第42話 弱者は策を弄する
前回までのあらすじ!
また死にかけてる。
叩きつけからすぐさま飛び起きた俺に、相手が感嘆の声を漏らした。
「ほう」
そいつは悠然と歩み、姿を見せた。
ああ、ぼんやりだが、ようやっとこいつの輪郭が見えてきた。ギリギリだが、これなら戦えなくもねえ。
てかでけえ。体格がグックルやウォルウォに匹敵している。
トロールかオーガ。
頭の上にうっすら見えているのは髪じゃねえな。ありゃ角か。いや、髪もあるな。となると、オーガである可能性が高い。どっちも嫌だが、オーガ族の方が厄介だ。グックルはそうでもなさそうだったが、オーガってのはトロールに比べて知能が高い。
「それ以上近づくな。そこで止まれ」
俺は近づいてくるそいつを牽制するように、腰の鞘から包丁を抜いた。
「武器を隠し持っていたとは油断も隙もない」
あと数秒抱えててくれりゃ、腕を落としてやれたってのに。
判断が早ええな。厄介だ。
「持っているものがあれば寄こせと言ったはずだが」
「あいにくそんなに素直じゃないんでねえ。性根がねじくれ曲がってんのさ」
「バカめ。抜いた時点で殺し合いになることくらいは想像に難くなかろう。素直にいれば殺されずに済んだものを」
最初から殺す気だったろ。
「あのな、あんな叩きつけもらったら普通は死んじまうだろ。俺ぁ人間族だぞ」
魔族にどれに比べて人間族の肉体はかなり脆い。すぐに破裂して壊れる。だから鎧を着込み、武器を手にする。そうしなければ抵抗すらままならないほどの、肉体性能差、魔力性能差があるからだ。
戸惑ったような気配が伝わってくる。
「ニン……ゲン……だと? 魔人族ではないのか?」
「そうだよ。だからあれで十分死ねるんだ。ぅわかったら気ぃつけろィ! ガラス細工みてえに優しく扱え!」
「そうか。最初から敵であったか。面倒な。闇に乗じて殺しておけばよかったか」
「ええええ~……」
そいつは俺がそうするように、先ほど俺から奪い取ったサーベルタイガーの牙を逆手に持った。
全身が警鐘を打ち鳴らしている。強敵だ。
「あんた、オーガ族か?」
「オーガではない。名乗ろう。己は東方鬼族のシュトゥンだ」
「あ、ああ!?」
オーガの源流にあたる、最古の種族だ。まさか実在していたとは思わなかった。
およそ一千と二百年ほど前に鬼とかいう東方からやってきた鬼族がこの地の魔族と交配し、そして現在のオーガ族となって広まったと、そう伝わっている。
どの種族と交配しても鬼族の特徴である角が失われないのは、それだけこの鬼って呼ばれるやつが優れた肉体性能を持っている証だろう。
とにかく、幻や伝説上の唯一個体だ。
なぜならその地からやってきた者はみな、口を揃えて東国の島国からだと言うのだが、この大陸から船を東に漕ぎ出してその地に辿り着けた船乗りは未だいないのだ。
だから俺は、曾祖母である勇者サクヤの語る異世界の故郷こそが、その地ではないかと考えている。
「……またかよ。ツイてねえ」
「また?」
「ここ何日かでユニークとやるのは二度目だよ、くそったれ」
それに、だ。
ああ、何てこった。地の底はどうやら煉獄だったらしい。比喩ではなく、文字通りのだ。
ようやく闇に目が慣れた。周囲を確認し、状況をやっと理解できた。
いま俺は腐った食い物の上にいるが、それ以外の床は腐肉と骨だらけだ。魔族のな。おそらくは収監された重犯罪者どもだろう。もしかしたら中にはドジで足を滑らせた監守もいるかもしれんが。
ざっと見回しても、シュトゥン以外に動く影はない。
だとするなら、こいつ一人で殺ったんだ。だから大量に配給の食い物があまって腐っていた。俺はその上に落っこちたおかげで生き延びられたが、運がよかったとは到底言えない状況になっちまってる。
「……あんた、ここの処刑人か?」
「いいや、ただの咎人だ。貴様と同じくな」
「ここの全員を殺したのか」
シュトゥンがうっすらと笑った。凶悪な笑みだ。
鬼面ってのは、こういうことを言うんだな。
「いまは敷き詰めているこの屍を積み上げれば、いずれ手の届く高さもあろうよ。そう遠くはない。もう半分の高さ程度にはある」
常軌を逸している! 重罪人とはいえ、あの階段の高さに達するまで、こいつは屍を積み上げるつもりなのか!
何か、何か考えなくては。
俺は場当たり的な会話で時間を稼ぐ。
「あんたは何をやらかしたんだ?」
「どうやら己は国家反逆罪でここへ落とされたらしい」
「どうやら、らしい、ね。ずいぶんと曖昧だねェ」
ふん、と鼻を鳴らしてシュトゥンが笑った。不機嫌そうにだ。
「罪状など建前に過ぎぬ。邪魔であったのだろうよ。いまの王族にとって、己はな」
「なるほど。あんた、魔王側近団の一人だ」
「……」
穏健派か? あるいは現魔王が偽物であると知ってしまったか?
「だが、まあ。それでも、己の忠誠心は未だジルイールにある」
シュトゥンがサーベルタイガーの牙を大きな掌でくるり、くるいと取り回した。
「貴様は人間で、ジルイールを害するために前線都市を訪れたと言った」
そういやさっき夜這いって言っちまったな。
うーん。まずったか。いまさら否定したって信じられねえよな。くそ。
「……ちょいと訳ありでね」
抱きたかったのは本物で、あのバルンバルンの偽物じゃあねえんだ。
「ジルイールに敵対する者は、己が排除する」
「あんたをこんなとこにぶち込んだのにか?」
ああ、だめだ。ここまでだ。
来る。それがわかる。長年培ったとはいえ、ただの勘だが、確信がある。
次の言葉が終わったら――。
「こちらも少々訳ありでな」
俺たちは同時に地を蹴っていた。互いに逆手持ちの牙と刃がぶつかり合った。
バギン、と甲高い音が響き、散った火花がほんの一瞬だけシュトゥンの鬼面を映し出した。
「ほう。人間にしては反応が早い」
「そりゃどうも――」
言葉が終わるよりも先に、シュトゥンがサーベルタイガーの牙を持った豪腕を強引に振り切る。俺の全身があっさりと持ち上がった。
鍔迫り合いも糞もねえ。これじゃ大人と子供だ。
「軽いな」
「ぐ……おっ」
まるで金属同士を擦り合わせたかのような音が響き、俺は後方へと吹っ飛ばされる。
生まれ持っての自力が違い過ぎる。全身を魔力付与によって強化しているにもかかわらずこの有様だ。
両足で腐肉を掻いて滑る床を踏ん張り、俺はシュトゥンを中心に弧を描くように走った。
正面からはだめだ。力じゃ到底敵わねえ。スピードで攪乱していくしか手がねえ。
しかしシュトゥンは落ち着いた動作で俺を正面に捉え続ける。なかなか隙ができない。
やつが悠々と口を開く。
「いいのか? 腐肉や血に足を取られるなよ」
言葉に釣られた。ああ、釣られちまった。
この瞬間俺は、シュトゥンに精神を誘導されたんだ。俺もよく使う手だからそれに気づけた。だがたしかにほんの一瞬、俺は自身の足下を気にした。視線はシュトゥンを捉えたままでも、意識のみを足下に向けてしまった。
シュトゥンはそれを見逃さない。
大きな踏み込みがきた。腐肉の地を蹴って、たった一歩でだ。
「ではな、人間」
「――げあッ!?」
受けた。どうにか受けたはずなんだ。寝かした包丁の刃でサーベルタイガーの牙の突きを止めたんだ。
だが、いかんせん力が違い過ぎる。牙を防いだ包丁の刃が俺の鳩尾にまで食い込み、俺はまた派手に後方へと吹っ飛ばされていた。鳩尾から背中まで突き抜けた痛みで今度は踏みとどまることもできず、背中から無様に腐肉の上を転がる。
「がはッ、ごぼ……ッ」
血の混じった胃酸を吐いて、それでも俺はすぐに膝を立てた。悠然と近づいてきていたシュトゥンが足を止める。
「驚いた。まだやれるのか」
「……は、は……反則だろ……。……その図体で……何で俺よか技術まで上なんだ……」
「理解が早いな。ならばもう動くな。すぐに楽になる。痛みは一瞬だ」
「うるせえ。そりゃ俺がベッドで女に言いてえ言葉の第二位ってやつなんだぞ。軽々しく男に使いやがって」
シュトゥンが再び無言で歩き出す。牙を逆手に持って悠々と近づいてくる。
「……」
「ちなみに第一位を知りてえかい?」
「無駄だ。時間稼ぎに付き合う義理はない」
くっそ、頭まで切れんのかよ。呼吸を整える時間も与えてくれそうにねえ。
俺は身を軽くするため、ローブの留め金を外した。
正直言って、無駄な足掻きだ。
シュトゥンが数歩の距離にまで迫ったとき、俺はローブを広がるようにやつの顔に投げつけた。やつの視線を切ったんだ。
これが俺の最後の手段だ。
ローブを目隠しに回り込む。何千もの武人に散々使い古された常套手段だ。
「くだらん」
そうつぶやいたシュトゥンは、前方に広がったローブではなく、最初にその左右上下に視線を走らせる……はずだ。それが目隠しを使う者の戦法だからな。要するに択を迫るんだ。
「――ッ!?」
俺からシュトゥンの姿は見えちゃいねえ。だが、戸惑ったはずだ。そうだろ。ローブの上下左右にも、俺の姿が見えないから。
そしてシュトゥンは最後にローブそのものへと視線を戻す。最後にだ。俺にはその様子が手に取るようにわかる。視線を向ける順序まではっきりとだ。
稼げる時間はほんの一瞬。だが達人同士の殺し合いの中では、致命的な時間だ。
ローブを投げた瞬間からぴったりその裏に身を寄せて静かに跳躍していた俺は、最短距離でシュトゥンの左胸部をローブごと貫く。
ずぐり、筋肉を掻き分けて貫く嫌な手応えがあった。
「ぐ……ッ!? バカな……!」
着地と同時に包丁を引き抜くと、巨体が片膝を落とす。やつが自身の掌で押さえた左胸からは、ドバドバと血液が流れ出していた。
俺の勝ちだ。
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