第5話 おっさん勇者はちょっぴり鈍感
前回までのあらすじ
お魚さん……。
剣術は嫌いじゃない。戦うこともだ。
ただ、王や大司教に言われるがままに、望まぬ手合いに切っ先を向けることが、どうにも嫌だったってだけの話だ。
ましてや俺の昼飯を食い散らしやがった自然災害が相手ともなれば言わずもがな。
「ぶっ殺して昼飯にしてやる!」
「おにーさん、かーっこいー!」
深く息を吸い、ゆっくりと息を吐き出す。
一瞬で聖剣に魔力を通した。剣術は得意だが、魔法は苦手だ。魔法は体内で魔力を力ある現象へと変換し、体外に放てて初めて魔法と呼ばれるようになる。
大半の人間は変換も放出もできない。それが可能な一部の人間が魔術師と呼ばれるようになり、そこからさらに一握りの人間だけが賢者と呼ばれるようになる。
俺も魔法は使えなかった。まるでできないわけではないが、放出どころか変換すらままならなかったからだ。だから俺は自身の肉体や、そしてその延長線上にある物質に直接魔力を流すことで、原始的な付与のみを使用する。
聖剣などと呼ばれていても、この剣に敵を討つための不可思議な力はない。そこいらの騎士や冒険者が持つ鋼製のものと強度は変わらないんだ。
ただ、こと俺が扱うときに関してのみ言えば、触媒性能だけは高い。俺の体内で熟成された魔力と相性がいいのだ。早い話が、俺にとってのみ、魔力付与がよく通る剣。それだけの話だ。
そもそも、もし本当に聖剣なる逸品が存在していて、付与の必要もなく岩石や竜の鱗を斬れるものであれば、それこそ勇者位剥奪の際に厳王ガイザスや大司教カザーノフに没収されていただろう。
幸いにも、その点においてこの聖剣は、やつらにとってガラクタに過ぎなかった。
「フ……」
ニヒルに笑み、俺は旋回している竜を正面から捉えた。
聖剣を上段に構える。
やれる。俺なら。この聖剣と俺の力は、魔王の魔法にも匹敵するはずだ。
「おにーさん!」
「黙ってそこで見てな」
この俺のイケてるところをよ!
旋回を終えた竜が大風を巻き込み、再び正面から牙を剥き、高速で迫った。肌がびりびりと粟立つ。血が沸騰して熱く滾った。
力が漲る――!
迫る、迫る、迫る!
暴風を従えて叫び、竜が大口を開けた。俺をその牙で噛み砕き、今度こそ丸呑みにするつもりなのだろう。
「ハ……ッ」
両足で大地をつかむ。全身を脱力させ、関節を微かに曲げ。竜の飛来に合わせて剣を振り下ろした。
「おお――」
交叉の瞬間、俺は肉体すべての力を瞬時に起動し、連結させた。筋肉を強制的に覚醒させ、全体重をのせて剣を振り下ろす。
「――おおおおおおお!」
柔剣が剛剣へと変化した直後、竜の額と聖剣がぶつかり合う――!
「らああああぁぁぁっ!!」
――ガアアアアァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
先ほどとは比較にならないほどの凄まじい衝撃と、そして周囲の砂礫を吹っ飛ばすほどの轟音が鳴り響いた。衝撃波が発生し、踏ん張った足を中心として大地が爆発、激しくめくれ上がる。
へへ。
「おにーさぁぁ~~~~~~~~~~~~んっ!?」
「フ……」
次の瞬間、聖剣は直角に折れ曲がり、俺は呆気なく吹っ飛ばされて仰向けで宙を舞っていた。
あ。空、きれい……。
仰向けに見る空はとても青々としていて、透き通って見えたんだ。白く分厚い雲が、ゆっくり、ゆっくりと流れていく。
魂だけが解放されて空へ吸い込まれそうな、そんな心地良い感覚だ。
あか~~~~~~~~~~~~~~んっ!!
俺は昇天しかけた魂を、大急ぎで肉体に引き戻す。
あっぶね、意識飛びかけてた……。
いや~、ちょ~っと無理だわ~……。
為す術ねえとはこのことだわ~……。
全身がバラバラになるかと思った。これが自然災害級の生物か。勇者などと呼ばれていても、とてもヒトの手でどうにかなるものじゃない。
背中から落下していくが、あいにくとすべての力を瞬時に起動させ、且つそれを真っ向から叩き潰されたせいで肉体の自由が利かない。
落ちたら痛えだろうなあ~……。
落ちるだけならまだいい。
おそらく竜の次の攻撃は避けることも受けることもできない。
俺は今際の際に考える。
せめてあの娘だけでも逃がしてやればよかった。
若い娘にちょっとだけいいところを見せつけてチヤホヤされたかったというこの下卑た下心のせいで、あの娘を危険にさらしてしまう。
願わくば、俺が食われてる間に逃げてくれよぉ。
「ほっ」
むにゅ。
予想に反し、背中に柔らかい感触が走る。
硬く冷たい地面ではなく、温かく柔らかい、まるで女の柔肌のようなアレだわこれ女の柔肌そのものだわやったぜ。
「……?」
かろうじて眼球を動かし、隣を見ると俺は水着姿のままの少女に受け止められていた。俺も彼女も半裸だから、その感触がよくわかる。
いや、決してそういう意味でのことじゃない。まあ、そりゃ少しは大いにあるが、それ以上に。
こいつ、見た目に反して相当鍛えてやがる。
落ちてくる成人男性の俺を、一切ブレずに受け止めた。それも関節をすべて使い、衝撃を完璧に吸収する形でだ。
驚いたな。着痩せするタイプじゃねえか。水着に着痩せもくそもねえが。
朦朧とする意識で分析と欲望が行ったり来たりする中、俺は少女に背中を支えられたまま、そっとお姫様抱っこで地面に下ろされた。
そんなふうに至近距離から見つめられると、先ほどまでのイキりがだいぶ恥ずかしいのだが。
垂れ下がる彼女の長い黒髪が、俺の頬を優しく撫でる。
「大丈夫?」
「……………………逆に大丈夫に見える…………?」
「ぷっ、くく! ぶはぁ! あっははははは! うん、見える見える!」
何笑ってんだよぅ。あんだけイキってこれとか、こちとらもう恥ずか死しそうなんだが。
死因、恥。
「……逃げろ……。……しばらく、動けん……」
「あーうん。でも、あっちもそうみたいだよ?」
少女が指さした先に、俺は視線を向けた。
地面に落ちた巨大な竜がジタバタと悶絶していた。砂を巻き上げ、立ち上がろうとしてはまた転びを繰り返している。
額の鱗は砕けていた。どうやら聖剣の一撃も無駄ではなかったらしい。さすがは俺。面目躍如だぜ。
だが、おそらくはただの脳震盪だ。
俺は少女の腕の中から身を起こし、額に手を当てて頭を振った。しばらくぼうっとしていたが、ようやく頭の中のモヤが消えてくる。
「つってもあれ、すぐに復活するだろ……」
「だろうね」
「……聖剣もこの有様だ」
「貸して?」
少女が俺の手から聖剣をもぎ取った。刃はねじれ、直角に折れ曲がってしまっている。
「どうするんだ?」
「こうする」
少女は左手で聖剣の刃をつかむと、右手の指先を真っ赤に染めた。熱だ。まるで融解寸前の金属のように凄まじい熱を発している。
「直るのか?」
「……うーん、やったことないからわかんない。でも形を整えるくらいなら」
その割に手際がよかった。
少女は聖剣の折れ曲がった箇所を右手でつかむと、グイと強引に刃を元の位置へと戻したのだ。
「……」
「……あら、波打っちゃった。ちょっと歪になっちゃったけど、とりあえずはいいよね。一時的に、ね?」
「あ、ああ……」
その有り余る魔法の才能に、謎の怪力よ。おまえのほうが俺より強くね?
「今度は冷まして固めるね」
驚いた。何だ、こいつは。見たこともない魔法を平気で使う。
いまも、右手の熱を散らせて今度は真っ白に染めた。そして未だ融解状態で真っ赤に染まったままの刃を平気でつかみ、じゅうじゅうと冷やしていく。
なんてやつだ。いや、薄々勘づいてはいたが。
「おまえさん、魔族か?」
「そうだよ? おにーさんは人間かな? 聖剣って言ってたし、やっぱり勇者かな?」
「んだなあ。いや、ちょっと前までは、か」
「そう言えば辞めたって言ってたね。どうして?」
俺は自分の首を手で締めながらつぶやく。
「クビんなった」
「あっはははははははっ!」
「笑うなよぅ。もともと嫌々だったから、ちょうどよかったんだって」
少女が訝しげに尋ねてきた。
「それって強がりかな? ライリー・キリサメさん?」
バレてーら。そりゃそうか。いまの勇者はポンコツ中年のライリーと、新しく勇者位を獲得した期待の若き天才剣士ミリアスしかいないのだから、おっさんのほうがライリーってわけだ。
「本心だぞ。知ってんだろ。ライリー・キリサメは魔族を攻めない不良勇者だって」
「うん、知ってる。だからクビにされたんだね」
そう言って、少女が嬉しそうに「へへ~」と笑った。
よく笑う。王宮にあるような皮肉が一切交ざらない、とても純粋で魅力的な笑みだ。まるで子供だな。子供か。
そんなことを考えた瞬間には、俺はもう彼女の黒髪に手をのせて撫でていた。
「もー。また子供扱い。若く見られるのは嬉しいけど、ほんとは若くないんだから」
口でそういう割には、彼女の頬は緩んでいる。
勇者として徴兵されなければ、俺だってこれくらいの大きさの娘がいても不思議じゃなかったはずだ。
そう言いかけてやめた。なんか癪だ。
「人間からすりゃあ、若く見えるぞ」
「魔族だからね。ああ、名乗ってなかったな。……フェアにいく?」
「できるならな。嫌なら別に構わんぜ。ミステリアスな女も嫌いじゃない」
どうせこのバカンスの間だけの関係だ。
「ルランゼ。ルランゼ・ジルイールだよ」
「そうかい。ルランゼか。綺麗な響きだ」
ルランゼが聖剣の刃を微調整しながら、目線だけを俺に向けて頬を染めた。
「……あ。……えっと……んん! ……もしかして……く、口説いてる……?」
「心配すんな。口説いてねえぞ」
こんなおっさんに口説かれても怖えだけだろ。
「だよね。うぬぼれちゃったっ。……うわっ、恥ずかし! もー!」
んん? 何その反応? 脈あんの?
「はい、これ」
ちょいと歪んだ聖剣を、ルランゼが俺に差し出す。
俺は反射的にそれを受け取りながら、頭ん中の全記憶を動員していた。どこかで聞いた名だ。ファーストネームではなく、ファミリーネームのあたりが。
「……………………。……ジル……ジルイー……おま、ま、魔王ジルイールじゃねーーかっ!!」
「ですよー?」
えへへ、と彼女は照れたように後頭部を掻きながら、また笑った。
ハードボイルドとどすけべは切っても切れない間柄。
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