグリオン地方を必ずや変えてくださるだろう。我らの死で幼き弟妹たちが救われるなら、それこそが本望だ」
「……そんなもん、ただの無駄死にだろうがよ……」
ルランゼなら変えてくれると信じていたんだ。こいつらだってわかってた。
だが、自分たちに迫害を与え続けてきた世界を頼ることだけは矜持が許さなかった。カテドラール領主の一件がなければ、ここまで頑なにはならなかったろうに。こいつらが守り抜いてきたものは命じゃない。浮浪児全員分の矜持だ。
でも、だからと言って。
「くだらねえ矜持を捨てるくらいのことが、なんでできなかったんだッ!? このバカ野郎どもがッ!!」
俺の顔を見ていたギャッツが、微かに笑った。先ほどまでとはまるで違う笑みだ。それは、俺に向けられた親愛さえ感じられるくらいの、穏やかなものだった。
「ひどい顔をしているなぁ、ライリー。くく、笑えるぞ。まるで我が事のようだ。甘い。殺し合いの世界に立つには、おまえはあまりにも甘い男だ」
「うるせえ!」
くそ、くそ、言葉が出ねえ……! ほんとはわかってる。わかっちまうんだ。こいつらの気持ちが。
だから、もう、何も言えない。そんな自分が腹立たしい。
ギャッツは続ける。
「我々の生死など、最初からどうでもよかったのさ。こうして限界まで、現体制と戦うことだけが重要だった。たとえ我らが種族の子を殺し、醜き悪党に成り下がろうとも、この活動にこそ意味があったのだと、おまえは後の世で知ることになる」
伏したままのグックルがつぶやく。
「無駄では、ない。この、敗北は。我らは、救われぬ。だが、ルランゼ王も、フレイア様も、我らの弟妹だけは、救うだろう。無駄では、ない」
ビーグも壁を背にして座るだけで、もう動こうとはしなかった。ただうな垂れ、涙を流していた。それがこれまでしでかしてきたことへの悔恨だったのか、無為に世界に葬られていった弟妹たちへの追悼だったのかは、俺にはわからなかった。
かつて、己の帰りを待つ幼い弟妹たちの命と、魔族の無数の幼子らの命を天秤にかけた大悪党は、俺を指さし、目を細めて口角を上げる。
「……いいか、勇者ライリー。私たち三人は、たしかにおまえの正義と力の前に敗北した」
まるで悪戯ッ子のような、満面の笑顔。それも、グッチャグチャのひでえ泣き顔でだ。
「――だが未来を守るこの戦いだけは、おまえがこの先どう足掻こうとも我らの勝ちだ」
……返す言葉もなかった。
その後の三バカがどうなったのか、俺は知らない。駆けつけてくる中央兵の足音を聞いたレンが、瞼を閉ざしたギャッツの側で呆然と膝を折ったままの俺の腕を引いてくれるまで、頭の中は真っ白になっていた。
「ライリー様」
「……レン……俺は……本当に正しいことをしたのか……?」
「ライリー様、立って。いまは立ってください」
炎竜が頭の周りで飛び回り、犬は俺の尻を鼻先で押し上げようとしている。
「ンン、ン~~ッ! ゴ、ゴスジン、逃ゲ、逃ゲラル?」
レンに腕を引かれて廊下を足早に進みながら、俺は声を殺したままガキのように涙を流していた。
少し前をいくレンがそれを見ないよう、気を遣ってくれているのはわかっていた。みっともなくても、恥ずかしくても、それでも俺は涙を止めることができなかった。
てめえの不甲斐なさや無知さ加減にとことんまで嫌気がさして、それでも歯を食いしばりながら走り続けるしかなかった。
いまこの瞬間、無性にルランゼに逢いたくて、それだけを支えに進んだ。
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