第51話 疾風怒濤の監獄崩し(第五章 完)
前回までのあらすじ!
くっさ。
地上の大穴周辺に配置されていた監守デーモン族およそ七十体はすでに、階段近辺までの移動を終えつつあった。もう半数近くが半月状の包囲網を作っちまってる。
さすがにあんな数に包囲網を完成されてしまってはどうにもならない。
「く! も、もうきたぞ! 急げ!」
月光の下を速度を落とさずに駆け抜ける。浮き足立つ監守の群れに突っ込み、身を低く保ちながら刃を振るい、とにかく包囲網を抜けることだけに集中する。
だが人混みに突入すれば、さすがに速度は落ちる。
側方からの敵の刃が肩に掠った。
「~~ッ」
そいつには構わず、俺は正面の一体だけを沈めて走る。背中に痛みが走った。額にも、頬にもだ。
こうなっちまうとローブみたいな布きれでも失ったのが響く。いっそメイド服でも着たいところだが広げてる暇なんざねえ。
いや、それはキモイな。さすがにキモリーだわ。
最小限の動作で敵の攻撃を掠めながら突き進む。だが、行けども行けども新たなデーモンが見えてきやがる。
まだか、まだ抜けられねえのか――ッ!!
左の脇腹。刃が指先ほどの深さで入った。
「――イッ」
腰を横に折って掌で刃を払い、強引に引き抜きながら走った。掌で腰の血をすくい取って、前方のデーモンへの目潰しに使う。
くそが。逆側の腰だったらメイド服が死んでたぜ。いや、ローブの代わりならそれでいいのか。やっぱよくねえな、うん。どっちだ。
慌てるデーモンをショルダータックルで押しのけてすっ転ばせ、次のデーモンの股ぐらを滑ってくぐる。上段からの斬り下げを地面を這うように躱し、低空の薙ぎ払いを最小限の跳躍で越えて、転びそうになると地面を叩いて身を起こす。
だがデーモン族でできた分厚い壁はどこまでも続く。
さすがにキチィ。
そのときだ。
月光を何かが遮った。ほとんど山勘だった。俺はとっさに前方へと進むのをやめて、利き足で地面を蹴って側方のデーモンへと体当たりをした――直後、先ほどまでの進行方向だった大地が、巨大な大槌によって爆ぜた。
爆散した土塊が大風を伴って周囲のデーモンたちや、俺を吹っ飛ばす。かろうじて片脚で大地を掻き、俺は目を見張った。
「く、なんだァ……?」
でけえ。あまりにもでけえ。
シュトゥンやグックルどころか、単眼巨人のサイクロプス並の体躯を持った山羊頭のデーモンが、それこそオーガの全身ほどもある大きさの金棒を振り下ろした体勢で、俺を睨み下ろしていた。
「山羊頭……ッ! ここでかよッ!」
最上位デーモンだ。監獄という建物の構造上、その巨体が収まりきらないゆえ、ここにはいないものとばかりに思っていた。
セノリア川沿いにあった駐屯所からやってきたか。
山羊頭が金棒を持ち上げて、己の肩へと乗せる。
「我が監獄にてずいぶんと狼藉を働いてくれたようだな、人間族の雄よ」
「所長さんだったんかい……」
ようやく集団から抜け出せそうになっていた俺は、再び監守デーモンどもに囲まれちまった。くそったれ。絶体絶命だ。いつも通りな。
「包囲網は完成される。貴様はもう逃げられぬ。穴底ならば惨めにでも生きられたものを。わざわざ這い出る虫けらは――」
金棒が持ち上げられた。この体躯の差は、まるで人間と子犬だ。巨体はそれだけで脅威となる。
「叩き、潰すッ!」
「~~ッ!!」
間一髪、振り下ろされた金棒をくぐり抜け、俺はやつの股ぐらを抜けるために二つの刃を左右に突き出しながら大地を滑った。
金棒が叩き下ろされ、背後の大地が爆ぜた。他のデーモンたちが悲鳴を上げる。
滑りながら通り抜け、ついでに足の腱を断つつもりだった俺の攻撃は、けれど巨体の跳躍によってあっさりと回避された。
見上げても夜空が見えねえ。山羊頭の汚え股ぐらだけだ。巨体の蹄鉄が降ってくる。
「まじかよ……ッ」
飛び込み前転で踏みつけを回避した俺へと、振り向き様に金棒が薙ぎ払われた。
「逃がさぬ!」
暴風を伴って俺の全身よかでけえ鉄塊が迫る。
あんなもん魔力通した聖剣があっても受けられねえし、受け流すこともできねえ。
俺は自ら後方へと跳躍することで金棒の勢いを殺しながら、さらに逆手に持った二本の刃を迫り来る金棒に突き立てる。
「ぬ、おおああぁぁぁぁ!」
直後、暴風に巻かれ、丸められた紙くずのように空中でぐるんぐるんと六回転だ。予定通りに力は逃がせたが、こりゃあ難儀だぞ。
どうにか地面に足をつける。
「ぅ、酔いそうだ……」
「小癪ッ」
他のデーモンたちが手を出しあぐねているのがせめてもの救いだ。所長さんの攻撃に巻き込まれることを恐れて、包囲網を築きながらも距離を取ったんだ。やつらは口々に俺を罵り、山羊頭が金棒を振るうたびに歓声を上げる。
奴隷闘技場か、あるいは公開処刑場か。
まあ、後者のつもりなんだろうが。
「ちょろちょろと面倒な」
落ち着けば避けるにゃそう難しい攻撃じゃあない。巨躯に似合わず鋭く、身軽で速いが、俺から見ればそうでもねえんだ。
山羊頭と呼ばれるデーモンの脅威度は、多対一の乱戦でこそ発揮されるものだからだ。特に敵に囲まれて孤立している状態だと、恐ろしいことになる。一振りで十名は潰されるからな。それゆえ、旧人魔戦争で先鋒を切ったのもやつらだったらしい。
だが奴隷闘技場ならば一対一。
戦士よりも剣士の出番だ。当然、俺にとっては相性の良い相手だと言える。どこぞのイケイケ精霊王女やイケメン勇者、デカパイ偽魔王に比べりゃずっと楽だ。
俺はあえて山羊頭には攻撃をせず、回避にのみ専念する。
考えていたんだ。構築されちまった包囲網を抜ける方法を。山羊頭との決闘は、思考時間にするにゃ持ってこいだ。他のデーモンに囲まれているよりは安全とさえ言える。
俺から手を出さずに山羊頭が一方的に攻め続けているこの展開ならば、他のデーモンどもも歓声を浴びせるだけの阿呆でいてくれるだろう。
だが、考えれども考えれども名案は浮かばねえ。そらそうだ。ここまで完璧に包囲網を作られちまっちゃあ、俺自身が山羊頭にでもならねえ限りは脱出は難しい。
いまや七十体の見張りデーモンが穴を背に立つ俺を中心として半円状の包囲網を完全に作り上げ、さらに背後の階段からは下から追ってきた監守デーモンが詰め寄せている。
一か八かになるが、山羊頭の攻撃を誘導して、包囲網にぶつけてみるか。
そんなことを考えた瞬間だった。
――おぉ~~~~~ん。
歓声に混じって、間の抜けた遠吠えが聞こえたんだ。熱狂している監守と見張りのデーモンどもは気にもしちゃいなかったようだが、俺にはたしかに聞こえた。
犬だ。あいつ、まだここらへんにいたのか。まさかレンもいるんじゃないだろうな。
――おぉ~~~~~~んっ。
少し近づいた。
何体かの監守がその遠吠えに気づき、振り返ってざわついた。騒ぎはすぐに伝播する。そしてそれはすぐにパニックへと変化した。
――ガアアアアァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
サーベルタイガーの咆哮だ。それは先ほどの犬の遠吠えよりも、遙かに近くで起こった。包囲網のすぐ背後といってもいいくらいに。
山羊頭がようやく振り返る。
「何事か!」
「サ、サーベルタイガーどもがまた!」
「何だと? このタイミングで? 短期間に二度も、まさか――」
山羊頭の険しい視線が俺へと向けられる。
ちょうど包丁と短刀を収めたところだった俺は、人差し指でこめかみを叩きながら嫌味ったらしく言ってやった。
「クカカ。察しの通り、俺の仕業だ」
「貴様ッ!!」
デーモンどもが悲鳴を上げた。鋭い牙が包囲網の最後列を襲ったんだ。
汚え毛皮がデーモンどもの包囲網を縫って現れた瞬間、俺はそいつに飛び乗ってしがみつく。もちろんサーベルタイガーだ。そいつは人間族よりも魔族よりも速く、そして低く走り、包囲網を一瞬に抜け出した。
ついに突破だ。
「ハッハ! あ~ばよぅ!」
「待て!」
待つわけもなく、サーベルタイガーは疾風のように野を駆ける。
夜風が気持ちいいのなんのって。
俺を乗せたサーベルタイガーの右隣へと、別のサーベルタイガーが近づいてきた。目だし手ぬぐい仮面が乗っている。小さなホブゴブリンだ。
俺の脇腹に視線を落としている。
「お怪我の具合はっ?」
「大したことねえよっ。派手に血ぃ出てるだけだっ。それよかおめえ、クク村に帰れっつったろーがよっ。こんなとこまでのこのこと近づきやがってっ」
危ねえだろうが。
「私はそのつもりでしたが、犬さんがこの地を離れようとはしませんでしたからっ」
「嘘こけ……」
レンが指さす先。今度は俺の左隣に別のサーベルタイガーが追いついてきて張り付く。その背中には、犬が乗っていた。
乗り物が乗り物を乗せて走ってらぁ。変なの。
「ゴ、ゴ、ゴスジィ~ン! ヘッ、ヘッ、ヘッ! ゴスジィ~ン!」
「おう! 待たせたな!」
「犬ハ!? 犬モ!?」
「ああ、そう言やあ、一緒に帰るっつったなァ」
先に帰ったら、一緒に帰ったことにはならねえんだろう。犬ン中ではな。
レンが口元に手を当てて笑った。
「よくわかりましたねっ。犬さんの言いたいことっ。意外と大事に考えてあげておられるんですねっ」
「……風が強くてよく聞こえねえわ」
背後を振り返っても、追ってくる影は見えねえ。
そらそうだ。サーベルタイガーの疾走速度に追いつける種族なんざ、空を飛ぶやつらしかいねえんだから。
胸をなで下ろす。
けれど目隠しを取ったレンは、浮かない顔をしていた。
「お逢いできましたかっ?」
「あ、そっか」
レンはてっきり俺と一緒にルランゼも出てくるはずだと思っていたのだろう。俺は疲れた頭で、穴の底で出逢った鬼と監獄女王の話からしなきゃいけないらしい。
ま、腹も減ったし、飯食いながらでいいか。だから、いまは――。
「心配すんなっ、大丈夫だっ。これから全部うまくいくっ。それがわかったっ」
なんせ今回得られた情報は、間違いなく朗報なんだからな。ルランゼは生きていて、ちゃんと待ってくれている。
レンの表情の強ばりが消えた。笑った。目を細めてな。こんなあやふやな言葉でだ。
ずいぶんと信頼されちまったもんだと、我ながら驚くよ。
味方にいてもあまり頼りにならないけれど、敵に回すとすごく嫌なやつ。
それがおっさんだ。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




