第41話 とっても強欲囚人さん
前回までのあらすじ!
ついに監獄へ侵入成功!
俺は下層を目指し、大穴の壁に沿って造られた螺旋状の階段をひたすら駆け下りる。天上は大穴の吹き抜けだ。ぽっかりと夜空が口を開けている。
「しっかしまあ、何だこの造りは。雨が降ったらどうすんだ。溜まる一方になっちまわねえのかねえ」
どうでもいい心配をしつつ、底の見えない闇の中へと下りていく。
詰所もいくつか越えた。何体かのデーモン族の気配はあったが、運がいいのかあれ以降の遭遇はない。だが、サーベルタイガーの群れと監守デーモンたちの戦いが長引けば、各詰所からは監守の増援が出されるだろう。
靴音は響かない。そういうふうに走っているからだ。
俺は曾祖母のような才能には恵まれなかった。だから剣技を必死で磨いてきた。けれど自ずと限界がある。多数に対する対処は苦手だし、曾祖母と互角に戦ったという先代ジルイールのようなバケモノが出てきたら、ほんとにどうしようもない。
だから剣技以外にも、学べるものは学んできた。残念ながら喉から手が出るほど欲しかった魔術の才能はなかったがね。
だが肉体を動かすことに関しては、教えを請うた多くの師すらも超えてきたと自負している。
足音をたてずに走る方法や、デーモンを絞め落とした体術も、その一つだ。
他には針金での鍵開けや、前線都市で屋根を走った道なき道の踏破、人体のみならず魔族や魔物の急所もおぼえたし、他には縄を使った拘束術なども使える。ベッドで。
情けねえが、究極の器用貧乏勇者だ。
「ん~……?」
ふと、俺はある瞬間に気がついた。
階段を下り続け、空を見上げれば大穴が豆粒程度の大きさになる頃、詰所がなくなっちまったんだ。同時に、道々の壁に引っかけられていた魔導灯もだ。
徐々に闇が濃くなってきている。
走れども走れども階段が続くだけで、デーモン族の気配もなくなった。暗黒はさらにその濃さを増し、不気味に広がりつつある。
それに、下から異様な臭いが上がってきている。
すえた臭いが混ざっていてよくわからんが、死臭かもしれない。鉄さびと、糞尿と、腐敗臭。とにかく吐き気を催す臭いをごちゃ混ぜにしたようなものだ。
底が近いらしい。だがどうやらこりゃあ、まともな生活環境じゃあなさそうだ。
「ルランゼ、無事なんだろうな……!」
そうつぶやいた瞬間だった。
「あッ!?」
俺は階段を踏み外していた。いや、違う。違うんだ。階段の先がなかった。闇が深すぎて見えちゃいなかったんだ。
右足で勢いよく虚空を踏んでしまい、左の踏ん張りも虚しく、俺は体勢を崩しながら大穴の底へと落下していく。
「くそ!」
手足をばたつかせても、壁にすら届かない。闇が勢いを増し、下からくる風となって俺を取り込んでいく。
全身強ばった。
まずい。魔力を全身で纏ったとしても、高さによっては即死だ。防げねえ。だがすでにかなり落下してる。もうやるしかねえ。
魔力で肉体を強化――する直前、俺は背中からベシャリと音を立てて何か柔らかいものの上へと叩きつけられていた。
「う……ぐ……ッ、こ、腰ィ~……」
どうやら、それなりの高さから落ちたようではあるが、何かが緩衝材となって腰を痛める程度で済んだようだ。
闇が深い。ほとんど何も見えない。これじゃダンジョンだ。
空間がじっとりと湿っている。すえた臭いも相当だ。見上げれば、高所に途中で途切れた階段らしきものがうっすらと見えた。
あの高さでは、どれだけ跳躍力に自信のある種族でも届くことはないだろう。
「あっこから落ちたのか。さすがに戻んのぁ、ちょいと無理くせえな」
足下の緩衝材が何だったのかはわからない。だが、
吐き気を催すほどの異様な臭いだ。最初は何かの死骸かと思ったが、手探りでつかむと、それが腐った食い物であることがわかった。
変色して黴びた肉や、生のまま乾いちまった魚、溶けた野菜なんかだ。そこら中をぶんぶんと羽虫が飛び回っている音がする。
「……そういうことか」
俺はこの期に及んでようやく理解した。ルーグデンス監獄が何なのかをだ。
こいつは囚人どもの収監所じゃない。死刑場だ。そもそも脱獄者ナシということ以上に異様だったのは、出所者の話がなかったことだ。
そらそうだ。翼を持った一族でもなければ、這い出ることすら困難な造りだ。ま、翼があったとしても、ここに落とされるときには切り取られているんだろうがな。
ひでえ環境だ。
俺は、こんな造りで雨が溜まったらどうするんだ、と考えていた。
だが現実はこうだ。溜まったからといって何の問題があるんだ? そのまま囚人どもが溺れ死んでくれるなら、それでいいじゃないか、ってとこだ。
魔族の暗部だね。ここに落とされた重犯罪者がどうなろうが知ったこっちゃないが、魔王であるルランゼはルーグデンス監獄の真実を知っていたのだろうか。
俺はため息をついて首を左右に振った。
それ以上に、ルランゼは本当にこんなところに閉じ込められているのだろうか。仮に彼女がここにいたとして、どうやって脱出すりゃいいんだ。
「……」
おそらく落下の際の緩衝材となったこの腐った食い物は、監獄としての名目上の配給だろう。運がよかった。これがなきゃ、いまごろ死にはしないまでも、腰が再起不能になっていただろう。ベッドでルランゼに泣かれるところだったぜ。
痛みが治まってきた頃に、ゆっくりと立ち上がる。月の光も届かねえ闇の底だ。目が慣れるまではヘタに動けそうにない。
そんなことを考えた瞬間、少し離れた場所で闇が動いた気がした。
「――ッ」
警戒。俺はローブに手を入れて、腰の鞘から包丁の柄をつかむ。
今度は右後方。また闇が動いた。視線を向けても何も見えない。
何かいる――! 囚人か!?
どうやら常日頃からここに閉じ込められているやつらには、俺の姿が見えているらしい。体温やわずかな音を頼りに気配を追うことはできるが、さすがにその行動までは見えない。目が慣れるまで時間稼ぎが必要だ。
俺は開き直って口を開いた。
「誰かいるのか?」
ぴくり。床を踏みしめるわずかな足音が止まる。
「ほう、よく気づいたな。新入り」
「……ああ」
新入り。
否定したところで、自ら落っこちてきたなどと信じられるわけもない。俺は肯定する。
「何か持っているか?」
「あ~。食い物はねえな。嗜好品もだ。俺の持ち物って言やあ、サーベルタイガーの牙くらいかね」
「よこせ」
間髪容れずにまあ……。
「残念ながら加工はまだだぜ。武器としては使い物になんねえよ。こんなとこじゃ買い取らせるのも無理だろうしな」
「二度は言わん」
舌打ちをしたいのを堪えて、俺はそいつの声がする方向に牙を投げた。パシンと、掌で受けた音だけが響く。
やはり相手は、この暗闇でも見えているらしい。
「ふむ。たしかに。他には?」
「もうねーよぅ!」
メイド服は渡さんぞ! これはルランゼに着せて楽しむんだ!
……包丁もだ。こいつが俺の生命線だからな。
「くっく、何をしでかした? こんなところに放り込まれるなど、相当な悪党だろう?」
「いやあ、こないだ前線都市にいるジルイールにちょっくら夜這いをかけたんだ。そしたらぶち込まれちまった」
「…………正気か……」
まだ目が見えない。焦っちまう。
「正気も正気。ま、そのジルイールは偽者だったけどな」
「……」
「あんた知ってるかい? いま魔族の王座に君臨しているジルイールは偽者なんだぜ。民も側近も敵も、みんな騙されてんだ」
「本物に相手をして欲しかったのか」
「まーな」
闇に目が慣れるまでの時間稼ぎと同時に、俺は探りを入れる。
どこの犯罪者かは知らんが、こいつが前線都市の魔王を偽物だと知っているなら、ルランゼがこのルーグデンス監獄にいる可能性が高まる。
「そこにいるんだろ。何か話してくれよ。まだ目が見えなくてなぁ」
「……」
「おいおい、黙ってられると不安に――」
次の瞬間だ。俺は凄まじく大きな掌に首をつかまれ、持ち上げられていた。
「あ……が……ッ」
まじい……! 気絶する……!
俺はとっさに左足を振り上げて、そいつの顎を蹴り上げた。だが、まるで岩石を蹴ったかのようにぴくりともしねえ。
魔力を全身に纏い、今度は両足を振り上げてそいつの豪腕にしがみついた。ウォルウォ並の太さの豪腕に纏う筋肉は、まるで岩のような硬度だ。関節を逆に曲げてやるつもりだったが、こいつぁ。
全身の毛穴が開いた。汗が大量に噴出する。
「……ッ」
緊急事態だ。武器を持ってることがバレちまうが仕方ねえ。
俺は腰の包丁に右手を伸ばし、抜いた。
「隠し持つか。小賢しい」
そいつは俺がしがみついたままの豪腕を高く持ち上げて、凄まじい勢いで振り下ろした。俺は腐った食い物に叩きつけられ、跳ね上がり、空中で脚を蹴って後転、着地する。
「がっ、ひゅう~……! ふう、はあ……。痛ぁ~。何つう馬鹿力だよ」
危ねえ。魔力を纏うのが遅れていたら、俺ももう腐るしかねえ肉だった。
くっそ、さっさと闇に慣れろ、俺の目ぇ!
夜這いとか言っちゃう。
そういうとこだぞ、おっさん。
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※23日の更新はお昼頃です。




