第43話 監獄女王は目を見開く
前回までのあらすじ!
たまにはちゃんと勝つ!
膝をついた体勢のまま、シュトゥンが困惑した顔で口を開いた。
「貴様、頭がおかしいのか。あのような博打のごとき戦い方、狂気の沙汰だ」
「いやあ、そんなに悪くねえ賭けだったぜ。なんせ俺は、戦士としてのあんたの経験と技量、そして腕を信頼してたからな。もしもあんたが経験の浅い未熟な戦士だったら、ローブごと貫かれて死んでたのは俺だったろうよ。でも、凄腕のあんたなら最初に周囲を警戒してくれると思ったよ」
目隠しをされたシュトゥンがパニックに陥ったり、何も考えずにローブをサーベルタイガーの牙で刺し貫いていたら、胸に穴を空けられ倒れていたのは俺だ。
確率は半々……と言いたいところだが、実際は違う。
経験豊富な熟練の戦士ほど、冷静に状況を分析する。こいつが優れた敵であるからこそ、ローブそのものではなく周囲を最初に警戒した。
シュトゥンが俺の足下を指さす。
「なるほどな。今度は己が誘導されたか。先ほどの意趣返しか、人間め」
「理解が早いね。口から産まれたみたいで、どうも得意分野らしい」
シュトゥンは左胸を掌で押さえているが、指の隙間から流れ出る血液の量は相当なものだ。鼓動を打つたびに、ぶしゅ、ぶしゅ、と噴き出しているからな。
致命傷だ。
俺は包丁の血を払って、腰の鞘へと戻す。
「おい、鬼公。何か言い残したいことあるか?」
俺も剣士の端くれだ。優れた戦士には敬意を表する。
「……人間、貴様はジルイールを狙う暗殺者か?」
俺は顔面の前でぶんぶんと手を振りながら否定した。
「いやいや、さっき言ったろ? 俺はルランゼに夜這いしにきただけだ。最初からちょっとした顔見知りでな。逢いたかったから逢いにきた。ほんとそれだけなんだ」
「ふむ?」
オアシスでのことを話して聞かせるだけの時間は、シュトゥンには残されていないだろう。やつの命の体液は、いまも急速に流れ出し続けている。その割には気丈に振る舞っているようだが。やせ我慢か、あるいはこれも戦士としての矜持か。
「まあ正直夜這いはあわよくばってやつで、本来は南の島のバカンスに誘いにきただけなんだ。とっころがよ、いざ行ってみりゃ本人はいねえ、偽者は俺を殺そうと躍起になる、余計な罪は被せられる。で、気づけばこの有様だ」
「では暗殺者ではないのだな」
「しつけえな。どちらかというと愛の狩人か愛の伝道師だよ」
恥も外聞もなく言ってやった。ところが反応が薄いの何のって。
「ほう。あの魔王にな。なるほど。ならば出逢いはおよそ一年前か?」
「お、おお。そーだが、何で知ってんの? あいつ、側近にさえ話してねえはずだろ」
オアシスでのことを側近に語れば、ルランゼが影武者を立ててたびたび魔王城から抜け出し、遊びほうけていることがバレてしまう。だから言っていないはずだ。
右手は傷口を押さえたままだが、左手は顎にあてている。眉を歪めながら、何かを思案しているかのようだ。
心臓刺したつもりだけど、こいつ、ほんとに死ぬのか? 表情に余裕がありすぎて不安になってきたぞ。
「おい、シュトゥン。ジルイールはここにいるのか?」
「……ふ」
笑った。死の間際にだ。
と、思ったのだが。
「貴様の勝利が偶然の産物であったり、ジルイールの暗殺が目的であれば、このまま油断させてくびり殺してやるつもりだったのだがな」
「ああ? そんな身体で何言ってや……?」
すっくと立ち上がる。
ぶじゅ、ぶじゅ、と、鼓動のたびに胸から血を噴きながらだ。
「ええぇぇ~……嘘ぉ~ん……」
もうヤダこいつ……。ぴんぴんしてる……。あのすんげえ胸板のせいで、心臓まで届いてなかったんだろうか……。
俺は絶望した。だが。
「少し、貴様に興味が湧いた。そう警戒するな。今回は貴様の勝ちだ。この傷は死に至るほどではないが、すぐに戦えるほど浅くもない。己にはもはや不意打ち以外に貴様を下す方法はなかろうよ」
「ほんとに? 弱ってる? 絶対? いきなりワ~って襲ってきたりしない? 俺って繊細だから、そういうのすっごいびっくりしちゃう方だぞ? やるなよ? 絶対にやるなよ?」
シュトゥン呆れ顔で振り返る。
「…………小物なのか大物なのか、さっぱりわからん男だ。だが、貴様の捨て身の戦いは故郷の戦士らを彷彿とさせ、少々懐かしくもあった。まあいい。ついてこい」
俺は適正距離を保ったまま、シュトゥンの後ろをついていく。目が闇に完全に慣れたいまだからわかる。恐ろしい背中だ。筋肉がモコモコしてる。
「故郷のって、鬼族の戦士のことか?」
「いや、貴様と同じ人間族。武士と呼ばれる剣客どもだ」
「もののふ……?」
聞いたことのねえ言葉だ。
ぐずり、ぐずり、歩くたび腐肉が沈む。戦っている間は必至であまり気にしなかったが、冷静になってみりゃ充満する腐臭で気を失いそうになる。
「国家反逆罪っつったよな。シュトゥン、あんた、どれくらいここにいるんだ?」
「さてな。見上げる空の星からの予測に過ぎんが、およそ十ヶ月といったところだ」
「あんたの言動から、ジルイールを守ろうとしてんだよな。それが何で反逆罪なんてもんでこんなとこに放り込まれたんだ」
「己をここに落としたのは偽者の魔王を支える強硬派アルザール公の手の者だ」
「いまのルランゼが偽物だと気づいて、ここに落とされたのか。あんたほどの戦士が」
「む。……酒をな……しこたまな……あれされてな……。気づいたときにはもうここにいた……」
おんやあ? 歯切れが悪くなったぞぅ?
ここぞとばかりに煽ってやる。
「だめな男だなっ」
「返す言葉もない」
「で、囚人を皆殺しにした理由はなんだ?」
「うむ。まだ酒に酔っていた」
俺はドン引きした。
何だこいつ……。怖……。
「冗談だ」
「クソがッ! わッッかりづれえわ! 真顔で言うのやめろ! マジでびびっただろ! そういうのやめろってさぁ、さっきも言ったろうが!」
心臓バクバクですよ、もう。青ざめちゃったじゃないのさ。
「身ぐるみを剥ごうと襲いかかってきた数体はやむなく殺した。そうしたら、他の大多数はおとなしくなった」
「数体? い~っぱい死んでたぞ~」
「あれはあとから必要があって殺した」
「……また冗談?」
「理由がある」
シュトゥンが立ち止まり、両膝を腐臭漂う床についた。そうして両腕で汚え水たまりを掻き分けて、何かをつかむ。
扉だ。地下へと続く扉が持ち上がったんだ。
「入れ」
「おまえが先に行けよぅ!? 何かいきなり閉じ込められそうで怖えよぅ!」
「わかった。だが一つだけ、貴様に言っておく」
「な、何だよ!」
漢は巨大な背中で語った。
「戦士とて心は花。あまり疑われると傷つく」
「あ、何か……すまん……。ちょいと言い過ぎた……」
ン何で俺が謝ってんのぉ!? おまえが変な冗談ばっか言うからだろ!?
おとなしく、シュトゥンが先に地下道への階段を下る。俺はそのあとに続いて、念のために扉を閉じた。ま、こんなところにまで追っ手はこないだろうがね。
廊下の壁には松明の炎が灯されていた。足下は……水だ。それも流れている。腐臭が少しマシになった気がする。
「ここで身を清めろ」
「俺のこと生け贄か何かにしようとしてない? この先に変な祭壇があったりしない?」
「傷つく。ああ、心臓を貫かれたからか、やけに言葉の刃が胸に痛い」
「わーったよ! でもほとんどがおめえの自業自得だからな!」
「……」
「都合の悪いことだけ無視すんなー?」
かなり冷たいが、俺はその場にしゃがんで掌ですくい、全身についた汚れを洗った。シュトゥンも同じくしてだ。
全身濡れ鼠だが、腐った血や死体汁で濡れているよりは、水の方がマシだ。
「ついてこい」
「へいへい」
シュトゥンのあとに続いて歩く。どうやらここは居住エリアのようだ。左右には鍵の掛かっていない牢屋があり、中には比較的おとなしそうな魔族の囚人たちがいる。みんな虚ろな目で、俺を見ていた。
種族は様々だが、栄養状態は悪くなさそうだ。凶暴な囚人を処理したおかげで、食料の配給がふんだんに利用できるのだろう。余って腐らせるくらいにな。
「他に囚人がいたのか」
「ああ。無害な者を殺すほど、己はまだ狂ってはいない」
最奥まで歩くと鉄扉があった。入り口から数えて、およそ数百歩分といったところだ。道中はかなりの数の牢屋があったが、無人のものもあった。囚人の総数は、わずか五十体といったところか。
俺を見ても暴れたり、何かを奪おうとする者は誰もいなかった。みんなシュトゥンのことを信頼しているのだと、それだけでわかる。
「上の死骸の山は、ここの秩序を保つためだった」
「理解した」
「特にこのような場所でたった一人だけの女は危険だったのでな」
「……! いるのか!?」
ここにジルイールが!
「貴様を我らの女王に逢わせる。心しろ。……失礼します。ジルイール様」
「――っ!?」
俺が心を決める暇すら与えず、シュトゥンは鉄扉の取っ手をつかんでゆっくりと引いた。ギィと蝶番が軋み、俺はシュトゥンの手に押されて室内へとよろけるように数歩。
視線があった。
「ル――」
真っ黒な長い髪と、そして瞳。動きやすそうな短衣に包まれた胸は大きからず小さからず、少女のようにも見えるその魔王は、一年前と何ら変わらない純真無垢なあどけない瞳を驚愕に見開いて、俺を見つめていた。
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